「丸刈りにする? 坊主にする? それともスキンヘッド?」
「髪の毛を残す方向でお願いします」
白色の甘味を含んだ笑い声を一つ。灰色の苦味を詰めた溜息も一つ。あわせて、二人っきりの部屋を余すところなく満たした。
前者は私の背中側から聞こえたもので、後者は他でもないこの口から出されたものだ。
やれやれと竦めようとした肩は、置かれた手に邪魔されて意味もなく一度上下しただけだった。
世界は24時間をかけて一日を送り、迎え入れる。人も、妖怪も、犬も、猫も、鳥も、虫も。全てが24時間だ。
そして、そんな世界の一部である私の仕事時間が一日につき二十四時間、無休ならば、今は二十五時間目。そう表現したい時間である。
ちょっと休憩。そんな一言を心の中で呟いたのは、ほんの少し前のこと。働き詰めで生きていけるほど人間強くはないのだ。
臀部に伝わる柔らかい感触はベッドのもので、頭部に与えられる小さなくすぐったさは手のひらだ。手のひらの動きに合わせて髪が揺れて、前髪が視界に雨を降らせる。
ベッドの端から投げ出した脚も止めどなく前後に揺れて、行儀良くはなかったがやめるつもりもなかった。持て余した両の腕は揃えて左側に流してある。
「うん。確かに、長いかもね。ちょっと」
「えー、妹様もそう思いますか。やっぱり」
背後で膝立ちになり、髪を弄る彼女に言われた言葉。今日だけで何回ほど聞いただろうか。一日の始まりからかけて、この時間に至るまで、耳に染み付くほどに言われてきた言葉。もう飽き飽きである。
試しに髪を指に巻きつけてみれば、先日よりも数周多く。やはり長かった。肩口を越えても、なお続く髪はどこまでであろうか。
時間を止めても自分の時間は止まらない。当たり前のことであり、非常に厄介なことでもあった。そして、爪などと違って、どうにも視界に入らないものであるため、管理が疎かになりがちなのが、髪だ。
非常に鬱陶しいこと、この上ない邪魔者である。
「皆も考えたら分かると思うんですよ。癖毛ですし、仕事の邪魔になるのに。伸ばすわけないじゃないですか」
「ふーん。まあ、いろいろ大変なんだね」
えらい、えらい、と撫でる手は優しく。編まれ疲れた髪をそっと解す。目を閉じて意識をそちらに向ければ、櫛でも入れてもらっているような感覚だ。
何が偉いのかは疑問ではあるが、褒められるのは悪くはない。全く、皆にも良く考えてもらいたいものだ。こんな邪魔なものを誰が好んで伸ばすものか。
自分の身体の一部なのにどうしてこうも勝手が悪いものなのだろうか。
「ええ、大変なんですよ」
なのに皆ときたら、やれ髪が伸びただのと口うるさいこと。言われなくても自分が一番良く分かっているというのに、どうしてか指摘したくて仕方ないのだろう。
どんな格好をしようと自分の勝手、とはいかないのがメイドの仕事の面倒なところだ。
「嫌になってしまいますよ」
そんな愚痴を零す声と一つの笑い声だけが、部屋を満たす。他には何の音もしない部屋だからこそ満たせる。
満たした後に。背中に重みを感じた。不快になるほど重くもなく、何か分からないほど軽くもない。細い腕の片方が首筋に回ってきて、それと逆の肩から顔が現れた。
目は薄っすらと閉じられており、微笑みである。音も出さずに笑うそれに向けて、人差し指を唇の前に立てて、息を多めに吐く。
「みんなには内緒ですよ。でしょう」
「お願いします」
向こうも合わせて、右手の人差し指を口の前に。頷いて見せれば、頷き返してくる。
片手で私の髪を後頭部で一つに束ねながら。
二人だけの秘密。誰にも内緒の二人だけの会話。
笑い声は一つ。そして、もう一つ。
二十五時間目。それは肩の力を抜く時間。やれやれと言いたくなる住人たちの世話をしながら暮らしているのだから、これくらいの休息の時間があっても、怒られはしないだろう。
わざとらしく、はあ、と息を吐く。
普段、決して話さないような愚痴を漏らすと、少しだけ身を乗り出して聞いてくれる。
一度だって咎める言葉はなく、ただ笑いながら催促するのだ。あまり笑顔を見せない妹様が笑ってくれるから。だから、ちょっぴり嬉しくて、二人きりの時だけは口の綴じが甘くなる。
「思い切って伸ばしてみたら、このまま、さあ」
きっと似合うよ、とそう言われると、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、口元が弛んでしまうのはどうしたことだろうか。
そんな私の顔を認めて、繰り返す。
「きっと似合う。きっと、うん」
頷きながら撫でられる。跳ね癖の強い前髪を左右に流す手つきはゆったりとしたものであった。
「私等の髪の毛、伸びるのすっごい遅いしさあ」
だから、ね。
そうやってまた、肩から顔がひょっこりと現れる。
「と、言われましても」
「ダメ?」
似合わないですって 似合うって 似合わないです 似合う
一つ笑い声、一つ溜息。言わずもがなであろう。
「偶にはさ。昔みたいに、こうしてみたら」
人の髪の毛を弄り続けて、飽きやしないのだろうか。そんな疑問が浮かんでくるほど嬉々とした態度を崩さないのには感心である。
そうしてまた、髪の毛は形を変え。後ろの方で、左右の髪をそれぞれ束ねて房を作られる。
思い返してみれば、ずっと昔、こんな髪型をしていた頃もあった記憶も、あるような、ないような。
「ほら、こっち向いて。ね、かわいい」
髪留めの代わりの指先は緩やかな感触である。
言われるままに、顔を動かせば向こうも同じく覗き込んでいて、目が合った。
ニヤリ、ではなく、フワリ、というのが当てはまる顔。
「ちょっと、恥ずかしいですね」
そうやって、人差し指で頬を掻いて見せれば。
髪留めは外された。
手つきはやはり優しく丁寧なもので、それはそのまま口にも移っていた。語り口は滑らかに。
「切っちゃうの、やっぱり」
「やっぱり、です。明日にでも。いえ、今からでもいいかもしれません」
「明日にしようか」
「はい」
仕方ないね、と言うと。髪に触れる手の動きに変化が起きた。左の方に寄せた髪は一房で。
お揃いだね、と。
なんとなく、嬉しかった。
「髪の毛を残す方向でお願いします」
白色の甘味を含んだ笑い声を一つ。灰色の苦味を詰めた溜息も一つ。あわせて、二人っきりの部屋を余すところなく満たした。
前者は私の背中側から聞こえたもので、後者は他でもないこの口から出されたものだ。
やれやれと竦めようとした肩は、置かれた手に邪魔されて意味もなく一度上下しただけだった。
世界は24時間をかけて一日を送り、迎え入れる。人も、妖怪も、犬も、猫も、鳥も、虫も。全てが24時間だ。
そして、そんな世界の一部である私の仕事時間が一日につき二十四時間、無休ならば、今は二十五時間目。そう表現したい時間である。
ちょっと休憩。そんな一言を心の中で呟いたのは、ほんの少し前のこと。働き詰めで生きていけるほど人間強くはないのだ。
臀部に伝わる柔らかい感触はベッドのもので、頭部に与えられる小さなくすぐったさは手のひらだ。手のひらの動きに合わせて髪が揺れて、前髪が視界に雨を降らせる。
ベッドの端から投げ出した脚も止めどなく前後に揺れて、行儀良くはなかったがやめるつもりもなかった。持て余した両の腕は揃えて左側に流してある。
「うん。確かに、長いかもね。ちょっと」
「えー、妹様もそう思いますか。やっぱり」
背後で膝立ちになり、髪を弄る彼女に言われた言葉。今日だけで何回ほど聞いただろうか。一日の始まりからかけて、この時間に至るまで、耳に染み付くほどに言われてきた言葉。もう飽き飽きである。
試しに髪を指に巻きつけてみれば、先日よりも数周多く。やはり長かった。肩口を越えても、なお続く髪はどこまでであろうか。
時間を止めても自分の時間は止まらない。当たり前のことであり、非常に厄介なことでもあった。そして、爪などと違って、どうにも視界に入らないものであるため、管理が疎かになりがちなのが、髪だ。
非常に鬱陶しいこと、この上ない邪魔者である。
「皆も考えたら分かると思うんですよ。癖毛ですし、仕事の邪魔になるのに。伸ばすわけないじゃないですか」
「ふーん。まあ、いろいろ大変なんだね」
えらい、えらい、と撫でる手は優しく。編まれ疲れた髪をそっと解す。目を閉じて意識をそちらに向ければ、櫛でも入れてもらっているような感覚だ。
何が偉いのかは疑問ではあるが、褒められるのは悪くはない。全く、皆にも良く考えてもらいたいものだ。こんな邪魔なものを誰が好んで伸ばすものか。
自分の身体の一部なのにどうしてこうも勝手が悪いものなのだろうか。
「ええ、大変なんですよ」
なのに皆ときたら、やれ髪が伸びただのと口うるさいこと。言われなくても自分が一番良く分かっているというのに、どうしてか指摘したくて仕方ないのだろう。
どんな格好をしようと自分の勝手、とはいかないのがメイドの仕事の面倒なところだ。
「嫌になってしまいますよ」
そんな愚痴を零す声と一つの笑い声だけが、部屋を満たす。他には何の音もしない部屋だからこそ満たせる。
満たした後に。背中に重みを感じた。不快になるほど重くもなく、何か分からないほど軽くもない。細い腕の片方が首筋に回ってきて、それと逆の肩から顔が現れた。
目は薄っすらと閉じられており、微笑みである。音も出さずに笑うそれに向けて、人差し指を唇の前に立てて、息を多めに吐く。
「みんなには内緒ですよ。でしょう」
「お願いします」
向こうも合わせて、右手の人差し指を口の前に。頷いて見せれば、頷き返してくる。
片手で私の髪を後頭部で一つに束ねながら。
二人だけの秘密。誰にも内緒の二人だけの会話。
笑い声は一つ。そして、もう一つ。
二十五時間目。それは肩の力を抜く時間。やれやれと言いたくなる住人たちの世話をしながら暮らしているのだから、これくらいの休息の時間があっても、怒られはしないだろう。
わざとらしく、はあ、と息を吐く。
普段、決して話さないような愚痴を漏らすと、少しだけ身を乗り出して聞いてくれる。
一度だって咎める言葉はなく、ただ笑いながら催促するのだ。あまり笑顔を見せない妹様が笑ってくれるから。だから、ちょっぴり嬉しくて、二人きりの時だけは口の綴じが甘くなる。
「思い切って伸ばしてみたら、このまま、さあ」
きっと似合うよ、とそう言われると、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、口元が弛んでしまうのはどうしたことだろうか。
そんな私の顔を認めて、繰り返す。
「きっと似合う。きっと、うん」
頷きながら撫でられる。跳ね癖の強い前髪を左右に流す手つきはゆったりとしたものであった。
「私等の髪の毛、伸びるのすっごい遅いしさあ」
だから、ね。
そうやってまた、肩から顔がひょっこりと現れる。
「と、言われましても」
「ダメ?」
似合わないですって 似合うって 似合わないです 似合う
一つ笑い声、一つ溜息。言わずもがなであろう。
「偶にはさ。昔みたいに、こうしてみたら」
人の髪の毛を弄り続けて、飽きやしないのだろうか。そんな疑問が浮かんでくるほど嬉々とした態度を崩さないのには感心である。
そうしてまた、髪の毛は形を変え。後ろの方で、左右の髪をそれぞれ束ねて房を作られる。
思い返してみれば、ずっと昔、こんな髪型をしていた頃もあった記憶も、あるような、ないような。
「ほら、こっち向いて。ね、かわいい」
髪留めの代わりの指先は緩やかな感触である。
言われるままに、顔を動かせば向こうも同じく覗き込んでいて、目が合った。
ニヤリ、ではなく、フワリ、というのが当てはまる顔。
「ちょっと、恥ずかしいですね」
そうやって、人差し指で頬を掻いて見せれば。
髪留めは外された。
手つきはやはり優しく丁寧なもので、それはそのまま口にも移っていた。語り口は滑らかに。
「切っちゃうの、やっぱり」
「やっぱり、です。明日にでも。いえ、今からでもいいかもしれません」
「明日にしようか」
「はい」
仕方ないね、と言うと。髪に触れる手の動きに変化が起きた。左の方に寄せた髪は一房で。
お揃いだね、と。
なんとなく、嬉しかった。