「………じゃあ次は『掘』と言う字を十回ずつだ」
「はい!」
今、目の前で授業が行われている。
しかし場所が場所なだけあって香霖堂店主である森近霖之助は非常に不愉快な心持であった。
「なぁ慧音」
「なんだ?」
「ここは店だ!読み書きそろばんは寺子屋でやれ!!全く、初めてここを訪れたかと思ったら勉強道具を広げて」
そう、今現在授業が行われているのは森近霖之助が城主の香霖堂である。それに慧音が勉強を教えているのは以前霊夢に襲われて本を強奪された少女でうちにもその本を何度も取り返そうと何度か来ていた。(因みにその本の件は僕が保管し自由に呼んでいいという条件で手打ちにした)
「良いじゃないか、ここは静かでちょうど良いんだ」
「営業妨害をしているという自覚は無いんだね」
「客がいるなら考えるが………どうやらいないみたいだな」
「………好きにしてくれ」
殺し文句を言われ言い返す事の出来なくなった霖之助はそれだけ言うと背もたれに全体重を乗せて二人の授業を眺めることにした。
しかし何と言うか、あの妖怪と慧音が並んでいるとどうにも親子に見えて仕方が無い、霖之助は眺めている内にそんな思いを持った。銀の髪に青いメッシュがはいっていることや勉強好きな所など、挙げればきりが無いように思える。
「そうだ慧音」
「なんだ、霖之助」
「その子の名前はなんて言うんだい」
霖之助が名前を問うたのは朱鷺色の羽を持つ妖怪少女、慧音が勉強を教えている少女だ。
「いや、名前かぁ………おい、お前は名前なんて言うんだ?」
「知らんで勉強を教えていたのかい!?」
愕然とした風に糾弾する霖之助に慧音は頬を膨らませながら抗議した。出会ったのはつい昨日で、本は好きだが難しい漢字が読めないそうだから教えてやると約束した仲だと。
「そう言えば名前なんて、気にした事無かったなぁ………」
間の抜けたような声が聞こえ、二人は言い合いを止めた。
ノートに走らせる鉛筆の手を止め唸る少女をしばらく観察して慧音は声を上げる、じゃあ名前を付けてやると。
「え?名前、付けてくれるの?」
「あぁ、これから勉強をここで教える上で一々『お前』なんて呼べないからな」
暫く慧音はうんうん唸り、やがて少女の背中の見事な朱鷺色の翼に目を付け、こう言った。
「朱鷺子だ」
「は?」
「へ?」
「だから、今日からお前の名前は朱鷺子だ」
「あー、慧音、幾らなんでも安直過ぎや……」
名前の由来に気付いた霖之助は慧音に言おうとしたがその言葉は朱鷺子となった少女の陽気な声に遮られることになる。
「朱鷺子……良い名前!」
「そうか、気に入ってくれたか」
「で、どんな字なの!?」
「あぁそっか、お前は難しい漢字分からないんだよな」
そう言って慧音は学習帳に『朱鷺子』の字を赤鉛筆で書き示し、朱鷺子に憶えるまで書き写す様に言った。
「慧音、ちょっと待ってくれ」
「どうした?霖之助」
「その子に風呂は入らせているのか?」
「いや、知り合ったのは昨日だから、入らせてはいない」
見れば朱鷺子の服は所々解れがあり、また汚れも酷い。朱鷺子自身天を屋根とし大地を床とした生活が続いていたらしくその体から微かな異臭が漂っている。
慧音の言葉に霖之助はおおいに納得した風に頷いて風呂の準備をするからまず何より先にそれを優先させろと朱鷺子と慧音を交互に指さしながら言った。
「それから勉強だ。君も体が汚れた状態じゃ集中できないだろ?」
霖之助は朱鷺子にそう言って接客台から姿を消した。風呂の準備をする為に。
「……じゃあ髪の毛洗うから、目つぶれ」
「はーい」
湯気が立ち込める香霖堂の風呂場。慧音は風呂桶から掬ったお湯を朱鷺子の頭から流し、石鹸を泡立てその銀色の髪の毛を洗い始めた。
「ねーねー、慧音先生」
「んー、どうした朱鷺子」
「あの人とどういう関係なの?」
「あの人って、霖之助の事か?」
背中を向けたまま頷く朱鷺子。慧音は髪の毛を洗う手を止めないまましばし考え、応える、ただの友人だと。
すると朱鷺子が今度は友達なのに喧嘩してたねぇと緩みきった声で言った。
「あれは喧嘩じゃないさ、ただの言い合いだよ、喧嘩とちょっと強い言葉のやり取りは違う」
「それと喧嘩って、どう違うの」
どう違うか、そう問われて今度は手を止め考える慧音。
「それは、喧嘩は嫌いな奴同士でするもんだ」
そう言って再び髪の毛を洗う手を動かす慧音に朱鷺子は更に問いかけた。じゃあ霖之助は嫌いじゃないのかと。
「あぁ嫌いじゃない、むしろ好きだ。多分あいつも私の事が好きだ」
「どうして分かるの?」
「嫌いな奴に貸せる風呂なんて無いだろ?それにあいつとは一緒に暮らしてたこともある」
「結婚してるの?」
「いや、結婚はしてない」
「結婚してないのに一緒の部屋で暮らしてたの?」
「えぇ、そう。お湯流すからな」
ざぱぁ、と言う音が二度三度聞こえ、朱鷺子の頭を覆っていた泡が全て流れ落ちると今度は二人して湯船につかる。
「よーし、じゃあ十数えたら風呂あがるからな」
「はーい」
そして風呂場に数を数える音が木霊し始めた。
「気持ち良かったー!」
「そりゃあ良かった。慧音、ご苦労だった」
「まぁ良いさ、それより……」
慧音は目を落として朱鷺子の服を縫う霖之助と朱鷺子の着ている今の服を交互に見て質問を投げた。一体誰の服なのかと。
答えは実に簡単な物だった、魔理沙がここで泊まっていくときのための寝巻なのだそうだ。
「ほぉ、魔理沙もここで寝泊まりすることがあったのか」
「随分昔さ、今はほとんどないが捨てられなくてね、役に立って良かったよ」
過ぎた時を懐かしむ表情を一瞬だけ見せて霖之助はまた朱鷺子の服の解れを修繕する作業の戻る。
「さて、続……」
と授業の再開を宣言しようとしたまさにその瞬間、朱鷺子の腹の虫が活動を始めた。
お腹を押さえながら慧音と霖之助を上目づかいで交互に見て朱鷺子は顔を赤らめた。その様子がよほどおかしかったのか慧音は少しだけ笑うと霖之助に台所を借りるぞと言って答えを聞かないまま奥へと消えていく。
「いただきまーす!」
「たくさん食べろ」
数分後、香霖堂の生活区域の居間には白米とみそ汁と切った漬物が並べられていた。腹が減っては戦は出来ぬ、と言う事で腹をすかした朱鷺子の為に慧音が作ったものだ。
相当お腹がすいていたのだろう、あっという間にお櫃の中の米を半分ほど平らげた朱鷺子は満足そうな顔でお茶を啜る。
「旨かったか?」
「うん!」
「よし、じゃあこれで勉強できるな」
「はい!お願いします」
楽しげな表情を浮かべながらまた勉強道具が置いたままの場所へ戻ってゆく二人の背中を見つめながら霖之助は少し肩を竦めて食事の後片付けをするのだった。
夕方、疲れて眠りに着いた朱鷺子を横目で見ながら慧音は今日一日で彼女が仕上げた課題を霖之助と一緒に眺めていた。
「……朱鷺子の前の字が色々酷いんだが、なんだい『見敵必掘』って『見敵必戦』じゃないのかい?」
「別に良いだろ、憶えられれば」
「良くない、字一つならそれでいいかも知れんが熟語やらなんやらはそれじゃ駄目だ」
しかし今日一日で朱鷺子が憶えた漢字は大凡二~三百文字、驚くべき数字だと霖之助は思った。やはり妖怪は人間とは違う物だと改めて分かる。
慧音も丁度それを同じ感想を持っていたらしく、朱鷺子の記憶力の良さと学習意欲を手放しでほめた。
「しかし慧音、この子一体どうするんだ?君ん家で一緒に暮らすのか?」
「あぁ、それも考えた、だが里内だろ?やっぱり噂が立ったりするとこの子のために良くない」
途端、慧音は何を思いついたか霖之助から目をそむけ口を開いて虚空に向かって話し始める。
「あー、どっかに里からも通えてそこまで怪しまれない様な都合のいい場所って無いかなー、例えばこの香霖堂の様な」
香霖堂、と言う単語を慧音はやたらと強調した為霖之助はこの目の前の半獣が何を自分に言わせたいのかと言う事を一瞬で理解した。
ただなんのリアクションも起こさない彼に慧音は更に言葉を畳みかける。
「この子を引き取ってくれたら食事とかは負担しようかなーと考えてるんだけどなー」
その後も色々続いた。風呂に入れてあげて食事も食べさせてあげて、そしてはいそれまでよといきなりおっ放り出すのは可哀そうじゃないか、とか何処に居るか分からなければ授業の受けさせようがないとかなんとか。
度重なる言葉の波状攻撃に耐えきれなくなったのか霖之助はまだ言いたそうな慧音の言葉を遮って声を張り上げた。
「分かった分かった、分かった、僕がこの子をここで引き受ける、そのかわり君はここに毎日来てこの子のために勉強を教えて食事も作る、それで良いんだな?良いんだな!?」
「あぁそれが超ベリーグッドだ、良く引き受けてくれた霖之助我が友よ」
「君が仕向けたんだろう」
約束は交わしたものの朱鷺子の承諾が無ければならない、霖之助は朱鷺子を起こすことにした。これからここで寝泊まりすることになるがそれでも良いのかと。
「朱鷺子、起きろ、ほら」
「んぅ……なにぃ」
眠い目を擦りながら起き上った朱鷺子に件の話を持ちかけ、同意するかしないかを二人が聞いたところ、朱鷺子は二つ返事でここでの滞在を快諾した。
朱鷺子曰くここなら本もこれまで以上に自由に読めるし野宿よりも家があった方が嬉しいのだと。
「じゃあ朱鷺子、また明日も来るからな」
「うん、明日もお願いします!」
「霖之助、朱鷺子を頼むな」
「押し付けといてよく言うよ」
日もとっぷりと暮れた魔法の森を里へと歩いて行く慧音を霖之助と朱鷺子はその背中が見えなくなるまで店の外で見送った。
夜、霖之助は接客台で一人過ごしていた。居間は朱鷺子が勉強で使っているが都合が良い、何かを考える時はこういう場所が彼にとっての一番なのだ。
最初に朱鷺子に会った時の言い様のない違和感が今ようやく氷解した。そう、彼女は慧音に似ている、それも小さい時の。
振り返ってみれば霖之助は慧音にひどい仕打ちをして来た。最たるものは里を出た時だ、あれだけ仲が良かったのに面と向かって挨拶もせずに出て行った。それ以来、霖之助と慧音の間の時間は凍っていた。しかしこの少女、朱鷺子が来たお陰で止まった時間が動き始めたのかもしれない。
「朱鷺………時…………解き………ふむ」
『トキ』と言う言葉から連想できる漢字を頭の中で思い浮かべる。
まず朱鷺と言うのは彼女の翼の色、そして時と言うのは自分が置いて行ってしまった『時』そしてこれから取り戻したい『時』、極めつけは『解き』。
『朱鷺』が来て凍らせた『時』を『解き』ほぐしてくれのではないかと。若干だが、その期待を込めて霖之助は朱鷺子を引き取ることにしたのだ。
「…………我ながら虫の良すぎる解釈かな、まぁ良いけど」
ただこれまで一度もここに来なかった慧音を朱鷺子は連れて来た、それどころか慧音が毎日ここへ来る、自分の解釈に多少ながらの自信を持ち始めた霖之助である。
「はい!」
今、目の前で授業が行われている。
しかし場所が場所なだけあって香霖堂店主である森近霖之助は非常に不愉快な心持であった。
「なぁ慧音」
「なんだ?」
「ここは店だ!読み書きそろばんは寺子屋でやれ!!全く、初めてここを訪れたかと思ったら勉強道具を広げて」
そう、今現在授業が行われているのは森近霖之助が城主の香霖堂である。それに慧音が勉強を教えているのは以前霊夢に襲われて本を強奪された少女でうちにもその本を何度も取り返そうと何度か来ていた。(因みにその本の件は僕が保管し自由に呼んでいいという条件で手打ちにした)
「良いじゃないか、ここは静かでちょうど良いんだ」
「営業妨害をしているという自覚は無いんだね」
「客がいるなら考えるが………どうやらいないみたいだな」
「………好きにしてくれ」
殺し文句を言われ言い返す事の出来なくなった霖之助はそれだけ言うと背もたれに全体重を乗せて二人の授業を眺めることにした。
しかし何と言うか、あの妖怪と慧音が並んでいるとどうにも親子に見えて仕方が無い、霖之助は眺めている内にそんな思いを持った。銀の髪に青いメッシュがはいっていることや勉強好きな所など、挙げればきりが無いように思える。
「そうだ慧音」
「なんだ、霖之助」
「その子の名前はなんて言うんだい」
霖之助が名前を問うたのは朱鷺色の羽を持つ妖怪少女、慧音が勉強を教えている少女だ。
「いや、名前かぁ………おい、お前は名前なんて言うんだ?」
「知らんで勉強を教えていたのかい!?」
愕然とした風に糾弾する霖之助に慧音は頬を膨らませながら抗議した。出会ったのはつい昨日で、本は好きだが難しい漢字が読めないそうだから教えてやると約束した仲だと。
「そう言えば名前なんて、気にした事無かったなぁ………」
間の抜けたような声が聞こえ、二人は言い合いを止めた。
ノートに走らせる鉛筆の手を止め唸る少女をしばらく観察して慧音は声を上げる、じゃあ名前を付けてやると。
「え?名前、付けてくれるの?」
「あぁ、これから勉強をここで教える上で一々『お前』なんて呼べないからな」
暫く慧音はうんうん唸り、やがて少女の背中の見事な朱鷺色の翼に目を付け、こう言った。
「朱鷺子だ」
「は?」
「へ?」
「だから、今日からお前の名前は朱鷺子だ」
「あー、慧音、幾らなんでも安直過ぎや……」
名前の由来に気付いた霖之助は慧音に言おうとしたがその言葉は朱鷺子となった少女の陽気な声に遮られることになる。
「朱鷺子……良い名前!」
「そうか、気に入ってくれたか」
「で、どんな字なの!?」
「あぁそっか、お前は難しい漢字分からないんだよな」
そう言って慧音は学習帳に『朱鷺子』の字を赤鉛筆で書き示し、朱鷺子に憶えるまで書き写す様に言った。
「慧音、ちょっと待ってくれ」
「どうした?霖之助」
「その子に風呂は入らせているのか?」
「いや、知り合ったのは昨日だから、入らせてはいない」
見れば朱鷺子の服は所々解れがあり、また汚れも酷い。朱鷺子自身天を屋根とし大地を床とした生活が続いていたらしくその体から微かな異臭が漂っている。
慧音の言葉に霖之助はおおいに納得した風に頷いて風呂の準備をするからまず何より先にそれを優先させろと朱鷺子と慧音を交互に指さしながら言った。
「それから勉強だ。君も体が汚れた状態じゃ集中できないだろ?」
霖之助は朱鷺子にそう言って接客台から姿を消した。風呂の準備をする為に。
「……じゃあ髪の毛洗うから、目つぶれ」
「はーい」
湯気が立ち込める香霖堂の風呂場。慧音は風呂桶から掬ったお湯を朱鷺子の頭から流し、石鹸を泡立てその銀色の髪の毛を洗い始めた。
「ねーねー、慧音先生」
「んー、どうした朱鷺子」
「あの人とどういう関係なの?」
「あの人って、霖之助の事か?」
背中を向けたまま頷く朱鷺子。慧音は髪の毛を洗う手を止めないまましばし考え、応える、ただの友人だと。
すると朱鷺子が今度は友達なのに喧嘩してたねぇと緩みきった声で言った。
「あれは喧嘩じゃないさ、ただの言い合いだよ、喧嘩とちょっと強い言葉のやり取りは違う」
「それと喧嘩って、どう違うの」
どう違うか、そう問われて今度は手を止め考える慧音。
「それは、喧嘩は嫌いな奴同士でするもんだ」
そう言って再び髪の毛を洗う手を動かす慧音に朱鷺子は更に問いかけた。じゃあ霖之助は嫌いじゃないのかと。
「あぁ嫌いじゃない、むしろ好きだ。多分あいつも私の事が好きだ」
「どうして分かるの?」
「嫌いな奴に貸せる風呂なんて無いだろ?それにあいつとは一緒に暮らしてたこともある」
「結婚してるの?」
「いや、結婚はしてない」
「結婚してないのに一緒の部屋で暮らしてたの?」
「えぇ、そう。お湯流すからな」
ざぱぁ、と言う音が二度三度聞こえ、朱鷺子の頭を覆っていた泡が全て流れ落ちると今度は二人して湯船につかる。
「よーし、じゃあ十数えたら風呂あがるからな」
「はーい」
そして風呂場に数を数える音が木霊し始めた。
「気持ち良かったー!」
「そりゃあ良かった。慧音、ご苦労だった」
「まぁ良いさ、それより……」
慧音は目を落として朱鷺子の服を縫う霖之助と朱鷺子の着ている今の服を交互に見て質問を投げた。一体誰の服なのかと。
答えは実に簡単な物だった、魔理沙がここで泊まっていくときのための寝巻なのだそうだ。
「ほぉ、魔理沙もここで寝泊まりすることがあったのか」
「随分昔さ、今はほとんどないが捨てられなくてね、役に立って良かったよ」
過ぎた時を懐かしむ表情を一瞬だけ見せて霖之助はまた朱鷺子の服の解れを修繕する作業の戻る。
「さて、続……」
と授業の再開を宣言しようとしたまさにその瞬間、朱鷺子の腹の虫が活動を始めた。
お腹を押さえながら慧音と霖之助を上目づかいで交互に見て朱鷺子は顔を赤らめた。その様子がよほどおかしかったのか慧音は少しだけ笑うと霖之助に台所を借りるぞと言って答えを聞かないまま奥へと消えていく。
「いただきまーす!」
「たくさん食べろ」
数分後、香霖堂の生活区域の居間には白米とみそ汁と切った漬物が並べられていた。腹が減っては戦は出来ぬ、と言う事で腹をすかした朱鷺子の為に慧音が作ったものだ。
相当お腹がすいていたのだろう、あっという間にお櫃の中の米を半分ほど平らげた朱鷺子は満足そうな顔でお茶を啜る。
「旨かったか?」
「うん!」
「よし、じゃあこれで勉強できるな」
「はい!お願いします」
楽しげな表情を浮かべながらまた勉強道具が置いたままの場所へ戻ってゆく二人の背中を見つめながら霖之助は少し肩を竦めて食事の後片付けをするのだった。
夕方、疲れて眠りに着いた朱鷺子を横目で見ながら慧音は今日一日で彼女が仕上げた課題を霖之助と一緒に眺めていた。
「……朱鷺子の前の字が色々酷いんだが、なんだい『見敵必掘』って『見敵必戦』じゃないのかい?」
「別に良いだろ、憶えられれば」
「良くない、字一つならそれでいいかも知れんが熟語やらなんやらはそれじゃ駄目だ」
しかし今日一日で朱鷺子が憶えた漢字は大凡二~三百文字、驚くべき数字だと霖之助は思った。やはり妖怪は人間とは違う物だと改めて分かる。
慧音も丁度それを同じ感想を持っていたらしく、朱鷺子の記憶力の良さと学習意欲を手放しでほめた。
「しかし慧音、この子一体どうするんだ?君ん家で一緒に暮らすのか?」
「あぁ、それも考えた、だが里内だろ?やっぱり噂が立ったりするとこの子のために良くない」
途端、慧音は何を思いついたか霖之助から目をそむけ口を開いて虚空に向かって話し始める。
「あー、どっかに里からも通えてそこまで怪しまれない様な都合のいい場所って無いかなー、例えばこの香霖堂の様な」
香霖堂、と言う単語を慧音はやたらと強調した為霖之助はこの目の前の半獣が何を自分に言わせたいのかと言う事を一瞬で理解した。
ただなんのリアクションも起こさない彼に慧音は更に言葉を畳みかける。
「この子を引き取ってくれたら食事とかは負担しようかなーと考えてるんだけどなー」
その後も色々続いた。風呂に入れてあげて食事も食べさせてあげて、そしてはいそれまでよといきなりおっ放り出すのは可哀そうじゃないか、とか何処に居るか分からなければ授業の受けさせようがないとかなんとか。
度重なる言葉の波状攻撃に耐えきれなくなったのか霖之助はまだ言いたそうな慧音の言葉を遮って声を張り上げた。
「分かった分かった、分かった、僕がこの子をここで引き受ける、そのかわり君はここに毎日来てこの子のために勉強を教えて食事も作る、それで良いんだな?良いんだな!?」
「あぁそれが超ベリーグッドだ、良く引き受けてくれた霖之助我が友よ」
「君が仕向けたんだろう」
約束は交わしたものの朱鷺子の承諾が無ければならない、霖之助は朱鷺子を起こすことにした。これからここで寝泊まりすることになるがそれでも良いのかと。
「朱鷺子、起きろ、ほら」
「んぅ……なにぃ」
眠い目を擦りながら起き上った朱鷺子に件の話を持ちかけ、同意するかしないかを二人が聞いたところ、朱鷺子は二つ返事でここでの滞在を快諾した。
朱鷺子曰くここなら本もこれまで以上に自由に読めるし野宿よりも家があった方が嬉しいのだと。
「じゃあ朱鷺子、また明日も来るからな」
「うん、明日もお願いします!」
「霖之助、朱鷺子を頼むな」
「押し付けといてよく言うよ」
日もとっぷりと暮れた魔法の森を里へと歩いて行く慧音を霖之助と朱鷺子はその背中が見えなくなるまで店の外で見送った。
夜、霖之助は接客台で一人過ごしていた。居間は朱鷺子が勉強で使っているが都合が良い、何かを考える時はこういう場所が彼にとっての一番なのだ。
最初に朱鷺子に会った時の言い様のない違和感が今ようやく氷解した。そう、彼女は慧音に似ている、それも小さい時の。
振り返ってみれば霖之助は慧音にひどい仕打ちをして来た。最たるものは里を出た時だ、あれだけ仲が良かったのに面と向かって挨拶もせずに出て行った。それ以来、霖之助と慧音の間の時間は凍っていた。しかしこの少女、朱鷺子が来たお陰で止まった時間が動き始めたのかもしれない。
「朱鷺………時…………解き………ふむ」
『トキ』と言う言葉から連想できる漢字を頭の中で思い浮かべる。
まず朱鷺と言うのは彼女の翼の色、そして時と言うのは自分が置いて行ってしまった『時』そしてこれから取り戻したい『時』、極めつけは『解き』。
『朱鷺』が来て凍らせた『時』を『解き』ほぐしてくれのではないかと。若干だが、その期待を込めて霖之助は朱鷺子を引き取ることにしたのだ。
「…………我ながら虫の良すぎる解釈かな、まぁ良いけど」
ただこれまで一度もここに来なかった慧音を朱鷺子は連れて来た、それどころか慧音が毎日ここへ来る、自分の解釈に多少ながらの自信を持ち始めた霖之助である。
さっさと結婚して養子縁組しろチクショウ
やっぱ朱鷺子いいよ朱鷺子…。
朱鷺子SSとかもっと増やて欲しいし書きたいよ…