「ふぁぁぁ~~~~あ、は、にゃむにゃむにゃむ……」
三途の川に大きな欠伸が響き渡る。
赤い髪をちょちょいと束ね、女の子にあるまじき大口を隠しもせずに。
言わずと知れた小野塚小町。仕事中だろうと何だろうといつだって自分のペースは崩さない。
「さーて、とりあえず三人運んだ事だし……寝るか!」
言うが早いか三途の川岸に結わえた舟に、ごろりと寝転び目を閉じる。
日差しはぽかぽか。風はそよそよ。猫がごろにゃーご。
ドラえもんで言えばノビ太くん並みの速さで、ヒュプノスの胸元へ身を預けようと……
猫?
「あん?」
「にゃー」
それは猫。
虎柄のしっぽの短い子猫。
愛想の良い顔で小町の顔を眺め、黒い瞳をわくわくと輝かせて。
「お前、どっから?」
「に?」
こくんと小首を傾げるが、言葉が解っている訳ではあるまい。
此処は泣く子も黙る三途の川。生きている者が辿り着く事など……
「割とあるな。うん」
思い返せば花事件。
どいつもこいつも呼んでないのにやってきた。おかげで四季様にサボっていたのがバレ、賽の河原に正座させられ(言うまでもないが石ころだらけ。ものごっつ痛い)延々18時間も説教を喰らう事になったのだと、小町が「くくく、あいつら今度きたら三途の川に投げっぱなしジャーマンで叩き込んでやる……」と暗い情念を燃やしていると、
「にゃー」
子猫がまた鳴いた。
「ふむ。こんなとこにいると、こわーい閻魔様に怒られちゃうぞ? さ、とっとと帰った帰った」
小町は舟に横になったまま、しっしっと手で払う。
貴重なシェスパタイムを猫なんぞに邪魔されては構わない。
しかし所詮は畜生。小町の言葉が解る筈もなく、ひらひらと揺れる掌をじーっと目で追っている。
じー
ひらひら
じー
ひらひら
じー
ひらひら
じー
ぱくっ
「ぐぅあああああああああああ!! 痛痛痛痛痛っっっ!!!」
ひらひら動く小町の手を餌だとでも思ったのか、子猫は思いっきり噛み付いた。
思わず小町が思いっきり手を振ると、放してたまるかとばかりに牙を立て、挙句にひょいと身体を捻り小町の腕にしがみ付き――がりっ――思いっきり爪を立てた。
「はんぎゃあああああああああああああああああ!!!」
猫 WIN!
「ったく。あ痛痛痛……。乙女の柔肌を思いっきり傷つけやがって……」
「に?」
「に? じゃないだろー。反省しろ反省」
「なぁ」
小町が指で子猫のほっぺをつっつくと、じゃれつく様が中々可愛い。
「ったく、呑気なツラしやがって。こっちは忙しいんだぞー解ってんのかー? うりうり」
「に、ににに」
「ははは、変な顔。んーじゃこいつはどうだ? ほれほれ」
「なーおー」
「おぉ、伸びる伸びる。よーしここで不意打ちに煙草の匂いを嗅がせるっ!」
「ふしっ! ふぎぎぎぎ」
「ははは、やーいばーかばーか」
がりっ
「ずぁ! さっきの傷跡を全く同じ軌跡で!」
「にひん♪」
今日は夏だというのに日差しが優しい。
昨日まで続いた雨が、吹き抜ける爽やかな風が、とても、とても気持ちいい。
猫と戯れる死神。
この上なくシュールな、それでいて何処か微笑ましい光景。
冥府へ続く三途の川も、今日ばかりは少し穏やかだった――
「あー遊んだ。遊んだ後は寝る。これが古から伝わる作法だ。解るかね、ワトソンくん?」
「に?」
「という訳で、私は寝る。いいか、邪魔すんじゃないぞ?」
「にゃうん」
「返事だけはいいのにな……」
「にゃー」
「ま、いいや。おやすみー」
欠伸一発、舟に転がりのんびりぷかぷかお昼寝タイム。
さらさら流れる川の音が、ゆっくりゆっくり眠りに誘う。
それを見ていた子猫ちゃん。小町の顔をしげしげ見回し、くるりと背を向け、舟の縁へとがりがり登る。
目標確認、照準良ろし、乾坤一擲、気合を入れて――にゃあおぅぅぅぅん――大ジャンプ。
「ぐぼぁ!」
狙い違わず小町の胸へ。キャット空中三回転。
小町が眼を剥き、怒りの形相で胸元へ眼をやると、そこにはくるりと丸まりまどろむ猫。
「……ったく。しゃーねーな」
子猫を胸に乗せたまま。
小町はゆっくり目を閉じた――
「小町。起きなさい」
「んにゃ……げぇ! 四季様!」
「はしたない言葉を使わない」
ぺしっ
「あたっ、うーすいません。つい寝ちまったみたいで」
「何が『つい』です。寝る気満々な体勢じゃないですか」
「あーすんません。……あれ、猫は?」
「……」
「すいません、四季様。こんくらいのちっちゃい虎柄の猫見ませんでした?」
「……いいえ」
「ありゃ、逃げちまったか。飼ってやろうかって思ってたのに」
「……可愛かったですか?」
「あーどっちかつーと憎たらしいけど……何つーか放っておけないっつーか……」
「……会えますよ」
「へ?」
「貴女がまた会いたいと望むなら……また会えますよ」
「あー……うん、そっすね!」
にかりと、向日葵のような笑みを浮かべる小町。
映姫もそれに優しい笑みで応えて、
「それでは帰りましょうか?」
と言った。