今までずっと、長い間付き合って来た。
呆れさせられたり、心配させられたり、色々な気持ちにさせられてきたけど、こんな気持ちにさせられたのは初めてだった。
思い出すだけで、胸がバカになったみたいにドキドキして、焼かれるように顔が熱くなる。
一言、簡潔に言うなら、意味が分からなかった。
だって、そうだろ? 二人きり、二人だけの秘密の場所で、普段、絶対にしないような表情で、
普段、絶対に呼ばないような名前で呼んで、何を言い出すかと思えば、き、キス、しよう、なんて。
『な、なに、言ってんのお空……?』
動揺するに、決まってんじゃん。戸惑うに、決まってんじゃん。びっくりするに、決まってんじゃん。
たったひとりの、大切な、大切な親友に……いきなりそんなこと、言われたら。
『だから、チュウ、しよ? 燐。私たち、アイしあってるでしょ?』
キスは愛し合ってるひと同士ですること。
ただ、その言葉だけを律儀にも覚えていたこのバカは、愛という言葉の意味をまるで理解していなくて、好き、の延長線上、大好き、と同じようなものだと勘違いしているんだ。
きっと、今日の朝の、さとり様とこいし様の惚気に頭がやられたから、こんな訳の分からんことを突拍子に言い出したんだ。
あの時のあたいは、お空の言葉と、それが本当に意味することをうっすらと理解していたにも関わらず、その事実があまりにも信じられなくて、そう思いたかった。
『はぁ……。まったく、このバカは。昨日今日知ったような知識を鵜呑みにするから……』
『燐は、私のこと、アイしてないの?』
『……お空、お前、愛する、っていうのはどういうことか知らないだろ?』
『知ってるよ? こういうことでしょ?』
事の発端はあまりにも唐突で、日常の変わり目はあまりにも急速過ぎた。
唇同士のキスは、初めてだった。
「あうううぅぅ……」
仕事をとっくに終え、手早く入浴を済ませたあたいは、自室の部屋ベッドの上、枕に顔を突っ伏しながら、お空とのあの出来事について思いを馳せていた。
同じことをぐるぐると考えたり思い出したりするのは、これで何十回目なんだろう。
仕事中も、お風呂に入ってるときも、ずっとずっと同じこと……今日一日中、本当に気が気でなかった。
食欲も出無くて、晩ご飯、要らないって言っちゃったし……あぁ、心配かけさせてたら嫌だなぁ。元気、出たら、大丈夫って言いに行こう。でも、暫くは……
「無理、そうだよね……」
はぁ、と大きく溜息。思い出すのは、何をしていても頭から離れない、あの時の言葉と柔らかい感触。
そうやってお空のことを考える度、胸の奥、ざわつくような、やきもきするような、そんな形容し難い感覚、不思議な気持ちに悩まされる。
いつも、どんなときも隣にいた、あたいの親友。さとり様に拾われる前からも、拾われてからも、苦楽を共にしてきた最高のパートナー。
お空はあたいにとってそんな存在だった。そして、これからもそうであるべきはず、なのに……どうして。なんで、こんな気持ち……
「ッ!」
不意に響く、乾いた木の音。
飛び上がるように体をびくつかせたあたいは、反射的に扉の方に向き直った。
ノックの仕方、漂う気配。そんな僅かで曖昧な情報からでも、あたいは扉の向こうに誰が居るのか分かってしまった。
「……お燐? 居る、よね? 入っていい?」
心音が激しくなるのがよく分かった。
きゅん、と、喉元の辺りが締め付けられるような感覚に襲われる。
唾を飲み込み、ゆっくりと深呼吸したあたいは、素早く鏡に向かい、ささっと身なりを整えると、どもらないよう慎重に言葉を発した。
「……いいよ」
カチャ、と、静かに扉が開く。
すると、恐る恐る、これまたらしくない表情をしたお空がひっそりと顔を出した。
丁寧な手付きで扉を閉め、重々しい足取りでこちらに近付いてくるその姿は、断首台へと歩を進める死刑囚のように見えた。
いつもなら、あまりにらしくないその様子を笑っているのだろうけど……今はそんな気分にもなれそうにない。
部屋に満ちる張り詰めた空気が、どうしようもなく心地悪かった。
そんな雰囲気をお空も感じているのか、部屋に入ってからも言葉を発さず、ばつが悪そうに下を向いてばかりいる。
嫌な沈黙。居たたまれない空気。
いざ話そうと思うにも、意識した途端に言葉は出なくなるもので、もういっそのこと逃げ出してしまおうかと考えたその時に、お空の震えた声が、静寂を破った。
「と、隣……」
「へっ……?」
「ベッド、座っていい……?」
「う、うん、 別に、いいけど……」
「……ありがとう」
そう一言言うと、お空はあたいが座ってる場所から結構な間隔を置いた場所に腰を下ろした。
そこからさらに、あたいとの間隔を調整するかのようにじりじりと離れていく。
不自然なまでに空いたあたいとお空とのその距離は、今のあたいたち、いや、あたいに対するお空の心の距離のようにも思えた。
……そりゃ、いくら普段能天気だからって、あの時のあたいの反応考えたら、流石のお空も罪悪感感じちゃうよね。
ビックリし過ぎてわけ分かんなくなっちゃったけど、傷付いてるわけでは無いのに……ああ、なんであたい、あんな風に……
「お燐」
「にゃっ、にゃいっ!?」
「嫌、だったよね……」
「……え?」
「朝の、こと。嫌、だったよね……? 私、お燐のこと、いっぱい、いっぱい傷付けちゃったよね……?」
「お、お空……?」
「私、バカだから……頭、悪いから……なんで、お燐が泣いたのか、全然分かんなくて……。
だから、さとり様に、教えてもらって……ごめん、なさい。ひぐっ……ごめんなさいおりぃんっ……!」
「……えっ、うぇえっっ!?」
わんわんと、まるで小さい子供のように大泣きを始めたお空。
その様子は何故か出てきたさとり様の名前と共に、あたいを混乱の海の中で溺れさせる。
どうして、お空が泣いてるの。さとり様に教えてもらったって、何を。
深く思考しようとしていたその時、お空の泣き顔が視界に映る。あぁ、もう、綺麗な顔、ぐしゃぐしゃに……
「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめ……ゃっ!?」
「……落ち着け、バカ。ほら、顔ぐしゃぐしゃ。じっとして」
「ぐずっ、んっ……」
涙と鼻水だらけになっているお空の顔を、丁寧にハンカチで拭う。
頭の中常春のこのバカが泣くなんてことは滅多にない。一体何がそんなに悲しいのか、さとり様に何を吹き込まれたのか、問い質す必要があるのだけれど……まずは、落ち着かせてから。
不意に、がし、とハンカチを持ったあたいの手を掴み、鼻までかみやがったバカヤローを軽く睨むと、あたいは大きく溜め息を吐いた。
「はぁ。ったく……ホント、バカなんだから……」
「ぐずっ……バカじゃ、ないもん……」
「寝言は寝て言え、バカ。へ、変なことしてきて、勝手に泣いて、謝って。一体何がしたいのさ……」
「ねぇ、おりぃん……私のこと、好き……? キライに、なってない……?」
「ほ、ホント、さっきから何言ってるんだお前」
「さとり様、言ってたの……おりんは、おくうのこと、ひぐっ、好きじゃないのかもね、って……」
「っ……」
「好きなのは、おくうだけで、おりんは、そんなことなくて……。
だから、す、好きでもないひとに、ぐずっ、いきなりそんなことされたらっ……キライになっちゃう、てぇ……たくさん、たくさん傷付く、ってぇぇっ……!」
「ば、バカ! そんなことないから泣くなっ! ただ、その、ビックリしただけで……嫌いになってもないし傷付いてもないからっ!」
普段は絶対に出さないような大声。
それはまるで魔法の言葉で、また、大泣きを始めようとしていたお空の時間をぴたりと止めた。
ぱちくりと瞬きをしたお空はあたいの目を見つめると、信じたい、でも信じれない、そんな表情をして問い掛けてきた。
「ホント……? ホントにおりん、嫌じゃなかった……?」
「あ、ああ、嫌じゃなかった」
「ホントに、ホント……? 嘘じゃない……?」
「……本当に本当だって。嘘じゃ、ない」
「……じゃあ、もう一度してもいいよね……。そういう、ことだよね……」
「……えっ? はっ? お空?」
間抜けな声色で、問いかけるように名前を呼んだその時にはもう、あたいはお空を見上げていた。腰掛けていたベッドに、押し倒されていた。
あまりにも自然過ぎたその行動はまるで瞬きのようで、あたいに抵抗の二文字を認識させなかった。
大きな黒い瞳が、涙で濡れて煌めいている。
宝石のようなそれに見惚れてしまっていたあたいは、ぎゅっ、と両手首を掴まれ、強く押さえ付けられるのを感じることで、ようやく状況を理解した。
「っ!? お、おおお、お空っ!? 待ってこれどういう」
「ふふ、おりん、顔真っ赤……髪の色と、お揃いだね……」
「そそっ、そんなこと訊いて」
「髪。いつもの三つ編みも可愛いけどね……そうやって髪下ろした時も、すっごく可愛いよ……?」
「~~~っ!?」
「チュウ、するね……」
「にゃっ!?」
お空の、顔っ、近付いてっ……!
「……? なんで、避けるの?」
「よよよ、避けるに決まってるだろバカぁぁっ!?」
「意味、わかんない……避けないで、お燐」
「っ……!」
お空は再度、あたいのそれに向けて唇を寄越してくる。
あたいはまた、反射的に顔をそらしてしまう。
やわらかくてあたたかい感触が、今度は右頬に触れた。顔が、かぁぁ、と熱くなるのを感じて、また、どうしようもなく恥ずかしくなって……
「……燐」
「!」
「どうして、避けるの」
「お、お空……? て、てか、なっ、なな、名前……!」
「ちゃんと答えて。どうして避けるの? 嫌じゃないんでしょ? なんで避けるの? 私、バカだからわかんないよ。ねえ、教えて? 教えてよ、燐」
「な、なううぅ……」
ドキドキ、ドキドキ。
あの時と、同じような感覚に襲われる。真剣な表情で見つめられ、凛と張り詰めた声で名前を呼ばれて。
ドキドキ、ドキドキ。
同じような感覚でも、その大きさは比べ物にならなくて。
桁外れに、今、この瞬間は……つい、さっきまでは小さい子供みたいに泣いてたくせに、今、この時は……
熱帯びた部屋、二人ぼっち、ベッドの上。長い沈黙が訪れていた。
あたいにとってそれは猶予の時間で、自分の気持ちを理解し、整理した上で、目の前の少女に想いを捧げなければいけないのだけれど。
……ずっと昔から芽生えていて、必死に圧し殺していた本当の気持ちを、今さらこんなとき、こんな場面で晒け出せと言われても、出来るはずがなかった。
いざ声に出し、言葉にしようとしても、何も言えない言葉にならない。
喉元で詰まり、ただただ嗚咽のような音を出すだけで、想いを伝える以前の問題だった。
猶予時間は、とっくに過ぎていた。
「……言って、くれないんだね、燐のキモチ」
「!! お、おくうっ、待って、あの、その、あたいはっ……!」
「もういいの。気にしないで。分かったから。ちゃんと、分かったから……燐のキモチ」
「ッッ……!!」
「ふふ、私って、やっぱりバカだね……最初から、こうしてれば良かったのに」
「お、くう……おまえ……」
「さとり様、こうやってたよね。こいし様のほっぺ、こうやって包んで。こうすると、避けられないし、逃げられないから。……二人とも、本当に、幸せそうだった」
「お、おくっ……!」
「私も―――――なぁ」
「!!」
「ごめんね、お燐」
お空はほんの数秒だけの口付けを終えると、あたいの部屋から逃げ出すように出ていった。
それがどれくらい前の出来事だったのかは、もう覚えていない。
頬に落ちた数滴の雫と、額に感じる温かい感触だけが、一人ぼっちになったあたいに残されていた。
後、後書きは次回への伏線かな?
さとりさん何吹き込んでるんですか、あんた心読めるでしょw
もしや確信犯(誤用)ですか流石ですねさどりさん
本文このオチ、後書きも予告って生殺しにも程がある
続編楽しみに待ってます
あると言ってくださいな
これで終わりとか生殺しにもほどがあります
お願いします
次を楽しみにしてます
とてもあなたの作品が好きです。気長にほんのり楽しみにしています。