人を殺す気持ちには色々あるけれど、愛する気持ちは総じて一通りだと思う。
なんて、適当に哲学的っぽい事を言っておけばこの場がなごむとは到底思えなかった。
目の前には、死体……のように硬直したままの霊夢がいた。決して死んでいるわけではないのだが、しかし、これは……
「すごいすごい! 仮死状態だわ! これはすごい! すごく興味深い!」
嬉しそうな永琳。それをじっと、まるで苦手な芋虫でも見ているように冷たい視線を浴びせる、わたくしこと、霧雨魔理沙。
霊夢は、豆腐に角をぶつけて、仮死状態になった。
すまん。うそだ。今はただ気を失ってるだけ。大方、階段からこけたのだろう。霊夢ほどの人物が? そんなこともあるもんだ。にとりの川流れ。橙も木から落ちる。
永琳を呼んだのは、私だ。というわけで、滅多に見れない霊夢の姿に永琳大興奮。
怖い。何をするかわからない。
「まずいわよ、魔理沙。今、師匠はルナティックハイになっているから。何するか、本当に見当がつかないわ」
やめてくれよ、鈴仙。私は今、泣きそうだ。呼んでしまった手前、なおさら罪悪感が……
「あの……ただ気を失っているだけなら、もう帰ってくれても」
睨まれた。
「何を言っているの、こんな貴重な機会を逃すはずないじゃない!」
血走った眼でそんなこと言う。おお、怖い。その目、やめてくれないか、月の頭脳よ。
というわけで、霊夢はいじくりまわされた。麻酔をかけられ、解剖され、骨の髄まで調べられた。
そして、霊夢が起きるころにはすっかり元通り。手術跡もない。
「あれ、私どれくらい寝てたの?」
「二日くらい」
すまない、霊夢。本当は、永眠してもらうつもりだったんだ。
永琳なんて呼ばなきゃよかった。本当に死んでいるかどうか不安だったから、動揺して思わず医者なんて呼んでしまった。
永琳の迅速な治療と、天才的な才覚で、霊夢は生き返ってしまった。さすが永琳。死んだ人をも生き返らせるなんて。永琳、死なないけど、死ね。
ああ、最初の話に戻るとだな、愛ゆえに人を殺すことはあっても、殺してから愛を感じる人はいない。たとえ殺してから、その故人に愛を感じたとしても、それはもともと愛していたから、そう思うだけだ。
つまり、愛する事と殺す気持ちは不可逆的で、一方的な関係だということだな。言葉にすれば、ただの動詞なのにな。
私か? そうだな、殺した理由はよくわからないけれど、霊夢に愛はあったよ。
私は、もう満足した。次はだれが、霊夢を殺すのだろうか。いや、新たに霊夢を生み出すというか……
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以上、こうして私は妙な妄想に駆られて、この文章を打っている。私の手にある小さな日記では、霊夢は一回私の手によって死んで、永琳の手によって生き返った。
それもこれも、わたくし霧雨魔理沙の頭の中の妄想を、この小さな紙束に黒いインクで書き連ねているだけの話に過ぎない。
今もきっと、幻想郷と言わず、どこかのだれかの手によって、霊夢もわたしも、そしてその他の幻想郷の住人も、幸せになったり、死んだり、悲しんだり、笑ったり、殺されたりしているのだろう。
しかし、どんな結論に至ろうとも、きっとそこに愛はあるのだろう。それだけで私は、満足だ。愛される事ほどうれしい事もない。私はだが。
愛ゆえに、私たちは操られている。決してその逆はない。
ふむ、なんとなくかっこいい事を書いた気がする。しかし、よく考えればおかしなことを書いているのかも……
ま。いっか。
愛は、不可逆的で一歩通行なのだから。
この世もあの世も、あいのうたに満ちている。
さて、この駄文はもう焼き払うとしよう。
最後に。
神様よりも偉い神様、私を誰もが振り向くような素敵な女性にしてください!
ここの表現がオカシイと思うのは自分だけ?
あと1番さんと同じでで
豆腐に角をぶつけてじゃなくて
豆腐の角にぶつけて(頭)を
と言うことですか?