彼女の名前は知らない。
いつもベッドの端っこに座って、本を読んだり足をぶらぶらさせてみたり、ブロンドの絹みたいな髪をいじったりしている。
時々鼻歌なんかも歌っている。なんの曲なのかは知らない。私の知らない言語の歌を歌っている時もある。東洋系の私と違って西洋系の顔立ちをしているから、元いた異国の地の歌なのかもしれないし、彼女が即興で適当に歌っているだけかもしれない。
私はいつも黙って聞いている。
彼女が本を読み出すと私は暇になってしまうので、いつも彼女の隣に座って彼女を観察している。
読書中の彼女はとても真剣で、しかも読む速さが尋常じゃない。私が半分も読み終わらないうちに次のページに行ってしまうから、何を読んでいるのかは判らないのだった。
だから、くりくりと丸くて大きいお人形のような彼女の瞳だとか、真っ白な雪みたいな血の気の無い(これは良い意味でも、悪い意味でも)手の甲だとか、今まで聞いた事も見た事もない虹色の羽根?だとか、彼女を形作る色々なパーツを眺めている事にしている。
彼女の世界に私はいない。
だから、私は好き放題できる。好き放題している。
彼女の無意識を取り込むのはとても苦労した。取り込もうとするそばから、どんどんもぎ取られていくのだ。
あとで判った事だけど、彼女の能力はどうやら破壊を司るものらしい。それも制御する気がそもそも無いのかして、自由奔放に放っておいてあるものだから、彼女の意識とは関係なく、デフォルトで結構色々なものが破壊されているらしい。その一端で彼女の無意識も破壊されていたのだ。だから私の能力もちょっと効きにくかった。
こんな事は初めてだったので、とても苦労した。
苦労するのは、きらいだけど。
きらいな事をがんばってしたのは、彼女の世界にとても興味があったから。
彼女はあたりまえのようにひとりだった。
それは空間的な意味でも、身体的な意味でもなく、もっと根本の、哲学的で存在的な意味なのだ。私だけが理解できる。
孤独ではない。そんな狭苦しい範囲の独りではなくって、もっと広範の、現存在におけるひとりだ。
そう、彼女はまるで私だった。
誰も必要としないで、超然とひとりでいる。それがあたりまえで、そうでないと呼吸ができない。そういう絶対の“どうしようもなさ”が、彼女にはあるように思う。
この話をすると、お姉ちゃんは決まって首をかしげるのだけど。
「貴方と同じような生き物が成立するのなら、是非お会いしてその心を覗いてみたいものですよ」
そんな風に、お姉ちゃんは嘯くけど。
この子はまさしく私なのだと断言できる。
鏡映しのようなお姉ちゃんでさえ、私と同一にはなれない。鏡は左右逆だから。
私が私として生まれなかったなら、きっと彼女として生まれていたんだろう。
でもまぁ、お話しするのはちょっとどきどきしちゃうから。
しばらくはこのまま。一番近い特等席で、彼女を監視しようかと思いまして。
私がふたりいるような、不思議な感覚。
それは、とても美しい幻想だった。
ある日、彼女にキスをした。
触れるか触れないかの、風とするような弱々しく消極的なキスだった。
自分にキスするみたいで、首が長くて頭がふたつ無いと決して誰にもできない、素晴らしい体験だった。
「――だれ?」
彼女は大きい眼を更に大きく見開いて、ぱちぱち瞬きをしながら私を見た。
無意識の幻想は終わったから、意識の現実で夢を見よう。
「もうひとりの貴方。うそ。古明地こいしって言うの。よろしくね」
「もうひとりのわたし?」
「こいしだってば」
「わたしはフランドール・スカーレット」
「お金みたい。あるいはお菓子みたい」
「フランだけのイメージ言ってるでしょ」
「うん。あとすごく紅そう」
「貴方はpebbleみたい」
「誰が石ころですって」
「そういう名前じゃないの?」
「いいえ、I die of love.って意味」
「素敵」
「でしょう?」
女の子はいつでも恋に恋焦がれるし、愛を偏愛しているものなのよ。
「こういう名前だから、恋したいのよ」
「ころしたい?」
「love or dead? それも悪くないわ」
「貴方はlove and deadでしょう」
「まぁ、そういう名前だけど」
「素敵な名前ね」
「そうよ。だから、素敵な私と、素敵な恋をしましょう?」
私は私に、恋をする。
おわり
こいつは先が楽しみだ
もちろん続きますよね?
ごちそうさまでした
いいなー
操れないし望まないから恋になったんか、と思ったりする不思議さ。
良いなぁ。