「あらイナバ丁度いいところに。」
「姫様。おはようございます。珍しいですね、こんな時間に。」
まだ日が昇り始めた頃。早朝と表現できる時間帯だ。
いつもは朝食ができた頃に起きてくることの多い輝夜にとって、鈴仙と同じ時間帯に起きてくるのは極めて珍しいことだ。それも大抵、書物を読み漁って気が付いたら朝になっていた……といったパターンだが。
「それで、丁度いいとは? 何か御用でしょうか?」
「昨日蔵を探索していたらね、こんなのを見つけたのよ。」
そう言いつつ、輝夜が袖から取り出したのは一冊の古ぼけたノートだった。
一見、なんの変哲もないノートにしか見えないが、蔵にあるものの多くは月の技術で作られた物だ。日用品のようなものがとんでもない能力を持っていることも少なくない。もしかしたらこのノートにもとんでもない機能が付いているのでは……。そう鈴仙が警戒していると、ふふん、と前置きし、得意気に輝夜が口を開いた。
「このノートはね、なんとっ渡した相手の行動を記録できちゃうスグレモノなのよっ!」
「えぇ!? …って、はい?」
一瞬驚いてしまったが、それはただの日記帳ということではないだろうか? まさか渡されると体が勝手に動くような、術か何かがかけられているのでは…。そういった考えが浮かんだ。困惑する鈴仙に対し、輝夜は続いてノートと鉛筆を向け
「はい、イナバ。早速書いて頂戴。」
「やっぱりただの日記帳だー!?」
何の変哲もないただのノート、ということが発覚した。
◆
(書いて、とは言われたものの…)
今はまだ朝。起きて間もない上、朝食すら食べていないから書くことなんてほぼ無い。日記というものは大抵その日一日の終わりに書くものだと思う。まだ一日が始まったばかりなのに、一体何を書けと言うのだろうか。
鈴仙がふと前を見ると、彼女が何かを書くのを今か今かと待っている輝夜が映る。
「あの、姫様。」
「なにかしら?」
「昨日のことでもいいでしょうか? まだ今日は起きたばかりで書くことが無いのですけど……。」
「昨日のことはダメよ。今日の日記なんだから。あ、でも見た夢のことならいいわよー。」
「夢は覚えてないんですけど…。」
「そこはなんとか頑張って頂戴。イナバ、貴女ならできるわっ。」
「えぇ~……。」
凄まじい無茶振りである。どうしても今日のことしかダメらしい。だが夢を見たかどうかすら覚えていない鈴仙の場合、夢のことが書けないのだから、起きてから輝夜と会うまでの時間に限定される。
(仕方ない…今の事をそのまま書くしかないかな…。)
さらさらと、短い文章ではあるが、真っ白だった紙に文字が書かれた。それを輝夜に見せる。
「これでいいでしょうか?」
「どれどれ~。ん、まあいいかな。それじゃ、次の人に回してねー。」
「…は?」
「『交換日記』というものをやってみたくなったのよ。今、日記を持っているイナバがオニだから、次の人に渡してね。渡されたら絶対に何か書かなきゃだめよ?」
日記でオニってなんだ。それは交換日記と似ているような気がしないでもないが、何か別のもののように思える。
「朝食の時に皆にも伝えるわね。それまで持ってて頂戴。」
「えええぇぇぇぇぇえぇ!?」
──朝食後、輝夜の号令によって、交換日記(オニごっこ式)が開始されることとなった。
◆
それは正に戦争だった。
やったこと無いからとりあえず書いてみたい、ということで、大多数の兎が開始と同時にノートへと殺到した。そのため、逆に鈴仙が逃げる状態となっている。ルールを聞いていたのだろうかこいつらは。
これではオニになったら最後。その瞬間に兎の波に押しつぶされるだろう。
「これは…なんだか想像していたのとは違うわね……。」
「ですよね。」
兎達に押しつぶされた鈴仙を見て、流石に輝夜もおかしいということに気付いたようだ。
「そもそも姫様の提案の時点でちょっとおかしかったんですけどね。交換日記というものは…」
「でもこれはこれで皆楽しそうよね。」
「え」
日記を巡る争いは激しさを増し、今や大乱闘と化していた。
時折吹っ飛ばされた兎が波の外に放りだされては、再び復帰する。仕舞いには武器を持ち出す兎すら出てきた。
「私も混ざろうかしら。」
「いや止めましょうよ。」
事態が収束し、改めて開始の号令がされたのは、昼過ぎのことだった。
◆
あの乱闘の中、最後に日記を所有していた兎がオニということになり、昼食後より改めて開始ということになった。
自分から日記を書きにいこうとしないよう、追加ルールとして最も書いた回数(=オニになった回数)が多いものには罰ゲーム。という条件を加えての再スタートだ。
フィールドは永遠亭の屋敷内限定とはいえ、ここはかなり広い。日記を持った『オニ』自体は一人なので、遭遇率はかなり低い。だがそれは逆にいつ遭遇するか判らず、誰が持っているのかわからない。そのため、油断して警戒を解くのは禁物だ。
鈴仙が周囲に警戒をして歩いていると、恐らくこの状況で最も危険であろう人物と遭遇することとなった。
「お、鈴仙。」
「げぇ! てゐっ!」
「『げぇ!』って何よ。『げぇ!』って。」
手を後ろにまわし、何か後ろに隠し持っているかのような、あからさまに怪しい体勢で現れたてゐ。鈴仙の今までの経験上、このような状況ならば高確率で持っているだろう。
そう思い、警戒していると視線に気が付いたのか
「やだなー、私は今持っていないよ。」
と、片手を出しひらひらと降って見せた。
だがそれで納得する鈴仙ではない。
「そう、じゃあもう片方の手も見せてもらっていいかしら?」
「いいとも。」
先ほど出した手を後ろに戻し、もう片方の手を出した。
「ほらね。」
「両手を出しなさい。」
「…。」
「…。」
「鈴仙は……私を、疑っているの…?」
ちょっと涙目+上目遣いで見つめてくるてゐ。しかしそんなものに騙される鈴仙ではなかった。
「いいからさっさと両手出せ。」
「はっはっは、バレては仕方が無い! だがしかしっ。私から逃げられると思うなよっ!」
「ほらやっぱり持っているじゃないっ!」
騙せないと悟ったてゐは一瞬で態度を一変させた。その手には一冊ずつ日記が握られている。右手には朝見たやつ。そして左手にあるものは…
「っちょ! てゐ! それ私の日記帳じゃない!」
「ふはははは! この日記は預かった!」
正に外道。
日記を人質にとり、取り返そうと近づいたら、右手の日記にやられるだろう。かといって、逃げたとしてもあの赤裸々な日常が綴られたマイダイアリーで何をされるのかわかったものではない。それだけは絶対に嫌だ。
しかし、悩んでいる間にもてゐはジリジリと距離を詰めてくる。その度に鈴仙が徐々に後退する。
互いに相手の様子を伺い続ける緊張状態が続く。だが距離は一歩、また一歩と近づいていく。あと数歩、というところで、てゐの方が先に動きを見せた。一気に距離を詰めるべく、床を踏む脚に力が篭った。
だがその瞬間。ほんの僅かな挙動ではあるが、てゐの視線が一瞬だけ鈴仙の背後を向いた。その動きを鈴仙は見逃さなかった。
「食らえっ、兎流抜刀術~!」
「させるかあああああぁぁぁぁぁ!!」
てゐが腰に構えられた得物(日記帳)を抜き放つと同時、鈴仙は咄嗟の判断で横に飛び退いた。その鈴仙の背後から忍び寄っていた輝夜の手が、狙いを外し、空振りする。そして
「「あ。」」
「うごふぅっ!」
鋭い抜刀の一撃が輝夜の首を直撃し、残機が減るような音が響き渡った。
◆
「うぅ……死ぬかと思ったわ……。」
「実際に死んでたけどね。」
「首に日記がめり込むって、滅多に体験できない状況よね~。貴重な経験だったわ。」
「いやいや普通ありえないですから、こんな状況。」
仰向けに倒れた輝夜は即座に復帰した。
この場に永琳が居なかったことが救いだ。もし居たらどうなっていたのか、想像したくない。
「ああでも、この状況は私がオニってことかしらね?」
「そうなりますね。」
袖から筆を取り出し、さらさらと文字を書き綴る輝夜。それはすぐに終わり、新たな標的(獲物)に渡すべく、目の前の二人に狙いを定めた。そこまでは良かったのだが、動きにくい服装に加えて運動不足な輝夜が、元軍人や妖怪兎の脚力に敵うはずも無く、あっという間に距離は広がった。おまけにまだ1分も走っていないのに息は切れ、脚を引き摺るように動かす状態である。
このままではどうあっても追いつけない。そう感じた輝夜は奥の手を使うことにした。
「二人とも、私に捕まって日記を受け取りなさいっ!」
「嫌ですよ!!」
勿論失敗したが。
「…私からのお願い。ってことじゃダメ?」
「ダメです。」
交渉決裂である。
◆
「うーむ、どうしたものかしら……。」
結局、鈴仙とてゐに逃げられてしまった。
彼女の脚力及び体力では他の兎にも追いつけないかもしれない。だがこのまま自分が持ち続けるというのも面白くない。はてさてどうしたものか、と歩いていると、目の前で玄関の扉が開かれた。
「邪魔するぞー。薬師いるか? 急患なんだが。」
玄関を開けて現れたのは藤原妹紅。どうやら怪我人を運んできた様子だ。大方てゐやら一部の悪戯好きな兎達が作った落とし穴にでも落ちたのだろう。対妖怪(主に鈴仙)用に造られているため、意外と落ちたら痛い。
この時、輝夜は思った。これはチャンスだと。
そう思った直後は既に日記帳を妹紅へと投げつけていた。日記は見事な軌道を描き、妹紅の額に突き刺さる。サクッ という綺麗な音がした。
「……何のつもり? 私への宣戦布告と受け取っていいのかな?」
「次は妹紅がオニよ。」
「オニ!? 何の!?」
「…日記の?」
「日記なのにオニ!? 何で疑問系なの!?」
「だから書いてね。」
「いやいやいや、もうちょっと解るように説明しろよっ! あと怪我人いるんだから早く薬師呼んでくれよ!」
1分後、騒ぎを聞きつけた鈴仙によって、怪我人は無事永琳の元へ辿り着いた。
◆
とりあえず怪我人の命に別状は無いとの事だ。
そちらが解決したところで、額に刺さった日記を引き抜いた妹紅は、目の前の人物を問い詰めることにする。
「……それで、これはどういうことかもう一度きちんと説明してもらおうか。」
「交換日記よ。」
「これのどこがだよ。」
「……月の都式よ。知らないの?」
「あからさまに今この場で思いついたような嘘をつくな。」
月の都での交換日記は人に日記帳を叩きつけて、書くことを強制するのだろうか。渡すたびにこのようなことがあっては、毎日のように死者が出るだろう。月の都とは大変危険な場所のようだ。
「はぁ…今日は決闘するような気分じゃなかったんだが、貴様がそういう態度ならば──」
「そんなことより早く書いてくれないかしらー。」
「最後まで言わせろよっ!」
「いいから早く早く~。」
「第一、何で私があんたらの遊びに付き合わなきゃならないんだよ。」
「遊びじゃないわ。思い出作りよ。」
「思い出って……あのね、私は一応あんたの敵なんだけど。それなのになんであんたとの思い出なんか。」
「別にどうでもいいじゃない。思い出はどんなものでも、どれだけ多くても困らないわよ?」
「……。」
「それじゃだめかしら?」
輝夜の考えることはよくわからない。もしかしたら、単に何にも考えてないのかもしれない。常に思いつきで行動しているような節があるのだから。この言葉もきっと思いつきだろう。だがその言葉には裏も表も存在しなかった。
「……わかったよ。書けばいいんだろ、書けば。」
「あら、書いてくれるの?」
「お前があんまりしつこいからだよ。」
「ふふっ、ありがとう妹紅。」
まるで子供のような無邪気な笑顔。
それを見て妹紅は、やれやれ仕方ない奴だ。と言いつつ満更でもない様子である。彼女の言う恨みも、もはや形骸化してきているのかもしれない。
「ほら、書いたぞ。これでいいか?」
「いいわよ。」
突き出した日記帳の中身を確認もせず、ひらりとかわされた。
それを見た妹紅は顔を顰め、もう一度突き出す。
再びかわされた。
「…なんで避けるんだよ。」
「さっき言ったでしょう? 今は妹紅がオニなのよ。」
「……は?」
「あなたは日記を渡された時点で既に参加が決定しているのよ。」
「ちょっとまてっ! 聞いてないぞそんなこと!」
「だって今言ったもの。じゃあそれお願いね。逃げちゃだめよー。」
そう言いながら、凄まじい速度で立ち去る輝夜。
後には日記を突き出した姿勢のまま固まっている妹紅だけが残された。
「──ふ、ふふふ…そうか、そうきたか……。いいだろう、やってやろうじゃないか! 覚悟しろ輝夜あああああぁぁぁぁぁっ!!」
咆哮と共に、永遠亭の玄関から炎が噴出した。
ちなみにこの直後、彼女は消化活動に強制参加させられ、鈴仙や永琳に叱られることとなる。
◆
──鬼ごっこ型交換日記は夕食時に終了となった。
散々文句を言いながらも、妹紅は律儀に最後まで参加し、夕飯を食べながら輝夜を睨んでいた。
そして日記は輝夜の手に渡り、罰ゲームを受ける人物の発表となる。
「それじゃ、罰ゲームを受ける人の発表をするわよー。」
ぱらぱらと日記帳をめくり始める。
初めは楽しそうな表情だったが、一ページ、また一ページとめくる度に徐々に険しくなっていく。
そして、最後まで読み終わらないうちにぱたりと閉じられた。
「誰が何回書いたのか全然わからなかったわ。」
「「「「ええええええええええええぇぇぇえぇぇぇぇ!?」」」」
◆
結局、書いた回数がわからない為、罰ゲームは無しというなんともグダグダな結果に終わった。
その後、日記帳は広間に設置され、気紛れに誰かが書いていく、伝言帳と日記帳の中間のようなものとなった。なので一応、交換日記のようなものは続いていると言える。
発案者である輝夜は楽しい思い出ができて満足した。と言い、また普段と変わらない日常を過ごしている。だが時々日記帳を見たり、書き込むこともあり、彼女なりの楽しみが増えたようだ。
何故か妹紅もたまに永遠亭に寄っては、日記に書き込むことがある。今回の件で一番大きな変化だろう。
大体輝夜が一度何かをやり終えたら、しばらくの間は思いつきによる騒動は起きないため、一部の住人にとっては多少気が楽になる。
そんなわけで、他の兎達を起こすため、鈴仙が廊下を歩いていると、また珍しく輝夜と遭遇した。
「あらイナバ。丁度いいところに。」
「あ、姫様。珍しいですね。こんな時間に……あれ? 前にもこんな会話したような……。」
嫌な予感しかしない。こういうときは大抵、彼女が何かを思いついたときだ。
鈴仙の背に冷たい汗が流れ始める。
「あのね、また蔵を探索していたらね、こんなものを見つけたのよ。」
そうして取り出したのは、便箋の束。それを見た瞬間、予感は確信となった。
次の輝夜の口から発せられた言葉は、鈴仙の予想通りのものだった。
「今度は文通をしてみましょうよ。これなら、屋敷だけじゃなくて色んなところにできるわ。」
──また彼女による一騒動が起きそうだ。
交換日記かー。友人の間で流行ってたっけ・・・。
よし、今度は文通だ。
といいたくなるくらい、各コマが想像できましたよ。見事な再現でした。