「アリス、お月見をしましょう」
唐突にそう霊夢が言い出した時、私はその意図を汲むことができなかった。
居心地の良い腰掛け椅子の上で編み物をしながら霊夢と話をしていた私だったが「うん?」とその時ばかりは妙な相槌を打たざるを得なかった。
「だから、今夜、二人でお月見をしましょう」
霊夢は相変わらずにかっ、と屈託のない笑顔を向けながら「うんうん、我ながらいい思い付きだわ」としきりに頷いていた。
その笑顔はまるで丁度良い悪戯を思いついた童子のようで、嬉しくて堪らないと言った風だった。
お月見
もう中秋の名月は過ぎたと言うのに何を言っているのだろうか。
それに霊夢がお月見に行こうだなんてただ事ではない風に思えた、霊夢はどう見てもどこから見ても花より団子と言った風、お月見花見なんて二の次三の次で酒を飲み、食事をかっ食らいそうな巫女なのだ。なぜそんな霊夢が急に「月見をしよう」なんて言い出したのか。
ひょっとするとただお菓子が食べたいだけだったりかもしれない、お月見にかこつけて私のお菓子を食べたいとか、そういった理由かもしれない。
そんな回りくどい事をしなくとも頼まれればお菓子ぐらい幾らでも作ってあげるのに、フィナンシェでもチョコレートでもシフォンケーキでもアイスでもスイートポテトでもモンブランでも、大福でも煎餅でも羊羹でもなんでも、何なら全部作ってあげようか。
そんな事を一瞬考えてしまった私だったが、よくよく考えなおしてみる事にした。
霊夢は「二人で」お月見をしようと言った、その二人とは間違いなく私と霊夢だろう。
霊夢はただ私と話して居たいだけかもしれない、ただそれだけかもしれない。
私がそうであるように、ただ隣に座っていたいだけかもしれない。
「どうしたの、アリス?まさか嫌とか?」
霊夢がそう不安げに問いかけてくる、多少びくびくと怯えている霊夢は可愛いが「まさか、そんな事がある訳が無いでしょう」と返す、あまり苛めるのは可愛そうだ、いじめる気は端からないが。
どうあったところで、私が霊夢を否定する筈は無いだろう。
霊夢がどういう意図で月見をしようと言ったのかは今は分からない、でも霊夢が月見をしたいと言ったから私も月見がしたくなった、何だか無性に月が恋しくなった。
「いいわね、しましょうか、お月見」
霊夢の方に微笑みながら了承の意を示すと霊夢の表情は途端にぱっと明るくなった。
さっきの少し暗い顔とは違ってほっとしたような、そんな顔だ。
私の前の霊夢は感情の移り変わりが激しい、と思っている。
感情を押し隠す人がいる、私はそういう人間を今まで数人見てきた。
仮面のような表情に、岩のように変わる事の無い口調。時に人に対し不信感と気持ち悪さを植え付ける人間。
霊夢は普段、何事にもあまり興味が無いと言った風で神社に居る。私は無感情と無関心の代弁者であると言った風に。
でも、私の目の前に居る霊夢を見ていると、やはり霊夢は年頃の少女なのだと言う事が分かる。
普通に嬉しがったり寂しがったりする多感な普通の人間。
人間
その事に言いようの無い安心と、ほんの少しの胸の疼きを覚えた。
思わず持っていた網糸を握りしめると霊夢がまた不安げな顔になった。
それを誤魔化すように、遮るように言葉を紡ぐ。
「じゃあ、会場は神社ね?」
生憎私の家は月見用に作られてはいない、その代り神社はよく見えるだろう。
縁側から丸々見える少し欠けたお月様、青白い光を放つまあるい金色、狂気の象徴。
そんな月を肴に酒を飲むのも悪くは無い、隣に霊夢が居るのであれば。
再び私が了承の意を示す相槌を打つと霊夢は嬉しそうにきゃらきゃらと笑って「じゃあ早速神社に行きましょ?」と私の腕を引っ張った。
急かしてくる霊夢に「ちょっと待って」と言い、私は台所に材料を取りに行った。
博麗神社に大抵のお菓子を作る器具は置いてある、霊夢が度々お菓子を要求するので作って持って行っていたのだがそのうちに神社で作って作りたてを食べてもらうようになった。
この方法は霊夢に作りたてを食べてもらえる事などの利点もあるがその代り良い匂いに引きつけられるようにいろんな人妖がやって来るようになった、そのせいで元々出没頻度が高かったのに更に危険な妖怪やらなんやらがやって来るようになってしまった。
「故郷の味を思い出すな」とレミリアが
「あらまあ、美味しそうね」と咲夜が
「いただいていくぜ」と魔理沙が
「ふむ、魔法は未熟者の様だけどこちらはよくできてるわね」とパチュリーが
「あ、美味しそうですね」と美鈴が(この後一瞬でどこかに消え去った)
「お菓子があると聞いて飛んできました」と幽々子が(この後妖夢に引っ張られていった)
「私のお株が奪われると聞いて歩いてきました」と神綺様…(この後夢子さんに引っ張られていった)
「私は太らないから大丈夫だって!きっと太らないって!」と言いながらスキマから手が伸びてきたこともあった(だがお菓子は掴めなかった、恐らくは藍だろう)
神社がにぎやかになるのは別にかまわないのだけどお菓子を取られると霊夢が途端に不機嫌になる。
そうすると決まって私は霊夢をあやすように宥めるのだ。
それはいつもの日常で、私と霊夢だけに通じる儀式だった。
そんな事を考えながら私は月見団子の材料を探していた..
「アリスー、早くしないと夜になっちゃうわよー?」
霊夢が急かす声が聞こえてくる、
丁度その時私は目的の物を見つけた、白玉団子の元となる粉だ。
私は人形を引き連れて急いで霊夢の方に向かった。
耳元で風がびゅうびゅうと鳴っている
隣では霊夢がいつもの巫女装束で浮いている
私達は徐々に上昇しながら一緒に地上から離れてゆく
神社で月見団子を作り終わった私達は暫くの間休憩していた。
霊夢は早くしないと日が暮れると言うが作り終わってもまだ日は暮れる気配も見えなかった。
霊夢は私の膝に頭を預けていたのだがふと「そうだ」と何か思いついた様で急いで起き上った。
「もうそろそろ日が暮れるわね」
確かに、もうそろそろ日は暮れる、人の時間は過ぎ去り、妖の乱舞する夜の帳が降りるだろう。
では、その前に何が起こるか。日はただ暮れるのではなく、赤々と暖かな火を燃やしつつ沈むのだ。
私は霊夢が言わんとしている事が分かった。
「夕日を、見に行きましょう。夜の帳が降り切って、金色が姿を現わす前に。」
それもただここで待つのではなく、一番見晴らしの良い場所で。
そう言うと霊夢は私の手を握った、きゅうと力強く、しかし痛くない程の力が籠められる。
霊夢の手は真白く、そして少し柔らかかった
「行きましょうアリス、幻想郷一の展望台に」
そうして神社はそれから少しの間、空となる事になった。
私達の居た部屋には、ただ真っ白な月見団子と、真っ白な皿だけが、赤茶けた卓袱台の上に置かれたままだった。
ひょうひょうと風を耳の奥で感じながら
やや肌寒くなった空気を肌で感じながら
私達は展望台へと急いで行った
もっと、もっと高くへ
全てが見渡せるほどに高くへと
私はやや旋回気味に昇って行った
霊夢はフワフワと浮かびながら登って行った
やがて私達はその場所にたどり着く
幻想郷全てが見渡せる絶景がある場所に
私達だけが居るどこまでも広い広い世界に
「わぁ・・・」
霊夢が隣で童女の様な感嘆の声をあげる。
私達の下には幻想郷が堂々と横たわっていた
妖怪の山も守矢神社も、人里も、その中にある命蓮寺も、何もかもが真下に映っていた。
赤く、どこまでも赤く、紅よりも赤く、夕日が全てを平等に照らし出していた。
丸ごと真っ赤な夕日が包み込んでいた
私達はしばらくその赤をただただ見つめていた
どこまでも広く、二人のほかには誰もいない天上
燃え尽きるように真っ赤な空の天原
どこまでも広くて、どこまでも狭いこの世界
どこに進んでも、誰にも会えない孤独な世界
それでも
だけど
だけれども
ふと霊夢の体重を隣に感じた
霊夢は私にただ静かに寄りかかっているのだった
落ち着き払った、安らいでいる様な霊夢の顔を見るといつも感じる事がある
ああ―――
だけれども
私は
霊夢さえいれば私は孤独を感じないだろうと思った
霊夢さえいれば私はどこまでも行けるだろうと感じた
霊夢さえいれば私は何にでもなれると そう信じた
それがいかに危険であるか
それがいかに残酷であるか
分かっていた
せめて言葉に出す代わりにと
私はただはたはたと私は涙を流していた。
しょっぱい雨は、天原の庭へと落ちずにどこまでも下へ下へと落ちてゆくだけだった。
帰ってきた時にはすでに月が昇りかけていた
私の家から神社へ行き、団子を作っている時間よりも二人でただ夕日を見ている方が長く、あっという間の時間だった。
軽めの夕食を澄ました後、私達が縁側へと腰かけた時にはすでに月は高く昇っていた
いいだろう、夜はまだまだ長い
あの永い夜よりもまだ長い
私と、霊夢と、月と、風と、少しばかりの団子と
それだけの事で満足できることに私はひどく感謝していた。
月はただしんしんと雪の様に青白い光で辺りを照らしていた。
りーん りーん とそろそろ動き始めた虫があちこちで鳴いていた。
ああ、もうすぐ秋が来る
また、同じような秋が来る
一つとして同じものは無い秋が
一つとして戻らない秋が
もうすぐ、足並み揃えてやって来る。
静かに鳴り響く虫たちの声は、そんな事を語っている様な気がした。
私は声を発さない
霊夢も何も言わない
月はただ静かに夜を見つめている
どこまでも静かで、どこまでも心地の良い静寂が辺りを包んでいた。
不意に霊夢の肩が私にぶつかった
そのまま少しずつゆっくりと霊夢が重たくなってゆく
「~~♪」
その時不意に
私の耳元に月の歌声が届いた気がした
優しくて、物悲しい歌が
月の歌姫は霊夢だった
その口からは声にならない歌が、ただ朗々と響いていた
静かな空間に、ただその歌と、虫の鳴き声だけが響いていた。
ふと私は何だか急に不安になって、肩にもたれ掛かる霊夢を強く握りしめた。
そこからは霊夢の呼吸と、霊夢の心臓が脈打つ音と、霊夢の体温だけ感じられた。
それだけで十分だった
ただそれだけで、十分過ぎた
霊夢はそのまま歌を紡いだままに私の膝に体重を乗せた。
黒く長く美しい髪が、月光の輝きを受けて輝いている。
ふとその髪に触れたくて
ふとその月の欠片に魅せられて
つう、と霊夢の髪を撫ぜた
さらさらと流れる髪は月と星の輝きを受けてきらきらと、まるで流星群のように輝いた。
見上げれば満天の星空とほんの少しだけ欠けた月が見える
見下ろせばさらさらと光を受けて輝く天の川が映っている
ああ、そうだ
「なんで、今日を選んだのかしら」
今日は満月では無い、少しだけ、ほんのわずかに欠けた満月
「だって、満月は綺麗だもの」
ほうっと息を吐いて霊夢は上を、私を見上げた
夜空の漆黒よりもまだ黒く、美しい髪よりもまだ艶やかな瞳がじっとこちらを映している。
「こんなに綺麗な満月が二つもあったら、私が狂ってしまうもの。」
霊夢はそう言ってふふっ、と息を僅かに吐き出した。
ああ、こんなことを考えてしまうのは、きっとあの月が満月の様に見えるからに他ならないのだろう。
霊夢にこんなことを考えてしまうだなんて、私はきっと狂ってしまっているのだろう。
狂ってちょうだい 霊夢
一緒に狂いましょう 行く夜も 幾夜も 逝く夜も
共に夜を踊り明かしましょう 共に夜空の中で踊り狂いましょう
貴方は人間で 私は狂人
決して共にはいかれない
だから一緒に狂いましょう?
踊りましょう 歌いましょう 歩みましょう 止まりましょう
だから・・・
どうか・・・
オネガイ
ぽつりと
霊夢の白い肌に
霊夢の黒い髪に
ぽつりと
雨が 落ちてきた
.
お月見ありがとうございます。
ただ、文章と文章が離れすぎていて少々読みにくかったです。
もう少し開けて表現する部分を絞ってみたらいいのではと読んでいて感じました。
とても良かったです
国語力が低くてすいません
いい雰囲気の話ですね、自分はこういう雰囲気も好きです