「はぁい、フランの愛しのお姉様が遊びに来てあげたわよ」
「あータウンページ面白い」
「電話帳に負けた!?」
そんな訳でレミリアは妹の部屋に来たのだった。
紅魔館の当主であるにも関わらずほぼ全ての業務をメイド長にほっぽりだしているためレミリアは常に退屈である。
そんな退屈を潰す主な手段は、妹を愛でる、紅茶を飲む、神社に行く位なもので選択肢が圧倒的に少なかった。
「ちょっと、せっかく愛しのお姉様が来たのだから構いなさいよ」
「うるさいなぁ……今いいとこ何だから邪魔しないで」
「くっ、私の心を抉るためだけにタウンページなんてつまらない物を読み耽りおって…………腕がプルプルしているじゃないか」
「……お前なんかと会話するより遥かに楽しいなぁ!」
フランドールは姉に見せつけるため、これ見よがしにページをめくった。
選択肢の少なさが原因でほぼ毎日レミリアはフランドールの部屋にお邪魔している訳だ。
そんなレミリアをフランドールは
『べ、別に毎日構って貰えて嬉しくなんかないんだからね!!』
と思っていた。嬉しくないらしい。口調から言えば、むしろ激しく嫌悪しているようだ。間違いない。姉を疎ましく思っていなければこんな言葉は出て来ない訳であるからして、フランドールがレミリアを嫌っているのは確定的に明らかであろう。決して俗に言う、ツンデレなどと言うものではないのだ。そんな枠組みに分類したのならフランドールは激昂するだろう。
『ふ、ふざけないで!! 私がお姉……あいつの事を好きな訳ないでしょ!!』
と。
なんと不仲な姉妹なのだろうか。
「そ、そんな……。そ、そんな事言うと愛しのお姉様、霊夢の所に行っちゃうわよ?」
「……勝手にすれば? あといちいち愛しのって言うの止めて」
ウンザリしたように話すフランドール。
訪ねて来た姉なんてまったく興味ないような振る舞いである。
特に読みたくもないタウンページから目を逸らし、何気なく自分のベッドを眺めてみた。特に理由はない。しかし、それを視界に捉えてしまった。枕元に丁寧に置かれている黒い影。
(ま、まずい! 『あれ』を仕舞っていなかった!!!!)
『あれ』とやらを視たフランドールは今までのクールな雰囲気を一崩しに失った。体温が急速に高まり、体中から冷や汗が流れ出す。
果たして彼女をここまで取り乱す『あれ』とは一体なんなのであろうか。
……先延ばしするほどの物でもないので先に表明してしまえば『あれ』とは人形であった。
無論、495歳になって人形遊びしているのが恥ずかしいとかそんなちっぽけな理由ではない。
その人形は姉のレミリアを象っている一品であった。それも魔法の森特注でかなり精巧。丈夫かつ肌触り良し、と紅魔館の財源の一部をこっそり掠め盗ってフランドールが極秘裏に事を進めた物である。
その人形をフランドールは今までの恨み辛み込めて嬲ってストレス発散に役立てている…………訳ではない。
レミリア人形、フランドールはなんと毎日抱っこして眠っていた。愛しそうに甘えるように抱っこして眠っていた。
これだけでも相当驚愕に値するのだが、フランドールはその人形をさらにおままごとの相手にしていた。「はい、お姉様あ~ん」『あ~ん』「美味しい?」『美味しいわよ。流石私の妹だわ』「んもーそんなに褒めないでよぅ」とか料理なんて出来もしないのに一人二役で演じていた事もある。
(まずいまずいまずいまずい……)
フランドールは普段、姉を嫌悪するように振る舞っていた。それが彼女の矜持でもあった。つまり495歳にして恋愛に関する考え方は子供なのだ。
実際は嫌悪するどころか誰よりも姉を慕っている。
(お姉様の人形なんて物を大切にしてたなんてバレたら……)
今までの演技が全て嘘であると判ってしまう。そして自分が姉を好いている事も。
フランドールは己の失態に半ば思考が停止してしまっていた。
どうしてこの日ばっかり仕舞うのを失念していたんだ!
そんな事を考えて目を泳がすばかり。
しかし追い討ちをかけるようにレミリアもそんなフランドールの変調に気付いてしまった。
「どうしたのフラン?」
そう尋ね、フランドールの目線を追う…………
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
「きゃっ!?」
フランドールはタウンページを放り出した。そしてレミリアから隠すようにベッドにしがみつき、うつ伏せに倒れ込んだ。
レミリアは妹の奇行に目を見張る。
「え……何? ど、どうしたの?」
しかし、動かない。返事もない。
フランドールは人形を抱え込んでいるため身体を起こせないのだ。もちろん、そんな事をレミリアは知らない。
「フ、フラン? フランちゃーん?」
何を言っても返事がない。レミリアはしばらく羽をつついたり、スカートを捲ったりしていたが、いつまで経っても反応がない。
レミリアは溜め息を吐いた。罵詈雑言言われるよりも無視の方が辛いのだ。
「大好きなお姉様、神社行っちゃうよー?」
「…………」
「ホントにホントに行っちゃうわよ? ……下から三段目に仕舞ってあるドロワ被っちゃうわよ?」
「…………」
「止めなくていいの? いいの?」
「……勝手に、すれば……」
ようやく、くぐもった声が返って来た。心なしか拗ねた子供のような声だ。
「んもう」
レミリアも観念したようにフランドールに背を向ける。扉まで歩き、一度振り向いたが、やはりうつ伏せのまま動く様子がない。そうしてレミリアはドロワを頭に穿き名残惜しそうに部屋を出て行った。
□ □ □
さて、レミリアは吸血鬼である。それは周知の事実。
吸血鬼の弱点は日光。だから昼間に神社に赴く時は日傘が必要だ。
「うん、壊れてる」
だがレミリアの言った通り日傘は壊れていた。骨組みが折れたとか、破けているとかそんなものではない。端から端まで、完膚無きまでに壊れている。
「フランの部屋に行った後、必ずこうなのよねー。全く、誰だか知らないけど、こうまでして私に出掛けて欲しくないのかしら」
砕け散った日傘の一片を拾い上げる。
「しかし、この壊れ方……まるでフランの能力のよう……いや、フランは違うって言ってたし、それはないない」
レミリアは決して愚かではない。思考は子供のそれだが、500年生きているだけ時々物事の本質を貫く言を呟く事もある。
しかし。
『ねぇ、フラン。もしかして私の日傘を壊しているのはフランの仕業?』
『ち、ちちちち違う。違う違う違う違う……違うよ? いや、ホントに。う~ん…………違うね、うん、違う』
『手がカタカタ震えて、紅茶が零れてて、いつもと比べてだいぶ様子がおかしいけど、違うって言ってるしフランじゃないわね』
“レミリアは妹の言葉は必ず信じてしまうのだ。”
レミリアは全く気付いていないが、実のところ、日傘を壊すのはフランドールなりのアプローチであった。
賢いが鈍い。
レミリアはそういう感じだった。
「仕方ない。フランのとこ行こ」
□ □ □
「ぷはっ!」
ようやくベッドから身を起こした。
辺りを見回しても姉の姿はない。
「あ、危なかった……」
フランドールは安堵する。
「さて、お姉様が戻って来るまでに隠さないと……」
次にレミリア人形を大切に抱えたまま隠し場所を吟味し始めた。
ベッドに腰掛け、形のいい顎に手を当て思索する。
(ベッドの下……駄目だ駄目だ! そこは何だか絶対見つかる気がする! 他のどんな場所よりもベッドの下だけは駄目な気がする! ここに隠した瞬間私の命運は尽きる気がする……私の第六感がそう告げている!)
(そうだ、床下収納があった! そこなら大丈夫。絶対判らない。お姉様もこんな所を開けようなんて思わないはず!)
「フラーン、紅茶淹れてきたわよー」
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
結局近かったベッドの下に慌てて隠した。
「…………どうしたの? 今、ベッドの下に何か」
「ななな何でもない何でもない!! ベッドの下には何にもない! そんな事より紅茶飲もう! うん、それがいい! そうしようそうしよう!」
フランドールは無理やり作った笑顔を貼り付け、姉の背中を押して強引にソファに追いやる。
「もー、慌てないの。そんなに大好きなお姉様とのお茶会が待ちきれないのかしら」
「っ! う、うんー待ちきれなーいー。だから座って早く座って今すぐ座って」
「はいはい」
フランドールが楽しみにしていると勘違いしているレミリア、稀に見る輝かしい笑顔だ。言われるまま大人しくソファに腰掛ける。
そんな事よりもフランドールはこの場をどう乗り切るのかに思考を巡らしていた。
(さっきはああ考えてたけど案外ベッドの下って影で暗くて見えないんだな……一時はどうなるかと思ったけど大丈夫かな)
ベッドの下には深い影が身を落としていた。少なくとも今レミリアが座っているソファから人形を視認するのは不可能だろう。
(うん、いける! 隠し通せる!)
フランドールは心の中で拳を握り締めた。
「お姉様ね、フランとこうして2人っきりでお茶するのを夢見てたのよ。だから紅茶の淹れ方だって1から勉強したのよ」
「へぇ。飲めるものが出てくるといいね」
そう、つれなく答えたものの、フランドールの内心は大歓喜であった。今までのお茶会と言えば付き人が必ず控えていたので2人っきりではなかった。それが不満の種だったのだ。
もちろん、そんな事は言えないフランドールであった。
「こんな日が来るとは思わなかった……。昔の私は……いや、止めておくわ」
「……お姉様」
目を伏せたレミリアの睫毛が薄い影を作る。その様子が儚げで、余りにも美しかった。フランドールは高鳴る心臓を抑え込むのに必死になる。
顔が熱い。不意打ちは卑怯だと思った。
「べ、別に地下室に監禁された事なんか気にしてないし。不便なんてなかったし……むしろ、そんな事をいつまでもうじうじ言ってる方が愚かなのさ」
「フラン……ふふっ、ありがとう」
フランドールは顔を背けた。屈託なく笑う姉を見てしまったら、ポーカーフェイスを保つ自信がなかったのだ。
指に髪を巻いて必死に照れを誤魔化した。
「あっ、ティースプーンが……」
カラン、カラン。
ティースプーンがテーブルの上から落下したようだ。
軽い金属音を立て、ベッド下に転がり落ち……
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
多分、生まれて初めてベッドの下に全力ダイブをした。
あった。ちょうどレミリア人形の足元に落ちている。上半身をねじ込みスプーンに手を伸ばす。
「は、はいスプーン! 気を付けてね!!」
「あら、ありがとう」
一応、フランドールの方がベッドの近くに座っているとはいえ油断ならなかった。
レミリアは紅茶を淹れる作業を再開した。
「あ、茶葉が……」
カツン、コロコロ……
洒落た瓶に紅茶の葉は容れられている。それが重力に従ってテーブルから落ちた。
コロコロと渇いた音を立て、ベッド下に転がっていく……
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
本日2度目の全力ダーイブ! 最速記録更新!
「気を……!! 気を付けてね!!!!」
「ごめんねぇ、まだ不慣れみたい」
レミリアは紅茶を淹れる作業を再開した。
フランドールは息を切らしてソファに倒れ込む。冷や汗を拭う。
「あっ! ティーカップが!」
パリン!
今度は激しい音。落ちたティーカップは細かく割れ、四散してしまった。
破片の一部も当然のようにベッドの下に飛び散った。
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
「フラン! 動いちゃ駄目! 怪我したらどうするの」
慌ててベッドの下の破片を回収しようとしたフランドールだがレミリアに無理やり止められてしまった。
「掃除なら私がやる! 私がやるからお前は紅茶淹れてて!」
「駄目! フランは座ってなさい」
「いやいやいやいや私がやる! ホント大丈夫だから! 私割れたティーカップを掃除するのが夢だから! 小さい頃から夢だったから!!」
「何言っても駄~目! フランが怪我したらお姉様失神してしまうわ。ミゼラブルフェイト」
「えっちょっ何するの!?」
瞬く間にフランドールは紅い鎖によってソファに固定されてしまった。鎖が嫌に冷たく感じる。
「ごめんねーすぐ掃除終わらせて紅茶淹れてあげるからね?」
「ちょっと! 離してよ! あっ! 今すっごいトイレ行きたい!! 大いにトイレを感じる! 今すぐ行かないとアレしちゃう!」
「はーいはい。ちょっと待っててね~。……あら、ベッドの下にまで破片が飛んでるじゃない。……ん? 何かしらあれ」
「あっちょっと待って! そこ駄目! そこ駄目なの!! そこ見ちゃだめぇぇ!!」
唯一自由な脚を振り回してもレミリアのスカートにすら届かない。
ただ目の前でベッドの下に手を伸ばすレミリアを見守るしかなかった。
「よいしょっと。何かしら、人形? 私の人形?」
「あ、あ、あぁぁ…………」
喉から息が漏れる。とうとう見つかってしまったのだ。それも一番知られたくなかった人に。
「えっ、何々~? フランったら私の人形なんて持ってたのー? かーわいいー!!」
「ううぅ……」
瞬時にして顔が熟れたリンゴのように赤くなった。体が熱い。
「フランちゃんはお姉様が大好きなのねー?」
「ち、違っ!」
「私の人形で何してたのかなー? 寝る時寂しいから抱っこしたり、おままごとで『あ~ん』とかしちゃったり、キスの練習とかしてたのかな?」
「キスの練習はしてない!」
「え……? キス以外してたの……?」
「あ、いや、もちろんそんな事してないよ? そんな子供みたいな真似なんかしないよ?」
「そうよね。495歳でそんな事はしないわよねー。……まぁ、してもお姉様は一向に構わないわよ!」
「し、しないよ!!」
そうは言ったがフランドールは内心冷や冷やだ。先程から変な汗が止まらない。目もドーバー海峡分くらい泳いでいる気がする。
それでもフランドールは真っ白な頭でこの状況を打破する術を必死で考えていた。
「じゃあフランちゃんはお姉様の人形で何してたのかなー?」
ニヤニヤと嬉しそうに尋ねる姉が小憎らしい。ぷいと顔を背けた。
用は姉の事が大好きという事実が隠し通せれば良いわけだ。
そこで思い出す。
姉の人形を所持している=姉が大好き
ではない事に。
「この人形は……」
「え、なあに?」
もう、フランドールは破れかぶれだった。
「この人形は今までのお姉様に対する恨み辛み込めて嬲ってストレス発散に役立てているのさ!!」
改めてもう一度言っておこう。
“レミリアは妹の言葉は必ず信じてしまうのだ。”
それがどんなに簡単な嘘だとしても。
「え…………」
そしてレミリアはフランドールがデレるまで自室に引きこもってしまった。
最後に見た彼女の表情はまるでこの世が終わるかのようだっと後にメイド長は語る。
「あータウンページ面白い」
「電話帳に負けた!?」
そんな訳でレミリアは妹の部屋に来たのだった。
紅魔館の当主であるにも関わらずほぼ全ての業務をメイド長にほっぽりだしているためレミリアは常に退屈である。
そんな退屈を潰す主な手段は、妹を愛でる、紅茶を飲む、神社に行く位なもので選択肢が圧倒的に少なかった。
「ちょっと、せっかく愛しのお姉様が来たのだから構いなさいよ」
「うるさいなぁ……今いいとこ何だから邪魔しないで」
「くっ、私の心を抉るためだけにタウンページなんてつまらない物を読み耽りおって…………腕がプルプルしているじゃないか」
「……お前なんかと会話するより遥かに楽しいなぁ!」
フランドールは姉に見せつけるため、これ見よがしにページをめくった。
選択肢の少なさが原因でほぼ毎日レミリアはフランドールの部屋にお邪魔している訳だ。
そんなレミリアをフランドールは
『べ、別に毎日構って貰えて嬉しくなんかないんだからね!!』
と思っていた。嬉しくないらしい。口調から言えば、むしろ激しく嫌悪しているようだ。間違いない。姉を疎ましく思っていなければこんな言葉は出て来ない訳であるからして、フランドールがレミリアを嫌っているのは確定的に明らかであろう。決して俗に言う、ツンデレなどと言うものではないのだ。そんな枠組みに分類したのならフランドールは激昂するだろう。
『ふ、ふざけないで!! 私がお姉……あいつの事を好きな訳ないでしょ!!』
と。
なんと不仲な姉妹なのだろうか。
「そ、そんな……。そ、そんな事言うと愛しのお姉様、霊夢の所に行っちゃうわよ?」
「……勝手にすれば? あといちいち愛しのって言うの止めて」
ウンザリしたように話すフランドール。
訪ねて来た姉なんてまったく興味ないような振る舞いである。
特に読みたくもないタウンページから目を逸らし、何気なく自分のベッドを眺めてみた。特に理由はない。しかし、それを視界に捉えてしまった。枕元に丁寧に置かれている黒い影。
(ま、まずい! 『あれ』を仕舞っていなかった!!!!)
『あれ』とやらを視たフランドールは今までのクールな雰囲気を一崩しに失った。体温が急速に高まり、体中から冷や汗が流れ出す。
果たして彼女をここまで取り乱す『あれ』とは一体なんなのであろうか。
……先延ばしするほどの物でもないので先に表明してしまえば『あれ』とは人形であった。
無論、495歳になって人形遊びしているのが恥ずかしいとかそんなちっぽけな理由ではない。
その人形は姉のレミリアを象っている一品であった。それも魔法の森特注でかなり精巧。丈夫かつ肌触り良し、と紅魔館の財源の一部をこっそり掠め盗ってフランドールが極秘裏に事を進めた物である。
その人形をフランドールは今までの恨み辛み込めて嬲ってストレス発散に役立てている…………訳ではない。
レミリア人形、フランドールはなんと毎日抱っこして眠っていた。愛しそうに甘えるように抱っこして眠っていた。
これだけでも相当驚愕に値するのだが、フランドールはその人形をさらにおままごとの相手にしていた。「はい、お姉様あ~ん」『あ~ん』「美味しい?」『美味しいわよ。流石私の妹だわ』「んもーそんなに褒めないでよぅ」とか料理なんて出来もしないのに一人二役で演じていた事もある。
(まずいまずいまずいまずい……)
フランドールは普段、姉を嫌悪するように振る舞っていた。それが彼女の矜持でもあった。つまり495歳にして恋愛に関する考え方は子供なのだ。
実際は嫌悪するどころか誰よりも姉を慕っている。
(お姉様の人形なんて物を大切にしてたなんてバレたら……)
今までの演技が全て嘘であると判ってしまう。そして自分が姉を好いている事も。
フランドールは己の失態に半ば思考が停止してしまっていた。
どうしてこの日ばっかり仕舞うのを失念していたんだ!
そんな事を考えて目を泳がすばかり。
しかし追い討ちをかけるようにレミリアもそんなフランドールの変調に気付いてしまった。
「どうしたのフラン?」
そう尋ね、フランドールの目線を追う…………
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
「きゃっ!?」
フランドールはタウンページを放り出した。そしてレミリアから隠すようにベッドにしがみつき、うつ伏せに倒れ込んだ。
レミリアは妹の奇行に目を見張る。
「え……何? ど、どうしたの?」
しかし、動かない。返事もない。
フランドールは人形を抱え込んでいるため身体を起こせないのだ。もちろん、そんな事をレミリアは知らない。
「フ、フラン? フランちゃーん?」
何を言っても返事がない。レミリアはしばらく羽をつついたり、スカートを捲ったりしていたが、いつまで経っても反応がない。
レミリアは溜め息を吐いた。罵詈雑言言われるよりも無視の方が辛いのだ。
「大好きなお姉様、神社行っちゃうよー?」
「…………」
「ホントにホントに行っちゃうわよ? ……下から三段目に仕舞ってあるドロワ被っちゃうわよ?」
「…………」
「止めなくていいの? いいの?」
「……勝手に、すれば……」
ようやく、くぐもった声が返って来た。心なしか拗ねた子供のような声だ。
「んもう」
レミリアも観念したようにフランドールに背を向ける。扉まで歩き、一度振り向いたが、やはりうつ伏せのまま動く様子がない。そうしてレミリアはドロワを頭に穿き名残惜しそうに部屋を出て行った。
□ □ □
さて、レミリアは吸血鬼である。それは周知の事実。
吸血鬼の弱点は日光。だから昼間に神社に赴く時は日傘が必要だ。
「うん、壊れてる」
だがレミリアの言った通り日傘は壊れていた。骨組みが折れたとか、破けているとかそんなものではない。端から端まで、完膚無きまでに壊れている。
「フランの部屋に行った後、必ずこうなのよねー。全く、誰だか知らないけど、こうまでして私に出掛けて欲しくないのかしら」
砕け散った日傘の一片を拾い上げる。
「しかし、この壊れ方……まるでフランの能力のよう……いや、フランは違うって言ってたし、それはないない」
レミリアは決して愚かではない。思考は子供のそれだが、500年生きているだけ時々物事の本質を貫く言を呟く事もある。
しかし。
『ねぇ、フラン。もしかして私の日傘を壊しているのはフランの仕業?』
『ち、ちちちち違う。違う違う違う違う……違うよ? いや、ホントに。う~ん…………違うね、うん、違う』
『手がカタカタ震えて、紅茶が零れてて、いつもと比べてだいぶ様子がおかしいけど、違うって言ってるしフランじゃないわね』
“レミリアは妹の言葉は必ず信じてしまうのだ。”
レミリアは全く気付いていないが、実のところ、日傘を壊すのはフランドールなりのアプローチであった。
賢いが鈍い。
レミリアはそういう感じだった。
「仕方ない。フランのとこ行こ」
□ □ □
「ぷはっ!」
ようやくベッドから身を起こした。
辺りを見回しても姉の姿はない。
「あ、危なかった……」
フランドールは安堵する。
「さて、お姉様が戻って来るまでに隠さないと……」
次にレミリア人形を大切に抱えたまま隠し場所を吟味し始めた。
ベッドに腰掛け、形のいい顎に手を当て思索する。
(ベッドの下……駄目だ駄目だ! そこは何だか絶対見つかる気がする! 他のどんな場所よりもベッドの下だけは駄目な気がする! ここに隠した瞬間私の命運は尽きる気がする……私の第六感がそう告げている!)
(そうだ、床下収納があった! そこなら大丈夫。絶対判らない。お姉様もこんな所を開けようなんて思わないはず!)
「フラーン、紅茶淹れてきたわよー」
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
結局近かったベッドの下に慌てて隠した。
「…………どうしたの? 今、ベッドの下に何か」
「ななな何でもない何でもない!! ベッドの下には何にもない! そんな事より紅茶飲もう! うん、それがいい! そうしようそうしよう!」
フランドールは無理やり作った笑顔を貼り付け、姉の背中を押して強引にソファに追いやる。
「もー、慌てないの。そんなに大好きなお姉様とのお茶会が待ちきれないのかしら」
「っ! う、うんー待ちきれなーいー。だから座って早く座って今すぐ座って」
「はいはい」
フランドールが楽しみにしていると勘違いしているレミリア、稀に見る輝かしい笑顔だ。言われるまま大人しくソファに腰掛ける。
そんな事よりもフランドールはこの場をどう乗り切るのかに思考を巡らしていた。
(さっきはああ考えてたけど案外ベッドの下って影で暗くて見えないんだな……一時はどうなるかと思ったけど大丈夫かな)
ベッドの下には深い影が身を落としていた。少なくとも今レミリアが座っているソファから人形を視認するのは不可能だろう。
(うん、いける! 隠し通せる!)
フランドールは心の中で拳を握り締めた。
「お姉様ね、フランとこうして2人っきりでお茶するのを夢見てたのよ。だから紅茶の淹れ方だって1から勉強したのよ」
「へぇ。飲めるものが出てくるといいね」
そう、つれなく答えたものの、フランドールの内心は大歓喜であった。今までのお茶会と言えば付き人が必ず控えていたので2人っきりではなかった。それが不満の種だったのだ。
もちろん、そんな事は言えないフランドールであった。
「こんな日が来るとは思わなかった……。昔の私は……いや、止めておくわ」
「……お姉様」
目を伏せたレミリアの睫毛が薄い影を作る。その様子が儚げで、余りにも美しかった。フランドールは高鳴る心臓を抑え込むのに必死になる。
顔が熱い。不意打ちは卑怯だと思った。
「べ、別に地下室に監禁された事なんか気にしてないし。不便なんてなかったし……むしろ、そんな事をいつまでもうじうじ言ってる方が愚かなのさ」
「フラン……ふふっ、ありがとう」
フランドールは顔を背けた。屈託なく笑う姉を見てしまったら、ポーカーフェイスを保つ自信がなかったのだ。
指に髪を巻いて必死に照れを誤魔化した。
「あっ、ティースプーンが……」
カラン、カラン。
ティースプーンがテーブルの上から落下したようだ。
軽い金属音を立て、ベッド下に転がり落ち……
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
多分、生まれて初めてベッドの下に全力ダイブをした。
あった。ちょうどレミリア人形の足元に落ちている。上半身をねじ込みスプーンに手を伸ばす。
「は、はいスプーン! 気を付けてね!!」
「あら、ありがとう」
一応、フランドールの方がベッドの近くに座っているとはいえ油断ならなかった。
レミリアは紅茶を淹れる作業を再開した。
「あ、茶葉が……」
カツン、コロコロ……
洒落た瓶に紅茶の葉は容れられている。それが重力に従ってテーブルから落ちた。
コロコロと渇いた音を立て、ベッド下に転がっていく……
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
本日2度目の全力ダーイブ! 最速記録更新!
「気を……!! 気を付けてね!!!!」
「ごめんねぇ、まだ不慣れみたい」
レミリアは紅茶を淹れる作業を再開した。
フランドールは息を切らしてソファに倒れ込む。冷や汗を拭う。
「あっ! ティーカップが!」
パリン!
今度は激しい音。落ちたティーカップは細かく割れ、四散してしまった。
破片の一部も当然のようにベッドの下に飛び散った。
「う、うわぁぁああああああぁあああああ!!」
「フラン! 動いちゃ駄目! 怪我したらどうするの」
慌ててベッドの下の破片を回収しようとしたフランドールだがレミリアに無理やり止められてしまった。
「掃除なら私がやる! 私がやるからお前は紅茶淹れてて!」
「駄目! フランは座ってなさい」
「いやいやいやいや私がやる! ホント大丈夫だから! 私割れたティーカップを掃除するのが夢だから! 小さい頃から夢だったから!!」
「何言っても駄~目! フランが怪我したらお姉様失神してしまうわ。ミゼラブルフェイト」
「えっちょっ何するの!?」
瞬く間にフランドールは紅い鎖によってソファに固定されてしまった。鎖が嫌に冷たく感じる。
「ごめんねーすぐ掃除終わらせて紅茶淹れてあげるからね?」
「ちょっと! 離してよ! あっ! 今すっごいトイレ行きたい!! 大いにトイレを感じる! 今すぐ行かないとアレしちゃう!」
「はーいはい。ちょっと待っててね~。……あら、ベッドの下にまで破片が飛んでるじゃない。……ん? 何かしらあれ」
「あっちょっと待って! そこ駄目! そこ駄目なの!! そこ見ちゃだめぇぇ!!」
唯一自由な脚を振り回してもレミリアのスカートにすら届かない。
ただ目の前でベッドの下に手を伸ばすレミリアを見守るしかなかった。
「よいしょっと。何かしら、人形? 私の人形?」
「あ、あ、あぁぁ…………」
喉から息が漏れる。とうとう見つかってしまったのだ。それも一番知られたくなかった人に。
「えっ、何々~? フランったら私の人形なんて持ってたのー? かーわいいー!!」
「ううぅ……」
瞬時にして顔が熟れたリンゴのように赤くなった。体が熱い。
「フランちゃんはお姉様が大好きなのねー?」
「ち、違っ!」
「私の人形で何してたのかなー? 寝る時寂しいから抱っこしたり、おままごとで『あ~ん』とかしちゃったり、キスの練習とかしてたのかな?」
「キスの練習はしてない!」
「え……? キス以外してたの……?」
「あ、いや、もちろんそんな事してないよ? そんな子供みたいな真似なんかしないよ?」
「そうよね。495歳でそんな事はしないわよねー。……まぁ、してもお姉様は一向に構わないわよ!」
「し、しないよ!!」
そうは言ったがフランドールは内心冷や冷やだ。先程から変な汗が止まらない。目もドーバー海峡分くらい泳いでいる気がする。
それでもフランドールは真っ白な頭でこの状況を打破する術を必死で考えていた。
「じゃあフランちゃんはお姉様の人形で何してたのかなー?」
ニヤニヤと嬉しそうに尋ねる姉が小憎らしい。ぷいと顔を背けた。
用は姉の事が大好きという事実が隠し通せれば良いわけだ。
そこで思い出す。
姉の人形を所持している=姉が大好き
ではない事に。
「この人形は……」
「え、なあに?」
もう、フランドールは破れかぶれだった。
「この人形は今までのお姉様に対する恨み辛み込めて嬲ってストレス発散に役立てているのさ!!」
改めてもう一度言っておこう。
“レミリアは妹の言葉は必ず信じてしまうのだ。”
それがどんなに簡単な嘘だとしても。
「え…………」
そしてレミリアはフランドールがデレるまで自室に引きこもってしまった。
最後に見た彼女の表情はまるでこの世が終わるかのようだっと後にメイド長は語る。
フラン可愛い。けど妹の事となると素直おバカになっちゃうレミリアも可愛い。
ごちそうさまでした。ありがとうございました。
メイド長苦労してますなあ
いったいどこにツンがあったんだ?wwwwwww