温かくて、柔らかくて、心地のよいそれに。
私はどうしても、抗うことが出来ないのだ。
秋の訪れ感じる爽やかな風とともに鼻を掠めた、濃厚な香りに誘われて。
ふらふらと夢遊病者もかくやといった足取りで踏み入った花畑の真ん中に、彼女はいた。
彩度の高い空間の中でも、遠目からでも、一際目立つ翠色と緋色。
それでも、幽香はこの場所に自然と溶け込んでいた。
彼女が花に囲まれているのは、まったくもって珍しくもない光景だが。
だがしかし今の彼女は、普段は滅多にお目に掛かれない姿をしていた。
「寝てる、わね」
熟睡である。
日傘を広げることも忘れて、季節外れの雪のように白い肌を、まだまだ暑さの抜けきっていない陽光へとそのまま晒してしまっている。
狸寝入りを疑ってしまうほどの、見事な熟睡っぷり。
これが本当に、危険度お墨付きの大妖怪の姿なのだろうか。
花を避けるように生えた芝生の上に、猫のようにころんと転がって、静かにすうすう寝息を立てるその姿は。
安心した顔で気持ちよさに身を任せる、ただの無邪気な子供だった。
「……かわいい」
これは、だって、ずるい。
そう思っても、仕方ない。
と、傍らの人形に言い訳じみた視線を送っても。
口悪い突っ込みも、呆れたような表情すらも演じさせることは出来なかった。
思わず、真っ先にそう呟いてしまった自分が、あまりにも恥ずかしかったから。
なでなで、ぷにぷに、ふうふう。
髪の毛を弄ろうが、頬を抓ろうが、耳に息を吹きかけようが。
茨に守られた眠り姫のように、不思議なことに何をやっても彼女は起きなかった。
最初はどんな悪戯を仕掛けてやろうかとわくわくどきどきとしていたのだが、こうも無反応だと面白くも何ともなかった。
「ここって、そんなに寝心地いいのかしら?」
そんな不完全燃焼に終わった遊び心の代わりに、新たに湧き上がってきたのは、彼女の下に敷かれたベッドへの興味だった。
あまり外で、ましてやこんな大自然の真っただ中で寝そべったことのない都会派としては、少し戸惑いもあったが。
そこは猫をも殺す魔法使い。
いざ実験、と大義名分を掲げて己を駆り立てれば、意外にすんなりと彼女の隣に収まれた。
彼女の無防備な二の腕を枕に、ごろりと寝転がってみる。
地面に広がるのは、夏の名残りのたおやかな芝生。
頭上に広がるのは、雲一つない秋のまっさらな天空。
遥か高くに輝く太陽は、眩しいけれど優しいぬくもりで包んでくれる。
耳に届くのはひゅうひゅうという風鳴りと、草花が揺れ動くかすかな音だけ。
なるほど、確かに。
環境も感触もいいこのベッドの上でなら、一刻も経たないうちに速やかに健やかに眠れることだろう。
けれど、何よりも私を午睡へと誘うのは、きっと。
触れ合うほど近くにいる彼女から、直に伝わってくるこの感触に違いない。
服越しに伝わる体温、ふっくらとした柔肌、仄かに漂う肩口の匂い。
温かくて、柔らかくて、心地のよいそれに。
だから私はどうしても、抗うことが出来なかった。
「おはよう、アリス」
気づいたら、彼女は起きていた。
そして、いつのまにか私も目覚めていた。
顔同士が擦れるくらいの距離で、こちらを覗き込んできている彼女のせいで、見ていた不思議の夢を思い出すこともなく、すぐに覚醒した。
「ちょっと、近いわよ」
「こんなところで、寝ているアリスが悪いのよ」
思った通り。
さほど抵抗もなく、惰眠に身を委ねてしまっていたらしい。
それはまあ、仕様がない。本当に心地よかったのだから。
でも、それとこれとは話は別だ。
「何よもう。先にぐっすり寝こけてたのは、幽香じゃない」
突っついても、撫でても、くすぐっても。
まったく反応しなかったのは、元はと言えば彼女の方。
結局は彼女だって、この気持ちよさには抗えないのだ。
「それがおかしいのよね」
「うん?」
「この花畑に、誰が来ても応対してくれるように頼んでおいたんだけど」
今日は調子が悪いようね。
寝込みを襲うような輩には、いつもなら蔓や茨で歓迎してあげるのに。
などと物騒なことを言い出した彼女。
言い訳か冗談かとも思ったが、どうやら本気らしい。
こんな起き抜けに、何も折角隠れていたお墨付きを突き出さなくてもいいのに。
「まあ、誰だって花だって空だって、日柄の悪い時くらいあるわよ」
「快晴でばっちり絶好調だと思ってたんだけどねえ」
そう言えば今日は残暑らしい残暑もなく、日当たりも風当たりも良好である。
――もしかして。
彼女が昼寝ばかりしていて、あまりにも構ってくれないから、ご機嫌なはずの花たちも拗ねてしまったのではないだろうか。
「もしかしたら」
けれど、彼女の辿り着いた答えは違ったようだ。
「アリスだから、なのかもしれないわ」
「え?」
「そうよ、だって」
同じようにじっと寝そべっていたはずの彼女が。
急にこちらを向いて抱きつくと、そっと耳元で囁いた。
「あなたの隣は、こんなにも寝心地がいいんですもの」
花にだって分かるくらいに。
そう楽しむように、弾けるように言った彼女の表情は。
大人しく寝ていた時よりもおそらく、満面の笑みで輝いていることだろう。
為すがままの抱き枕にされ悔しくて、いつも一枚上手な彼女が羨ましくて。
それでも、なぜか。
恥ずかしくも、嬉しかった。
ああ、まただ。
またじわじわと、彼女からの感触が全身を伝っていく。
服越しに伝わる体温、ふっくらとした柔肌、仄かに漂う肩口の匂い。
温かくて、柔らかくて、心地のよいそれに。
やはり私はどうしても、抗うことが出来ないようだ。
読み終わった後すっごいほっこりした感じになれました
花は空気が読める子
ふと読み直してみて
》鼻を掠めた、濃厚な香りに誘われて。
もしや花がアリスを呼んだ…のか?
もうこの二人を眺めてるだけで俺眠れるわ~裸で冬眠余裕だわー