「あんなに嫌なやつだとは思わなかった!」
魔理沙はドアを勢いよく閉めてベッドのなかにダイブした。
帽子の形が崩れるくらいにギューと握り締め、同じく顔もギューっと力をいれている。
それくらいむかついた。
事の発端は三十分ほど前の出来事。
魔理沙が開発した新魔法、例のでかい球状のスレイブについて、いまいちうまくコントロールが効かないので、アリスにアドバイスを求めたのだ。
最初は上海用のちびマフラーを編みながらも、きちんと聞いているふうだったのだが、なぜか開発状況に話が及ぶと途端に機嫌が悪くなりだした。
ちなみに開発には河童のにとりの技術とパチュリーの魔法が関わっており、アリスには何もアドバイスを求めなかった。
それがよくなかったのだろうか。
仲間はずれにされたと感じたのか。
あるいは――、嫉妬?
いやそれはないない。あのクールなアリスに限ってそれはない。
「ないよなぁ……」
――じゃあ、パチュリーにでも聞けばいいじゃない!
閉め出される直前の言葉が耳朶に残響している。
もちろんその前にも売り言葉に買い言葉の応酬があるにはあったのだが、きっかけを考えると、どうも開発状況の話しか思いつかなかった。
魔理沙にとっては、アリスにアドバイスを聞かなかったのは単にアリスを驚かせたかったからだ。
アリスのことをライバルに思っているところもあるから、なんとなくアドバイスを求めると負けのような気がしたからで、べつにアリスを仲間はずれにしようとしたわけではない。
だがそれだけなのだろうか。
魔理沙は自問自答する。
先ほどのアリスを仲間はずれにしたわけではないという言葉と相反するようであるが、なんとなく離れた距離からアプローチしたいというよくわからない気分もあったのは確かである。
いつもベッタリがいいわけでもなく、
――離れていても見まもっていてほしい
といったような乙女チックな気持ちもあったりするのだ。ただ残念なことに、魔理沙自身そんな自分の心に気づいていなかった。だから歯切れの悪い言葉になった。
自分の気持ちすら曖昧なのであるから、アリスが怒った理由もよく理解できなかった。それもまた話をこじらせる原因になった。
結果として生じたのはアリスとの喧嘩。
というか、喧嘩にすらなっていない。アリスからの一方的な怒りの表明だ。わけがわからない。
ともかく魔理沙の中に生じたのは、気持ちの良い気分ではない。
なぜその程度で怒られなければならないんだという気持ちが強い。
「もうあんなやつの顔なんか……」
見たくないと口にはだせず、ベッドに横になりながらぼーっと天井を見つめる。
いくら考えても今回ばかりは自分が悪いとは思えなかった。
ただちょっと伝えなかっただけ。
それだけなのに。
「スレチガイダナ」
身を起こして窓のほうを見ると、上海がちびマフラーを首もとに装備した格好で浮かんでいた。
冬仕様といったところか。
「アリスが寄越したのか」
「チガウ。ジブン ノ イシ」
「私のために来てくれたのか。上海はいいやつだな」
思わず目頭が熱くなる魔理沙である。
「アリス ゲンキナカッタ。シャンハイ サミシー」
「そりゃ悪かったな」
「マリサワルクナイシ」
「上海もそう言ってくれるか。ありがとうな」
「アリス マリサ ニ タヨラレテルッテ オモッテタ」
「実際頼ってると思ってるんだが?」
「デモ ホカニモタヨッテルヒト イルンジャネーノ?」
「にとりとパチュリーのことか。そりゃ頼ってるって言えば頼ってるけど、アリスとはまた違う頼り方なんだが」
「アリスニトッテ オナジコト」
「同じこと?」
「アリスハ ジブンダケジャナイカラ サミシカッタノ ダロウ」
「自分だけじゃないから?」
「ジブンガ マリサニトッテ トクベツナソンザイジャナクテ コドモノヨウニ カンシャクヲオコシタ」
「それって……」
「アリスガワルイ。アリスノカワリニ アヤマル」
人形らしく少しぎこちなかったが、上海はぺこりと頭をさげた。
逆に恐縮の極みになるのが魔理沙である。
まさかアリスが怒ったのが自分に好意があるからなんて思いもしなかったのだ。
つまり完全な嫉妬である。
なにか胸のあたりがポゥっと暖かくなってくるような気がした。その感情を名づけるにはまだ魔理沙は幼すぎたが、仮にこれを
――恋
と名づけてもあまりおかしくはないだろう。
うれしかったのだ。
「でも、どうするかな。アリスを怒らせたのは確かだし……」
「ナカナオリ?」
「そうだよ。仲直り。今回はあいつが悪いんだろうけどさ……、私もまったく悪くないわけじゃなくて、こういうのはなんていうかさ……えっと」
「キョリカンダナ」
「そうそう。そんな感じだ。だからさ、ここは私のほうから元の関係に修復するように働きかけたほうがいいのかもな。あいつプライド高そうだしさ」
「ジブンノカンジョウ、コントロールデキナカッタコト、クヤシガッテタ」
「だろうな」
「イイ カンガエ ガ アル」
「なんかプレゼントするとかか。あるいはごめんってこっちから謝るのか。今回はべつに謝るほど悪いことしたわけじゃないからそれも変だろ。無理に謝るとあいつはもっと機嫌損ねるぞ」
「オチツケ」
「私は落ち着いてるぞ。でもほら遅きに失するという言葉があるだろ。あいつは一人がいいとか言っておきながら私が来ないなら来ないでどうして来ないのとか聞いてくるほど寂しがりやだからな。まったくアリスはわがままなお子様だよな!」
「……」
上海はフワっと浮き上がった。
顔が近い。
ものすごく近い。
キスでもされそうな距離。
魔理沙はごくりと唾をのみこむ。
上海の顔立ちはアリスによく似ているのだ。特に幼い頃のアリスに。
すーっと音もなく上海の顔が近づき、
――ゴッ!
という音ともに、上海のヘッドバットが決まった。
魔理沙は鼻先を押さえながら悶絶した。
「バカジャネーノ?」
上海はいつものお決まり台詞。
魔理沙はアリスの家の前まで来ていた。
既に上海からは策を伝授されており、おそらくその策は当たるだろう。
そういった予感は魔理沙にもあった。
しかし、なんだろう。この気恥ずかしさは。
その策を実際に実行する前から、既に恥ずかしさを感じている。ではもしアリスが目の前にいる状況ではどうなってしまうのだろう。
わからない。
もしかすると口を開くことすらできないかもしれない。指先ひとつすら動かせないかもしれない。
けれど――、上策であるのはまちがいない。
上海が提示した策は空前としか言いようがないものであり、おそらくとてつもない破壊力を秘めている。
ただ一言。
そう、ただ一言だけ発すればよい。
あとは何もいらない。
もちろんここで誤解してもらいたくないので先に述べておくが、告白の類ではない。
それは中程度の策あるいは下策といえるだろう。
魔理沙やアリスの年齢にありがちなことであるが、うら若き乙女にとって告白とは神聖な行為に他ならない。その神聖であるはずの行為を仲直りのために利用するのは、どうしても告白に対する侮辱になってしまう面があるだろう。するならするにしても、もっと雰囲気やドラマティックさを求めたい。
おそらくそれはアリスも同意するところである。
したがって、告白をし、好き好き攻勢で気まずい雰囲気を払拭するというのは下策。もしうまくいっても後の禍根となりかねない。
なにしろ魔理沙もアリスも好きという言葉を互いに向けたことすらないのだ。
――あのときはどうせ喧嘩やめたかったから好きって言ったんでしょ。
なんてことになると目もあてられない。
さて、魔理沙は震える手でドアをノックした。
「アリスさーん。いらっしゃいますかぁ……」
と小声で確認。すぐそばに控えている上海にも届かないほどの小声であった。
扉は音もなく、すっと開かれた。
開けたのはアリスではなく、蓬莱だ。上海と蓬莱は手をとりあって、「シャンハーイ」「ホラーイ」といつものやつ。
魔理沙はちょっとだけ笑ってすぐに中に入った。
アリスはちびニット帽を編んでいるらしい。
「なにしにきたのよ」
顔をこちらに向けることもなく、アリスは冷たく言い放った。
「べつに。ただ遊びにきただけだぜ」
魔理沙はソファに身を沈める。
両者の距離は三メートルほど。
アリスは沈黙を保ったままである。おそらく今のアリスは少しは冷静になって、いかに自分が子どもっぽい振る舞いをしたのかも理解しているのだろう。気まずさを感じてなにもいえなくなっているに違いない。
こんな状況は魔理沙としても楽しいものではない。
なにか言わなければならないような義務感もなく、ただ隣にいるだけでなんとなく安心できるような時間は好きだが、こういうふうに沈黙が微妙な重みをもって沈殿しているような時間は嫌いだった。
「あ、あのさ」
魔理沙はそんな沈黙を無理やり食い破るような声をあげた。
「なに」
「上海が家に来たんだが」
「それで?」
「上海の装備しているマフラー、よくできるな」
「マフラーぐらい。服に比べたら簡単よ」
「私にも作ってくれたりしたら、うれしいぜ?」
「人間サイズは時間がかかるわ」
「そうか。まあ暇なときでいいんだがな……」
再び沈黙タイム。
ダメだった。
どうもアリスを目にすると、上海の策を実行できない。
気恥ずかしさもあったり、もし失敗したらどうなるんだろうと考えてしまったり、いろいろな想いがごちゃまぜになって、お好み焼きの具材のように混在している状況だった。
口のあたりでもごもごと言霊が残留している。
「ハヨセイ」
と、上海が魔理沙の肩あたりに手をおいて急かした。
「ああ、わかってるぜ……」
魔理沙は深呼吸する。
弾幕ごっこを開始するときでもこんなに緊張したことはなかった。
魔理沙は一歩一歩確実にアリスのもとへと近づいていく。
アリスはその様子を気にしないふうを装ってはいるが、魔理沙の足音は狭い室内によく響き、気づいていないはずがなかった。
やがて、止まった。
定位置。
この位置なら確実にアリスに一撃を食らわすことができる。
「なによ?」
「あのさ……、マフラーだけじゃなくて手袋も編んでほしいんだぜ」
「なんでそんなことまでしなくちゃいけないのよ」
「冬は寒いからな。頭は帽子があるからいいけど、首もとから風がはいりこんだら寒いし、手がかじかんでホウキもてなくなったりすると困るだろ」
「それが私になんの関係があるっていうのよ。あなたお得意の泥棒でもして、どこかから一生借りとけばいいじゃない」
「関係ならあるぜ!」
「他人という関係でしょ」
「違う。私はアリスのこと……!」
チク。
タク。
と、秒針が二回ほど動き。
「お姉ちゃんみたいに思ってるから!」
後日、上海内蔵の録音機能によって永久保存されていた「お姉ちゃん」発言は、宴会でよっぱらった霊夢が上海の頭をこづいたところ、なんの因果か大音量で再生され、その場にいた妖怪、妖精、神、魔女、鬼、天人、亡霊、その他もろもろの知るところになった。
しかし、彼らは知らない。
魔理沙の言葉によって、アリスがどんな表情を浮かべたのか。それからどんな言葉を発したのか。ちゅっちゅはあったのかなかったのか。ジャスティスなのかそうでないのか。アウトかセーフか。
誰も知らないのである。
昨年の暮れのころから、魔理沙の指先があたたかそうな手袋によって包みこまれていたこと以外は――。
アリスモ マリサモ カワイイ
ワタシダケジャネーヨタブン
デ、ナニガアッタンダイ?