夢を見た。
夢にしては珍しい、鮮明で現実のような夢を。
それは私の部屋から始まった。
いつものようにメイド服に着替え身支度をし、いつものように仕事をする。
普段を映し出した鏡のような生活だった。
久ぶりだわ、こんな感覚。とか何とか思っていたら視界が真っ暗になって。
そこで私の夢は終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
ベッドから起きて枕元にあった時計を見る。いつもの起きる時間よりも30分早い。
――なんか損した気分
ふらり、と欠伸をかみ殺しながらクローゼットの前に立つ。低血圧は寝起きが一番辛い。
「あっ」
なんて思ってたら何もない床で躓いて、クローゼットの中にダイブ。
自分の能力で拡張しているだけあって人一人すっぽりと収まった。
「…………はぁ」
これが隠れん坊、という遊びなら見つからないだろうか、などといった戯言まで頭に浮かんでくる始末。
どうやら今日は悉く調子が悪い。30分ぐらいでこんなに眠たいのもおかしいし、気だるい。
「………」
何を考えるまもなく、私の意識は真っ暗のクローゼットの中と同化した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…と思ってたのだけれど」
また、同じ夢のようだ。しかもご丁寧に続きからで、モップを片手に持っていた。
時計を見ると午前11時近く。もうすぐ昼食の準備をしなくてはいけない。
近くにいたメイド妖精に仕事の段取りを再確認した後、私は厨房に向かった。
そこに着くとまるで戦場と言い例えられるほどの慌ただしさと騒がしさがあった。まぁいつものことなのだが。
「メイド長」
無意識のうちにナイフを取り出して食材を切っていた所に、一人の妖精(料理長)が呼びかけてきた。
「どうしたの?」
「…紅茶の葉がもうすぐきれそうって言ってたの覚えてますか?」
「……あっ」
綺麗に忘れてた。自分で言ったのに。
「あと玉葱切ったので涙でてます」
「えっ」
「あと、門番長の昼ご飯持って行きました?」
「あうっ……」
何かかわいい生物を見た、とでも主張するかのように妖精メイドの顔はゆるみきっている。全員こちらを向いて。
「とりあえず、門番長にご飯持っていてください。用意はそれからです」
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
なんかもう気恥ずかしいので時を止めてご飯を持っていくことにした。
そのまま手に玉葱を持っていたことには気づかないまま。
「まったく、メイド長はどこか抜けてるんだよなぁ…」
料理長は手元のフライパンを動かしながら話しかける。苦笑しながらも、その表情は優しかった。
一瞬で消えた咲夜の様子を見て微笑みあう妖精たち。その笑みは、どこまでも純粋な
「そこと完璧なギャップに萌える」
「そこがまたかわいいんだよ」
どこまでも、純粋な煩悩の固まりだった。
「美鈴、ご飯…」
門の前にランチボックスを持っていくと珍しく寝ていない美鈴が居た。
「あいや、咲夜さん。どうしたんです?そんなに固まって?」
「あ、いや。寝ていないのが珍しいなぁ、と思って」
「ひどいなぁ。何ですかそれ」
日頃の行いよ。あはは、耳が痛いです。なんて軽口を言い合った後、館に戻る。
そのとき、私にあったのは少しの違和感と、軽い耳鳴りだった。
「咲夜さん、玉葱」
あと、切りかけの玉葱。
―――――や
――――――く――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何これ。
そんな言葉しか出せなかった。てか、それ以外は無理。
だって厨房に帰ろうとして館のドアを開けたらそこはなんとワンダーランド。
本当に、ご丁寧に扉はない。
「…丁寧すぎて笑えてくるわ」
未だ手には玉葱、かと思ったのだが玉葱はシルクハットに変わっていた。
ふと見れば格好はチョッキのようなスーツ。体に異常は無いようだ、と言いたかったのだが。
「何この耳。ウサギ?」
見事な兎の耳が頭から生えていた。
これではまるで私がかの御伽噺のホワイトラビットのようではないか。
「私は女なのだけれど…まぁいいか」
きゅっとシルクハットを被り手元にあった時計を見る。
「…大変ね。急がないと仕事が終わらないわ」
私は館に戻るために、不思議な世界を飛んだ。
違和感と耳鳴りは比例するように少しずつ膨れ上がっているような感じがした。
――――や
―――――よい
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
進む。進む。奇妙な世界を。
このまま飛んでいても何も変わらないとわかった後、私は野原に身を投げ出すように倒れこむ。
「はぁ…」
夢中でこの世界を飛び回っていたが、冷静に考えればこれは夢なのだ。
現実のように捉えられる夢でも、「夢」なのだ。
ならば、このまま役のようなことをしてみようか、なんて事を思いついた。
ホワイトラビットを演じきるなら、私はまず何をしなければいけなかったのか。
「まずは、………あれ…?」
確かあの物語の白兎は―――を不思議の世界につれていく所から始まるのだ。
ストーリーに問題はない。ただその名前が思い出せない。
確かあれは題名でもあったのだ、そう思い題名を思い出そうとするが無駄だった。
「不思議の国の―――」そこまでしか思い出せない、わからないのだ。
まるで、―――というものが私の頭の中から消されているように。
「…これじゃあ、誰を迎えに行けば分からないわね」
名前を思い出せない人物を理解することはできない。よっ、と野原から起き上がり、またしばらく空を飛ぶ。
耳鳴りはまるで警鐘のように私の頭の中に鳴り響いてた。
―――まぁ
――――り、ね
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ここは……」
不思議な世界をしばらく飛んでいるとどこか記憶に残っているような町を見つけた。
もちろん幻想郷などではなく、外の世界の建物のつくりをしている。
空を飛ぶのをやめて後ろを振り返る。
「…毎回ながら、ご丁寧に」
後ろには、もう何も無く町の風景が広がっているだけだった。
それにしても。と町を一回り眺めてみる。
心に残っているようで、ぼんやりとしか分からない世界。それは、まるで本能が「思い出すな」と鍵をかけたよう。
しかし、私はその鍵を開けてしまった。
興味本位で思い出そうとしたことを、私はとても後悔する事になる。
開かれたのは、パンドラの箱。
暗黒の闇。
流れ出るのは、私の闇。遠い遠い、ある少女の記憶。
「―――――っ!!ぅ―!!はっ―――!!!!」
膝がまともに動かず床に手を付く。
それでも記憶の波は流れ続け私の頭に大きな衝撃を残していく。「十六夜 咲夜」という存在を流すほど、強く強く。
「っ、がぁっ――!!!」
声にならないような叫びが咽喉の奥から出てくる。
叫んでも叫んでも衝動は治まらないので頭を抱え込む。
涙は、出なかった。
涙を流す権利すら、無いと思っていたから。
助けは求めなかった。
助けなんて絶対に来ないとわかっていたから。
どれだけ苦しんでも、泣いても叫んでも。
「私」が独りだということを知らせるための、ただの鎖にしかならないから。
崩れて、トケル。
ぐるぐると渦を巻くように壊れていく私の世界。
時計の針のようにぐるぐる、ぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。止まる事はなさそうだった。
消える。きえる。キエル。 私が消える。
不快なものを感じる所などは当の昔に麻痺してしまって何をどう感じているのかわからない。
衝動も同じように感じられるものではなくなっていた。
あれ、何でこんなことになってるんだっけ。そもそも私はなんでここにいるんだっけ。
わたしはなにをさがしていたんだったかな、わたしはだれに謝ればイイノ?
ねぇ、オシエテヨ
「私」なんて、消えてしまえばよかったの?
ぐずぐずに溶けた頭でそんなことを問いかけても答えなんて返ってこない。
ぼやけた視界で周りを見渡すと、鎖が四肢についていた。
じゃらり、じゃらりと揺らしてみても解ける様子もなかったし、体は上手に動かせない。
景色は「黒」。どこぞの閻魔が裁いた後みたいじゃないか。
「―――」
声は出ない。届くことのない、その声は。
ああ、もうここで死ぬのかも知れない。
だってとっくに夢と現は交わりあってどちらが夢かすらわかりはしない。
でもそれでもいいと、抗わない自分が居る。
これはお前の罪なのだと。そう呼びかける私が居る。
これはお前の最後なのだと。そう呼びかける私が居る。
此処で朽ち果てるのが、私の最後かな。
やはり涙は出なかった。出たのは、乾いた笑いと虚ろな声。
もういいや、なんて投げやりに心の中で吐き捨てた後、私の意識は闇に溶けた。
「黒」に染まる前に見えた視界には、傘がうっすらと写っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夢の中に現れてた傘こと、八雲 紫は焦っていた。
その理由とは、式にしようと思っていた妖怪が能力を使って脱走していたのだ。
被害の出ないように必死に探し回っていたその翌日境界を操るその能力で見つけたのだ。
ただ、少しだけ遅かった。
妖怪は人の精神に入り込み、その能力を発動していたのだ。
その対象とは、紅魔館で必死に捜索活動が行われている「十六夜咲夜」だった。
スキマを使って移動して何故かクローゼットの中で倒れている彼女を隙間の中で治療していている所なのだ。
妖怪の能力は「人の夢と現を操る程度の能力」というものだった。
ただでさえ厄介な能力なのに、対象にされた人間もまた厄介な過去を抱えておりより難解な物と変化している。
いや、確かに私が悪いんだけれども…
「…あと一つ、何かこの子の大事な物があれば」
その治療方法とは単純な物で、要は夢の世界から現の世界へと引き戻すだけなのだ。
しかし、人の精神とは脆く下手に弄れば壊れてしまう。
中々近くまで引き戻すことはできたのだが、最後の一歩、最後に何か一つ足りないのだ。
銀のナイフはたぶん逆効果、時計は見あたらなかった。
レミリアは連れてきた瞬間にグングニル。美鈴は…何か無意味っぽいので却下。
その他であの子の大事な人物…………
「…そういえば、確か」
心当たりが一つだけできたので、その人物にすべてを賭けることにしよう。
それでもだめならば、その時は気は進まないが能力で意識「だけ」をこちらへ戻そう。
そう決意し、私はある人物の元へと境界を開いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鳥籠の中の鳥は、捕らわれているから不幸なのではない。
鳥籠の中の鳥は、生まれてきたから不幸なのだ。
そう考えたことがあの街であった。
マイナスな事は一度考えるとその深く深くまで沈んでいくのに、考えることは止まらない。
思考が沈むにつれて、鎖はどんどん重たくなっていくように思えた。
目を開けても黒。時が止まっているのかも認識できないほど何もない。
もういいじゃないか、ここが何でも何であろうと。「私」は生きたよ、充分生きた。
いっぱいの物を壊しながら生きた、それが自分にきただけじゃないか。
本当に、もういいや。
さぁ、最後の景色だ。
そう黒しかない世界を半分自虐しながら覗く。
始まりは紅で、終わりは黒。共にいたのは銀。なんて色の少ない人生だったのだろうか。
そう思っていたのに。
「咲夜!」
黒の中には、七色の魔法使いが浮かんでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アリスは突然の来客に驚いた。
人形の服の裁縫をしているとスキマから妖怪の賢者が出てきて有無を言わさずにスキマの中へ放り込まれて。
なんなんだ、一体と抗議するとそれには答えずにたった一言。
「十六夜咲夜を助けたいなら来て」
それだけをつぶやいて紫はすたすたと境界を歩いて進んでいったのだ。
当然、何のことか全くわからないアリスは混乱状態のまま。
それでも、その言葉を聞いて紫の後ろをついて行くのは忘れていなかった。
紫が止まってそこを覗き込むと生気の感じられない咲夜が横たわっていた。
揺さぶっても、叩いても何の反応も示さない。
「咲夜!…ねぇ、紫。咲夜をどうしたの!?」
振り返って紫を見ると、彼女もまた焦った様子でこちらを見ていた。
「時間がないの。今から用件だけを言うからそれを遂行して」
「質問に答えなさいよ!」
ぴしり、と空間に亀裂が入る。
そこを紫は指差して中に入れ、とでも言いたそうな顔をしている。
「…そこは?」
「ここは十六夜咲夜の精神世界。いわば夢の世界ね」
「だから…!」
「いいから最後まで聞きなさい」
何を言っても跳ね返されそうな紫に根負けし、私は話を聞くことに集中する。
「今から貴方がやる事は一つだけ。彼女と一緒に「現」まぁ、この世界に帰ってくる事」
「…それだけ?」
「それだけ」
「…いきなり人を拉致して説明もなしに?」
「それだけ」
「殴っていい?」「それは嫌」
淡々と話す紫につられて、何だか緊迫した雰囲気ではなくなってしまった気がする。
私の恋人の命がかかってるはずなんだけれど………
「方法は簡単。私が夢と現の境界を開くからそこからあなたは夢へ入って頂戴。
その後もスキマは開けておくから、それから帰って十六夜咲夜の精神を連れ戻してきて」
「…わかった。でも終わったら説明してよね」
「それはもちろん」
グリモワールと人形達を仕え、いざ亀裂の中を見る。そこは真っ暗で底が見えなかった。
「…健闘を祈るわ」
珍しく真面目な紫を見て、なんか不安になってきた気もするがまぁいいだろう。
「お互い様ね。じゃ」
そんなこんなで私は黒の世界に飛び込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そこには、何も無かった。
夢というのは深層心理と同じようなもので本来ならば何かあるはずなのだが。
本当に、何も無かった。
何もない、一種の恐怖を感じさせる程の「黒」だった。
「……咲夜」
妖怪である自分が恐れを抱くほどの精神を人間が抱えている、とはなんという皮肉なんだろうか。
彼女はいつも何を考えていたんだろうか。
彼女はいつもどんな気持ちだったのだろうか。
考えるたびに心が重たくなる。
答えのない質問ではないから、尚更深く考えてしまう。
「…これが終わったら全部聞こう」
そうだ、全部聞けばいい。
話しにくいことならムリには聞かないけれど、いつかは彼女の全てを見せてもらおう。
心の傷も、抱えている重たいものも、全部。私が癒していこう。
人間の人生は短いけれど、私たちには関係ない。
「…よし!」
私は覚悟を決めて走り出した。
全速力で飛んでから十分ぐらいたっただろうか。黒以外の物が私の視界にかすれてうつったのだ。
あれは…銀?
銀、と頭が理解する前に叫んでいた。
それは、愛する人の姿だったから。
「咲夜!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「咲夜!!」
じゃらりと鎖が揺れる。
何故、どうしてあなたが此処にいるの?そう聞きたかった声は掠れて消えた。
偽物なのか、そう思った。
神様が最後の最後にくれた、うれしい贈り物のように思ってしまった。
でも、その姿をつかむ腕は鎖で繋がれていて私には掴めない。なんて意地悪。
「しっかりしなさいよ!ねぇ、聞こえてるの!」
聞こえているよ、あなたの綺麗な澄んだ声は。
見えているよ、あなたの綺麗な瞳は。
でもね、わからないんだ。貴方がそこにいるのかどうか。わかるのにわからないの。
ねぇ、教えて。
貴方は、何?
これはまずい。
この夢の世界で反応が無い、と云うことは精神が壊れかけている証拠だ。
私も紫同様に焦っていた。
なんでもいいから現に連れ戻ってきなさい、とか言われていたので鎖を壊すことにする。
じゃらり、と鳴る鎖はただでは壊れないような代物だった。
引っ張っても、人形たちと共に壊そうとしても、傷一つつかなかった。
「ああもう!苛々する!」
スペカでも発動して鎖を溶かしてしまおうか。いやでも、そうすると咲夜を傷つけてしまう。
「…ねぇ」
云々唸っていた私に咲夜が話しかける。
意識はあるのか、と安心するが、次にかけられた言葉は私の全身を震えさせるものだった。
「貴方は、何?」
「…………え?咲夜…?私、よ?」
冗談を言える雰囲気ではないのだが、咲夜の目は以前虚ろなまま。
「何っ、てどういうこと…?ねぇ!?」
肩を掴んで前後に振っても頬を抓っても答えが聴けることは無かった。私はその手を途中で離したから。
咲夜は、泣いていたから。
今のが痛くて泣いているのでは無いのだろう。
だって、彼女はとても悲しそうに声も上げずに泣いているから。
でも。
どうしてだろうか。
私には、声が聞こえるような気がする。
「――――」って。
私は、そんな声を聞いて。
彼女を力いっぱい抱きしめた。
「…寂しかったんだね」
聞いたことのない声で、まるで聖母のような声で彼女は言う。
「苦しかったんだね。助けて欲しかったんだよね」
私の抱えていることを、
「…愛して欲しかったんだよね」
全て。
それ以外のことも、彼女の体温から伝わってくる。
私は、何もいえないのに。
私は、あなたが何かわからないのに。
何をしたら良いのか分からないのに、どうしても、貴方に触れていたいと思う。
またぐるぐると回る頭の中で渦巻いているのは、感情。
自分でも抑えきれないほどの何か。
「…ひっ、ぅ、ぐすっ、ぅぅ」
気が付くと嗚咽がとまらなかった。
涙は彼女の胸元を濡らしている、なんて考えることすらできなかった。
どうして泣いているのかすら、自分でも理解が追いつかなかったから。
だから。
「…アリス、」
名前を呼ぶことしか出来やしないのだ。
「アリス、アリス、ありす………!」
「私は此処に居るわよ。咲夜」
その闇の中、私は子供のように泣き喚いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
展開が速い、上手く行き過ぎている。
紫がそう思ったのはアリスを亀裂の中に放り込んだすぐ後だった。どうもすっきりしないのだ。
「……まさか、ね」
ふと横切った「運命」という文字。
これが人間なら絶対にない話だが、相手は悪魔だ。もしかしたらの可能性もある。
はぁ…、とため息を一つ。
「思ってるとおりなら、とんでもない悪魔ね」
口元を緩めつつ、紫は境界の横で二人の帰りを待ち続けた。
妖怪の言う台詞ではないなぁ、と少し苦笑の意味もこめて、笑っていた。
紫の笑うような声が聞こえて
暗闇に小さな光りが差し込んで、現れたのは何もない、でもどこか暖かい白の空間。
何もないのは同じなのに色だけでこんなにも感じは変わるのか、と少し驚いた。
「咲夜」
じゃりと鎖を鳴らしながら近くにあるアリスの顔を見る。
その顔はいつもと同じようで、どこか暖かい感覚を与えるものだった。
「私は昔の貴方のことはわからないけど、今の貴方のことは誰よりもわかる。いいえ、わかるようになってみせる。
これからは私がずっと傍にいる。だから、咲夜は独りじゃないって事をわかっていてほしいの。」
ね、とまた私を力強く抱きしめる彼女。
卑怯だ。反則だ。そんなの。
そんなことされたら私の目が潤むことしか知らなくなってしまうではないか。私の引っ込みかけた涙がまた溢れてきてしまうじゃないか。
――― 孤独だと信じたかった。
そうすれば傷つくことなんてないから。
――― この黒い黒い感情を閉じ込めたかった。
分かってくれる人なんて居ないと思っていたから。
――― 銀のナイフだけを見ていたかった。
私の心が冷たく鋭く研ぎ澄まされていくのが分かる気がするから。
――― 何もいらない、求めないから、存在を認めて欲しかった。
貴方は私の望んだことを見返りも、何もなく永遠に与えてくれるという。
空っぽの心は何もかも求めて、戦いでは決して満たされないこの心をあなたは簡単に埋め尽くして、あふれかえるぐらいのモノをくれるという。
――― もういいよ。
その瞬間、鎖は音もなく簡単に消えて私はアリスを抱きしめ返した。自分から決して離れぬように、強く、強く。
彼女は黙って頭をなで続けてくれた。私はすべてを吐き出すかのようにして泣いた。
どれくらいたっただろうか。
咲夜は泣きつかれて寝てしまった。普段とは違い、安らかな年相応の笑顔だった。
私は咲夜の寝顔を見ながら紫の境界を探す。以外にもすぐ近くに通っていた。
「さて……」
この子をどうしようか。
起こすのも悪いし、放っておいたらたぶん半日はおきない。
じゃあ私が持って帰ればいいのか、と一人で納得し咲夜の頭と膝の下に手を差し込む。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
顔を覗き込んでも起きる気配はなし。どうやら本気で寝に入っているようだ。
額の髪を唇でかきわけ軽くキスをする。それだけでも、私の心はうれしさでいっぱいになる。
起きたら正面向かって顔中にキスの嵐でもふらそうか。なんならずっと甘い言葉を耳元で囁いてもいい。
そんなことを考えながら、私は境界を抜けて紫の下に帰ってきた。
と、思っていたのだが。
「ああ――!!!メイド長居ました!!!」
「アリスさんにお姫様抱っこされてます!!」
「……えっ?」
出た先は紅魔館の咲夜の部屋。
妖精メイドが何人か居て、相変わらず元気だなぁなんて事を思いつつ咲夜をベッドに寝かす。
「咲夜さん!何処行ってたんですか!!心配したんですよ!!」
ばん、と扉を力強く開けて入ってくる美鈴にしーっ、と指示を出す。
多少興奮はしていて息は荒いけども、温厚な彼女のことだ。すぐにわかって部屋をともに出た。
「アリスさん、咲夜さんは一体どうしたんですか?」
「…ああ、それはね」
すぐに私は起こったことを全て話した。
夢の中に入ったこと、彼女の抱えていたこと。望んでいたこと。全て包み隠さずに。
全て話し終えて美鈴の顔を見ると、彼女は泣いていた。
「なんで泣いてるのよ…」
呆れ半分で美鈴のほうを見つめる。やはり彼女は誰よりも人間らしい妖怪だと思った。
「だって、気付けなかったから…私たちが、もっと気付いてればよかったなぁ、って」
いや。違う。
たぶん、咲夜はその気持ちを一番見せたくなかったのがこの紅魔館の住人たちだろう。
一番近くに居た人たちだからこそ、一番失うのが怖い。独りになってしまうことに耐えられない。
そんな事を考えると少し嫉妬してしまう。彼女たちはやっぱり、「家族」なんだなぁ、って。
今日はいろいろあったから疲れてるのだろう。美鈴は泣きっぱなしだが。
どうしようか、と考えて門前を窓から見るとゆれる二つのウサギの耳が見えた。
「……門に戻りなさい。咲夜は私が見てるから」
「でも」
「でもじゃないの。そんな情けない顔で咲夜に会ってどうするの。それに貴方の大事な人来てるわよ」
「えっ!鈴仙が!」
今までの暗い表情は何処へ行った、といわんばかりに明るい顔になる美鈴。見ていて面白い。
「心配しないで。私が見てるから、ね」
「………わかりました。ありがとうございます、アリスさん」
ぺこり、と一礼した後廊下を猛ダッシュ。一瞬で見えなくなるほどのスピードだった。速い。
「………さて」
もう一度部屋の中に入る。相変わらず彼女は寝ていた。ベッドのふちに腰掛けてきれいな銀髪をやさしく撫でる。
すぅすぅ、と息を立てて眠る彼女はやはり起きる気配はない。
「…あなたを失えば悲しむ人が居るって事に気付きなさい」
何回も思い出す。夢の中でみた、あの漆黒の世界。
彼女の見てきた世界が何もない、ただ色のついた世界だったなら私が七色に光らせてやろう。
また何かに縛られたならば、私がその鎖を砕いてやろう。
足りないものは、私が埋め尽くそう。何回も難解を問題も乗り越えていこう。
そうすれば、私は貴方のアリスで貴方は私のものでいられるから。
「私はずっと、貴方と一緒に居るから」
そっと重ねられた唇は、どこか甘い味がした。
夢にしては珍しい、鮮明で現実のような夢を。
それは私の部屋から始まった。
いつものようにメイド服に着替え身支度をし、いつものように仕事をする。
普段を映し出した鏡のような生活だった。
久ぶりだわ、こんな感覚。とか何とか思っていたら視界が真っ暗になって。
そこで私の夢は終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
ベッドから起きて枕元にあった時計を見る。いつもの起きる時間よりも30分早い。
――なんか損した気分
ふらり、と欠伸をかみ殺しながらクローゼットの前に立つ。低血圧は寝起きが一番辛い。
「あっ」
なんて思ってたら何もない床で躓いて、クローゼットの中にダイブ。
自分の能力で拡張しているだけあって人一人すっぽりと収まった。
「…………はぁ」
これが隠れん坊、という遊びなら見つからないだろうか、などといった戯言まで頭に浮かんでくる始末。
どうやら今日は悉く調子が悪い。30分ぐらいでこんなに眠たいのもおかしいし、気だるい。
「………」
何を考えるまもなく、私の意識は真っ暗のクローゼットの中と同化した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…と思ってたのだけれど」
また、同じ夢のようだ。しかもご丁寧に続きからで、モップを片手に持っていた。
時計を見ると午前11時近く。もうすぐ昼食の準備をしなくてはいけない。
近くにいたメイド妖精に仕事の段取りを再確認した後、私は厨房に向かった。
そこに着くとまるで戦場と言い例えられるほどの慌ただしさと騒がしさがあった。まぁいつものことなのだが。
「メイド長」
無意識のうちにナイフを取り出して食材を切っていた所に、一人の妖精(料理長)が呼びかけてきた。
「どうしたの?」
「…紅茶の葉がもうすぐきれそうって言ってたの覚えてますか?」
「……あっ」
綺麗に忘れてた。自分で言ったのに。
「あと玉葱切ったので涙でてます」
「えっ」
「あと、門番長の昼ご飯持って行きました?」
「あうっ……」
何かかわいい生物を見た、とでも主張するかのように妖精メイドの顔はゆるみきっている。全員こちらを向いて。
「とりあえず、門番長にご飯持っていてください。用意はそれからです」
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
なんかもう気恥ずかしいので時を止めてご飯を持っていくことにした。
そのまま手に玉葱を持っていたことには気づかないまま。
「まったく、メイド長はどこか抜けてるんだよなぁ…」
料理長は手元のフライパンを動かしながら話しかける。苦笑しながらも、その表情は優しかった。
一瞬で消えた咲夜の様子を見て微笑みあう妖精たち。その笑みは、どこまでも純粋な
「そこと完璧なギャップに萌える」
「そこがまたかわいいんだよ」
どこまでも、純粋な煩悩の固まりだった。
「美鈴、ご飯…」
門の前にランチボックスを持っていくと珍しく寝ていない美鈴が居た。
「あいや、咲夜さん。どうしたんです?そんなに固まって?」
「あ、いや。寝ていないのが珍しいなぁ、と思って」
「ひどいなぁ。何ですかそれ」
日頃の行いよ。あはは、耳が痛いです。なんて軽口を言い合った後、館に戻る。
そのとき、私にあったのは少しの違和感と、軽い耳鳴りだった。
「咲夜さん、玉葱」
あと、切りかけの玉葱。
―――――や
――――――く――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何これ。
そんな言葉しか出せなかった。てか、それ以外は無理。
だって厨房に帰ろうとして館のドアを開けたらそこはなんとワンダーランド。
本当に、ご丁寧に扉はない。
「…丁寧すぎて笑えてくるわ」
未だ手には玉葱、かと思ったのだが玉葱はシルクハットに変わっていた。
ふと見れば格好はチョッキのようなスーツ。体に異常は無いようだ、と言いたかったのだが。
「何この耳。ウサギ?」
見事な兎の耳が頭から生えていた。
これではまるで私がかの御伽噺のホワイトラビットのようではないか。
「私は女なのだけれど…まぁいいか」
きゅっとシルクハットを被り手元にあった時計を見る。
「…大変ね。急がないと仕事が終わらないわ」
私は館に戻るために、不思議な世界を飛んだ。
違和感と耳鳴りは比例するように少しずつ膨れ上がっているような感じがした。
――――や
―――――よい
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
進む。進む。奇妙な世界を。
このまま飛んでいても何も変わらないとわかった後、私は野原に身を投げ出すように倒れこむ。
「はぁ…」
夢中でこの世界を飛び回っていたが、冷静に考えればこれは夢なのだ。
現実のように捉えられる夢でも、「夢」なのだ。
ならば、このまま役のようなことをしてみようか、なんて事を思いついた。
ホワイトラビットを演じきるなら、私はまず何をしなければいけなかったのか。
「まずは、………あれ…?」
確かあの物語の白兎は―――を不思議の世界につれていく所から始まるのだ。
ストーリーに問題はない。ただその名前が思い出せない。
確かあれは題名でもあったのだ、そう思い題名を思い出そうとするが無駄だった。
「不思議の国の―――」そこまでしか思い出せない、わからないのだ。
まるで、―――というものが私の頭の中から消されているように。
「…これじゃあ、誰を迎えに行けば分からないわね」
名前を思い出せない人物を理解することはできない。よっ、と野原から起き上がり、またしばらく空を飛ぶ。
耳鳴りはまるで警鐘のように私の頭の中に鳴り響いてた。
―――まぁ
――――り、ね
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ここは……」
不思議な世界をしばらく飛んでいるとどこか記憶に残っているような町を見つけた。
もちろん幻想郷などではなく、外の世界の建物のつくりをしている。
空を飛ぶのをやめて後ろを振り返る。
「…毎回ながら、ご丁寧に」
後ろには、もう何も無く町の風景が広がっているだけだった。
それにしても。と町を一回り眺めてみる。
心に残っているようで、ぼんやりとしか分からない世界。それは、まるで本能が「思い出すな」と鍵をかけたよう。
しかし、私はその鍵を開けてしまった。
興味本位で思い出そうとしたことを、私はとても後悔する事になる。
開かれたのは、パンドラの箱。
暗黒の闇。
流れ出るのは、私の闇。遠い遠い、ある少女の記憶。
「―――――っ!!ぅ―!!はっ―――!!!!」
膝がまともに動かず床に手を付く。
それでも記憶の波は流れ続け私の頭に大きな衝撃を残していく。「十六夜 咲夜」という存在を流すほど、強く強く。
「っ、がぁっ――!!!」
声にならないような叫びが咽喉の奥から出てくる。
叫んでも叫んでも衝動は治まらないので頭を抱え込む。
涙は、出なかった。
涙を流す権利すら、無いと思っていたから。
助けは求めなかった。
助けなんて絶対に来ないとわかっていたから。
どれだけ苦しんでも、泣いても叫んでも。
「私」が独りだということを知らせるための、ただの鎖にしかならないから。
崩れて、トケル。
ぐるぐると渦を巻くように壊れていく私の世界。
時計の針のようにぐるぐる、ぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。止まる事はなさそうだった。
消える。きえる。キエル。 私が消える。
不快なものを感じる所などは当の昔に麻痺してしまって何をどう感じているのかわからない。
衝動も同じように感じられるものではなくなっていた。
あれ、何でこんなことになってるんだっけ。そもそも私はなんでここにいるんだっけ。
わたしはなにをさがしていたんだったかな、わたしはだれに謝ればイイノ?
ねぇ、オシエテヨ
「私」なんて、消えてしまえばよかったの?
ぐずぐずに溶けた頭でそんなことを問いかけても答えなんて返ってこない。
ぼやけた視界で周りを見渡すと、鎖が四肢についていた。
じゃらり、じゃらりと揺らしてみても解ける様子もなかったし、体は上手に動かせない。
景色は「黒」。どこぞの閻魔が裁いた後みたいじゃないか。
「―――」
声は出ない。届くことのない、その声は。
ああ、もうここで死ぬのかも知れない。
だってとっくに夢と現は交わりあってどちらが夢かすらわかりはしない。
でもそれでもいいと、抗わない自分が居る。
これはお前の罪なのだと。そう呼びかける私が居る。
これはお前の最後なのだと。そう呼びかける私が居る。
此処で朽ち果てるのが、私の最後かな。
やはり涙は出なかった。出たのは、乾いた笑いと虚ろな声。
もういいや、なんて投げやりに心の中で吐き捨てた後、私の意識は闇に溶けた。
「黒」に染まる前に見えた視界には、傘がうっすらと写っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夢の中に現れてた傘こと、八雲 紫は焦っていた。
その理由とは、式にしようと思っていた妖怪が能力を使って脱走していたのだ。
被害の出ないように必死に探し回っていたその翌日境界を操るその能力で見つけたのだ。
ただ、少しだけ遅かった。
妖怪は人の精神に入り込み、その能力を発動していたのだ。
その対象とは、紅魔館で必死に捜索活動が行われている「十六夜咲夜」だった。
スキマを使って移動して何故かクローゼットの中で倒れている彼女を隙間の中で治療していている所なのだ。
妖怪の能力は「人の夢と現を操る程度の能力」というものだった。
ただでさえ厄介な能力なのに、対象にされた人間もまた厄介な過去を抱えておりより難解な物と変化している。
いや、確かに私が悪いんだけれども…
「…あと一つ、何かこの子の大事な物があれば」
その治療方法とは単純な物で、要は夢の世界から現の世界へと引き戻すだけなのだ。
しかし、人の精神とは脆く下手に弄れば壊れてしまう。
中々近くまで引き戻すことはできたのだが、最後の一歩、最後に何か一つ足りないのだ。
銀のナイフはたぶん逆効果、時計は見あたらなかった。
レミリアは連れてきた瞬間にグングニル。美鈴は…何か無意味っぽいので却下。
その他であの子の大事な人物…………
「…そういえば、確か」
心当たりが一つだけできたので、その人物にすべてを賭けることにしよう。
それでもだめならば、その時は気は進まないが能力で意識「だけ」をこちらへ戻そう。
そう決意し、私はある人物の元へと境界を開いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鳥籠の中の鳥は、捕らわれているから不幸なのではない。
鳥籠の中の鳥は、生まれてきたから不幸なのだ。
そう考えたことがあの街であった。
マイナスな事は一度考えるとその深く深くまで沈んでいくのに、考えることは止まらない。
思考が沈むにつれて、鎖はどんどん重たくなっていくように思えた。
目を開けても黒。時が止まっているのかも認識できないほど何もない。
もういいじゃないか、ここが何でも何であろうと。「私」は生きたよ、充分生きた。
いっぱいの物を壊しながら生きた、それが自分にきただけじゃないか。
本当に、もういいや。
さぁ、最後の景色だ。
そう黒しかない世界を半分自虐しながら覗く。
始まりは紅で、終わりは黒。共にいたのは銀。なんて色の少ない人生だったのだろうか。
そう思っていたのに。
「咲夜!」
黒の中には、七色の魔法使いが浮かんでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アリスは突然の来客に驚いた。
人形の服の裁縫をしているとスキマから妖怪の賢者が出てきて有無を言わさずにスキマの中へ放り込まれて。
なんなんだ、一体と抗議するとそれには答えずにたった一言。
「十六夜咲夜を助けたいなら来て」
それだけをつぶやいて紫はすたすたと境界を歩いて進んでいったのだ。
当然、何のことか全くわからないアリスは混乱状態のまま。
それでも、その言葉を聞いて紫の後ろをついて行くのは忘れていなかった。
紫が止まってそこを覗き込むと生気の感じられない咲夜が横たわっていた。
揺さぶっても、叩いても何の反応も示さない。
「咲夜!…ねぇ、紫。咲夜をどうしたの!?」
振り返って紫を見ると、彼女もまた焦った様子でこちらを見ていた。
「時間がないの。今から用件だけを言うからそれを遂行して」
「質問に答えなさいよ!」
ぴしり、と空間に亀裂が入る。
そこを紫は指差して中に入れ、とでも言いたそうな顔をしている。
「…そこは?」
「ここは十六夜咲夜の精神世界。いわば夢の世界ね」
「だから…!」
「いいから最後まで聞きなさい」
何を言っても跳ね返されそうな紫に根負けし、私は話を聞くことに集中する。
「今から貴方がやる事は一つだけ。彼女と一緒に「現」まぁ、この世界に帰ってくる事」
「…それだけ?」
「それだけ」
「…いきなり人を拉致して説明もなしに?」
「それだけ」
「殴っていい?」「それは嫌」
淡々と話す紫につられて、何だか緊迫した雰囲気ではなくなってしまった気がする。
私の恋人の命がかかってるはずなんだけれど………
「方法は簡単。私が夢と現の境界を開くからそこからあなたは夢へ入って頂戴。
その後もスキマは開けておくから、それから帰って十六夜咲夜の精神を連れ戻してきて」
「…わかった。でも終わったら説明してよね」
「それはもちろん」
グリモワールと人形達を仕え、いざ亀裂の中を見る。そこは真っ暗で底が見えなかった。
「…健闘を祈るわ」
珍しく真面目な紫を見て、なんか不安になってきた気もするがまぁいいだろう。
「お互い様ね。じゃ」
そんなこんなで私は黒の世界に飛び込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そこには、何も無かった。
夢というのは深層心理と同じようなもので本来ならば何かあるはずなのだが。
本当に、何も無かった。
何もない、一種の恐怖を感じさせる程の「黒」だった。
「……咲夜」
妖怪である自分が恐れを抱くほどの精神を人間が抱えている、とはなんという皮肉なんだろうか。
彼女はいつも何を考えていたんだろうか。
彼女はいつもどんな気持ちだったのだろうか。
考えるたびに心が重たくなる。
答えのない質問ではないから、尚更深く考えてしまう。
「…これが終わったら全部聞こう」
そうだ、全部聞けばいい。
話しにくいことならムリには聞かないけれど、いつかは彼女の全てを見せてもらおう。
心の傷も、抱えている重たいものも、全部。私が癒していこう。
人間の人生は短いけれど、私たちには関係ない。
「…よし!」
私は覚悟を決めて走り出した。
全速力で飛んでから十分ぐらいたっただろうか。黒以外の物が私の視界にかすれてうつったのだ。
あれは…銀?
銀、と頭が理解する前に叫んでいた。
それは、愛する人の姿だったから。
「咲夜!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「咲夜!!」
じゃらりと鎖が揺れる。
何故、どうしてあなたが此処にいるの?そう聞きたかった声は掠れて消えた。
偽物なのか、そう思った。
神様が最後の最後にくれた、うれしい贈り物のように思ってしまった。
でも、その姿をつかむ腕は鎖で繋がれていて私には掴めない。なんて意地悪。
「しっかりしなさいよ!ねぇ、聞こえてるの!」
聞こえているよ、あなたの綺麗な澄んだ声は。
見えているよ、あなたの綺麗な瞳は。
でもね、わからないんだ。貴方がそこにいるのかどうか。わかるのにわからないの。
ねぇ、教えて。
貴方は、何?
これはまずい。
この夢の世界で反応が無い、と云うことは精神が壊れかけている証拠だ。
私も紫同様に焦っていた。
なんでもいいから現に連れ戻ってきなさい、とか言われていたので鎖を壊すことにする。
じゃらり、と鳴る鎖はただでは壊れないような代物だった。
引っ張っても、人形たちと共に壊そうとしても、傷一つつかなかった。
「ああもう!苛々する!」
スペカでも発動して鎖を溶かしてしまおうか。いやでも、そうすると咲夜を傷つけてしまう。
「…ねぇ」
云々唸っていた私に咲夜が話しかける。
意識はあるのか、と安心するが、次にかけられた言葉は私の全身を震えさせるものだった。
「貴方は、何?」
「…………え?咲夜…?私、よ?」
冗談を言える雰囲気ではないのだが、咲夜の目は以前虚ろなまま。
「何っ、てどういうこと…?ねぇ!?」
肩を掴んで前後に振っても頬を抓っても答えが聴けることは無かった。私はその手を途中で離したから。
咲夜は、泣いていたから。
今のが痛くて泣いているのでは無いのだろう。
だって、彼女はとても悲しそうに声も上げずに泣いているから。
でも。
どうしてだろうか。
私には、声が聞こえるような気がする。
「――――」って。
私は、そんな声を聞いて。
彼女を力いっぱい抱きしめた。
「…寂しかったんだね」
聞いたことのない声で、まるで聖母のような声で彼女は言う。
「苦しかったんだね。助けて欲しかったんだよね」
私の抱えていることを、
「…愛して欲しかったんだよね」
全て。
それ以外のことも、彼女の体温から伝わってくる。
私は、何もいえないのに。
私は、あなたが何かわからないのに。
何をしたら良いのか分からないのに、どうしても、貴方に触れていたいと思う。
またぐるぐると回る頭の中で渦巻いているのは、感情。
自分でも抑えきれないほどの何か。
「…ひっ、ぅ、ぐすっ、ぅぅ」
気が付くと嗚咽がとまらなかった。
涙は彼女の胸元を濡らしている、なんて考えることすらできなかった。
どうして泣いているのかすら、自分でも理解が追いつかなかったから。
だから。
「…アリス、」
名前を呼ぶことしか出来やしないのだ。
「アリス、アリス、ありす………!」
「私は此処に居るわよ。咲夜」
その闇の中、私は子供のように泣き喚いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
展開が速い、上手く行き過ぎている。
紫がそう思ったのはアリスを亀裂の中に放り込んだすぐ後だった。どうもすっきりしないのだ。
「……まさか、ね」
ふと横切った「運命」という文字。
これが人間なら絶対にない話だが、相手は悪魔だ。もしかしたらの可能性もある。
はぁ…、とため息を一つ。
「思ってるとおりなら、とんでもない悪魔ね」
口元を緩めつつ、紫は境界の横で二人の帰りを待ち続けた。
妖怪の言う台詞ではないなぁ、と少し苦笑の意味もこめて、笑っていた。
紫の笑うような声が聞こえて
暗闇に小さな光りが差し込んで、現れたのは何もない、でもどこか暖かい白の空間。
何もないのは同じなのに色だけでこんなにも感じは変わるのか、と少し驚いた。
「咲夜」
じゃりと鎖を鳴らしながら近くにあるアリスの顔を見る。
その顔はいつもと同じようで、どこか暖かい感覚を与えるものだった。
「私は昔の貴方のことはわからないけど、今の貴方のことは誰よりもわかる。いいえ、わかるようになってみせる。
これからは私がずっと傍にいる。だから、咲夜は独りじゃないって事をわかっていてほしいの。」
ね、とまた私を力強く抱きしめる彼女。
卑怯だ。反則だ。そんなの。
そんなことされたら私の目が潤むことしか知らなくなってしまうではないか。私の引っ込みかけた涙がまた溢れてきてしまうじゃないか。
――― 孤独だと信じたかった。
そうすれば傷つくことなんてないから。
――― この黒い黒い感情を閉じ込めたかった。
分かってくれる人なんて居ないと思っていたから。
――― 銀のナイフだけを見ていたかった。
私の心が冷たく鋭く研ぎ澄まされていくのが分かる気がするから。
――― 何もいらない、求めないから、存在を認めて欲しかった。
貴方は私の望んだことを見返りも、何もなく永遠に与えてくれるという。
空っぽの心は何もかも求めて、戦いでは決して満たされないこの心をあなたは簡単に埋め尽くして、あふれかえるぐらいのモノをくれるという。
――― もういいよ。
その瞬間、鎖は音もなく簡単に消えて私はアリスを抱きしめ返した。自分から決して離れぬように、強く、強く。
彼女は黙って頭をなで続けてくれた。私はすべてを吐き出すかのようにして泣いた。
どれくらいたっただろうか。
咲夜は泣きつかれて寝てしまった。普段とは違い、安らかな年相応の笑顔だった。
私は咲夜の寝顔を見ながら紫の境界を探す。以外にもすぐ近くに通っていた。
「さて……」
この子をどうしようか。
起こすのも悪いし、放っておいたらたぶん半日はおきない。
じゃあ私が持って帰ればいいのか、と一人で納得し咲夜の頭と膝の下に手を差し込む。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
顔を覗き込んでも起きる気配はなし。どうやら本気で寝に入っているようだ。
額の髪を唇でかきわけ軽くキスをする。それだけでも、私の心はうれしさでいっぱいになる。
起きたら正面向かって顔中にキスの嵐でもふらそうか。なんならずっと甘い言葉を耳元で囁いてもいい。
そんなことを考えながら、私は境界を抜けて紫の下に帰ってきた。
と、思っていたのだが。
「ああ――!!!メイド長居ました!!!」
「アリスさんにお姫様抱っこされてます!!」
「……えっ?」
出た先は紅魔館の咲夜の部屋。
妖精メイドが何人か居て、相変わらず元気だなぁなんて事を思いつつ咲夜をベッドに寝かす。
「咲夜さん!何処行ってたんですか!!心配したんですよ!!」
ばん、と扉を力強く開けて入ってくる美鈴にしーっ、と指示を出す。
多少興奮はしていて息は荒いけども、温厚な彼女のことだ。すぐにわかって部屋をともに出た。
「アリスさん、咲夜さんは一体どうしたんですか?」
「…ああ、それはね」
すぐに私は起こったことを全て話した。
夢の中に入ったこと、彼女の抱えていたこと。望んでいたこと。全て包み隠さずに。
全て話し終えて美鈴の顔を見ると、彼女は泣いていた。
「なんで泣いてるのよ…」
呆れ半分で美鈴のほうを見つめる。やはり彼女は誰よりも人間らしい妖怪だと思った。
「だって、気付けなかったから…私たちが、もっと気付いてればよかったなぁ、って」
いや。違う。
たぶん、咲夜はその気持ちを一番見せたくなかったのがこの紅魔館の住人たちだろう。
一番近くに居た人たちだからこそ、一番失うのが怖い。独りになってしまうことに耐えられない。
そんな事を考えると少し嫉妬してしまう。彼女たちはやっぱり、「家族」なんだなぁ、って。
今日はいろいろあったから疲れてるのだろう。美鈴は泣きっぱなしだが。
どうしようか、と考えて門前を窓から見るとゆれる二つのウサギの耳が見えた。
「……門に戻りなさい。咲夜は私が見てるから」
「でも」
「でもじゃないの。そんな情けない顔で咲夜に会ってどうするの。それに貴方の大事な人来てるわよ」
「えっ!鈴仙が!」
今までの暗い表情は何処へ行った、といわんばかりに明るい顔になる美鈴。見ていて面白い。
「心配しないで。私が見てるから、ね」
「………わかりました。ありがとうございます、アリスさん」
ぺこり、と一礼した後廊下を猛ダッシュ。一瞬で見えなくなるほどのスピードだった。速い。
「………さて」
もう一度部屋の中に入る。相変わらず彼女は寝ていた。ベッドのふちに腰掛けてきれいな銀髪をやさしく撫でる。
すぅすぅ、と息を立てて眠る彼女はやはり起きる気配はない。
「…あなたを失えば悲しむ人が居るって事に気付きなさい」
何回も思い出す。夢の中でみた、あの漆黒の世界。
彼女の見てきた世界が何もない、ただ色のついた世界だったなら私が七色に光らせてやろう。
また何かに縛られたならば、私がその鎖を砕いてやろう。
足りないものは、私が埋め尽くそう。何回も難解を問題も乗り越えていこう。
そうすれば、私は貴方のアリスで貴方は私のものでいられるから。
「私はずっと、貴方と一緒に居るから」
そっと重ねられた唇は、どこか甘い味がした。
むしろ、長さの割にテンポよく読めました
個人的に、夢の世界の描写がすごい好きです
二人には人の心のまま一線を越えているという、どこか似た孤独感がありますね。
よく言われてることだけど人形くさい。
モチーフにした作品ある?
あってもいいと思う。