そよそよ、はらはら。
春風に乗り、ゆっくりと舞い落ちていたはずの花びらが。
急に息を吹き返したように、お祓い棒を構える巫女めがけ一斉に飛び散っていく。
だが巫女はそんな突然の変異などものともせず、袖が裂かれていくのさえ気にも留めずに、ふらりと桜色の空へと身を委ねた。
花びら一枚一枚すべて、同じ動きなど一つもない。
それなのに巫女は涼しい顔で容易く、襲いかかる桜吹雪の中を翔け抜けていく。
目を背けられぬほど美しく、目を背けたくなるほど残酷なその世界。
抜けた先には、手のひらから桜を舞い散らす緑の大木が佇んでいた。
迫る脅威を前にしても堂々と、ただ一点だけを見据えて。
「捉えた……!」
果たしてそれはどちらの声だったのか。
春爛漫とした景色の下、土埃を上げぶつかり合った大木と巫女。
その長きにわたる接戦の決着を見守っていたのは、雲雀でも鶯でもなく。
声援を送ることも、間に入ることも許されていない、名ばかりの特等席に座った私だけだった。
「霊夢もなかなか目がよくなったきたじゃない」
「土用の丑の日はまだ何ヶ月も先だけど?」
「ブルーベリーでも食べた?」
「野イチゴなら昨日食べたわよ」
「いつのまに巫女から蛇になったの」
「あんまり味ないけど、手軽に食べられて重宝するのよ」
「何だか切ないわねえ……今度、果物持ってきてあげる」
「今、切なくなっているのはあんたの方だけどね」
いつもの会話を繰り返しながらも、勝者が敗者の手を取って助け起こしているのを、私は日射しに染まった縁側からじっと見つめていた。
神社の桜並木も盛りだというのに、なぜあの二人は花見よりも弾幕戦に興じているのだろう。
花より団子より弾幕なのは幻想少女の特権とはいえ、何もこんなお花見日和にやらなくてもいいのに。
すでに渋くなってしまったお茶を啜りつつ、脳内で独りごちる。
花見の楽しみをこうも刺激的に邪魔されるとは思ってもみなかった。
こんなことになるのなら、今日もまた家に籠って研究でもしていればよかった。
本当、こんなことになってしまうのなら。
花びらになんて、目を止めなければよかった。
「あら、霊夢」
「ん、何?」
「頭に花飾りがついてるわよ」
あれだけの弾幕の中を潜ったのだから、それも仕方のないこと。
「え、どこ?取ってよ」
「そのままでも可愛いからいいじゃない」
「いやよ。絶対、笑われるわ」
「私が可愛いと言っているんだから、自信を持ちなさい」
「服も髪もボロボロの妖怪に言われても」
「そういえば、そうね。お風呂借りてもいいかしら?」
「いいけど、さすがにまだ沸かしてないわよ?」
ストレス解消という突発的な理由で始まった争いだから、それも仕方ないこと。
「しょうがないわね、沸かしておいてあげる」
「私もついでに入ろうかな」
「霊夢も似たような恰好だしね」
「あー、でも確かあんた長風呂だったよね。冷めちゃわないかしら」
「それなら、一緒に入る?」
けれどその答えさえ、春だから仕方ないと、果たして言えるのだろうか。
「……そうね、その方が楽か」
私を取り巻いていた世界に、ぴしりと亀裂が入った気がした。
目の前では相変わらず、穏やかな日射しと桜が降り注いでいるというのに。
胸を打つほどに綺麗な、心惹かれる笑顔も咲いているというのに。
それなのに、どうして。
私の心は、薄氷のように脆く崩れていってしまっているのか。
「着替え、持ってくるわ」
ぎっぎっ、ぎしぎし。
軋む音を奏でながら、いそいそと桜色の縁側を歩いていく巫女の後ろ姿。
いつもの春と変わりないその光景を眺めながらも、しかし私の瞳はいつもとはかけ離れた情景を映し出していた。
「霊夢ったら、なに動揺しているのかしら」
同じように巫女を見つめていた彼女が、楽しげな声で私の心をさらにかき乱す。
「ねえ、貴女はどう思う?」
アリス=マーガトロイド。
だがその名を呼ぶ声だけは、まるで射抜くように鋭かった。
羽をもがれた蝶にとどめを刺そうとする幼子のような、純粋に冷たい囁き。
それだけでもう、敵わないと思った。
たとえ身を削り合う戦いをしても、たとえ桜吹雪に立ち向かったとしても。
この想いは叶うはずもないと。
「いつまでもそうむっつりしてばかりだと、先に攫って行っちゃうわよ」
ましてやその想いにすら気づいてもらえないなんて。
「博麗の巫女は、貴女だけのものじゃないんだから」
春に満ち溢れているはずの目の前の世界は、なぜこうも美しすぎるほどに残酷なのだろう。
目を背けたくても、まるで心臓を掴まれたかのように逸らせない。
こんなことになるならば、いっそ自ら吹雪の中に飛び込んでいれば。
笑顔が驚きに変わってでも、その手を掴んでいれば。
そうすれば少なくとも、置き去りにされることはなかったのに。
一方通行の迷路に苦しむこともなかったのに。
「私は……」
薄紅の桜でも、紅白の巫女でもない。
ずっとずっと見たかったのは。
この優しすぎる季節に、本当に逢いたかったのは。
幽香、貴女なのよ。
それでも、その短い真実ですら告げることは出来なかった。
勝ち目のない戦いをするほど、私は強い妖怪じゃないから。
はらはら、ぎしぎし。
晴れ渡る空からの贈り物で溢れた道を、お気に入りの桜を追いかけて、弾むように歩いていく彼女の背中。
いつもの春と変わりないその光景を眺めながらも、しかし私の瞳はいつもとはかけ離れた情景を映し出していた。
でも、きっといつかはそれも、変わらぬ日常となっていくのだろう。
歩み出すのが遅すぎた想いは、いつまでも崩壊に取り残されたままで。
色とりどりの花が巡る世界にただ憧れを抱き続けるだけだった。
神社の桜並木すべてを美しく望める名ばかりの特等席で。
誰も、人形さえも拭うことのない涙を、私は流した。
いつか恋に落とされた春爛漫の景色の下。
遅咲きの花を見つけるものは、もういない。
いつもの甘々も好きですが、こういうのもいいですね
物悲しくなるような終わり方ですね…切ないなぁ
しない後悔はいつまでも燻るんだよね
お客様!お客様の中にアリスを幸せにしてくれる方はおりませんか!?