野山の木々が真っ赤に染まり、人里近くの林も程よく色づき始めた秋の半ば。
現実と虚構の境界にひっそりと存在する幻想郷。
現世で忘れ去られ消えていくあらゆるものがここに集まってくる。
具体的には、現世で人間に追いやられた魑魅魍魎の類や、信仰がなくなり居場所を失った神様などが集まってくる。
その一画に妖怪の山と呼ばれる大きな山がある。
名前の通り、人里の者がよほどの理由が無い限り立ち入らない危険な山の中に一本の大きな川が流れていた。
流れは妖怪の山の七合目あたりにある湖から始まっているが、麓まで流れ着く前に大きな滝がある。
その光景は、ちょうど紅葉が盛りという事もあって、滝の雄大さが際立ち、ぽつぽつと落ち葉も川を流れていた。
その滝の裏には、滝から落ちる水の落下エネルギーによって、滝つぼの岩が削れてできた、広い空間が存在し、そこには小さな庵がある。
今、中で二人の天狗が大将棋を打っていた。
天狗たちはこの滝の上、上流へ上ったところにある天狗の里の住人である。
「もみじちゃん。まだ~?」
もみじちゃんこと犬走 椛は、狼の白い耳が頭についており、やはり白い髪とふさふさした尻尾が特徴の白狼天狗である。
椛はお世辞にも優勢とは言えない自分の局面を見て、うんうん唸っていたが、状況を打開する手が思いつかず無難に逃げの手を挿した。
(う~、ここが安全かな?)
「ふ~ん。そう来るか~」
しかし、対戦相手である黒髪の鴉天狗はその展開すでに想定済みといった態で自手を打つ。
そして、数手後には、いつの間にか相手の王将が逃げられない包囲陣を完成させてしまう。
(つっ、詰んでしまった・・・)
「もみじちゃん!王手だよ~!どうする?どうする?」
対戦相手の鴉天狗は勝利の笑みを浮かべながら、椛に何かを期待する口調で言った。
「う~。文様。まいりました」
「やったあ!私の勝ち!」
椛が耳をシュンと垂らして降伏すると、文様こと射命丸 文は両手を上げて喜んだ。
「じゃ、これはあたしがもらうね!」
そう言うと文は、賭けていた茶菓子の椛饅頭をほおばる。
「何でまた負けてしまったんだ・・・」
椛が顎に手を当て真剣に考えたが、まったく検討がつかない。文がお茶を啜る。
「ん~。椛は、リスクを避けて逃げ回る打ち方してるからね。それだけじゃ、私には勝てないわ」
「うぐっ」
文の指摘に、椛は苦虫を噛み潰した気分になった。
確かに思い返してみると、今までの自分はリスクを避け、逃げの一手を打ちながら、攻勢に出るチャンスを待っていた。
しかし、実際は文に良い様に追い詰められていただけなのかもしれない。
「次は絶対勝ちますからね」
「ふふ~ん。まっ、せいぜいがんばることね」
椛は、勝負に負けたくやしさから負け惜しみを言ったが、文は余裕の微笑をうかべてそれに答えた。
文は、二つ目の椛饅頭をほおばりながら、ふと壁に掛けられた知り合いの河童が造った時計に目をやった。十二支がそれぞれの時間に対応し、針がそれらの干支をさして時間
を示すタイプのものである。ちょうど、午の刻が半分を過ぎた当たりであった。
「あっ。取材忘れてた」
文はそう言うと、残っていた椛饅頭を一気にほおばり、お茶でそれを流し込むと、脇に置いておいた使い込まれた古いカメラと、やはり使い込まれた古く分厚い手帳を持って
急いで取材に行こうとした。
「文様。待ってください。烏帽子、烏帽子」
椛は、文が天狗のトレードマークである烏帽子を忘れている事に気づき、いそいでそれを渡した。
「ありがとう。椛」
文は受け取った烏帽子をかぶり、顎紐を素早く結んだ。
そしてそのまま、飛び出していく勢いであったが、ふと何かを思い出したように立ち止まる。
「そうそう、椛。たぶん来ないと思うけど、侵入者が来て自分じゃ撃退できないと思ったら、無理せず里に報告するのよ。あなたはまだ、スペルカードが扱えないのだから」
「文様。大丈夫です。たとえスペルカードが使えなくとも、日ごろ鍛錬している剣術があります。大抵の相手なら、勝てる自信はあります」
少し心配そうな顔の文に、胸を張って答える椛。
「ああ。あの「の」の字切りね。私も初めてみた時は少し驚いたわ」
「う~。「の」の字切りと言わないでください」
文は、あははと軽く笑った後、真顔になる。
「でも、無理は絶対ダメだよ!」
「はい。任せてください。」
「じゃ、よろしくね」
文は最後に、にぱッと笑うと風の如く取材に出かけた。椛は文を見送った後、庵に戻り先ほど負けた大将棋の研究を始めた。
***
文が出かけてからしばらくの間、椛は大将棋の本を片手にさきほどの対局をおさらいしていた。
「う~ん。ここで攻めていれば、文様に包囲されなかったなぁ。やはり、安全策ばかりとるのではなく、リスクをおかして攻める事も必要かぁ」
ずっと将棋盤と本を交互ににらんでいた性か疲れたので、ぱたんと本を閉じて、腰にたまっていた軽い疲労をほぐす様に背伸びをした。
その時であった。
「?。何かが近づいてくる?」
天狗の里を侵入者から守る自警団の歩哨として、暇つぶしをしていても何かが近づいてくる気配を感じとる事は椛にとって造作もない事だった。
「侵入者か」
椛は、立ち上がるとすぐに庵の入り口に立てかけておいた愛用の剣と盾を取って、滝の正面に出た。
気配は山の下の方、川の下流からこちらに近づいて来る。
椛は、持ち前の能力である、はるか遠くまではっきりと見渡せる千里眼を生かし、下流の方を注意深く見渡す。
「見えた」
何者かが、たった一人でこちらに飛んでくる姿を椛ははっきりと認めた。
「見たところ、巫女のようだが」
髪型と服装から人間の巫女とわかったが、許可がある者以外は誰であろうとここを通してはならなかったので、巫女の進路を遮るように椛は立ちふさがる。
「止まってください。何者です」
「私は博霊神社の巫女、博霊霊夢よ」
椛は、その名前に聞き覚えがあった。
この世界、幻想郷の巫女と呼ばれ、今までに数々の異変を解決し、その勇名は天狗社会でも誰もが知っている事であった。
「博霊の巫女が、妖怪の山に何のようです」
「異変を解決しに来たのよ」
ふと椛は考えたが、そんな報告はなく、心当たりもない。
「この山に異変などおこってはいません。お引取りください」
「いいえ。起こっているわ。この山の頂上に出来た神社でね。だから、ここを通しなさい」
山の頂上に出来た神社という言葉に、引っ掛かりを覚えはしたものの、"はいそうですか"と、通すわけには行かない。
「通すわけには行きません」
「なんでよ!」
「この先は我々の天狗の領域ゆえ、大天狗様の許可がある者以外は通せません」
「ちょっと通るだけよ」
「それでも、できません」
「あ~もう。埒があかないわ。兎に角、ここを通しなさい。さもないと、力ずくでも通るわよ」
霊夢は相手が説得に応じないので、痺れを切らして、右手の大幣(おおぬさ)を構えた。
左手にもお札が数枚握られている。
「残念です」
椛も、招かれざる客人を素直に通すわけには行かないので、盾を前へ突き出すように構えて霊夢の出方を窺った。
それが勝負開始の合図だった。
霊夢は左手のお札を一枚ずつ、相手に向かって投げた。
投げられたお札は一枚ずつのはずだが、それらが何枚にも増えて、何層にもなるお札の幕を形成して椛に襲い掛かった。
椛の千里眼を持ってしても、お札が増えた仕掛けを見破る事は出来なかったが、それらの軌道は瞬時に見極められた。
避けれるものは避け、避けれないものは軌道に剣の刃先を合わせて切り捨てた。
「流石に道中の雑魚とは違うわね。でも、守っているだけじゃ、私を倒す事は出来ないわ」
「そうですね。それでは今度はこちらから」
椛は言うが早いか、剣を素早く振り、その切先で空気を切り裂いて作った真空波をいくつか角度をつけて放つ。
霊夢は迫り来る真空波を身一つくらい動かすくらいの無駄の無い動作で、それらを全て避けきった。
しかし、回避コースを読んで、その先に回りこんでいた椛が、剣を上段に構え、霊夢へ切りかかる。
怯む事無く木製の大幣でそのまま椛の剣を受け止めたが、持ち主の霊力で強化されている大幣は切り落とされる事無く、更に続く椛の斬撃を受け止めた。
「ふん!」
掛け声とともに椛の剣を払い除け、体勢を崩させる。
さらに、その隙を使って距離を取りつつ封魔針を投げた。
椛は、すばやく体勢を戻すと盾を掲げてその針を防ぐ。
(くっ。一撃が何て重いんだ)
華奢な人間の体に、大幣といえども木の棒から繰り出されるものとは思えなかった。
「なかなかやるわね。まだ、使いたくはなかったけどこれで一気に勝負をきめるわ」
霊夢はそでの中から御札とは違う、一枚のカードを出した。
(スペルカード!!)
椛には、何となくそれが文が出かけ際に注意した例のカードだと分かった。そして、その危険性も。
「そう簡単には、やられませんよ」
強がってみたものの、相手のスペルカードを前にして唾を飲み下す。
「どうかしらね?霊符 夢想封印!」
霊夢のスペルカードから、光りの玉がいくつか飛び出し、狙い済ましたように椛へと迫る。
(くっ。早い。避けられるのか?)
光りの玉は、一般的な天狗のスピードに追従できるぐらいの速さを備えていた。
しかし、椛も下っ端いえど前線勤務の見回り天狗。並みの天狗よりは早く動ける。
そのおかげか、初弾は避けられた。
だが、流石は博霊の巫女のスペルと言うか、チャチなものではない。
(なっ!!)
初弾は避けられたが、続く二発目は椛の回避コースに合わせるように軌道を変え、眼前に迫っていた。
(ホーミング弾!)
椛は瞬時に反応して、直角に折れ曲がるように飛び上がり、どうにか二発目を避けられたが、そのせいで大きくバランスを崩してしまい、追従して急速上昇してくる三発目以降は避けられそうにない。
(耐えて)
椛は、祈る思いで盾を構えた。そこへ、三発目が盾に直撃してその激しい振動が、それを持っている左手を通して全身へと伝わる。
祈りが通じたのか、盾は少し焦げた程度で目立った損傷もなく、光りの玉の直撃を耐えた。
同様に、四発目、五発目、六発目と光りの玉を盾で防いだ。が、最後の光りの玉を受けたとき、左頬に何かが掠った様な感覚を覚えた。
両手が塞がっているので、舌でその辺りを舐めてみると、独特の鉄の味が舌先にはしる。
(血の味・・・)
そして盾に目をやると、最後の一発で軽くひびが入ったらしく、少し欠けていた。どうやら、その破片で左頬を切ったらしい。
(次にあのスペルを使われたら確実にやられてしまう)
「これで、実力の差が分かったかしら?」
霊夢の言葉には、最後の警告と言わんばかりの、圧力があった。
そして、椛の心の内に「撤退」の文字が浮かび上がる。
見回り天狗たちには、自分の実力で侵入者が撃退できない場合、天狗の里に侵入者の報告、応援を要請するため逃げ帰る事が許されている。
下っ端天狗とは言え、天狗特有の快足についてくる者など、そうはいないからである。
だが、椛は今朝の大将棋を思うと、このまま逃げていいのか、と心に引っかかった。
確かに、博霊の巫女は強い。しかし、こちらもまだ、全力を出したわけではなく、スペルカードに対抗する隠し玉も使っていない。
それでいて、このまま逃げ帰ってしまったら、自分は未熟なまま・・・
そう思うと、逃る気にはなれなかった。
(逃げるだけでなく、たまにはリスクを冒して勝利を勝ち取らなくちゃダメですよね。文様)
椛は決心する。
「いえ。まだ、決着が付いたわけではありません」
「そう。それならば、これで決めてあげる」
霊夢は、2枚目のスペルカードを懐から取り出した。
数瞬の沈黙が流れ、そして、
「行くわ!」
「行きます!」
2人の声が重なり、戦いは再開された。
霊夢は、スペルカードを構えながら、椛との距離を積めようと前進する。
(そちらが、その気なら、私だって!)
対する椛は、構えた剣を高速で振り回し、真空波を放った。しかし、さきほどの真空波とは違うものであった。
(剣を自分の前でひらがなの「の」を描くように振って出す真空波。文様はこれを「の」の字斬りとか仰って茶化すけれど、スペルカードを使う事が出来ない私が、相手のスペルカード相殺するためにあみ出した技。名づけて、旋風波斬。)
旋風波斬は、ゆっくりと霊夢にせまった。
「そんな遅い弾速で私を倒せると思っているの?」
「遅いだけでは、ありませんよ?」
霊夢はそれを普通に避けようとした。が、椛が言った通りそれは遅いだけではなかった。。
「なっ、何よこれ」
最初は普通の真空波であった。しかしそれは渦を巻き、見る見るうちに森の木々と川の間の狭い空間いっぱいに膨らみ、いつの間にか回避不可能な距離にまで接近された。
「仕方ないわ。夢符 封魔陣!!」
霊夢は攻撃をあきらめて防御用のスペルを発動し、旋風波斬を相殺して難を乗り切った。
「私にスペルカードは通用しません。帰る気になりましたか?」
「いいえ。でも、2回も無駄にしないわ」
霊夢は、そう言うと袖からもう一枚のスペルカードを取り出した。
「何度やっても同じ事です。はあっ」
椛は、また旋風波斬を繰り出した。
旋風波斬はゆっくりと霊夢に迫るが、今度は防御用スペルを発動する様子もなく、そのまま旋風波斬の影に飲まれて見えなくなった。
「何!!」
椛は、霊夢の予想外の行動に動揺した。
(スペルで防御もせず、避けようともしないなんて)
旋風波斬が去った後の霊夢がいた位置を中心に彼女の姿を探した。が、どこにも見当たらず、それどころか、気配すら感じ取れなかった。
「いない!どこへいった?」
その他の場所も、きょろきょろ探したが霊夢の姿は見当たらない。
「真空波は水の中まで届かないわよ、天狗さん」
「なっ」
突然霊夢の声が聞こえて椛は驚いたが、未だに彼女の姿は見当たらない。
(うっ。滝の轟音のせいで私の耳を持ってしても、どこから声がするのかわからないなんて)
しかし、さきほど霊夢が水の中までと言った事が椛の頭の中に引っかかっていた。そして、相手の返事を引き出し、音で方向を探るべく、ワザと不毛な質問をする。
「どこにいるのです?」
「ここよ」
椛は、背後の滝から気配を感じて振り向いた。
そこには滝の中からスペルカードを構えて出てくる霊夢の姿があった。
椛はその時、瞬時に状況を理解した。霊夢がわざと旋風波斬に飲まれたのは、そのように見せかけて相手を油断させ、その隙に滝つぼに飛び込む事で姿どころか臭いなどを絶ち、気配も消して、滝の裏から自分の背後に回るための芝居であったという事。そして、この博霊霊夢と言う巫女は自分より格段に強いという事も。
しかし、ただ理解しただけであった。
相手の瞳が見えるくらいな距離まで霊夢に接近された椛にとって、相手の攻撃を防御する事が精一杯である。
「夢符 夢想封印!」
霊夢のスペルカードから光りの玉がいくつか飛び出し、椛へ目がけて飛んでくる。
「やられて、たまるか」
椛は盾でガードしたが、二つ耐えただけで盾は砕け散ってしまう。
「ならば剣で」
もはや柄の部分しか残っていない盾を捨て、両手でしっかりと剣を握る。
「やあああ」
続く、三つ目と四つ目の光りの玉を叩き斬り、五つ目の光りの玉を斬ろうとしたが、それは叶わなかった。剣が耐え切れず、折れてしまったからだ。
「うわあぁぁぁ」
椛は、残りの光りの玉を諸にくらった。衣服はぼろぼろに裂け、体のいたるところから激痛が走る。
「急所は外したわ。運がよければ助かるでしょう」
霊夢は滝つぼに落ちてゆく椛にそう言い残すと、川の上流へと飛び去っていった。
椛は薄れゆく意識の中で上司である文の事を思った。文に会って、侵入者を通してしまった事、そして格上の敵相手に無理をした事を謝りたく思った。
水面が近づくにつれ、その思いが強くなったが、同時にもう会えないかなと諦めにも似た感情も湧き、椛は静かに気を失った。
滝つぼの水面に滝がつくる波紋とは別の波紋が広がった。
***
(うぅ。あぁ)
椛は、辺り一面に赤い花が咲いている小高い丘の上にただずんでいた。
(文様!!)
そこへ文が、もみじの前に空から舞い降りてきた。何故か霞んで見える。
「・・・・・・・ゃ・・」
(文様。申し訳ありません。自分より格上の相手に無理をして、しかも負けてしまいました。相手の力量も測れないなんて、私もまだまだ未熟ですね。侵入者も許してしまい、どのようなお叱りも受ける覚悟です)
しかし、文は首を横に振った。
「・ぉ・・・・ゃ・・」
(え、でも、私は自分に与えられた任務を果たせなかったのですよ。お叱りを受けて当然ではありませんか)
それでも、文は首を横に振るだけだった。
「・ぉ・・・ぃ・・ゃ・・」
(え、ああ、ちょっと文様!待ってください)
突然、文が光りの強い方向に歩き出したので、もみじは慌ててその後を追いかける。
「めぉ・・・ぇ・・ゃ・・」
「文・・様・・・まぶ・・・し・・い・・」
じょじょに光りが眩しさを増し、視界が遮られ、文の姿が見えなくなっていく。
「文様・・・」
***
滝つぼ裏の庵には、今、重傷を負った椛と、それを傍らで看病する文。それと、青緑色の作業服とも合羽とも取れる服装をした1人の河童がいる。
「文・・様・・・」
「ん?気がついたのかな」
河童が椛の顔を覗き込む。
「椛!起きてよ、椛!」
文が必死で、椛に呼びかける。
「うぅ。あぁ」
椛は、文の呼びかけへ反応するように、薄っすらと目を開いた。
「ここは・・・・どこ?」
「椛!!」
椛は、まだ焦点が定まらない虚ろな目で文の顔を見る。
「文様・・・。お戻りになられたのですか・・・?」
「何が、お戻りになられたのですか、よ!まったく、この子は上司を心配させて」
文は、椛の意識が戻り、多少目を潤ませていたが、まだ視界がかすんでいる性か、椛はまだ気づかない。
「そういえば、私は博霊の巫女と戦って・・・」
「意識を失うまでボロボロになって、ここで横になっているのよ」
椛は、ぼんやりする頭の中の記憶を整理する。滝つぼへ落ちたはずの自分が、何故、ここに寝ているのかわからなかった。
「何故、私はここで寝ているんです?」
「それは、私から説明するよ」
椛は、首を動かして、自分が寝ている布団を挟んで、文の向かい側にいる河童へと視線をもっていく。
「にとりさん」
にとりさんこと河城 にとりは、滝の下流に住む河童の一人である。椛とは将棋仲間だ。
「椛さんも博霊の巫女相手に無茶ですよ。私もこの山に人間が入らないようにあの巫女と一戦交えましたけど、河童の技術を駆使した弾幕でも巫女には勝てませんでしたよ」
にとりは少し悔しそうに、被っている緑色の帽子のつばを引いた。
「それで巫女が去った後、戦いで壊れた機械を川のほとりで直していた所、なんともみじさん。貴方が川を流れてきたのです。すぐに、こののび~るアームで川から引き上げましたよ」
にとりは、背負っている緑色のリュックみたいな物からにょきっと生えるアームのようなものを出して説明した。
「最初は、もう手遅れかと思いましたけど、まだ息があったので、手持ちの薬で応急処置をして、すぐにここへお運びした所、文さんもいらっしゃったので一緒にここへあなたを寝かしたのです」
「そうでしたか。にとりさんには、何てお礼を言ったらいいのか」
「いや。いいですよ椛さん。天狗と河童、同じこの妖怪の山に住む仲間同士、もちつもたれつの仲じゃありませんか」
にとりは、無理に起き上がろうとする椛を手で制しながら言った。
「兎に角、貴方が無事でよかった。怪我が治ったら、また大将棋の相手をお願いしますよ」
「こちらこそ。私でよければ」
椛とにとりは頷きあった。
「それでは、私はこれで」
にとりは、立ち上がって出入り口へ向かう。
「あっ、そうそう。椛さん。貴方はいい上司をお持ちだ。貴方がここに運び込まれてからずっと看病してましたよ。だから、これからはその上司に余り心配を掛けてはダメですよ」
「ちょっと、にとり」
文は少し赤面しつつ、にとりに視線を送ったが、にとりはぺこりとお辞儀をすると、そそくさと帰ってしまった。
「文様・・・」
***
「文様。いくら、相手が手練だったとは言え、侵入者を許してしまい、さらには里へも報告ができず、申し訳ありません。この罰は何でも受けます」
椛は、耳までシュンとさせて、苦い顔をしながら、文の言葉を待った。
「椛、そのことで組織からあなたに罰はあるでしょうけど、私は怒るつもりはないわ」
「えっ?」
文の口から出てきたセリフは、椛が考えていたものとは少し違うものであった。
「それに、博霊の巫女は天狗の領域に用はなかったから、それほど大きな問題にもなっていない。ただ…」
ここで、文は言葉を切った。
そして、腑に落ちない表情で続ける。
「なんで、博霊の巫女相手に、ああなるまで戦ったのよ?」
文の疑問はもっともであった。
文の視線が突き刺さり、椛は、掛けられていた布団を握りしめる。
「それは、いつも逃げてばかりでありましたし、自分も鍛錬を積んでいましたし・・・」
理由にならない理由しか、頭に思い浮かばず、語尾が弱々しくなる。
「それが理由?」
文の肯定に、も見字は俯いて、無言を答えとした。
文は軽くため息つく。
そして、椛の目をしっかり見据える。
「では、あなたの役目は?」
「天狗の里に接近する不審者の探知。それが侵入者であれば、可能であれば撃退・・・」
椛はここで言葉に閊えた。自分の犯した過ちの重大さに胸が詰まる。
「撃退が不可能と分かった時は」
文は、椛の目を見据えたまま、先の言葉を促す。
「応援を呼ぶために、里へ通報する・・・」
「そのとおりです。そして、部下の手に負えないことは、上司である私が処理します。その結果がこれです」
文は、腰から、黒い棒の様な物を取り出した。
「文様。それ・・・」
黒い棒の様なもの先には、羽の根元みたいなものが付いていたが、どれもボロボロになり、千切れたような感じであった。
「そう。私もあの巫女と戦い、負けた・・・」
それによく見ると、文の服装もどこか擦り切れている部分がある。
自分が戦った博霊の巫女というのは、上司さえ倒してしまうほどの強さであった事に、今更の様に驚き、そして、上司が負けてしまったことにショックを受けた。
「椛。これで、あなたがいかに無茶をしたかわかったかしら?」
「・・・はい」
何とか、聞き取れるだけの声で、椛は返事を返す。
それだけ、椛のショックは大きく、自分の行いに戦いていた。
「そう・・・」
文は、10秒ほど目を瞑った。
椛には、心なしか文の体が震えているように見えた。
そして、次に文が取った行動は、椛には予測できないものであった。
「あや、様?」
椛は、突然文に抱きしめられ、戸惑う。
「もう・・・心配したんだからね」
間近に迫った文の顔には、涙が浮かび、さらに椛を困惑させる。
「博霊の巫女と戦ったって聞いて、ここに戻ってきてみれば、にとりに運び込まれた、ボロボロのあなたが・・・」
その先は、嗚咽が重なり、椛には聞き取れなかった。
しかし、上司の本当の気持ちを知り、自分に何ができるか、1つの答えにたどり着いた。
「ごめん・・・なさい・・・」
何とか、それだけ搾り出すと、自分も文の背中に手を回す。
少々、腕の傷が疼いたが、自分の事を思ってくれている人の気持ちに比べれば、なんてことは無かった。
二人は、しばらくの間、抱き合ったままだった。
***
妖怪の生命力とは、人間のそれとは比べ物にならない。
白狼天狗である椛は、人間ならば全治1ヶ月以上の傷を経った数日で直してしまい、すぐに哨戒の任務へ戻る事ができた。
しかし、あれこれと不安要素が頭を過ぎり、少々重たい気持ちで、滝裏にある庵の戸をくぐると、中で文が待っていた。
「犬走 椛!戦傷から回復したので、哨戒の勤めへの許可を願います」
あの日から、文とは話していなかったので、どう会話を切り出そうか迷い、とりあえず、型通りの挨拶から入った。
「復帰を許可します。それと件の処分ですが、減給1割、1ヶ月で落ち着いたそうです」
「減給・・・ですか」
椛は、予想より軽かった処分に胸を撫で下ろす一方、処分を受けたことに対するショックは大きかった。
「後、大天狗様から、妖怪の山頂上にできた新しい神社へ近い内にお参りするよう、里全体に通達が出ています」
「神社?そういえば、博霊の巫女も言っていましたが、頂上に神社なんてありましたっけ?」
「最近、出来たのですよ。件の結果と言っていいでしょう」
椛は、その言葉に絶句した。
どうやら、自分は、知らない内に大きな事に巻き込まれていたようだ。
「それで、仕事の話は終わりです」
椛の心中を図ってか、文は椛の思考を遮るように言った。
そして、表情を緩めて、続ける。
「おかえりなさい。椛」
その表情に救われた椛は、それ以上の思考をやめた。
「ただいま、です!文様!」
「それで早速だけど、あたしはその神社へ取材に行ってくるから、ここの番、任せるわね」
「はい!任せてください」
文様らしいと思いつつ、いつもの日常へと戻れて、ホッとした気持ちになった。
「それでは、椛!後はよろしくね!」
「はい!文様!」
文は、いつもの様に、椛に滝付近の哨戒を任せて、本業の新聞書きへと出かけていく。
椛も、文を見送り、日課である将棋研究へ没頭した。
しかし、昼下がりの時、滝の下流から川を遡行してくる気配を察知する。
「侵入者?いや、この気配は・・・」
よく知っている河童の気配であった。
案の定、下流から姿を現したのは、にとりであった。
「いや~、椛さん。将棋をうちに来ましたよ!」
「ああ!にとりさんですか!ちょうど暇していたんです!やりましょう」
二人は、滝裏の庵で、将棋を打ち始める。
こうして、妖怪の山にある秋めく滝の1日は過ぎていく・・・
END
現実と虚構の境界にひっそりと存在する幻想郷。
現世で忘れ去られ消えていくあらゆるものがここに集まってくる。
具体的には、現世で人間に追いやられた魑魅魍魎の類や、信仰がなくなり居場所を失った神様などが集まってくる。
その一画に妖怪の山と呼ばれる大きな山がある。
名前の通り、人里の者がよほどの理由が無い限り立ち入らない危険な山の中に一本の大きな川が流れていた。
流れは妖怪の山の七合目あたりにある湖から始まっているが、麓まで流れ着く前に大きな滝がある。
その光景は、ちょうど紅葉が盛りという事もあって、滝の雄大さが際立ち、ぽつぽつと落ち葉も川を流れていた。
その滝の裏には、滝から落ちる水の落下エネルギーによって、滝つぼの岩が削れてできた、広い空間が存在し、そこには小さな庵がある。
今、中で二人の天狗が大将棋を打っていた。
天狗たちはこの滝の上、上流へ上ったところにある天狗の里の住人である。
「もみじちゃん。まだ~?」
もみじちゃんこと犬走 椛は、狼の白い耳が頭についており、やはり白い髪とふさふさした尻尾が特徴の白狼天狗である。
椛はお世辞にも優勢とは言えない自分の局面を見て、うんうん唸っていたが、状況を打開する手が思いつかず無難に逃げの手を挿した。
(う~、ここが安全かな?)
「ふ~ん。そう来るか~」
しかし、対戦相手である黒髪の鴉天狗はその展開すでに想定済みといった態で自手を打つ。
そして、数手後には、いつの間にか相手の王将が逃げられない包囲陣を完成させてしまう。
(つっ、詰んでしまった・・・)
「もみじちゃん!王手だよ~!どうする?どうする?」
対戦相手の鴉天狗は勝利の笑みを浮かべながら、椛に何かを期待する口調で言った。
「う~。文様。まいりました」
「やったあ!私の勝ち!」
椛が耳をシュンと垂らして降伏すると、文様こと射命丸 文は両手を上げて喜んだ。
「じゃ、これはあたしがもらうね!」
そう言うと文は、賭けていた茶菓子の椛饅頭をほおばる。
「何でまた負けてしまったんだ・・・」
椛が顎に手を当て真剣に考えたが、まったく検討がつかない。文がお茶を啜る。
「ん~。椛は、リスクを避けて逃げ回る打ち方してるからね。それだけじゃ、私には勝てないわ」
「うぐっ」
文の指摘に、椛は苦虫を噛み潰した気分になった。
確かに思い返してみると、今までの自分はリスクを避け、逃げの一手を打ちながら、攻勢に出るチャンスを待っていた。
しかし、実際は文に良い様に追い詰められていただけなのかもしれない。
「次は絶対勝ちますからね」
「ふふ~ん。まっ、せいぜいがんばることね」
椛は、勝負に負けたくやしさから負け惜しみを言ったが、文は余裕の微笑をうかべてそれに答えた。
文は、二つ目の椛饅頭をほおばりながら、ふと壁に掛けられた知り合いの河童が造った時計に目をやった。十二支がそれぞれの時間に対応し、針がそれらの干支をさして時間
を示すタイプのものである。ちょうど、午の刻が半分を過ぎた当たりであった。
「あっ。取材忘れてた」
文はそう言うと、残っていた椛饅頭を一気にほおばり、お茶でそれを流し込むと、脇に置いておいた使い込まれた古いカメラと、やはり使い込まれた古く分厚い手帳を持って
急いで取材に行こうとした。
「文様。待ってください。烏帽子、烏帽子」
椛は、文が天狗のトレードマークである烏帽子を忘れている事に気づき、いそいでそれを渡した。
「ありがとう。椛」
文は受け取った烏帽子をかぶり、顎紐を素早く結んだ。
そしてそのまま、飛び出していく勢いであったが、ふと何かを思い出したように立ち止まる。
「そうそう、椛。たぶん来ないと思うけど、侵入者が来て自分じゃ撃退できないと思ったら、無理せず里に報告するのよ。あなたはまだ、スペルカードが扱えないのだから」
「文様。大丈夫です。たとえスペルカードが使えなくとも、日ごろ鍛錬している剣術があります。大抵の相手なら、勝てる自信はあります」
少し心配そうな顔の文に、胸を張って答える椛。
「ああ。あの「の」の字切りね。私も初めてみた時は少し驚いたわ」
「う~。「の」の字切りと言わないでください」
文は、あははと軽く笑った後、真顔になる。
「でも、無理は絶対ダメだよ!」
「はい。任せてください。」
「じゃ、よろしくね」
文は最後に、にぱッと笑うと風の如く取材に出かけた。椛は文を見送った後、庵に戻り先ほど負けた大将棋の研究を始めた。
***
文が出かけてからしばらくの間、椛は大将棋の本を片手にさきほどの対局をおさらいしていた。
「う~ん。ここで攻めていれば、文様に包囲されなかったなぁ。やはり、安全策ばかりとるのではなく、リスクをおかして攻める事も必要かぁ」
ずっと将棋盤と本を交互ににらんでいた性か疲れたので、ぱたんと本を閉じて、腰にたまっていた軽い疲労をほぐす様に背伸びをした。
その時であった。
「?。何かが近づいてくる?」
天狗の里を侵入者から守る自警団の歩哨として、暇つぶしをしていても何かが近づいてくる気配を感じとる事は椛にとって造作もない事だった。
「侵入者か」
椛は、立ち上がるとすぐに庵の入り口に立てかけておいた愛用の剣と盾を取って、滝の正面に出た。
気配は山の下の方、川の下流からこちらに近づいて来る。
椛は、持ち前の能力である、はるか遠くまではっきりと見渡せる千里眼を生かし、下流の方を注意深く見渡す。
「見えた」
何者かが、たった一人でこちらに飛んでくる姿を椛ははっきりと認めた。
「見たところ、巫女のようだが」
髪型と服装から人間の巫女とわかったが、許可がある者以外は誰であろうとここを通してはならなかったので、巫女の進路を遮るように椛は立ちふさがる。
「止まってください。何者です」
「私は博霊神社の巫女、博霊霊夢よ」
椛は、その名前に聞き覚えがあった。
この世界、幻想郷の巫女と呼ばれ、今までに数々の異変を解決し、その勇名は天狗社会でも誰もが知っている事であった。
「博霊の巫女が、妖怪の山に何のようです」
「異変を解決しに来たのよ」
ふと椛は考えたが、そんな報告はなく、心当たりもない。
「この山に異変などおこってはいません。お引取りください」
「いいえ。起こっているわ。この山の頂上に出来た神社でね。だから、ここを通しなさい」
山の頂上に出来た神社という言葉に、引っ掛かりを覚えはしたものの、"はいそうですか"と、通すわけには行かない。
「通すわけには行きません」
「なんでよ!」
「この先は我々の天狗の領域ゆえ、大天狗様の許可がある者以外は通せません」
「ちょっと通るだけよ」
「それでも、できません」
「あ~もう。埒があかないわ。兎に角、ここを通しなさい。さもないと、力ずくでも通るわよ」
霊夢は相手が説得に応じないので、痺れを切らして、右手の大幣(おおぬさ)を構えた。
左手にもお札が数枚握られている。
「残念です」
椛も、招かれざる客人を素直に通すわけには行かないので、盾を前へ突き出すように構えて霊夢の出方を窺った。
それが勝負開始の合図だった。
霊夢は左手のお札を一枚ずつ、相手に向かって投げた。
投げられたお札は一枚ずつのはずだが、それらが何枚にも増えて、何層にもなるお札の幕を形成して椛に襲い掛かった。
椛の千里眼を持ってしても、お札が増えた仕掛けを見破る事は出来なかったが、それらの軌道は瞬時に見極められた。
避けれるものは避け、避けれないものは軌道に剣の刃先を合わせて切り捨てた。
「流石に道中の雑魚とは違うわね。でも、守っているだけじゃ、私を倒す事は出来ないわ」
「そうですね。それでは今度はこちらから」
椛は言うが早いか、剣を素早く振り、その切先で空気を切り裂いて作った真空波をいくつか角度をつけて放つ。
霊夢は迫り来る真空波を身一つくらい動かすくらいの無駄の無い動作で、それらを全て避けきった。
しかし、回避コースを読んで、その先に回りこんでいた椛が、剣を上段に構え、霊夢へ切りかかる。
怯む事無く木製の大幣でそのまま椛の剣を受け止めたが、持ち主の霊力で強化されている大幣は切り落とされる事無く、更に続く椛の斬撃を受け止めた。
「ふん!」
掛け声とともに椛の剣を払い除け、体勢を崩させる。
さらに、その隙を使って距離を取りつつ封魔針を投げた。
椛は、すばやく体勢を戻すと盾を掲げてその針を防ぐ。
(くっ。一撃が何て重いんだ)
華奢な人間の体に、大幣といえども木の棒から繰り出されるものとは思えなかった。
「なかなかやるわね。まだ、使いたくはなかったけどこれで一気に勝負をきめるわ」
霊夢はそでの中から御札とは違う、一枚のカードを出した。
(スペルカード!!)
椛には、何となくそれが文が出かけ際に注意した例のカードだと分かった。そして、その危険性も。
「そう簡単には、やられませんよ」
強がってみたものの、相手のスペルカードを前にして唾を飲み下す。
「どうかしらね?霊符 夢想封印!」
霊夢のスペルカードから、光りの玉がいくつか飛び出し、狙い済ましたように椛へと迫る。
(くっ。早い。避けられるのか?)
光りの玉は、一般的な天狗のスピードに追従できるぐらいの速さを備えていた。
しかし、椛も下っ端いえど前線勤務の見回り天狗。並みの天狗よりは早く動ける。
そのおかげか、初弾は避けられた。
だが、流石は博霊の巫女のスペルと言うか、チャチなものではない。
(なっ!!)
初弾は避けられたが、続く二発目は椛の回避コースに合わせるように軌道を変え、眼前に迫っていた。
(ホーミング弾!)
椛は瞬時に反応して、直角に折れ曲がるように飛び上がり、どうにか二発目を避けられたが、そのせいで大きくバランスを崩してしまい、追従して急速上昇してくる三発目以降は避けられそうにない。
(耐えて)
椛は、祈る思いで盾を構えた。そこへ、三発目が盾に直撃してその激しい振動が、それを持っている左手を通して全身へと伝わる。
祈りが通じたのか、盾は少し焦げた程度で目立った損傷もなく、光りの玉の直撃を耐えた。
同様に、四発目、五発目、六発目と光りの玉を盾で防いだ。が、最後の光りの玉を受けたとき、左頬に何かが掠った様な感覚を覚えた。
両手が塞がっているので、舌でその辺りを舐めてみると、独特の鉄の味が舌先にはしる。
(血の味・・・)
そして盾に目をやると、最後の一発で軽くひびが入ったらしく、少し欠けていた。どうやら、その破片で左頬を切ったらしい。
(次にあのスペルを使われたら確実にやられてしまう)
「これで、実力の差が分かったかしら?」
霊夢の言葉には、最後の警告と言わんばかりの、圧力があった。
そして、椛の心の内に「撤退」の文字が浮かび上がる。
見回り天狗たちには、自分の実力で侵入者が撃退できない場合、天狗の里に侵入者の報告、応援を要請するため逃げ帰る事が許されている。
下っ端天狗とは言え、天狗特有の快足についてくる者など、そうはいないからである。
だが、椛は今朝の大将棋を思うと、このまま逃げていいのか、と心に引っかかった。
確かに、博霊の巫女は強い。しかし、こちらもまだ、全力を出したわけではなく、スペルカードに対抗する隠し玉も使っていない。
それでいて、このまま逃げ帰ってしまったら、自分は未熟なまま・・・
そう思うと、逃る気にはなれなかった。
(逃げるだけでなく、たまにはリスクを冒して勝利を勝ち取らなくちゃダメですよね。文様)
椛は決心する。
「いえ。まだ、決着が付いたわけではありません」
「そう。それならば、これで決めてあげる」
霊夢は、2枚目のスペルカードを懐から取り出した。
数瞬の沈黙が流れ、そして、
「行くわ!」
「行きます!」
2人の声が重なり、戦いは再開された。
霊夢は、スペルカードを構えながら、椛との距離を積めようと前進する。
(そちらが、その気なら、私だって!)
対する椛は、構えた剣を高速で振り回し、真空波を放った。しかし、さきほどの真空波とは違うものであった。
(剣を自分の前でひらがなの「の」を描くように振って出す真空波。文様はこれを「の」の字斬りとか仰って茶化すけれど、スペルカードを使う事が出来ない私が、相手のスペルカード相殺するためにあみ出した技。名づけて、旋風波斬。)
旋風波斬は、ゆっくりと霊夢にせまった。
「そんな遅い弾速で私を倒せると思っているの?」
「遅いだけでは、ありませんよ?」
霊夢はそれを普通に避けようとした。が、椛が言った通りそれは遅いだけではなかった。。
「なっ、何よこれ」
最初は普通の真空波であった。しかしそれは渦を巻き、見る見るうちに森の木々と川の間の狭い空間いっぱいに膨らみ、いつの間にか回避不可能な距離にまで接近された。
「仕方ないわ。夢符 封魔陣!!」
霊夢は攻撃をあきらめて防御用のスペルを発動し、旋風波斬を相殺して難を乗り切った。
「私にスペルカードは通用しません。帰る気になりましたか?」
「いいえ。でも、2回も無駄にしないわ」
霊夢は、そう言うと袖からもう一枚のスペルカードを取り出した。
「何度やっても同じ事です。はあっ」
椛は、また旋風波斬を繰り出した。
旋風波斬はゆっくりと霊夢に迫るが、今度は防御用スペルを発動する様子もなく、そのまま旋風波斬の影に飲まれて見えなくなった。
「何!!」
椛は、霊夢の予想外の行動に動揺した。
(スペルで防御もせず、避けようともしないなんて)
旋風波斬が去った後の霊夢がいた位置を中心に彼女の姿を探した。が、どこにも見当たらず、それどころか、気配すら感じ取れなかった。
「いない!どこへいった?」
その他の場所も、きょろきょろ探したが霊夢の姿は見当たらない。
「真空波は水の中まで届かないわよ、天狗さん」
「なっ」
突然霊夢の声が聞こえて椛は驚いたが、未だに彼女の姿は見当たらない。
(うっ。滝の轟音のせいで私の耳を持ってしても、どこから声がするのかわからないなんて)
しかし、さきほど霊夢が水の中までと言った事が椛の頭の中に引っかかっていた。そして、相手の返事を引き出し、音で方向を探るべく、ワザと不毛な質問をする。
「どこにいるのです?」
「ここよ」
椛は、背後の滝から気配を感じて振り向いた。
そこには滝の中からスペルカードを構えて出てくる霊夢の姿があった。
椛はその時、瞬時に状況を理解した。霊夢がわざと旋風波斬に飲まれたのは、そのように見せかけて相手を油断させ、その隙に滝つぼに飛び込む事で姿どころか臭いなどを絶ち、気配も消して、滝の裏から自分の背後に回るための芝居であったという事。そして、この博霊霊夢と言う巫女は自分より格段に強いという事も。
しかし、ただ理解しただけであった。
相手の瞳が見えるくらいな距離まで霊夢に接近された椛にとって、相手の攻撃を防御する事が精一杯である。
「夢符 夢想封印!」
霊夢のスペルカードから光りの玉がいくつか飛び出し、椛へ目がけて飛んでくる。
「やられて、たまるか」
椛は盾でガードしたが、二つ耐えただけで盾は砕け散ってしまう。
「ならば剣で」
もはや柄の部分しか残っていない盾を捨て、両手でしっかりと剣を握る。
「やあああ」
続く、三つ目と四つ目の光りの玉を叩き斬り、五つ目の光りの玉を斬ろうとしたが、それは叶わなかった。剣が耐え切れず、折れてしまったからだ。
「うわあぁぁぁ」
椛は、残りの光りの玉を諸にくらった。衣服はぼろぼろに裂け、体のいたるところから激痛が走る。
「急所は外したわ。運がよければ助かるでしょう」
霊夢は滝つぼに落ちてゆく椛にそう言い残すと、川の上流へと飛び去っていった。
椛は薄れゆく意識の中で上司である文の事を思った。文に会って、侵入者を通してしまった事、そして格上の敵相手に無理をした事を謝りたく思った。
水面が近づくにつれ、その思いが強くなったが、同時にもう会えないかなと諦めにも似た感情も湧き、椛は静かに気を失った。
滝つぼの水面に滝がつくる波紋とは別の波紋が広がった。
***
(うぅ。あぁ)
椛は、辺り一面に赤い花が咲いている小高い丘の上にただずんでいた。
(文様!!)
そこへ文が、もみじの前に空から舞い降りてきた。何故か霞んで見える。
「・・・・・・・ゃ・・」
(文様。申し訳ありません。自分より格上の相手に無理をして、しかも負けてしまいました。相手の力量も測れないなんて、私もまだまだ未熟ですね。侵入者も許してしまい、どのようなお叱りも受ける覚悟です)
しかし、文は首を横に振った。
「・ぉ・・・・ゃ・・」
(え、でも、私は自分に与えられた任務を果たせなかったのですよ。お叱りを受けて当然ではありませんか)
それでも、文は首を横に振るだけだった。
「・ぉ・・・ぃ・・ゃ・・」
(え、ああ、ちょっと文様!待ってください)
突然、文が光りの強い方向に歩き出したので、もみじは慌ててその後を追いかける。
「めぉ・・・ぇ・・ゃ・・」
「文・・様・・・まぶ・・・し・・い・・」
じょじょに光りが眩しさを増し、視界が遮られ、文の姿が見えなくなっていく。
「文様・・・」
***
滝つぼ裏の庵には、今、重傷を負った椛と、それを傍らで看病する文。それと、青緑色の作業服とも合羽とも取れる服装をした1人の河童がいる。
「文・・様・・・」
「ん?気がついたのかな」
河童が椛の顔を覗き込む。
「椛!起きてよ、椛!」
文が必死で、椛に呼びかける。
「うぅ。あぁ」
椛は、文の呼びかけへ反応するように、薄っすらと目を開いた。
「ここは・・・・どこ?」
「椛!!」
椛は、まだ焦点が定まらない虚ろな目で文の顔を見る。
「文様・・・。お戻りになられたのですか・・・?」
「何が、お戻りになられたのですか、よ!まったく、この子は上司を心配させて」
文は、椛の意識が戻り、多少目を潤ませていたが、まだ視界がかすんでいる性か、椛はまだ気づかない。
「そういえば、私は博霊の巫女と戦って・・・」
「意識を失うまでボロボロになって、ここで横になっているのよ」
椛は、ぼんやりする頭の中の記憶を整理する。滝つぼへ落ちたはずの自分が、何故、ここに寝ているのかわからなかった。
「何故、私はここで寝ているんです?」
「それは、私から説明するよ」
椛は、首を動かして、自分が寝ている布団を挟んで、文の向かい側にいる河童へと視線をもっていく。
「にとりさん」
にとりさんこと河城 にとりは、滝の下流に住む河童の一人である。椛とは将棋仲間だ。
「椛さんも博霊の巫女相手に無茶ですよ。私もこの山に人間が入らないようにあの巫女と一戦交えましたけど、河童の技術を駆使した弾幕でも巫女には勝てませんでしたよ」
にとりは少し悔しそうに、被っている緑色の帽子のつばを引いた。
「それで巫女が去った後、戦いで壊れた機械を川のほとりで直していた所、なんともみじさん。貴方が川を流れてきたのです。すぐに、こののび~るアームで川から引き上げましたよ」
にとりは、背負っている緑色のリュックみたいな物からにょきっと生えるアームのようなものを出して説明した。
「最初は、もう手遅れかと思いましたけど、まだ息があったので、手持ちの薬で応急処置をして、すぐにここへお運びした所、文さんもいらっしゃったので一緒にここへあなたを寝かしたのです」
「そうでしたか。にとりさんには、何てお礼を言ったらいいのか」
「いや。いいですよ椛さん。天狗と河童、同じこの妖怪の山に住む仲間同士、もちつもたれつの仲じゃありませんか」
にとりは、無理に起き上がろうとする椛を手で制しながら言った。
「兎に角、貴方が無事でよかった。怪我が治ったら、また大将棋の相手をお願いしますよ」
「こちらこそ。私でよければ」
椛とにとりは頷きあった。
「それでは、私はこれで」
にとりは、立ち上がって出入り口へ向かう。
「あっ、そうそう。椛さん。貴方はいい上司をお持ちだ。貴方がここに運び込まれてからずっと看病してましたよ。だから、これからはその上司に余り心配を掛けてはダメですよ」
「ちょっと、にとり」
文は少し赤面しつつ、にとりに視線を送ったが、にとりはぺこりとお辞儀をすると、そそくさと帰ってしまった。
「文様・・・」
***
「文様。いくら、相手が手練だったとは言え、侵入者を許してしまい、さらには里へも報告ができず、申し訳ありません。この罰は何でも受けます」
椛は、耳までシュンとさせて、苦い顔をしながら、文の言葉を待った。
「椛、そのことで組織からあなたに罰はあるでしょうけど、私は怒るつもりはないわ」
「えっ?」
文の口から出てきたセリフは、椛が考えていたものとは少し違うものであった。
「それに、博霊の巫女は天狗の領域に用はなかったから、それほど大きな問題にもなっていない。ただ…」
ここで、文は言葉を切った。
そして、腑に落ちない表情で続ける。
「なんで、博霊の巫女相手に、ああなるまで戦ったのよ?」
文の疑問はもっともであった。
文の視線が突き刺さり、椛は、掛けられていた布団を握りしめる。
「それは、いつも逃げてばかりでありましたし、自分も鍛錬を積んでいましたし・・・」
理由にならない理由しか、頭に思い浮かばず、語尾が弱々しくなる。
「それが理由?」
文の肯定に、も見字は俯いて、無言を答えとした。
文は軽くため息つく。
そして、椛の目をしっかり見据える。
「では、あなたの役目は?」
「天狗の里に接近する不審者の探知。それが侵入者であれば、可能であれば撃退・・・」
椛はここで言葉に閊えた。自分の犯した過ちの重大さに胸が詰まる。
「撃退が不可能と分かった時は」
文は、椛の目を見据えたまま、先の言葉を促す。
「応援を呼ぶために、里へ通報する・・・」
「そのとおりです。そして、部下の手に負えないことは、上司である私が処理します。その結果がこれです」
文は、腰から、黒い棒の様な物を取り出した。
「文様。それ・・・」
黒い棒の様なもの先には、羽の根元みたいなものが付いていたが、どれもボロボロになり、千切れたような感じであった。
「そう。私もあの巫女と戦い、負けた・・・」
それによく見ると、文の服装もどこか擦り切れている部分がある。
自分が戦った博霊の巫女というのは、上司さえ倒してしまうほどの強さであった事に、今更の様に驚き、そして、上司が負けてしまったことにショックを受けた。
「椛。これで、あなたがいかに無茶をしたかわかったかしら?」
「・・・はい」
何とか、聞き取れるだけの声で、椛は返事を返す。
それだけ、椛のショックは大きく、自分の行いに戦いていた。
「そう・・・」
文は、10秒ほど目を瞑った。
椛には、心なしか文の体が震えているように見えた。
そして、次に文が取った行動は、椛には予測できないものであった。
「あや、様?」
椛は、突然文に抱きしめられ、戸惑う。
「もう・・・心配したんだからね」
間近に迫った文の顔には、涙が浮かび、さらに椛を困惑させる。
「博霊の巫女と戦ったって聞いて、ここに戻ってきてみれば、にとりに運び込まれた、ボロボロのあなたが・・・」
その先は、嗚咽が重なり、椛には聞き取れなかった。
しかし、上司の本当の気持ちを知り、自分に何ができるか、1つの答えにたどり着いた。
「ごめん・・・なさい・・・」
何とか、それだけ搾り出すと、自分も文の背中に手を回す。
少々、腕の傷が疼いたが、自分の事を思ってくれている人の気持ちに比べれば、なんてことは無かった。
二人は、しばらくの間、抱き合ったままだった。
***
妖怪の生命力とは、人間のそれとは比べ物にならない。
白狼天狗である椛は、人間ならば全治1ヶ月以上の傷を経った数日で直してしまい、すぐに哨戒の任務へ戻る事ができた。
しかし、あれこれと不安要素が頭を過ぎり、少々重たい気持ちで、滝裏にある庵の戸をくぐると、中で文が待っていた。
「犬走 椛!戦傷から回復したので、哨戒の勤めへの許可を願います」
あの日から、文とは話していなかったので、どう会話を切り出そうか迷い、とりあえず、型通りの挨拶から入った。
「復帰を許可します。それと件の処分ですが、減給1割、1ヶ月で落ち着いたそうです」
「減給・・・ですか」
椛は、予想より軽かった処分に胸を撫で下ろす一方、処分を受けたことに対するショックは大きかった。
「後、大天狗様から、妖怪の山頂上にできた新しい神社へ近い内にお参りするよう、里全体に通達が出ています」
「神社?そういえば、博霊の巫女も言っていましたが、頂上に神社なんてありましたっけ?」
「最近、出来たのですよ。件の結果と言っていいでしょう」
椛は、その言葉に絶句した。
どうやら、自分は、知らない内に大きな事に巻き込まれていたようだ。
「それで、仕事の話は終わりです」
椛の心中を図ってか、文は椛の思考を遮るように言った。
そして、表情を緩めて、続ける。
「おかえりなさい。椛」
その表情に救われた椛は、それ以上の思考をやめた。
「ただいま、です!文様!」
「それで早速だけど、あたしはその神社へ取材に行ってくるから、ここの番、任せるわね」
「はい!任せてください」
文様らしいと思いつつ、いつもの日常へと戻れて、ホッとした気持ちになった。
「それでは、椛!後はよろしくね!」
「はい!文様!」
文は、いつもの様に、椛に滝付近の哨戒を任せて、本業の新聞書きへと出かけていく。
椛も、文を見送り、日課である将棋研究へ没頭した。
しかし、昼下がりの時、滝の下流から川を遡行してくる気配を察知する。
「侵入者?いや、この気配は・・・」
よく知っている河童の気配であった。
案の定、下流から姿を現したのは、にとりであった。
「いや~、椛さん。将棋をうちに来ましたよ!」
「ああ!にとりさんですか!ちょうど暇していたんです!やりましょう」
二人は、滝裏の庵で、将棋を打ち始める。
こうして、妖怪の山にある秋めく滝の1日は過ぎていく・・・
END
霊夢は原作の雰囲気がでていたと思います。
逃げなかったせいで大怪我をしたけれど、おかげで文との絆が深まったんだから、結果オーライですね。
よくぞ逃げなかったねエライ、と椛に言ってあげたい。
返信させていただきます。
>>1様
霊夢の描写は原作を意識したので、そう言って頂けるとうれしいです。(ボムが霊撃じゃなくて、スペカですが)
私も椛の頭をわしゃわしゃ撫でてあげたいです。