二月。
紅魔館。
門前。
「美鈴」
「はい? あ。寝てませんよ。庭の手入れをしていたのです」
「寝ぼけてんじゃないのよ。はい」
咲夜は言って、何かの白い包みを取り出した。美鈴は目をぱちくりとさせた。
「ん? なんです? 毒入りチョコレート?」
「いえ。普通のチョコよ」
「あ。なんだ。本当にチョコなんだ。どうしたんですこれ? 手作りですよね?」
「ええ。ほら。今日はバレンタインだからね」
「ん? なんです?」
「バレンタインデー。ああ。ひょっとして知らない? 今日は、ふだんお世話になっている人やなんかにチョコレートを贈る日なのよ」
「へえ。初めて聞きました。名前からして天竺の先の話ですかね」
「うん? うん、いや、知らないけど。まあ、外の世界の風習よ」
「へえー。あ。じゃあいただきます。あ。せっかくですから、咲夜さんもどうです? これ。今休憩中でしょ?」
「あなたやお嬢様用に作ったやつだから、私は食べられないのよ。遠慮せずに食べて。それじゃ」
「あ。はい。じゃあ、ありがとうございます」
美鈴は言ったが、そのときには咲夜の姿は消えていた。
地下。
大図書館。
「パチュリー様」
「ん? ああ。なんだ。珍しい。何?」
「はい。これを」
「ん? なに? ああ、チョコレート?」
「あ。はい」
「ふうん。道理でいい匂いね。まさか血は入っていないわよね」
「はい。大丈夫ですよ。ちゃんとパチュリー様の分は分けて作りましたので」
「そう。ありがとう。でもどうしたの、これ? 急に?」
「あれ。ご存じありませんでしたか。というよりか、貰う前に聞きませんか?」
「あなたが私に毒を入れるようなやつならね」
「今日は、バレンタインという外の風習の日なのです。日頃親しくしている人や世話になっている人にチョコを贈る日なんだとか」
「ふうん。知らなかった。バレンタインね。あとで調べてみようかな」
「それでは私はこれで」
「ええ。ありがとう」
パチュリーは礼を言ったが、そのときにはすでに、咲夜は移動していたようだ。姿が消えていた。
一室。
「失礼いたします」
「はい。どうぞ」
「お嬢様、今よろしいでしょうか?」
「うん? なんだね急に改まって」
「これをどうぞ」
「うん?へえ。この匂いはチョコレートか。また毒入り?」
「なんだかみんな疑うんですね。私だって、そういつも毒なんか入れやしませんよ」
「そうかなあ。まあ、ありがたくいただいておくわ。でも、一体どうしたの? 急に」
「はい。今日はバレンタインという外の風習の日ですので。この日は、普段好意を持っている相手や、親しくしている相手にチョコレートを贈る習慣があるのです」
「ほう、お前そういう趣味があったのか。最近の外の世界じゃ多いと聞くが……」
「私は同性愛者じゃありませんわ」
「冗談だよ。ほう。ふむ。この香り……まごうことなきB型ね。しかも特上の処女。さすがだな、咲夜」
レミリアが言うと、咲夜は首をかしげてちょっと笑った。
「ええ。この日のために前々から目をつけていた子に、犠牲になってもらいましたので。よく味わって食べてあげてくださいね」
「ふん。大仰な言い方するなよ。どうせ天狗にでも頼んで持ってきてもらったんだろ」
「よくお分かりで。それではそろそろ失礼いたしますね」、
「ああ、そういやフランのところにはもう行ったの?」
「いいえ。お嬢様のところに一番に来ましたよ」
「嘘つけ。どうせパチェや美鈴の後なんだろ。お前はそういうやつだもんね」
「よくお分かりで」
咲夜は笑って言うと、礼をして去っていった。幽霊のように。
そうして時は流れて。
ざっと300年後。
深夜。
紅魔館。
玄関前。
「よし。行くぞ。パチェ。支度できたの?」
レミリアが言うと、ちょうど横にいたパチュリーは、困りげに眉をひそめた。
「ちょっと待ってちょうだい。コートが見つからないのよ。最近ずっとひきこもっていたしね」
「あ。パチュリー様! 見つかりましたよ。これですね」
「いや、そういう目だつのはいいから。もっと黒くて目立たなくて地味なのよ。黒くて地味なの。いい? わかる?」
「なんだ、この調子じゃまだまだかかりそうね」
「あなたが言い出すのが急なのよ……」
「お嬢様。お出かけの準備できましたが」
「ああ。ちょっと待っててよ。すぐ行くから」
レミリアが寄ってきた妖精メイドに答えていると、その横からひょこりとフランドールがやってきた。
「おや、忙しそうね。騒がしいと思ったら」
「あら、フランドール。出てきたの?」
「出てきてたわ。それじゃお姉様、これお願いね」
「ん? ああ、キャンディか。あんたどこからこんなの拾ってきたの?」
「拾ってきたんじゃないし。持ってきたんだし。ああ、まあ、魔法で出したんだって事にしておいてね。それじゃ」
フランドールは言うと、すう、と姿を消した。レミリアはややあきれた顔でなにか言おうとしたのだが、フランドールはその前に消えてしまった。
「しておいてって何よ。あ。なんだもう行ったのか……ったく」
レミリアはぶちぶち言いながら、手に持ったキャンディをコートのポケットに入れた。そのうちに、パチュリーも準備ができたようで、いかにも魔女らしい、黒いコートを羽織ってやってくる。
「お待たせ。さあ行きましょう」
「ええ。よし、美鈴。行きましょう」
「あ。はいはい」
美鈴は答えて、足下に置いてあった大きな袋を肩に担いだ。中のものが、ごそりと一斉に動く。
某所。
寺。
墓地。
さすがに深夜ともなると、こんな不気味なところにいる人間はいないようだった。レミリアは注意深く辺りを見回しつつ、こっそりと侵入した墓地の中を歩き回った。
「やあね。夜中の墓場は辛気くさいわ」
パチュリーが言った。レミリアはちらりとそちらを見て、肩をすくめた。
「あなたの図書館も似たようなものじゃない。おまけにほこり臭くてかび臭いと来てる」
「普段から文字を読まないおこちゃまにはあの高尚な香りは理解できないのねきっと」
「お前私より年下だろ」
「お二人ともお静かに。声が漏れてます」
「しかしどこだ? 100年も来ていないと忘れるわね」
「100年だっけ? 50年じゃない? 美鈴?」
「んー? いえ、200年くらいじゃなかったかなあ。でも正直、私も忘れました。えーと。じゅ、じゅ、お。これかな?」
「十郎太って書いてあるわよ」
「そもそも石がどういう形だったかなあー。どいつもこいつも同じ形ばかり。わけがわからないよ。まったく人間てのはどうしてこう魂のありかにこだわるんだい」
「まあ人間は生きている時間が短いからね。自分がこの世にいた証を残して忘れられないようにしたいって願望があるんだって、本には書いてあったわ」
「迷惑な話だわ。そんなら暗い夜道でもよく見えるように、真っ赤なお墓にでもしたらいいじゃん」
「あんたと違ってこの世の大多数の人は感覚がまともなのよ、レミィ……」
「意味がよく分からないぞ」
「しっ。お二人とも声が大きいですよ。しかし、見つかりませんね」
美鈴が言って、手に持った小型のがんどうを揺らす。レミリアは、その横で退屈げにあくびをした。
「面倒くさい。帰ろう」
「出たよまた」
「ん? おい、これじゃないのか? なんだかメイドの匂いがするぞ」
「どういうことなの……?」
パチュリーがつぶやく横で、美鈴ががんどうをかざして、墓石をみた。そこにある文字を読み、「お」と驚いた声を上げる。
「おや、本当だ。よくわかりましたね」
「ふふふ。当然よ。一度血を飲んだやつの匂いなら三百年でも忘れるもんかい」
「どうでもいい。とにかく、早く置いて帰りましょう。火も出せないのにこんな長くいたから寒いわ。チャー飲みたい」
「はいはい。……よっ、と。これでよしと。じゃ、帰りましょうか」
「そうね」
「あー寒い。おっと……ああ、いいわ。先に行ってて」
レミリアは言うと、墓の方に引き返した。吸血鬼の目には、夜の暗さは内も同然であるから、一度見つけた墓の前に行くのはたやすい。
墓石には十六夜、と名前が彫られてあったが、実はレミリアは日本語があまり読めないので、なんと読むのかは分からなかった。
(なんて言ったっけ、あいつの名前)
レミリアはちょっと考え込みつつ、ポケットに手を入れた。しばしまさぐってから、ようやくキャンディを取り出す。
(そうそう。さくやだ。さくや)
「サクヤ。遅れてごめんなさいね。実を言うと、私、バレンタインなんてなんだか知らなかったのよ」
まさかお返しをしなければならないものだとは。いくら相手がしがないメイド風情とはいえ、お返しはきちんとしなければならない。
「スジを通せないやつに、威厳もくそもないものね。でもあんたは人間だし、私から贈り物なんてしてやるわけにはいかないわ。これで我慢しなさいね」
レミリアは言って、もう片方のポケットから出した包みを、でかい袋の脇に置いた。料理はなかなかおもしろいが、いまだに人間が食えるものを作れたためしがない。
(ま、死んでるからいいよね)
レミリアは気楽に思った。とっくに成仏した人間には、幽霊も何もない。
「チョコレートありがとう、サクヤ」
レミリアは微笑んだ。
翌日。
朝、墓の掃除に出向いた寺の者は、墓場の一角に巨大な袋が鎮座しているのをみて唖然とした。袋の中身は、とある館の住人たちが総出で作った、398袋もの手作りクッキーの山であったという。
>わけがわからないよ
おぜう様自重w