「なななナズーリンナズーリン、わたっわたわたしはたわた私をななっ失くしてしまっしましましまうま」
前後不覚、呂律も回らず寅丸星。黒い瞳に浮かんだ涙の煌めきは、まるで大宇宙に浮かぶ一つの星。
ナズーリンの心に湧き上がるは母性、いや庇護欲であった。このお方は私が守らなければ。
「安心して待っていておくれ、ご主人」
「すぐに私がご主人を取り戻してこよう」
「なぁに、布団に潜ってしまうまの本でも読んでいれば、あっと言う間さ」
でもでも、とぐずる寅丸星を寝かし付け、旅支度を調えるナズーリン。
気炎は万丈、一刻も早く寅丸星を手に入れ、寅丸星に心の平穏を取り戻さねばならぬのだ。
数匹の小ネズミに主人の世話を言い付け、忠実な従者は寺を飛び出す。
「寅丸星を見なかったかい?」
『知らん! しらーんぞー!』
「寅丸星を見なかったかい?」
『寺にいるんじゃあないのぜ?』
尋ねども尋ねども手掛かりは見付からず、頼りのダウジングロッドも上へふらふら下へふらふら役に立たぬ。
確かに命蓮寺に戻れば寅丸星は見付かるだろう、しかしその寅丸星が寅丸星を見付けてくれと懇願しているのだ。
寅丸星の失せ物を見付けるのは自分の仕事とナズーリン、寅丸星を見付けぬ限り、おめおめと寅丸星の元へは帰れない。
「寅丸星を見なかったかい?」
『それなら宇宙にあるわ』
当て所もなく彷徨い続け、いつの間にか鬱蒼たる竹林に迷い込み自分が今何処にいるかも定かでない。腰まで茂る草に歩みは鈍るも寅丸星の為ならエンヤコラ、進め進めナズーリン。
同じ景色をぐるぐるぐるぐるぐるぐる回り、遂に見付けた大きな屋敷、主人らしき珍妙な配色の女性は天を指さし朗々と語る。
『今夜子の正刻に、紅いお屋敷から空へ真っ直ぐ飛び続けなさい』
『少しでも逸れてはいけないわ』
『真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐ飛び続け、暗黒星雲を三つ抜けた先――寅丸星はそこよ』
「おお! 貴重な情報をありがとう、珍妙な配色の御仁!」
『これを持っていくといいわ』
小さな鍵を貰い受け、竹林を抜け出す足取りに今度は迷いが無い。先導するはくしゃくしゃ頭の妖怪兎の、畳んで隠れたつもりでもぴょこりと飛び出た白い耳。ようやく抜け出した迷いの竹林、開けた空のお天道様が眩しくも懐かしく愛おしい。めきめきと何かが軋む音に振り返ると摩訶不思議、竹がしなり絡まり合い、今来た道を塞いでいる。
重なる疲労に安堵感、思わず地べたに大の字に倒れるナズーリン。今だけは寅丸星の事も忘れ、土の冷たさを楽しみ……
◆ ◆ ◆
瞼を薄く開けると太陽はとっくに沈み、代わって満天の星空が目に飛び込む。
慌てて飛び起きるナズーリン。尻尾の籠をひっくり返し、撒き散らされた小ネズミ達の抗議の声も今は聞いてはいられない。
告げられた時刻は正子、もはや時間に猶予無し。幸い紅魔館は黙視できる距離にある。小ネズミ達を撥ね飛ばし、走れ! ナズーリン。
『あ、あんまりだ!』
小ネズミの悲鳴が響く。
『流石よねパチェ! パチェ流石よね! 流石動く頭脳! いよっ、考える足!』
『ありがとうございます』
『河童もよ! この手先上手! 一人上手! うん? 上手上手? うひひ!』
『ど、どうもー』
テラスに並べられたティーセットを囲み、顔色を館と同じ紅にするのは吸血鬼レミリア・スカーレット。快哉を叫んでカップの中身を飛び散らす。
紅茶に加えられていた筈のワインは今やその比率を逆転させ、ワイン風味の紅茶は既に紅茶風味のワイン。
『えー、各方面よりの多大な援助とー! えー、河童技師達の助力によりましてー!』
『パチュリーさんたすけて』
『むり』
『この……なんだっけ? さ、サタ……セガサターン? そう! セガサターンロケットは完成したのです!』
『サターンV』
『サターンVです』
そうそれセガサターン! と上機嫌に頷きカップを煽るレミリア。
第二次遠征の後、月への関心が完全に失せていた彼女がある日突然「私も月壊す!」と興奮し始めた事から住吉計画は再始動。
ロケットは一人乗りを前提に再設計され、軽量化に伴い妖怪の山の技術力でも作れる小型の推進装置による無重力下での姿勢制御等が可能となった。
前回の反省点を元に、月面到達時のロケット破損を最小限に抑えるため形状は球形に変更。三段式ロケットという初期の構想からは遠く離れた物になって、サターンも住吉さんも関係無い。
『パーティーは明日もあるけど、今夜は功労者の二人を特に労わせて頂戴!』
『ありがとうございます』
『(帰りたい)』
この新ロケットの構想は意外にもレミリアの発案による物で、八雲紫から譲り受けた「外」の書物を参考にしたとか。
『それにしても、あのロケットはちょっと狭すぎたかしらね! 暇潰しに持って行こうかしら、ドラゴンボ』
『お、御館様ー! 大変ですー!』
転がるようにテラスに飛び込んできたメイド妖精の報告の声と、球形ロケットを上昇させていくエンジンの唸り声が聞こえたのはほぼ同時だった。
◆ ◆ ◆
『トラマルプラネットへようこそ!』と書かれた看板の前で力無く地に膝を付くナズーリン。
「なんてこった」
「彼女は『とらまるしょう』でなく『とらまるせい』と言っていたのか!」
「振り仮名が無くて気付かなかった!」
ロケットは着地の衝撃で粉々に砕け、戻る足も無い。
「神よ、いや仏様よ、これからは四分の一ごとに配色を変えた服の人間は信用しない事にします」
幻想郷に戻る手段を探すため、よろよろと立ち上がる。読解出来る文字の看板があるならば、話の通じる生物もどこかにいる筈だ。
周囲は一面砂漠が続くように見えたが、幸いにも一刻ほど歩くと背の高い建造物群が地平線の彼方から現れる。
『トラマルタウンへようこそ!』
ようやく人の姿を見付けたナズーリンは仰天した。
「ご主……!」
街の入り口で二人の寅丸星に出迎えられ、入った中にも寅丸星寅丸星寅丸星!
魚屋では捻り鉢巻に前掛け姿の寅丸星がパンチパーマの寅丸星を相手に鯖の鮮度を演説し、見せ物小屋の『怪奇! 寅丸星!』という煽りに群がる寅丸星達は好奇の目。床屋の椅子に座る寅丸星が「こんな風に」と指差す写真も寅丸星、民家の表札には『寅丸 星 星 星』の未知のカップリング。
人も寅丸ならば物も寅丸、土産物には寅丸饅頭寅丸煎餅、寅丸港では寅丸星が船を出し、寅丸塔からはトラマルタウンを一望出来る。東に見えるは寅丸城、西に見えるは寅丸楼。
寅丸星はあらゆる物事が寅丸星により構成されている。
「つまり、トラマルタウンは寅丸町と呼ぶべきか」
観光客然とした姿に土産物屋店主が奢ってくれた寅丸糖を舐め舐め、寅丸像広場を横切る。広場の片隅の喧噪は寅丸星同士の喧嘩か。
『私は寅丸星に賭けますよ! 500!』
『じゃあ私は寅丸星に600!』
寅丸星が寅丸星を下すまでを見届け、ナズーリンは観光地図片手に再び歩を進める。
寅丸劇星゙(ゲキジョウと発音する)で寅丸嬢による寅丸ショーを眺め、心地良い日差しを浴びながら寅丸城の城壁に触れて長い歴史を感じていると、城壁の一部がパラパラと剥がれ落ちた。手入れが行き届いていないなと手を払おうとして、掌に付いた小さな寅丸星達に気付き遂に悲鳴を上げるナズーリン。
「この城壁は、微細なご主人で出来ているのか!?」
顔を近付けると成る程、極極く小さな寅丸星が大量に密集して壁の形を成している。衝撃と共に彼女は何故自分がここに居るかを思い出した。
ショックで冷静な判断を失っていたが、寅丸星を失くした寅丸星に寅丸星を持ち帰らねばならぬのならば、この街は渡りに船ではないか。流石に人間大の寅丸星を持ち帰るのは不可能だろうが、この寅丸城の城壁ならば抉って持ち帰るのに丁度いい。
喜び勇んで衛兵の目を盗み城壁をやや大きくロッドで抉ると、城壁が崩壊した。
逃げるはナズーリン、寅丸銃を手に手に追撃するは寅丸王の軍勢寅丸衆。王城を取り囲む城壁を全て破壊する程の鼠を相手に、寅丸王は自走式寅丸砲の使用を許可していた。
鼠の手にはしっかりと1/12スケールの寅丸星、名付けるならば寅丸(小)。命の危機に晒されども、自らの使命は手放さない。
『腕の一本二本は構わん! 撃て!』
『しかし隊長、一般人が』
『私は撃てと言った筈だぞ!』
トラマルタウンはたちまち阿鼻叫喚、地獄の釜が開かれた。寅丸砲の着弾した土産物屋は衝撃で分解され、小さな寅丸星達となってどこかへ逃げていく。
寅丸城だけではない、寅丸港も寅丸星、寅丸塔も寅丸星、寅丸楼も寅丸像も寅丸町も星星星!
瓦礫も残らない破壊の渦の中、普通に割れて転がっている寅丸煎餅を横目に見て少し安心するナズーリン。
(よかった、食べ物は普通だ……)
数条の青い光が踊り、数挺の寅丸銃を寅丸衆の手から叩き落とし寅丸星に分解。新たな獲物に殺到するも寅丸砲に撃ち落とされ、ナズーリンの私物である筈のペンデュラムすら哀れ寅丸星に姿を変えた。
街を抜け、砂漠のような地面も目を凝らせばやはり寅丸星。細かい寅丸星に足を取られた寅丸砲が行動不能に陥り離脱したが、徐々に増えていく寅丸衆の数は既に百を優に越えていた。
ロケット着地地点に辿り着き、頼みのロケットは粉々に砕けていた事を思い出してナズーリン、最早これまでと地べたに胡座を組み。
『観念したようだな』
『王城を破壊した罪は重いぞ』
「殺るなら殺るがいい。しかし、私にも考えがあるぞ」
ところが寅丸衆は銃を構えず、危害を加えんとする様子も無い。
ただナズーリンを取り囲むと、隊長格らしき寅丸星が話し出す。
『見た所、お前はこの星の人間ではないな』
『寅丸星は文字通り寅丸星だけの星、他文化との接触の機会は貴重なのだ』
『故に、我々はお前と同化する』
『お前達の星の文化は我々と同化する』
『抵抗は無意味だ』
「どういう事だ!」
『お前も寅丸星になるのだ』
ナズーリンの顔が希望の色に輝く。
両手を挙げ害意の無い事を示し、親愛の込められた声色に顔を見合わせる寅丸衆。
「なんと! 命を取らないばかりか寅丸星にしてくれるとは!」
「実は私もこの星の技術に感服していたのです、喜んで寅丸星となろう!」
「そして私の寅丸星としての最初の仕事は、君達、いや、我々寅丸星に、私の星への道案内をする事さ!」
『素晴らしい!』
隊長格が懐から取り出した針の無い注射機のような器具を手首に当てられ、ナズーリンの姿は呆気ないほど簡単に、ただ一瞬の内に寅丸星となる。
顔を触り胸を触り尻尾を動かそうとし、そうだご主人に尻尾は無かったと思いきや何かがぴこぴこ動く感覚。
「尻尾があったのか」
締めにもう一度胸を触り止めにもう一度胸を触り、
「これで私も寅丸星です! ありがとう同士寅丸星、早速ナズーリンの母星へ向かいましょう!」
やんやと迎え入れられるナズーリンの服を着た寅丸星、ややこしいので引き続きナズーリンと呼ぼう。
数人の寅丸星が足下の砂を掬い上げて大きな砂山を作るとブツブツと何か念じ、次の瞬間砂山はナズーリンの乗っていたロケットの似姿となる。
『前の貴女が乗っていたポッドの方が動かしやすいでしょう。我々は後を追います』
「それがいいでしょう」
『同士を増やす機会を感謝します、寅丸星』
小型エンジンが唸りを上げ、しばらく上昇したところで突然ハッチを開けるナズーリン。怪訝な顔をする寅丸衆は、その手に握られた1/12スケールの寅丸(小)の姿に気付くと顔色を無くした。
ポケットに入れていた宝塔を寅丸(小)に突き付け、その姿寅丸星なれど不敵な表情は紛れもなくダウザーの小さな大将ナズーリン。
「動くんじゃあない! この船を追うような事があれば、この寅丸(小)にとても物悲しい事をしてやるぞ!」
「ヒント1! この宝塔の先端は丸く見えるが実は割と鋭い!」
『ヤメテー』
『お、おのれ卑劣な!』
「追い詰められた鼠は逆転の一手を隠し持つものさ! さらばだ諸君!」
かくしてナズーリンは寅丸星からの脱出を果たした。尚も追撃を試みるロケットは数機あったが、目眩ましの寅丸(小)を明後日の方向に放り投げると慌てた様子で針路を変え、宇宙の果てへと消えていった。
死力を尽くして守り続けた寅丸(小)を簡単に投げ捨ててしまったナズーリン。しかし何も問題は無い、寅丸星が寅丸星を望み、今や我が身は寅丸星なのだ。
意気揚々とロケットは加速する。
◆ ◆ ◆
『ふぅー……。ようやく見付けました、聖から賜った大事な大事なたわし。帰ってきたらナズーリンに謝らないといけませんね』
「待たせて済まないご主じぃぃぃん!! お望みの寅丸星だ、同化するなり何なり好きにしたまえ!!」
『ひぎゃああああどどどドッペルゲンガー!!!』
「ぐえー!」
鉄拳にナズーリンの顔が1cmほど凹んだが、そのナズーリンの顔も今や寅丸星であり、「よかった、可哀想なナズーリンは何処にも居なかったんだね」というオチを付ける事も許されるのではないだろうか。
寅丸星がゲシュタルト崩壊してわけわかめ(笑)
これこそがParadise……(ゴクリ