気付いたら、ひまわりになっていた。
こんなこともあるのだろう、とチルノは納得した。
真っ白に輝く太陽があり、温かい氷のような青空があり、雨となって降りそこねた雲が鳶を追いかけるように視界を横切っていく。こんなのどかな昼下がりなら、自分がひまわりになっていても不思議じゃない。
ふと、何者かの足音が聞こえた。
視線を下げると、自分と同じ背丈のひまわりに囲まれていることにチルノはようやく気付いた。
「今日は良い天気ね。あなたたちも嬉しそうで何よりだわ」
機嫌良さそうに回る白い日傘。緑の髪は日傘の影にあってもなお瑞々しい植物の葉のようで、赤と白の市松模様のスカートが踊るように翻ったのが見えた。
あ、風見幽香がやってきた――頭の中で叫んだチルノは、昨日のことを思い出した。
曇天だった。ひまわり畑の上空で幽香に弾幕勝負を挑み、儚くも水飛沫のように散ったのだ。いや、文字の如く水となってひまわり畑に滴ったのである。その水を吸い上げたひまわりの一本に意識が宿ったに違いない。
(ちくしょ! 風見幽香ぶったおしてやる!)
喧嘩を売ろうにも身体が動かない。
(今ならこのひまわりの身体を盾にしてぶったおせるのに!)
目を瞑れば昨日のことのように思い出せる数々の辛酸。きっとこのひまわり畑は風見幽香を打ち倒そうとして敗れた勇者たちの墓標なのだ。自分もついに祀られてしまったのか。あの化け物に挑み、そして血潮をこのひまわり畑に散らせ、そうしてひまわりとしてここで死後を過ごすのか。
悔しくて涙が出そうだった。しかしひまわりとなった身では涙が流せない。
「ふふふ」
(あ! 幽香があたいを見て笑った!)
「元気いっぱいね」
幽香は多くの英霊たちの顔を一輪一輪のぞき込み、悔しさに滲むそれらの輪郭を小馬鹿にするように指先で一撫でし、チルノの方へと近付いた。
チルノの前までやってくると幽香は眉根を寄せた。
「あら、あなた……」
(ウオオオぉ! かかってこいコラぁ! こんにゃろー!)
「ちょっと土をかぶっちゃってるわね。まったく。あの妖精が落ちたのってこの辺かしら。勘弁してほしいものね」
(勘弁してほしい? へぇ……もしかしてあたいにビビってたわけ? よろしい、許して欲しかったら土下座することね)
幽香はチルノの足下に膝を付いて土を落としていく。
(ウオオオぉ! 風見幽香に土下座させたぁ!?)
「あらら。顔まで汚して」
(え、どこ、ほっぺ?)
「じっとしてなさいな。ほら取れた。せっかく可愛い顔してるんだから」
バカだバカだと言われ、妖精の癖に生意気だと頭を押さえつけられ、自分は最強だと吠え散らすことでいつか自分をバカにしてきた奴等を見返してやるんだと生きてきて、一体どれだけの月日が経ったのか。
妖精にしては強いと言われるようになった。
妖精にしては強いとしか言われなくなった。
それが自分の評価なのだ。どれだけ努力しても結局妖精としての枠は越えられなかったし、努力すればするほど仲間からは奇異の目で見られた。
思えば、可愛いだなんて、言われたことがあったろうか。あの花の異変でも、今回のことでも、可愛いと言ってくれるのは風見幽香だけなのではないか。
嬉しくて涙が出そうだった。しかしひまわりとなった身では涙が流せない。
(あたい、幽香のこと少し勘違いしていたかも。悪魔で、怪物で、化け物で、モンスターで……あたいみたいな勇気ある者が退治しないといけない悪い奴だと思ってた)
「今度からは気をつけましょうね」
(うん……ここで眠る勇者たちも、きっとあんたの狂暴さを勘違いしたんだよね。思えば幽香から出向いて誰かを虐めるって話あたい知らないし)
「おや、また無謀な誰かが来たみたいね。可愛いひまわりたちが騒がしいわ」
やっぱりそうだ、幽香は降りかかる火の粉を払っていただけなのだ、とチルノは確信した。
果たして、やって来たのはメディスン・メランコリーだった。
(げげっ! 毒人形! やばいよまずいよ、動けないから毒吸っちゃうよ!)
チルノはダンシングフラワーのように身を震わせた。それは一陣の風のせいかもしれず、幽香の背中を追い越し、メディスンの前髪をはね上げて白いおでこを太陽に晒させた。
メディスンから零れる毒の気が向こうへ流されていく。
(ラッキー!)
「しっしっ」
「またそうやってバカにして……」
「だってあなた臭うんだもの。もう少し毒を自在に操れるようになったらいらっしゃい。その時はハーブティーを御馳走してから虐めてあげるわ」
メディスンに会話をする気は無いようだった。
幽香が空に浮かび上がることさえ待たずひまわり畑一面を制圧するかのように毒弾を撃ち込んだ。メディスンにとっては本命弾と偽装弾のつもりなのだろうが、チルノにとってはたまったものではない。ひっ、と声を漏らしたチルノを守るように、幽香が偽装弾を全て相殺し徐々に高度を上げていく。
「せっかちだこと」
何度目のピンチだったろうか。自分にぶつかる軌道の毒弾がことごとく幽香に打ち落とされることに気付いた。全てのひまわりが全くの無傷であることにも。
(毒人形ぉ! 汚いぞぉ! あたいたちを人質にとって勝っても、そんなの嬉しくな、)
そして、チルノは呻いた。
――ひまわりの身体を盾にすれば幽香に勝てるのに。
つい先程、自分はそんなことを考えたのではなかったか。
さらに、チルノは呻いた。
毎度毎度の弾幕ごっこでは、幽香は今回のようにひまわりを守りながら戦っていたのではないのか。
追い返されたメディスンの小さな背中が見える。またいらっしゃいとおどける幽香の小さな声が頭上から聞こえ、自分を守るようにして吹いていた風が止む。
世界中が静まり返って、太陽の日差しがちりちりとチルノのうなじ辺りで弾けている。
ゆっくり降りてきた幽香は、やはり薄く笑っていた。
「今度あの子が来るのは、また来月かしら。チルノは昨日来たばかりだし……」
――寂しくなるわね。
昼の日差しは次第に強くなりつつあり、遠くに見える山は陽炎の中で身をくねらせている。体中から汗が噴き出るような感触を最後に、チルノの意識はどんどん上へと昇っていった。眼下に広がるひまわりは緑と黄色の絨毯に見え、幽香の美しい緑色の髪を探したけれどどこにも見当たらず、そうだ日傘を差しているんだと思いだし、それらしき物を見つけて、何か叫ぼうと大きく息を吸ったら肺の中に雲が入り込んで盛大に噎せ返った。
世界は雲だけになり――そして、気付いたら霧の湖の畔で横たわっていた。
薄い霧が立ちこめるここは一瞬前にいた雲の中と余りにも似すぎていて、全てが白昼夢だったように思う。
立ち上がってみる。視界は先程よりも随分と低く狭い。
駆け出さずにはいられなかった。
@
「あらあら。昨日の今日でまったく懲りないのね」
薄い微笑。
「場所を変えよう。ひまわりを傷つけるのは良くない」
幽香は驚いたように目を大きくし、薄い微笑にえくぼができる。
自分は負けるかもしれないと思う。負けたら負けたで良いとも思う。
尻尾を巻いて逃げ帰るとき、負け犬の遠吠えの一つでもしてやろう――覚えてろ、明日こそ勝ってやる。
諦めないことが最強への唯一無二の道なのだ。それ以上に意味はない。
最初の一撃が、チルノの手から放たれる。
了
ありがとうございました
このチルノはサイキョーではなく最強だな!
最後も気持ちよくすっきりな終わり方で、最初から最後まで楽しませていただきました。ありがとう。
ふと垣間見せた幽香の想いが本当に彼女らしくて、思わず頬が綻びました。
まだ小さな妖精や妖怪も、これから成長していく。幽香はそれを知っているんですね。
もっと先の事を想像してしまう、心に届く素晴らしい物語。
ありがとうございます。
(ウオオオぉ! かかってこいコラぁ! こんにゃろー!)みたいなチルノの口調が地味にツボw