「咲夜、爪切りってある?」
日課である特注のヤスリでの爪研ぎをしていた主から突然飛び出したその言葉は、驚きこそしないものの、少なくとも咲夜の想定からは外れていた。
「それは、普段私が使ってる物でよろしいですか?」
「いいわ。ある?」
「ございます」
咲夜に欲しい物を取ってこいと命令するのは無意味である。
そこに存在するのは「ある」か「ない」かの二通りだけだ。
最も、「ない」場合は咲夜の体感時間は相当過ぎているのだろうが。
「ふうん、咲夜はこういうのを使ってるんだ」
レミリアは珍しい物を見るようにまじまじとそれを見つめている。それは世間一般に「爪切り」といったときにイメージされるであろう物とは違い、どちらかというとニッパーに近いものであった。
もちろん、吸血鬼であるレミリアには全く必要のないものである、はずだったのだが。
パチン。
小気味良い音が響いた。流石にこれには咲夜も驚いてしまった。普段から咲夜にも触れさせずあれほど大事にしていた爪を、あっさりと切ってしまったのだ。
「お嬢様、どうなされました」
「黙ってて」
パチンパチンと左手の親指の爪を躊躇することなく切っていく。爪の切れ端は床に落ちる前に咲夜が全て拾い集めている。
見ると、切り口こそ歪であるが、とても吸血鬼の爪とは思えない長さとなっていた。
「咲夜」
「なんでしょう」
「慣れてないからうまくできないわ。やって」
さらに驚いた。『吸血鬼が最後に頼れるのは己の牙と爪だけ』とまで仰っていたのに。それを自分が切ってしまってもいいものかと、少しの躊躇いが生まれる。
「それは……」
「やりなさい」
「畏まりました」
「咲夜と同じようにね。あ、時間は止めないでよ」
爪を切り、ヤスリで磨く。普段やっている当たり前のことを主を相手にする。緊張はするだろうがミスは許されない。
「綺麗な手ね」
「お嬢様ほどでは」
血の通わない、吸い込まれそうなほど白い手は、触るとひんやりと種族の違いを伝えてくる。
「ちょっとした気まぐれよ。深い意味はないわ」
ある程度切り終わったら、「人間用」のヤスリで削っていく。綺麗に尖っていて、咲夜の頸動脈などは容易に切り裂けるであろう爪を、決して鋭くならないように。
「終わりました」
「結構時間掛かるのね」
「普段は私の時間でやっています故」
「ま、いいけど」
切り揃えられた爪を嬉しそうに眺めるレミリア。その爪は決して洒落たものではないが、料理、洗濯、掃除等家事全般を卒なくこなす人間――咲夜の爪である。機能美と云うものだろうか。
「気になる?理由」
「……はい」
「教えてあげる」
するとレミリアは自身の右手を咲夜の左手に絡める。そして一言、こう言った。
「咲夜と、お揃い」
ドクンと、心臓が一際大きく脈動したのを感じた。体温が高くなる。しかしそれを微塵も表に出さずに咲夜は言うのだ。
「……それだけ、ですか」
「っていうのもあるんだけど」
言うとふわっとレミリアは宙へ浮かんだ。手を咲夜の頬にそえる。そして――こつん、と、お互いの額を合わせる。
目を少し見開く咲夜。さらに鼓動は早くなる。
「あんな爪じゃ、咲夜を傷つけてしまうじゃない?」
「待ってるわ」
地上に降りた吸血鬼は、一言だけ言うと、スカートを翻し自身の部屋の方向へ向きを変える。
そして咲夜はいつもと変わらない調子で、完璧に、瀟洒に、返事をする。
「はい」
――最も、咲夜の体感時間は相当過ぎているのだが。
・ ・ ・
「咲夜、爪切って」
「はいただいま」
それからというもの、紅魔館ではときどきこのような風景が目に入る。
はてさて、それは主の気まぐれか、それとも――
「待ってるわ」
「はい」
――紅魔館の夜は長い。
fin
シリアスな展開を予想してただけに可愛さがすごかったです
動揺しても瀟洒であろうと努める咲夜さんが可愛いかったです
爪切りとはストレートで大胆ですね。
是非待ってるお嬢様の元へ歩み寄る咲夜が見たいです
つまり続きを待ってますね!どきどき
あと、爪切りのリンクに笑いました