「えっとこの辺に置いといたはずなんですけどねぇ…」
明日辺りにでも文々。新聞を発行しようと思っているのだが、肝心の原稿が行方不明になっていた。今回のは文自身も納得のいく出来栄えであったので、いつも以上に必死になって探していた。
しかし、新聞を作っている者の性でもあるが、普段から片付けなどをしたりしないので、家の中は散らかり放題である。この中から探し出すというのは、新聞を作るより骨が折れる作業であったりする。
そんな原稿探しを始めてから早一時間が経った。そして文は自身の部屋のある場所の前に頭をポリポリと掻きながら立っている。
「残る場所はここだけなんですけど…」
家の中、それも台所から寝室、はたまたトイレの中まで探し尽した。文の家で残った場所は文の部屋の襖の中だけである。だが、この襖は手当たり次第に物を詰め込んだ、云うなら「押し潰しの襖」であった。その奥にあるのは一体何なのかは文自身にもまったく想像がつかない。
「数年前に部屋が散らかっていた際に、この襖に片付けようと開けたら中の物に押し潰されたのは覚えてるんですが…」
こんな所に自分が大切な原稿を入れるはずはないのだが、思い当るところはすべて探し尽した。原稿は外などに持ち出してはいないので、この家の中では必然的にここが一番怪しい場所になる。
文はポキポキと指を鳴らす。そしてガシリと襖の開け口に手を掛ける。
「開けてすぐになだれ落ちてくるであろう物を素早く全身で押さえて、ちょっとずつ物を退けていく。よし、これなら絶対に大丈夫です」
“絶対”や“大丈夫”などは失敗または死亡フラグであるが、そんなことに気が付かない文は開け口に掛けている手に力を入れる。
「ぬおおお……ふぎゃあああああ!?」
文字通り、文は襖からなだれ落ちてきたゴミや服や本、その他諸々に押し潰されてしまった。またここに「押し潰しの襖」の伝説が一つ増えた。
文が押し潰されてから5分ほどが経過したころ。文はようやく小さく出来上がった山の中から這いずり出てこれた。
「ごほっ…ごほっ…! まさかあんなに重いとは思いもしませんでしたよ。しかし、この中から探し出すのは骨が折れますね………ん?」
山の前で胡坐を掻いて見ていると、山の頂上に見覚えのある一冊の赤い本があった。
「あれってたしか……」
崩さぬよう慎重に山を登って、その本を手にしてみるとはっきりと思い出した。その赤い本は、文のアルバムであった。
「うわぁ、懐かしいですね」
アルバムを手に取り表紙を開いて最初のページを見てみると、写真が4、5枚ほど収められていた。しかし、どの写真も椛だけが写っているモノばかりだった。
「ふふ、表紙に『私のアルバム』って書いてあるくせに、実際に移しているのは椛ばかりじゃないですか」
文は微笑みながら写真の一つ一つを思い出していく。
「これはたしか初めて椛と取材に行った時のですね」
「ああ、これは椛が写真を撮ったけどピンボケしてて泣いている時のですね」
「お! 椛の寝顔写真ですね! 可愛過ぎてつい撮影したんですよね」
原稿を探すのも忘れ、アルバムに夢中になっているといよいよ最後のページにやってきた。
何が写っているかな、とワクワクしながら開いてみると、太刀を構えて凛とした表情で何処かを見つめている椛の写真と恥ずかしそうに顔を赤くした椛の写真の二枚が中央に貼ってあるだけだった。
「これって……椛と初めて会った時と椛が部下として初めて私の所に来た時のですね…」
ちょっとばかし昔のことであるが、今でも私は鮮明に覚えている。椛と初めて会った時のこと。椛が私の部下として来た時のこと。
◆ ◆ ◆
「ハァ、今日もいいネタが見付かりませんでしたね…」
いつものように取材をするために飛び立ち、いつものように行く先々で邪険に扱われ、そしていつものようにネタが無いまま帰宅する。
ここ数ヶ月の間、射命丸文はこれをずっと繰り返していた。
「やっぱり私、ブン屋の才能が無いんですかね…」
文はブン屋としての自信を失いかけていた。いつもの文ならそんなスランプになったとしても気にもしないが、今回は少しだけ違った。
それは数ヶ月前。文のように新聞を発行している姫海棠はたてとの言い争いの時であった。別にはたてのと言い争いは何度もしているし、お互いを高め合うことに繋がっているので、特に気にしたりはしなかった。
しかし、この時のはたてからの一言はどうしても忘れられないでいた。
「面白くないのはネタの所為って言うけど、それってアンタの才能の問題じゃないのよ!」
それを言うなりはたてはすぐにハッとなって謝ってきたが、その時は軽く笑い飛ばして終わりになった。だが、そのはたての何気ない一言が妙に文の心中に残ってしまった。
「もういっその事、辞めた方がいいんですかね……痛ッ!?」
突然頭に激痛が走り、文は目を回しながら頭から地面へと落ちていく。前を見ずに考え事をしていたために、文は大木の存在に気が付かないで激突してしまった。
地面に落ちると文はまずコブが出来ていないかを確認した。幸いにもコブは出来ていなかったが、身体を強打した上に頭がクラクラしてしばらく動けそうになかった。
「うぅ…とことんついてませんね」
悲しくなるくらい自分が惨めに思えた。なんだか今日はもうこのまま野宿でもいいかも、と文が思い始めたとき。
すぐ傍の草むらからガサゴソと何かが来る音が聞こえてきた。イヌやウサギやなら問題ないが、妖怪だとしたら動けないこの状態はとてもまずい。下手をしたら、一方的にやられて殺される可能性だってある。
可愛いイヌやウサギであるようにと文は願うが、草むらから顔を出してきたのは熊の様な姿をした妖怪だった。しかもご丁寧に腹を空かしているみたいで、文を見ると歓喜の表情と共に舌なめずりをした。
しかし妖怪は格好の獲物を前にしても警戒をしているのか、ジリジリとゆっくり歩み寄ってくる。
「…私を食べるならそれなりの覚悟が必要だと思いますよ?」
しかしそんな文の言葉など何処吹く風である。涎を垂らしながらさらに妖怪は文との間を詰めてくる。そして目の前まで来ると、妖怪はまるで値踏みをするようにスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
妖怪に喰われるかもしれないというこの状況で、文は冷静にも「涎が顔に垂れてきて汚いですよ」と口にする。
そして妖怪はようやく食べても大丈夫な餌と認識したのか、雄叫びを一つ上げるとゴツゴツした手を私の身体に押しつけて逃げられないようにした。
ここまで来ていよいよ文にも余裕がなくなってきて必死に考える。しかし、反撃しようにも動くことが出来ないこの状況では無意味な考えであった。
「最後は老衰とかで綺麗に死にたかったんですけどね……」
認めたくないが文はここで死ぬことを受け入れることにしました。
妖怪は口を大きく開けて、鋭い牙を見せるようにしながら噛み付く体制に入った。
味わったことの無いような衝撃に備えて目を瞑りながら、文は「最後の言葉ももっとカッコイイのにすればよかったなぁ…失敗失敗」と思った。
しかし噛み付かれたという痛みはいつまでも無く、その代わりにグギャーッ!という妖怪の叫び声が文の耳に聞こえてきた。それと同時に先程まで身体に感じていた重みが無くなった。
痛む身体に鞭を打って起き上がらせると、妖怪は文から10メートル以上吹っ飛んでおり、左肩から血を流しながらジタバタと暴れていた。そして、暴れている妖怪の前には血の付いた太刀を掲げて立っている人物がいた。その人物は恐らく格好から見て白狼天狗の少女であると思われる。
そんなことを思っていると、痛みに慣れてきたのか血を流しながら自身を斬りつけた白狼天狗に向かって走ってきた。しかし白狼天狗は意図も簡単に突進を避けると、妖怪の右足をその太刀で斬りつける。
右足を斬りつけられてしまった妖怪は頭から盛大に転んでしまった。そして白狼天狗は大きく跳躍して、起き上がるのに苦労している妖怪の前に飛び降りると妖怪の顔に太刀を軽く当てる。
その白狼天狗の行動の意味を察したのか、妖怪は片手と片足を引きずりながら草むらに入っていった。
しかし白狼天狗は警戒を怠っていないらしく、妖怪が去っていったあとでも、しばらくの間は草むらを凝視しながら太刀を構えていた。
助けられたから……或いは他にも理由があったかもしれないが、私はどうしてもこの白狼天狗の少女の姿を写真に収めたいという衝動に駆られ、気が付いたらカメラで一枚だけ撮影していた。
「あの、大丈夫ですか!」
安全を確認し、太刀を鞘に仕舞うと彼女はトテトテという擬音が似合いそうな走り方で私のところまでやってきた。さっきまで凛としていた表情は欠片もなく、逆に子犬を連想させるように彼女の大きな目はウルウルとしていた。そんな彼女のギャップに私は唖然として返事が出来なかった。
しかし何をどう勘違いしたのか、彼女は頭を抱えてその場に座り込むと「うわー! 私がもうちょっと助けるのが早ければ助けられたのにー!」と言いながら泣き出してしまった。
いやいやいや!返事は確かにしなかったけど、私いま上半身ちゃんと起こしてる状態よ!凄く痛いけど。
突っ込みたいことは山々あるが、まずはわんわん泣いている彼女を泣き止ますのが先決であろう。
さきほどより幾分か楽になったが、まだ覚束ない足取りで泣いている彼女のところまで歩み寄る。
「え~と、とりあえず泣きやんでくれる? 私はこの通り―――」
「ぅわあああああ!? ごめんなさい、ごめんなさい! 私の力不足で助けられませんでしたが、どうか祟らないでくださいッ!!」
「いやいやいや! 私は貴方のおかげでこの通り生きていますよ!? ほら、足だってちゃんとあるでしょ?」
「ぐす…ふぇ?」
すると彼女はペタペタと私の足を触りだした。ズキズキと痛むが、助けてもらった手前、文句を言うわけにもいかないのでしばらく彼女の好きにさせることにした。
彼女が触り始めてから5分くらい経ったころにようやく彼女は触るのを止めた。
「ね、本物の足で――― 」
「うわあああああああん!?」
なんでまた泣き出しちゃうのよ!?
「ちょ!? 今度はどうしたの!?」
「よがったあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 死んでなくでよがったあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! うわああああああん!」
…なんだかもう、助けてもらってこう言うのはなんですけど、赤子をあやすくらいに面倒臭そうな娘です。
そのまましばらく「よがっだ!」とか「生きでるんですね!」しか言わない彼女を落ち着かせる兼ちゃんとしたお礼を言うために私の家に連れて行くことにした。
「落ち着いてくれたかしら?」
「はい、取り乱してすいませんでした。その上、ご飯まで食べさせてもらって…」
家に着いてもなかなか泣きやんでくれない彼女に、ダメもとで冷蔵庫に残っていたお肉を使って焼肉を御馳走してあげたらケロッと泣きやんでくれた。お肉様様ですね。
「別にご飯ぐらい御馳走するわよ。なんたって、貴方は私の命の恩人なんですから」
「いえ、そんなことは」
「そんな謙遜しないでください。本当に貴方には感謝してるんですから。ありがとうございます」
「わ、わぅ~」
彼女はそう言いながら頭を抱えて俯いてしまった。しかしもふもふとした白い尻尾を左右に振っていることから相当嬉しいのだろう。もう連想とかではなく、本当に子犬なんじゃないかなと思ってしまった。
それから普通に焼肉を2人で楽しんでいたのだが、彼女は時折部屋の中をキョロキョロと見回していた。
どうしたのかと思い私は彼女に声を掛けてみた。
「どうかしました?」
「いえ、なんだか部屋の至るところに紙が落ちてるなと」
彼女の言う通り、部屋の至るところに丸められた紙が落ちている。仕事場以外の場所でも原稿を書いたりしているので、その辺に紙が落ちていても私には普通の光景だが、彼女には気になったそうだ。
「すいませんね。食べるところなのにこんな汚れていて。いま片付けますので」
「あ、いえ! それは大丈夫なんですけど、もしかして物書きさんなのかなと思って」
「物書きというよりブン屋ですね」
もしかしたら辞めるかもしれない、とはさすがに言えませんでした。
「へ~、ブン屋さんですか。ちなみにどんな新聞なんですか?」
「文々。新聞っていう新聞ですよ」
「そうですか。あの、もしよろしければどんな新聞か見せてもらってもいいですか?」
「え!? いや、その……」
私は酷く動揺した。それは、はたてから言われたあの一言を思い出したからである。
もし、彼女に私の新聞を見せて面白くないと言われてしまったら……。才能がないと言われてしまったら……。
そんな臆した考えが私の頭を掛け回る。
……しかし、それもいいのかもしれない。彼女に面白くないと言われても。
逆にその方がなんの未練もなく吹っ切れると思う。
そう考えただけで私の心は少しだけ軽くなった気がした。
「いいですよ。ちょっとだけ待っていてください」
「本当ですか! ありがとうございます!」
彼女にそう言ってから私は作業部屋に向かった。
作業部屋に向かう途中に私は昔のことを思い出していた。
初めて写真を撮ったこと。
初めてネタ探しをしていて怪我をしたこと。
初めて自分の新聞を発行したこと。
色々な思い出が脳裏を過ぎり、もしかしたら自分は今日で新聞作りを辞めるかもしれない、そう思うと自然と目頭が熱くなっていた。
部屋に入ると、私は一目散に作った新聞が置いてある場所に向かう。そして、積み上げられた新聞の一番上に置いてあるのを手に取る。それは、はたてと言い争いの数日前に発行した実質の最新号であった。
数ヶ月放置していた所為で溜まってしまった埃を取り払い、泣いたことをバレないようにする為に、洗面所で顔を洗ってから彼女の待つ部屋に戻っていった。
「お待たせしました。えっと、いま作っている新聞の1つ前に作ったのだからちょっとだけ古いですよ?」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。どんなこと書いているのかな~」
そう言って私の新聞を読み始める彼女。
しかし先ほど「面白くないと言われてもいい」と言ったが、彼女に渡す前もそうだったが渡した後でも手がフルフルと震えてしまっている。言葉では強がっていても内心ではこんなにも弱い私だった。
その証拠に、一枚一枚ページを捲る彼女を見ようとしては彼女がどんな表情を浮かべているか怖くてすぐに俯いてしまう。
それでも頑張って彼女の顔を見てみると、彼女の表情は驚愕を表していた。まるで「こんな酷い新聞読んだことない」といった感じだった。
ある程度は覚悟を決めていたが、やはり実際にそうなると私が感じるショックは壮絶のものだった。
しかし、これで本当に吹っ切れました。本日をもって、私は新聞を作るのを、文々。新聞を作るのを辞めることにします。
新聞作りを辞めたらこれからどんなことをしようか、そんなことを考えていると彼女は私が驚くことを言ってきた。
「す、凄いですよ! こんな凄い新聞読んだことないです! 今まで読んだどの新聞よりも情報が多いし、読んでいてとても面白いです!」
………。
彼女はいまなんと言った?綺麗で優しい……いや、そんなこと一言も言っていませんよ!
凄い新聞?読んでいて面白い?
私の耳がちゃんと正常だとしたら彼女はたしかにそう言っていた。
「えっと、なにが面白いと?」
「? ですから貴方の新聞ですよ! どうしてこんな凄い新聞に今まで気が付かなかったのか不思議なくらいです!!」
純粋。彼女は純粋にそう言ってくれています。私もブン屋をして長いですから、お世辞かそうでないかのことは見抜くことが出来ます。しかし、彼女の言葉にはお世辞は含まれていませんでした。
ただ純粋に面白いと言ってくれたのです。
「でも失礼かもしれませんが、この人里の特集記事。私みたいに人里に行ったことのない妖怪が読んだらちょっと理解するのが難しいと思います――って、どうして泣いているんですか!?」
「えっ…?」
手で顔を触ってみると、どうしてか分からないが涙が出ていた。
分からない?本当はどうして涙が出たのか分かっている。簡単なことです。
嬉しいから。彼女の純粋な言葉が嬉しいからに決まっています。
涙が出た理由を見つけるのは簡単だったが、それを止めるのは難しいようで、止めたくても私の意志を無視して涙はどんどん溢れ出てくる。
「えっと、何か失礼なこと言いましたでしょうか!? それより泣かないでください!」
数時間前の私みたいに必死になって泣きやまそうとする彼女。
しかし涙腺は、そんな彼女の意志も無視して遠慮なく涙を出し続けた。
結局、私は彼女と同じくらいの時間を泣き続けていた。
「すいませんでしたね、何かと迷惑を掛けて」
「いえ、こちらこそご飯ありがとうございました」
時刻は次の日に変わろうとしている12時の少し前。ようやく泣きやむことが出来た私は、目や鼻を真っ赤にしながら見送るために、彼女と一緒に玄関の前に立っていた。
そこで数分会話をして、彼女が飛び立とうとしたとき「あっ!」と声を上げて私に振り向く。
「最後に一つお願いをしてもいいですか?」
「? ええ、いいですよ」
「次の新聞が出来たときは…その、私も購読したいので届けてくれませんか?」
その言葉を聞いて、私はすぐに答えることが出来ずに少し考えました。
はたてに言われたあの一言。
もし新聞作りを辞めなかったとしても、また面白くないと同じようなことを言われてしまうのではないか?
それならいっそのこと、辞めてしまった方がいいのでは?
そんなことを再び考える私。
しかし、唐突に彼女が新聞を読んでいるときに言っていた言葉が聞こえてきた。
「でも失礼かもしれませんが、この人里の特集記事。私みたいに人里に行ったことのない妖怪が読んだらちょっと理解するのが難しいと思います」
先ほど彼女が言ってくれたこの言葉。
この彼女の言葉で、私は新聞を作る才能よりも大事なことを欠いていたことに気が付きました。
それは、読む相手を楽しませることでした。
思えば、はたてにあの言葉を言われるまでの私は、自分だけが楽しければいいという考えで新聞を作っていた気がする。それはとどのつまり、自己満足だけで出来た新聞である。そんな新聞では面白くないと言われても仕方がない。
自分ではなく、読む相手を楽しませなければいけない。
私は文字を扱う者として初歩的なことを忘れていたようです。
しかし私が導き出したこの答えが100%正しいかは分かりません。ですが、自信に満ちた声で私は彼女に言ってあげました。
「勿論いいですよ! でも、まだネタが決まっていないのでもう少し時間が掛かると思いますけど、出来上がったらまず最初に貴方に持って行くわ」
「あ、ありがとうございます! それでは私はこの辺で!」
「えぇ、それじゃあね」
互いに言葉を交わすと、彼女は暗い夜空へと飛んでいった。
そして彼女が完全に見えなくなって家の中に入ろうとしたとき、私は一つだけ忘れていることがあった。
「そういえば彼女の名前を聞いてなかったですね。……でも、次に会ったときに聞いておけば大丈夫ですね」
そう言って夜空に背を向けると私は家の中に入って行った。
――翌日
「………」
「………」
清々しいくらい晴れている天気の中、玄関の前で私はある人物と驚愕の表情を浮かべながら見つめ合いをしていた。見つめ合いをしている人物とは、昨日私の命を助けてくれ、ブン屋として大切なことを思い出させてくれた彼女です。
なんで彼女がここにいるの?
その疑問の答えは、彼女と見つめ合いをしている最中に聞こえてきた電話が答えてくれた。
彼女のこともあるが、まずはいま鳴り響いているこの電話を静めることが先決である。彼女に一言残してから私は電話のもとに駆け寄る。
受話器を手に取り、一度深呼吸してからいつも通りのテンションで挨拶をする。
「はい、おはようございます! 毎度お馴染み、清く正しい射命丸です! え、スリーサイズは幾つかですって? なにを朝っぱらから聞いているんですかこの変態さん! それでどちら様ですか?」
「…お前はいつもそんなことを言いながら電話に出るのか?」
その声を聞いて一気に血の気が引いて行きましたね。
だってそうでしょ?いつも通りにして電話に出たら、その相手が大天狗様だったなんて。
電話越しなのに私はペコペコと頭を下げながら謝るが「スリーサイズはちゃんと私に報告するように。それと、用件を言っていいか?」と大天狗様が言ってきたので大人しく聞くことにした。
大天狗様が言うには、今日私のところに部下として白狼天狗が一人来るそうなので、面倒臭がって取材と称して逃げたりしないように、とのことだった。
大天狗様。その部下とは、今まさに私の目の前にいるこの彼女ですか?そして、なにげセクハラ発言されていませんでした?
そう聞こうとしたら大天狗様は一方的に電話を切ってしまったので、なにも聞くことが出来なかった。
仕方がないので受話器を置いて、玄関で待っている彼女に聞くことにした。
「えっと、まず貴方は私の…」
「ははははい! その貴方……射命丸様の部下としてきました犬走椛でございますです!」
緊張しているのか、どこかぎこちない言動で彼女、犬走椛はそう言ってきた。
「別にそんなに緊張しなくていいわよ?」
「すいませんでした!」
「いきなりなんで謝るんですか!?」
「いえ私、失礼なことですが射命丸様は名前だけでしか知らなかったので、顔とか分からなくて! それで、昨日御会いしたときに友達と同じ接し方をしてしまいまして、本当にすいませんでした!」
その言葉を聞いた瞬間「はぁ?」と思わず口にしてしまいましたよ。
いやいやいやいや!私はそんなことで怒るような性格じゃないし、仮に切れやすい性格だったとしても命の恩人相手にそんなつまらないことで怒ったりしないわよ!?そしてなにより、昨日私を助けてくれたときのあの凛とした貴方はどこに行ってしまったんですか!?
心の中で突っ込んでいると、真剣になって突っ込んでいる自分が可笑しく思えてきて、自然と笑っていました。
しかし彼女は、笑っている私を見てなにを思ったのか、さらにペコペコと謝りだしてしまった。
「あははははは、もう貴方みたいな娘が部下で大丈夫ですかね?」
「わう~…すいません」
「いえいえ、これは私なりの褒め言葉ですよ? それと、私の部下になったからには常に堂々としていてくださいね」
「え? ど、堂々と…ですか?」
「そうです。そして、これからよろしくね犬走さん」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いします射命丸様!」
その後、恥ずかしいからと言ってカメラの撮影を拒んでいた彼女を「貴方が部下としてきた記念日だから」と説得して、玄関の前で一枚撮影しました。だけどやっぱり恥ずかしかったのか、現像してみると顔をトマトみたいに真っ赤に染めた彼女が写っていました。
◆ ◆ ◆
「あの日から随分と経ちましたね」
窓からオレンジ色に染まった夕日を浴びながら、誰に言うわけでなくそう呟く私。
「そうですよね、椛?」
「わうっ!?」
今まさに後ろから私の胸をもみもみしようとしていた人物に声を掛ける。その人物は、先ほどまで回想に出てきていた犬走椛である。
どうしてあの恥ずかしがり屋だった椛がこんな変態さんのようなことをするようになったかは不明である。
「もぅ~、もうちょっとで『椛(が)もみもみ』が出来たんですけど……」
「ホントなんでこんな風になったんでしょうかね…?」
「わう?」
素っ頓狂な声を出しながら首を傾げる。こういうのは昔と変わらずに可愛いんですけど。
…昔と変わらず、ですか。考えてみれば、変態行為以外は全然変わっていないんですよね。
時折見せてくる可愛いしぐさ。
いまだに暗闇が怖いこと。
そして、私の部下でいてくれていること。
正直、自分でも嫌になるくらい私は素直じゃない性格だったり、相手を怒らせてしまう言動をしてしまう。
だから、椛が部下になってくれても嫌気が差してすぐに部下を辞めたがると思っていた。
しかし、彼女はあの時から変わらずに私の部下でいてくれている。
犬走椛は、私の命を助けてくれたり、ブン屋としての大切なことを思い出させてくれたり、部下でいてくれたり、とにかく私の妖生の半分近くを共にしている大切な存在である。
もしかすると、今日このアルバムを見付けたのも神様がくれたキッカケかもしれない。
だから、普段素直じゃない私は今日だけは素直になってみることにした。
「ねぇ椛?」
「なんですか文様?」
「ちょっとこっちに来てくれるかしら」
「わう! 文様がそんなこと言うなんて珍しいですね」
変態さんモードの顔で近づいてくる椛。
そんな変態さんを私は勢いよく抱きしめてあげる。
私の予期しない行動に椛は尻尾をピン!と硬直させて、あの時みたいに顔を真っ赤に染めてしまう。
「あ、あああ、あにゃあにゃ、ぁ文様!?」
「ねぇ椛。私と貴方が初めて会ってから随分と経つじゃない」
「そそ、そにぇがどうしましたです!?」
「貴方は私の命を助けてくれたり、ブン屋として大切なことを思い出させてくれたり、ずっと私の部下でいてくれたりしているわ」
「え、えっと……」
「そんな貴方は私にとって大切な存在よ。それでね、区切りってわけじゃないけど貴方に言っておくわ」
背中にあった手を椛の顔まで持ってきて、優しく彼女の頬に手を当てる。
もう「あぅあぅ」としか言えていない椛に微笑む。
「ありがとうね椛。これからも私の部下で、私の大切な存在でいてください。大好きです」
そして椛の唇に私のを触れさせる。
「わふううううぅうぅううぅうぅ!!?」
ボン!と顔から湯気を出しながら椛は後ろに倒れそうになるが、なんとか私が支えることに成功した。
顔を真っ赤にしながら目を回している椛。多分、私の顔も椛に負けないくらい顔が真っ赤だろう。
とにかく、しばらく目を覚ます気配がない椛を自室に連れて行くことにした。
明日辺りに新聞を発行する予定でしたけど、数日の間はこの白狼天狗が抱きついたままになるだろうから、しばらくは仕事を休むことにしますか。
明日辺りにでも文々。新聞を発行しようと思っているのだが、肝心の原稿が行方不明になっていた。今回のは文自身も納得のいく出来栄えであったので、いつも以上に必死になって探していた。
しかし、新聞を作っている者の性でもあるが、普段から片付けなどをしたりしないので、家の中は散らかり放題である。この中から探し出すというのは、新聞を作るより骨が折れる作業であったりする。
そんな原稿探しを始めてから早一時間が経った。そして文は自身の部屋のある場所の前に頭をポリポリと掻きながら立っている。
「残る場所はここだけなんですけど…」
家の中、それも台所から寝室、はたまたトイレの中まで探し尽した。文の家で残った場所は文の部屋の襖の中だけである。だが、この襖は手当たり次第に物を詰め込んだ、云うなら「押し潰しの襖」であった。その奥にあるのは一体何なのかは文自身にもまったく想像がつかない。
「数年前に部屋が散らかっていた際に、この襖に片付けようと開けたら中の物に押し潰されたのは覚えてるんですが…」
こんな所に自分が大切な原稿を入れるはずはないのだが、思い当るところはすべて探し尽した。原稿は外などに持ち出してはいないので、この家の中では必然的にここが一番怪しい場所になる。
文はポキポキと指を鳴らす。そしてガシリと襖の開け口に手を掛ける。
「開けてすぐになだれ落ちてくるであろう物を素早く全身で押さえて、ちょっとずつ物を退けていく。よし、これなら絶対に大丈夫です」
“絶対”や“大丈夫”などは失敗または死亡フラグであるが、そんなことに気が付かない文は開け口に掛けている手に力を入れる。
「ぬおおお……ふぎゃあああああ!?」
文字通り、文は襖からなだれ落ちてきたゴミや服や本、その他諸々に押し潰されてしまった。またここに「押し潰しの襖」の伝説が一つ増えた。
文が押し潰されてから5分ほどが経過したころ。文はようやく小さく出来上がった山の中から這いずり出てこれた。
「ごほっ…ごほっ…! まさかあんなに重いとは思いもしませんでしたよ。しかし、この中から探し出すのは骨が折れますね………ん?」
山の前で胡坐を掻いて見ていると、山の頂上に見覚えのある一冊の赤い本があった。
「あれってたしか……」
崩さぬよう慎重に山を登って、その本を手にしてみるとはっきりと思い出した。その赤い本は、文のアルバムであった。
「うわぁ、懐かしいですね」
アルバムを手に取り表紙を開いて最初のページを見てみると、写真が4、5枚ほど収められていた。しかし、どの写真も椛だけが写っているモノばかりだった。
「ふふ、表紙に『私のアルバム』って書いてあるくせに、実際に移しているのは椛ばかりじゃないですか」
文は微笑みながら写真の一つ一つを思い出していく。
「これはたしか初めて椛と取材に行った時のですね」
「ああ、これは椛が写真を撮ったけどピンボケしてて泣いている時のですね」
「お! 椛の寝顔写真ですね! 可愛過ぎてつい撮影したんですよね」
原稿を探すのも忘れ、アルバムに夢中になっているといよいよ最後のページにやってきた。
何が写っているかな、とワクワクしながら開いてみると、太刀を構えて凛とした表情で何処かを見つめている椛の写真と恥ずかしそうに顔を赤くした椛の写真の二枚が中央に貼ってあるだけだった。
「これって……椛と初めて会った時と椛が部下として初めて私の所に来た時のですね…」
ちょっとばかし昔のことであるが、今でも私は鮮明に覚えている。椛と初めて会った時のこと。椛が私の部下として来た時のこと。
◆ ◆ ◆
「ハァ、今日もいいネタが見付かりませんでしたね…」
いつものように取材をするために飛び立ち、いつものように行く先々で邪険に扱われ、そしていつものようにネタが無いまま帰宅する。
ここ数ヶ月の間、射命丸文はこれをずっと繰り返していた。
「やっぱり私、ブン屋の才能が無いんですかね…」
文はブン屋としての自信を失いかけていた。いつもの文ならそんなスランプになったとしても気にもしないが、今回は少しだけ違った。
それは数ヶ月前。文のように新聞を発行している姫海棠はたてとの言い争いの時であった。別にはたてのと言い争いは何度もしているし、お互いを高め合うことに繋がっているので、特に気にしたりはしなかった。
しかし、この時のはたてからの一言はどうしても忘れられないでいた。
「面白くないのはネタの所為って言うけど、それってアンタの才能の問題じゃないのよ!」
それを言うなりはたてはすぐにハッとなって謝ってきたが、その時は軽く笑い飛ばして終わりになった。だが、そのはたての何気ない一言が妙に文の心中に残ってしまった。
「もういっその事、辞めた方がいいんですかね……痛ッ!?」
突然頭に激痛が走り、文は目を回しながら頭から地面へと落ちていく。前を見ずに考え事をしていたために、文は大木の存在に気が付かないで激突してしまった。
地面に落ちると文はまずコブが出来ていないかを確認した。幸いにもコブは出来ていなかったが、身体を強打した上に頭がクラクラしてしばらく動けそうになかった。
「うぅ…とことんついてませんね」
悲しくなるくらい自分が惨めに思えた。なんだか今日はもうこのまま野宿でもいいかも、と文が思い始めたとき。
すぐ傍の草むらからガサゴソと何かが来る音が聞こえてきた。イヌやウサギやなら問題ないが、妖怪だとしたら動けないこの状態はとてもまずい。下手をしたら、一方的にやられて殺される可能性だってある。
可愛いイヌやウサギであるようにと文は願うが、草むらから顔を出してきたのは熊の様な姿をした妖怪だった。しかもご丁寧に腹を空かしているみたいで、文を見ると歓喜の表情と共に舌なめずりをした。
しかし妖怪は格好の獲物を前にしても警戒をしているのか、ジリジリとゆっくり歩み寄ってくる。
「…私を食べるならそれなりの覚悟が必要だと思いますよ?」
しかしそんな文の言葉など何処吹く風である。涎を垂らしながらさらに妖怪は文との間を詰めてくる。そして目の前まで来ると、妖怪はまるで値踏みをするようにスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
妖怪に喰われるかもしれないというこの状況で、文は冷静にも「涎が顔に垂れてきて汚いですよ」と口にする。
そして妖怪はようやく食べても大丈夫な餌と認識したのか、雄叫びを一つ上げるとゴツゴツした手を私の身体に押しつけて逃げられないようにした。
ここまで来ていよいよ文にも余裕がなくなってきて必死に考える。しかし、反撃しようにも動くことが出来ないこの状況では無意味な考えであった。
「最後は老衰とかで綺麗に死にたかったんですけどね……」
認めたくないが文はここで死ぬことを受け入れることにしました。
妖怪は口を大きく開けて、鋭い牙を見せるようにしながら噛み付く体制に入った。
味わったことの無いような衝撃に備えて目を瞑りながら、文は「最後の言葉ももっとカッコイイのにすればよかったなぁ…失敗失敗」と思った。
しかし噛み付かれたという痛みはいつまでも無く、その代わりにグギャーッ!という妖怪の叫び声が文の耳に聞こえてきた。それと同時に先程まで身体に感じていた重みが無くなった。
痛む身体に鞭を打って起き上がらせると、妖怪は文から10メートル以上吹っ飛んでおり、左肩から血を流しながらジタバタと暴れていた。そして、暴れている妖怪の前には血の付いた太刀を掲げて立っている人物がいた。その人物は恐らく格好から見て白狼天狗の少女であると思われる。
そんなことを思っていると、痛みに慣れてきたのか血を流しながら自身を斬りつけた白狼天狗に向かって走ってきた。しかし白狼天狗は意図も簡単に突進を避けると、妖怪の右足をその太刀で斬りつける。
右足を斬りつけられてしまった妖怪は頭から盛大に転んでしまった。そして白狼天狗は大きく跳躍して、起き上がるのに苦労している妖怪の前に飛び降りると妖怪の顔に太刀を軽く当てる。
その白狼天狗の行動の意味を察したのか、妖怪は片手と片足を引きずりながら草むらに入っていった。
しかし白狼天狗は警戒を怠っていないらしく、妖怪が去っていったあとでも、しばらくの間は草むらを凝視しながら太刀を構えていた。
助けられたから……或いは他にも理由があったかもしれないが、私はどうしてもこの白狼天狗の少女の姿を写真に収めたいという衝動に駆られ、気が付いたらカメラで一枚だけ撮影していた。
「あの、大丈夫ですか!」
安全を確認し、太刀を鞘に仕舞うと彼女はトテトテという擬音が似合いそうな走り方で私のところまでやってきた。さっきまで凛としていた表情は欠片もなく、逆に子犬を連想させるように彼女の大きな目はウルウルとしていた。そんな彼女のギャップに私は唖然として返事が出来なかった。
しかし何をどう勘違いしたのか、彼女は頭を抱えてその場に座り込むと「うわー! 私がもうちょっと助けるのが早ければ助けられたのにー!」と言いながら泣き出してしまった。
いやいやいや!返事は確かにしなかったけど、私いま上半身ちゃんと起こしてる状態よ!凄く痛いけど。
突っ込みたいことは山々あるが、まずはわんわん泣いている彼女を泣き止ますのが先決であろう。
さきほどより幾分か楽になったが、まだ覚束ない足取りで泣いている彼女のところまで歩み寄る。
「え~と、とりあえず泣きやんでくれる? 私はこの通り―――」
「ぅわあああああ!? ごめんなさい、ごめんなさい! 私の力不足で助けられませんでしたが、どうか祟らないでくださいッ!!」
「いやいやいや! 私は貴方のおかげでこの通り生きていますよ!? ほら、足だってちゃんとあるでしょ?」
「ぐす…ふぇ?」
すると彼女はペタペタと私の足を触りだした。ズキズキと痛むが、助けてもらった手前、文句を言うわけにもいかないのでしばらく彼女の好きにさせることにした。
彼女が触り始めてから5分くらい経ったころにようやく彼女は触るのを止めた。
「ね、本物の足で――― 」
「うわあああああああん!?」
なんでまた泣き出しちゃうのよ!?
「ちょ!? 今度はどうしたの!?」
「よがったあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 死んでなくでよがったあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! うわああああああん!」
…なんだかもう、助けてもらってこう言うのはなんですけど、赤子をあやすくらいに面倒臭そうな娘です。
そのまましばらく「よがっだ!」とか「生きでるんですね!」しか言わない彼女を落ち着かせる兼ちゃんとしたお礼を言うために私の家に連れて行くことにした。
「落ち着いてくれたかしら?」
「はい、取り乱してすいませんでした。その上、ご飯まで食べさせてもらって…」
家に着いてもなかなか泣きやんでくれない彼女に、ダメもとで冷蔵庫に残っていたお肉を使って焼肉を御馳走してあげたらケロッと泣きやんでくれた。お肉様様ですね。
「別にご飯ぐらい御馳走するわよ。なんたって、貴方は私の命の恩人なんですから」
「いえ、そんなことは」
「そんな謙遜しないでください。本当に貴方には感謝してるんですから。ありがとうございます」
「わ、わぅ~」
彼女はそう言いながら頭を抱えて俯いてしまった。しかしもふもふとした白い尻尾を左右に振っていることから相当嬉しいのだろう。もう連想とかではなく、本当に子犬なんじゃないかなと思ってしまった。
それから普通に焼肉を2人で楽しんでいたのだが、彼女は時折部屋の中をキョロキョロと見回していた。
どうしたのかと思い私は彼女に声を掛けてみた。
「どうかしました?」
「いえ、なんだか部屋の至るところに紙が落ちてるなと」
彼女の言う通り、部屋の至るところに丸められた紙が落ちている。仕事場以外の場所でも原稿を書いたりしているので、その辺に紙が落ちていても私には普通の光景だが、彼女には気になったそうだ。
「すいませんね。食べるところなのにこんな汚れていて。いま片付けますので」
「あ、いえ! それは大丈夫なんですけど、もしかして物書きさんなのかなと思って」
「物書きというよりブン屋ですね」
もしかしたら辞めるかもしれない、とはさすがに言えませんでした。
「へ~、ブン屋さんですか。ちなみにどんな新聞なんですか?」
「文々。新聞っていう新聞ですよ」
「そうですか。あの、もしよろしければどんな新聞か見せてもらってもいいですか?」
「え!? いや、その……」
私は酷く動揺した。それは、はたてから言われたあの一言を思い出したからである。
もし、彼女に私の新聞を見せて面白くないと言われてしまったら……。才能がないと言われてしまったら……。
そんな臆した考えが私の頭を掛け回る。
……しかし、それもいいのかもしれない。彼女に面白くないと言われても。
逆にその方がなんの未練もなく吹っ切れると思う。
そう考えただけで私の心は少しだけ軽くなった気がした。
「いいですよ。ちょっとだけ待っていてください」
「本当ですか! ありがとうございます!」
彼女にそう言ってから私は作業部屋に向かった。
作業部屋に向かう途中に私は昔のことを思い出していた。
初めて写真を撮ったこと。
初めてネタ探しをしていて怪我をしたこと。
初めて自分の新聞を発行したこと。
色々な思い出が脳裏を過ぎり、もしかしたら自分は今日で新聞作りを辞めるかもしれない、そう思うと自然と目頭が熱くなっていた。
部屋に入ると、私は一目散に作った新聞が置いてある場所に向かう。そして、積み上げられた新聞の一番上に置いてあるのを手に取る。それは、はたてと言い争いの数日前に発行した実質の最新号であった。
数ヶ月放置していた所為で溜まってしまった埃を取り払い、泣いたことをバレないようにする為に、洗面所で顔を洗ってから彼女の待つ部屋に戻っていった。
「お待たせしました。えっと、いま作っている新聞の1つ前に作ったのだからちょっとだけ古いですよ?」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。どんなこと書いているのかな~」
そう言って私の新聞を読み始める彼女。
しかし先ほど「面白くないと言われてもいい」と言ったが、彼女に渡す前もそうだったが渡した後でも手がフルフルと震えてしまっている。言葉では強がっていても内心ではこんなにも弱い私だった。
その証拠に、一枚一枚ページを捲る彼女を見ようとしては彼女がどんな表情を浮かべているか怖くてすぐに俯いてしまう。
それでも頑張って彼女の顔を見てみると、彼女の表情は驚愕を表していた。まるで「こんな酷い新聞読んだことない」といった感じだった。
ある程度は覚悟を決めていたが、やはり実際にそうなると私が感じるショックは壮絶のものだった。
しかし、これで本当に吹っ切れました。本日をもって、私は新聞を作るのを、文々。新聞を作るのを辞めることにします。
新聞作りを辞めたらこれからどんなことをしようか、そんなことを考えていると彼女は私が驚くことを言ってきた。
「す、凄いですよ! こんな凄い新聞読んだことないです! 今まで読んだどの新聞よりも情報が多いし、読んでいてとても面白いです!」
………。
彼女はいまなんと言った?綺麗で優しい……いや、そんなこと一言も言っていませんよ!
凄い新聞?読んでいて面白い?
私の耳がちゃんと正常だとしたら彼女はたしかにそう言っていた。
「えっと、なにが面白いと?」
「? ですから貴方の新聞ですよ! どうしてこんな凄い新聞に今まで気が付かなかったのか不思議なくらいです!!」
純粋。彼女は純粋にそう言ってくれています。私もブン屋をして長いですから、お世辞かそうでないかのことは見抜くことが出来ます。しかし、彼女の言葉にはお世辞は含まれていませんでした。
ただ純粋に面白いと言ってくれたのです。
「でも失礼かもしれませんが、この人里の特集記事。私みたいに人里に行ったことのない妖怪が読んだらちょっと理解するのが難しいと思います――って、どうして泣いているんですか!?」
「えっ…?」
手で顔を触ってみると、どうしてか分からないが涙が出ていた。
分からない?本当はどうして涙が出たのか分かっている。簡単なことです。
嬉しいから。彼女の純粋な言葉が嬉しいからに決まっています。
涙が出た理由を見つけるのは簡単だったが、それを止めるのは難しいようで、止めたくても私の意志を無視して涙はどんどん溢れ出てくる。
「えっと、何か失礼なこと言いましたでしょうか!? それより泣かないでください!」
数時間前の私みたいに必死になって泣きやまそうとする彼女。
しかし涙腺は、そんな彼女の意志も無視して遠慮なく涙を出し続けた。
結局、私は彼女と同じくらいの時間を泣き続けていた。
「すいませんでしたね、何かと迷惑を掛けて」
「いえ、こちらこそご飯ありがとうございました」
時刻は次の日に変わろうとしている12時の少し前。ようやく泣きやむことが出来た私は、目や鼻を真っ赤にしながら見送るために、彼女と一緒に玄関の前に立っていた。
そこで数分会話をして、彼女が飛び立とうとしたとき「あっ!」と声を上げて私に振り向く。
「最後に一つお願いをしてもいいですか?」
「? ええ、いいですよ」
「次の新聞が出来たときは…その、私も購読したいので届けてくれませんか?」
その言葉を聞いて、私はすぐに答えることが出来ずに少し考えました。
はたてに言われたあの一言。
もし新聞作りを辞めなかったとしても、また面白くないと同じようなことを言われてしまうのではないか?
それならいっそのこと、辞めてしまった方がいいのでは?
そんなことを再び考える私。
しかし、唐突に彼女が新聞を読んでいるときに言っていた言葉が聞こえてきた。
「でも失礼かもしれませんが、この人里の特集記事。私みたいに人里に行ったことのない妖怪が読んだらちょっと理解するのが難しいと思います」
先ほど彼女が言ってくれたこの言葉。
この彼女の言葉で、私は新聞を作る才能よりも大事なことを欠いていたことに気が付きました。
それは、読む相手を楽しませることでした。
思えば、はたてにあの言葉を言われるまでの私は、自分だけが楽しければいいという考えで新聞を作っていた気がする。それはとどのつまり、自己満足だけで出来た新聞である。そんな新聞では面白くないと言われても仕方がない。
自分ではなく、読む相手を楽しませなければいけない。
私は文字を扱う者として初歩的なことを忘れていたようです。
しかし私が導き出したこの答えが100%正しいかは分かりません。ですが、自信に満ちた声で私は彼女に言ってあげました。
「勿論いいですよ! でも、まだネタが決まっていないのでもう少し時間が掛かると思いますけど、出来上がったらまず最初に貴方に持って行くわ」
「あ、ありがとうございます! それでは私はこの辺で!」
「えぇ、それじゃあね」
互いに言葉を交わすと、彼女は暗い夜空へと飛んでいった。
そして彼女が完全に見えなくなって家の中に入ろうとしたとき、私は一つだけ忘れていることがあった。
「そういえば彼女の名前を聞いてなかったですね。……でも、次に会ったときに聞いておけば大丈夫ですね」
そう言って夜空に背を向けると私は家の中に入って行った。
――翌日
「………」
「………」
清々しいくらい晴れている天気の中、玄関の前で私はある人物と驚愕の表情を浮かべながら見つめ合いをしていた。見つめ合いをしている人物とは、昨日私の命を助けてくれ、ブン屋として大切なことを思い出させてくれた彼女です。
なんで彼女がここにいるの?
その疑問の答えは、彼女と見つめ合いをしている最中に聞こえてきた電話が答えてくれた。
彼女のこともあるが、まずはいま鳴り響いているこの電話を静めることが先決である。彼女に一言残してから私は電話のもとに駆け寄る。
受話器を手に取り、一度深呼吸してからいつも通りのテンションで挨拶をする。
「はい、おはようございます! 毎度お馴染み、清く正しい射命丸です! え、スリーサイズは幾つかですって? なにを朝っぱらから聞いているんですかこの変態さん! それでどちら様ですか?」
「…お前はいつもそんなことを言いながら電話に出るのか?」
その声を聞いて一気に血の気が引いて行きましたね。
だってそうでしょ?いつも通りにして電話に出たら、その相手が大天狗様だったなんて。
電話越しなのに私はペコペコと頭を下げながら謝るが「スリーサイズはちゃんと私に報告するように。それと、用件を言っていいか?」と大天狗様が言ってきたので大人しく聞くことにした。
大天狗様が言うには、今日私のところに部下として白狼天狗が一人来るそうなので、面倒臭がって取材と称して逃げたりしないように、とのことだった。
大天狗様。その部下とは、今まさに私の目の前にいるこの彼女ですか?そして、なにげセクハラ発言されていませんでした?
そう聞こうとしたら大天狗様は一方的に電話を切ってしまったので、なにも聞くことが出来なかった。
仕方がないので受話器を置いて、玄関で待っている彼女に聞くことにした。
「えっと、まず貴方は私の…」
「ははははい! その貴方……射命丸様の部下としてきました犬走椛でございますです!」
緊張しているのか、どこかぎこちない言動で彼女、犬走椛はそう言ってきた。
「別にそんなに緊張しなくていいわよ?」
「すいませんでした!」
「いきなりなんで謝るんですか!?」
「いえ私、失礼なことですが射命丸様は名前だけでしか知らなかったので、顔とか分からなくて! それで、昨日御会いしたときに友達と同じ接し方をしてしまいまして、本当にすいませんでした!」
その言葉を聞いた瞬間「はぁ?」と思わず口にしてしまいましたよ。
いやいやいやいや!私はそんなことで怒るような性格じゃないし、仮に切れやすい性格だったとしても命の恩人相手にそんなつまらないことで怒ったりしないわよ!?そしてなにより、昨日私を助けてくれたときのあの凛とした貴方はどこに行ってしまったんですか!?
心の中で突っ込んでいると、真剣になって突っ込んでいる自分が可笑しく思えてきて、自然と笑っていました。
しかし彼女は、笑っている私を見てなにを思ったのか、さらにペコペコと謝りだしてしまった。
「あははははは、もう貴方みたいな娘が部下で大丈夫ですかね?」
「わう~…すいません」
「いえいえ、これは私なりの褒め言葉ですよ? それと、私の部下になったからには常に堂々としていてくださいね」
「え? ど、堂々と…ですか?」
「そうです。そして、これからよろしくね犬走さん」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いします射命丸様!」
その後、恥ずかしいからと言ってカメラの撮影を拒んでいた彼女を「貴方が部下としてきた記念日だから」と説得して、玄関の前で一枚撮影しました。だけどやっぱり恥ずかしかったのか、現像してみると顔をトマトみたいに真っ赤に染めた彼女が写っていました。
◆ ◆ ◆
「あの日から随分と経ちましたね」
窓からオレンジ色に染まった夕日を浴びながら、誰に言うわけでなくそう呟く私。
「そうですよね、椛?」
「わうっ!?」
今まさに後ろから私の胸をもみもみしようとしていた人物に声を掛ける。その人物は、先ほどまで回想に出てきていた犬走椛である。
どうしてあの恥ずかしがり屋だった椛がこんな変態さんのようなことをするようになったかは不明である。
「もぅ~、もうちょっとで『椛(が)もみもみ』が出来たんですけど……」
「ホントなんでこんな風になったんでしょうかね…?」
「わう?」
素っ頓狂な声を出しながら首を傾げる。こういうのは昔と変わらずに可愛いんですけど。
…昔と変わらず、ですか。考えてみれば、変態行為以外は全然変わっていないんですよね。
時折見せてくる可愛いしぐさ。
いまだに暗闇が怖いこと。
そして、私の部下でいてくれていること。
正直、自分でも嫌になるくらい私は素直じゃない性格だったり、相手を怒らせてしまう言動をしてしまう。
だから、椛が部下になってくれても嫌気が差してすぐに部下を辞めたがると思っていた。
しかし、彼女はあの時から変わらずに私の部下でいてくれている。
犬走椛は、私の命を助けてくれたり、ブン屋としての大切なことを思い出させてくれたり、部下でいてくれたり、とにかく私の妖生の半分近くを共にしている大切な存在である。
もしかすると、今日このアルバムを見付けたのも神様がくれたキッカケかもしれない。
だから、普段素直じゃない私は今日だけは素直になってみることにした。
「ねぇ椛?」
「なんですか文様?」
「ちょっとこっちに来てくれるかしら」
「わう! 文様がそんなこと言うなんて珍しいですね」
変態さんモードの顔で近づいてくる椛。
そんな変態さんを私は勢いよく抱きしめてあげる。
私の予期しない行動に椛は尻尾をピン!と硬直させて、あの時みたいに顔を真っ赤に染めてしまう。
「あ、あああ、あにゃあにゃ、ぁ文様!?」
「ねぇ椛。私と貴方が初めて会ってから随分と経つじゃない」
「そそ、そにぇがどうしましたです!?」
「貴方は私の命を助けてくれたり、ブン屋として大切なことを思い出させてくれたり、ずっと私の部下でいてくれたりしているわ」
「え、えっと……」
「そんな貴方は私にとって大切な存在よ。それでね、区切りってわけじゃないけど貴方に言っておくわ」
背中にあった手を椛の顔まで持ってきて、優しく彼女の頬に手を当てる。
もう「あぅあぅ」としか言えていない椛に微笑む。
「ありがとうね椛。これからも私の部下で、私の大切な存在でいてください。大好きです」
そして椛の唇に私のを触れさせる。
「わふううううぅうぅううぅうぅ!!?」
ボン!と顔から湯気を出しながら椛は後ろに倒れそうになるが、なんとか私が支えることに成功した。
顔を真っ赤にしながら目を回している椛。多分、私の顔も椛に負けないくらい顔が真っ赤だろう。
とにかく、しばらく目を覚ます気配がない椛を自室に連れて行くことにした。
明日辺りに新聞を発行する予定でしたけど、数日の間はこの白狼天狗が抱きついたままになるだろうから、しばらくは仕事を休むことにしますか。
所々のネタにクスッとさせられました
最近、文霊夢が多区なっている中、良い文椛を有り難うございました
追伸(文ちゃんのスリーサイズは拙にも教えてくれい)
書き物をするときには、本当に『読んでくれる人』のことを一番に考えないといけませんよね。
このお話を読んで、僕も初心に帰る思いでした。
写している?
ニヤニヤが止まらない!あやもみひゃっほい!
後、私にもスリーサイズを教えて頂きたい