二人は道に迷っていた。
運転席に座る少女は、カーナビを積んでいないことをいまさらながらに悔やみ、助手席の少女へと謝罪を繰り返している。
助手席の少女は別に気にしていない様子で、笑っていた。
むしろ迷子になって、不本意な時間を過ごしてしまうのは運転手のほうで、先に迫る課題の提出が襲ってくるのを、幻視していた。
「蓮子、怖い顔をするのはいいけれど安全運転お願いね」
「え、ああ大丈夫よ……。調査は拍子抜けで、しかも道に迷うなんて情けないけれど、やけにはならないわ」
宇佐見蓮子は表情を崩して微笑んだ。
そんなことよりメリー、と切り出して、先ほど観察した物について相棒へ問いただす。
「あれ、本当に何も見えなかった?」
「ええ、少なくとも結界に係わり合いのあるものじゃなさそうね」
マエリベリー・ハーンはそう答えて、どうしようもないわね、と苦笑した。
時間を少し遡ったころ、二人はある噂を頼りにその場所を訪れた。だが調査した結果は特に何も無く、完全なガセネタだと判断して今に至る。
課題ばかりで低迷した気分を、リフレッシュする為と計画したのに、蓮子は更に落ち込むことになった、ついでに道に迷った。
有罪宣告のような相棒の言葉に打ちのめされるように、無言でハンドルを切る蓮子。
遠出をするといっても、道に迷うアクシデントは想定外だ、昼食の時間も近くて、だんだんと苛立ちが高まっていた。
道の左右には草木があるばかりで、代わり映えのしない風景が続いている、どうせ人工物なのに、やけに力の入った植林だ。
そんな眠気さえ出てくる道をしばらく行くと、メリーが声をあげた。
道の端に小さな商店が姿を現した。
駐車場が無いので、店の前に停めることになった。後方から車がきたら邪魔になるかもしれないので、なるべく早く済ませることにする。
中に入ると、来客を告げる電子音が響いて、どうやら住居につながっていると思われる場所から、白髪の老婆が現れ、頭を下げて、いらっしゃいませぇと言った。
二人は会釈を返して商品を選ぶことにする、菓子パンなどしか腹にたまるものがなく、それらをいくつかまとめてレジへと運んだ。
老婆はそれを見て、そろばんを取りだす。レジは置物か何かだろうか、と心の中で突っ込んだ蓮子だが、そろばんが値段をはじき出すと、自動的にレジが開いた。
「うわっ」
「あぁ、驚かせてごめんねぇ」
レジに表示された値段を読み上げる老婆、なんでも、レシートが欲しい人のために、改造したらしい。
「おばあちゃんが改造したの?」
「まさかぁ、センセイだよ」
「先生?」
「あぁ、たまにくるんだよぉ」
つり銭無しで会計を済ませ、レシートを受け取ったあと、だめもとでメリーが道を尋ねてみる。
「あの、実は道に迷っていまして……」
「あんれぇ、日本語上手だねぇ」
「ありがとうございます、それでこのあたりのことに詳しければ、教えていただきたいのですけれど」
「いんやぁ、あたしゃ助けになれないねぇ、でも、センセイなら判るかもしれないよ」
「先生……ですか」
「うん、病院に居るからね、尋ねてみたらどうだい?」
病院までの道を尋ねると、外に出て道の先を指差す、ずっとまっすぐとの事だった。
お礼を言って、車に乗り込み出発する。菓子パンは直ぐに食べてしまった、甘くて美味しかった。
十分ほど走ったところで、メリーが小さく声を上げた。
「蓮子……消費税って10%よね?」
「えぇ、どうかしたの?」
「いやレシートが5%になっているから」
「……古い機械だったのかな」
道に迷う前のことを思い出す。『過去を見られる石』それが今回行った調査だった。
「でも、お金は普通に使えたわよね?」
「そうね、考えすぎか……」
メリーが小さく言って、話は終る。
車内に沈黙が下りて、それぞれの考えが形になったころ、視線の先に白い建物が見えた。
「先生……ですか?」
受付の女性は困惑したように言う、そりゃそうだ、病院に先生が何人居るだろう、蓮子は頭が廻らなかったことを憂い、後悔をする。
だが、だめもとで商店の老婆に聞いたと伝えると
「あぁ、なるほど」
得心された。
病院はあまり好きじゃないというメリーに、私もあまり好きじゃないと蓮子が言って手を握る、入るまで判らなかったが、入院を主に扱う施設で、人員の殆どが患者だと知らされた。
また、身体的な問題で入院しているのではなく、所謂精神病棟だということも、そのときに知らされていた。
病院特有の臭いが薄いのはその所為らしい、それでも雰囲気は普通の病院と変わりないので、緊張は和らがないが
閑散とした受付を時折横切る人や、白い壁に掛かった絵等を見ているうちに、先ほどの女性に呼ばれる。会えることになったらしい。
「部屋まで案内しますので」
彼女についてエレベータに乗り込み、5階で降りる。
照明が受付より暗く設定されている廊下を歩き、突き当りの病室に案内された、医者が居るのかとおもったら、患者のような人物しか見当たらない、部屋の名札は白紙。
「それでは、どうぞ」
先ほどの彼女は一礼して去っていった。軽く悩んだ後二人は部屋へと入る。
「あらあら、かわいらしい子達がきたわね」
そういって女は微笑んだ。
服は病院内で着用するパジャマだ、だがその視線はしっかりしているし、姿勢も良かった、腰ほどまである真っ赤な髪には、白いものが混じっている、そのわりに若々しさを感じるのは美貌の所為だろうか。
若干の戸惑いを見せる二人に椅子を勧めて、彼女はにやりと笑った。
「……怖い?」
「え?」
「手、つないでいるからさ」
「いえ、二人とも病院が嫌いなんです」
「なるほどね、統計的にも、病院が好きな人は居ないだろうね、そういう意味ではあなた達は一般人に近そうだ」
「あの、商店のおばあさんに聞いてきたのですけど」
「あぁうん、おばあちゃんね」
二度ほど頷いて、腕を広げて言葉を続ける。
「それで、頼みは何かな?」
「頼みだってわかるんですか?」
「あぁ、おばあちゃんからこっちに来るって事は、機械の開発とか、道に迷ったとか、そのあたりでしょ?」
「なるほど、そのとおりです」
パチンと指を鳴らす彼女、微笑を貼り付けたままで話を進める。
「オッケー要求にはこたえよう、その代わりといっちゃなんだけれど、少し話をしてもらおうかな」
「話、ですか?」
「別に固くならないでいいよ、こっちから適当に質問するからさ、それに応じて答えてくれれば」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
「よし、それじゃあ自己紹介してもらおうかな」
「宇佐見蓮子、大学生です。専攻は超統一物理学、個人的には一般人の見本のようなものだと考えています」
「マエリベリー・ハーン、大学生です。専攻は相対性精神学、すくなくとも蓮子よりは一般人かなと思います」
「仲がいいのねぇ。二人とも大学生か、若いってのはいいわね。私はオカザキ。元大学教授。今では頭のおかしい患者の一人よ」
オカザキはそういって笑った。
「この世には科学で解明できないことがあると思う?」
「私は思います」
「私も同意見です」
「……うん、それじゃあさ、何故それを人々は面白可笑しくしか捕らえないんだろう」
「心理の問題じゃないのかなとおもいます」
メリーが言うと、オカザキはそちらへ向き直り、話を続けるようにいう。
彼女はそれを聞いて、頭の中を整理するような仕草のあと、喋り始めた。
「まず、大多数の人が科学を信頼しているということ、妄信ともいえるように。だからそれから外れるものは、中々認められない、ということがあると思います」
「それは、自分が少数派じゃないと思うことに対する安心も入っている?」
「はい、仲間はずれであることを自覚することはあまり快いものではないはずです」
「あなたはそれをあまり気にしないの?」
中空に視線を彷徨わせてから、答えるメリー。
「気にはしますね、大人数の前でわざわざ断言することはないと思います」
「なるほどね、社会はそういうものを別のところへ追いやってしまおうって考えがある、例外にされるのが怖い前に、例外が怖いんだ」
「ここみたいに、ですか?」
「そう、わけのわからないものが怖い、だから無視する、消そうとする……話が外れたわね、科学は何でこんなに信じられている?」
「目に見えるからだと思います。人が一番頼りにするのは視覚ですし」
「そうだね、その根幹を知らなくても、表面に現れたことで判断できる、原理はわからないけれど、表面のことを認識できるんだ、実際に起きていることとは別だとしてもね」
「他には何か在りますか?」
「科学が万能っていう思い違い。社会で教えられていることだからってとこ」
オカザキは黙り、蓮子のほうへ向き直る、意見を促されているのだと気づき、言葉を捜す。
「一般にオカルトといわれる分野は、科学で証明できないものが多いです。大半はでたらめなものですが、深く入り込むことで、本当に証明できないようなものも出てきます」
「物理学なのにオカルトなの?」
「オカルトサークルなもので」
冷たい声で蓮子は答えた、あんまり良い質問ではないと、口調が物語っている。
「ごめんなさいね、面倒くさい質問をしたわ、マエリベリーさんのように、大人数の前では萎縮しないのかしら?」
「えっと、学校ではオカルトサークルは珍しくありませんし、公的な発言として、そういうことを喋るわけではありません」
「なるほどね」
「オカザキさんは、こういうことを学会等で発表したのですか?」
「……察しがいいわね」
ちょっとした沈黙のあと、オカザキはにやりと笑っていった。
「カマをかけたんですけど、あんまり多数派を好きじゃない様子だったので」
「いやな学生ねぇ、生徒だったら単位あげないところだ」
「先生だったら、もう少しオブラートに包んでます」
二人が苦笑しながらやり取りして、ベッドの上に居る彼女はその間に、言葉をまとめていたようだった。
「科学を信じることは、何も間違っては居ないのだけれど、逆にそれに逆らうようなものを全て信じないのは間違いだと思ったの、だから私は意見を述べた。でも、滅茶苦茶に言われたわね、バッシングは段々苛烈になってくるし、居心地は悪いしで、結局引退しちゃった」
「ここに居るのは、そういうものから遠ざかるためですか?」
「ええ、気が狂った人、とされていれば相手から触りに来ることは少ないからね。夫とか……家族には迷惑かけているけれど」
遠い目をした彼女は、それでも、と続ける。
「このまま、世界が物を見る目を失うんじゃないかって怖くてね、あなた達みたいな考え方が出来る子達が居ると安心するわ」
二人を見据え、微笑んで言う。
「さて、それじゃあそろそろあなた達の頼みを聞く時間ね」
「あ……はい。道に迷ってしまったんですけど」
「うんうん、とりあえず判りやすい道に抜けるためには、向こうのほうにあるトンネルを越えないといけないの」
ベッドから降り、窓を開けて道を指差す。
「そうすればすぐに知っている道に出るはずよ」
「あの、本当にそんな大雑把で大丈夫ですか?」
「大丈夫、オカザキ大先生を信じなさいって、まぁまた気が向いたら遊びに来てよ」
彼女は笑って、二人を見送る、半信半疑ながらその視線を後ろに帰ることにしたが、声を掛けられて振り返る。
「最後にさ、一つ聞かせてもらえる?」
「なんですか?」
「私の生き方って正しいと思う?」
「……わかりません」
蓮子は何かを言いそうになりながら口をつぐんだ、
「あのトンネルね」
メリーが視線の先を指差して言う、山を貫通している様子のトンネルは向こう側が見えないほどに長く、暗い。
ライトをつけて車が進入していく。
「オカザキさんの最後の質問、何で答えなかったの?」
「……メリーは何でもお見通しね」
「何でもではないわ、蓮子の態度がわかりやすかっただけよ」
「そう? まぁ、言わないほうがいいかなって思ったのよ」
「こういうところで燻っても何にもなりませんよ、ってところかしら?」
「殆どあってるわ、もうちょっと毒を増すけど」
片目を瞑って蓮子は続ける。
「他人からの攻撃は辛いけどね、自分が正しいって思うならそこから逃げちゃいけないのかなって」
「でもそれは」
「そう」
「「事情を知らない戯言」」
二人同時に言って、笑いあう。
「心の持ち方は強くあるべきだと思うけれど、それに晒されてない私は言える立場じゃないかな」
「課題からも逃げているしね」
「か、課題は帰ったらやるわよ、あの人を反面教師にして」
「あらあら、それじゃあ今回のお出かけも悪くは無かったのかしら」
「悪いお出かけがあるなら教えて欲しいものね」
車は一定のスピードを保ちトンネルの中を走っていく。向こう側がうっすらと見えてきていた。
来客の電子音がなり、老婆は身を起こした。
「いらっしゃ……ありゃセンセイか、お待ちしていましたよ」
「やっほ、おばあちゃん。今回もありがとね」
上下を赤い服でそろえたオカザキが、入り口からレジのほうへと移動してくる。老婆はレジを開けて、数枚の硬貨を取り出した。
「いくら?」
「840円です」
返事をして財布を開く、ぴったり840円払って、硬貨を受け取る。
「うん、未来のお金はやっぱり素敵、ありがとうおばあちゃん」
「センセイにはお世話になっていますからねぇ、ただ、毎度思いますが回りくどいですねぇ」
「いいのよ、未来のお金を予測していた、だけじゃなくて、本物を持っていたってなれば、後々彼らは気づくのだから」
「へぇ、でもセンセイもそのときには」
「えぇ死んだ後かもしれないけれどね、たとえその栄光を受ける姿が見えなくても、私に諦めるなんて選択肢はないのよ」
彼女は高々と言い放ち、苺のように笑った。
運転席に座る少女は、カーナビを積んでいないことをいまさらながらに悔やみ、助手席の少女へと謝罪を繰り返している。
助手席の少女は別に気にしていない様子で、笑っていた。
むしろ迷子になって、不本意な時間を過ごしてしまうのは運転手のほうで、先に迫る課題の提出が襲ってくるのを、幻視していた。
「蓮子、怖い顔をするのはいいけれど安全運転お願いね」
「え、ああ大丈夫よ……。調査は拍子抜けで、しかも道に迷うなんて情けないけれど、やけにはならないわ」
宇佐見蓮子は表情を崩して微笑んだ。
そんなことよりメリー、と切り出して、先ほど観察した物について相棒へ問いただす。
「あれ、本当に何も見えなかった?」
「ええ、少なくとも結界に係わり合いのあるものじゃなさそうね」
マエリベリー・ハーンはそう答えて、どうしようもないわね、と苦笑した。
時間を少し遡ったころ、二人はある噂を頼りにその場所を訪れた。だが調査した結果は特に何も無く、完全なガセネタだと判断して今に至る。
課題ばかりで低迷した気分を、リフレッシュする為と計画したのに、蓮子は更に落ち込むことになった、ついでに道に迷った。
有罪宣告のような相棒の言葉に打ちのめされるように、無言でハンドルを切る蓮子。
遠出をするといっても、道に迷うアクシデントは想定外だ、昼食の時間も近くて、だんだんと苛立ちが高まっていた。
道の左右には草木があるばかりで、代わり映えのしない風景が続いている、どうせ人工物なのに、やけに力の入った植林だ。
そんな眠気さえ出てくる道をしばらく行くと、メリーが声をあげた。
道の端に小さな商店が姿を現した。
駐車場が無いので、店の前に停めることになった。後方から車がきたら邪魔になるかもしれないので、なるべく早く済ませることにする。
中に入ると、来客を告げる電子音が響いて、どうやら住居につながっていると思われる場所から、白髪の老婆が現れ、頭を下げて、いらっしゃいませぇと言った。
二人は会釈を返して商品を選ぶことにする、菓子パンなどしか腹にたまるものがなく、それらをいくつかまとめてレジへと運んだ。
老婆はそれを見て、そろばんを取りだす。レジは置物か何かだろうか、と心の中で突っ込んだ蓮子だが、そろばんが値段をはじき出すと、自動的にレジが開いた。
「うわっ」
「あぁ、驚かせてごめんねぇ」
レジに表示された値段を読み上げる老婆、なんでも、レシートが欲しい人のために、改造したらしい。
「おばあちゃんが改造したの?」
「まさかぁ、センセイだよ」
「先生?」
「あぁ、たまにくるんだよぉ」
つり銭無しで会計を済ませ、レシートを受け取ったあと、だめもとでメリーが道を尋ねてみる。
「あの、実は道に迷っていまして……」
「あんれぇ、日本語上手だねぇ」
「ありがとうございます、それでこのあたりのことに詳しければ、教えていただきたいのですけれど」
「いんやぁ、あたしゃ助けになれないねぇ、でも、センセイなら判るかもしれないよ」
「先生……ですか」
「うん、病院に居るからね、尋ねてみたらどうだい?」
病院までの道を尋ねると、外に出て道の先を指差す、ずっとまっすぐとの事だった。
お礼を言って、車に乗り込み出発する。菓子パンは直ぐに食べてしまった、甘くて美味しかった。
十分ほど走ったところで、メリーが小さく声を上げた。
「蓮子……消費税って10%よね?」
「えぇ、どうかしたの?」
「いやレシートが5%になっているから」
「……古い機械だったのかな」
道に迷う前のことを思い出す。『過去を見られる石』それが今回行った調査だった。
「でも、お金は普通に使えたわよね?」
「そうね、考えすぎか……」
メリーが小さく言って、話は終る。
車内に沈黙が下りて、それぞれの考えが形になったころ、視線の先に白い建物が見えた。
「先生……ですか?」
受付の女性は困惑したように言う、そりゃそうだ、病院に先生が何人居るだろう、蓮子は頭が廻らなかったことを憂い、後悔をする。
だが、だめもとで商店の老婆に聞いたと伝えると
「あぁ、なるほど」
得心された。
病院はあまり好きじゃないというメリーに、私もあまり好きじゃないと蓮子が言って手を握る、入るまで判らなかったが、入院を主に扱う施設で、人員の殆どが患者だと知らされた。
また、身体的な問題で入院しているのではなく、所謂精神病棟だということも、そのときに知らされていた。
病院特有の臭いが薄いのはその所為らしい、それでも雰囲気は普通の病院と変わりないので、緊張は和らがないが
閑散とした受付を時折横切る人や、白い壁に掛かった絵等を見ているうちに、先ほどの女性に呼ばれる。会えることになったらしい。
「部屋まで案内しますので」
彼女についてエレベータに乗り込み、5階で降りる。
照明が受付より暗く設定されている廊下を歩き、突き当りの病室に案内された、医者が居るのかとおもったら、患者のような人物しか見当たらない、部屋の名札は白紙。
「それでは、どうぞ」
先ほどの彼女は一礼して去っていった。軽く悩んだ後二人は部屋へと入る。
「あらあら、かわいらしい子達がきたわね」
そういって女は微笑んだ。
服は病院内で着用するパジャマだ、だがその視線はしっかりしているし、姿勢も良かった、腰ほどまである真っ赤な髪には、白いものが混じっている、そのわりに若々しさを感じるのは美貌の所為だろうか。
若干の戸惑いを見せる二人に椅子を勧めて、彼女はにやりと笑った。
「……怖い?」
「え?」
「手、つないでいるからさ」
「いえ、二人とも病院が嫌いなんです」
「なるほどね、統計的にも、病院が好きな人は居ないだろうね、そういう意味ではあなた達は一般人に近そうだ」
「あの、商店のおばあさんに聞いてきたのですけど」
「あぁうん、おばあちゃんね」
二度ほど頷いて、腕を広げて言葉を続ける。
「それで、頼みは何かな?」
「頼みだってわかるんですか?」
「あぁ、おばあちゃんからこっちに来るって事は、機械の開発とか、道に迷ったとか、そのあたりでしょ?」
「なるほど、そのとおりです」
パチンと指を鳴らす彼女、微笑を貼り付けたままで話を進める。
「オッケー要求にはこたえよう、その代わりといっちゃなんだけれど、少し話をしてもらおうかな」
「話、ですか?」
「別に固くならないでいいよ、こっちから適当に質問するからさ、それに応じて答えてくれれば」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
「よし、それじゃあ自己紹介してもらおうかな」
「宇佐見蓮子、大学生です。専攻は超統一物理学、個人的には一般人の見本のようなものだと考えています」
「マエリベリー・ハーン、大学生です。専攻は相対性精神学、すくなくとも蓮子よりは一般人かなと思います」
「仲がいいのねぇ。二人とも大学生か、若いってのはいいわね。私はオカザキ。元大学教授。今では頭のおかしい患者の一人よ」
オカザキはそういって笑った。
「この世には科学で解明できないことがあると思う?」
「私は思います」
「私も同意見です」
「……うん、それじゃあさ、何故それを人々は面白可笑しくしか捕らえないんだろう」
「心理の問題じゃないのかなとおもいます」
メリーが言うと、オカザキはそちらへ向き直り、話を続けるようにいう。
彼女はそれを聞いて、頭の中を整理するような仕草のあと、喋り始めた。
「まず、大多数の人が科学を信頼しているということ、妄信ともいえるように。だからそれから外れるものは、中々認められない、ということがあると思います」
「それは、自分が少数派じゃないと思うことに対する安心も入っている?」
「はい、仲間はずれであることを自覚することはあまり快いものではないはずです」
「あなたはそれをあまり気にしないの?」
中空に視線を彷徨わせてから、答えるメリー。
「気にはしますね、大人数の前でわざわざ断言することはないと思います」
「なるほどね、社会はそういうものを別のところへ追いやってしまおうって考えがある、例外にされるのが怖い前に、例外が怖いんだ」
「ここみたいに、ですか?」
「そう、わけのわからないものが怖い、だから無視する、消そうとする……話が外れたわね、科学は何でこんなに信じられている?」
「目に見えるからだと思います。人が一番頼りにするのは視覚ですし」
「そうだね、その根幹を知らなくても、表面に現れたことで判断できる、原理はわからないけれど、表面のことを認識できるんだ、実際に起きていることとは別だとしてもね」
「他には何か在りますか?」
「科学が万能っていう思い違い。社会で教えられていることだからってとこ」
オカザキは黙り、蓮子のほうへ向き直る、意見を促されているのだと気づき、言葉を捜す。
「一般にオカルトといわれる分野は、科学で証明できないものが多いです。大半はでたらめなものですが、深く入り込むことで、本当に証明できないようなものも出てきます」
「物理学なのにオカルトなの?」
「オカルトサークルなもので」
冷たい声で蓮子は答えた、あんまり良い質問ではないと、口調が物語っている。
「ごめんなさいね、面倒くさい質問をしたわ、マエリベリーさんのように、大人数の前では萎縮しないのかしら?」
「えっと、学校ではオカルトサークルは珍しくありませんし、公的な発言として、そういうことを喋るわけではありません」
「なるほどね」
「オカザキさんは、こういうことを学会等で発表したのですか?」
「……察しがいいわね」
ちょっとした沈黙のあと、オカザキはにやりと笑っていった。
「カマをかけたんですけど、あんまり多数派を好きじゃない様子だったので」
「いやな学生ねぇ、生徒だったら単位あげないところだ」
「先生だったら、もう少しオブラートに包んでます」
二人が苦笑しながらやり取りして、ベッドの上に居る彼女はその間に、言葉をまとめていたようだった。
「科学を信じることは、何も間違っては居ないのだけれど、逆にそれに逆らうようなものを全て信じないのは間違いだと思ったの、だから私は意見を述べた。でも、滅茶苦茶に言われたわね、バッシングは段々苛烈になってくるし、居心地は悪いしで、結局引退しちゃった」
「ここに居るのは、そういうものから遠ざかるためですか?」
「ええ、気が狂った人、とされていれば相手から触りに来ることは少ないからね。夫とか……家族には迷惑かけているけれど」
遠い目をした彼女は、それでも、と続ける。
「このまま、世界が物を見る目を失うんじゃないかって怖くてね、あなた達みたいな考え方が出来る子達が居ると安心するわ」
二人を見据え、微笑んで言う。
「さて、それじゃあそろそろあなた達の頼みを聞く時間ね」
「あ……はい。道に迷ってしまったんですけど」
「うんうん、とりあえず判りやすい道に抜けるためには、向こうのほうにあるトンネルを越えないといけないの」
ベッドから降り、窓を開けて道を指差す。
「そうすればすぐに知っている道に出るはずよ」
「あの、本当にそんな大雑把で大丈夫ですか?」
「大丈夫、オカザキ大先生を信じなさいって、まぁまた気が向いたら遊びに来てよ」
彼女は笑って、二人を見送る、半信半疑ながらその視線を後ろに帰ることにしたが、声を掛けられて振り返る。
「最後にさ、一つ聞かせてもらえる?」
「なんですか?」
「私の生き方って正しいと思う?」
「……わかりません」
蓮子は何かを言いそうになりながら口をつぐんだ、
「あのトンネルね」
メリーが視線の先を指差して言う、山を貫通している様子のトンネルは向こう側が見えないほどに長く、暗い。
ライトをつけて車が進入していく。
「オカザキさんの最後の質問、何で答えなかったの?」
「……メリーは何でもお見通しね」
「何でもではないわ、蓮子の態度がわかりやすかっただけよ」
「そう? まぁ、言わないほうがいいかなって思ったのよ」
「こういうところで燻っても何にもなりませんよ、ってところかしら?」
「殆どあってるわ、もうちょっと毒を増すけど」
片目を瞑って蓮子は続ける。
「他人からの攻撃は辛いけどね、自分が正しいって思うならそこから逃げちゃいけないのかなって」
「でもそれは」
「そう」
「「事情を知らない戯言」」
二人同時に言って、笑いあう。
「心の持ち方は強くあるべきだと思うけれど、それに晒されてない私は言える立場じゃないかな」
「課題からも逃げているしね」
「か、課題は帰ったらやるわよ、あの人を反面教師にして」
「あらあら、それじゃあ今回のお出かけも悪くは無かったのかしら」
「悪いお出かけがあるなら教えて欲しいものね」
車は一定のスピードを保ちトンネルの中を走っていく。向こう側がうっすらと見えてきていた。
来客の電子音がなり、老婆は身を起こした。
「いらっしゃ……ありゃセンセイか、お待ちしていましたよ」
「やっほ、おばあちゃん。今回もありがとね」
上下を赤い服でそろえたオカザキが、入り口からレジのほうへと移動してくる。老婆はレジを開けて、数枚の硬貨を取り出した。
「いくら?」
「840円です」
返事をして財布を開く、ぴったり840円払って、硬貨を受け取る。
「うん、未来のお金はやっぱり素敵、ありがとうおばあちゃん」
「センセイにはお世話になっていますからねぇ、ただ、毎度思いますが回りくどいですねぇ」
「いいのよ、未来のお金を予測していた、だけじゃなくて、本物を持っていたってなれば、後々彼らは気づくのだから」
「へぇ、でもセンセイもそのときには」
「えぇ死んだ後かもしれないけれどね、たとえその栄光を受ける姿が見えなくても、私に諦めるなんて選択肢はないのよ」
彼女は高々と言い放ち、苺のように笑った。