人々が歩いている。
匣を持つ人、花を持つ人、何も持たぬ人が、列を為して歩いていく。
抜けるように青い空。
遠くには入道の様を見せる雲。
中天の太陽が地に映す影は限りなく短く、そこらじゅうで蝉が生きている事を主張する。
暑い日なんだろう、と思う。
今の私にはそれを感じる術は無いけれど、周囲の状況からそれを読み取ることくらいは出来た。
誰かが下生えに埋もれた蝉の死骸を踏みつけ、乾ききった身が砕ける音がする。
命を終えて土に還った蝉は、自身が生きた証を残せたのだろうか。
たとえ数日間だけであっても、他者に熱さを感じさせるほどに生命を主張できたなら、それは彼らの生きた証なのかもしれない。
私はどうだったのか。
自分でもよく、長く生きたと思う。
蝉と比べるのも馬鹿らしくなるほどの道の尺。
その中で何を生み、創り、落としてきたのだろう。
最期は、まったく憶えていない。
きっと、眠るように逝ったのだろう。
人が死を間近に感じるのを恐れるのなら、私は幸せな死に方をしたのだろうか。
思い出せない。
判らない。
私の体は軽く、生きている者達の足取りは重い。
人々の列は、竹林へ入っていた。
先程より少し傾いた太陽を竹が遮り、暗く、冷たい陰を生む。
歩いていく人々にも同じように、翳りが差している。
誰かの死は、生きている人々のモノなのだろう。
悲しみ、絶望、空虚。
身近な、親しい者に必ず残る負の情念。
故に人々は歩いている。私が残した荷物を背負って。
それを少しでも軽くするために。
私に与えられた穏やかな終わりは、彼らの荷物を少しは軽くしたのだろうか。
確信に至る要素はない。でも、そうであって欲しいと思う。
身勝手な想いであっても。
今の私が、彼らにできる事はないのだから。
死を拒絶するほど、魂に染み込んだ未練は無い。
自らの身が、終わりを迎えた事を分からぬ訳でもない。
なら、私を此岸に縛り付ける物は何なのだろう。
答えの出ない思考を掃うかのように、再び陽が差す。
人々の歩みも止まる。
竹林の中の、人の力によって拓かれた場所。
そこで待っていたのは、小家と、櫓と、銀の髪を持つ少女だった。
人々の代表と思われる者と一言、二言交すと、少女の貌に悲しみが浮かぶ。
彼女も、私と縁のある者だったのだろうか。
その様子を視ているうちに、私は櫓の方に運ばれていった。
竹で丁寧に組まれた、私を送る為の輿。
その中に、匣が置かれる。
私の躯が納められた匣。棺。
そして、その上に私が添えられる。
「さ、あんた達まで燃えちゃ拙いし、少し離れてて」
話を終えたらしい少女が声を上げた。
促され、櫓から離れる人達と入れ替わるように、彼女がその中へ。
棺の前にしゃがみ、手を合わせる。
離れていたものを閉じて。
彼方に居る者の言葉を聞き、自らの言葉を届けようとする行為。
それはその人が、もう傍に居ないことを認める事。
跪拝を終えた少女が、そのまま棺に覆いかぶさるように顔を伏せる。
泣いているのだろう。その表情は見えなくても、小さく震える肩と、しゃくる様子。
その姿を見て、堰が切れたように辺りの人々からも嗚咽が漏れ始め、さしたる間を置かずに慟哭へと変わる。
私は、きっと幸せだったのだと思う。
これ程の強い想いを出してくれる人達が居る。
その想いの分くらいには、人々の思い出になる生き方をしてきたのだろう。
それと同じだけ、自分も思い出を残してきたのだろう。
しばらくして、少女が顔を上げた。
落ち着いたのか、溜まっていた涙を拭い、一枚の符を取り出す。
彼女は、まだ啜り泣きの聞こえる周囲を見渡した後、先程話をしていた者を見据える。
その人が小さく頷くのを確認して目を閉じ、静かに、しかしはっきりと宣言した。
― 不死『火の鳥 -鳳翼天翔-』 ―
送別の火が灯る。
櫓が燃えるまでもなく、少女の体から出でた鳳凰が巨大な篝火と化す。
その翼が、体から魂を引き剥がし、在るべき処へ還れと羽ばたく。
私の体が燃える。
少しずつ顕界から離れて行く私には、それがよく視えた。
思い出が宿った躯と、依代の体。
思い出を象徴とする言葉を持つ身体。
熱に炙られ、乾き、砕け、灰になっていく。
土に還る。
でも、それでいいのだろう。
魂だけの私には、思い出はきっと重すぎる。
どんなに大切な物でも、抱えすぎて沈んでしまうのでは哀し過ぎる。
だから、他の人に配られた分だけで満足しよう。
それすらも、歳月に薄められて消える頃に。
私は誰かになる為に。
魂に宿った『私』も還しに行こう。
送り火の中、消え往く私の方を、少女は見ている。
もう、何も聞こえないけど、確かに届いた言葉。
―――「ありがとう」と「またね」
あー、来た来た。
その感じだと、すっきりしたみたいだね。
未練もなさそうなのに何かまごまごしてたから、送り返してみたんだけどね。
あ、これ四季様に―ああ、ここの担当の閻魔様の事な。
まぁともかく言わないどくれよ。
説教食らうから。
誰がって?
あたいに決まってるじゃないか、ははは。
ん?魂に宿った記憶はどうなるか…ねぇ。
魂に宿るほどの強い想いってのは、正しい魂の循環を妨げちまうらしいんだよ。
だから、善きに付け悪しきに付け、裁きを受けてそれを清算するんだ~って。
今のは受け売りなんだけどね。
でも、あたいはそれでも消えなかった想いなんかが、縁って形で残るって思ってるんだけど。
ま、それはあんたがどう生きてたか次第って事さ。
さて、此度の客は払いがいい。
駄賃の幅は河の幅。
四方山話に花咲く間もなさそうだが、中有の旅は短い方が良かろうってなもんだ。
それじゃ、行こうかね。
匣を持つ人、花を持つ人、何も持たぬ人が、列を為して歩いていく。
抜けるように青い空。
遠くには入道の様を見せる雲。
中天の太陽が地に映す影は限りなく短く、そこらじゅうで蝉が生きている事を主張する。
暑い日なんだろう、と思う。
今の私にはそれを感じる術は無いけれど、周囲の状況からそれを読み取ることくらいは出来た。
誰かが下生えに埋もれた蝉の死骸を踏みつけ、乾ききった身が砕ける音がする。
命を終えて土に還った蝉は、自身が生きた証を残せたのだろうか。
たとえ数日間だけであっても、他者に熱さを感じさせるほどに生命を主張できたなら、それは彼らの生きた証なのかもしれない。
私はどうだったのか。
自分でもよく、長く生きたと思う。
蝉と比べるのも馬鹿らしくなるほどの道の尺。
その中で何を生み、創り、落としてきたのだろう。
最期は、まったく憶えていない。
きっと、眠るように逝ったのだろう。
人が死を間近に感じるのを恐れるのなら、私は幸せな死に方をしたのだろうか。
思い出せない。
判らない。
私の体は軽く、生きている者達の足取りは重い。
人々の列は、竹林へ入っていた。
先程より少し傾いた太陽を竹が遮り、暗く、冷たい陰を生む。
歩いていく人々にも同じように、翳りが差している。
誰かの死は、生きている人々のモノなのだろう。
悲しみ、絶望、空虚。
身近な、親しい者に必ず残る負の情念。
故に人々は歩いている。私が残した荷物を背負って。
それを少しでも軽くするために。
私に与えられた穏やかな終わりは、彼らの荷物を少しは軽くしたのだろうか。
確信に至る要素はない。でも、そうであって欲しいと思う。
身勝手な想いであっても。
今の私が、彼らにできる事はないのだから。
死を拒絶するほど、魂に染み込んだ未練は無い。
自らの身が、終わりを迎えた事を分からぬ訳でもない。
なら、私を此岸に縛り付ける物は何なのだろう。
答えの出ない思考を掃うかのように、再び陽が差す。
人々の歩みも止まる。
竹林の中の、人の力によって拓かれた場所。
そこで待っていたのは、小家と、櫓と、銀の髪を持つ少女だった。
人々の代表と思われる者と一言、二言交すと、少女の貌に悲しみが浮かぶ。
彼女も、私と縁のある者だったのだろうか。
その様子を視ているうちに、私は櫓の方に運ばれていった。
竹で丁寧に組まれた、私を送る為の輿。
その中に、匣が置かれる。
私の躯が納められた匣。棺。
そして、その上に私が添えられる。
「さ、あんた達まで燃えちゃ拙いし、少し離れてて」
話を終えたらしい少女が声を上げた。
促され、櫓から離れる人達と入れ替わるように、彼女がその中へ。
棺の前にしゃがみ、手を合わせる。
離れていたものを閉じて。
彼方に居る者の言葉を聞き、自らの言葉を届けようとする行為。
それはその人が、もう傍に居ないことを認める事。
跪拝を終えた少女が、そのまま棺に覆いかぶさるように顔を伏せる。
泣いているのだろう。その表情は見えなくても、小さく震える肩と、しゃくる様子。
その姿を見て、堰が切れたように辺りの人々からも嗚咽が漏れ始め、さしたる間を置かずに慟哭へと変わる。
私は、きっと幸せだったのだと思う。
これ程の強い想いを出してくれる人達が居る。
その想いの分くらいには、人々の思い出になる生き方をしてきたのだろう。
それと同じだけ、自分も思い出を残してきたのだろう。
しばらくして、少女が顔を上げた。
落ち着いたのか、溜まっていた涙を拭い、一枚の符を取り出す。
彼女は、まだ啜り泣きの聞こえる周囲を見渡した後、先程話をしていた者を見据える。
その人が小さく頷くのを確認して目を閉じ、静かに、しかしはっきりと宣言した。
― 不死『火の鳥 -鳳翼天翔-』 ―
送別の火が灯る。
櫓が燃えるまでもなく、少女の体から出でた鳳凰が巨大な篝火と化す。
その翼が、体から魂を引き剥がし、在るべき処へ還れと羽ばたく。
私の体が燃える。
少しずつ顕界から離れて行く私には、それがよく視えた。
思い出が宿った躯と、依代の体。
思い出を象徴とする言葉を持つ身体。
熱に炙られ、乾き、砕け、灰になっていく。
土に還る。
でも、それでいいのだろう。
魂だけの私には、思い出はきっと重すぎる。
どんなに大切な物でも、抱えすぎて沈んでしまうのでは哀し過ぎる。
だから、他の人に配られた分だけで満足しよう。
それすらも、歳月に薄められて消える頃に。
私は誰かになる為に。
魂に宿った『私』も還しに行こう。
送り火の中、消え往く私の方を、少女は見ている。
もう、何も聞こえないけど、確かに届いた言葉。
―――「ありがとう」と「またね」
あー、来た来た。
その感じだと、すっきりしたみたいだね。
未練もなさそうなのに何かまごまごしてたから、送り返してみたんだけどね。
あ、これ四季様に―ああ、ここの担当の閻魔様の事な。
まぁともかく言わないどくれよ。
説教食らうから。
誰がって?
あたいに決まってるじゃないか、ははは。
ん?魂に宿った記憶はどうなるか…ねぇ。
魂に宿るほどの強い想いってのは、正しい魂の循環を妨げちまうらしいんだよ。
だから、善きに付け悪しきに付け、裁きを受けてそれを清算するんだ~って。
今のは受け売りなんだけどね。
でも、あたいはそれでも消えなかった想いなんかが、縁って形で残るって思ってるんだけど。
ま、それはあんたがどう生きてたか次第って事さ。
さて、此度の客は払いがいい。
駄賃の幅は河の幅。
四方山話に花咲く間もなさそうだが、中有の旅は短い方が良かろうってなもんだ。
それじゃ、行こうかね。