永遠亭の主であり、事実上私の飼い主であるところの姫様こと蓬莱山輝夜氏は、お師匠様をたいへん愛しておられる。
ゆえに時々意味のわからない行動に走ることがあるが、そんな姫様のわがままに付き合わされるのは今に始まったことではないので、私は溜息をつきつつ、厄介事に無限に巻き込まれていく自分の運命に、ただひたすら従順になることにしている。
「イナバ、永琳に悪戯するわよ!」
てゐとコタツにはいってうだうだしていると、姫様がどたどたと足音やかましくやってきて、したーんっと勢いよく障子を開いたのち、そう宣言した。
「はぁ。またですか」
「なにようノリがわるいわね。貴女だって永琳のあわてふためく様子は見たいでしょう」
「私は姫様よりももっとオトナなのです。ちょっとやそっとの悪戯で引き出せる反応などたかが知れています。私が知りたいのは夜のお師匠様です」
「? よくわからないことをいうわね。それよりもほら、はやくはやく。今度はちゃんと計画があるのよ」
「はぁ……もう、しょうがないですね。てゐ、あんたもつきあいなさいよ」
「いてらー」
てゐはコタツにつっぷしたままひらひらと手を振った。私とてゐは兎角同盟なるものを結成しているはずなのに、まるで盟約を守ろうとしない薄情な兎である。そんなわけで、はしゃぐ姫様の手に引かれるまま、私はお師匠様の部屋の前に向かった。
「さて、御覧の通り永琳はいまお仕事中よ」
「見ればわかります。いつもながら、すらっと伸びた背がかっこいいですね」
「ええそう、束ねたおぐしの間からちらりとのぞく白いうなじも……まぁそんなことは今はどうでもいいの。これからてゐもびっくりの悪戯を仕掛けるわよ」
「へぇ、それってどんなのですか?」
「これよ!」
ドジャァァァ~~~ン、という架空の効果音とともに姫様が取りだしたのは、なんだか変な色をした傘だった。握り手の部分が下駄みたいになっている。全体的に茄子みたいだ。
「その傘、どうしたんですか?」
「さっき竹林お散歩してたら、てゐの罠に引っ掛かったまま気絶してた妖怪がいてね。その子が持ってたのよ」
まるきり強盗である。仮にも元月の姫様なのにいったいなにをしているんだろう。
「それよりも、これのどこに驚きの要素があるんでしょう。握り手以外はごくごく普通の傘みたいですけど」
「と思うでしょう? でもね、ふふふ……こうよ!」
姫様が下駄のあたりを強く握りしめると、何もなかった傘の表面からくわっと目玉が浮かび上がり、「このロリコンどもめ!」と叫び声を上げた。
どういうことだろう。まったく意味がわからない。
「どう? 驚いたでしょう?」
「はぁまぁ、大声にはちょっとだけ驚きましたけどね……」
「ふふふ、これがあれば、永琳だって目ん玉ひん剥いて驚くに違いないわ……!」
「まぁはしたないお言葉遣い。それでいったい何をするつもりなのかしら?」
「それはもちろん……え?」
後ろを見ると、お師匠様が邪悪な笑みを浮かべながら立っていた。そりゃああんな大声を上げれば、気付かれるのも当然。
「えーと、あの」と、しどろもどろになる姫様。
「もう一度きくわ。それでいったい、なにをなさるおつもりだったのかしら?」
「……」
姫様は俯いたあと、なんでか勢い良くお師匠様の胸元に飛び込んで行った。
「ごめんなさい! 実は、イナバに悪戯に付き合えって無理やり……」
ああ、お師匠様のお胸気持ちよさそう……とぼんやりしていると、燃えたぎる殺意のオーラがこちらに向いたので、すかさず逃げの体勢を取った。
「逃げられると思ってるの?」
鈍い音を立てて、横の壁に矢が突き刺さった。
「ウドンゲ、お仕置きね」
というわけで、午後いっぱい私はお師匠様の部屋であえぎ声と悲鳴を交互に上げることになったのである。
お仕置きが終わったあと、私は姫様がパクった傘を返し、ついでにてゐの姑息な罠から救い出してあげるために、波長を探って哀れな妖怪を探し回った。
見つけ出して罠を解除してやると、小柄なその女の子は後生大事そうに茄子傘を抱きしめ、「あ、ひっく、ありがと、ございまちたぁ」と嗚咽の混じった感謝の言葉を述べてくれた。そこでようやく、あの傘がなぜあんな叫びを上げたのかがわかった。なるほど……これはロリコンなどじゃなくても、その可愛さにコロっと行ってしまい、言葉巧みに誘い出してお持ち帰りしたい気にもなる。傘はさしずめ、あの子の貞操を守るためのナイトといったところだろう。
当然、私はロリコンなどではないし、お師匠様のお仕置きで深く満足していたので、女の子をちゃんと竹林の外まで案内してあげた。
さて次の日の三時ごろ。冬にしては珍しくぽかぽかと明るい日差しのもと、縁側でてゐを膝にのせもふもふしていた私のところへ、姫様がまたもや足音騒がしく駆けつけてきた。
「イナバ、永琳に悪戯するわよ!」
「はぁ、またですか。姫様も懲りないですねぇ」
「ふふふ、前回は下手に作戦を立てて失敗したから、今回はノープランでいくわ!」
「それ、いつも通りってことじゃないですか」
「やってみなきゃわからないでしょ! ほらほら早く!」
「はぁ……ほら、てゐ、今日は付き合ってよね」
「むにゃ……ダイコクさまぁ……もっと撫でて……」
幸せな夢を見ているてゐをお姫様だっこして、廊下をてくてくと歩いていく。
ふと姫様が立ち止まりこちらを振り向く。なにやら羨ましそうにてゐを見ているけれど、どうしたのだろう。
「姫様?」
「それ、なんだか楽しそうね……」
「姫様もされたいですか? ホントのお姫様だっこになりますよ」
「い、いえ、そんな子供じゃないわ。それよりほら、永琳よ。珍しく料理中だわ」
確かに、台所にはお師匠様が立っていて、ぐつぐつと湯気の出ている鍋をかきまわしている。よほど機嫌がいいのか、鼻歌まで聞こえてくる始末だ。この状況を拝めるだけでもめっけもんだと思うのだけれど、姫様はそれくらいでは満足しない。
「さて、イナバ、悪戯するわよ。何か意見を出しなさい」
「え? ……まさか、ほんとのほんとにノープランなんですか?」
「そう言ったじゃない。さぁ料理が終わらないうちにはやく!」
「と、言われましてもですね……ほらてゐ、出番よ」
「うーん……にんじんおっきすぎるよぉ……もうむりぃ」
ぐらぐらと揺さぶってみるも、てゐは未だに夢の中。だけどそのポケットから何かが転がり落ちたので、それを拾い上げた。
「それ、なあに?」
「これは、てゐ特性激辛七味唐辛子ですね。えげつないくらい辛いですよ」
これはてゐとのおやつの時によく使用されるものである。てゐは手癖が悪いので、私が目を離したわずかの隙を狙ってお茶や善哉にこれを振りかけ、溶け込ませる。そうなったお茶やお菓子はもう食べ物とはいえない、香辛兵器と化す。過去それで何度私の唇が三日間はれ上がったことか、その事例は枚挙に暇がない。ともあれ、お茶に唐辛子をいれたかいれなかったかのてゐとの激しい読みあいは、慣れてみると結構楽しいのでお勧めする。
「でかしたわ、イナバ。それよ」
「まさか、隙をついてお師匠様の料理にこれをいれるっていうんじゃないでしょうね」
「わかってるじゃない。さすが私のペットね、以心伝心とはまさにこのこと」
「私は食べ物を粗末にされるのは嫌いなんです。いれるのなら、私の目の届かないところでどうぞ」
「ふん、根性無しね。いいわ、私の華麗なる手口を見せてあげる」
「見ないって言ってるでしょうに……」
仕方なく、私は近くの部屋の座布団にてゐを下ろして毛布を掛け、再び台所の入口で姫様と待機する。じっとしていると、料理にひとだんらくついたのか、お師匠様はお鍋にふたをして勝手口から出て行った。ここぞとばかりに姫様が台所に押し入って鍋のふたをあけ、中に激辛七味唐辛子を一本まるまるおいれなすった。前も思ったけど、姫様には盗人とか向いてるんじゃなかろうか。
「ふふん、鮮やかなもんでしょう」
「いやそんな可愛らしいドヤ顔されても。あんなの私だっていれられますよ。しませんけど」
「ふふふ、味見をする時の永琳の慌てふためく様が楽しみね! 自分の料理に絶対の自信を持っていた永琳が、何かの手違いで大失敗を犯してしまったことに気付いて、恥辱に顔を赤らめる……そんな表情がはやく見たいの」
笑顔で恐ろしいことをおっしゃる。これだから姫様はやめられない。
ただし、肝心なところで詰めが甘いのも姫様のチャーミングポイント。私にはこの試みがうまくいかないだろうなという予感がしていた。当然、確信ではない。なんとなくだ。
「あ、ほら、戻ってきたわ!」
お師匠様は台所に入ると、まっさきに鍋の蓋をあけて中の具合を確かめた。おたまを持ち、とろとろのシチューを少量すくいあげ、その赤くなまめかしいお口に運ぼうとする。姫様は隣で静かに興奮している。私もまぁそれなりに、涙目なお師匠様を拝めるかもと思うと悪い気はしなかった。
「ん。美味しい。よくできてるわ」
えっ、と姫様が驚きの声をあげるも、自分の成功にご満悦のお師匠様には届かない。そのままもうひとすくい口に運ぶと、火を消して食器の準備を始めた。
「やっぱり、詰めが甘かったですね」
「ええ、どうして? 永琳、味オンチってわけでもないのに……」
「一つだけ、やや屁理屈っぽいですが納得できる理由があります」
「なに?」
「七味唐辛子とか、胡椒とか、ワサビとかを総称して何と呼ぶか御存知ですか」
「んん? その繋がりなら……やくみ、かしら」
「そう、やくみ。漢字で書くと薬に味ですね」
「それがどうしたの?」
「お師匠様の能力を思い出してください。お師匠様には、薬はいっさい効きません。蓬莱の薬は除くとして」
「それって、まさか――」
「つまり、『薬』という言葉の入ったものはすべて無効にするのでしょう。あのシチューは、お師匠様にとってだけは普通の味がするのです」
「……そんな馬鹿な話があるかしら」
姫様は俄には信じられないご様子。私だって本気でこんなことがあるとは思っていないけれど、そうでも言わない限り、この状況に説明がつかないのだから受け入れるしかない。
「さっきからこそこそと、何をやっているのかしら?」
「あ、い、いや、別に何でもないの」
ついにお師匠様が気付いて、こちらにやってきた。姫様は悪だくみをしていたのがはっきりわかるくらいに動揺している。
「? まぁいいわ。それより二人とも、いまシチュー作ってみたんだけど、味見をお願いできないかしら? 私としては、美味しく仕上がったと思うのだけど……」
「アッ、私用事を思い出したわ。イナバ、味見しておあげなさい。それでは」
晴れやかな笑顔で提案するお師匠様。姫様はそう言い残すと、音速の勢いでこの場から消え去った。
「ウドンゲ、頼めるかしら」
「……えーと」
逃げ出そうかとも思ったけれど、お師匠様の反則的にきらきらした子供っぽい瞳に、この期待を裏切るわけにはいかないなと思い直した。主の失敗をなんとかするのも従者の務め。咲夜さんがそう言っていた。
「じゃあ、一口だけいただきます」
おたまを受け取って一口、ぺろりと舐めてみる。藤原妹紅よろしく火を吹き出しそうになる。お師匠様のせいじゃないけれど、こんなのを兎たちに食べさせるわけにはいかない。どうすればいいだろう。
このことについて私がとった解決策は次のようなものである。まずかねてから溜まっていた仕事中のてゐの失敗を私の失敗としてお師匠様に報告した。お師匠様は「夜はおしおきね」と素敵な笑顔で言い残したあと、尻ぬぐいするために台所を離れた。その間に私は新しくシチューを作りなおした。残った激辛シチューはどうすべきか少し悩んだものの、やはり食べ物を粗末にするのは私の流儀に反するので、別の鍋で作りなおしている間にちびちびとすべて呑みほした。
そんなわけで今、私の唇はたらこみたいに腫れ上がっている。明日のトイレが怖い。
ある午後、日ごろの労をねぎらってか、縁側で姫様に膝枕してもらってなでなでされているときに、訊いてみたことがある。
「どうしてそんなお師匠様に悪戯したがるんですか?」
「ふふふ。愚問ね。そこに永琳がいるから、よ」
ウィンクしてなにやらいい事を言ったような気になっている姫様。でもなでなでしてくれるその手が気持ちいいから、まぁこれからも付き合っていいかなぁと思う。
ゆえに時々意味のわからない行動に走ることがあるが、そんな姫様のわがままに付き合わされるのは今に始まったことではないので、私は溜息をつきつつ、厄介事に無限に巻き込まれていく自分の運命に、ただひたすら従順になることにしている。
「イナバ、永琳に悪戯するわよ!」
てゐとコタツにはいってうだうだしていると、姫様がどたどたと足音やかましくやってきて、したーんっと勢いよく障子を開いたのち、そう宣言した。
「はぁ。またですか」
「なにようノリがわるいわね。貴女だって永琳のあわてふためく様子は見たいでしょう」
「私は姫様よりももっとオトナなのです。ちょっとやそっとの悪戯で引き出せる反応などたかが知れています。私が知りたいのは夜のお師匠様です」
「? よくわからないことをいうわね。それよりもほら、はやくはやく。今度はちゃんと計画があるのよ」
「はぁ……もう、しょうがないですね。てゐ、あんたもつきあいなさいよ」
「いてらー」
てゐはコタツにつっぷしたままひらひらと手を振った。私とてゐは兎角同盟なるものを結成しているはずなのに、まるで盟約を守ろうとしない薄情な兎である。そんなわけで、はしゃぐ姫様の手に引かれるまま、私はお師匠様の部屋の前に向かった。
「さて、御覧の通り永琳はいまお仕事中よ」
「見ればわかります。いつもながら、すらっと伸びた背がかっこいいですね」
「ええそう、束ねたおぐしの間からちらりとのぞく白いうなじも……まぁそんなことは今はどうでもいいの。これからてゐもびっくりの悪戯を仕掛けるわよ」
「へぇ、それってどんなのですか?」
「これよ!」
ドジャァァァ~~~ン、という架空の効果音とともに姫様が取りだしたのは、なんだか変な色をした傘だった。握り手の部分が下駄みたいになっている。全体的に茄子みたいだ。
「その傘、どうしたんですか?」
「さっき竹林お散歩してたら、てゐの罠に引っ掛かったまま気絶してた妖怪がいてね。その子が持ってたのよ」
まるきり強盗である。仮にも元月の姫様なのにいったいなにをしているんだろう。
「それよりも、これのどこに驚きの要素があるんでしょう。握り手以外はごくごく普通の傘みたいですけど」
「と思うでしょう? でもね、ふふふ……こうよ!」
姫様が下駄のあたりを強く握りしめると、何もなかった傘の表面からくわっと目玉が浮かび上がり、「このロリコンどもめ!」と叫び声を上げた。
どういうことだろう。まったく意味がわからない。
「どう? 驚いたでしょう?」
「はぁまぁ、大声にはちょっとだけ驚きましたけどね……」
「ふふふ、これがあれば、永琳だって目ん玉ひん剥いて驚くに違いないわ……!」
「まぁはしたないお言葉遣い。それでいったい何をするつもりなのかしら?」
「それはもちろん……え?」
後ろを見ると、お師匠様が邪悪な笑みを浮かべながら立っていた。そりゃああんな大声を上げれば、気付かれるのも当然。
「えーと、あの」と、しどろもどろになる姫様。
「もう一度きくわ。それでいったい、なにをなさるおつもりだったのかしら?」
「……」
姫様は俯いたあと、なんでか勢い良くお師匠様の胸元に飛び込んで行った。
「ごめんなさい! 実は、イナバに悪戯に付き合えって無理やり……」
ああ、お師匠様のお胸気持ちよさそう……とぼんやりしていると、燃えたぎる殺意のオーラがこちらに向いたので、すかさず逃げの体勢を取った。
「逃げられると思ってるの?」
鈍い音を立てて、横の壁に矢が突き刺さった。
「ウドンゲ、お仕置きね」
というわけで、午後いっぱい私はお師匠様の部屋であえぎ声と悲鳴を交互に上げることになったのである。
お仕置きが終わったあと、私は姫様がパクった傘を返し、ついでにてゐの姑息な罠から救い出してあげるために、波長を探って哀れな妖怪を探し回った。
見つけ出して罠を解除してやると、小柄なその女の子は後生大事そうに茄子傘を抱きしめ、「あ、ひっく、ありがと、ございまちたぁ」と嗚咽の混じった感謝の言葉を述べてくれた。そこでようやく、あの傘がなぜあんな叫びを上げたのかがわかった。なるほど……これはロリコンなどじゃなくても、その可愛さにコロっと行ってしまい、言葉巧みに誘い出してお持ち帰りしたい気にもなる。傘はさしずめ、あの子の貞操を守るためのナイトといったところだろう。
当然、私はロリコンなどではないし、お師匠様のお仕置きで深く満足していたので、女の子をちゃんと竹林の外まで案内してあげた。
さて次の日の三時ごろ。冬にしては珍しくぽかぽかと明るい日差しのもと、縁側でてゐを膝にのせもふもふしていた私のところへ、姫様がまたもや足音騒がしく駆けつけてきた。
「イナバ、永琳に悪戯するわよ!」
「はぁ、またですか。姫様も懲りないですねぇ」
「ふふふ、前回は下手に作戦を立てて失敗したから、今回はノープランでいくわ!」
「それ、いつも通りってことじゃないですか」
「やってみなきゃわからないでしょ! ほらほら早く!」
「はぁ……ほら、てゐ、今日は付き合ってよね」
「むにゃ……ダイコクさまぁ……もっと撫でて……」
幸せな夢を見ているてゐをお姫様だっこして、廊下をてくてくと歩いていく。
ふと姫様が立ち止まりこちらを振り向く。なにやら羨ましそうにてゐを見ているけれど、どうしたのだろう。
「姫様?」
「それ、なんだか楽しそうね……」
「姫様もされたいですか? ホントのお姫様だっこになりますよ」
「い、いえ、そんな子供じゃないわ。それよりほら、永琳よ。珍しく料理中だわ」
確かに、台所にはお師匠様が立っていて、ぐつぐつと湯気の出ている鍋をかきまわしている。よほど機嫌がいいのか、鼻歌まで聞こえてくる始末だ。この状況を拝めるだけでもめっけもんだと思うのだけれど、姫様はそれくらいでは満足しない。
「さて、イナバ、悪戯するわよ。何か意見を出しなさい」
「え? ……まさか、ほんとのほんとにノープランなんですか?」
「そう言ったじゃない。さぁ料理が終わらないうちにはやく!」
「と、言われましてもですね……ほらてゐ、出番よ」
「うーん……にんじんおっきすぎるよぉ……もうむりぃ」
ぐらぐらと揺さぶってみるも、てゐは未だに夢の中。だけどそのポケットから何かが転がり落ちたので、それを拾い上げた。
「それ、なあに?」
「これは、てゐ特性激辛七味唐辛子ですね。えげつないくらい辛いですよ」
これはてゐとのおやつの時によく使用されるものである。てゐは手癖が悪いので、私が目を離したわずかの隙を狙ってお茶や善哉にこれを振りかけ、溶け込ませる。そうなったお茶やお菓子はもう食べ物とはいえない、香辛兵器と化す。過去それで何度私の唇が三日間はれ上がったことか、その事例は枚挙に暇がない。ともあれ、お茶に唐辛子をいれたかいれなかったかのてゐとの激しい読みあいは、慣れてみると結構楽しいのでお勧めする。
「でかしたわ、イナバ。それよ」
「まさか、隙をついてお師匠様の料理にこれをいれるっていうんじゃないでしょうね」
「わかってるじゃない。さすが私のペットね、以心伝心とはまさにこのこと」
「私は食べ物を粗末にされるのは嫌いなんです。いれるのなら、私の目の届かないところでどうぞ」
「ふん、根性無しね。いいわ、私の華麗なる手口を見せてあげる」
「見ないって言ってるでしょうに……」
仕方なく、私は近くの部屋の座布団にてゐを下ろして毛布を掛け、再び台所の入口で姫様と待機する。じっとしていると、料理にひとだんらくついたのか、お師匠様はお鍋にふたをして勝手口から出て行った。ここぞとばかりに姫様が台所に押し入って鍋のふたをあけ、中に激辛七味唐辛子を一本まるまるおいれなすった。前も思ったけど、姫様には盗人とか向いてるんじゃなかろうか。
「ふふん、鮮やかなもんでしょう」
「いやそんな可愛らしいドヤ顔されても。あんなの私だっていれられますよ。しませんけど」
「ふふふ、味見をする時の永琳の慌てふためく様が楽しみね! 自分の料理に絶対の自信を持っていた永琳が、何かの手違いで大失敗を犯してしまったことに気付いて、恥辱に顔を赤らめる……そんな表情がはやく見たいの」
笑顔で恐ろしいことをおっしゃる。これだから姫様はやめられない。
ただし、肝心なところで詰めが甘いのも姫様のチャーミングポイント。私にはこの試みがうまくいかないだろうなという予感がしていた。当然、確信ではない。なんとなくだ。
「あ、ほら、戻ってきたわ!」
お師匠様は台所に入ると、まっさきに鍋の蓋をあけて中の具合を確かめた。おたまを持ち、とろとろのシチューを少量すくいあげ、その赤くなまめかしいお口に運ぼうとする。姫様は隣で静かに興奮している。私もまぁそれなりに、涙目なお師匠様を拝めるかもと思うと悪い気はしなかった。
「ん。美味しい。よくできてるわ」
えっ、と姫様が驚きの声をあげるも、自分の成功にご満悦のお師匠様には届かない。そのままもうひとすくい口に運ぶと、火を消して食器の準備を始めた。
「やっぱり、詰めが甘かったですね」
「ええ、どうして? 永琳、味オンチってわけでもないのに……」
「一つだけ、やや屁理屈っぽいですが納得できる理由があります」
「なに?」
「七味唐辛子とか、胡椒とか、ワサビとかを総称して何と呼ぶか御存知ですか」
「んん? その繋がりなら……やくみ、かしら」
「そう、やくみ。漢字で書くと薬に味ですね」
「それがどうしたの?」
「お師匠様の能力を思い出してください。お師匠様には、薬はいっさい効きません。蓬莱の薬は除くとして」
「それって、まさか――」
「つまり、『薬』という言葉の入ったものはすべて無効にするのでしょう。あのシチューは、お師匠様にとってだけは普通の味がするのです」
「……そんな馬鹿な話があるかしら」
姫様は俄には信じられないご様子。私だって本気でこんなことがあるとは思っていないけれど、そうでも言わない限り、この状況に説明がつかないのだから受け入れるしかない。
「さっきからこそこそと、何をやっているのかしら?」
「あ、い、いや、別に何でもないの」
ついにお師匠様が気付いて、こちらにやってきた。姫様は悪だくみをしていたのがはっきりわかるくらいに動揺している。
「? まぁいいわ。それより二人とも、いまシチュー作ってみたんだけど、味見をお願いできないかしら? 私としては、美味しく仕上がったと思うのだけど……」
「アッ、私用事を思い出したわ。イナバ、味見しておあげなさい。それでは」
晴れやかな笑顔で提案するお師匠様。姫様はそう言い残すと、音速の勢いでこの場から消え去った。
「ウドンゲ、頼めるかしら」
「……えーと」
逃げ出そうかとも思ったけれど、お師匠様の反則的にきらきらした子供っぽい瞳に、この期待を裏切るわけにはいかないなと思い直した。主の失敗をなんとかするのも従者の務め。咲夜さんがそう言っていた。
「じゃあ、一口だけいただきます」
おたまを受け取って一口、ぺろりと舐めてみる。藤原妹紅よろしく火を吹き出しそうになる。お師匠様のせいじゃないけれど、こんなのを兎たちに食べさせるわけにはいかない。どうすればいいだろう。
このことについて私がとった解決策は次のようなものである。まずかねてから溜まっていた仕事中のてゐの失敗を私の失敗としてお師匠様に報告した。お師匠様は「夜はおしおきね」と素敵な笑顔で言い残したあと、尻ぬぐいするために台所を離れた。その間に私は新しくシチューを作りなおした。残った激辛シチューはどうすべきか少し悩んだものの、やはり食べ物を粗末にするのは私の流儀に反するので、別の鍋で作りなおしている間にちびちびとすべて呑みほした。
そんなわけで今、私の唇はたらこみたいに腫れ上がっている。明日のトイレが怖い。
ある午後、日ごろの労をねぎらってか、縁側で姫様に膝枕してもらってなでなでされているときに、訊いてみたことがある。
「どうしてそんなお師匠様に悪戯したがるんですか?」
「ふふふ。愚問ね。そこに永琳がいるから、よ」
ウィンクしてなにやらいい事を言ったような気になっている姫様。でもなでなでしてくれるその手が気持ちいいから、まぁこれからも付き合っていいかなぁと思う。
俺なら諦めて捨ててるww
何だかんだで皆楽しんでいる様子が伝わってきました。
永遠亭に対する報恩奉仕っぷりに盲信というか若干の狂気を感じもするけど、そこがまたかわいい。
姫様の尻拭いに奔走しているうどんげは健気で苦労人、
こういう時に本領を発揮しそうなてゐはお休み中、永琳はド天然、
イタズラがメインの話なのに、登場人物がみんな可愛くていい。