寒かろう、悪かろう。
「悪くないよ!」
威勢のいい声が弾けるように飛んできて、私は雨戸ごと戸を閉めた。床の間が面した障子で、起きしなに朝の空気を取り込もうとした矢先の事だった。身震いするほど清潔な大気に、青く輝く氷を見た気がした。
『開けろォ、巫女ォ!』
こつこつと雨戸を叩く小柄な硬質の音が、少しくぐもって響き来る。こんな朝は、二度寝に限ると聞いていた。部屋の中で吐く息さえも、白いのだ。
温もりの残った布団に優しく迎えられ、それから、すぐに夢の世界が戻ってくる。乱れ布団の先からつま先がのぞき、外の世界の冷たさには、悲鳴にも似た感覚が走った。
『あーけーてー』
「いやよ」
騒々しいのは、もっと外の世界だった。ふと目をやれば、なんと内側の障子ごと雨戸が霜に覆われつつある。すわ一大事――
「やめなさい!」
「お、霊夢」
「そう、霊夢よ」
「わあ、霊夢だ!」
この子は、何を期待していたのだろうか。
軒下に見下ろす青い氷は、頬を真っ赤にして驚いている。朝日を浴びて眩しいそれは、氷の妖精チルノだった。感情の昂りに合わせて彼女の全身から発散された冷気は、白く靄となり、開いた雨戸伝いに屋内を白く浸食してゆく。私の身体も当然、刺す程の寒気に襲われる。
「だからやめなさいって!」
「なにを?」
「その冷たいのを!」
「ええー」
ぴしゃりはねのける様に言ってやれば、案外きくものだ。不満そうではあるものの、ぴたり冷気は止んでチルノの周りの空気は正常に復した。冬の朝の、眠気を吹き飛ばすぴしりと厳しい空気にだ。
しかしそれより鮮烈な一撃を既に浴びた身であるから、私は目が冴えるどころの話ではない。
しぶしぶ布団をあげると、そのまま日課である朝の庭掃除にかかることとした。恰好は、上着一枚羽織っただけの寝間着姿だ。
しゃあ、しゃあ、竹ぼうきで地面をかき鳴らしながら、動きの鈍い頭で一日の算段を考える。氷精チルノは、なぜか私の後ろについている。
「なに、私が掃除してて珍しい?」
「そうでもない」
「あらそう」
その割にはまじまじと、私の一挙手一投足に目を凝らしている気配がある。妖精というのは、やはり分からない種族だ。
けれどもとうとう飽きたか、しばらくするとチルノは私の傍を離れ、軒先を一人で散策し始めた。時折宙に浮かんだり、回ったり、それから木々に冷気や何かの力を送ったりしている。そんな彼女の様子を私は横目に見ながら、庭の掃除を続けた。悪戯好きに好き勝手させたとて、所詮妖精、たかがしれているのだ。
ひとしきり掃除が終わるころには、危うく彼女の事を忘れかけていた。
「あれ、妖精は?」
声に出して、彼女は答えなかった。辺りを見回しても、あの青い、凍てついた影は見当たらない。
代わりに、奇妙なものが目にとまった。
「なにかしら、これ」
輪になって、小人の群れが踊っているのかとも思った。枯れ細った庭木の一つの足元に、ぐるり一周、茸が丸く生え集まっていた。
見たところ茸らは大小様々、種類も何故だかまちまちで、これと言った規則性はその集まり方以外に見当たらない。少なくとも言えるのは、私は昨日――そして今朝の曖昧な記憶の内にも、こんなものは見ていないと言う事だ。
「食べられる茸なら、良いんでしょうけどね」
思わずひとりごちる。見たところ、怪しさしか感じない茸の群生なのだ。或いは魔理沙から教わった〝蛞蝓の黄蕈〟の類かも知れない。思いがけない所で見つかるものだが、いずれにしても目を楽しませるくらいにしか役に立たない代物だろう。
そして私は、早くもその光景に飽きかけている。
「掃除のついでよね」
竹ぼうきで、えいと掃った。傘が飛ぶもの、しぶとく耐え抜くもの、根元からさらわれるもの……悲喜こもごもに茸の群生を破壊して、気分はなかなか良いものだ。
「あーッ!!」
背後で、甲高い声が上がった。振り向くと、氷精。
「壊したなー! ひどいッ」
「なによ。ハハア、さてはやっぱりあんたの悪戯ね」
「せっかく遊びにきてやったのに! もう知らない!」
そう言ったきり、ぷい、とそっぽを向いてチルノは飛んで行ってしまった。私は念入りに全ての茸を掃き尽してから、部屋へと戻り、爽やかな気分で朝食をとった。
そして、三日間風邪で寝込んだ。
「
病床の私を馬鹿にしに来たアリスは言った。
「妖精たちの踊りの痕よ。そこへ招かれた者は、或いは福を得、或いは禍を得る。なんにせよ日常には鈍感なあなたがダンスの誘いに気付ける筈もなくて、しかもめちゃくちゃに壊したのだから、妖精は腹を立てたのだわ」
後日、風邪を治した私の初仕事は妖精退治だった。
そうしないと退治されてしまう・・・チルノ・・・
好きです。