きっかけは、些細なことだったのだろう。
友達の話を羨ましく思った。
新聞の記事を真に受けた。
少し、寂しかった。
ともかく、色々な要因から、少女はふと思ったのだ。
「私、お姉ちゃんが欲しいわ」
宣言と同刻。
守矢神社の風祝が、南に向かい首を傾げた。
医学書と格闘する永遠亭の月兎は、東に耳を伸ばす。
草木の手入れをしていた白玉楼の庭師も、南西に視線を向けた。
そして、陽光に照らされる花を愛でていた太陽の畑の最凶妖怪は、一個の災禍となり、北東に疾った。
彼女たちの思惑など知る由もなく、少女――ルーミアは続ける。
「お姉ちゃんって、あったかくて、いい匂いがして、とっても気持ちいいんですって!」
目をキラキラと輝かせるルーミアに、語りの場を提供しているミスティア・ローレライが苦笑いを浮かべた。
ルーミアが口にする姉のヴィジョンは、確かに素晴らしいものだ。
下の者、つまり妹の、こうであって欲しいと思うイメージのソレ。
或いは、姉を持たない者だからこそ抱く願望と言って差し支えない。
「ねぇルーミア、お姉ちゃんって言っても色々といてね、例えばほら――」
そう、現実にはそうそうあり得ない。
「あたいのお姉ちゃんはそうだよ!」
「チルノから話聞いたんだもん」
「あぁうん、大ちゃんはね」
それはなんか違わねぇ?
「あと、射命丸の新聞! 『姉ちゃんとしたい』ってタイトルで――」
思いつつ、ミスティアは言葉にしなかった。
元よりルーミアが求めているのも、ごっこ遊び的な姉だろう。
姉談義できゃいきゃいと騒ぐ二名――ルーミアと、同じく遊びに来ていたチルノ――に水を差すのも気がひける。
「まぁいっか」
昨日の帳簿をつけようと、ミスティアはカウンターに手を突っ込もうとした。
直前、向けられる視線に気づく。
その元は、チルノ。
なんとなくだが言われることが予測でき、事前に微苦笑を浮かべる。
「そだ、ルーミア、ミスチーは?」
「んー、私は構わないけどさ」
「ミスチーはお姉ちゃんじゃないわ!」
流石にそこまできっぱり否定されるとは思っていなかった。
「なんでよぅ」
提案したチルノもミスティアに同感だったようだ。
きょとんと小首を傾げ、指を一つ一つ折る。
そうしながら、続けた。
「あったかいし」
「羽毛だからねぇ」
「いい匂いがするし」
「蒲焼の匂いが落ちやしない」
「ほっぺた、とっても気持ちいいよ?」
『どっちの頬でSHOW!』を参照してください。
チルノの提案は、先に挙げられたルーミアの希望を概ねクリアしている。
加えて、日頃から、ルーミアはミスティアになんやかんやと世話になっていた。
故に妥当な判断ではあるのだが、どうにもお気に召さなかったようだ。
ルーミアは、首をぶんぶか横に振っている。
「ミスチーは友達だもん! 私の最初の、お友達!」
引けないラインのようだった。
「じゃあリグルは?」
「リグルもお友達!」
「ほとんど同時だったからねぇ」
勢いがついたのか首を振り続けるルーミアに頷きつつ、ミスティアは、さてと考える。
条件としては、まずルーミアよりも背が高い者。
実際の兄弟姉妹では身長が逆転していることも多々あるが、理想を叶えるならば外せない項目だ。
とは言え、そもルーミアの背も高いとは言えず、該当者を探すのは然程難しいことではない。
次に、容姿が近い者。
瞳の色が違う程度なら受け入れられる幻想郷だが、近いに越したことはない。
極端な長髪や短髪、加えて、めりはりのあり過ぎる体躯の保持者は外すべきだろう。
そしてなによりも、ノリが良い、つまりはルーミアに合わせられる人物が、求めるべき存在だ。
三半規管を狂わしかねないルーミアの首振りを止めようと手を伸ばしつつ、ミスティアは唸る。
「うぅむ……」
しかし、白い頬には既に別の手が添えられていた。
「……呼ばれた気がしたわ」
「呼んでねぇっす幽香さん」
「つれない夜雀ねぇ」
つい先ほどまで向日葵畑にいた気がしないでもない、風見幽香によるものだった。
挨拶を交わす来訪者とルーミア、チルノ。
ミスティアも振り向き、幽香を視界に収める。
『こんちゃ』――告げようとするも、最初の発音で固まった。
なんかエラいことになっている。
「わ、幽香、前髪が大変!」
「えーと、おーるどばっく、って言うんだっけ?」
「少し飛ばしてきたから、ルーミア。‘ド‘はいらないわ、チルノ」
開いた口が塞がらない。
「……なによミスティア」
「防御陣も張ってなかったってことだよね。……少し?」
「通ってきた無名の丘でメディスンを吹き飛ばして、厄神に怒られてしまったわ」
ごめんなさいねメディ――呟く言葉に、偽りの響きは聞き取れなかった。
どうやら事実のようだ。
ミスティアが胡乱気な視線を浴びせていると、めげずに幽香が続ける。
「それで……何の話をしていたのかしら?」
右手で髪を整える。
左手でルーミアの頭を撫でる。
微笑を浮かべられない代わりに細めた眼に込めるのは、愛。
‘最凶妖怪‘の字名を外した幽香は、何処にでも居て欲しい、美しい女性だった。
「私ね、お姉ちゃんが欲しいの。何処かにいないかなぁ」
しかしルーミア、スルー。
「幽香、心当たりない?」
チルノも同じくだった。
「ここに! ここにいるわ! おっぱいとか超気持ちいい!」
「超とか言ってんな‘四季のフラワーマスター‘」
「何故なのよぉぉぉ!」
何故ってなぁ。
割とガチで嘆く幽香に苦笑しつつ、ミスティアはその理由を告げる。
「あのさ幽香、私もついさっき除外されたんだよ。
『ミスチーは友達』って。
だから、あんたも……」
同意を求めるように言葉を区切ったミスティアに応え、ルーミアが頷く。
「うん! 幽香も友だ、あ、違った、幽香は知人!」
「ルーミア、幽香、人じゃないよ?」
「じゃあ知ってる妖怪!」
注釈。
ルーミアたちは幽香とタイマンはれるまで友達になれません。
今更ながらこの条件は厳しすぎると思うのですが、変更はしません。
閑話休題。
さめざめと嘆く幽香の肩に手を置きつつ、ミスティアは話の流れを戻す。
「まぁそのなんだ、お姉ちゃんっぽいヒト、知らない?」
「私の姉ーラが足りないばっかりに……!」
「んだよ『アネーラ』」
思わず零れた突っ込みは、空咳に払われる。
「こほん。
思い当たらないでもないわ。
良かったら、紹介するけど……」
言葉と同時、手を伸ばす幽香。
連れていく、と示している。
だが、その手は掴まれなかった。
代わりに、弾丸となった宵闇が腹にめがけて飛んできた。
「ありがとう幽香、大好き!」
「あぁ……死んでもいい!」
「告白で返すな」
やりとりに不安なものを覚えたミスティアは、友の安否と帳簿付けを秤にかけ始めた。
「と、チルノはどうする?」
「うぅん……あたいは今日、もう帰る」
「え? 私のお姉ちゃんと遊びましょうよぅ!」
「ん……なんだかあたいも、お姉ちゃんに会いたくなってきちゃったの」
「流石は大ちゃん。あの包容力、並みの姉ーラではないと言うことね……!」
ついぞ見ない真剣な表情で呟く幽香に、やっぱり付いていこうと思うミスティアだった。
「誰かは会ってのお楽しみ」
目的地さえも告げず先導する幽香。
だったが、進む方角でミスティアには予想がついた。
屋台から北西に進んで暫くすると、視界に黒々とした木々が映る。
三名が辿りついたのは、魔法の森だった。
「あー……アリス・マーガトロイド?」
「ミスティア、ネタばらしが早いわ」
「気付いてるんじゃないかな」
メタ発言も宜しくない。
「え!? アリスが私のお姉ちゃん?」
「あ、気付いてなかったんだね」
「ふふ、無様な勇み足」
ぐぬぬ。
目的地近くに着いたため、三名は地上に降りる。
急く足取りのルーミアだったが、手を繋ぐ幽香の速度はゆったりとしたものだった。
「幽香幽香、速く!」
「なんかあるの?」
「ちょっとね」
言って、幽香が人差し指をぴっと立てる。
「あの子はあぁ見えても……いえ、見た目通りかしら。
ともかく、結構礼儀にうるさいのよ。
だから、挨拶をちゃんとすること」
こくこくと首を縦に振るルーミア。
この調子では覚えていられるかどうか――思いはしたが、ミスティアは口に出さなかった。
「あとはまぁ、あっちが合わせてくれるでしょう」
「……くれるの? させるんじゃなくて?」
「貴女は私をなんだと思っているのか」
続く幽香の楽観的な言葉を、なんとなくだが信じられる気がしたのだ。
そして、三名はアリス宅の前に着く。
大きな期待と小さな不安を瞳に、ルーミアが玄関を叩いた。
「はいはい、何方?」
玄関越しの問いかけに、ルーミアは両手を握り、応える。
「こ、こんにちは、お姉ちゃん!」
よし、覚えてた!
心の内で拍手するミスティア。
不安が緊張を呼び起こし少しどもってしまったようが、この程度は流して欲しいと願う。
あとは、アリスの言葉を待つだけだ。
「……何を言っているの?」
意外と冷静だ!――ルーミアよりも早く、ミスティアは事情を説明しようと口を開きかけた。
その直前、玄関が開く。
同時、鼻を押さえたくなる匂いが辺りに広がった。
しかし、それは単にミスティアの嗜好の問題で、大概の者は好むだろう。
「お家に帰ってきたら『ただいま』でしょう、ルーミア?」
――甘い甘い、お菓子の匂いだった。
「『お姉ちゃん』の振りだけで全てを捉え、更に優しくその上をいっただと!?」
「気をつけなさいミスティア! 今のアリスの姉ーラは大ちゃんに等しいわ!」
「どんだけ大ちゃん凄いんだよ! って言うか、いい加減その単語の説明をして!」
騒ぐ外野をよそに、ルーミアの肩を抱くアリス。
浮かべられる微笑には、底の見えない感情が窺えた。
一歩越えてしまえば狂気にも成りかねない、深い深い愛情。
「いいから、意識を尖らして!
大ちゃんの姉ーラはチルノと……ともかく、対象が狭いのよ!
だけど、アリスのソレは深く広く、力の弱い者はもれなく巻き込まれてしまうわ!」
何かから護るように、幽香がミスティアを抱く。
けれど、ほんの少し遅かった。
思考ではなく感覚で、ミスティアは『その単語』を把握する。
「お、お姉ちゃん……!」
むしろ、浸食されていた。
「正気に戻りなさい、ミスティア・ローレライ! お腹辺りに力を込めるのよ!」
「に、『人形遣いにお姉ちゃんって言ったらどこまでやらせてくれるのか』」
「正気に戻れって言ってんでしょ、この夜雀」
抱く腕の力を強める幽香――‘こきっ‘。
静かな森に、ミスティアの悲鳴が響き渡った。
「んぅ?」
「ルーミアは聞いちゃ駄目」
「えっと、お姉ちゃん、耳がくすぐったいわ」
さり気にルーミアを保護するアリスは、正しく『お姉ちゃん』と言えよう。
さて、一旦話を整理しよう。
ルーミアの希望は、『あったかくて、いい匂いがして、とっても気持ちいいお姉ちゃん』。
ミスティアが考えた条件は、『ルーミアよりも背が高く、容姿が似通った、ノリの良い者』。
加えて、‘魔界の末妹‘ことアリスは、『姉』と言う立場に焦がれている。
彼女以上の適任者がいるだろうか。いるならソレで一本書いて頂きたい。失敬。
「んー……任せても大丈夫みたいだし、私は屋台に帰るよ」
腕の関節を戻し、ミスティアが告げる。
「アリス、ルーミアを宜しくね」
「妹の世話は姉の権利よ」
「権利ときたか」
力強い宣言に、ミスティアは改めて大丈夫だと思う。
次いで、ルーミアへと視線を向ける。
アリスに柔らかく抱かれるルーミアは、とても嬉しそうだった。
咲く笑顔にほんの少しだけ焼き餅を覚えつつ、注意を引くために指で頬を一押しする。
「ルーミア、はしゃぎ過ぎちゃ駄目だよ」
「んぅ、でもでも、アリスはお姉ちゃんよ?」
「そうだね。だけど、親しき仲にも礼儀ありって、ね」
甘えるように首を小さく横に振るルーミア。
ミスティアは、手を広げ、頬を撫でる。
優しく、柔らかく。
「んっ!」
了承の返答と受け止め、二名から離れる。
くるりと振り向く先にいるのは、‘最凶妖怪‘――否。
「後は頼んだよ、幽香」
「私は、ただの‘知っている妖怪‘」
「拗ねんな、‘近所の優しいかもしれないお姉さん‘」
腕を上げ、拳を握る。
同様に幽香も手を伸ばした。
甲を当て合い、バトンタッチ。
翼を広げ大地を蹴り、ミスティアは三名に笑む。
「じゃあねー!」
気付いているのだろうか。
恐らく気付いていないだろう、と幽香は微苦笑した。
去る間際のルーミアを見るミスティアの瞳、それは、友にと言うには少し過保護に寄り過ぎていた。
「……で、貴女はどうするの?」
アリスからの問いかけに、幽香は振り返る。
「お邪魔してもいいのかしら?」
「頼まれていたじゃないの」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
二言三言のやり取り。
しかし、互いにある程度、相手の心情を掴んだ。
幽香はアリスに邪気がないことを見抜き、アリスもまた、幽香に危険がないと改めて判断した。
「あぁ、とは言え、私に構う必要はないわよ?」
「ルーミア、まずはお風呂に入りましょうね」
「端から構う気ゼロなのね」
では何故幽香が去らなかったかと言うと、ミスティアに頼まれたからに他ならない。
満面の笑みのルーミア。
手を引くアリスも微笑を浮かべている。
その光景は、幽香にして、割って入るのが無粋と思えるほどに微笑ましかった。
ともかく、こうして三名は、アリス宅へと入るのだった。
宣言通りと言うべきか、真っ先にルーミアを風呂へと誘うアリス。
誘うとはつまり、アリス自身も入ったと言うことだ。
幽香はリビングで待ちぼうけ。
『あ、ルーミア、リボンも取らないと……』
『ねぇね、お姉ちゃん、洗いっこしましょ』
『猫さんのスポンジを用意したわ!』
ちらりと見えたシャンプーハットは誰のためのものだろう。
入浴の後は食事の時間だ。
しかし、夕食にはまだ早く、アリスが用意していた物も主食ではない。
テーブルの上に所狭しと並べられたのは、正気を疑う量のお菓子とデザートだった。
「わ、わ、凄い! でもお姉ちゃん、私たちが来なかったら、こんなにヒトリで食べるつもりだったの?」
「来たのはミスティアと幽香だけ。貴女は『帰ってきた』んでしょう?」
「あ……うんっ!」
因みに、作り始めたのはルーミアの宣言と同時。
『選ばれる』と言う強い自信が、アリスを駆りたてたと言う。
家の食材をかき集め作られた諸々は、腹ペコ妖怪とも称されるルーミアの胃袋を満足させた。
湯に浸かり胃を満たした、ルーミアとアリス。
「次は……」
アリスが呟いたその時、小さな欠伸が彼女の耳に入る。
出所は、ルーミアだった。
「……耳のお掃除でもしましょうか」
言って、アリスは、ソファに座りルーミアの頭を自身の腿に置く。
ぱちくりと開閉する大きな赤色の瞳に見上げられる。
次第に、鈍くなっていった。
「お掃除、冬の初めにしてもらったわ」
「ふふ、そう……ミスティアにかしら」
「うぅん、リグルにね……ぁふ」
合わせるように、アリスの手も緩やかになる。
「フタリとも、いいお姉さんなのね」
「友達、だよぅ。お姉ちゃんは、アリスだけ……」
「そうだったわね。……ありがとう、ルーミア」
遂には、どちらの動きも止まった。
「……ルーミア?」
呼びかけつつ、そっと耳かきを抜くアリス。
彼女が思った通り、返事はなかった。
代わりに、耳を擽るような可愛らしい寝息がたてられる。
「ふふ、お休みなさい」
さじを拭おうと、アリスはティッシュケースに手を伸ばす。
置いていた場所よりも前に、紙が指に触れた。
既に抜き取られていたものが差し出されている。
「ごっこ遊びにつきあってくれて感謝するわ、アリス・マーガトロイド」
対面に座る、幽香が差し出していた。
「そりゃまぁ、ね」
一転して呆れた顔になるアリスに、幽香は微苦笑を返す。
引き合わせたことに呆れている訳ではなさそうだ。
その後の幽香とミスティアの会話も、主たる原因ではなかった。
アリスの表情の理由は、その狭間、玄関を開いた時に視界へと入ったものに依る。
「驚いたわ。貴女が、両手を合わせて頭を下げているんですもの」
そんな幽香の動作に傍にいたミスティアが気付かなかったのは、友達の不安を我知らず共有していたからだろう。
アリスの呼び方に含むものを感じ、幽香は自嘲気味に笑む。
「ほんとにね。‘最凶妖怪‘の名も形なしよ」
「や、旧知の貴女がって思ってたんだけど」
「あら、墓穴をほっちゃったわね」
当てが外れたと、幽香は頬を掻く。
その様子にアリスが笑った。
くすり、くすり。
「……なによ」
幽香は、意識して目を鋭くした。
「ん、ごめんなさい。
だけど、丸くなったのは確かなようね。
今もさっきも、‘凶‘の字なんて似合わないほどに柔和な表情をしているわ」
指摘に、何事か切り返しを考える幽香だったが、どうにも言葉が浮かんでこなかった。
加えて、仮に何かを言ったとしても、今のアリスには凡そ通じないだろうと推測する。
結局、肩を竦め、独り言を呟くだけに留めた。
「また、閻魔に怒られてしまいそうね」
その表情が満更でもないと言った風なのは、幽香自身、気付いている。
「四季映姫・ヤマザナドゥ? 宴会で時々見かけるけど……知り合いだったの?」
「ちょっとね。『もっと人間に恐怖を与えなさい』って」
「大妖である貴女の義務、と言ったところなのかしら」
問いかけに、曖昧な微笑を返す幽香。
恐らくそう言うことなのだろう。
思えば、数年単位で人を襲っていない。
或いは数十年にもなるだろうか。
そう、むしろ、歩み寄りさえしていた。
気紛れで体術の手解きをした人里の童は、もう少女になっているのだろうか。
「……妖怪相手なら、恐れられていたんだけどねぇ」
他人に何かを伝える。
当時は気紛れと断言できた。
しかし、眼前で寝息を立てる少女に教えていることは、明確に自身の意思だった。
絆されたものだ――幽香の表情が、更に柔らかくなる。
「この子たちにも?」
「『たち』を削って、ノー」
「ルーミアだけが貴女を恐れなかった……」
呟くアリスの意図が読めず、幽香は首を捻った。
「だから、こんなにも気にかけ、面倒を見ているの?」
続く問いかけに、なるほどと納得する。
アリスは、幽香とルーミアの関係をいぶかしんでいる。
彼女たちの出会いを知らなければ、それも当然だろう。
幽香自身もそう思う。
けれど、返した応えは、答えではなかった。
「その子は……ルーミアはね。
少し前まで、ふわふわ飛んで時々食べて極稀に弾幕ごっこして寝てただけだった、らしいわ。
ミスティアやリグルが、初めてのお友達。
彼女たちとの触れ合いを通じて、姉妹……家族と言うものにも興味が出たんでしょう。
ひょっとしたら、寄るものが現象だから、寂しくなったのかもしれないわね」
はぐらかした理由は二つ。
幽香が気にかけているのは、ルーミアに限った話ではない。
そして、幽香自身には、『面倒を見ている』と言う自覚がなかった。
どれもこれも、愛しい少女たちとの戯れであり、繋がりだ。
「ミスティアには鳥たちの、リグルには虫たちの声が聞こえる。
だけど、闇は、闇からは、何も語らない、感じさせない。
ただ、寄り添うように傍らにあるモノ」
言葉を切り、幽香は、アリスの膝で眠るルーミアを見つめた。
白い頬が瞳に映る。
しかし、出会った頃はもっと白かった筈だ。
ミスティアやリグル、チルノ、橙――友達と遊ぶ時、ルーミアは闇を展開していない。
「あぁでも……そうか」
勿論、幽香といる時も、例外ではなかった。
「ルーミアと言う妖怪を思うと、私がしていることはマイナスなのかもしれないわね。
以前より確実に、闇と過ごす時間は減ってしまっている。
妖怪としての根幹を――」
唐突に幽香の口が止まる。
すぅ……、と。
ルーミアの寝息。
口元にあてられた、アリスの人差し指。
「ねぇ、‘四季のフラワーマスター‘。
貴女も、花を眺める時間は少なくなったんじゃないかしら。
だけれど、貴女は以前と変わらず、いえ、それ以上に、魅力的よ」
与えられたフォローに、幽香は苦笑を浮かべた。
言うようになった、と思う。
魔法使いや巫女たちとの交流からだろうか。
それとも、『妹』をその膝に抱いているからだろうか。
どちらにせよ、今のアリスに口で勝てる気がせず、幽香は小さく息を吐く。
「そう……。ありがとう、アリス」
微笑むアリスが、幽香には、自身と肩を並べることが出来るほどの存在のように感じられた。
ぱち、とルーミアの目が開いた時、飛び込んできたのは赤く眩しい光だった。
「ん……ゆうがた?」
呂律が回っていないことを気にするでもなく、呟く。
「かえらないと……」
「おはよう、ルーミア」
「ありす……お姉ちゃん、って、あ!」
名を呼ばれ、漸くルーミアは現状を思い出した。
体を起こす。
二度目のミスが、ルーミアを急かした。
折角の『お姉ちゃん』を早々に手放したくはない。
しかし、思考に言葉が追い付かず、それどころか急に頭を上げたため、くらりとルーミアはよろめいた。
直後、後頭部に手が回され、支えられる。
勿論、アリスによるものだった。
「んぅ……ありがとう、お姉ちゃん!」
「ええ。だけど、今日はもうお終い」
「えぅぅ」
晴れたルーミアの表情が、一転して曇る。
やっぱりアリスは怒っているんだ。
だから、きっぱりと『お終い』と言った。
私はまた、ヒトリになっちゃったんだ……。
柔らかな膝、温かい料理、迎えられた笑顔――過ぎた時間を思い出してしまい、ルーミアの瞳から涙が零れそうになる。
「今日は、よ」
押し留めたのは、アリスの言葉。
乱れた髪を丹念に手櫛で梳かれる。
残る片手が大きく広げられ、頬を覆う。
「……アリス?」
見上げるルーミアにアリスが返したのは、家に『帰ってきた』時と同じ、微笑みだった。
「ルーミア。
貴女が望むなら、此処は何時でも貴女の家よ。
だから、また帰っていらっしゃい、ねぇ、ルーミア・マーガトロイド」
言い終わられぬ内に、ルーミアはアリスに抱きついた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、アリスお姉ちゃん!」
『ごっこ遊び』、だけれど確かなものがある奇妙な姉妹の抱擁は、長く長く、続けられた――。
空の色が赤から深い青に変わった頃、漸く二名は体を離した。
「そろそろ行きましょうか、ルーミア。送るわ」
「ありがと幽香。んと……またね、アリス!」
「ええ、気を付けてね」
あくまでルーミアを気遣うアリスに、幽香は微苦笑を浮かべる。
そもルーミアは妖怪であり、恐怖を与える存在だ。
加えて、自身が送ると宣言した。
もう一度言葉にするのもどうかと思い、ルーミア越しに、幽香はアリスにウィンク一つを送った。
「あ、それとね」
しかし、届かない。
ごそごそとポケットをまさぐるアリス。
小首を傾げるルーミアに、極上の笑顔を送る。
数秒後に差し出された物は、可愛らしい衣装だった。
「これ、プレゼントするわ」
「わぁ可愛い! でも、小さいわ……?」
「ふふ、だって、貴女用の物ではないもの」
言葉の通りその衣装は小さく、ルーミアが着れる様な代物ではない。
再び、ルーミアが首を傾げる。
幽香もまた、同じ心境だった。
二名の疑問に答えるように、アリスは口を開く。
「人形用の服よ」
メトロノームのようになるルーミア。
一方、幽香は、アリスの意図に、否、企みに気がついた。
彼女には、人形遣いの浮かべる表情が『一歩』を踏み越えてしまったものと映っている。
「んぅ? アリス、私、人形なんて持っていないわ」
つまりは、狂気。
「ええ、でしょうね。
次に来た時には、人形をプレゼントするわ。
そしてなんと一週間以内なら、もう一体も付いてくる! カモナマイハウスっ!」
狂喜かもしんない。
「デアゴスティーニ!? ちょっとアリス、貴女、今の今までいい娘で通してたんだからもうちょっと頑張りなさいよ!」
「甘く見ないで風見幽香! 私は、貴女よりも早く、そう、冒頭九文目から菓子を作りだしていたのよ!?」
「何故私がルーミアの元に急いでいたことを……や、冒頭って何の話!?」
「ねぇルーミア、人形はたくさんあるから、頑張って集めてね」
「ちょっとこら応えなさい、アリス・マーガトロイド!」
「やだ風見さん、姉妹の会話を邪魔しないで下さる?」
「名字で呼んできやがったわね」
あははうふふ。
くくくくくおほほほほ。
きききききききこここここここ。
ルーミアを挟み、幽香とアリスが対峙する。
幽香は直立不動のまま、妖気を展開させた。
その莫大な力は、しかし不安の表れとも言える。
そう、‘大妖‘幽香は、僅かばかりとは言え、対峙する者に気後れしていた。
――先ほど感じたように、今のアリスは、自身と肩を並べることが出来るほどの存在に昇華しているように思えた。
「はん……あの鼻たれが、言うようになったじゃない」
「貴女の金髪幼女趣味は変わらずなのね」
「し、趣味って言うなぁ!」
少なくとも、口では勝てそうにない。
幽香が拳を握る。
アリスも脚でリズムを刻み始めた。
力と技の激突が、今、幕を上げる――!
……筈だったのだが、眉根を寄せるルーミアが二名の袖を引き、言った。
「喧嘩しちゃ駄目よぅ、幽香、アリスお姉ちゃん!」
「さぁ幽香、素敵なダンスを踊りましょう!」
「早、え、速いわねって、あ、くるくるぅ」
この場においては、力も技も、純粋無垢な心の前に、意味を成しえないのだった。
幽香を放し、アリスが掌を向けてくる。
ルーミアは躊躇することなく、その手を掴んだ。
伝わる体温は温かく、菓子の香りが鼻を覆い、抱き寄せられた体は気持ち良い。
頬を寄せ、ルーミアが笑み、アリスも微笑う。
「大好き、アリスお姉ちゃん!」
「ふふ、私もよ、ルーミア」
「えへへ」
兎にも角にも、こうして幻想郷にまた一組、姉妹が出来あがったとさ――。
<了>
友達の話を羨ましく思った。
新聞の記事を真に受けた。
少し、寂しかった。
ともかく、色々な要因から、少女はふと思ったのだ。
「私、お姉ちゃんが欲しいわ」
宣言と同刻。
守矢神社の風祝が、南に向かい首を傾げた。
医学書と格闘する永遠亭の月兎は、東に耳を伸ばす。
草木の手入れをしていた白玉楼の庭師も、南西に視線を向けた。
そして、陽光に照らされる花を愛でていた太陽の畑の最凶妖怪は、一個の災禍となり、北東に疾った。
彼女たちの思惑など知る由もなく、少女――ルーミアは続ける。
「お姉ちゃんって、あったかくて、いい匂いがして、とっても気持ちいいんですって!」
目をキラキラと輝かせるルーミアに、語りの場を提供しているミスティア・ローレライが苦笑いを浮かべた。
ルーミアが口にする姉のヴィジョンは、確かに素晴らしいものだ。
下の者、つまり妹の、こうであって欲しいと思うイメージのソレ。
或いは、姉を持たない者だからこそ抱く願望と言って差し支えない。
「ねぇルーミア、お姉ちゃんって言っても色々といてね、例えばほら――」
そう、現実にはそうそうあり得ない。
「あたいのお姉ちゃんはそうだよ!」
「チルノから話聞いたんだもん」
「あぁうん、大ちゃんはね」
それはなんか違わねぇ?
「あと、射命丸の新聞! 『姉ちゃんとしたい』ってタイトルで――」
思いつつ、ミスティアは言葉にしなかった。
元よりルーミアが求めているのも、ごっこ遊び的な姉だろう。
姉談義できゃいきゃいと騒ぐ二名――ルーミアと、同じく遊びに来ていたチルノ――に水を差すのも気がひける。
「まぁいっか」
昨日の帳簿をつけようと、ミスティアはカウンターに手を突っ込もうとした。
直前、向けられる視線に気づく。
その元は、チルノ。
なんとなくだが言われることが予測でき、事前に微苦笑を浮かべる。
「そだ、ルーミア、ミスチーは?」
「んー、私は構わないけどさ」
「ミスチーはお姉ちゃんじゃないわ!」
流石にそこまできっぱり否定されるとは思っていなかった。
「なんでよぅ」
提案したチルノもミスティアに同感だったようだ。
きょとんと小首を傾げ、指を一つ一つ折る。
そうしながら、続けた。
「あったかいし」
「羽毛だからねぇ」
「いい匂いがするし」
「蒲焼の匂いが落ちやしない」
「ほっぺた、とっても気持ちいいよ?」
『どっちの頬でSHOW!』を参照してください。
チルノの提案は、先に挙げられたルーミアの希望を概ねクリアしている。
加えて、日頃から、ルーミアはミスティアになんやかんやと世話になっていた。
故に妥当な判断ではあるのだが、どうにもお気に召さなかったようだ。
ルーミアは、首をぶんぶか横に振っている。
「ミスチーは友達だもん! 私の最初の、お友達!」
引けないラインのようだった。
「じゃあリグルは?」
「リグルもお友達!」
「ほとんど同時だったからねぇ」
勢いがついたのか首を振り続けるルーミアに頷きつつ、ミスティアは、さてと考える。
条件としては、まずルーミアよりも背が高い者。
実際の兄弟姉妹では身長が逆転していることも多々あるが、理想を叶えるならば外せない項目だ。
とは言え、そもルーミアの背も高いとは言えず、該当者を探すのは然程難しいことではない。
次に、容姿が近い者。
瞳の色が違う程度なら受け入れられる幻想郷だが、近いに越したことはない。
極端な長髪や短髪、加えて、めりはりのあり過ぎる体躯の保持者は外すべきだろう。
そしてなによりも、ノリが良い、つまりはルーミアに合わせられる人物が、求めるべき存在だ。
三半規管を狂わしかねないルーミアの首振りを止めようと手を伸ばしつつ、ミスティアは唸る。
「うぅむ……」
しかし、白い頬には既に別の手が添えられていた。
「……呼ばれた気がしたわ」
「呼んでねぇっす幽香さん」
「つれない夜雀ねぇ」
つい先ほどまで向日葵畑にいた気がしないでもない、風見幽香によるものだった。
挨拶を交わす来訪者とルーミア、チルノ。
ミスティアも振り向き、幽香を視界に収める。
『こんちゃ』――告げようとするも、最初の発音で固まった。
なんかエラいことになっている。
「わ、幽香、前髪が大変!」
「えーと、おーるどばっく、って言うんだっけ?」
「少し飛ばしてきたから、ルーミア。‘ド‘はいらないわ、チルノ」
開いた口が塞がらない。
「……なによミスティア」
「防御陣も張ってなかったってことだよね。……少し?」
「通ってきた無名の丘でメディスンを吹き飛ばして、厄神に怒られてしまったわ」
ごめんなさいねメディ――呟く言葉に、偽りの響きは聞き取れなかった。
どうやら事実のようだ。
ミスティアが胡乱気な視線を浴びせていると、めげずに幽香が続ける。
「それで……何の話をしていたのかしら?」
右手で髪を整える。
左手でルーミアの頭を撫でる。
微笑を浮かべられない代わりに細めた眼に込めるのは、愛。
‘最凶妖怪‘の字名を外した幽香は、何処にでも居て欲しい、美しい女性だった。
「私ね、お姉ちゃんが欲しいの。何処かにいないかなぁ」
しかしルーミア、スルー。
「幽香、心当たりない?」
チルノも同じくだった。
「ここに! ここにいるわ! おっぱいとか超気持ちいい!」
「超とか言ってんな‘四季のフラワーマスター‘」
「何故なのよぉぉぉ!」
何故ってなぁ。
割とガチで嘆く幽香に苦笑しつつ、ミスティアはその理由を告げる。
「あのさ幽香、私もついさっき除外されたんだよ。
『ミスチーは友達』って。
だから、あんたも……」
同意を求めるように言葉を区切ったミスティアに応え、ルーミアが頷く。
「うん! 幽香も友だ、あ、違った、幽香は知人!」
「ルーミア、幽香、人じゃないよ?」
「じゃあ知ってる妖怪!」
注釈。
ルーミアたちは幽香とタイマンはれるまで友達になれません。
今更ながらこの条件は厳しすぎると思うのですが、変更はしません。
閑話休題。
さめざめと嘆く幽香の肩に手を置きつつ、ミスティアは話の流れを戻す。
「まぁそのなんだ、お姉ちゃんっぽいヒト、知らない?」
「私の姉ーラが足りないばっかりに……!」
「んだよ『アネーラ』」
思わず零れた突っ込みは、空咳に払われる。
「こほん。
思い当たらないでもないわ。
良かったら、紹介するけど……」
言葉と同時、手を伸ばす幽香。
連れていく、と示している。
だが、その手は掴まれなかった。
代わりに、弾丸となった宵闇が腹にめがけて飛んできた。
「ありがとう幽香、大好き!」
「あぁ……死んでもいい!」
「告白で返すな」
やりとりに不安なものを覚えたミスティアは、友の安否と帳簿付けを秤にかけ始めた。
「と、チルノはどうする?」
「うぅん……あたいは今日、もう帰る」
「え? 私のお姉ちゃんと遊びましょうよぅ!」
「ん……なんだかあたいも、お姉ちゃんに会いたくなってきちゃったの」
「流石は大ちゃん。あの包容力、並みの姉ーラではないと言うことね……!」
ついぞ見ない真剣な表情で呟く幽香に、やっぱり付いていこうと思うミスティアだった。
「誰かは会ってのお楽しみ」
目的地さえも告げず先導する幽香。
だったが、進む方角でミスティアには予想がついた。
屋台から北西に進んで暫くすると、視界に黒々とした木々が映る。
三名が辿りついたのは、魔法の森だった。
「あー……アリス・マーガトロイド?」
「ミスティア、ネタばらしが早いわ」
「気付いてるんじゃないかな」
メタ発言も宜しくない。
「え!? アリスが私のお姉ちゃん?」
「あ、気付いてなかったんだね」
「ふふ、無様な勇み足」
ぐぬぬ。
目的地近くに着いたため、三名は地上に降りる。
急く足取りのルーミアだったが、手を繋ぐ幽香の速度はゆったりとしたものだった。
「幽香幽香、速く!」
「なんかあるの?」
「ちょっとね」
言って、幽香が人差し指をぴっと立てる。
「あの子はあぁ見えても……いえ、見た目通りかしら。
ともかく、結構礼儀にうるさいのよ。
だから、挨拶をちゃんとすること」
こくこくと首を縦に振るルーミア。
この調子では覚えていられるかどうか――思いはしたが、ミスティアは口に出さなかった。
「あとはまぁ、あっちが合わせてくれるでしょう」
「……くれるの? させるんじゃなくて?」
「貴女は私をなんだと思っているのか」
続く幽香の楽観的な言葉を、なんとなくだが信じられる気がしたのだ。
そして、三名はアリス宅の前に着く。
大きな期待と小さな不安を瞳に、ルーミアが玄関を叩いた。
「はいはい、何方?」
玄関越しの問いかけに、ルーミアは両手を握り、応える。
「こ、こんにちは、お姉ちゃん!」
よし、覚えてた!
心の内で拍手するミスティア。
不安が緊張を呼び起こし少しどもってしまったようが、この程度は流して欲しいと願う。
あとは、アリスの言葉を待つだけだ。
「……何を言っているの?」
意外と冷静だ!――ルーミアよりも早く、ミスティアは事情を説明しようと口を開きかけた。
その直前、玄関が開く。
同時、鼻を押さえたくなる匂いが辺りに広がった。
しかし、それは単にミスティアの嗜好の問題で、大概の者は好むだろう。
「お家に帰ってきたら『ただいま』でしょう、ルーミア?」
――甘い甘い、お菓子の匂いだった。
「『お姉ちゃん』の振りだけで全てを捉え、更に優しくその上をいっただと!?」
「気をつけなさいミスティア! 今のアリスの姉ーラは大ちゃんに等しいわ!」
「どんだけ大ちゃん凄いんだよ! って言うか、いい加減その単語の説明をして!」
騒ぐ外野をよそに、ルーミアの肩を抱くアリス。
浮かべられる微笑には、底の見えない感情が窺えた。
一歩越えてしまえば狂気にも成りかねない、深い深い愛情。
「いいから、意識を尖らして!
大ちゃんの姉ーラはチルノと……ともかく、対象が狭いのよ!
だけど、アリスのソレは深く広く、力の弱い者はもれなく巻き込まれてしまうわ!」
何かから護るように、幽香がミスティアを抱く。
けれど、ほんの少し遅かった。
思考ではなく感覚で、ミスティアは『その単語』を把握する。
「お、お姉ちゃん……!」
むしろ、浸食されていた。
「正気に戻りなさい、ミスティア・ローレライ! お腹辺りに力を込めるのよ!」
「に、『人形遣いにお姉ちゃんって言ったらどこまでやらせてくれるのか』」
「正気に戻れって言ってんでしょ、この夜雀」
抱く腕の力を強める幽香――‘こきっ‘。
静かな森に、ミスティアの悲鳴が響き渡った。
「んぅ?」
「ルーミアは聞いちゃ駄目」
「えっと、お姉ちゃん、耳がくすぐったいわ」
さり気にルーミアを保護するアリスは、正しく『お姉ちゃん』と言えよう。
さて、一旦話を整理しよう。
ルーミアの希望は、『あったかくて、いい匂いがして、とっても気持ちいいお姉ちゃん』。
ミスティアが考えた条件は、『ルーミアよりも背が高く、容姿が似通った、ノリの良い者』。
加えて、‘魔界の末妹‘ことアリスは、『姉』と言う立場に焦がれている。
彼女以上の適任者がいるだろうか。いるならソレで一本書いて頂きたい。失敬。
「んー……任せても大丈夫みたいだし、私は屋台に帰るよ」
腕の関節を戻し、ミスティアが告げる。
「アリス、ルーミアを宜しくね」
「妹の世話は姉の権利よ」
「権利ときたか」
力強い宣言に、ミスティアは改めて大丈夫だと思う。
次いで、ルーミアへと視線を向ける。
アリスに柔らかく抱かれるルーミアは、とても嬉しそうだった。
咲く笑顔にほんの少しだけ焼き餅を覚えつつ、注意を引くために指で頬を一押しする。
「ルーミア、はしゃぎ過ぎちゃ駄目だよ」
「んぅ、でもでも、アリスはお姉ちゃんよ?」
「そうだね。だけど、親しき仲にも礼儀ありって、ね」
甘えるように首を小さく横に振るルーミア。
ミスティアは、手を広げ、頬を撫でる。
優しく、柔らかく。
「んっ!」
了承の返答と受け止め、二名から離れる。
くるりと振り向く先にいるのは、‘最凶妖怪‘――否。
「後は頼んだよ、幽香」
「私は、ただの‘知っている妖怪‘」
「拗ねんな、‘近所の優しいかもしれないお姉さん‘」
腕を上げ、拳を握る。
同様に幽香も手を伸ばした。
甲を当て合い、バトンタッチ。
翼を広げ大地を蹴り、ミスティアは三名に笑む。
「じゃあねー!」
気付いているのだろうか。
恐らく気付いていないだろう、と幽香は微苦笑した。
去る間際のルーミアを見るミスティアの瞳、それは、友にと言うには少し過保護に寄り過ぎていた。
「……で、貴女はどうするの?」
アリスからの問いかけに、幽香は振り返る。
「お邪魔してもいいのかしら?」
「頼まれていたじゃないの」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
二言三言のやり取り。
しかし、互いにある程度、相手の心情を掴んだ。
幽香はアリスに邪気がないことを見抜き、アリスもまた、幽香に危険がないと改めて判断した。
「あぁ、とは言え、私に構う必要はないわよ?」
「ルーミア、まずはお風呂に入りましょうね」
「端から構う気ゼロなのね」
では何故幽香が去らなかったかと言うと、ミスティアに頼まれたからに他ならない。
満面の笑みのルーミア。
手を引くアリスも微笑を浮かべている。
その光景は、幽香にして、割って入るのが無粋と思えるほどに微笑ましかった。
ともかく、こうして三名は、アリス宅へと入るのだった。
宣言通りと言うべきか、真っ先にルーミアを風呂へと誘うアリス。
誘うとはつまり、アリス自身も入ったと言うことだ。
幽香はリビングで待ちぼうけ。
『あ、ルーミア、リボンも取らないと……』
『ねぇね、お姉ちゃん、洗いっこしましょ』
『猫さんのスポンジを用意したわ!』
ちらりと見えたシャンプーハットは誰のためのものだろう。
入浴の後は食事の時間だ。
しかし、夕食にはまだ早く、アリスが用意していた物も主食ではない。
テーブルの上に所狭しと並べられたのは、正気を疑う量のお菓子とデザートだった。
「わ、わ、凄い! でもお姉ちゃん、私たちが来なかったら、こんなにヒトリで食べるつもりだったの?」
「来たのはミスティアと幽香だけ。貴女は『帰ってきた』んでしょう?」
「あ……うんっ!」
因みに、作り始めたのはルーミアの宣言と同時。
『選ばれる』と言う強い自信が、アリスを駆りたてたと言う。
家の食材をかき集め作られた諸々は、腹ペコ妖怪とも称されるルーミアの胃袋を満足させた。
湯に浸かり胃を満たした、ルーミアとアリス。
「次は……」
アリスが呟いたその時、小さな欠伸が彼女の耳に入る。
出所は、ルーミアだった。
「……耳のお掃除でもしましょうか」
言って、アリスは、ソファに座りルーミアの頭を自身の腿に置く。
ぱちくりと開閉する大きな赤色の瞳に見上げられる。
次第に、鈍くなっていった。
「お掃除、冬の初めにしてもらったわ」
「ふふ、そう……ミスティアにかしら」
「うぅん、リグルにね……ぁふ」
合わせるように、アリスの手も緩やかになる。
「フタリとも、いいお姉さんなのね」
「友達、だよぅ。お姉ちゃんは、アリスだけ……」
「そうだったわね。……ありがとう、ルーミア」
遂には、どちらの動きも止まった。
「……ルーミア?」
呼びかけつつ、そっと耳かきを抜くアリス。
彼女が思った通り、返事はなかった。
代わりに、耳を擽るような可愛らしい寝息がたてられる。
「ふふ、お休みなさい」
さじを拭おうと、アリスはティッシュケースに手を伸ばす。
置いていた場所よりも前に、紙が指に触れた。
既に抜き取られていたものが差し出されている。
「ごっこ遊びにつきあってくれて感謝するわ、アリス・マーガトロイド」
対面に座る、幽香が差し出していた。
「そりゃまぁ、ね」
一転して呆れた顔になるアリスに、幽香は微苦笑を返す。
引き合わせたことに呆れている訳ではなさそうだ。
その後の幽香とミスティアの会話も、主たる原因ではなかった。
アリスの表情の理由は、その狭間、玄関を開いた時に視界へと入ったものに依る。
「驚いたわ。貴女が、両手を合わせて頭を下げているんですもの」
そんな幽香の動作に傍にいたミスティアが気付かなかったのは、友達の不安を我知らず共有していたからだろう。
アリスの呼び方に含むものを感じ、幽香は自嘲気味に笑む。
「ほんとにね。‘最凶妖怪‘の名も形なしよ」
「や、旧知の貴女がって思ってたんだけど」
「あら、墓穴をほっちゃったわね」
当てが外れたと、幽香は頬を掻く。
その様子にアリスが笑った。
くすり、くすり。
「……なによ」
幽香は、意識して目を鋭くした。
「ん、ごめんなさい。
だけど、丸くなったのは確かなようね。
今もさっきも、‘凶‘の字なんて似合わないほどに柔和な表情をしているわ」
指摘に、何事か切り返しを考える幽香だったが、どうにも言葉が浮かんでこなかった。
加えて、仮に何かを言ったとしても、今のアリスには凡そ通じないだろうと推測する。
結局、肩を竦め、独り言を呟くだけに留めた。
「また、閻魔に怒られてしまいそうね」
その表情が満更でもないと言った風なのは、幽香自身、気付いている。
「四季映姫・ヤマザナドゥ? 宴会で時々見かけるけど……知り合いだったの?」
「ちょっとね。『もっと人間に恐怖を与えなさい』って」
「大妖である貴女の義務、と言ったところなのかしら」
問いかけに、曖昧な微笑を返す幽香。
恐らくそう言うことなのだろう。
思えば、数年単位で人を襲っていない。
或いは数十年にもなるだろうか。
そう、むしろ、歩み寄りさえしていた。
気紛れで体術の手解きをした人里の童は、もう少女になっているのだろうか。
「……妖怪相手なら、恐れられていたんだけどねぇ」
他人に何かを伝える。
当時は気紛れと断言できた。
しかし、眼前で寝息を立てる少女に教えていることは、明確に自身の意思だった。
絆されたものだ――幽香の表情が、更に柔らかくなる。
「この子たちにも?」
「『たち』を削って、ノー」
「ルーミアだけが貴女を恐れなかった……」
呟くアリスの意図が読めず、幽香は首を捻った。
「だから、こんなにも気にかけ、面倒を見ているの?」
続く問いかけに、なるほどと納得する。
アリスは、幽香とルーミアの関係をいぶかしんでいる。
彼女たちの出会いを知らなければ、それも当然だろう。
幽香自身もそう思う。
けれど、返した応えは、答えではなかった。
「その子は……ルーミアはね。
少し前まで、ふわふわ飛んで時々食べて極稀に弾幕ごっこして寝てただけだった、らしいわ。
ミスティアやリグルが、初めてのお友達。
彼女たちとの触れ合いを通じて、姉妹……家族と言うものにも興味が出たんでしょう。
ひょっとしたら、寄るものが現象だから、寂しくなったのかもしれないわね」
はぐらかした理由は二つ。
幽香が気にかけているのは、ルーミアに限った話ではない。
そして、幽香自身には、『面倒を見ている』と言う自覚がなかった。
どれもこれも、愛しい少女たちとの戯れであり、繋がりだ。
「ミスティアには鳥たちの、リグルには虫たちの声が聞こえる。
だけど、闇は、闇からは、何も語らない、感じさせない。
ただ、寄り添うように傍らにあるモノ」
言葉を切り、幽香は、アリスの膝で眠るルーミアを見つめた。
白い頬が瞳に映る。
しかし、出会った頃はもっと白かった筈だ。
ミスティアやリグル、チルノ、橙――友達と遊ぶ時、ルーミアは闇を展開していない。
「あぁでも……そうか」
勿論、幽香といる時も、例外ではなかった。
「ルーミアと言う妖怪を思うと、私がしていることはマイナスなのかもしれないわね。
以前より確実に、闇と過ごす時間は減ってしまっている。
妖怪としての根幹を――」
唐突に幽香の口が止まる。
すぅ……、と。
ルーミアの寝息。
口元にあてられた、アリスの人差し指。
「ねぇ、‘四季のフラワーマスター‘。
貴女も、花を眺める時間は少なくなったんじゃないかしら。
だけれど、貴女は以前と変わらず、いえ、それ以上に、魅力的よ」
与えられたフォローに、幽香は苦笑を浮かべた。
言うようになった、と思う。
魔法使いや巫女たちとの交流からだろうか。
それとも、『妹』をその膝に抱いているからだろうか。
どちらにせよ、今のアリスに口で勝てる気がせず、幽香は小さく息を吐く。
「そう……。ありがとう、アリス」
微笑むアリスが、幽香には、自身と肩を並べることが出来るほどの存在のように感じられた。
ぱち、とルーミアの目が開いた時、飛び込んできたのは赤く眩しい光だった。
「ん……ゆうがた?」
呂律が回っていないことを気にするでもなく、呟く。
「かえらないと……」
「おはよう、ルーミア」
「ありす……お姉ちゃん、って、あ!」
名を呼ばれ、漸くルーミアは現状を思い出した。
体を起こす。
二度目のミスが、ルーミアを急かした。
折角の『お姉ちゃん』を早々に手放したくはない。
しかし、思考に言葉が追い付かず、それどころか急に頭を上げたため、くらりとルーミアはよろめいた。
直後、後頭部に手が回され、支えられる。
勿論、アリスによるものだった。
「んぅ……ありがとう、お姉ちゃん!」
「ええ。だけど、今日はもうお終い」
「えぅぅ」
晴れたルーミアの表情が、一転して曇る。
やっぱりアリスは怒っているんだ。
だから、きっぱりと『お終い』と言った。
私はまた、ヒトリになっちゃったんだ……。
柔らかな膝、温かい料理、迎えられた笑顔――過ぎた時間を思い出してしまい、ルーミアの瞳から涙が零れそうになる。
「今日は、よ」
押し留めたのは、アリスの言葉。
乱れた髪を丹念に手櫛で梳かれる。
残る片手が大きく広げられ、頬を覆う。
「……アリス?」
見上げるルーミアにアリスが返したのは、家に『帰ってきた』時と同じ、微笑みだった。
「ルーミア。
貴女が望むなら、此処は何時でも貴女の家よ。
だから、また帰っていらっしゃい、ねぇ、ルーミア・マーガトロイド」
言い終わられぬ内に、ルーミアはアリスに抱きついた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、アリスお姉ちゃん!」
『ごっこ遊び』、だけれど確かなものがある奇妙な姉妹の抱擁は、長く長く、続けられた――。
空の色が赤から深い青に変わった頃、漸く二名は体を離した。
「そろそろ行きましょうか、ルーミア。送るわ」
「ありがと幽香。んと……またね、アリス!」
「ええ、気を付けてね」
あくまでルーミアを気遣うアリスに、幽香は微苦笑を浮かべる。
そもルーミアは妖怪であり、恐怖を与える存在だ。
加えて、自身が送ると宣言した。
もう一度言葉にするのもどうかと思い、ルーミア越しに、幽香はアリスにウィンク一つを送った。
「あ、それとね」
しかし、届かない。
ごそごそとポケットをまさぐるアリス。
小首を傾げるルーミアに、極上の笑顔を送る。
数秒後に差し出された物は、可愛らしい衣装だった。
「これ、プレゼントするわ」
「わぁ可愛い! でも、小さいわ……?」
「ふふ、だって、貴女用の物ではないもの」
言葉の通りその衣装は小さく、ルーミアが着れる様な代物ではない。
再び、ルーミアが首を傾げる。
幽香もまた、同じ心境だった。
二名の疑問に答えるように、アリスは口を開く。
「人形用の服よ」
メトロノームのようになるルーミア。
一方、幽香は、アリスの意図に、否、企みに気がついた。
彼女には、人形遣いの浮かべる表情が『一歩』を踏み越えてしまったものと映っている。
「んぅ? アリス、私、人形なんて持っていないわ」
つまりは、狂気。
「ええ、でしょうね。
次に来た時には、人形をプレゼントするわ。
そしてなんと一週間以内なら、もう一体も付いてくる! カモナマイハウスっ!」
狂喜かもしんない。
「デアゴスティーニ!? ちょっとアリス、貴女、今の今までいい娘で通してたんだからもうちょっと頑張りなさいよ!」
「甘く見ないで風見幽香! 私は、貴女よりも早く、そう、冒頭九文目から菓子を作りだしていたのよ!?」
「何故私がルーミアの元に急いでいたことを……や、冒頭って何の話!?」
「ねぇルーミア、人形はたくさんあるから、頑張って集めてね」
「ちょっとこら応えなさい、アリス・マーガトロイド!」
「やだ風見さん、姉妹の会話を邪魔しないで下さる?」
「名字で呼んできやがったわね」
あははうふふ。
くくくくくおほほほほ。
きききききききこここここここ。
ルーミアを挟み、幽香とアリスが対峙する。
幽香は直立不動のまま、妖気を展開させた。
その莫大な力は、しかし不安の表れとも言える。
そう、‘大妖‘幽香は、僅かばかりとは言え、対峙する者に気後れしていた。
――先ほど感じたように、今のアリスは、自身と肩を並べることが出来るほどの存在に昇華しているように思えた。
「はん……あの鼻たれが、言うようになったじゃない」
「貴女の金髪幼女趣味は変わらずなのね」
「し、趣味って言うなぁ!」
少なくとも、口では勝てそうにない。
幽香が拳を握る。
アリスも脚でリズムを刻み始めた。
力と技の激突が、今、幕を上げる――!
……筈だったのだが、眉根を寄せるルーミアが二名の袖を引き、言った。
「喧嘩しちゃ駄目よぅ、幽香、アリスお姉ちゃん!」
「さぁ幽香、素敵なダンスを踊りましょう!」
「早、え、速いわねって、あ、くるくるぅ」
この場においては、力も技も、純粋無垢な心の前に、意味を成しえないのだった。
幽香を放し、アリスが掌を向けてくる。
ルーミアは躊躇することなく、その手を掴んだ。
伝わる体温は温かく、菓子の香りが鼻を覆い、抱き寄せられた体は気持ち良い。
頬を寄せ、ルーミアが笑み、アリスも微笑う。
「大好き、アリスお姉ちゃん!」
「ふふ、私もよ、ルーミア」
「えへへ」
兎にも角にも、こうして幻想郷にまた一組、姉妹が出来あがったとさ――。
<了>
しかし姉ーラww
いただきたい。
もう素敵すぎますぅ……
あゝ、俺の姉ーラが低いばかりに…
俺にはいなかったなぁ、姉はいれどもべた甘なぞ論外
結局「理想の姉」など空想ですたい
もう一本頼む!
続篇待ち。
>>1さんのルーミアのリボンを青にかえるという意見に全力で賛成します。