「一気に収縮した胸の中央の臓は、その内に抱えた血液を痛みを伴う程の勢いで送り出す。くらい驚きました」
「なにそれ」
「嘘です」
「こんにちは」
人里で夕飯のことを考えながら歩いていると、耳元で突然に声がした。
それと同時に両肩を後ろに引っ張られる。
一瞬、強く。数瞬後引き伸ばすように優しく引かれる。
後転しそうになる身体を、なんとか元に戻そうとして両手を振り回す。
それに次いで、横を一瞥すれば、見知った顔がこちらを見ていた。
嬉しそうな表情で。
右肩から覗き込むように乗り出したその額を中指で弾きながら、ふと息を吐いた。
身体の芯を冷やす寒さの季節。
しかし、空はいつにも増して張り切っており、地面に濃度の高い影を生み出していた。
世界の全てがコタツに包まれているようで、病み付きになりそうな寒さと暖かさだった。
なんとか姿勢を元に戻した後、にやつく顔に向けて挨拶する。
「あ、どうも」
「つまらないわね」
薄い反応が気に入らなかったのか、面白くなさそうな声を出してくる。
肩に乗せられた手は、親指の付け根まで袖口に隠れているのが見えた。
きっと寒いのだろう。
滑るり落ちるように指先が視界から消える。
その代わりに、彼女自身が隣りに現れるのだった。
「なんか、もっとこう面白い反応してよ」
「そんなことを言われても……」
毎度、同じ方法で声を掛けられていたのでは、驚きもなくなると言うものだ。
それを私のせいにされても困る。
「偶には他のやり方考えたらどうですか」
いくら優れた手品であろうと、ネタが分かってしまっているのであれば驚きはない。
その手技を賞賛はするが、何度も見せられれば辟易するだろう。
そんなことを考えていると、思わず溜息が出た。
「あなたは今、私の自尊心を傷付けました」
先程までの馴れ馴れしいと言える程の友好的な態度とは打って変わって、拗ねた声と表情。
それに加えて、人差し指で目元を拭う仕草。
流石に演技掛かり過ぎている感は否めないが、そう見せつけられると、私の良心も痛まないことはない。
「私が悪かったです。次からは大袈裟に驚いた振りをするんで機嫌を治して下さい」
「あら本当?」
「ええ、もちろんです」
私は首を上下にやって答える。
それじゃあ、早速とばかりに私の後ろに回り込む彼女。
私の方も驚く準備は万全。
いつでも来い。と言った意気だ。
「って、今やるんですか?」
そんな私の声を聞いてか聞かずか。
この距離で聞こえないわけがないのだし、きっと無視しているのだろう。
後ろで息を吸う音が微かに聞こえる。
ゆっくりと二回、右の肩を叩かれる。
やられてしまったのなら仕方ない。
振り向く。
正しくは振り向こうとする。
しかし、私の顔は途中で止められてしまうのだった。
頬に食い込む人差し指によって。
指はそのままに、何故か誇らしげな表情を浮かべて、彼女が覗き込んでくる。
なんだか無性に腹が立ったので、全力で指を押し返してやった。
「ちょっと、ちょっと。痛いじゃない」
「痛いのは、私のほっぺたです」
手で頬を撫でると、軽く爪の痕が残っているのが感じられた。
乙女の柔肌を持ってしても、早々簡単に消えそうにもない。
「はいはい、痛いの、痛いの、飛んでいけー」
「……痛いのは頬であって、頭じゃないです」
「私からしたら痛そうに見えるんだけどね」
この人は私を馬鹿にしているのだろうか。
不満にも似た疑念が湧いてくる。
けれども、彼女の顔は真剣さ半分、笑み半分の絶妙な表情で。
それが何故だか微笑ましくて怒るに怒れなかった。
「私としては、あなたが言った通り、別の方法を試してみただけなんだけどね」
「あー、もう分かりました。私が全体的に悪かったです。それでは」
これ以上の面倒は勘弁願いたくて、気のない言葉を発する。
それと同時に足を動かし始める。
「もう、そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」
彼女は慌てたように追いすがってくるのだった。
――二人で連れ立って歩く。
私の手にあるべき二つの買い物袋の一つは、重いでしょう、の一言と共に彼女の腕に攫われてしまった。
代わりに手中にあるものが、団子だ。
記憶を探ってみても、このような物を購入した覚えはない。
気付けば手に持っていたという摩訶不思議だ。
まあ、横で空の串を舐めている彼女を見れば、大体の検討はつく。
五つ程玉が刺さっている手元の串を見る。
量が多いのは実に好ましいが、取っ手の部分が短いせいで指が疲れる。
「そろそろ、こっちの暮らしにも慣れたかしら?」
話し掛けられているせいで、団子を口に運ぶタイミングを掴めずにいると、そう尋ねられる。
「そうですね……確かに飽きはしないです」
私の言葉にやけに嬉しそうな顔を向けてくる。
彼女のことを褒めた訳ではないのに変な人だなあ、と思う。
「えーっと、それで、この間の異変、どうだったの?」
口に入れようとした串を下ろして、答える。
「よくぞ聞いてくれました」
誰かに話したかったのだが、自分から言うのは気が引けてしまって、結局のところ、殆ど誰にも話していなかったりするのだ。
「あらあら、これはまた随分と……」
話したくて堪らないという私の顔を見て、彼女は何かを言いかける。
だが、それは言葉になることはなく、代わりに静かな笑い声が漏れるのだった。
――私の口は思ったよりも滑らかに動いた。
それに反比例して足取りはゆっくりに。
ついつい、事実よりも誇張、もとい脚色してしまうのは、人の性だろう。
そんな私の話に、彼女は微笑みながら相槌を入れる。
ただ、時々、私の台詞を茶化してくるのがので、真剣に聞いているのか、話半に聞いているのかは分からなかった。
けれども、やはりそうして話を聞いてくれたのは、少し嬉しかった。
「……という感じだったんですよ」
「随分と頑張ったのね」
彼女の言葉に胸を張る。
褒められれば、それは誰だって嬉しいに決まっている。
遅くなっていた歩みを元の速さに戻す。
彼女も私に合わせて歩幅を変える。
「それにしても、あなたの話を聞いてると、巫女という職業に対する私の中のイメージが固まりそうだわ。悪い方に」
「毎回言ってますけど、私は巫女じゃないです」
「でも、似たようなものなんでしょう?」
私はその言葉に答えずに、団子を口へと運んだ。
なかなかに美味しいものだった。
――やがて里の外れに到達する。
彼女から買い物袋を受け取ろうと手を出そうとする。
しかし、いつの間にか肘に買い物袋がかけられているのだった。
持っていたはずの二つほど団子の残っていた串も、いつの間にかなくなっていて。
探してみれば、彼女の右手に握られているのが見える。
どうせなら全部食べたかったな、と思った。
「それじゃあ」
と彼女は左手を挙げる。
私も同じく
「それでは」
と右手を挙げる。
次の瞬間には彼女は影すらなくなっていて。
ちょっと寂しい気もするのだった。
特別な何かがあるわけでもない日々。
それでも、そこには確かに楽しさがあって。
私の足は軽くなるのだった。
「なにそれ」
「嘘です」
「こんにちは」
人里で夕飯のことを考えながら歩いていると、耳元で突然に声がした。
それと同時に両肩を後ろに引っ張られる。
一瞬、強く。数瞬後引き伸ばすように優しく引かれる。
後転しそうになる身体を、なんとか元に戻そうとして両手を振り回す。
それに次いで、横を一瞥すれば、見知った顔がこちらを見ていた。
嬉しそうな表情で。
右肩から覗き込むように乗り出したその額を中指で弾きながら、ふと息を吐いた。
身体の芯を冷やす寒さの季節。
しかし、空はいつにも増して張り切っており、地面に濃度の高い影を生み出していた。
世界の全てがコタツに包まれているようで、病み付きになりそうな寒さと暖かさだった。
なんとか姿勢を元に戻した後、にやつく顔に向けて挨拶する。
「あ、どうも」
「つまらないわね」
薄い反応が気に入らなかったのか、面白くなさそうな声を出してくる。
肩に乗せられた手は、親指の付け根まで袖口に隠れているのが見えた。
きっと寒いのだろう。
滑るり落ちるように指先が視界から消える。
その代わりに、彼女自身が隣りに現れるのだった。
「なんか、もっとこう面白い反応してよ」
「そんなことを言われても……」
毎度、同じ方法で声を掛けられていたのでは、驚きもなくなると言うものだ。
それを私のせいにされても困る。
「偶には他のやり方考えたらどうですか」
いくら優れた手品であろうと、ネタが分かってしまっているのであれば驚きはない。
その手技を賞賛はするが、何度も見せられれば辟易するだろう。
そんなことを考えていると、思わず溜息が出た。
「あなたは今、私の自尊心を傷付けました」
先程までの馴れ馴れしいと言える程の友好的な態度とは打って変わって、拗ねた声と表情。
それに加えて、人差し指で目元を拭う仕草。
流石に演技掛かり過ぎている感は否めないが、そう見せつけられると、私の良心も痛まないことはない。
「私が悪かったです。次からは大袈裟に驚いた振りをするんで機嫌を治して下さい」
「あら本当?」
「ええ、もちろんです」
私は首を上下にやって答える。
それじゃあ、早速とばかりに私の後ろに回り込む彼女。
私の方も驚く準備は万全。
いつでも来い。と言った意気だ。
「って、今やるんですか?」
そんな私の声を聞いてか聞かずか。
この距離で聞こえないわけがないのだし、きっと無視しているのだろう。
後ろで息を吸う音が微かに聞こえる。
ゆっくりと二回、右の肩を叩かれる。
やられてしまったのなら仕方ない。
振り向く。
正しくは振り向こうとする。
しかし、私の顔は途中で止められてしまうのだった。
頬に食い込む人差し指によって。
指はそのままに、何故か誇らしげな表情を浮かべて、彼女が覗き込んでくる。
なんだか無性に腹が立ったので、全力で指を押し返してやった。
「ちょっと、ちょっと。痛いじゃない」
「痛いのは、私のほっぺたです」
手で頬を撫でると、軽く爪の痕が残っているのが感じられた。
乙女の柔肌を持ってしても、早々簡単に消えそうにもない。
「はいはい、痛いの、痛いの、飛んでいけー」
「……痛いのは頬であって、頭じゃないです」
「私からしたら痛そうに見えるんだけどね」
この人は私を馬鹿にしているのだろうか。
不満にも似た疑念が湧いてくる。
けれども、彼女の顔は真剣さ半分、笑み半分の絶妙な表情で。
それが何故だか微笑ましくて怒るに怒れなかった。
「私としては、あなたが言った通り、別の方法を試してみただけなんだけどね」
「あー、もう分かりました。私が全体的に悪かったです。それでは」
これ以上の面倒は勘弁願いたくて、気のない言葉を発する。
それと同時に足を動かし始める。
「もう、そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」
彼女は慌てたように追いすがってくるのだった。
――二人で連れ立って歩く。
私の手にあるべき二つの買い物袋の一つは、重いでしょう、の一言と共に彼女の腕に攫われてしまった。
代わりに手中にあるものが、団子だ。
記憶を探ってみても、このような物を購入した覚えはない。
気付けば手に持っていたという摩訶不思議だ。
まあ、横で空の串を舐めている彼女を見れば、大体の検討はつく。
五つ程玉が刺さっている手元の串を見る。
量が多いのは実に好ましいが、取っ手の部分が短いせいで指が疲れる。
「そろそろ、こっちの暮らしにも慣れたかしら?」
話し掛けられているせいで、団子を口に運ぶタイミングを掴めずにいると、そう尋ねられる。
「そうですね……確かに飽きはしないです」
私の言葉にやけに嬉しそうな顔を向けてくる。
彼女のことを褒めた訳ではないのに変な人だなあ、と思う。
「えーっと、それで、この間の異変、どうだったの?」
口に入れようとした串を下ろして、答える。
「よくぞ聞いてくれました」
誰かに話したかったのだが、自分から言うのは気が引けてしまって、結局のところ、殆ど誰にも話していなかったりするのだ。
「あらあら、これはまた随分と……」
話したくて堪らないという私の顔を見て、彼女は何かを言いかける。
だが、それは言葉になることはなく、代わりに静かな笑い声が漏れるのだった。
――私の口は思ったよりも滑らかに動いた。
それに反比例して足取りはゆっくりに。
ついつい、事実よりも誇張、もとい脚色してしまうのは、人の性だろう。
そんな私の話に、彼女は微笑みながら相槌を入れる。
ただ、時々、私の台詞を茶化してくるのがので、真剣に聞いているのか、話半に聞いているのかは分からなかった。
けれども、やはりそうして話を聞いてくれたのは、少し嬉しかった。
「……という感じだったんですよ」
「随分と頑張ったのね」
彼女の言葉に胸を張る。
褒められれば、それは誰だって嬉しいに決まっている。
遅くなっていた歩みを元の速さに戻す。
彼女も私に合わせて歩幅を変える。
「それにしても、あなたの話を聞いてると、巫女という職業に対する私の中のイメージが固まりそうだわ。悪い方に」
「毎回言ってますけど、私は巫女じゃないです」
「でも、似たようなものなんでしょう?」
私はその言葉に答えずに、団子を口へと運んだ。
なかなかに美味しいものだった。
――やがて里の外れに到達する。
彼女から買い物袋を受け取ろうと手を出そうとする。
しかし、いつの間にか肘に買い物袋がかけられているのだった。
持っていたはずの二つほど団子の残っていた串も、いつの間にかなくなっていて。
探してみれば、彼女の右手に握られているのが見える。
どうせなら全部食べたかったな、と思った。
「それじゃあ」
と彼女は左手を挙げる。
私も同じく
「それでは」
と右手を挙げる。
次の瞬間には彼女は影すらなくなっていて。
ちょっと寂しい気もするのだった。
特別な何かがあるわけでもない日々。
それでも、そこには確かに楽しさがあって。
私の足は軽くなるのだった。
良かったです。