幻想郷の空に鳥以外の生き物が飛んでいる事は然程珍しくない。寧ろ日常茶飯事と言って良いだろう。
だが、空に魚がいる事は珍しい。恐らく外の世界でも珍しいと思う。
いや、確か世界にはトビウオという空を舞う魚がいると聞いた事があるが……まぁ、今は置いておくとしよう。
とにかく、幻想郷の空には昼に吸血鬼が飛び回る事があったとしても、魚が飛び交う事は無い。
だがしかし、今日の空には風の水流に乗った魚が泳いでいた。
里の寺子屋辺りだろうか。その上空に三匹の魚が飛んでいる。
その魚は、鯉。人が縦に三人程並んだくらいの大きさを誇る巨大な鯉だ。
何故こんな事になっているのか、それには当然理由がある。
それは何かと訊ねられれば、皆口を揃えてこう言う事だろう。
今日は端午の節句だからと。
「……しかし、目立つな」
香霖堂の窓から見える鯉幟を見て、ふとそんな言葉が口から漏れた。
黒い真鯉、赤い緋鯉、青い子鯉。風にたなびくその姿は、ある意味弾幕ごっこと同等かそれ以上に目立っている。
「まぁ、寺子屋に飾ったのは妥当だな」
確か鯉幟は家の男児の出世を願って飾るものだったか。江戸時代に武家で始まった事だから、別段おかしな事も無いだろう。
寺子屋に通う生徒が、将来里にとって重要な人物になるように。
男女が混同されている様な気もするが、外界では今日は「子供の日」だ。何も問題ないのだろう。
「……ん?」
とそんな事を考えていると、緋鯉の紅白とは別の紅白が空に飛んでいるのが見えた。
少しづつではあるが、その二色は此方へと近づいてくる。
「……やれやれ」
近づいてくるそれに背を向け、僕は店の中へと戻る。
取り敢えず、茶を二つ淹れなければな。
そんな事を考えながら。
***
――カランカラッ。
「霖之助さん?」
「あぁ、いらっしゃい霊夢」
予想通り、僕が鳴らした扉の鈴は、次に霊夢の来店を告げてくれた。
「近づいてきてるの絶対分かってたでしょ? もうすぐ到着って時に中に入るのはどうかと思うわ」
「別にいいだろう。それに来るのに気付いたからお茶は淹れてあるよ」
「あら、霖之助さんにしては気が利くわね。明日は雨かしら」
「梅雨には早いよ」
そんな事を言いながら、霊夢の方へと湯飲みを差し出す。前々から気にはなっていたのだが、何故此処には霊夢専用の湯飲みが置いてあるのだろうか。
「あら? これ棚の奥にあった玉露じゃない。本当に明日は雨かしら」
「偶にはいいかと思ってね。って、何でこの茶葉がある所を知ってるんだ」
「漁ってたら見つけたわ。今日辺り飲もうかと思ってたから丁度良かった」
「全く……」
この子は家を何だと思ってるのだろう。
「あ、そうそうこれ」
「ん?」
霊夢は持っていた笹の包みを勘定台に置き、再び茶を啜った。
「それ、柏餅」
「ほう。端午の節句らしいと言えばらしいね。どうしたんだい?」
「妖怪退治したお礼に貰ったのよ。折角だからこの玉露のお茶請けで食べようと思ってたの」
「僕の物だという意識は無いのかい」
「でも淹れてくれたじゃない」
「……それは」
まぁ……勝手に飲まれるよりは自分で淹れるかと思って淹れたのだが、そう言っても信じないだろう。
「ふふっ」
そんな僕の考えを知ってか知らずか。霊夢は楽しそうに目を細め、湯飲みを傾けている。
「玉露なんだから、もっと味わって飲んでほしいね」
「ちゃんと味わってるわよ。……って、もうなくなっちゃった。おかわり貰うわねー」
「あぁ、僕のも頼む」
「はいはい」
そう言って霊夢は椅子から立ち上がり、二つの湯飲みを手に店の奥へと足を進める。
もう慣れたもので、あの子が普通に奥へ入る事に何の違和感も感じない。習慣化とは恐ろしいものだ。
そんな事を考えながら、霊夢の土産である柏餅を口へと放り込む。
「……ふむ、中々に美味いな」
恐らく結構な上物の品だろう。あの玉露の茶菓子として食べたくなるのも分かる気がする。
「はい、霖之助さん」
「あぁ、有難う」
霊夢から手渡された淹れたての玉露を口に含む。
二回目だからだろうか。先程よりも若干苦味があり、餡の甘さと相性はいい。それに、僕が淹れた物よりもお茶の味に深みがあるような気がする。
同じ茶葉だというのに、淹れ方一つでこうも違うものなのだろうか。
「んー。やっぱりいいお茶だわ」
「まぁ結構値が張る品だからね。美味いのは当然さ」
「どうかしらね? 淹れ方が上手じゃないと、どんな高級茶葉も泥水に早変わりよ」
「フム、それもあるだろうね」
でしょう? と返して、霊夢は茶と一緒に持ってきたであろう煎餅に齧りついた。
「って、何処から持ってきたんだその煎餅」
「あー? 確か棚の上から三番目」
「上から三番目……あぁ、それは来客用に取っておいた物なんだが」
「確実に湿気るわ」
「酷いな」
まぁ、確かに香霖堂に客が来る事は少ない。だが決して零ではないのだ。
しかし来る頻度を考えれば、湿気る前に食べた方がいいのかも知れない。
……それにしても、この子は本当に遠慮というものを知らないな。
「あー、お茶が美味しいわー」
外を見ながら茶を啜る霊夢を見て、ふとそんな事を思う。
いや……遠慮を知らないというより、周りを気にしない、と言った方がいいのかもしれない。遠慮する事もあるし、知らないという言い方は無かったな。
常に回りを気にせず自分の気分で立ち回るその姿を見ていると、この子は一人でも生きていけるんじゃないか等と思ってしまう。
「……ん、何? 霖之助さん。さっきからずっとこっち見てるけど……あ、見惚れた?」
「いや、そういう訳じゃないが……君は一人でも生きていけるんじゃないかなぁ、とね」
そう言うと、霊夢は一瞬だけではあるが驚いた様な表情を浮べた。
「何言ってるの。一人で生きてくなんて絶対に無理よ」
「そうかい? 君はできそうだけどね」
「無理無理、不可能もいい所よ。誰の世話も受けずに生きていくなんて絶対に無理」
誰の世話も受けず……か。一人で生きていくと言う事は、確かにそういう事でもあるな。
「だって生まれた時に親の世話になってるし、幻想郷に暮らす以上は紫の世話になってるし……霖之助さんにだって、巫女服とかお茶とか世話になってるもの」
「……フム、それもそうか」
「霖之助さんだって、霧雨の親父さんに世話になったんでしょ?」
「まぁ、ね」
そう考えてみれば、修行時代親父さんには随分と世話になった。
何処の馬の骨とも分からない半妖を弟子にしてくれたのだ。あの人には本当に頭が上がらない。
「……まぁ簡単に言うと、霖之助さんが支えてくれてるから、私は異変解決できるのよ」
「……成程」
「ホラ、アレよ。内助の功ってヤツね」
「……それは少し意味合いが違うと思うがね。内助の功は妻が内から夫を助ける事だよ」
「あら、ぴったりじゃない。結婚してないだけで」
「……まぁ、関係は近いのかもしれないが」
性別と結婚の有無が違うが、内から助ける、という意味では案外的を得ているのかもしれない。
「じゃあさ、霖之助さん」
そんな事を考えていると、霊夢が残り一つの柏餅を口へ運びながら僕を呼んだ。
「……何だい」
物を食べながら話すのははしたないから止めなさいと注意を促した後、霊夢が柏餅を咀嚼するのを確認して、僕は霊夢の言葉に耳を傾けた。
霊夢は僕に向き直り、玉露を飲み干した。
そして少しだけ頬を赤く染めながら、その言葉を口にした。
「内助の功の違い、性別だけにする?」
そして最後の一言、実現させてくれませぬか?
お茶に柏餅って良いですよねぇ。
最初からベタベタしてる訳ではなく、最後で良い具合にニヤニヤさせてくれますね。
ここで男を見せなきゃヘタレですぜ店主?
何か私も霊霖が書きたくなってきましたよ。
でも霊夢と霖之助さんの間に流れる空気って、
大体こんな感じなんでしょうね。
コメントの返信をさせていただきます。
>>投げ槍 様
すいません、自分の力では無理なのです……
>>2 様
有難う御座いますっ。
>>3 様
あのしつこくない餡と餅、それに少し渋いお茶とかいいですよね!
>>4 様
そう言って頂けると嬉しいです!
>>5 様
最初からベタベタしてるっていうのは、自分の中では逆に作りにくいですねw
>>6 様
「結婚はそう簡単にするものじゃないよ」ってバッサリ切り捨てそうですねw
>>高純 透 様
書くんだったら頑張って下さい! 応援します!
>>淡色 様
枯れた老夫婦の路線っていいですよね。ウ_フ_フ
読んでくれた全ての方に感謝!