今日もまた日が落ちた。
最も夜の長い日は過ぎ、これから昼がまた長くなっていく。
それなのに、寒さはこれから日増ししていくのだ。全くもって嫌になる。
吐く息は白く、一層寒さを感じさせる。体がぞわぞわしてきて、ブルッと一回、体が震えた。
「うう、寒い」
今日も今日とて哨戒。それも、もうすぐ交代の時間だ。
今年は幸いにも夜に空きが出来た。ここ最近は年越しを哨戒任務中に迎えてばっかりだったので、久々だ。
しかしこれと言って用事もなく、約束もなく、どうしようかと思っていた矢先に、友人からの誘いがあった。
『ねえねえ椛。暇なんでしょ?大晦日、私の家来てよ』
私の予定を見越したような丁度いいタイミングだった。もちろん、その誘いに乗った。
「交代の時間だよぉ」
「あ、もうか…」
日没してからしばらく。辺りが薄暗くなったころに、交代する天狗がやってきた。
「はい、お疲れ。今からは私が担当。…あー、せっかくの大晦日なのになぁ」
その天狗は残念そう言った。
「何か悪いね。頑張って」
「うん。…よし、気合入れるぞ。年始の宴会に向けて我慢我慢」
天狗内でも、年始から宴会が催される。椛は余り気乗りしていなかったが、付き合いがあるから無論外せない。
もう、そんな時期か。椛はそう思いながら、支度をして、友人宅へ向かった。
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扉を叩く。すぐに声がして、笑顔のにとりが出てきた。
「おー、寒いね外は。ほら、入った入った」
「お邪魔します」
「はいどうぞー」
「いやぁ、全くこの寒さってのは、面倒だね。私も、あんまり動きたくなくなっちゃって」
「その割には、今日もやった痕跡が」
向こうの作業机には、やりかけの試作品(?)の部品などが散乱している。
「あはは…こう、一瞬の閃きというか、キレを大事にしないとね。発明は瞬発力だ!、みたいな」
「食事は?」
にとりがぎくりとした表情浮かべた。
「あのー、えー、それにつきましては」
「食べて、無いんだ」
「…ごめんなさい」
椛は呆れた。この友人は、熱中すると他の事に気が回らなくなる。
2,3日作業を続けて、終わった途端に倒れるような事もある。
危ないからやめろ、と何度言ってもそれは治らないらしい。
「一度スイッチが入っちゃうと、もうどうしようもないんだよ」
苦笑いしながら言うにとり。お腹空いちゃったなぁ、と言って冷蔵庫を漁り始めた。
「んー、炬燵から出ちゃうと寒いぞぉ」
ひえぇ、と言いながら、小走りに戻ってきた。
「あれ、これは?」
「とっておき~。椛のために買っておいたんだ」
「私の?…嘘でしょ?」
「本当は自分のため。美味しそうだし」
「ああ、そう…」
にとりが持ってきたのは、そこの浅いかごに入ったみかんだった。結構高く盛ってある。
「それじゃ、いただきまーす」
「あのさぁ…にとり、真ん中に置いてよ」
「え、食べるの?」
にとりがわざとらしくそういうものだから、椛は少々むかっとした。
「あ、別に。いいよ、一人で食べてて」
淡々と、嫌味ったらしく言うと、『そんなに怒らなくったっていいじゃんかぁ』と愚痴りながら、椛の方にみかんかごを寄こしてくれた。
「それじゃあ、遠慮無く」
椛はその中の一個を取った。
裏から二つに割り、それをそれぞれまた二等分する。すると、四等分に剥ける。
後は、それぞれの皮から身を取って、食べていけばいい。
にとりは、椛がそうやって食べる様子をじっと見ていた。
「ん、どうしたの?」
椛は気になって尋ねた。
「綺麗な剥き方するなぁ、って思った」
「そうかな?」
普通に剥いたと思っていたが、にとりの方を見ると、ボロボロにむしられたような皮が散らばっていた。
「それが、あまりに汚すぎると思う」
「えー!?普通だよ。というか、これすっごく硬かったし。剥くの大変だったからさぁ」
「とにかく、一つにまとめた方が…」
にとりがササッと皮を集めてから、かごから二個目のみかんを取った。
「えーと、どうやるんだっけ。もう一回やって」
「うん、じゃあね…」
椛も二個目を取り、にとりと一緒に剥き始める。
「それで、真ん中から二等分したのを、また二つづつに分ける。…こう、やってね」
「うんうん…うわっ、すご!私にも綺麗に剥けた!」
みかんの剥き方一つでこんなにはしゃげるものなのか…。
それでも、数少ない友人の笑顔は、教えてよかったと思えるものだった。
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「はぁ~、もう動きたくなぁい」
みかんを食べ終えた後の休憩。二人ともよく食べた。
「これは甘かったね。食べやすいし、ついつい手が進んじゃった」
「そうだね。いや、本当、買って良かったよ」
というところで、にとりがあくびをした。
「…眠いんだ」
「ちょっとだけ。まだ大丈夫」
「大丈夫、とかじゃなくて。しっかり休息を取らないと。能率も悪くなるし」
「勢いさえあれば何とかなるんだ。…何とかならない時もあるけど」
そう言って、にとりは作業場の方を見た。使いっぱなしの工具とか、材料の断片のような物が床に散らばっていて、足の踏み場も見つからない。
椛がそれを見て一言。
「…汚いね」
「か、片付けてないから」
「…いつ、片付けるつもり?」
「いつだろうねぇ、気が向いたら、かな」
「…気が向くのは?」
「ちょ、怖いって、椛」
こういう時の椛には逆らいがたい。彼女が言いたいことは一つだ。
「…せっかくだからさ、掃除しようよ」
「げげっ」
「…ね?」
にっこりと微笑んだ椛だったが、にとりには禍々しいオーラが見えた。
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「これは必要なの?」
「多分、いつか必要になるかも、しれない…自信ないけど」
「じゃあ捨てるね」
「ちょっとぉ!」
椛の判断には迷いが無い。不要と判断すれば、即捨ててしまう。
それでも、物の整理に関して無関心なにとりには、このくらい厳しくやってもらわないとむしろ困ってしまう。
「こっちの部品みたいなのは。散らばっているけど」
「あ、それは使う。…かな」
「本当の本当に、必要なのね?」
「…そう言われると、悩んでしまう」
「捨てる」
「うわああ!」
…やっぱり、やり過ぎかもしれない。
「埃が溜まってて汚いなぁ。掃除してる?」
「いや、全然」
「あのねぇ…普段から、身の回りは清潔にしておきなさい。精密な作業してるんじゃないの?」
「う…それに関しては、言い返せない」
「埃やら作業中に出たゴミをそのままにして、そこで食事を取る。不衛生だなぁもう」
やけに厳しいのはもう慣れている。散らかすのは得意だが、片付けるのは苦手。それでも、彼女の言うことを聞いておけば片付けられるからだ。
今もこうやって不満を言いつつ、率先して家の掃除に取り組んでくれている。
「これじゃあ、まさに大掃除だね。なんか申し訳ないな」
「申し訳ないと思ったら、手を動かす」
「ははぁ、椛さまぁ」
「…もう」
家具なども動かして、裏を丁寧に、雑巾などで拭いていく。地味な作業で気が滅入ってくる。
それでも椛の方を見ると、とても生き生きしているのだ。やっぱり彼女がそういう性分なのだろうか。
「何見てるの。そっちの棚、拭き終わったの?」
「あ、ごめん」
それから数時間、にとりの家は徹底的な清掃をされた。
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「そっち持って、もうちょい右。よし、降ろして…はい!オッケー」
最後に炬燵を元に戻す。ついに、にとり宅の大掃除は終了した。
「いやあ、すっかり綺麗になったね。良かった良かった」
椛は満足そうな顔で部屋全体を見回す。尻尾が元気に揺れているし、気分は最高だろう。
それに対し、私は干からびていた。
「うへぇ~」
もしかして、椛にやる気を全て吸い取られたのかもしれない。
「普段から掃除してないからこんな大掛かりになる。日頃の積み重ねが大事なの」
「うむむ…反省します」
「まず、物をしっかり整理整頓することからね」
「でも、私は散らかってるほうが落ち着くんだよなぁ。きちんとしてるのって息苦しいっていうか、逆に動きにくいっていうのか」
「それは、しっかり片付けられる人が初めて言える事でしょうが」
「うむむむむ…」
そんなやりとりを繰り返していると。
ぐぅ~。
「うわっ」
「ん?…あはは」
にとりのお腹が鳴った。椛がそれに反応して笑う。
「もう、お腹が限界だぁ」
「みかんしか食べてないもんねぇ」
「じゃあそろそろ…、アレにしますか」
「あ、あれって?」
椛が不思議そうに首をかしげる。にとりはふふふと意味深な笑みを浮かべて、冷蔵庫に駆け寄った。そして何かを取り出して、また戻ってきた。
「じゃじゃーん。年越しそば!」
にとりが持ってきたのは、そばが入った袋のようだ。
「年越しそば…ああ」
しばらくぶりに聞いた単語だ。そう言えば、もう久しく食べていない。
「掃除も終わってすっきりして、そしてお腹も空いた。これ以上のタイミングは無いでしょ?時間もいい感じだし」
「まあ、にとりがいいなら私もいいよ」
「よぉし。それじゃあ、早速作ろう!もちろん、椛も手伝ってね」
「え?あ、うん。分かった」
多分、これが今年最後の食事になるんだろう。にとりと椛は、寒さをこらえつつ、調理台に向かうのだった。
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「やっと出来たぁ。はい椛、運んでね」
「はいはい。ああ、美味しそうだなぁ」
ほのかな香りと、湯気がたっぷり。
あつあつの年越しそばは、見るだけでも食欲がそそられる。
「トッピングはご自由にね」
後ろからにとりが、刻みネギと揚げ玉を持って来た。
「さてさて、もう今年も残り僅かですが、大掃除なんかもしてもらって、とっても助かりました。まずは、椛。本当にありがとうね」
「何その前口上」
「まあまあ聞いて。えー、来年も、何だかんだで迷惑をかけると思うから、先にお詫びしときます。ごめんなさい」
「分かるんだったら、対処して欲しいものだけどね…まあいいよ。それで?」
「それで…ねぇ」
にとりが間をおいた。
「それでも、私と、椛は親友でいてくれる?」
「…え?」
「こんなに迷惑かけて、強引なところがあって…そんな私でも、椛はいい?」
「…うーん」
困ってしまった。急に真面目な顔をしてこんな事を問われるとは。
椛は戸惑った。
でも、考える必要はない。答えは初めから一つしか無いから。
「確かに、片付けはして欲しいと思ってるし、もう少し私の忠告を真面目に聞いて欲しいところはあるけれど」
「…」
「それでも、にとりは、私の大切な親友だよ。当然でしょ」
「…本当に?」
「嘘付く必要ない。それより、お蕎麦、食べないの?」
「…えへへ」
にとりが表情を緩めて、はにかんだ。
「なんか、そう言われると、恥ずかしいなぁ」
「?、何が?」
「い、いや。なんでもないんだ。なんか、嬉しい。椛にそう言ってもらえると、すごく元気が出てくる」
「それなら良かったけど…」
「あ、ごめんね。待たせちゃって。それじゃあ、せーので。せーのっ」
「「いただきまぁーす」」
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「…もう、今年も終わりなんだ」
「そして来年が始まるんだ。感傷にひたる事もないよ」
「感傷って言うよりは、しみじみかな。雲や川のように流れる時間は、不変なんだ」
「んー、私は正直、日付が変わるだけで何も感じないけどな。季節のほうが気になる」
「…寒いしね」
「寒いでしょ?炬燵、入れてるんだけどな」
こうやって、のんびり語る時間も、日付が変わり、時が過ぎれば、また無くなるのだ。
「元旦は、予定があるんでしょ?」
「一日中宴会だよ。飲みたいだけだね、多分」
「て事は、椛に会えるのはいつかなぁ」
「忙しくなりそうだから、顔を見せるのは難しいかもね…一週間くらいかな」
「あーあ。…じゃあ、しばらく会えなくなるわけかぁ」
音はせずとも、あと少しで、今年は終わる。
その時間を、ぼーっと、親友と炬燵で過ごす。
そんなのも、悪くはないと思えた。
「ふぁあぁ…、私、眠くなってきちゃった」
大きくあくび。親友の前だから。
「ん…なんか、私も眠いなぁ」
大きく背伸び。新湧の前だから。
「…年越しまで、後ちょっとだよ。どうする?」
「じゃあ、もう少しだけ頑張る」
「よし分かった」
話が途切れると、無音。その静寂でも、二人は寂しくなかった。
「みかんの剥き方が、今年の収穫かな。あんなにきれいに剥けるとは思わなかったよ」
「みかん、また食べたいなぁ」
「じゃあまた用意しておくよ。次、来たときに。いっぱい皮剥こう。きれいにね」
「皮じゃなくて、身が主役でしょ?…もう」
「私は、皮が剥きたいの」
なんだか変なやりとりだ。頭がぼうっとしているからかも。
にとりが笑う。
椛も微笑んだ。
その後、静寂が、二人の笑い声に変わった。
来年も、再来年も、ずっと、ずっと、二人は、親友だ。