胃薬、少し補充。
整腸薬、よし。
鎮痛剤、よし。
風邪薬、よし。
酔い止め、少し補充。
軟膏、湿布、そのほかもろもろ、よし。
「終わりっと」
補充した物品を記帳に書き残し、私、鈴仙は箱のふたを閉じる。
そろそろ太陽が真上を通過するころだろう。いい時間だし、後は永遠亭に戻るだけだ。
「毎度ご苦労様」
労いの言葉に反応して振り向くと、家主である霊夢が戻ってくるところだった。
手にしたお盆を卓に置き、畳に腰を下ろす。お盆の中には湯飲みと、なぜか人参が数本。
「はい」
「ありがと」
湯飲みを受け取って、ちょっと一息。
置き薬の定期訪問は、ここが最後だからあとは永遠亭に戻るだけだ。一仕事の後のお茶はほっとするわね。
やりがいのある仕事の後ならなおの事なんだけど。もちろん仕事自体は嫌いではないが、それなのにこの最後の客ときたら。
「必要あるの?」
さっぱり利用した痕跡のない薬箱を眺めて、私は巫女に尋ねてみた。
大したことではないけれど、置き薬の補充に足を運ぶという作業が手間ではないと言えば嘘になる。ここは人里からは離れてるから移動がちょっとめんどくさいし、一人しかいないその住人は別段体調を崩すような奴でもない。
今補充をしたのもいくらかの胃腸薬と、酔い止めだけ。しかも霊夢でない他人が消費したがために減っている分であることは、同じ宴会に同席しているから私もわかっていた。
これほどやりがいのない顧客もないが、とはいえ元気なのは結構なことである。
「それは私じゃなくてお姫様に聞いて」
問いに、ちょっと気だるそうな声が返ってくる。
その通り。場所をとらないから置いていいと最終的に承諾したのは彼女だが、そもそもこれの設置を言い出したのは姫様だった。
輝夜様ひいては永遠亭としては外部との繋がりを保持しておきたいとのお考えで、そのために博麗は都合の良い相手であった―――と、姫より聞き及んだが。
いろいろ建前はあっても、結局のところは姫様も紅白を気に入っているのだ。
「まぁ、あって困るわけじゃないし。場所も取らないし。使ってはないけどありがたいわよ?」
「ありがたいと思うのなら、せめて風邪引いたときくらいは利用してもらいたいものね」
「微熱があって、軽く喉が痛くて咳が出る程度。薬の力を借りるまでもないわ」
「予防として是非とも飲め!!」
ただでさえ体調を崩さないから置き薬が空気なのに、この巫女は多少のことでは薬を使わないときた。冬場に風邪をこじらせた人間が言うセリフとは思えない。
ちなみに、その際は置き薬の補充にきた私が診療する羽目になったわけであるが。ぶっ倒れたところで私が診てやればいいことか、と思い直す。
その後もお茶を飲みながらお互いの身辺などを語っていると、その空間に一つ珍客がやってきた。
「あら、兎」
部屋に飛び込んできたのは一羽の兎だった。体格的に子供の兎だと思う。
兎は他には目もくれず霊夢のところまで駆けていく。霊夢はお盆の上から一本の人参を掴み、そいつの鼻先に持って行った。
「何日か前にね、拾ったのよ。あんたのところのイナバ?」
「てゐに聞けば確かだけど、私を見て反応なしってところを見ると違うみたいね」
霊夢が差し出した人参をぽりぽりと食べ始める兎。
イナバがいなくなったとも聞いていないし、普通の野良兎だろう。その割には霊夢になついているというか、特に警戒するそぶりは見せない。霊夢も霊夢でふさふさの毛並みを撫でていたりして。
「兎鍋っておいしいらしいわね」
いきなり物騒なことを言い出した。
拾い主にお肉扱いされても兎は意に介さず、彼女の手元で食事に無心になっている。
美味しいらしいねと言っただけだ、霊夢には取って食う気がない。わかっているから兎は逃げないのである。
このまま彼女が面倒を見ても何の問題もないだろうけど。
「うちで引き取ろうか?」
「お仲間がいる方がいいしね。帰る時につれていって」
「えぇ」
「良かったわねお前。悪い人間に食べられずに済むわよ」
兎の頭を撫でて、そんな冗談を笑って語る。しかし兎はというとまったく無反応で、それに霊夢は黙って頭を撫で続ける。
兎が人参を食べて、それを霊夢が見て、さらにそれを私は眺めるだけ。
しばし無言の時が過ぎる。
すると、霊夢は二本目の人参を手に取って。
「ほれ」
まるまる一本、きれいに水洗いされた人参を突き出された。
兎ということでこれをチョイスしたのだろうが、そんなに物欲しそうに見えたのかな?確かにもうお昼時だけどさ。
「別に人参だけを食べるわけじゃないわよ」
「ほ~れほれ」
人の話を聞かない紅白は、私の目の前でひらひらと人参を振って口元まで持ってくる。
おのれ、卑怯なり。
「あぁ、もう!」
半ばやけになって身を乗り出し、かじりついてやった。一口分を噛み切って、ばりばりむしゃむしゃごっくん。生はやっぱりちょっぴり硬い。
胃に収めてから霊夢を睨みつけてやる。
「これで満足?」
「もっと上品に食べなさいよ」
どんな反応を期待していたのだろうか。つまらないというように唇を尖らせ、人参は私の口元から離れる。
「時間ある?」
「貴女と一緒にしない。私は忙しいの」
「なぁに?自分の食いかけを私に押し付けるわけ?」
意地汚い笑みの巫女に対し、食わせたのはあなただ、とは反論しない。言ったところでこの巫女はどこ吹く風で避わすに決まっていた。
きっとあの人参で料理を振る舞ってくれるのだろう。それに、思えば今はちょうど昼時。小腹もすいてきたし、今日のお勤めは終わっているわけだから断る理由はそんなにない。
「適当に作ってくるから、少し待ってて」
「手伝えることがあるなら」
「お客様は黙って飯を待つものよ」
それだけいい残し、兎二羽をその場に霊夢は台所へと向かっていった。片手にあの人参を振り回しながら。
手持無沙汰になってしまったので、ごろんと横になって兎の食事を見つめてみる。霊夢に拾ってもらって面倒まで見てもらって、お前は幸せ者よ?
その人間の向かった先で、小さな音楽が奏でられている。
なにかを洗う水音。
テンポよく野菜を刻む音。
かまどにくべられた薪が爆ぜる音。
「寝て待つのは果報だけよ。ほら起きる」
体をゆすられ、そんな声をかけられた。
人様の家なのに、いつのまにか寝てしまっていたらしい。紅の瞳をこすって、一つ背伸び。
視線を畳みにやると、件の兎は小さめにカットされた大根をかじっていた。お前はあつかましいな、家主がいい人だからって食い過ぎだぞ。
そんな私達の食事は既に運び終えていたようだ。
卓に並べられたものは白米のご飯と、簡単な野菜炒め。それと朝の残りのお味噌汁だった。しかも野菜炒めは文字通り野菜しか入っていない。肉類がどこにも見受けられないが、彼女なりの配慮なのだろうか。何にしても、そのよい香りが空の胃袋を刺激する。
ちゃぶ台を挟み、彼女と席につく。
「いただきます」
「いただきます」
二人揃って手を合わせ、さぁお昼ご飯だ。
永遠亭のものとはまた違う味付けで、悪く言えば質素だけれど私の口に合ういい味付けだった。
ぱくぱくと黙って箸を進める向かいの人。料理もできるし、目を閉じて黙っていれば年相応に可愛く見えるのに、もったいない。そんな風に考えて。
そういえば。
このおかずの人参って、あの人参を使ってるのよね。
ほらほら、霊夢が今つまんだやつとか、刃物で切ったとは思えないいびつさだし。もしかして私が口をつけた部分を切り落としてない?
あ、食べちゃった。
「人の顔をじろじろと。何かついてる?」
「‥‥‥いえ、何も」
紅い瞳を逸らし、改めて食事に戻る。別に期待してたりとかそういうのは全くないし、向こうが気にしてないのならいいや。
食事中にお話というのも行儀悪い。二人静かに食事を続けて、兎もポリポリ人参をかじる。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした。おいしかった」
「それはよかったわ」
満面の笑顔で、二人分の食器を下げる霊夢。
台所へと姿を消して、カチャカチャと食器を鳴らす音が届く。
しかし、水音がしない。何をしているのかと思い待っていると、霊夢は櫛を片手に戻ってきた。食器洗いは後でするらしいが。
「櫛を通すからちょっと頭貸しなさい」
「自分でできるわよ」
「黙って座れ」
「痛い、痛い」
肩を掴まれ強制的に座らされる。ていうか今、腕力足りないからって霊力使ったよね?使ったわよね?
そんな彼女は私の背後に回ると、昼寝で乱れた私の髪に櫛を通し始めた。ほつれたところも力任せじゃなくて、ゆっくりと優しい手つきで長い髪を解かしてくれる。霊夢は何が上機嫌なのか、鼻歌まで歌いだす始末。
自分の家にいるような、少し心地よい空気。
しばし、身を任せることにした。
◇
「お邪魔しました」
野良兎を胸に抱いてぺこりと一礼。兎もしおらしいもので暴れたりはしなかった。
他人行儀かなとも思ったけれど、今日は仕事できたのだし。遊びに来た時は普通に挨拶を交わそう。もしくは。
「たまには兎の様子も見に来るといいわ」
姫様たちも喜ぶだろうし、そのほうがいい。
すると霊夢は。
「どっちのうさぎを?」
「‥‥‥えっ、と」
それはまぁ、私も喜ぶけどさ。
困惑する私に、彼女は笑顔で。
「筍ご飯で花見もよいかも。見るのは竹林だから竹見?」
「煮物もつけて、用意して待ってるわ」
「それはありがたいわ。でも竹林で迷うのは勘弁だから、迎えに来てね」
「では来週くらいに」
手を振り、神社を飛び立つ。
今度は私の料理を食べてもらおう。さてどこの筍がいいかな。そんな風に考えながら。
幻想郷にも、春の香りが近づいていた。
俺も永遠亭に呼んでくれ
筍…もうそんな季節かぁ
でもいい感じですね。
人参かじる兎かわいいなー
これはいいほのぼの。あと兎に餌あげる霊夢かわいい。