その日は、いつもに比べて特段寒かった。
冬至を超えてすぐは、大抵こうだ。
身体が油断するのもあるんだろう、寒さが肌に沁みる。
「はぁーっ、はーっ」
手袋越しの吐息で、気休め程度に指を温める。
肩から染みこんだ雪は思うよりずっと、私の身体を冷やしているようだった。
頭に積った塊を落とす気にもならず、門柱に背中を預けて上を眺める。
空は、無限なほど高い。雪が雲から落ちてきてるなんて、想像もつかないくらいに。
部下たちの巡回は、さすがに休み。
こんな夜中に誰も来ないだろう。
私も実質、ただぼうっとつっ立ってるだけだ。
形だけの門番でもこうして雪の中で立ってると、それなりにサマになっていると思う。
しかし寒い。どうしてこう、頭痛がするほど寒いのか。
小さく身震い。昼からずっとで身体も動かせてなかった。
耳当てを持ってくればよかった。かっこ悪いなんて言ってる場合じゃなかった。
こういう時、あったかいコーヒーでもあれば素晴らしいのに。
あったかい食べ物がついていれば、もういうことなしで。
「うう、ひもじい」
おもに心が。
「冷えてきたなぁ……」
人恋しくて。
――本音を言えば、食べ物なんかなくたって構いやしない。
料理のカギが作り手の心なのと同じように。
こういうのは、誰が持ってくるかが、大事なのだ。
そばにいてくれたら、それだけであったかくなれるような。
触れるだけで、心が和らぐような。
そんなひとがコーヒーを淹れてくれるのなら、どんなにまずくたって飲んでしまえる。
触れあった肩ごしに感じる体温とか。
語りかけるような、優しい声とか。
柔らかく砕けた笑顔とか。
思い出して、思わず唇がつりあがる。
実にひもじい。
ひとこいしい。
座り込んで、ぽつんと呟く。
「……さーくーやさん」
呼んだら、来てくれるような気がして。
こんな真夜中でも、ひょっとしたらって。
そんな想像が楽しくて、つい。
ふふふ、なんてにやけながら、名前を呼んでみた。
「はーい?」
――?
「さくやさん?」
「そうよ?」
幻覚かと疑う。
本物かと疑う。
運命かと疑う。
「さくやさん?」
「そうね」
「可愛いですね」
「でしょう」
……間違いなく咲夜さんだ。
メイド服じゃないから、一瞬わからなかった。
咲夜さんもダッフルなんて着るんだ。
爪型のボタンは銀塗りで、らしいな、なんて思ったりして。
ぱんぱん、と私の帽子をはたいて、嬉しそうに笑って。
私の横に座り込んで、顔をのぞきこんでくる咲夜さん。
心なしか、笑顔にこちらが火照っている気がした。
「にしても、どうして? もうお勤め終わりましたよね」
「まあね。寝る前に顔見とこうかと思って」
さらりとそういうことを言うあたりに深い愛を感じながら、しみじみ笑顔を返す。
傍らにあるバスケットから水筒を取り出しながら、咲夜さんは私に寄りかかった。
どきりと胸が跳ねる。少し俯いた咲夜さんが、いつもよりぐっと可愛く見えた。
すっとマグが差し出される。中身はコーヒー。
ゆっくり立ち上る湯気が、なんだか優しい。
両手で受け取って、小さく感謝。
「ん」
「いただきます」
「うん」
すすった熱いコーヒーの味は、やけどと咲夜さんのせいで、よくわからなかった。
疲れた顔で私の肩に寄りかかって、深く息をついて。
今日も色々あったんだなって、その手を握ったり、撫でたりした。
「お疲れ様です」
「……うん」
「今日は、何が?」
「いろいろ」
「そうですか」
魔女たちと除雪作業をしたこと。
妹様の部屋の鍵を取り換えたこと。
お嬢様の八つ当たりが陰湿だったこと。
三精のぶら下がったシャンデリアが落ちたこと。
晩餐にパチュリー様がいなかったこと。
館で起こることのほとんどを、咲夜さんはこなしている。
こうならないほうがおかしい。
完璧なんて呼ばれても、私と同じ、心あるいきもので。
忙しいのは、やっぱり疲れるのだ。
そっと頭を触れあわせて、咲夜さん、と呟く。
咲夜さんが私の腕に腕をまわして、ぎゅっと手を握りあって。
お互いの手袋が邪魔をしているような、寂しい気持ちになる。
もう一口啜ったコーヒーは、まだ温かいままだった。
「飲みます?」
「もらうわ」
咲夜さんはマグを受け取りながら、バスケットの中からサンドイッチを取り出した。
忙しいのにこんなものまで用意してくれる咲夜さんをいとおしく思いながら、口をつけていく。
「どう」
「美味しいです。すごく」
「よかった」
マグから少し啜った咲夜さんが、熱そうに息をついている。そういえば猫舌だったっけ。
吐息が白くて、雪に霞む。少し先も見えないような暗い空に、溶けていって。
もっと近づきたくて、寒さを言い訳に咲夜さんを抱き寄せた。
手袋をはずして、私の首に手を当てる。思ったよりも、ずっと冷たかった。
とっかえひっかえでコーヒーを飲みながら、空を眺めては息を吐く。
「咲夜さん」
「ん」
「今度、デートしましょう」
「そうね」
「里のお茶屋さんとか行きましょう」
「ええ」
本当なら、明日にでも。
そう言いたいのをこらえて、強く肩を抱く。
幸せは、少し遠いくらいが頑張れる。
雪の中ずっと立ってる甲斐もあるってもんだ。
サンドイッチが冷えていく。
残りは詰所に帰ってから食べようか。
あと何時間だろう。今日は三時で交代だったっけ。たしか、鐘が鳴るはずだ。
時間を聞くのも無粋に思えて、じっと、何も考えずにコーヒーの湯気を眺めていた。
それから、しばらくして。
「それじゃあ、戻るから」
咲夜さんはすっと立ち上がって、屋敷の方へランプを掲げる。
この雪空じゃ、灯りをつけても先が見えない。
館まで、そう距離はないはずなのに。
「おやすみなさい」
「ええ」
その足元に、影はなく。
ざっくざっく、足音が遠ざかっていく。
もう、ぼうっと灯りが見えるだけになって。
自分も早く帰りたいな、なんて思って、暗闇に消えた彼女を探す。
「はぁ……」
深くため息をついて、もう一杯、熱いコーヒーを煽る。
やっぱり、ひとりじゃあんまり美味しくない。
時間でも見に詰所へ戻ろうかと、立ちあがって。
呼びかける声に、ふと、気付いた。
「――美鈴!」
遠ざかった足音が、少し速く、こちらへ近づいてくる。
紺色のコートは、闇の中に姿を溶かす。
銀の髪がふわふわ揺れるさまに、少しどきりとして。
顔ほどに持ち上げたランプのおかげで、笑っているのだと気付いた。
その表情が、やたら綺麗で。
思わず、身を固めてしまう。
灯りがふわりと、風にあおられて。
目に見える咲夜さんが、幻のように、揺らいだ。
まるで、ロウソクのように。
「メリークリスマス」
「……メリークリスマス、咲夜さん」
ごん。
ごん。
ごん。
鐘の音は三つ。
今日の仕事はもうおしまい。
そろそろ交代の門番が来るだろう。
今夜は一緒に、私も屋敷に帰ることにしよう。
冬至を超えてすぐは、大抵こうだ。
身体が油断するのもあるんだろう、寒さが肌に沁みる。
「はぁーっ、はーっ」
手袋越しの吐息で、気休め程度に指を温める。
肩から染みこんだ雪は思うよりずっと、私の身体を冷やしているようだった。
頭に積った塊を落とす気にもならず、門柱に背中を預けて上を眺める。
空は、無限なほど高い。雪が雲から落ちてきてるなんて、想像もつかないくらいに。
部下たちの巡回は、さすがに休み。
こんな夜中に誰も来ないだろう。
私も実質、ただぼうっとつっ立ってるだけだ。
形だけの門番でもこうして雪の中で立ってると、それなりにサマになっていると思う。
しかし寒い。どうしてこう、頭痛がするほど寒いのか。
小さく身震い。昼からずっとで身体も動かせてなかった。
耳当てを持ってくればよかった。かっこ悪いなんて言ってる場合じゃなかった。
こういう時、あったかいコーヒーでもあれば素晴らしいのに。
あったかい食べ物がついていれば、もういうことなしで。
「うう、ひもじい」
おもに心が。
「冷えてきたなぁ……」
人恋しくて。
――本音を言えば、食べ物なんかなくたって構いやしない。
料理のカギが作り手の心なのと同じように。
こういうのは、誰が持ってくるかが、大事なのだ。
そばにいてくれたら、それだけであったかくなれるような。
触れるだけで、心が和らぐような。
そんなひとがコーヒーを淹れてくれるのなら、どんなにまずくたって飲んでしまえる。
触れあった肩ごしに感じる体温とか。
語りかけるような、優しい声とか。
柔らかく砕けた笑顔とか。
思い出して、思わず唇がつりあがる。
実にひもじい。
ひとこいしい。
座り込んで、ぽつんと呟く。
「……さーくーやさん」
呼んだら、来てくれるような気がして。
こんな真夜中でも、ひょっとしたらって。
そんな想像が楽しくて、つい。
ふふふ、なんてにやけながら、名前を呼んでみた。
「はーい?」
――?
「さくやさん?」
「そうよ?」
幻覚かと疑う。
本物かと疑う。
運命かと疑う。
「さくやさん?」
「そうね」
「可愛いですね」
「でしょう」
……間違いなく咲夜さんだ。
メイド服じゃないから、一瞬わからなかった。
咲夜さんもダッフルなんて着るんだ。
爪型のボタンは銀塗りで、らしいな、なんて思ったりして。
ぱんぱん、と私の帽子をはたいて、嬉しそうに笑って。
私の横に座り込んで、顔をのぞきこんでくる咲夜さん。
心なしか、笑顔にこちらが火照っている気がした。
「にしても、どうして? もうお勤め終わりましたよね」
「まあね。寝る前に顔見とこうかと思って」
さらりとそういうことを言うあたりに深い愛を感じながら、しみじみ笑顔を返す。
傍らにあるバスケットから水筒を取り出しながら、咲夜さんは私に寄りかかった。
どきりと胸が跳ねる。少し俯いた咲夜さんが、いつもよりぐっと可愛く見えた。
すっとマグが差し出される。中身はコーヒー。
ゆっくり立ち上る湯気が、なんだか優しい。
両手で受け取って、小さく感謝。
「ん」
「いただきます」
「うん」
すすった熱いコーヒーの味は、やけどと咲夜さんのせいで、よくわからなかった。
疲れた顔で私の肩に寄りかかって、深く息をついて。
今日も色々あったんだなって、その手を握ったり、撫でたりした。
「お疲れ様です」
「……うん」
「今日は、何が?」
「いろいろ」
「そうですか」
魔女たちと除雪作業をしたこと。
妹様の部屋の鍵を取り換えたこと。
お嬢様の八つ当たりが陰湿だったこと。
三精のぶら下がったシャンデリアが落ちたこと。
晩餐にパチュリー様がいなかったこと。
館で起こることのほとんどを、咲夜さんはこなしている。
こうならないほうがおかしい。
完璧なんて呼ばれても、私と同じ、心あるいきもので。
忙しいのは、やっぱり疲れるのだ。
そっと頭を触れあわせて、咲夜さん、と呟く。
咲夜さんが私の腕に腕をまわして、ぎゅっと手を握りあって。
お互いの手袋が邪魔をしているような、寂しい気持ちになる。
もう一口啜ったコーヒーは、まだ温かいままだった。
「飲みます?」
「もらうわ」
咲夜さんはマグを受け取りながら、バスケットの中からサンドイッチを取り出した。
忙しいのにこんなものまで用意してくれる咲夜さんをいとおしく思いながら、口をつけていく。
「どう」
「美味しいです。すごく」
「よかった」
マグから少し啜った咲夜さんが、熱そうに息をついている。そういえば猫舌だったっけ。
吐息が白くて、雪に霞む。少し先も見えないような暗い空に、溶けていって。
もっと近づきたくて、寒さを言い訳に咲夜さんを抱き寄せた。
手袋をはずして、私の首に手を当てる。思ったよりも、ずっと冷たかった。
とっかえひっかえでコーヒーを飲みながら、空を眺めては息を吐く。
「咲夜さん」
「ん」
「今度、デートしましょう」
「そうね」
「里のお茶屋さんとか行きましょう」
「ええ」
本当なら、明日にでも。
そう言いたいのをこらえて、強く肩を抱く。
幸せは、少し遠いくらいが頑張れる。
雪の中ずっと立ってる甲斐もあるってもんだ。
サンドイッチが冷えていく。
残りは詰所に帰ってから食べようか。
あと何時間だろう。今日は三時で交代だったっけ。たしか、鐘が鳴るはずだ。
時間を聞くのも無粋に思えて、じっと、何も考えずにコーヒーの湯気を眺めていた。
それから、しばらくして。
「それじゃあ、戻るから」
咲夜さんはすっと立ち上がって、屋敷の方へランプを掲げる。
この雪空じゃ、灯りをつけても先が見えない。
館まで、そう距離はないはずなのに。
「おやすみなさい」
「ええ」
その足元に、影はなく。
ざっくざっく、足音が遠ざかっていく。
もう、ぼうっと灯りが見えるだけになって。
自分も早く帰りたいな、なんて思って、暗闇に消えた彼女を探す。
「はぁ……」
深くため息をついて、もう一杯、熱いコーヒーを煽る。
やっぱり、ひとりじゃあんまり美味しくない。
時間でも見に詰所へ戻ろうかと、立ちあがって。
呼びかける声に、ふと、気付いた。
「――美鈴!」
遠ざかった足音が、少し速く、こちらへ近づいてくる。
紺色のコートは、闇の中に姿を溶かす。
銀の髪がふわふわ揺れるさまに、少しどきりとして。
顔ほどに持ち上げたランプのおかげで、笑っているのだと気付いた。
その表情が、やたら綺麗で。
思わず、身を固めてしまう。
灯りがふわりと、風にあおられて。
目に見える咲夜さんが、幻のように、揺らいだ。
まるで、ロウソクのように。
「メリークリスマス」
「……メリークリスマス、咲夜さん」
ごん。
ごん。
ごん。
鐘の音は三つ。
今日の仕事はもうおしまい。
そろそろ交代の門番が来るだろう。
今夜は一緒に、私も屋敷に帰ることにしよう。
例えば「とっかえひっかえでコーヒーを飲みながら」ですが、これだと交代でコーヒーを飲んでいるのではなく、「たくさんのコーヒーを次から次に飲んでいる」という意味になってしまいます。
こういった間違いを見つけるたびに読感につまづきを覚えてしまうので、もったいないです。