この作品は作品集72にある『忘れた頃にキャプテンが悪い話』の続きになっています。
先にそちらを読んでいると良いと思います。
誰もが心を許してしまいそうな笑顔で、誰よりも臆病で怖がりな幽霊がいて。
そいつは腹立たしいぐらいに演技が上手くて、いつの間にかそれが素になってしまうぐらい頑張っていて。
そんな馬鹿が、馬鹿なのに哀れすぎて妬ましさすら感じさせずに、一人でぽつんと、こんな所で泣いているから。
私はつい、苛立たしくて声をかけた。
ただ、それだけの始まりだった。
◇ ◇ ◇
普通に尾行されているわね。
手を、痛いぐらい繋がれながら、地底と種類の違う明るく賑やかな里を少し歩いた辺りで、私、水橋パルスィは不満に鼻を鳴らしていた。
隣には、うきうきと子供みたいに楽しそうに、最初ぐらいは紳士的にとキリッとした態度をしていたけれど、すぐに崩れて、今ではどこにでもいそうな少女みたいに、嬉しそうに笑って私にあれこれと声をかける船幽霊、村紗水蜜がいて。私はそれにいちいち、おざなりに返事をしていた。
「……ふん」
気に入らないわね。
ムラサに手をひかれながら、私は不快に顔をしかめる。
この、肌を撫でるざわざわとした、嫉妬という甘美な黒い感情。
だというのに、この素敵な感情をわざわざ私に向けるという的外れな浅はかさ。
あぁ、あぁ、本当にいいご身分だ事で。
チッ、と苛立たしげに舌打ちする。
こんな、真昼間から橋姫といる船幽霊如きをご丁寧に尾行して嫉妬して監視して、そいつらは相当に暇なのだろう、相当に平和に浸かっていたのだろう。と爪をガリッと噛む。あぁ妬ましい妬ましい……
「ね? パルスィ、イチゴ飴食べませんか!」
「…………」
「美味しいんですよ! えと、リンゴ飴より小さいし食べやすいから、パルスィも好きそうだなって思うし、えと。どうでしょう?」
「…………はぁ。……食べるわ」
「はい! じゃあおじちゃん、イチゴ飴を二つ下さい!」
……疲れる。
額を押さえて項垂れながら、元気というか気合の入った声で屋台のおじちゃんに声をかけて、財布を口で銜えて片手で小銭を出しながら、ここでようやく私の様子がおかしい事に気づき、きょとんとした顔でふがふがと塞がった口で心配そうに声をかけてくる、このお子様。
苛立ちがどうでもよいものとして、勝手に力を失ってしまう。
「……あんたって、本当に相変わらずね、ムラサ」
「ふぐ?」
期待していた分、思い切り肩透かしをくらって。面倒になってしまう。
しっかりと、私の手を繋ぐという可愛い拘束はしたままに、いまだ離すつもりがないらしいムラサは、首を傾げつつも慌てて代金を払い。財布をポケットにしまって飴を「はい」と差し出してくる。
ただ手を繋ぎたいが為に、せっかく私の為にと買った花束を、そそくさと道のお地蔵様に供えるぐらいの思い切りの良さだったから。
まあ、いいのだけれど。
「ありがとう……」
「いえ、えと、ここのイチゴはちょっと酸っぱいけど甘くて、イチゴ飴にするとそれがちょうど良くて、……と、とにかく美味しいんです!」
照れた様にえへへ、と屈託無く笑う姿に、苦笑して「はいはい」と、こつんとムラサの額を小突いてあげる。
ムラサは、それが何だか嬉しくて溜まらないという顔で、尻尾があったらそれは忙しないだろうという笑顔で、にこにことぎゅっと手に力をいれてきた。
……こいつ、地味に力が強すぎるから辛いのよね。
「ムラサ、痛い」
「え?」
「手」
繋いだままの手をぶんぶん振ってみせると、ムラサはびくっとして、慌てて手を離そうとするので、そこをすっと繋ぎ直す。「わ?!」って頬を染めて慌てるムラサの姿に、小さく溜息をついて、私は空いた手を差し出す。
「え、え?」
「飴、よこしなさいよ」
「あぅ、はい!」
赤くなったと思ったら少し青くなって、手にした二つの飴を二つとも渡そうとするので、握った手に爪を思い切り立てる。
この、馬鹿は。
「……ったく」
頭が、鈍く痛み出した気すらして、溜息を押し殺しながら、これはどうなっているのよとイライラが募る。
この馬鹿も、聖白蓮? とかいう奴を救って、そして命蓮寺でその恩人と暮らし始めて少しはマシになったのかと思っていたのに、これでは全然変わっていないじゃないか。
少しはこの『馬鹿』も矯正されたと思っていたのに、一輪もぬえも、何をしていたのよ……
こいつの事、それなりに好きだったんじゃないわけ?
「……あの、パルスィ」
「……」
それに、ムラサの奴、ここに来る前から結構ぼろぼろだったのよね。頬には分厚いガーゼ、むき出しの腕や足には生傷、何だか縄で縛られた様な跡すら見えるし……。ちょっと、よく見たら唇も切れてるじゃない。
「ムラサ」
「は、はい!」
「……このイチゴ、酸っぱいのよね?」
「え、はい! パルスィが好きそうな味だなぁって思って、チェックしてたんですよ!」
「……沁みるわよね?」
「え?」
不思議そうな顔をするムラサに、その手の中の二つのイチゴ飴を見て、それからムラサの顔に視線を移して、無表情に苛立ちを隠す。
「だから、それを食べたら、あんたは痛いわよね。唇切ってるし」
「へ? あぁ、そうですね。でも平気ですよ」
「……ふぅん、そう」
ぴき、とこめかみが鳴った音がする。
変わっていない、所じゃない。
何、これ?
こいつと一緒に暮らしている奴ら、何? こいつの馬鹿さ加減を本当に分かっているわけ?
「ムラサ」
「…え? あ、はい」
にこりと微笑んであげると、何を勘違いしたのかぽっと頬を染めてぽけっと此方を見つめてくる。
うん、あんたのそういう素直な所は嫌いじゃない妬ましさよ。
でもね?
「ッ!」
あんたのそういう、自信の無さの表れからくる、無自覚の善意じみた自己犠牲の偽善者行為って、大嫌いなのよね!
パン!! と。
いっそ小気味良いぐらいの乾いた音が、ムラサの頬で盛大に鳴った。
この、大馬鹿が……!
「…………」
で?
予想外に、何であんたはまだ嬉しそうに私の手を繋いでくるのよ……
げんなりと、もうぐったり肩を落として、私はまだ二人で歩いている。
「うん、痛いけど美味しいですよ」
「……あぁ、そう」
「♪」
へこたれないというか、どこかずれている天然というか。
あんなにも人前で恥をかかされたというのに、ムラサは赤く腫れた頬のまま、ぽかんとしたままで。ふんといい気味だとイチゴ飴を二つとも取り上げて、繋いだ手も離して背中を向けた私に、何故かすぐに嬉しそうに駆けて来ると、ぎゅうっと手を繋ぎ直したのだ。
……あぁ、本当にどうでも良くなる。
この幽霊は、本当に面倒臭いのだ。
こんな奴を好きになる物好きは、本当にご愁傷様とこの私が同情したくなるぐらいに。
横目に睨んでみると、ムラサはにこにこしながら、いたいいたいと美味しそうにイチゴ飴を食べている。
はぁ、と隠そうともしない大きな溜息が、盛大に漏れた。
「うん、パルスィは、やっぱり素敵ですね」
「……はぁ?」
反射的にきつく睨むと、変わらない笑顔が前をまっすぐと見て、くすぐったそうにイチゴを舐めていた。
こちらを見てもいない呟きに、私は苛立ってイチゴ飴を噛み切り、その甘さと酸っぱさに、美味しいじゃないのよ、と密かに満足してふん、と鼻を鳴らす。
あぁ、やっぱこいつ面倒臭い。
何が紳士で船長よ。
それを目指す背中に、見ている奴らは軒並み勘違いしてるんじゃないの?
こいつ、ただのガキじゃない。
「……ちょっと、ムラサ」
「?」
「私の出した条件、まさか忘れていないわよね?」
「え、え? どうしたんですか急に」
その焦りだした不安そうな表情に、こめかみをぴくぴくとひきつらせながら、ムラサをギロリと睨むと、ムラサはあたふたしだして、視線を泳がせまくる。
「え、えーと」
「いい? 私はあんたとデートしてあげる時は、あんたがもう少し精神的に成長したら、と言ったのよ? なのにあんた、ちっとも変わってないじゃない!」
「え?! ……そ、そんな事はないですよ! これでも、その、思う所があったりして、今までできない事が出来たり、とか、感じる事があって、これならパルスィとって……ッ」
「そんなあんたの自画自賛なんてあてになる訳ないわよ。他人の評価は?」
「……! ……え、と」
ひっぱたく。
遠慮しないで叩いたから、ムラサは「あた?!」って首をぐきっと鳴らしていた。
「……痛い、です」
「帰るわ」
「えぇっ?!」
「私、デートでは相手に妬ましいぐらいリードされるのが好みなのよね。あんたみたいなお子様とのお遊びに付き合っている暇はないの」
「ぱ、パルスィ!?」
情けない悲鳴を無視して、乱暴に手を離して歩く。本当に時間を無駄にした。これなら、地底でヤマメのキスメの相手とついでに勇儀の相手でもしていた方が、よっぽど…………、ん?
「……何のつもり?」
服を、掴まれている。
そしてよく見れば、足には錨が後一歩でひかっかる様に具現されていて。
……。割と、本当に驚いて、目が丸くなる。
「い、いえ、いやだって。……せ、せっかくお手紙出してようやく、デートをオーケーして貰えて、こ、このままお別れは、い、やかな? って」
「…………」
へぇ?
「いやなの?」
「……う、うん。いえ、はい」
「私を力づくで止めたいぐらい?」
「え?! あ………は、はい。……でも、そこまで嫌なら、その」
「…………」
へえぇ? ふんふん。ほぅ? 何よ、うん。それなら、早く言いなさいよ。
「前言撤回」
「……え?」
泣きそうな顔の、情けないセーラー船長の顔をじっと見て、ふっと笑いかける。
成長、まあ小指の先ぐらいは、しているじゃない。
我侭、少しは言える様になってるじゃない。
ふふ、と笑う。
「そうね、デートをしましょうか?」
「ッ!!」
一息に真っ赤になってこくこく頷くムラサに、離した手をそっと差し出すと、嬉しそうに握り返された。
優しく丁寧な冷たい手の感触に。
また、へぇ、と。
「……前言撤回」
「え?」
「何でもないわ」
ただ、あんたと一緒に暮らしている奴ら、ちょっとぐらいは、こいつを成長させてくれているって事で。
まあ、連れ戻そうかしらとチラリと思ったけれど、これなら、うん、いいかしらね。
「で? どこに連れて行ってくれるの、船長さん?」
「……ふわ、う、うん! えと、あっちに美味しい甘味屋さんがあるんです!」
無邪気に頬を染めて、照れているみたいで帽子を深く被りながらぐいぐいと私の手を引くムラサに苦笑して。ま? これも妬ましいぐらいリードされているという事になるのかしら?
なんて、喉の奥でこっそり笑って。
少しだけ、憂いで目を細める。
憂いの先には、少女が二人。
分かっているのかしらね?
こいつは子供なのよ?
子供のまま死んで、壊れるぐらい乱暴に全てをリセットされて、終わったのに続かされる幽霊なのよ?
こいつが私に懐くのは。
私が元人間で、全てを妬んで、同じ色の瞳を持っているって、ただそれだけなのよ?
ムラサが元人間で、生者を妬んで、同じ色の緑の瞳を持っているから、私をただ姉の様に慕っているだけ。
そっと、後ろを見る。
阿呆な格好で変装しているつもりの、二人を見る。
そんな顔、してるんじゃないわよ。
ってか。どうしてお互いで殴りあいしたみたいにボロボロなのよ?
ムラサばかりに熱視線?
あぁ、何コレ? 全然妬ましくない。
むしろ愚かしすぎて……、舌打ちしかでてこない。
恋って幻想は、想像以上に馬鹿を量産するみたいね。
「ムラサ」
「はい!」
「ちょっと、私にキスしなさい」
「? うん」
軽く背伸びして、私の唇にそっと啄ばむ程度のキス。
冷たい感触が、少し懐かしかった。
「……ふん」
つまりは、こういう事。
こいつはお子様すぎて。これらの意味がちっとも分かっていないのよ。
簡単に出来るキスが、遊びでなくて何だというのか。
ほら、あんた達もこれで安心を……
『やっぱあいつ殺すべきだよ一輪さぁあああぁぁあん!!』
『だから、気持ちは分かるけど落ち着きなさいよぬえさぁぁぁああん!!』
バキィ!! っとクロスカウンターでもしたかの様な音と、悲鳴じみた怒声が路地裏から聞こえてきた。
……。
うわ分かってない。
えっ?
まさか、こいつら私達のちょっとしたこういう事で、延々と殴り合って自制してたの?
そこまで馬鹿になってたの?!
「…………」
「ね、パルスィ」
「え? ああ、何?」
「もう一回、今度はもう少し長くしていいですか?」
「……」
バキィ!! って音がまたした。
……あー。
ええ、もういいわ。
「うん、いいわよ」
「♪」
ムラサが嬉しそうに密着して、ちゅうっとキスをしてきた。
舌も入っていない、触れるだけのお子様じみたキス。
通行人がいても注目されていても気にしない。気にできないぐらいに喜んで、私との口付けに……まるで親猫にグルーミングされた子猫みたいに、寛いでいる。
……はぁ。
何というか。
こいつがキスできない相手なんているのかしら? と少しだけ頭を悩ませて、もしいるのなら、紹介して欲しいものだと。
この実はキス魔のこいつの、頭をそっと撫でて。
ふと、悪戯を思いつく。
「……ん」
そうね。そうよ。
せっかくのデート。
少しは、妬ましくなって貰うのも、気まぐれとしては悪くない。
妬ましくない船幽霊の妹分も、少しぐらい妬ましくする為に、その背中を蹴ってやる行為ぐらい。
まあ、してあげても良いし、ね。
ふふん、さぁて?
今日のデートを、どう料理してあげましょうかと。
私はそうっとほくそ笑んだ。
ムラサは嬉しそうにほんのり幸せそうに頬を染めて「えへへ」と、私の思惑なんて知らずに、私に笑いかけている。
私は今度はお返しに、私から口づけを返してあげた。
気まぐれに、少しだけ優しく、歯をたてて。
相変わらず悪いなあ
船長は相変わらず悪い幽霊だw
デートが終わった後のぬえと一輪の安否が気になる……
ある意味唯一の理解者なんじゃないだろうか
今回はムラサあんまりわるくない気が
パルさんカッケぇ!
わっふるわっふる
パルスィが意地悪なお姉ちゃんしてていいですね
捻くれてるけど優しい
ちゅっちゅするムラサもかわいいよムラサ
成長したらデートしてあげる、なんて二人の関係が素敵すぎてあまぁ…うまぁ…。
そっかー、お子様だったのかー。
密かに勇パル入ってて歓喜した
でもムラサを妹っていうより娘として見てたらもっと美味しいな、なんて。
パルスィがムラサの恋路に良い刺激となってくれるのでしょうか。次回も楽しみです。