▼
私は妖怪「さとり」。
だから多くの醜いモノを見る事になった。
それは恐ろしいモノであり、哀しいモノであり、おぞましいモノだった。
それまではペット達の心を知り、心を通わせる事にこの上ない喜びを感じていた。
これまではそうだった。これからもそれで良いと思っていた。
けれど。
地霊殿に来るモノ。好奇の目で見てくるモノ。猫なで声で近づくモノ。
彼らの心の底、何も見えなくなる程、真っ暗で。
ソレはペットに向けられていて。私達に向けられていて。
そして「私」に向けられていて。
何時からだろう。彼らの心を覗く事に恐ろしさを感じるようになった。
恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて――もう、見たくなくて。
それでも私の能力はそれを許さない。
目を逸らしても聞こえてくる。耳を塞げど直に頭に響いてくる。
響く。聞こえる。見える。
もう今は、眼を逸らす事すら出来なくなってしまった。
もう、耐えられなかった。
▲
私はそんなあの子を見ていた。
あの子は押し潰されそうになっていた。周囲の心に。私やペットの心に。
そして何より、あの子の、その能力自体に。
私は大丈夫だった。もうこの力に諦めを付けて、利用することを決めていたから。
もうきっと言葉を話す何者かと心を通わせる事は出来ないだろう。
そう諦めていたから。
けれど。
あの子は諦められなかったのだろう。
汚らしい事、醜い事を心の底に持ちながら近づくモノ達。
それらの心を見て、眼を背けて。
それでも、彼らと話したかったのだろう。
心を、通わせたかったのだろう。
傍で見ていてあの子が努力するのがわかった。
あの子が疲れて行くのがわかった。
心が擦り切れて行くのがわかった。
そうしてそれでも、諦めれないで居るのが、痛いほど解ってしまった。
だから私も傍で見守り続けた。
けれど。
その果てに。
▼
私は第三の瞳を、閉じてしまった。
一度閉じてしまえば、もう開けない。そう解っていても。
閉じずには居られなかった。
あの優しかった彼女が。
あの厳しかったあの人が。
あんな事を考えているなんて。そんな事を思っているなんて。
そんな事を知りたくなくて。
私は目を閉じ、耳を塞いで、何も聞かないで済むようになった。
何も見ず何も聞かず。ペット達の言葉も分からなくて。
でもある種の満足感があった。そしてそれに酔って居られた。
その満足感を遥かに凌駕する、『ソレ』に気付くまでは。
▲
あの子は瞳を閉じてしまった。
一度閉じてしまえば、もう開けない。そう解っていて。
あの子は、満足そうだった。そしてそれ以上に、寂しそうだった。
そう、あの子は瞳を閉じるべきでは無かった。
だってあんなに寂しがり屋なのだから。
あれほど努力していたのだから。
あの子は気付いていなかっただけなのに。
醜い心ばかりが目についていただけなのに。
キチンとあの子の事を思ってくれている心もあったのに。
私だって、あの子の事を、大事に思っていたのに。
あの子はもう何も見ない、何も聞かない。そして何も、しない。
私は嫌だった。けれどこれでも良いかとも思った。
あの子がそれで良いのなら。満足しているのなら。安心して、いられるのなら。
そう思っていた。
あの子が遥かに大きな『ソレ』に気付くまで。
遥かに大きな、『孤独』に気付いてしまうまでは。
▼
寂しい寂しい寂しい――。
私は何も見えない、何も聞こえない、何も響かない。
怖い怖い怖い――。
何故目を閉じてしまったの?
何故知ろうとしなかったの?
何故見ようとしなかったの?
暗い暗い暗い――。
目を閉じてようやく気付いた。
私を心配してくれる心があった事。
私に好意を抱いてくれている心があった事。
私を。大事に思ってくれている、心があった事。
助けて助けて助けて――。
今更気付いても遅すぎる。
目を閉じてしまってもう自分では開けられない。
だから、私は暗くて静かで寂しくて、怖い。
助けて、私を、ここから助けて。
もう、此処には、居たくないよ。
▲
あの子は気付いてしまった。
何も無い恐ろしさに。何も無い暗闇に。そしてその恐ろしさに。
あの子は気付いてしまった。
自分を思う人の心に。その温かさに。そしてその優しさに。
他の者には解らないだろう。
他の「さとり」にも解らないだろう。
けど私には解る。
唯一人の、肉親なんだから。
あの子は目を閉じたから。
もし開けられたのなら、もう大丈夫だろう。
あの子は優しさに気付けるだろう。
醜さに耐えられるだろう。
心を通わせられるだろう。
私とは、違って。もう瞳を開けて居ても閉じていても同じ、私とは違って。
だから私は。
▼
寂しい。怖い。暗い。助けて。
同じ言葉がぐるぐる回る。
かつて見た醜い心がおぼろげに回る。
かつて見た優しい心が、美しく、ハッキリと暖かさを放ち、回る。
その中で私はただ在るだけ。
もう自分ではどうしようもない、その暗闇の中で。
これからもきっと――。
“大丈夫だよ”
声が、聞こえた。
“大丈夫だよ”
ソレは懐かしく、そして最も聞きたかった声。
“大丈夫だよ。もう、寂しくないよ”
“貴方は気付いた。だから大丈夫”
“後は貴方の瞳を開けるだけ。貴方の瞳をもう一度”
“けれど貴方にその力はもう無い。何処を捜しても”
“だから――”
“だから貴方に、私の瞳を、あげる”
そうして、優しく暖かな手が頬に触れるのを感じて。
私の“瞳”は、久方振りに、ゆっくりと開いた。
▲
あの子は瞳を取り戻した。
私が瞳を失った事に気付いて、大泣きしながら心配したりもしたけれど。
私は大丈夫だと告げて、あの子を励ました。
あの子は瞳を取り戻して、閉じる前よりも元気になった。
優しさや好意に、素直に気付けるようになったからだ。
無論、醜いモノもまだまだ沢山見る事になる。
けれど、その痛みも、優しさや好意が癒してくれるだろう。
もう私が心配する事もない。
だけどそれでも心配だから。
私は、あの子に一声かけるのだ。
「頑張ってね、お姉ちゃん」
私は妖怪「さとり」。
だから多くの醜いモノを見る事になった。
それは恐ろしいモノであり、哀しいモノであり、おぞましいモノだった。
それまではペット達の心を知り、心を通わせる事にこの上ない喜びを感じていた。
これまではそうだった。これからもそれで良いと思っていた。
けれど。
地霊殿に来るモノ。好奇の目で見てくるモノ。猫なで声で近づくモノ。
彼らの心の底、何も見えなくなる程、真っ暗で。
ソレはペットに向けられていて。私達に向けられていて。
そして「私」に向けられていて。
何時からだろう。彼らの心を覗く事に恐ろしさを感じるようになった。
恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくて――もう、見たくなくて。
それでも私の能力はそれを許さない。
目を逸らしても聞こえてくる。耳を塞げど直に頭に響いてくる。
響く。聞こえる。見える。
もう今は、眼を逸らす事すら出来なくなってしまった。
もう、耐えられなかった。
▲
私はそんなあの子を見ていた。
あの子は押し潰されそうになっていた。周囲の心に。私やペットの心に。
そして何より、あの子の、その能力自体に。
私は大丈夫だった。もうこの力に諦めを付けて、利用することを決めていたから。
もうきっと言葉を話す何者かと心を通わせる事は出来ないだろう。
そう諦めていたから。
けれど。
あの子は諦められなかったのだろう。
汚らしい事、醜い事を心の底に持ちながら近づくモノ達。
それらの心を見て、眼を背けて。
それでも、彼らと話したかったのだろう。
心を、通わせたかったのだろう。
傍で見ていてあの子が努力するのがわかった。
あの子が疲れて行くのがわかった。
心が擦り切れて行くのがわかった。
そうしてそれでも、諦めれないで居るのが、痛いほど解ってしまった。
だから私も傍で見守り続けた。
けれど。
その果てに。
▼
私は第三の瞳を、閉じてしまった。
一度閉じてしまえば、もう開けない。そう解っていても。
閉じずには居られなかった。
あの優しかった彼女が。
あの厳しかったあの人が。
あんな事を考えているなんて。そんな事を思っているなんて。
そんな事を知りたくなくて。
私は目を閉じ、耳を塞いで、何も聞かないで済むようになった。
何も見ず何も聞かず。ペット達の言葉も分からなくて。
でもある種の満足感があった。そしてそれに酔って居られた。
その満足感を遥かに凌駕する、『ソレ』に気付くまでは。
▲
あの子は瞳を閉じてしまった。
一度閉じてしまえば、もう開けない。そう解っていて。
あの子は、満足そうだった。そしてそれ以上に、寂しそうだった。
そう、あの子は瞳を閉じるべきでは無かった。
だってあんなに寂しがり屋なのだから。
あれほど努力していたのだから。
あの子は気付いていなかっただけなのに。
醜い心ばかりが目についていただけなのに。
キチンとあの子の事を思ってくれている心もあったのに。
私だって、あの子の事を、大事に思っていたのに。
あの子はもう何も見ない、何も聞かない。そして何も、しない。
私は嫌だった。けれどこれでも良いかとも思った。
あの子がそれで良いのなら。満足しているのなら。安心して、いられるのなら。
そう思っていた。
あの子が遥かに大きな『ソレ』に気付くまで。
遥かに大きな、『孤独』に気付いてしまうまでは。
▼
寂しい寂しい寂しい――。
私は何も見えない、何も聞こえない、何も響かない。
怖い怖い怖い――。
何故目を閉じてしまったの?
何故知ろうとしなかったの?
何故見ようとしなかったの?
暗い暗い暗い――。
目を閉じてようやく気付いた。
私を心配してくれる心があった事。
私に好意を抱いてくれている心があった事。
私を。大事に思ってくれている、心があった事。
助けて助けて助けて――。
今更気付いても遅すぎる。
目を閉じてしまってもう自分では開けられない。
だから、私は暗くて静かで寂しくて、怖い。
助けて、私を、ここから助けて。
もう、此処には、居たくないよ。
▲
あの子は気付いてしまった。
何も無い恐ろしさに。何も無い暗闇に。そしてその恐ろしさに。
あの子は気付いてしまった。
自分を思う人の心に。その温かさに。そしてその優しさに。
他の者には解らないだろう。
他の「さとり」にも解らないだろう。
けど私には解る。
唯一人の、肉親なんだから。
あの子は目を閉じたから。
もし開けられたのなら、もう大丈夫だろう。
あの子は優しさに気付けるだろう。
醜さに耐えられるだろう。
心を通わせられるだろう。
私とは、違って。もう瞳を開けて居ても閉じていても同じ、私とは違って。
だから私は。
▼
寂しい。怖い。暗い。助けて。
同じ言葉がぐるぐる回る。
かつて見た醜い心がおぼろげに回る。
かつて見た優しい心が、美しく、ハッキリと暖かさを放ち、回る。
その中で私はただ在るだけ。
もう自分ではどうしようもない、その暗闇の中で。
これからもきっと――。
“大丈夫だよ”
声が、聞こえた。
“大丈夫だよ”
ソレは懐かしく、そして最も聞きたかった声。
“大丈夫だよ。もう、寂しくないよ”
“貴方は気付いた。だから大丈夫”
“後は貴方の瞳を開けるだけ。貴方の瞳をもう一度”
“けれど貴方にその力はもう無い。何処を捜しても”
“だから――”
“だから貴方に、私の瞳を、あげる”
そうして、優しく暖かな手が頬に触れるのを感じて。
私の“瞳”は、久方振りに、ゆっくりと開いた。
▲
あの子は瞳を取り戻した。
私が瞳を失った事に気付いて、大泣きしながら心配したりもしたけれど。
私は大丈夫だと告げて、あの子を励ました。
あの子は瞳を取り戻して、閉じる前よりも元気になった。
優しさや好意に、素直に気付けるようになったからだ。
無論、醜いモノもまだまだ沢山見る事になる。
けれど、その痛みも、優しさや好意が癒してくれるだろう。
もう私が心配する事もない。
だけどそれでも心配だから。
私は、あの子に一声かけるのだ。
「頑張ってね、お姉ちゃん」
逆だったのか