夏場を襲う突然の雨、最近ではゲリラ豪雨と呼称するらしい。局地的豪雨を何故ゲリラ豪雨と呼ぶのかを私は知らない。知らないけれど、今私の目の前でバケツをひっくり返したように降り注いでいる雨、これがゲリラ豪雨。
何気無い単語の由来なんて知らない、知ろうとも思わない。この場所にはどういう者が集まってきているのかとか、どういう経緯があってこの地が生まれたとか、私にはおおよそ関係のないことで、それは私の存在理由についても同じことが言えるだろう。
自己の存在理由なんて、普段通りの私なら考えもしないことで――
少し前に風変わりな人間に退治された。己を神と呼び、妖怪だからと私に襲い掛かってきた人間。妖怪退治することに何の疑問も抱いていないギラギラとした瞳は、妖怪であるから退治されるのは当然とほのめかしていた。
彼女の良心を呵責するわけではない。私は私で妖怪故に人を襲う、驚かそうとする。意味なんて、大義なんてそれだけで十分なのだろう。しかし独りで雨を見ていると、ふと考えてしまう。
私とは何であるか。私というものの存在理由を。何故私が私であるのか、何故人間を襲うのかを。
私の名は多々良小傘。
化け傘の妖怪。人を驚かせ、それを糧に生きる妖怪。雨風の漂流の果てに遺棄された傘の成れの果て。
こんなにも雨が降り注ぐから、私はきっと考えてしまうんだ。きっと傘だから、考えてしまうんだ。
私は傘になるために妖怪になったのですか? 私を見捨てた人間に報復するために妖怪になったのですか? 後者であるならば、これからも驚かせよう。あの手この手考えて、人間たちを恐怖に貶めてやろう。
もしそうでないのならば、私が傘になるべくこの姿を得たというのならば……。
誰か私の手を握って下さい。私もその手を握り返し、降り注ぐ災厄からあなたを守りたい。
でも私には無理なのです。私は小傘、小さな小さな傘。矮小な存在で、誰かを包みこむには小さすぎる存在。
下を向くと地中から這い出たミミズ達が、この雨を謳歌するように踊っていた。雨が止んで太陽が出たら干からびて死んでしまう小さな存在。その事を憐れんでも、悲しむ奴なんてきっといないだろう。
だって小さい存在だもの。
もうすぐ雨が止んでしまう
――――――――――
夏といえば怪談肝試し幽霊が流行り、驚かせることを生業としてる私にとって貴重な季節。今年は暑さが猛りに猛り、人間どもは冷えた幽霊を追って日夜彷徨ってるとかいないとか。
要するに夏は私の季節なのよ! 愚かな人間どもは私に驚かされることを望んでおり、私は気分をすっとさせるために人間どもを驚かす!
さて驚かせるといっても、最近の人間は一筋縄ではいかない。おどろおどろしい声で近付いても、傘の上に鞠を乗せて回してもちっとも驚いてくれない。それどころか拍手したり飴玉をくれたりする。本当に最近の人間は手強い……。
そんな手強い人間たちを驚かせるべく、私は経験と知恵に基づいた研究に開発そして研鑽を積み、ついに編み出した! 今時の若者の腰をも折る禁断にして究極の驚技……!
その名も傘代わりの術!
「うひひひ見とれ人間。私が酸性雨に変わって成敗してやる」
思わず心の中で笑いが込み上げてしまう。
傘代わりの術とは、私の相方であり文字通り一心同体である傘と同化し、誰かが傘を開くまで道端に倒れているというものだ。
好奇心から傘を開けばさぁ私の出番。開ききった傘の下ろくろから顔だけを逆さまに出現させ、愚かな人間を驚かせるてくにっく。
そんなわけで、私は炎天下の中絶賛獲物待機中。通りかかる人こそいるが、近付いて開いてくれる人は皆無。そんなこんなでかれこれ数時間はこうして地面に倒れている。
今日は特別暑い気がする。雨が今にも降りそうな篭った湿気がベタつくように全身を刺す。そろそろ我慢の限界と、諦めて帰ろうと思案する私の耳に、複数の声色が風に流されて耳に届く。
「こういうのなんて言うんだっけ? 光陰矢の如し? いや時は金なりね……。河童のバザーと聞いて期待していたのに、行ってみれば珍しいものは既に完売御免状態。咲夜も残念よね、これもレミィが紅茶を飲んで早く支度しないからよ。もっと早く赴いていれば、もっと収穫があったはずなのに」
「まぁまぁパチュリー様。お嬢様にとって紅茶の一時は貴重なお時間。パチュリー様で言う所の読書の時間と同じで、侵害されてはならない大切なものなのですわ。確かに珍品が見当たらなかったのは残念ですが、収穫が零じゃなかったのですから良いじゃないですか。天狗が使っているような写真機に妖怪たちが使っている渾天儀。パチュリー様は宇宙には興味がおありでしょう? これだけあれば十分ですよ」
「確かに星海への興味は尽きないけれど……でも写真機なんて使うかしら? 二人でツーショットでも撮るつもり?」
「ふふっ、何を仰ってるんですかパチュリー様。私が撮影役で被写体がそれ以外の皆、ですよ」
流れ着いた声は二人分。ごにょごにょと早口で喋り上げる女の人と、おっとりとした口調の女の声。
随分親しい間柄であるのは、その少ないやり取りの中で容易に感じ取ることが出来た。
「咲夜はこう見えて恥ずかしがり屋だからね。縄にでも縛り付けないと素直に撮られないだろうさ」
それともう一人の合計三人で行動しているらしい。
三人目の声色はその中で一番幼いのが明らかだったのに、どこか落ち着いた余裕のある雰囲気の、不思議と居心地の良さを覚える魅力ある声だった。
「それにパチェ、そんなにカッカしないことね。河童が優れているといっても所詮河童さ。月都万象展の時に受けた衝撃はどんなに早くバザー会場に着いてたって得られなかったろうさ。良いじゃないか、こうやって三人で遠出するだけでも私は満足だよ」
「レミィはすぐそうやって論点をずらそうとする。確かに立体式かつ能動的な狂魔導書なる文献には心底驚いたものだけど、それとこれは今関係ないでしょうに……もぅ」
「ははは、そう拗ねるなよパチェ。ごめんごめんってば」
「良いわよ別に……私もその、嫌じゃないし」
「あっ、お嬢様にパチュリー様! あれを見て下さい。道端に大きな茄子が転がっていますよ。これで一週間は麻婆茄子で過ごせますわ」
え、茄子?
「わー本当ね咲夜すごーい」
「ちょっと取ってきてみますわ。パチュリー様、少しの間だけ日傘をお持ちいただけますか?」
「わかったわ」
パタパタと足音が私に向かって大きくなっていく。何か大きな勘違いをされている気がするけど、絶好の好機なのは変わりないはず!
ついに近付いてきた人間が私を持ち上げるが、どうにも様子が可笑しい。「あれ?」と納得しかねる声を漏らし、私は種がバレてしまったのではと自然に体が強張る。
「お嬢様、パチュリー様! 茄子じゃないです。これ雨傘ですよー」
「……なぁパチェ。私と咲夜は本当に同じ世界が見えているのかしら?」
「クオリアね。誰しも一度は疑問に思うことよ」
私を持ち上げている人間は「傘は食べられないわよね……」など不穏な呟きを漏らしながら傘を開き、ついにその時が訪れた。
「うらめしやー! ねぇねぇ驚いた?」
「……あら?」
「う、うらめしやー!」
首だけの私と目を合わせ、人間は僅かに首を傾げる。その表情は驚愕とはかけ離れており、私は意識を巡らせなくとも失敗したのだと気付く。あんなに練習したのに……。
「わぁ驚きましたわ」
「あれ?」
「二人とも見てください。これ首が付属した傘ですよ! きっと珍しいものに違いありません」
「わちき成功した!?」
この人間は驚いた時に笑うらしい。なんだか知らないけど、兎に角良し。また一人人間を脅かすことが出来たのだ!
「付喪神の一種かしら? 残念だけど咲夜、そいつはとりわけ珍しいものでもないわよ」
「あら残念、そうなのですか」
傘が閉まり、私の視界は再び真っ暗になる。背中が日に照らされた地面につき、元いた場所に戻されることとなった。
三人が私の側を通り過ぎて去っていく。顔を覗かせて少しだけその様子を見ると、三人は全員を包みこむほどの大きな傘に包まれて道なりを歩いていた。
「うちの門番はしっかりと留守番しているかしら」
「大丈夫ですよ。あんなことがあった後ですし」
「何かあったの?」
見なきゃ良かったのかもしれない。ずきりと少しだけ胸が痛み、その原因が私にはよくわからなかった。でも三人の光景を見なければ痛むことは無かったんだと思う。
再び私は打ち捨てられた傘を演じることにした。誰かを驚かせるために、何より私のために。
よくわからないや
――――――――――
あの日から二日三日そのくらい。今日の私はより多くの人間を驚かせるべく、人里に足を運んでいた。
「うらめしやー!」
「お、もうそんな季節か」
「おどろけ~」
「小傘ちゃんの可愛さに吃驚なんだねぇ」
人里ど真ん中ということもあって結果は芳しくない。しかしここで折れてしまったら化け傘の名折れというもの。私はひたすらに駆けずり回った……すると。
「あ、小傘姉ちゃんだ」
「やった小傘姉ちゃんだ」
「え?」
人間の子供と思われる少年が数名、私を見かけるや否や駆け足で近付き、あっという間に囲まれる形となった。
「数の暴力とは卑怯なり人間ー!」
「小傘姉ちゃん。うちのチームがピンチなんだよ! また代打になってくれよぉ」
「お願い小傘姉ちゃん」
「お願いだよー」
人里に来ると、こうしてたまに子供たちに囲まれて懇願されることがある。いつもは場の空気に流されて首を縦に振ってしまう私だが、今日は妖怪代表として人里に赴いている身。簡単に了承するわけにはいかないわけで。
「小傘姉ちゃんがいれば勝てるんだよぉ」
「小傘姉ちゃんのあれは日本一だよね」
「よっ! 日本一!」
「そこまで言われたら仕方ないなぁ~」
というわけで私は子供たちの願いを聞き入れることにした。
別に言いくるめられたとかそういうのじゃなく、人間を驚かせるべく付いていくのだ。
「あ、お前らまた小傘姉ちゃん呼んで……卑怯だぞ!」
「ブーブー!」
人里の中にある少し広い空き地。子供たちに連れられる形で到着した私を迎えたのは、汗を垂らしている少年たちの不平不満だった。
「あんな奴らの物言い無視しちゃっていいよ。ほら小傘姉ちゃんバット、いつも通りお願いね」
バッターボックスに立ち、私は狼狽した様子の投手を睨みつける。
私はこうして人間の子供たちの遊戯に付き合うことが、たまにある。この中で私は英雄的扱いを受け、私がバットを振れば皆驚くのだ!
「初球本塁打! やっぱり小傘姉ちゃんは凄いや!」
「わーいわーい」
「わちきにかかればこれくらい楽勝よ!」
「やっぱりあの姉ちゃん凄まじいな……」
「あんな打ち取れないよ……」
囲まれて賞賛を受ける中、額に一滴の水滴がかかる。乾いた地面を見れば小さな染みが至るところで広がっていく。夏場に突然襲いかかる雨、すぐに本降りになることは子供たちの目からも明らかだった。
「げ、まずいよこれは早く帰られないと」
「急げー!」
「小傘姉ちゃんまたねー」
「あ……うん、またね」
一目散に子供たちは散り散りになり、先程までの活気は見る影もなく、土砂降り模様の雨が空き地を包み込む。
その中で一人、私は傘をさして佇む。もう雨の音しか聞こえない、誰もいないこの場所で。
ぱしゃぱしゃと水が跳ね、足の裏や足首を水浸しにする。人里の中央道を歩くものは皆無で、誰も彼もが屋内に逃げ込み、ある者は屋根の下で雨が弱まるのを待っている。
屋根下で待つ人間に話しかけてみた。傘はいりませんかと、私が代わりの傘になりますよと。
私の誘いに首を縦に振ってくれる人はいなかった。ここの連中は殆ど私のことは知っているけど、一緒に傘に入ろうとする人はいない。だって私は妖怪だから、人を驚かせる妖怪だから。きっと一緒に傘に入ってる姿を見られたら、色々と都合が悪いのだろう。
雨が降るといつもの私が薄れていく。人を驚かせようとする気概が次第に薄くなり、こうして傘として立ち回ろうとする。何故だろう何故だろうか。
きっと元は私も傘だから、雨が降るとこうして誰かに手を握って欲しくなるんだと思う。誰かの傘になろうとするのだと思う。
でも私は小さな傘。誰かを守るにはちっぽけな存在で、きっと叶わない願いなんだろう。
ざぁざぁ
ぱしゃぱしゃ
この場所は大きな大きな傘。
この地に住まうものは大きな傘に守られている。
遠い昔、妖怪の賢者と呼ばれる人に出逢ったことがある。奇妙な出で立ちで、風変わりな傘をさしていた不思議な女性。
この場所がどういう場所なのかを、私が何故ここにいるのかを教えてくれた傘の人。この場所は身を守る大きな傘で、自分は傘を作った者の一人と教えてくれた傘の人。
彼女は大きな存在だから、大きな傘になれるんだ。大きな大きな傘の人がいたから、私はこうして今救われているのだ。打ち捨てられ滅びることなく、今この場所を歩くことが出来るんだ。
でも私は彼女のような傘には成り得ない。何故なら私は小さな小さな存在だから。小さな傘だから、人一人包むことも出来ない紛い物だから、こうして妖怪として存在しているんだ。
この間の三人組を包む傘は嬉しそうだった。傘として扱われる傘が羨ましかった。傘に包まれていた三人は楽しそうだった。
私が私として生まれる前、私の持ち主もあんな風に私を扱ってくれていたのならと、考えずにはいられないんだ。
私が私として生まれる以前、私が傘として生まれた時点で私は出来損ないだったんじゃないのだろうか。
「驚かせるのも正直上手くいってないし、バッターに転身しようかしら」
自分で発した冗句に、冷笑が自然と込みあげてくる。
馬鹿馬鹿しい。そんな事するくらいならいっそスペルカードルールも何もかも無視して、この場所で大暴れしようかしら。私を捨てた、きっと憎たらしい人間に襲いかかり、ルールを破った者として最期を迎える。出来損ないには相応の最期だ。
いくら悪意を煽っても、いくら惨め自分を煽っても、私は傘を持つ手に力を込められない。振り下ろすことなんて出来るはずがなかった。
何故なら私は傘だから。こんな形になっても傘だから無理なんだ。
ざぁざぁ
ぱしゃぱしゃ
「傘に入りませんか? 私が家まで送るよ」
屋根下で雨が止むのを待っている女の人。その手には大きな木製のケースが一つ。
薄い肌の色、艶のある金髪は様々な人が入り乱れる人里においても、その外観はかなり浮いている印象を受ける。まるで人形のようだと、ぼんやりと考えていたと思う。
私が声をかけるとちらりと私に視線を向けたがそれも一瞬で、すぐに雨に向き直ってしまった。
「あなた人里の人間じゃないわよね。どうしてこんな場所にいるの?」
素朴な疑問。いや、相手にされない鬱憤がここに来て溜まったからかもしれない。とにかくも私は少し棘を含んだ口調で質問する。
「妖怪が奇妙なことを言うのね」
まるで指向性が感じられない口調。目の前の人形もどきは独り言のように、雨に掻き消えてしまいそうな声量で、ぽつりぽつりと呟き始める。
「私はアリス・マーガトロイド。魔法の森に住む魔法使い。……元人間のね。だから私は里の者でも人間でもないわ。この場所には、そう、人形劇を披露しにきたの。定期的に訪れるのだけど、あなたは知らないようね」
「魔法使いなのに人形劇なんて変なの。大方雨に降られて帰れなくなったってところでしょう? この際魔法使いだって良いわ。私の傘に入らない?」
軽く傘をかかげ、それとなく促してみる。
「そうね、雨のせいで帰れなくなっているのは事実だしお願いしようかしら。じゃあこれを濡れないようにお願い出来るかしら? 大事なものが入っているから丁寧に扱ってね」
左手に持っていた木製のケースを私の眼前まで持ち上げる。私がそれを受け取ると、アリスと名乗った魔法使いは雨の中に飛び出して宙に舞った。
雨が抵抗手段を持たぬ彼女に襲いかかり、手入れの行き届いた衣服や髪の毛をあっという間に濡らしていく。
「家まで案内するから私に付いてきて。そのケースは濡らさないようにしてね」
この数秒足らずのやり取りだけで、魔法使いは川に飛び込んだように全身を濡らしていた。その様子に風邪ひいちゃうよと抗議したが、魔法使いは「そんなことどうでもいい」と言いたげに軽く肩をすくめ、私に背中を向けて飛んでいってしまった。
何か腑に落ちないものを感じながら、結局私はそれに続くことにした。もう一度風邪ひいちゃうよと抗議したが、今度は無視された。
道中このケースの中に何が入っているのかを問うと、魔法使いは人形が入っていると言った。
「私にとって人形とは私より大切なものだから、私が濡れようと構わないの。人形が私の存在意義だから、人形こそが私を形作るものだから。付喪神たるあなたにはその意味がわかるんじゃなくて?」
瘴気満ちる魔法の森を抜け、私たちは一軒の家に到着した。
非常に残念なことだが、魔法使いの家に到着したときには、雨は完全に止んでしまっていた。もう少し待っていたら濡れずに済んだはずなのに、魔法使いは不満一つ言わずにびしょ濡れ状態のまま私に向き直る。
「見てわかる通りここが私の家。ここまでありがとう、さぁそれを返して貰えるかしら?」
私は首を横に振り彼女の要求を跳ね返すと、魔法使いは初めて敵意が感じられる表情を顕にして私を睨む。
「別に返さないつもりじゃないの。あなたが存在意義と評する人形を一度見ておきたいの。お願い良いでしょ?」
単純な好奇心だけでなかったのは確かだった。自分が運んできた人形たちを見てみたいという、傘としての興味もあった。
それに何だろうか。髪から雨粒を垂らし、哀愁にも似た昏い表情を時折見せる彼女が、どうにも今日出逢った赤の他人には思えなかった。それこそ私と似たような、解の出ない問いに耽って悩んでいるような……。
「はぁ別にいいわよ。開けてご覧なさい」
私が懇願すると、魔法使いは敵意を忍ばせてあっさりと了承してくれた。
傘を地面に置いてケースを開くと、四体の人形が各々に合った型にぴったりとはまったまま私を見つめ返していた。
頭のてっぺんから足の爪先までいいとこのお嬢様みたいに綺麗で、彼女の人形に対する並々ならぬ想いが一目で見て取れた。
その手の知識には乏しい私だが、その精緻さには思わずわぁという溜息が出たほどだった。しかし感激と同時に全身ボロボロな状態で誕生した私と比較してしまい、少しだけこの子達が羨ましくなってしまった。
「この子達を人形劇で?」
「そういうことね」
彼女がそう言うと、型から人形たちが起き上がって私を見上げて手を振ったり、頭を下げたりしてきた。
「この子達もあなたにお礼を言いたいそうよ。ありがとうって」
「すごいのね。本当に生きているみたい」
正直に感想を述べると、少しだけ彼女の表情が曇る。
「えぇ……そうでしょう。でもその子達は未完成なの。私が求めているものには程遠くて、物語を演じる曰く付きの人形にはなり得ない」
さっきまで生きているように動いていた人形たちがパタリと動かなくなり、魔法使いは浮かばれない表情のまま私からケースを取り上げてしまった。
「濡れてしまったから、早く着替えなくちゃ……」
自分に言い聞かせるように口を開くと、魔法使いは踵を返して家に向かってしまった。玄関扉に手をかけ、屋内に消えようとする彼女に私は声をかける。
「上手くいかないんだ?」
「……何のこと?」
彼女が努めて冷静を装っているのは、震える体躯を見て明らかだった。その震えの向かう先が部外者に指摘されることの怒りか、ただの怯えなのかは私には判別出来なかったけれど。
「私には本当にその子達は上手く出来ているように見えるのだけど、製作者たるあなたから見るとそうじゃないんでしょ。何が足りないの?」
「ただの妖怪風情にそれを教えて私に何の得があって? 人形は見せたんだから、あなたも早く帰ったらどうなの」
「嫌だ中途半端には帰らない。私は妖怪だけどただの妖怪じゃない。付喪神で打ち捨てられた傘で、そんな私だからその子達のあなたに対する気持ちがわかる。あなたに対する愛慕の情や、安否を気遣う心を」
「安否を気遣うですって? 笑わせてくれるわね。生きてもいない人形の心がわかる? 勝手に心を定義するんじゃないわよ。何も知らない癖に」
「あなただって私のことは何も知らないじゃない。その子達の声は確かにあなたを心配しているわ。丁寧に扱って貰って喜んでいるのと同時、人形ばかり見て自分を見ないあなたを心配している。さっきだってそうじゃない。凄い雨の中自分のことを省みずに人形たちを優先させて……」
「うるさい!」
私の言葉は続くことなく、叫び声のような彼女の声に遮られ途切れてしまった。
「そんな声私は聞こえないっ! 聞こえなきゃ心なんてあったって無意味じゃない。そんなもの心があるなんて言わない。伝わらなきゃ、通じ合わなきゃ、そんなものあったって……」
覚束ない足取りで魔法使いは家の中に姿を消してしまった。
「人里の人形劇見に行くからね! また会おうね!」
中に居る魔法使いに向かって私は叫ぶ。返事はなく聞こえたかもわからないけど、私は森を後にする。
「かつて傘だった私でも、きっとあなたと通じ合えるはず」
――――――――――
私は小傘、小さな傘。
漢字の傘は人が四人も入っている。
でも私は小さな傘だから、四人を入れることは出来ない。
傘の人の傘は凄く大きな傘だから、四人どころかその何倍も何万倍も入ってしまうんだろう。
私は小傘、うち捨てられた小さな傘。必要にされなかった哀れな傘、見向きもされない小さな存在。
そんな私でも、彼女の人形は傘に入れることが出来た。この小さき傘に、四体の人形を包みこむことが出来た。
私の存在意義とは何だろうか? 人を脅かすこと、人間の子供たちに頼られること、傘として誰かを守ること。あれからもたくさん考えたけど、はっきりとした答えは出ることもなく。でも確かなことが一つ、彼女と出会って芽生えたものがある。
アリスという魔法使いも私と同じで何かを探している。きっと彼女も自分が存在する意味を、己が何を成せるのかを、人形を介して探しているんだ。冷静を装っているけど、本当はギリギリの縁を立っているんだ。自分を省みない彼女を見ていると、何処かあぶなっかしく、いつか砂上の楼閣のようにあっさりと崩れさってしまうのではと思ってしまう。
そんな彼女だから、私は彼女の傘になりたい。邪魔にならないように、そっと影で支えてあげたい。
傘の人のように大勢の人を守るなんて言いません。漢字の傘のように多くの人を守ろうとも思いません。
何故なら私は傘だから、小さい小さい傘だから。その願望は少しだけ大きすぎる。
でも
彼女と彼女の小さい子達なら、私の小さい傘でも包めるでしょう。
彼女を守ってあげたい。彼女と一緒に居たい。アリスという魔法使いをもっと知ってみたい。
それがかつて傘として捨てられ、人々から忘れ去られた私の願いです。
――――――――――
それは遠くない出来事。
太陽が憎たらしいと思えるほどの晴れた日。
「今日もお願いね小傘姉ちゃん」
「へへ~んわちきに任せなさい!」
多々良小傘は今日も子供達に頼まれて、草野球の代打になります。
多々良小傘が妖怪であることは子供達も知っています。そして彼女が大した害にならないことも勿論存じています。
多々良小傘は子供達に驚かれないことがちょっぴり気に入らないようですが、頼りにされるとその不満は何処かに飛んでいってしまいます。それは妖怪としての彼女の性格が軽いからでしょうか? 最近の妖怪にありがちな気がします。悪いとは言いませんが、もう少し考える頭を持って欲しいものです。
「小傘姉ちゃんに頼ってばかり。お前ら卑怯だぞ!」
あらあら相手チームの子供がおかんむり。
「へへーん何とでも言うが良いさ!」
「もう堪忍袋の限界だね。先生お願いします!あいつらけちょんけちょんにして下さい!」
「ふう、仕方ないわね」
「えっ! あ、アリス……?」
先生と呼ばれた相手チームの助っ人はアリス・マーガトロイドでした。
「な、なんでアリスがここに?」
「なんでって……子供達にお願いされたからよ。『子供達の野球に我者顔で入り込み、更にはいじめてくる妖怪がいるからどうにかして』って、まさか小傘だとは思わなかったわ」
さてさて、これには多々良小傘も驚きでしょう。何故ならこの二人、最近よく一緒にいるようですから。
こんな妙な形で敵対するのは多々良小傘の本意では無いでしょう。
「違うのアリス! 子供達にお願いされたから渋々従ったままで、いじめてなんか……」
「御託は良いわ小傘。あなたが打者としてそこに立っているなら私も頼まれた身として、投手であなたと対峙するまでよ」
なんということでしょう。アリス・マーガトロイドは投手をお願いされていたのです。
「ま、待ってアリス。そんなの嫌だよ……」
「小傘」
アリス・マーガトロイドが多々良小傘の名を呼ぶと同時、豪速球が多々良小傘の顔を霞めます。間違いなくアリス・マーガトロイドが投げたものです。人間の子供はおろか、大の大人でもこれほどの速度で投げることは叶わないでしょう。
「逃げるつもり? あなたも打者としての矜持があるのでしょう? いいからやるわよ」
「でも……」
多々良小傘は未だ決め兼ねているようです。これにはアリス・マーガトロイドも渋い顔を浮かべましたが、妙案が浮かんだのか、心底面白そうな顔をして多々良小傘に問いかけました。
「そうだ小傘。この勝負で小傘が勝ったら今日一日小傘の言うことを何でも聞いてあげるわ」
「え……? ほ、本当?」
「ただし、私が勝ったら今日一日小傘は私の言うとおりにしてもらうからね」
「じゃあやるっ! 負けても恨みっこなしだよアリス?」
「小傘こそっ!」
何とも仲睦まじいことです。太陽と関係なく見ているこっちが赤くなってしまいそうなくらい。
「リターンイナニメトネス投法……小傘に捉えられるかしらっ!」
「ふふーん絶対負けないんだから!」
人形という道具を用いる魔法使いと、かつては使われることがなかった傘の妖怪。
二人は近頃よく一緒にいるようです。どういう経緯で彼女たちがこのような関係になったのか、部外者たる私には知りませんし、知ろうと思うのは無粋というものでしょう。
……多々良小傘。小さな小さな傘。
あの子を見ていると、かつての私と重ね合わせてしまいます。全てを失って始まった遥か昔の私を……。
小さな存在は小さなままなのでしょうか? 不相応な願いは決して叶うことなく潰えてしまうものなのでしょうか?
私はそう思いません。何故なら私はこの場所がどうしようもなく好きだからです。完全とは言えませんが、私が思い描いた理想郷に限りなく近い形でこの場所が存在しているからです。
かつては小さい存在だった者が願い、そして作り上げた形がこの地――幻想郷。
小さな存在だった彼女が小さなままだったら、この場所は成り立たなかったでしょう。
夢は叶えられるのです。強く願い、実現に向かってひたすらに追い続ければきっと……。
今は小さいあの傘を見ていると、期待と不安で胸が熱くなってしまいますわ。
ふふふ、長々と語ってごめんなさいね。でも最後まで聞いてくれてありがとう。
あ、打ったわね。でも盛大なファウルボール。
あらあら道端に突っ立ってる人の頭に直撃。流石の私もこれには同情しちゃうわ。
だってほら、見る見る二人の顔が青褪めていくわ。可哀想に……。
あの傘の人も危害を加えなきゃ可愛いのにね。ほら、笑顔で二人に近付いてるわ。見ているこっちが涼しくなっちゃう。
願いを叶えるには障害は付き物。どう乗り越えるか見物ね。
彼女達の想い。願わくばこの地で成就できますように――
-FIN-
ほっこりしました。
読んでて自然に笑顔になれました!
原作の場面を彷彿とさせるキャラたちの掛け合いもワクワクしながら読ませてもらいました。
小傘とアリスの関係、こういうのもあるのかと衝撃を受けたしだいです。
BGMに妖怪モダンコロニーを流しながらもう一周。次も楽しみにしてます。