自分の本当の顔を知らないとどうなるかって?
そんなの、当人になってみないとわからないことでしょ?
他の奴らが想像を膨らませてみたところで、私の心を完璧にトレースできるはずなんかないんだから。
詰まるところ、私、封獣ぬえには本当の顔があったのかもしれない。
かもしれないというのは、最初がなんだったのかなんてことは覚えていないし、興味もないということで。
見るものによって見え方の変わる種なんていうものは、私自身の特性の副産物に過ぎない。
そんな性質だから、自分でも気付かないうちに顔が変わっていたりする。鏡を見ることはあまり多くはないから、他の奴に指摘されて気付くこともあったりする。
「水蜜のことが知りたいって?」
「わざわざあいつのことを名前で呼ばなくたっていい」
「はぁ、さいで」
命蓮寺で暮らし始めてからもう結構な日数が過ぎた。まぁ、地底で知り合ったムラサの奴と、一輪と、それと白蓮。他にもいけ好かないネズミと、なんだか偉いらしい妖獣。
妖獣の奴は妖怪らしさに欠けてて少し好かないんだけどさ。それを言ったらムラサなんて船幽霊だし、元々は人間だからもっと好かないんだけど。
で、本人に面と向かって聞くことでもないし、白蓮に聞き辛い。妖獣たちは論外。最近門前で掃き掃除をしてる奴なんか頭がパープリンだからほっといたほうがずーっとマシだし。
それは置いといて、一番聞きやすいのは消去法で一輪になったってこと。
こいつも妖怪くささがなくて、ちょっとよくわかんないけど。
そもそも、こいつが私に変なことを言わなければこんな風にこそこそと聞きまわるなんてことはなかったのに。そう考えると腹が立ってきた。
「並んだら姉妹みたいに見えるって私が言ったから、なりきりでもしようと思ったの?」
「そんなんじゃない」
「でも本当にソックリよね。ムラサはいつも帽子被ってるけど、くせっ毛の具合とかもきっとおんなじ。姉妹だってそんなに似てないと思うけど」
「別に意図してやってるわけじゃないから」
「ふむん」
「だって気持ち悪いと思わない? そっくりな顔がいるって」
「うーん。私はとくに」
「気持ち悪いものなの」
「はい」
髪型を少し変えるぐらいならできるけど、根本から私たちがそっくりなのは。
というより、私が村紗にそっくりになってしまったなんて、気持ち悪いと思われているはずなのに。
「星も、二人が並ぶと可愛らしいって言ってたんだけどねぇ」
「だーかーら!」
ここの住民は斜めに感性が傾いているのか、それについて何かしら言ってくるのがいない。
村紗本人も、地底で知り合ってから今に至るまで、一度もそのことについて言ってきたことがない。
おかしい。
実におかしい。
頭の中で羊が草を食って少年が犬を使って追い立てているぐらいに牧歌的で、もうちょっと黒い部分を持っているべきだと思うのに、揃いも揃ってのほほんとしている。
あのね。
封印されてたんじゃないの? 千年近くも封印されてたら、普通もっと恨みとか、暗い感情を持ってるもんだよ?
「あーそういえば」
「なになに?」
そらきた。ようやく私の求めている答えが聞けそうな気がする。
お腹の中がちょっとギリィと締め上げられたような感覚。私の日常。
「こないだ赤ちゃんを抱いた女の人がお寺にやってきて、丈夫に育つように祈ってくれって言われたって」
「そういうのじゃなくて!」
「どういうの?」
「ほら、もっといろいろあるでしょ。私のこととか」
「ぬえのこと?」
「そう、私のこと」
「あー、そういえば」
「そういえば!」
「服を取替えっこしたらどっちがどっちかわかんなくなりそうとか」
「そういうのじゃなくて!」
「掃除をサボってたとか」
「サボってたけど!」
「おかわりの回数が多いから多めによそるようにしたけど減らないから太るんじゃないかって心配してたとか」
「余計なお世話だ!」
心なしか服がキツくなったような気がする。ちょっと気をつけなきゃいけない。
こんな狡猾な罠を仕掛けてくるだなんて、予想もしていなかった。
それはひとまず、横に置いておくこととして。
「ほんとに、ほんとにそれ以外はないわけ!?」
「どうでしょ?」
一輪が、んー、と指を頬に当てて首を傾げた。
思い当たるところなんて星の数ほどあるからどれを言うのか悩んでいるのだろうか。
きっとそう。
「あー、これ本人には絶対言うなって言われてたんだけど」
そらきた。
「私たち、千年前はそれはもう、たくさんの妖怪や妖獣たちに囲まれて毎日忙しく過ごしていたの。星が毘沙門天代理を務めて、姐さん――白蓮がその教えを私たちに伝えてって、私は主に警護を務めて、村紗もそれなりに部下を持っていたんだけど」
「ふむん」
「人間たちが私たちに刃を向けたとき、彼らは人間の力を恐れて蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのよ。そして私たちや白蓮は封印の憂き目にあって、星は……。これは直接関係ないか」
「続きは?」
「裏切られた、なんて言うのもおかしな話なんだけどね。彼らに罪はないのはわかってるのよ。白蓮の庇護の下に居れば過ごしやすいという理由で頼ってきていたから、それが無くなったら逃げていっても責められることでもないって。私はそれが許せなかった。ううん、今でもきっと、許せていないの。彼らが一緒に戦ってくれたら、白蓮は千年もあんなに寂しい場所で封じられることもなかったんじゃないかって。そのことを村紗に言ったら、、『それで誰かを憎んだってしょうがないことじゃないか』って」
「憎まずに居られるわけがないじゃない。それでヘラヘラ笑っているほうがおかしいに決まってる」
地上に居たときも、地底に居たときも、小さなことで相手を疑い、妬み、蹴落とそうとする。人間の社会に混じっていたときも、妖怪として生きていたときも。負の感情は渦巻いていた。どんな煌びやかな場所であっても、一皮剥けば浅ましい欲望が噴出してくる。
むしろそっちのほうが、普通なんだって、同じように思って生きているんだということがわかるのに。
「村紗のことが怖い?」
「な、そんなことあるはずがないでしょ」
「嘘、そういう顔をしてるもの」
軽くでこぴんをされた。
「怖がらないであげて。村紗だって一杯傷ついて、苦しんで、きっと今も苦しんでると思うの」
「……一輪の言うことは、時々わからない。村紗よりはまだ、わかるけど」
「わからないほうが自然だと、私は思うけど。だってそうじゃなきゃ、知ろうとも思わないでしょ? わからないから知りたくなるんだもの。それってきっと、人間だって妖怪だって同じだと思うの」
ふふ、と一輪が小さく笑った。
「村紗は、私のこと嫌いじゃない?」
「大好きなんじゃない? 本人じゃないから、そのことはわからないけど、私はそうじゃないかなって思うけど」
「だって、私って気持ち悪いでしょ? 私は、自分のことがわからないんだよ。この顔も、ニセモノだし、気持ち悪がられてもおかしくない」
「それはあなたの論理でしょ?」
「でも」
「私は姐さんじゃないから難しいことは何も言えないけど、ぬえ、私はぬえが自分で思っているよりも、ずっといい子なんだと思う。傷つきやすくて、悩まなくていいことまで悩んじゃって」
「そんなんじゃない」
「私と雲山、村紗と、星と、それとナズーリン。たったこれだけしか、姐さんを助けようとはしなかった。心を通わせてたと思っていた相手がその態度を翻して去っていった痛みを私たちはみんな抱えてる。ううん、今でも心の奥底じゃ、私も、村紗も、星とナズーリンのことを許せてないかもしれない」
「……」
「口だけ調子のいいことを言って掌を返した奴なんて数知れず。それでも、私たちはこうして一つ屋根の下でまた暮らしてるの。絆とかそういう、甘っちょろい話ではなくって、同じ苦味を共有した者同士として」
「だったら、尚更私なんて仲間外れじゃない」
「きっと、内心感謝してると思うの。新たに慕ってくれた妖怪が居たことを。ともすれば、喪った時間に押し潰されそうな私たちを、あなたが支えてくれることを」
「嘘」
「嘘?」
「そんな優しい言葉、私は聞きたくなかった。私は責められたかったのに。気持ち悪いお前なんて、ここから出て行けばいいって、そう言われたかった。でも、村紗の口から聞く勇気が湧かなかったのに、それで一輪に聞いたのに。どうしてそんな、優しい言葉しか返してくれないの。私は疎まれ者なのに、そうしてずっと過ごしてきたのに。それが慣れているのに。優しくされて、どうしたらいいかわからないのに」
自分のことだけしか考えていないイヤな奴である私に優しくしないで!
半分泣きながら叫んで、逃げるように寺を飛び出した。
怖かった。
優しくされるのが、自分に少しでも暖かい感情を向けられるのが。
私は、嫌われたかったのに。
村紗と知り合ったのは、面白い妖怪が居るという噂が地底でぼんやり暮らしているときに耳に入ってきたからだった。
船幽霊と入道使いの二人組みが、ひじりびゃくれん、という魔法使いについて調べまわっているという、妙な噂。
そも、幻想郷には海がないから、船幽霊の類は居ても水辺で、それも湖や、居たとしても地底湖のような広い水辺。
そこから離れようともしないから、滅多に他と交流を持つような連中ではない。
それが入道使いなんていう珍しい奴と一緒に居るんだから、退屈しのぎの噂話として取り上げられるには十分過ぎる材料だったのだ。
面白半分の噂話は段々尾ひれ背ひれがついていき、もう一度耳に入ったときには地上のスパイだの、宇宙から来た侵略者だのとんでもないことになっていた。
もちろんその流言飛語が嘘八百の面白半分であって、私の存在とそっくりなものであることであることもよく理解していた。
鵺という妖怪なんてそんなもの、何が本当かわからないし、何が嘘なのかもわからない。ただ単に「それらしいもの」を呼ぶために付けられた。
封獣なんていう名前も、単に獣の姿をしていて封印されたから――実際は封印なんてされていないのだけど。
噂話が通り名のようになって、あるときから名字として名乗るようにしただけで、私には名前もなかった。
噂の内容が移り変わっていくようにして、容姿もが変わってしまう。
昨日会った奴だって、次の日に会えばわからなくなったりしてしまう。そんなことが一度が二度ではなかった。
ひねくれた自分の性格を肯定するわけじゃないけど、気味悪がって大抵の妖怪には敬遠された。
だからこそ、地底に自ら望んで移り住んだんだけども。
そんな私には、目的があって、それに邁進できる村紗のひたむきな姿が眩しくて――それ以上に、憎かった。
捻じ曲がりすぎて鋭くなった部分が引っかかって、誰かを傷つけるのを望んでる。
できるならば自分の心を引っ掻いて、その痛みで羨望が忘れられたらいいな、なんて思ってた。
『今こそ大恩を返すとき』
手がかりを得た村紗たちが、地上に向けて発つという話を聞いたとき、そして村紗の周りに知らない奴らが居たとき。
初めから数に入っていない、痛みを共有することもなく、遠くから指を咥えているだけの私。
遠目であなたを見たときから、ずっと、追いかけてきた。
私のこの顔は、あなたの写し身。決しておんなじにはなれないのに、同じようになりたかった卑しい心を映し出した鏡。
せめて、私のことを嫌ってほしいと望んだのに。
どうして息を切らして、目の前に居るんだろう。
「探したんですよ」
「う」
「急に飛び出していったっていうから、丁度手が空いてた私がいけって。ほら、一緒に帰りましょう」
「やだ」
差し出された手を、ぺしっと力無く払った。
力強く払えるような元気は振り絞ったって出なかったから。
「んもう、もうすぐご飯時なんだから、帰ろう? ぬえ」
「帰りたくない」
「んー……」
私の性格が悪いのが原因で、村紗に困った表情をさせて、ポリポリ頬を掻かせているという事実。
村紗は、私がどうしてこんな風になっているかなんてわからないと思うし、教える気もない。
こうやって突っぱねているうちに、呆れて帰っていって、それで私はようやく救われる。
近づきたいって気持ちが満たされないのなら、自分で壊してしまったほうがずっと楽なんだもの。
「それじゃあ、今夜は私も一緒にご飯抜きかぁ」
「へっ?」
「あいや、ぬえが帰りたくなるまで、ここに一緒に居ようかと思って。どうせ私、幽霊だし」
「だから」
「それに一人で帰ってくんなって釘刺されたしでね」
「そうじゃなくって」
「んん?」
何か問題でもあるの? とでも言いたげに、何の疑いもない視線を向けてくる。
「一輪から何も聞いてないの?」
「うんにゃ、何も。ぬえを連れ戻してこいとだけ」
なんのことやら、というジェスチャー。でも、目線だけは泳いでる。
村紗が嘘を吐くときは、絶対に相手と目を合わさない、そういう癖。
「嘘吐き」
「え」
「村紗の馬鹿。誤魔化されてることぐらい気付くに決まってるじゃない」
「うん、本当は聞いてた」
「うっ」
そういう切り返しのされ方をすると、昂ぶった気持ちが空回りになって何も言えなくなる。
村紗の手が、頭をぐしぐし、と撫でてくる。あかぎれがいっぱいあって、擦り切れた皮がそのたびに厚くなって。
そして、決してそれはよくなったりはしない。村紗は幽霊だから。
私の手とは全然違う、女の子らしくない手のひら。
「よくわかんないけど。私あまり頭が良いほうじゃないし、それに、まだ私たちもようやくもう一度歩きはじめることができたばかりだから、上手くいかないことだってあるけど。仲間だったら、信じてあげなきゃいけないって私は思うな。ぬえがどういう風な気持ちで居るかなんて、頭がショートするぐらい考えたって完璧にわかったりなんてしないけど、そのための努力はちょっとぐらいしてると思うし、足りないならしてみるよ」
「うん」
「あとね、ちゃんと言ってなかったけど、感謝もしてるんだよ」
「え?」
「星と、ナズーリンと、私と一輪って、今でもあんまし会話してないんだ。ううん、できるなら避けたいって思ってる。どうしても話さないといけないときじゃなかったら白蓮を通して用事を伝えたりしてる。お互いに」
食事はみんなで、というのが聖がみんなに課した唯一のルール。よく考えたら――いや、少しだけ視野を広げて周りの様子を思い出してみたら。
星とナズーリン、村紗と一輪はほとんど会話らしい会話をしていなかった。
千年前に何があったのかをきちんと聞いたことはなかったけれど、一輪の口ぶりからも何かしらあったのは確かなんだろうけど。
「仕方なかったとはいえ、星は人間側について私たちと戦うことになったから、ね」
元は単なる妖獣で、毘沙門天代理を引き受けた星。
白蓮に人間たちの悪意が襲いかかったとき、星とナズーリンは人間側に与して村紗と一輪と戦うことになった。
そのおかげで退治ではなく、封印という形で収まったらしいけれど、千年間で生まれた溝は深い。
「白蓮は納得していたみたいだけど、私たちは今でも釈然としないの。謝罪もされたけどやっぱりぎこちなくって。聖を助け出そうって持ちかけられたときもひと悶着あったし」
「つらい?」
「ちょっとだけ、ね。ぬえを迎え入れるってことにならなかったら、今でも息苦しかったかもしれない。白蓮の手前、表立って何かあるわけじゃなかったけど」
村紗がちょっとだけ可哀想になったから、帽子を取ってくしゃくしゃに髪の毛をかき回してやった。
普段はこんなこと絶対しないけど、今日だけは特別。自分の痛みを話してくれたから、仲間外れにされてたことは少しだけ許してあげることにする。
「ねぇ村紗。私のこの顔、気持ち悪いと思ったことはないの?」
「ん、なんで? 可愛いと思うけど」
「でも、私は自分の本当の顔も知らない。容姿も一定じゃない、そういう妖怪なんだよ?」
「ぬえはぬえでしょ? それで十分だよ、少なくとも、私にとっては」
村紗は目を閉じて、されるがままになってた。
くるっと癖のついた黒髪。色白のきめ細かい肌。
決定的に違うのは、エメラルドグリーンの瞳と、紅い瞳。
その瞳の色は、遠い昔に見たっきりの海の色を思い起こさせるから――私は村紗に憧れたんだ。
「まだするの?」
「もうちょっとだけ、目閉じたままで」
「んー」
そのことに気付いてしまったから、もう少しだけ、村紗には目を閉じたままで居てほしい。
抱きつくと、懐かしい潮の香りがした。
背中を撫でてくれる手が羽の付け根にあたってこそばゆかったけれど、もう少しだけ、もう少しだけこのままで居たかった。
この顔も、また変わってしまうかもしれないけど、できればこの顔が私の本当の顔であってほしい。
憧れた相手と同じ顔。
彼女は海のような瞳で、私は紅色の――できれば海を染める夕焼けの色で居られたら。
私は村紗や、お寺の皆の為に何ができるんだろう。
新参者の私にしかできないこと。痛みを共有していない私だけが見えること。
時間は動き始めているはずなのに、いまだに千年前に縛られたままの皆のわだかまりを解きほぐしてあげることができたら。
そのとき初めて、私は本当の自分の居場所が見つけられるんじゃないかなって思えた。
どうしたらいいかなんてまだわからないけど、そのために一生懸命考えてみよう。
「今変な感触あったけど」
「もう目開けていいよ」
「ん」
碧水のようなあなたの中に、私が少し居ても、いいですか?
「かえろっか」
「うん」
差し出された手と手を繋いで、皆が待つ命蓮寺へと。
あとで一輪にも、ちゃんと謝らないといけない。
がんばるという決意も、聞いてもらおう。
きっと素直に伝えることはないけど、これから先の千年間、できればもっと長い時間。
一緒に居られることを願うよ。
そんなの、当人になってみないとわからないことでしょ?
他の奴らが想像を膨らませてみたところで、私の心を完璧にトレースできるはずなんかないんだから。
詰まるところ、私、封獣ぬえには本当の顔があったのかもしれない。
かもしれないというのは、最初がなんだったのかなんてことは覚えていないし、興味もないということで。
見るものによって見え方の変わる種なんていうものは、私自身の特性の副産物に過ぎない。
そんな性質だから、自分でも気付かないうちに顔が変わっていたりする。鏡を見ることはあまり多くはないから、他の奴に指摘されて気付くこともあったりする。
「水蜜のことが知りたいって?」
「わざわざあいつのことを名前で呼ばなくたっていい」
「はぁ、さいで」
命蓮寺で暮らし始めてからもう結構な日数が過ぎた。まぁ、地底で知り合ったムラサの奴と、一輪と、それと白蓮。他にもいけ好かないネズミと、なんだか偉いらしい妖獣。
妖獣の奴は妖怪らしさに欠けてて少し好かないんだけどさ。それを言ったらムラサなんて船幽霊だし、元々は人間だからもっと好かないんだけど。
で、本人に面と向かって聞くことでもないし、白蓮に聞き辛い。妖獣たちは論外。最近門前で掃き掃除をしてる奴なんか頭がパープリンだからほっといたほうがずーっとマシだし。
それは置いといて、一番聞きやすいのは消去法で一輪になったってこと。
こいつも妖怪くささがなくて、ちょっとよくわかんないけど。
そもそも、こいつが私に変なことを言わなければこんな風にこそこそと聞きまわるなんてことはなかったのに。そう考えると腹が立ってきた。
「並んだら姉妹みたいに見えるって私が言ったから、なりきりでもしようと思ったの?」
「そんなんじゃない」
「でも本当にソックリよね。ムラサはいつも帽子被ってるけど、くせっ毛の具合とかもきっとおんなじ。姉妹だってそんなに似てないと思うけど」
「別に意図してやってるわけじゃないから」
「ふむん」
「だって気持ち悪いと思わない? そっくりな顔がいるって」
「うーん。私はとくに」
「気持ち悪いものなの」
「はい」
髪型を少し変えるぐらいならできるけど、根本から私たちがそっくりなのは。
というより、私が村紗にそっくりになってしまったなんて、気持ち悪いと思われているはずなのに。
「星も、二人が並ぶと可愛らしいって言ってたんだけどねぇ」
「だーかーら!」
ここの住民は斜めに感性が傾いているのか、それについて何かしら言ってくるのがいない。
村紗本人も、地底で知り合ってから今に至るまで、一度もそのことについて言ってきたことがない。
おかしい。
実におかしい。
頭の中で羊が草を食って少年が犬を使って追い立てているぐらいに牧歌的で、もうちょっと黒い部分を持っているべきだと思うのに、揃いも揃ってのほほんとしている。
あのね。
封印されてたんじゃないの? 千年近くも封印されてたら、普通もっと恨みとか、暗い感情を持ってるもんだよ?
「あーそういえば」
「なになに?」
そらきた。ようやく私の求めている答えが聞けそうな気がする。
お腹の中がちょっとギリィと締め上げられたような感覚。私の日常。
「こないだ赤ちゃんを抱いた女の人がお寺にやってきて、丈夫に育つように祈ってくれって言われたって」
「そういうのじゃなくて!」
「どういうの?」
「ほら、もっといろいろあるでしょ。私のこととか」
「ぬえのこと?」
「そう、私のこと」
「あー、そういえば」
「そういえば!」
「服を取替えっこしたらどっちがどっちかわかんなくなりそうとか」
「そういうのじゃなくて!」
「掃除をサボってたとか」
「サボってたけど!」
「おかわりの回数が多いから多めによそるようにしたけど減らないから太るんじゃないかって心配してたとか」
「余計なお世話だ!」
心なしか服がキツくなったような気がする。ちょっと気をつけなきゃいけない。
こんな狡猾な罠を仕掛けてくるだなんて、予想もしていなかった。
それはひとまず、横に置いておくこととして。
「ほんとに、ほんとにそれ以外はないわけ!?」
「どうでしょ?」
一輪が、んー、と指を頬に当てて首を傾げた。
思い当たるところなんて星の数ほどあるからどれを言うのか悩んでいるのだろうか。
きっとそう。
「あー、これ本人には絶対言うなって言われてたんだけど」
そらきた。
「私たち、千年前はそれはもう、たくさんの妖怪や妖獣たちに囲まれて毎日忙しく過ごしていたの。星が毘沙門天代理を務めて、姐さん――白蓮がその教えを私たちに伝えてって、私は主に警護を務めて、村紗もそれなりに部下を持っていたんだけど」
「ふむん」
「人間たちが私たちに刃を向けたとき、彼らは人間の力を恐れて蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのよ。そして私たちや白蓮は封印の憂き目にあって、星は……。これは直接関係ないか」
「続きは?」
「裏切られた、なんて言うのもおかしな話なんだけどね。彼らに罪はないのはわかってるのよ。白蓮の庇護の下に居れば過ごしやすいという理由で頼ってきていたから、それが無くなったら逃げていっても責められることでもないって。私はそれが許せなかった。ううん、今でもきっと、許せていないの。彼らが一緒に戦ってくれたら、白蓮は千年もあんなに寂しい場所で封じられることもなかったんじゃないかって。そのことを村紗に言ったら、、『それで誰かを憎んだってしょうがないことじゃないか』って」
「憎まずに居られるわけがないじゃない。それでヘラヘラ笑っているほうがおかしいに決まってる」
地上に居たときも、地底に居たときも、小さなことで相手を疑い、妬み、蹴落とそうとする。人間の社会に混じっていたときも、妖怪として生きていたときも。負の感情は渦巻いていた。どんな煌びやかな場所であっても、一皮剥けば浅ましい欲望が噴出してくる。
むしろそっちのほうが、普通なんだって、同じように思って生きているんだということがわかるのに。
「村紗のことが怖い?」
「な、そんなことあるはずがないでしょ」
「嘘、そういう顔をしてるもの」
軽くでこぴんをされた。
「怖がらないであげて。村紗だって一杯傷ついて、苦しんで、きっと今も苦しんでると思うの」
「……一輪の言うことは、時々わからない。村紗よりはまだ、わかるけど」
「わからないほうが自然だと、私は思うけど。だってそうじゃなきゃ、知ろうとも思わないでしょ? わからないから知りたくなるんだもの。それってきっと、人間だって妖怪だって同じだと思うの」
ふふ、と一輪が小さく笑った。
「村紗は、私のこと嫌いじゃない?」
「大好きなんじゃない? 本人じゃないから、そのことはわからないけど、私はそうじゃないかなって思うけど」
「だって、私って気持ち悪いでしょ? 私は、自分のことがわからないんだよ。この顔も、ニセモノだし、気持ち悪がられてもおかしくない」
「それはあなたの論理でしょ?」
「でも」
「私は姐さんじゃないから難しいことは何も言えないけど、ぬえ、私はぬえが自分で思っているよりも、ずっといい子なんだと思う。傷つきやすくて、悩まなくていいことまで悩んじゃって」
「そんなんじゃない」
「私と雲山、村紗と、星と、それとナズーリン。たったこれだけしか、姐さんを助けようとはしなかった。心を通わせてたと思っていた相手がその態度を翻して去っていった痛みを私たちはみんな抱えてる。ううん、今でも心の奥底じゃ、私も、村紗も、星とナズーリンのことを許せてないかもしれない」
「……」
「口だけ調子のいいことを言って掌を返した奴なんて数知れず。それでも、私たちはこうして一つ屋根の下でまた暮らしてるの。絆とかそういう、甘っちょろい話ではなくって、同じ苦味を共有した者同士として」
「だったら、尚更私なんて仲間外れじゃない」
「きっと、内心感謝してると思うの。新たに慕ってくれた妖怪が居たことを。ともすれば、喪った時間に押し潰されそうな私たちを、あなたが支えてくれることを」
「嘘」
「嘘?」
「そんな優しい言葉、私は聞きたくなかった。私は責められたかったのに。気持ち悪いお前なんて、ここから出て行けばいいって、そう言われたかった。でも、村紗の口から聞く勇気が湧かなかったのに、それで一輪に聞いたのに。どうしてそんな、優しい言葉しか返してくれないの。私は疎まれ者なのに、そうしてずっと過ごしてきたのに。それが慣れているのに。優しくされて、どうしたらいいかわからないのに」
自分のことだけしか考えていないイヤな奴である私に優しくしないで!
半分泣きながら叫んで、逃げるように寺を飛び出した。
怖かった。
優しくされるのが、自分に少しでも暖かい感情を向けられるのが。
私は、嫌われたかったのに。
村紗と知り合ったのは、面白い妖怪が居るという噂が地底でぼんやり暮らしているときに耳に入ってきたからだった。
船幽霊と入道使いの二人組みが、ひじりびゃくれん、という魔法使いについて調べまわっているという、妙な噂。
そも、幻想郷には海がないから、船幽霊の類は居ても水辺で、それも湖や、居たとしても地底湖のような広い水辺。
そこから離れようともしないから、滅多に他と交流を持つような連中ではない。
それが入道使いなんていう珍しい奴と一緒に居るんだから、退屈しのぎの噂話として取り上げられるには十分過ぎる材料だったのだ。
面白半分の噂話は段々尾ひれ背ひれがついていき、もう一度耳に入ったときには地上のスパイだの、宇宙から来た侵略者だのとんでもないことになっていた。
もちろんその流言飛語が嘘八百の面白半分であって、私の存在とそっくりなものであることであることもよく理解していた。
鵺という妖怪なんてそんなもの、何が本当かわからないし、何が嘘なのかもわからない。ただ単に「それらしいもの」を呼ぶために付けられた。
封獣なんていう名前も、単に獣の姿をしていて封印されたから――実際は封印なんてされていないのだけど。
噂話が通り名のようになって、あるときから名字として名乗るようにしただけで、私には名前もなかった。
噂の内容が移り変わっていくようにして、容姿もが変わってしまう。
昨日会った奴だって、次の日に会えばわからなくなったりしてしまう。そんなことが一度が二度ではなかった。
ひねくれた自分の性格を肯定するわけじゃないけど、気味悪がって大抵の妖怪には敬遠された。
だからこそ、地底に自ら望んで移り住んだんだけども。
そんな私には、目的があって、それに邁進できる村紗のひたむきな姿が眩しくて――それ以上に、憎かった。
捻じ曲がりすぎて鋭くなった部分が引っかかって、誰かを傷つけるのを望んでる。
できるならば自分の心を引っ掻いて、その痛みで羨望が忘れられたらいいな、なんて思ってた。
『今こそ大恩を返すとき』
手がかりを得た村紗たちが、地上に向けて発つという話を聞いたとき、そして村紗の周りに知らない奴らが居たとき。
初めから数に入っていない、痛みを共有することもなく、遠くから指を咥えているだけの私。
遠目であなたを見たときから、ずっと、追いかけてきた。
私のこの顔は、あなたの写し身。決しておんなじにはなれないのに、同じようになりたかった卑しい心を映し出した鏡。
せめて、私のことを嫌ってほしいと望んだのに。
どうして息を切らして、目の前に居るんだろう。
「探したんですよ」
「う」
「急に飛び出していったっていうから、丁度手が空いてた私がいけって。ほら、一緒に帰りましょう」
「やだ」
差し出された手を、ぺしっと力無く払った。
力強く払えるような元気は振り絞ったって出なかったから。
「んもう、もうすぐご飯時なんだから、帰ろう? ぬえ」
「帰りたくない」
「んー……」
私の性格が悪いのが原因で、村紗に困った表情をさせて、ポリポリ頬を掻かせているという事実。
村紗は、私がどうしてこんな風になっているかなんてわからないと思うし、教える気もない。
こうやって突っぱねているうちに、呆れて帰っていって、それで私はようやく救われる。
近づきたいって気持ちが満たされないのなら、自分で壊してしまったほうがずっと楽なんだもの。
「それじゃあ、今夜は私も一緒にご飯抜きかぁ」
「へっ?」
「あいや、ぬえが帰りたくなるまで、ここに一緒に居ようかと思って。どうせ私、幽霊だし」
「だから」
「それに一人で帰ってくんなって釘刺されたしでね」
「そうじゃなくって」
「んん?」
何か問題でもあるの? とでも言いたげに、何の疑いもない視線を向けてくる。
「一輪から何も聞いてないの?」
「うんにゃ、何も。ぬえを連れ戻してこいとだけ」
なんのことやら、というジェスチャー。でも、目線だけは泳いでる。
村紗が嘘を吐くときは、絶対に相手と目を合わさない、そういう癖。
「嘘吐き」
「え」
「村紗の馬鹿。誤魔化されてることぐらい気付くに決まってるじゃない」
「うん、本当は聞いてた」
「うっ」
そういう切り返しのされ方をすると、昂ぶった気持ちが空回りになって何も言えなくなる。
村紗の手が、頭をぐしぐし、と撫でてくる。あかぎれがいっぱいあって、擦り切れた皮がそのたびに厚くなって。
そして、決してそれはよくなったりはしない。村紗は幽霊だから。
私の手とは全然違う、女の子らしくない手のひら。
「よくわかんないけど。私あまり頭が良いほうじゃないし、それに、まだ私たちもようやくもう一度歩きはじめることができたばかりだから、上手くいかないことだってあるけど。仲間だったら、信じてあげなきゃいけないって私は思うな。ぬえがどういう風な気持ちで居るかなんて、頭がショートするぐらい考えたって完璧にわかったりなんてしないけど、そのための努力はちょっとぐらいしてると思うし、足りないならしてみるよ」
「うん」
「あとね、ちゃんと言ってなかったけど、感謝もしてるんだよ」
「え?」
「星と、ナズーリンと、私と一輪って、今でもあんまし会話してないんだ。ううん、できるなら避けたいって思ってる。どうしても話さないといけないときじゃなかったら白蓮を通して用事を伝えたりしてる。お互いに」
食事はみんなで、というのが聖がみんなに課した唯一のルール。よく考えたら――いや、少しだけ視野を広げて周りの様子を思い出してみたら。
星とナズーリン、村紗と一輪はほとんど会話らしい会話をしていなかった。
千年前に何があったのかをきちんと聞いたことはなかったけれど、一輪の口ぶりからも何かしらあったのは確かなんだろうけど。
「仕方なかったとはいえ、星は人間側について私たちと戦うことになったから、ね」
元は単なる妖獣で、毘沙門天代理を引き受けた星。
白蓮に人間たちの悪意が襲いかかったとき、星とナズーリンは人間側に与して村紗と一輪と戦うことになった。
そのおかげで退治ではなく、封印という形で収まったらしいけれど、千年間で生まれた溝は深い。
「白蓮は納得していたみたいだけど、私たちは今でも釈然としないの。謝罪もされたけどやっぱりぎこちなくって。聖を助け出そうって持ちかけられたときもひと悶着あったし」
「つらい?」
「ちょっとだけ、ね。ぬえを迎え入れるってことにならなかったら、今でも息苦しかったかもしれない。白蓮の手前、表立って何かあるわけじゃなかったけど」
村紗がちょっとだけ可哀想になったから、帽子を取ってくしゃくしゃに髪の毛をかき回してやった。
普段はこんなこと絶対しないけど、今日だけは特別。自分の痛みを話してくれたから、仲間外れにされてたことは少しだけ許してあげることにする。
「ねぇ村紗。私のこの顔、気持ち悪いと思ったことはないの?」
「ん、なんで? 可愛いと思うけど」
「でも、私は自分の本当の顔も知らない。容姿も一定じゃない、そういう妖怪なんだよ?」
「ぬえはぬえでしょ? それで十分だよ、少なくとも、私にとっては」
村紗は目を閉じて、されるがままになってた。
くるっと癖のついた黒髪。色白のきめ細かい肌。
決定的に違うのは、エメラルドグリーンの瞳と、紅い瞳。
その瞳の色は、遠い昔に見たっきりの海の色を思い起こさせるから――私は村紗に憧れたんだ。
「まだするの?」
「もうちょっとだけ、目閉じたままで」
「んー」
そのことに気付いてしまったから、もう少しだけ、村紗には目を閉じたままで居てほしい。
抱きつくと、懐かしい潮の香りがした。
背中を撫でてくれる手が羽の付け根にあたってこそばゆかったけれど、もう少しだけ、もう少しだけこのままで居たかった。
この顔も、また変わってしまうかもしれないけど、できればこの顔が私の本当の顔であってほしい。
憧れた相手と同じ顔。
彼女は海のような瞳で、私は紅色の――できれば海を染める夕焼けの色で居られたら。
私は村紗や、お寺の皆の為に何ができるんだろう。
新参者の私にしかできないこと。痛みを共有していない私だけが見えること。
時間は動き始めているはずなのに、いまだに千年前に縛られたままの皆のわだかまりを解きほぐしてあげることができたら。
そのとき初めて、私は本当の自分の居場所が見つけられるんじゃないかなって思えた。
どうしたらいいかなんてまだわからないけど、そのために一生懸命考えてみよう。
「今変な感触あったけど」
「もう目開けていいよ」
「ん」
碧水のようなあなたの中に、私が少し居ても、いいですか?
「かえろっか」
「うん」
差し出された手と手を繋いで、皆が待つ命蓮寺へと。
あとで一輪にも、ちゃんと謝らないといけない。
がんばるという決意も、聞いてもらおう。
きっと素直に伝えることはないけど、これから先の千年間、できればもっと長い時間。
一緒に居られることを願うよ。
なぜこのタイトルにした。
そしてなぜ過酸化水素氏の名前をそこで略した。文字数減ってないし。
もっとぬゅっぬゅすべき
ぬえ村って書くと村民になりたくなる
最後のとこぬえやりおるな