太陽が目に眩しく、冬風が肌に冷たい。
人さえ殺せそうな寒さの中、私は顔を晒し腕を晒し肌を晒し今日も今日とて掃除ごっこに精を出す。
落ちている木の葉は少ない、寒気に当てられ葉を落とす木が皆無だからだ。落葉樹に囲まれた神社なので、冬も中盤を迎えた今、未だ葉を落とす元気のあるものはほとんどいない。
いつも掃除を終えたあとは、緑茶または玄米茶をその日の気分で淹れて、掃除を終えた石畳や空にかかった薄雲を眺めて飲むことにしている。
最近は茶葉をよく人間の里へ買いに出かけるようになった。一人で飲むお茶などどうでもいいと考えていたが、せっかくだから少しでも香り高く、などと風情なことを思うようになったからだろう。
一人分のお茶を入れるのにも結構気を使う。使う水だとか蒸らすだとかそう言うのではなく、どれくらい飲むか、それにはどれだけの茶葉が必要か。要するに量だ。多すぎると飲むのが大変な上に胃が水で膨れてしまう。少なすぎると物足りなくなってお湯を沸かすところからはじめなければならなくなる。
茶葉に対しお湯が多すぎると味も匂いも薄まってしまう、逆に茶葉が多すぎると匂いが味を殺してしまう。
「霊夢さーん、掃除まだ終わらないんですかー? マフラーがあるとはいえ少し寒くなってきたんですけどー」
私一人の分でさえこんなに神経をすり減らすというのに、今日と来たらなんと二人分を一気に淹れないといけないという。
いつもなら問答無用で追い返しているところだが、特段スクープを狙い、強行で取材というわけではなさそうだし、手に持っていた紙袋が気になったので少し待ってもらっている。
「うるさいなぁ、もう少しで終わるんだから静かに待ってなさいよ」
振り返らずに答えると、はーいと間の抜けた天狗の声が聞こえてきた。
その後にカスタネットのような音が聞こえてきた、おおかた歯でもガタガタと言わせてるんだろう。
……少しも静かにしていられないのだろうか。
仕方が無いので掃除を切り上げて相手をしてやろうと思う。
「お湯、沸かしときましたから」
「え、ああ。緑茶と玄米茶どっちがいい?」
「そうそう、これ持ってきたんです」
文の隣の箱をズイと私の方へ押してきた。
「せ、ん、ちゃ」
「お茶?」
「そうです」
一文字ずつ区切るように発音された。なんだか少しイラッときた。
「まぁ、お茶いれてくるから少し待ってて」
「お茶は多めにお願いします、なにぶん取材は長引きそうなのでね」
私の後ろではにかんでいるであろう彼女の方へは振り返らずに、この寒い空気を温めているであろうお湯を迎えに台所へ向かう。
◇◆◇◆◇◆
平々凡々たる日常にはお茶が付きもので、今日も芳醇な香りを漂わせ、湯気を立たせるお茶を啜る。
たまに空から新聞が降ってくることもある、これも多少の誤差ではあるが、慣れたもので平々凡々の中へ組み込まれていく。
何故新聞の話をしたかというと、つい先ほど私の頭を狙ったかのように文のそれが私のリボンを撃ち落として行ったからだ。
ちょっとした事件があってから新聞には目を通すようにしている。見慣れたものではあるが、急に目の前のものが右往左往し始めるのは心臓に悪い。
神社の名物として提唱中の緑茶を淹れ、膝の上のそれを手に取る。
どうやら一面記事は私の記事のようだ――しかし、写真が挿入されていない。
そういえば近頃の文々。新聞の記事には皆勤賞で出席している私だが、私の写真を見た覚えがない。
今までは五面や七面、良くて三面にしか乗っていなかったのでそういうものと思っていたが、さすがに一面で写真がないのはどうかと思う。
カメラでも壊れてしまったのだろうか。
私は写真が好きだ。顔見知りが笑っている写真が好きだ。妖怪が捕まって苦笑している写真が好きだ。親友が不敵な笑みを浮かべている写真が好きだ。
写されることは好きではないが、悪くは思わない。
最近、文が写真を撮る姿を見ていない。
すでに過去の遺物となった記憶の中の彼女はいつも笑みの仮面を貼りつけて、果敢にも私に突撃し続けた。いつもは勝って、たまには負けて、記事に書かれて、笑顔で私へ新聞を届けに来る。その姿を見ているだけで私は十分に満足だった。
もしかしたら私はそんな彼女が好きだったのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆
「――以上です、ありがとうございました」
「そんな社交辞令いらないわよ、お茶だけ飲んだらさっさと帰って……と思ったけど少し時間いいかしら」
ふとさっき考えていたことを思い出したので、せっかくだし聞いてみようかと思った。
「あのさぁ……」
「はい」
「なんで写真無いの?」
そして文は少し顔をしかめ、悲しそうな顔をした。そんな彼女を煽るように今日の冷たい風はふき、髪がばらけてより一層もの悲しげに見えた。
少し探すように周りを見回した後に新聞を拾い、広げ、指差す。
「写真、ありますよ……?」
私を馬鹿にしているのか。
「そうじゃなくて、私の」
そう言うとまた彼女は顔を伏せる。顔を上げ、いつもどおりの笑顔に戻ってから、考えるようにしてカメラを膝の上にのせる。
「見てください、このカメラ」
「うん。カメラ」
「そうじゃなくて、この、ここ」
「あぁ、なんか他の人が使ってるのと違うわね」
「はい、これレンズを使わないタイプのピンホールカメラっていうんです」
文はよく分からない解説を始めた。ピンホールって何よ。ゲームの一種か何かなの。
私は露骨に嫌な顔をしてみせるが、彼女はそれに気づかないかのように続ける。
「これ、覗いてみてくださいよ」
「うん」
「この手、見てください」
「うん」
渡されるがままに覗いて、文の握られた手を見る。
「じゃあレンズから目を離してください。あ、顔は動かさないで」
「よいしょ」
……文の手が何を言わんとしているのか分からない。手に口はないけど。
「じゃあ次は……よいしょ」
縁側から降りて、文が私から少し距離を取る。
このへんでいいかな、と呟いてこちらへ顔を向ける。
「レンズで覗いてみてください」
「……うん、なんかちょっと小さくなったような」
「おわかりいただけましたか」
「いまいちよくわからない」
彼女は顎に手を当て、眉を寄せた。
「とりあえず簡単に原理を説明すると、ピンホールカメラというのは像を平面につくるんです。それで近くのものより遠くのものの方が相対的に角度が小さくなってしまうんです。だから像を作る平面上では小さくなってしまうんですよ。いつもは広角レンズとかを併用して取材してるんですけどね、私がカメラを覗く時は遠くのものが小さく見えるんです」
「……いまいちよくわからない」
「要するに! 遠くのものが小さく見えるから、霊夢さんにはカメラを使いたくないんです!」
うーん。
「イッツアスモールワールドってやつね」
「何が言いたいのか分からないけど、多分違うと思います」
「うーん」
強い風がふいた。文の髪はふわりと持ち上げられ、そして少し目を細めた。
「嫌じゃないですか、目の前に本物がいるのに小さいものを見なきゃいけないなんて」
「それは――」
少し解釈に迷う、重い言葉をかけられた気がしたから。
間を十分に取り、考えたふりをしてから私はこう言う。
「あなたがロリコンじゃあないってことだけは分かったわ」
小さくカランと音がしたと思えば、文は呆れたような顔をしていて、湯のみを落としてしまっていて、お茶がこぼれてしまった。
私は平和な日常が好きだ。
降ってくる新聞が好きだ。
香り高い玄米茶が好きだ。
湯気の立つ緑茶が好きだ。
日課である掃除が好きだ。
冷気を伴った冬が好きだ。
千変万化の季節が好きだ。
この平和な日常が好きだ。
だから。
「たとえそれが虚像だったとしても、実際の距離よりも離れて見えるなんて、そんなの嫌じゃないですか」
なんて呟きが風に乗って来た気がしたけれど、聞こえなかったことにした。
今日は風が強い。こうしている間にもお茶は冷めていくし、煽られた髪ははためいている。
今日の風は冷たい。
あやれいむバンザイ。
ありがとうございました。