『春ですよー!』とは一つの完成された宇宙である。
まず、「は」の発音にはシミャっとしてフニュっとした春先の柔らかな木漏れ日、草花に宿る生命の息吹を感じさせるものでなくてはならない。
そのためには丹田に意識を集中させ、肺は力をぬき、唇には透明な決意を乗せねばならぬ。
次に「る」。
かかる発音には、子どもが秘密基地で戯れるような遊びの心を持ち、それでいて修飾が過ぎないように気をつけねばならぬ。
必要なのは軽さのバランス。
受け手に押しつけるようであってはならぬ。しかし聞き流されるようなものであってもならぬ。
思わず興味をそそるような、そんな期待感を抱かせる声色でなければならない。
さて「はる」まで来た。
しかし、ここで油断大敵。受け手は既に春の到来を感じている。しかし断定はしていない。ゆえに期待と不安がないまぜになった不思議な感情が支配しているに違いない。不安定と不安は一字しか違わぬのだ。一刻も早く安定させねばならぬ。
ここで肝要なのは焦ってはならないということだ。急いては事を仕損じる。
何事も時間と猶予をもってこそ、大事をなせる。
したがって「です」には、計算が必要だ。
春を断じる力強さと野心。
動物的な欲望を、春を求める渇望を、まるで感電したかのような感動に身をふるわせつつ断定の言葉に変える。
春が! 春が! 春が来たのだ!
我らのメシアがついに到来したのだ。この喜びをどうして抑えることができよう。
世の秘密をついに解き明かした科学者のように、あこがれの姫君の心を射止めた騎士のように、わが心は歓喜に震えている。
ああ、こんなにも嬉しいことはない!
しかし、わたしの欲望は『春』を破壊してしまわないだろうか。
あの軽やかな季節。皆が待ち焦がれる『春』は桜のように儚い概念である。
したがって、『春』は断定してはならぬ。
断定を待ち焦がれつつも、咄嗟に身をかわすような、まるで少女のスカートのように、ひらりひらりと欲望の視線をかわしつづけなければならぬ。
したがって「よ」は「です」を覆滅する言葉である。すなわち沈黙から要求された言葉である。
断定と欲望の「です」押しつけにならぬ配慮と沈黙の「よ」、両者は不可分にして一体でならねばならぬ。
最後には散り際の幽玄の美を仮託するように、力を抜きつつ、しかしながら伸びきった辺りに響く声を「ー!」のなかにこめる。
それは祈りである。
世界に希望を充たそうとするわたしの欲望の具現である。されどその欲望は皆に希求された色のない欲望である。
わたしはそこで春の偶像になる。
以上が「春ですよー!」の哲学である。
それなのに!
わたしの哲学は、無残にも手折られたのだ。
ただの一介の妖怪ごときが、モノマネに過ぎぬ、偽りの「春ですよー!」を返してきたのである。
最初は驚きのあまり聞き間違いかと思った。まさか、わたし以外の存在が「春ですよー!」の繊細さを理解できるとも思えなかったのだ。
しかし、きゃっつめは……、物も考えず、哲学もなく、ただ言葉を外形だけ真似て返してきたのだとわかった。
血が沸いた。
怒髪天を衝くとはこのことを言うのだろうか。
許さぬ。
春を穢すやからは許さぬ。
しかしながら、春の哲学とは調和こそが本質である。怒りや憎悪、なかんずく相手を排斥する思想とは相容れない。春とは絶対の他者を惜定し、その他者に対して無限の責任を負うという思想なのである。したがって、わたしはわたしの存在を「春ですよー」という声によってのみ主張しなければならぬ。
わたしはわたしの存在を賭けて「春ですよー!」と叫ばなければならぬ。
ゆえにわたしは声を大にして言った!
「春ですよー!」
奴と目があった。奴は一瞬わたしに向かって不敵に微笑みかけたような気がした。
――その程度の『春ですよー!』などものの数ではない。
そう言いたげな表情だった。
そして、奴は一層大きな声で返答してきた。
「春ですよー!」
頭をかきむしりたくなった。
ただ声がでかいだけの、わたしが上で述べたような繊細な美学を一片も理解していない能天気な言の葉だった。
真似るならそれでもよい。
コピーできるのならそれでもよい。
春の思想と哲学、そして魂をわかちあうことができるのなら、ほんのわずかでも理解しているのなら、わたしは彼女が「春ですよー!」と宣言することを許しただろう。
だが、彼女には思想がなかった。哲学がなかった。魂がなかった。
それはただの音に過ぎず、空間と時間は穢された。なまじっか「春ですよー!」という同じ言葉をつむいでいるだけに、彼女の言葉は春の神聖さに土足で足を踏み入れる行為だったのである。
負けてはならぬ。
ここで彼女の言葉を沈黙によって肯定すれば、わたしの思想は敗北することになる。それは春の敗北に等しい。
春は物を言わぬ。春は抵抗せぬ。したがって、春は自身を防衛せぬ。それが自身の存在意義であるからだ。
ゆえに、わたしは春を守護せねばならない。
いや、わたし以外の誰ができようか。
「はるッ! ですよー!!」
限界まで大きな声をだす。そこには抗議の意味も含まれていた。もしも、哀れみを感じるのなら、もうこれ以上、春を穢さないでほしい。わたしは戦わぬ。春を守護するために春の思想と相容れぬ戦い方はできぬ。そこには凄烈な覚悟のみがある。無抵抗による抵抗のみがある。
しかし、奴はやはり不敵に笑うのみだった。
無邪気さを装った幼子の笑みである。なんという悪魔的な微笑みなのだろうか。
「はるッ! ですよー!!」
ちくしょう。まただ。また陵辱された。わたしの言葉は慰みものにされたのだ。
このまま終わればわたしの言葉は無意味になる。
終わらせぬわけにはいかない。
わたしは彼女に一歩近づいて、さらなる大きな声で、春を宣言する!
「はーるーでーすーよー!」
すると、彼女もまた一歩近づいてきた。
足取りは軽やかで、わたしを恐れるふうもない。
妖精程度どうとでもなると思っているのか。
あるいは――
春を知っているとでもいうのか。
わたしは内心の動揺を悟られまいと、顔を硬くする。
「はーるーでーすーよー!」
わたしは戦慄した。
恐るべきはその声量ではない。
彼女の言葉がわたしの言い方を完全に真似ていたことでもない。
彼女はわたしの声をそっくり二倍の大きさで返しているのだ。必ずである。
つまり闇雲に返しているのではなく、わたしという存在を――
「春ですよー!」という哲学をそっくりそのまま呑みこんでいるのである。
虚をつかれた思いがした。
形だけといって侮れぬ。なぜなら「春」とは、そも虚空の概念であり、「春ですよー!」という言葉によって形を与えたところで、それは所詮言葉に化体された概念にすぎないからだ。
「あたいったら最強ね」という言葉で最強という存在が決まらぬのと同様に、「春」の本質はどこまでいっても虚構にすぎぬ。幻想にすぎぬ。
形にこだわりすぎていたのはわたしのほうだったのかもしれない。
だがこのままでは終わらぬ。
わたしは春を告げることを生業としている妖精である。
負けられない。
それはもはやただの意地である。哲学も思想も魂もない。ただの強情があるのみである。
なんたる無様な。
しかし、だからこそ、わたしは思想でくるまれていない生の存在として、彼女と相対することができる。
彼女の顔を見つめる。
彼女は笑っていた。
――妙な顔だ
敵に相対する顔ではない。
わたしは決死の想いで、春を告げる!
「春ですよー!」
もはやただの子どもの喚き声と同じである。
らんちきな、礼節を知らない、ただの大きな音に過ぎぬ。
しかし、それはわたしそのものを投機した、いわば魂の叫びでもあった。
無論、彼女はわたしの予想どおり、一瞬だけびっくりしてはいたのもの、すぐにニッコリと笑い、スゥと息を吸った。
わたしは恐怖する。
「春ですよー!」
グワンと空間がうなった。
それほどの大きな声だった。
数百里は届くかというような、音の凶器。
わたしが感じたのはもはや音ではない。
声の圧力である。風のように空間を震わして、それはやってきた。
わたしの軽い身体は吹き飛ばされて、耳にはキーンという高い音がこもっていた。
頭が割れるように痛い。
春には概念しかない。ゆえに春は告げるだけでおのずと開かれるものである。であれば、「春ですよー!」には上下はないのかもしれぬ。
ただ大きな声で、元気よく、誰かに伝わればそれでよいのかもしれない。
わたしは負けた。
わたしの存在はそのすべて否定された。
もうわたしは春を告げる役目すら――
「はるですよー?」
わたしは上を向いた。
目の前には彼女がいた。腰を下ろし、手で覆いをつくって、小さな声で語りかけるように春を告げていた。
それはまるで先ほどの巨大な声の余波であるかのようでもある。
たんぽぽの綿毛に似た、かわいい声。
いままで声の大きさゆえにわからなかったが、彼女はずいぶんといい声をしていた。あれだけ巨大な声をしながらにして、音が割れるということがなかった。
手がさしのべられた。
わたしのなかに小さな驚きが生まれる。
彼女の指を見る。
――慈愛の指ではないか。
わたしはいつのまにか彼女を敵として見ていた。それは春的思想ではなかった。春は敵を作らぬ。ゆえにわたしは春を告げてはいなかった。
対して彼女はどうだろう。
彼女はわたしの春ではないところを見抜き、春を教えてくれたのだ。
「ありがとうですよ……」
恥ずかしさのあまり、ノミのような声しかだせなかった。
彼女はミョっとした顔になり、しかしながら笑みは崩さず
「ありがとうですよ!」
すぐに聞こえるぐらいの声を返してきた。
わたしは得心がいった。
彼女は生命の賛美を忘れてはいなかった。わたしという卑小なる存在にも春的な愛を投げかけてくれているのだ。まさに春の具現である。このとき、わたしの心はもはや敗北を越えたところにあり、わたしのちっぽけなアイデンティティは救われていた。わたしが春を告げずとも、彼女が春を告げてくれるのだろう。だからといって、わたしという存在が不要であるというわけではなく、わたしもまた彼女に――ひいては春に賛助できるのだろう。
滅私奉春。
透明な決意。
それこそがわたしの行動原理でなければならぬ。
見れば、雲がゆっくりとした速さで流れていた。
世は明らかに春であり、草木は芽吹き、柔らかな陽光に動物たちは一瞬の安らぎを得ている。
ああ、春だ。
春である。
どうしてわたしはそのことを忘れていたのだろう。
わたしのなかの敵愾心は彼女の崇高な「春ですよー!」によって駆逐されていた。
心身ともに軽やかである。
いまなら、一世一代の「春ですよー!」を宣言できる。そう思えた。
「春ですよー」
「春ですよー」
さわやかな春の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
博麗神社の境内に集う乙女たちが、今日も妖精のような無垢な笑顔で、中身が空の賽銭箱を通り抜けていく。
汚れを知らない心身を包むのは、白い色のワンピース。
スカートのプリーツは乱さないように、ZUN帽はずり落ちないように、ゆっくりと飛ぶのがここでのたしなみ。もちろん、弾幕はパワーだぜといったはしたない妖怪など存在していようはずもない。
「ああん?」
ひとりいた。
博麗の巫女である。
「ていうか。あんたら朝っぱらから、うるさすぎるのよ!」
「は、春ですよ」「は、春ですよ」
「だから?」
「春ですし」「春ですし」
「そりゃ私も少しは大目に見ようかとは思ったのよ。でも限度ってもんがあるでしょ」
わたしと彼女はフルフルと頭を振った。
泣く子と博麗の巫女には勝てぬ。それが幻想郷の理である。
最期にわたしが聞いたのは、仲良くピチューンとハモる音だった。
能天気な顔してとんでもない職人気質だったんだなリリーさん!
本当に貴方の御話が好きなのだなあ。
春ですよ――、なんと完成されつくした世界か!
滅私奉春くそふいた