今にも泣き出しそうな曇空。
木枯らしが吹いて美鈴はぶるりと身を震わせた。
何時もの服装の上に厚手のコートをはおいマフラーを巻いている。
手袋までして完全防備をしているのにそれでも肌の露出している部分が寒い。
こんなに寒いのでは昼寝などとてもできない。
なので寒さに耐えつつ勤務時間が終わるのをただ待つのだ。
「いっそ雨でも降ればいいのに……」
そんな事を美鈴は呟いた。
雨さえ降ればなんのかんの理由を付けて詰所に避難できる。
そうすればこんな寒空の中で立ち尽くす必要もなくなるのだ。
しかし見上げた曇り空は泣きそうであっても涙は零してはくれない。
なので肩を震わせて美鈴はただその場に立ち続けるのだ。
「ごきげんよう、調子はどうかしら」
そんな美鈴に声が掛かる。
「最悪です。寒くて凍え死んでしまいそうですよ」
振り向きもせずに言う美鈴の横に声の主……レミリアが並んだ。
「そう、なら私が温めてあげるわよ。遠慮せず抱きしめなさい」
「いやお嬢様、冷たいじゃないですか。いよいよ凍死させるつもりですか?」
にやりと笑って両手を広げるレミリアに美鈴は溜息一つ。
「なによ、つれないわね。
普通はこんな美少女を抱きしめられるチャンスを逃したりしないのに」
「いいです、私は命の方が大事なんで」
「そう、残念。ところで凄い事に気が付いたのよ」
瞳を輝かせるレミリアを、横目で美鈴が眺める。
両手を肩口にあげて握り早く報告したくてたまらないと言った様子だ。
「なんですか、いったい?」
美鈴の経験上、ろくでもない事に違いないのだがそこは相手は主人。
無下に扱う訳にもいかずに仕方なし、といった様子で問う。
「ええ、一般的にピンク髪は淫乱と言うわよね」
「知りません」
「言うのよ、覚えておきなさい」
「はぁ…」
主人の何時もの、頭がお花畑な様子に美鈴は慣れてはいてもまた溜息が出る。
「それでね、ピンク髪に近い色の赤髪もきっと淫乱に違いないって……」
「ちゃいますから」
そっけなく否定。
レミリアがつまらなそうに息を吐く。
「なによ、少しくらい乗ってくれてもいいじゃない」
「あのですね……」
気だるそうに美鈴が頭を掻いた。
それから自分を見上げるレミリアに視線を移す。
「私が淫乱だとして、それでどうするつもりです?」
レミリアは当然と言わんばかりに無い胸を張る。
「バッチコーイ!」
しばしの沈黙。
それから美鈴が分かりましたと呟いた。
「じゃあ、お嬢様?」
それから屈んで、目線を合わせると妖しく微笑んだ。
「め、美鈴?」
急に変貌した美鈴にレミリアが戸惑った声を出す。
構わずに手を伸ばす美鈴に、レミリアは動揺した様子で後ろに下がろうとして……
「あ……」
背後に門壁があたり戸惑った声を出す。
「ま、待って美鈴!?急にどうして……」
「お嬢様が言ったんじゃないですか、ばっちこいって」
「あ、あれは何時ものやりとりのつもりで……」
言葉に構わずに美鈴の手がレミリアの頬へとかかる。ひっと短く声を出して瞳を閉じるレミリア。
それからカタカタと震えながら心細そうに優しくしてねと呟いた。そして……
「そのキャラ作ってるでしょ」
何時もの気だるげな声色の美鈴の言葉。
数秒の間の後、レミリアは目を開けて参った様に笑う。
「何よ、乗ってくれたと思ったのに」
先ほどの雰囲気など微塵も残さぬ様子で美鈴が眉を下げる。
「どんな反応を示すか軽い冗談と興味本位のつもりだったんですよ。
幼児趣味は無いって言ったでしょうに。と言うか、こうまで露骨だと逆に怪しいですって」
「む、じゃあ逆に余裕ぶった方が良かったかしら?よし、もう一回来い!」
「行きませんよ」
美鈴が立ちあがって門扉に背を預ける。
再びその横にレミリアが並んだ。
「でも、萌えたでしょ」
「萌え?なんですそれ」
「勉強不足よ、まあいいわ。
でも気弱な美少女をリードするっていうドラマティックなシチュエーションに流されないのは問題だと思うわ」
「うちらにそういうのは似合いませんって」
「そうか」
苦笑交じりの美鈴にレミリアが納得したように頷く。
「ならば、強引に奪って欲しいのね!?」
「違いますよ、どうしてそうなるんですか」
「いいからいいから、私に任せなさい!」
「人の話を聞いてください!」
何やら喜々として飛びかかるレミリアと、それを捌く美鈴。
数度のやりとりの後、寒さのせいで動きが鈍るのか美鈴がバランスを崩す。
「貰った!!」
「くっ!?」
咄嗟に迎撃の平手を構えた美鈴の目の前で不意にレミリアが狙撃でも受けたかのようにのけぞった。
「え?」
それから美鈴は気が付いた。
レミリアは狙撃されていた。
「いたいいたい!?」
悲鳴をあげる彼女に、空からいくつもの水の弾丸が降り注ぐ。
ついに曇空が泣きだしたのだ。
「いたいって!?」
吸血鬼の弱点の一つ。
流れる水。
強大な力を持つ吸血鬼故に弱点も多い。
たとえば日の光に瞬く間に灰になってしまう様に。
雨の中では、吸血鬼に対してだけの自然的な結界の様なものが展開する。
その中でレミリアは無力。魔力も使えぬただの子供になり下がってしまう。
見ればもうすでにレミリアのあちこちから滅びを示すしゅうしゅうとした煙が立ち上っている。
頭を抱え蹲ってなんとか自分を守ろうとしているもののそれは何の意味もなしていない。
「ああもう!」
何時もより少しだけ慌てた声を上げて、美鈴はレミリアを抱えるとコートの内側に庇う。
そのまま数秒で全力疾走。門扉の抜けた先の門番詰所へと一目散に駆けた。
美鈴が窓から覗いた外に光景は土砂降りだった。
降り注ぐ雨粒が地面を穿ち、全てを流さんばかりだった。
「うぅ、危なかった。助かったわ美鈴」
帽子を脱ぎ棄て、頭を拭いているレミリアが気弱な声で呟いた。
「まったく危なかった、と言うか降り出しそうなのになんで出て来たんですか?」
同じく濡れたコートを脱いで頭を拭いている美鈴が問う。
「それは決まっているわ、思いつきを早く美鈴に知らせたかったからに決まっているじゃない」
攻める様な問いに少しだけ気まずそうにレミリアが言う。
美鈴が何とも言えぬ表情でただ瞳を閉じた。
迂闊だったと、そう美鈴は思った。
雨が降る可能性は高かった。
そして自分はレミリアが雨に弱い事を知っていたと。
話をするにしても場所を移すべきだったのだ。
なのに訪ねてきてくれて悪い気がしなかったから……。
だからこそ、つい気がゆるんでしまっていた。
そこまで考えて美鈴は首を振る。
「それなら誰かに使いでも頼んで私を呼べば良かったじゃないですか?
お嬢様が出向く必要もなかったはずです。そうすればこんな様には……」
そんな言葉が美鈴の口から出ていた。
ああどうして自分は素直になれないのだろうと、止めようとした美鈴の思考は続く。
本当は心配の言葉をかけたかった。
自分が迂闊でしたと謝罪したいのに。
何時もそうだと。色々な者が邪魔をしている。
見栄や意地。身分や性別を気にする自分の常識。
「……私が会いたかったからよ。思いついたら我慢できなかったから。
誰かに使いをやって、お前がやってくるまでの時間すら待てなかったから……」
この人はこんなにも自分の想いに素直なのに。
「仕方ない、ご主人ですね」
「うるさいわね」
くすっと呆れた様に美鈴が笑う。
それは自虐の笑みであった。
「それにしてもねえ美鈴?」
「なんですか?」
不意に艶っぽい声でレミリアが言う。
「二人きりね」
「そうですね」
美鈴が髪を拭くのをやめてレミリアに視線を移す。
「此処ならもう、雨の邪魔は入らないわ?」
「……」
ふわりと、レミリアが飛翔し美鈴に己の高さを合わせる。
「先ほどの続き、しましょう」
美鈴の耳朶を擽る蟲惑的な囁き。
「本当にこのご主人は……」
「今に始まった事じゃないでしょう?」
レミリアの両手が美鈴の首と頬に添えられる。
辺りに響くのは雨の音。
危うい均衡。
何かあればすぐにでも壊れてしまいそうな。
恐る恐る、そのレミリアの手に美鈴の手が添えられた。
「抵抗……しないのね?」
どうしてこんなにと美鈴は思う。
こんなにも、強引で、自分勝手で、何処までも自分の想いに素直なのに。
こんなにも、優しくて、自分を思ってくれて、気を使ってくれる。
ならば、今だけは……。
今だけはこの雨が作り出した、危うい均衡の中で自分も素直になってしまってもいいのではないかと。
少しずつ、お互いの唇が近付いて行く。
一度交わったらもう、戻れない。
取り返しのつかないと分かっていても、それでも止まらずに。
ただ真近に顔を寄せて、重なり合う……その寸前……。
「きゃぁぁぁ!?」
「どわぁぁ!」
ドアの開く音と共にそんな声が室内に響いた。
咄嗟に体を離す美鈴とレミリア。
「あ、あんた達何やってんの……」
ずぶぬれで重なる様に床に突っ伏して居るのは……。
「いやいや酷い雨でございますね」
それでもニコニコ笑顔の小悪魔と。
「……いや、なんだ、その……」
気まずげに視線を逸らす霧雨魔理沙だった。
「いえいえ、図書館に侵入していた魔理沙さんを捕まえようと追いかけておりましたのですよ」
小悪魔が何事も無かったかのように立ち上がる。
ニコニコ笑顔のままで解説を始めた。
「そうしたら雨が降ってきてしまいまして、慌てて魔理沙さんと避難しようと詰所に飛び込んだのでございます」
今来たばかりですよね、と向けられた小悪魔の視線に魔理沙が頷いた。
「ですから、何が行われてたのかなどさっぱりでございまして」
「そ、そうだぜ。わたしたちは何も見てない」
気まずそうな魔理沙とニコニコ小悪魔。
そんな二人を見てレミリアが満面の笑みを浮かべた。
「別に嘘などつかなくてもよいのよ」
「嘘などは……」
「なんなら二人も混ざる?」
言葉に魔理沙と美鈴が絶句して、小悪魔が瞳を輝かせた。
「良いのですか!?小悪魔張り切っちゃいます!この子たちも喜んでます」
嬉しそうな小悪魔のスカートからぼとぼとと数本、緑の触手が落ちた。
「理解した、と言う事は何をしていたか本当は見ていたのね?」
「ええ、実は。でもご安心を、この小悪魔、五人までなら同時に相手を……」
そんな小悪魔にレミリアが近寄った。
そして妖しい笑みのままその頬に手を掛ける。
「小悪魔」
「……ああ、お嬢様」
呆然とする美鈴と魔理沙の前で小悪魔が恍惚とした表情を浮かべて……。
そのまますばやく小悪魔の背後に回り込んだレミリアが彼女の首に腕をからめた。
「せぇい!」
「むぎゃ!?」
一瞬で絞め落とされて小悪魔が地面に転がる。
「さあ、次はあんたね」
それを一瞥して次は尋常じゃない視線を魔理沙に向けた。
「ま、まて……なにを……」
「あら、混ぜてあげると言ったのよ。
見ていたのなら分かるわね?私が美鈴の首に手を回すのを」
「ああ……」
「二人で効率の良い絞め技の研究をしていたのよ、ねえ、美鈴?」
それまで成り行きを見守っていた美鈴が大きく息を吐いた。
それから何時もの気だるげな表情で、でも少しだけ楽しそうな笑みを浮かべる。
「その通りです、お嬢様」
「と言う訳で、魔理沙も覚悟なさい?
なあに、手加減はしてあげる。目覚めた時に数日の記憶が飛んでいるだけで済むから……」
手をわきわきさせて近寄るレミリアに魔理沙は顔を青醒めさせて後退。
そのまま振りむいて雨の降る外へと飛び出すと、箒を跨いで飛び去ろうとする。
「追うぞ、美鈴!」
「でもお嬢様は雨の中は……」
「お前がさっきみたいに庇ってくれればいい。
見ろ、もう随分と小雨になってきた、すぐに止むさ」
「はぁ……」
「絶対に逃がすな!」
仕方なしと言った様子で美鈴がレミリアを抱える。
詰所のドアを潜り美鈴が飛翔すべく地を蹴る寸前。
「やはり、我等には似合わないか?」
と、不意にレミリアが零して……。
「案外、そうでもないですよ」
美鈴がそう応じて、少し驚くレミリアを抱く腕に力を込めて。
魔女が舞い飛ぶ灰色の空へと、勢いよく飛び出した。
-終-
じゃあ私は地霊殿へ行ってきますね。
この一人上手さんめw
可愛すぎます!
それにしても小悪魔…
半分は当たってるな