カラン、カラン、と。扉の鈴は動作を告げる。
その音が鳴った時僕に起きる事は、大きく分けて二つある。
一つは咲夜やアリス、ナズーリン等の数少ない上客が訪れ、商売の機会が訪れる事。
もう一つは霊夢や魔理沙といった、金を払わない常連達がやって来る事だ。
前者がもたらすのは幸せ、後者はどちらかといえば不幸だろう。
しかし、今日の音が僕に告げたのは、そのどちらの来店でもなく。
その来客が僕にもたらしたのは、『絶望』だった。
***
――カランカラン。
「……おや、いらっしゃい」
その日香霖堂を訪れたのは、傍らに何体かの幽霊を浮べた一人の少女だった。
「……こんにちは」
この少女は西行寺幽々子。以前人魂灯の一件でこの店を訪れた少女、魂魄妖夢の仕える主であり、冥界にある白玉楼の主を務める亡霊だ。
何度か此処で買い物をしているが、その殆どが妖夢を通してのものな為に来店の頻度は少ないが、上客の一人である。
「今日は何がご入用かな?」
読んでいた本を閉じ、彼女の方を見る。
和歌に使う短冊でも買いに来たのだろうか。そんな事を考えながら彼女の方を見ると、
「………………」
幽々子は入ってきた位置から一向に動こうとしない。
それどころか、何だか重苦しい空気を纏っていた。
……亡霊にこういう表現もどうかと思うが、彼女は何時もにこにこと笑っている明るい少女だったと記憶している。
ちょっとやそっとの事では動じないこの少女がここまで沈むとは……何か、重大な事があったのかもしれない。
「……何か、あったのかい」
触れてはいけない様な気もしたが、下手をすると今日一日このままかもしれない。
それでは困るといった考えから、僕は彼女に問い掛けた。
「……えぇ。貴方に伝えなきゃならない事があるの」
そう言うと、幽々子はゆっくりと此方に歩み寄りながら言葉を続けた。
「……いきなりこんな事を告げるのを、許して頂戴」
「……?」
「急だという事は分かってるの。でも……もう起きてしまった事は戻せない」
「……何がだい?」
「驚くでしょうけど……これが現実。受け止めて頂戴」
そう言って迫る内に、幽々子と僕の距離は随分と縮まっていた。
そして一度大きく深呼吸をし、幽々子は僕に『その事』を告げた。
「……紫が、死んだわ」
***
「……えっ?」
僕は今、自分の耳が腐っているのではないのかという錯覚に襲われた。
紫が死んだ?
下級の妖怪程度なら、呼吸をするくらい簡単に葬る事の出来る程の力を持つ彼女が?
幻想郷を管理する妖怪の賢者、八雲紫が?
有り得ない。直ぐに僕はそう思った。
そう言えばこの少女はよく妖夢をからかって遊んでいたな。今は僕が標的なのだろう。
そう思って、頭を切り替えようとした。
だが、出来なかった。
「……嘘、だろう……?」
「……残念だけど、本当の事よ」
目の前の少女の普段見せない真剣な表情に。
彼女が冥界で幽霊の管理をしているという事実に。
死を操る彼女の言葉が持つ重みに。
そんな考えは容易く掻き消される。
「私だって……信じたくないわ。あの紫が死ぬなんて……」
「……し、死因は? 死因は何なんだい?」
気が付くと、僕はそんな事を口にしていた。
現実を理解するには余りにも情報が少ないからだろう。
僕の言葉に幽々子は少し黙った後、その重い口を開いた。
「死因は……病気よ」
「……病気?」
「えぇ。……外の世界の病気だったらしくて」
「……治す事は出来なかったのかい?」
「私が気付いた時には……もう手の施しようが無かったの」
「そんなになるまで……彼女は気付かなかったのか?」
「気付いてたみたいよ……本人の口から聞いたもの」
「……気付いていたなら、何故……」
「紫は妖怪。人の医者に診てもらう事が出来なかったのよ」
「し、しかし……幻想郷には月の医者がいるじゃないか。何故彼女を頼らなかったんだ」
「紫は幻想郷を纏める妖怪の賢者。どこにも弱みを見せたくなかったそうよ……」
私が永琳を呼んで来るって言っても、絶対に止めてって聞かないんだもの。
そう続け、幽々子は再び黙ってしまった。
「まさか……そんな事が」
僕は必死に現実と戦っていた。
紫が死んだ? こんな急にか?
幾らなんでも信じられる筈が無い。
しかし……彼女が言うなら本当なのだろうか……
と、先程からこれの繰り返しだった。
「いや……もし」
「?」
「もし本当に紫が死んだのなら……一つだけ、分からない事がある」
「……何かしら? 私が答えられる範囲でなら答えるわ」
「……結界の事だ」
幻想郷を覆っている結界は二枚存在する。
一つは、外界と幻想郷の常識と非常識を分ける『博麗大結界』だ。
これはごく最近張られた結界で、この結界で幻想郷は形成されていると言っていい。
そして外の世界で幻想となったものを幻想郷へと導く結界。
それが、妖怪の賢者八雲紫が管理する『幻と実体の境界』である。
この結界の内、どちらかが壊れても幻想郷は崩壊するのだ。前者が壊れれば幻想郷は外界と繋がり、後者が崩壊すれば幻想の存在である妖怪は実体を保つ事が出来ない。
しかし、半分が妖怪の僕はこうして幻想郷に存在している。目の前の亡霊少女もだ。
「結界……あぁ、その事も説明しなきゃ……」
そう言うと、幽々子は静かに語りだした。
「結界の事は心配無いわ……紫が藍に結界管理の全権を任せたから」
「……そうか」
幻想郷は存在し続ける。それが分かり、僕の心に少しだけ安心が訪れた。
しかし、それでも紫が死んだという事実に変わりはなく。僕の心はその程度の安心ではどうにもならない程に動揺していた。
「……まさか、彼女を見送る事になるとはね」
そんな事を呟き、ふぅと溜息を吐きながら天を仰いだ。
――そういえば、彼女は上から首だけ現れた事もあったか……
事実を少しづつ受け止めながら、ふとそんな事を思い返していた。
「……これを」
「……ん?」
そうしていると、幽々子が懐から一枚の封筒を取り出し、首だけをそっちへ向けていた僕の方へ差し出した。
「……これは?」
「紫が、貴方へって……私はそれを渡す様最後に頼まれたのよ」
「……紫が、僕に……?」
「えぇ。……伝える事も伝えたし、渡すものも渡したわ。じゃあ、これで」
そう言って、来た時と同じ様に扉の鈴を鳴らし幽々子は帰ってしまった。
「……僕に、か」
渡された封筒には、綺麗な字で僕の名前が書かれており、見た目はいたって普通の封筒だった。
中を見ると数枚の紙が入っており、一枚目の頭には封筒に書かれていたのと同じ筆跡で『霖之助さんへ』と書かれていた。察するに、僕への手紙だろうか。
――妖怪の知り合いからこういった物を受け取る事になるとは、想像もしなかったな。
そんな事を考えながら、僕は文章に視線を落とした。
***
『霖之助さんへ。
貴方がこの手紙を幽々子から受け取って目にしているという事は、私はもう死んだのでしょうね。
……まさか、貴方より先に口うるさい閻魔のお世話になるとは思わなかったわ』
「……そんな事、僕も同じだよ」
読みながら、ふと口をついて言葉が出る。
それを気にする事も無く、僕は更に手紙を読み進めていく。
『……思えば、貴方と会ってからそう時間は経っていないわね。
尤も、妖怪の私が感じた時間なだけで、半分しか妖怪じゃない貴方はもっと長く感じてるのかもしれないけど』
「……少なくとも君よりは、ね」
『結界の事は幽々子から聞いたと思うけど、藍が管理を引き継ぐから問題無いわ。
今まで通り、貴方の好きな外界の道具も流れ着くわよ。
だからって勝手に作り変えたりして里に広めたりしない事。そんな事をすれば藍が貴方を私と同じ所に案内するわ』
「……了解したよ、賢者様」
『死んでまでこんな小言を言うのを許して頂戴。全部この幻想郷を愛しているから、そして貴方が心配だからよ』
「心配、ね……精々気を付けるとしよう」
『……話は変わるけど、貴方は私の事をどう思っていたのかしら。
口煩い妖怪? それとも敬うべき賢者? ……それとも胡散臭い妖怪かしら』
「……すまないが、最後だね。賢者もあるが……近いのは最後だな」
『逆に、私は貴方の事を危険な人だと思ってたわ。
知り得る筈の無い知識を知る事が出来る能力、下級の妖怪程度なら簡単に退治出来る様な魔道具の製作技術、外の世界の技術を間違いながらも理解して、それを応用する技能。
人の向上心と妖怪の丈夫さを持った貴方が何時幻想郷にとって危険な人物になるのか、正直少し怖かったわ』
「……そんな風に思われていたのか」
『まぁ、危ない道具の使い方をしていたら藍が注意しに来るから、大丈夫だとは思うけど……
あんまり変な物を作っちゃ駄目よ?』
「……肝に銘じておこう」
『……こんな形で貴方とお別れになるのは辛いけど、これも運命。妖怪といえどもそれには逆らえないわ』
「……運命か。レミリアならばどうだっただろうかな」
『それから、最後に』
「………………」
そこで文字は途切れており、文章は二枚目へと続いていた。
二枚目には、ただ一言。彼女が本当に伝えたかったであろう事が書いていた。
その言葉は、僕を驚かせるには十分すぎるものだった。
『ドッキリ大成功☆』
「…………はっ?」
一瞬、何が何だか分からなくなった。分からない事は考えない主義の僕だが、これは流石に見過ごせないものだった。
「……ドッキリ、だって?」
「えぇ、そうですわ」
「!?」
突然、後ろから声を掛けられた。
驚いて振り返るとそこにいたのは、
「ごきげんよう、霖之助さん?」
長い金色の髪、紫色を基調とした服、派手な意匠の日傘。
そして、その少女が腰掛けるのは……空間に出来た、一筋の隙間。
間違いない。今し方死んだと言われた妖怪の賢者、八雲紫だ。
「……ゆか、り」
「うふふ」
扇子で口元を隠して笑うその姿は、僕が見慣れた胡散臭いものだった。
そして紫はもう一つの小さなスキマを開くと、中から看板の様な物を取り出し、僕に向かってそれを掲げた。
その看板には、ただ一言。目立つ文字で『ドッキリ大成功!』と書かれていた。
「そういう事、ですわよ。霖之助さん?」
「……ゑ?」
「くすくす……随分と混乱してらっしゃいますわね?」
「いや、だって……君は死んだんじゃ?」
「あらあら……、そんなの嘘に決まっているじゃないですか」
「……嘘、だって?」
「えぇ。だって今日は四月一日ですわよ?」
「四月一日……ッ!」
……そうだ。初めから何かが引っかかっていた。だが、余りの動揺に気が付けなかった。少し考えれば分かる事だったのだ。
妖怪の賢者がそう簡単に死ぬ筈が無い。第一、妖怪は肉体的な病に掛かり難いのだ。例え精神的な病だったとしても、彼女には優秀な従者がいる。彼女がそれに気付かない筈も無い。気付いたなら何かしらの処置をする筈だし、余程の重傷なら弱みを見せる事になってでも永琳を呼んだだろう。何度か会った事があるが、藍はそういう女性だ。
それに、今日は四月一日……一年に一度嘘を吐いても良い日、エイプリルフールである。
最近夜通し読書をしていた所為か日付の感覚が狂っていた。その所為で気付けなかったのだ。
――つまり、僕は紫にまんまと嵌められた訳だ。
そう気付いた瞬間、まるで何かが抜ける様に僕はがっくりと項垂れた。
「あら、もしかして怒っているの?」
「怒るを通り越して呆れたよ。君達の変な努力と僕自身の愚かさにね……」
「あらあら、そんなに悲観しなくてもいいのではなくて? 手紙にも書きましたが、貴方の事はそれなりに認めているんですから」
「あぁ……そうかい」
「えぇ、ですからそんなに落ち込まないで下さいな。仕掛けた側としてもそんなに落ち込まれてはどうしていいか分かりませんわ」
「……やれやれ。矢張り君には勝てそうもないな。まんまと一杯食わされてしまったよ」
言いながら、ゆっくりと体を起こす。
「あらあら、そう言う割には随分と清々しそうですわね?」
「……まぁね。嘘話だと分かって、少し安心したからかな」
「安心?」
「あぁ……それに、大切なものは失って初めて分かるという事を知ったからね」
「あ、あら。大切なもの、ですか?」
「あぁ。これからも宜しく頼むよ、紫」
言って、手を差し出す。
「……えぇ。此方こそ宜しくお願いしますわ、霖之助さん」
紫はそう言うと、僕の手をがっちりと握り返した。
「では、今日はこれで……」
そう言って、紫はスキマの中へ消えていった。
「あぁ、また来るといい」
何も無い空間にそう投げ掛け、体を元の向きに戻した。
「……大切なものは、失って初めて分かる。か」
何とも正確な言葉だと思う。事実、擬似的とはいえ僕は大切なものを失い、その価値を知ったのだから。
「ストーブの燃料には、まだ困らなくてよさそうだ」
エイプリールフールだか何だかしらねぇが………もっとやれ。
まぁ、時期尚早的な感じもあったけど、良いんじゃないかな?
まだ嘘をつくには早いぞ作者ァァッ!
でも面白かったからいいやw
最後の霖之助さんの一言にしてやられましたww
さすが霖之助さんだ……。
や っ て し ま い ま し た
>>奇声を発する程度の能力 様
分かっちゃいましたかw
>>投げ槍 様
どうしても待てなかったんですw
>>4 様
NDK?w
>>5 様
楽しんで頂けて良かったです!
>>6 様
天然のSっ子ですからね、彼はw
>>淡色 様
こんな感じじゃないですか、彼ってw
>>8 様
天狗の集う場所に毒されてこんな事になってしまいましたw
読んでくれた全ての方に感謝!