寂しさに宿を立ち出でて眺むれば。
人々が歌を嗜んだ時代から幾星霜。昔から人間というのは、秋の夕暮れには何とも言えない寂しさを感じるらしい。
なるほど考えてみると、遠くへと去る夏鳥の声も元気をなくした蝉の音も、どこか寂しい寂しいと歌っているように聞こえてくる。
ああ、そうか。きっと妖怪にとってもそれは同じものなのだ。
岩にさえ歯向かわない緩やかな川の流れを横目に、暮れゆく輝きへと私はメランコリックな溜め息をついた。
夕餉の魚はいくらか獲ったし、もうこんなところ長居せずに帰ろうか。
優れぬ気分のまま重い腰を上げて、家路に向かおうとするそんな私の背中を。
けれど、どこからか漂ってきた香ばしい匂いがぐいと引き止めた。
「何だろ……焼き芋かな?」
それはこの時季としては別段珍しくもない甘い匂いだった。
しかしそれだけでも、これまでぱっとしなかった好奇心と空腹を揺さぶるには充分で。
はて、こんな夕暮れ時に、こんな妖怪の山の奥で。
どこの誰が焼き物になぞ夢中になっているのだろうか。
そんなちょっとした興味をリュックとともに背負って、私は匂いやかな白煙を探し始めたのだった。
もしかしたら、ただ。
好物の秋魚さえも癒してくれないこの寂しさを、他の誰かと共有したいと思っただけなのかもしれない。
たとえばそう、彼女と一緒に。
ほくほくと熱い湯気を上げる芋を両手いっぱいに抱えながら、私は道なき森の茂みの中を目的地に向かってさくさくと歩いていた。
それにしても何て気前のいい神様たちなのだろう。
作りすぎたからとこんなにも焼き芋をくれるなんて。
この分だと、しばらくはおならの止まらない日々が続くんだろうなあ。
河童だからそれでも別にかまわないけれど、乙女としてはそれではいけない気がする。乙女という年頃ではとっくにないのだが。
まあ、それはともかくとして。
こうしてお土産はたくさん持ったから、あとは彼女を見つけるだけだ。
さて、彼女はいつものように下流の方で厄を集めているのかな。
わくわく、どきどき。胸を打つ鼓動は枯れ葉を踏みしめるごとに大きくなる。
何だ、やっぱまだまだ乙女じゃないか。
いつまで経っても慣れないその緊張感に、私はまた溜め息を零したい気分だった。
ほっそりとした枝葉を数多掻き分けていくと、やがて先ほどいた川辺よりもさらに穏やかな場所へと私は辿り着いた。
一見すると動いてもないように思われる、開けた谷間の長閑な流れ。
舞い散っていくたくさんの紅葉が赤々とその清水を染めていた。
そんな息を飲むほどの絶景の中心に、彼女はひっそりと佇んでいた。
艶やかな緑髪、秋に溶け込む赤黒く眩しいその御姿。
我らが厄神様は、声をかけるまでもなくこちらに振り向いて、どきりとするほど優しく微笑んでくれた。
「今日もまた来ると思ったわ」
「あちゃー、驚かそうと思ったのになあ」
「その手に持っているものには驚かされたけど」
「おお、それは僥倖。神様を驚かせたとあっては私の名も上がるかもね」
「ふふ、何よそれ」
お尻の痛くなりそうな岩場に一緒に座り込んで、うふふあははと笑い合う。
それで、その美味しそうなものはどうしたのかしら。
隣にころころ築かれた焼き芋の山を前に、彼女が興味深そうに訊いてくるから。
私は見栄っ張りな脚色を加えながらも、これまでの大雑把な経緯を話して聞かせた。
「ああ、それはきっと秋の姉妹神ね」
「うーん、噂には聞いたことあったけど、直に会ってお話したのはこれが初めてだよ」
それにしても気前のいい神様だったなあ。
「きっと、秋が来て嬉しかったんでしょう」
ああ、なるほどね。
どこかしら芋を焼く手に気合が入っていたのはそのせいか。
思い出した彼女たちの血気盛んな姿に、私は無意識にも苦笑いを浮かべていた。
「嬉しい、か……」
「にとり?」
秋の神様たちは、たしかにとても嬉しそうで幸せそうだった。
落ち葉だけでなく、物憂げに夕日を見つめていた私の心にさえも火をつけるほどに。
だけど、それでも。
「雛は、私が来て嬉しい?」
その奥底ではまだ、神ですら救えない感情が渦巻いているようだった。
秋だからという言い訳だけでは表せないほどの寂しさが。
「ここで出逢ったあの日から」
でも、やっぱりそんな小さな気持ちさえも見逃さないように。
「私を独りにしてくれない河童さんが、毎日待ち遠しくてしかたないわ」
神様は私に救いの手を差し伸べてくれるのだった。
いづこも同じ秋の夕暮れ、なんて嘘っぱちかもね。
だって彼女と見る夕暮れはこんなにも素晴らしいのだから。
乾いても美味しい焼き芋をゆっくりと咀嚼しながら。
私は赤い空にそっと幸せの溜め息をついた。
人々が歌を嗜んだ時代から幾星霜。昔から人間というのは、秋の夕暮れには何とも言えない寂しさを感じるらしい。
なるほど考えてみると、遠くへと去る夏鳥の声も元気をなくした蝉の音も、どこか寂しい寂しいと歌っているように聞こえてくる。
ああ、そうか。きっと妖怪にとってもそれは同じものなのだ。
岩にさえ歯向かわない緩やかな川の流れを横目に、暮れゆく輝きへと私はメランコリックな溜め息をついた。
夕餉の魚はいくらか獲ったし、もうこんなところ長居せずに帰ろうか。
優れぬ気分のまま重い腰を上げて、家路に向かおうとするそんな私の背中を。
けれど、どこからか漂ってきた香ばしい匂いがぐいと引き止めた。
「何だろ……焼き芋かな?」
それはこの時季としては別段珍しくもない甘い匂いだった。
しかしそれだけでも、これまでぱっとしなかった好奇心と空腹を揺さぶるには充分で。
はて、こんな夕暮れ時に、こんな妖怪の山の奥で。
どこの誰が焼き物になぞ夢中になっているのだろうか。
そんなちょっとした興味をリュックとともに背負って、私は匂いやかな白煙を探し始めたのだった。
もしかしたら、ただ。
好物の秋魚さえも癒してくれないこの寂しさを、他の誰かと共有したいと思っただけなのかもしれない。
たとえばそう、彼女と一緒に。
ほくほくと熱い湯気を上げる芋を両手いっぱいに抱えながら、私は道なき森の茂みの中を目的地に向かってさくさくと歩いていた。
それにしても何て気前のいい神様たちなのだろう。
作りすぎたからとこんなにも焼き芋をくれるなんて。
この分だと、しばらくはおならの止まらない日々が続くんだろうなあ。
河童だからそれでも別にかまわないけれど、乙女としてはそれではいけない気がする。乙女という年頃ではとっくにないのだが。
まあ、それはともかくとして。
こうしてお土産はたくさん持ったから、あとは彼女を見つけるだけだ。
さて、彼女はいつものように下流の方で厄を集めているのかな。
わくわく、どきどき。胸を打つ鼓動は枯れ葉を踏みしめるごとに大きくなる。
何だ、やっぱまだまだ乙女じゃないか。
いつまで経っても慣れないその緊張感に、私はまた溜め息を零したい気分だった。
ほっそりとした枝葉を数多掻き分けていくと、やがて先ほどいた川辺よりもさらに穏やかな場所へと私は辿り着いた。
一見すると動いてもないように思われる、開けた谷間の長閑な流れ。
舞い散っていくたくさんの紅葉が赤々とその清水を染めていた。
そんな息を飲むほどの絶景の中心に、彼女はひっそりと佇んでいた。
艶やかな緑髪、秋に溶け込む赤黒く眩しいその御姿。
我らが厄神様は、声をかけるまでもなくこちらに振り向いて、どきりとするほど優しく微笑んでくれた。
「今日もまた来ると思ったわ」
「あちゃー、驚かそうと思ったのになあ」
「その手に持っているものには驚かされたけど」
「おお、それは僥倖。神様を驚かせたとあっては私の名も上がるかもね」
「ふふ、何よそれ」
お尻の痛くなりそうな岩場に一緒に座り込んで、うふふあははと笑い合う。
それで、その美味しそうなものはどうしたのかしら。
隣にころころ築かれた焼き芋の山を前に、彼女が興味深そうに訊いてくるから。
私は見栄っ張りな脚色を加えながらも、これまでの大雑把な経緯を話して聞かせた。
「ああ、それはきっと秋の姉妹神ね」
「うーん、噂には聞いたことあったけど、直に会ってお話したのはこれが初めてだよ」
それにしても気前のいい神様だったなあ。
「きっと、秋が来て嬉しかったんでしょう」
ああ、なるほどね。
どこかしら芋を焼く手に気合が入っていたのはそのせいか。
思い出した彼女たちの血気盛んな姿に、私は無意識にも苦笑いを浮かべていた。
「嬉しい、か……」
「にとり?」
秋の神様たちは、たしかにとても嬉しそうで幸せそうだった。
落ち葉だけでなく、物憂げに夕日を見つめていた私の心にさえも火をつけるほどに。
だけど、それでも。
「雛は、私が来て嬉しい?」
その奥底ではまだ、神ですら救えない感情が渦巻いているようだった。
秋だからという言い訳だけでは表せないほどの寂しさが。
「ここで出逢ったあの日から」
でも、やっぱりそんな小さな気持ちさえも見逃さないように。
「私を独りにしてくれない河童さんが、毎日待ち遠しくてしかたないわ」
神様は私に救いの手を差し伸べてくれるのだった。
いづこも同じ秋の夕暮れ、なんて嘘っぱちかもね。
だって彼女と見る夕暮れはこんなにも素晴らしいのだから。
乾いても美味しい焼き芋をゆっくりと咀嚼しながら。
私は赤い空にそっと幸せの溜め息をついた。