最近、メイド長がおかしい。
そんな噂が、紅魔館の中にまことしやかに流れ始めたのは、確か今週に入ってからだったか。
そもそも、この幻想郷に住まう人間――というか、この紅魔館と縁のある人間――に『まとも』という単語で表現できる奴がどれほどいるだろうかというツッコミがなされるところであるが、とりあえず、今回の『おかしい』はそっちのおかしいとは別物だ。
具体的に記述すると、その異変が現れたのは、……そう、確か今週に入ってから。
一日の仕事の合間の休憩時間。
毎日が忙しい紅魔館の中にあって、それは金よりも貴重でダイヤよりも高価な時間。それを堪能すべく、メイド長が厨房に現れた。その休み時間を、より有意義なものにするべく、お茶を用意しに来たのだ。そして、冷蔵庫の中に入れられている、甘くて美味しいと評判のケーキ(美鈴作)のものを片手に、満面の笑みで自室へと、お茶と共に歩いていって――それから五分もしないうちに「今日は、ちょっとお腹の調子がよくないみたいなの」とケーキだけを戻しに来た。もちろん、その後、そのケーキを巡って「咲夜さまとの間接キス!」「美鈴さまのケーキは私のものよー!」という血で血を洗う争奪戦が繰り広げられたのはさておきとして、その日から、メイド長の異変は始まった。
まず、妙にけだるげな表情を浮かべていることが多い。
単に疲れているだけなのかもしれないが、これぞまさに深窓の令嬢、といった雰囲気と表情で佇んでいる時間が増えた。それを見たメイド達は一様に、『恋の季節の始まりかしら?』という意見を思い浮かべ、それによって口さがのない事言いまくって先輩メイド達にお仕置きされたりしたのだが、とにかく、そんな雰囲気を漂わせている時間が増えた。
次に、食欲がなくなった。
元々、彼女はそれほど多くものを口にするというタイプではない。さりとて小食というわけでもない、いわゆる『相応の食欲の持ち主』なのであるが、とにかく食べ物を口にすることが少なくなった。「夏ばてですか?」と、とあるメイドがスタミナ食を作ったりもしたのだが、彼女のそれが改善されることはなく、日々、食堂の片隅で「咲夜さまの食べ残しはいただきよー!」と、メイド達の醜い争いが継続されることとなる。一方で、「ダイエットでも始めたのかしら?」という噂が立ち、あれでも充分すぎるほど充分なスタイルなのにね、と羨ましがるような発言で話題は締めくくられる。
そしてこれが極めつけなのだが、何やら薬を飲み始めた。
時折、顔をしかめながら、館の片隅にある、小さな部屋――医務室の類だ――にやってきて、頭痛薬だの鎮痛剤だのをもらって去っていく。そこを預かるメイドも、「珍しいわね」と言うばかり。一体どんな症状を起こしているのか、と誰かが訊ねたところ、「患者のプライバシーは守るのが信条よ」とのこと。これを聞いてメイド達は、「まさかあの日!?」という恥ずかしい話題できゃーきゃー騒ぎ、「てっきり、私、咲夜さまにもうあの日は来ないのかと思っちゃってた」という爆弾発言まで飛び出すほどの騒ぎとなった。
以上をもって、ここ、十六夜咲夜の自室に、館を預かるお嬢様が訪れる運びとなったわけである。
「咲夜。いい産婦人科を知っているのだけど」
「………………は?」
のっけからものすげぇ一言だった。
「えっと……はい?」
「あら、違うの?」
「いや、あの、全く話が見えないのですが……」
全く、頭の悪い子ね、と言わんばかりの口調のレミリアに対し、いつものけだるげな表情の中に微妙なしかめっ面を浮かべるという奇妙な真似をしている咲夜が応える。
お嬢様はと言うと、腕組みしながら尊大に、
「あら、そう。そうじゃないのね。
それなら……あれかしら。泌尿器科?」
「……いや、あの……何の話ですか?」
「これも違うの。なら……えっと……」
と、くるりと後ろを向いて、何やらごそごそと服をあさる。その中から出てきたのはカンペ。
「となると、内科かしら」
「あの……私、別にどこも悪くないのですが」
「え?」
そこでぴたりと止まるお嬢様。なお、咲夜は何にもしてませんわ。
片手に持ったカンペがひらひらと床に落ちた後、こほん、とレミリアは空咳をしてから、
「じゃあ、一体どうしたというの? 最近、あなたのふぬけっぷりと来たら。
何かあったのなら言いなさいな。然るべき処置をするのも、わたしの務めよ」
「はぁ……あの、ご心配をおかけしました。別段、何もないのですが……ただ、ちょっと悩みがありまして」
「子供の名前?」
「いやですからね?」
どうしてもそっちの方向に話を持って行きたいらしい。
咲夜はというと、どちらかというとそっちの方で疲れが来ているのか、頭痛をこらえるような仕草を見せながら、
「ともあれ、何でもありませんから。大丈夫です。
ふぬけていたというのでしたら、それについては申しわけありませんでした。確かに、最近、仕事に熱が入ってなかったように思います。以後、自重致します」
「そう。それならいいのだけど。
それじゃ、とりあえず、最初にあなたに仕事を申しつけるわ」
「はい。何でしょうか」
「フランが『美味しいおやつが食べたい』って騒いでいるの。だから、新しいお菓子を作ってあげて」
「……は、はい……」
なぜか、顔を引きつらせる咲夜には気づかず、くるりと振り返ってとてとてと歩いていく。相変わらず、愛嬌漂う仕草だが、当の本人はその後ろ姿に自らのカリスマがあふれていると思っているらしい。実際の所は、メイド達から『かわいいわね~』と評価を受ける後ろ姿ではあるのだが。
「じゃ、期待しているわね」
去り際に、その一言。
その言葉に笑顔で『はい』と返してから。
咲夜は、憂鬱そうにため息をついたのだった。
「それで、最後に冷蔵庫で冷やしておしまいです」
「なるほど……」
というわけで、その翌日。
料理にかけてなら、この紅魔館において右に出るものがいない美鈴と一緒に、『夏の新作』なお菓子を作成していた咲夜は、彼女の相変わらずの腕前に感心して声を上げた。
「桃のゼリーに、ちょっとアレンジをねぇ……」
「はい。暑い時には冷や菓子が喜ばれますから」
「そうね……確かにそうかも」
「咲夜さんの分も作っておきましたから。あとで食べてくださいね」
冷蔵庫の中に入れられたのは、レミリアとフランドール、二人の吸血鬼姉妹の分に加えて、図書館の主であるパチュリーのものと、そして咲夜の分。以上四つが、現在、冷蔵庫で食べ頃になるのを待っている。
「それと、咲夜さんには元気が出るように、こちらのハーブティーを……」
「ああ……私はいいから。ゼリーだけ、後で美味しく頂かせてもらうわ」
「そう……ですか?
あの、大丈夫ですか? 最近、どうにも具合が悪いように……」
「大丈夫よ。それよりも、美鈴。あなた、昨日、また魔理沙に負けたそうね。最近たるんでるわよ」
「はぅ……」
しょぼ~んと肩を落とす彼女に笑いかけて、「じゃ、お仕事、頑張りましょう」とその場を後にする。美鈴も、慌ててその後に続き、かくて本日の紅魔館でのお勤めが始まった。
――咲夜の本日のお仕事は、相変わらずのもの。なので、そちらについては割愛しよう。
その後、おやつの時間になって、美鈴と一緒に作った『桃のゼリー 紅魔館風』はレミリアにもフランドールにも大好評だった。パチュリーの方は意見を聞くことが出来なかったのだが、小悪魔が、つい先ほど、空っぽのお皿を厨房に下げに来たので、少なくとも気に入ってもらうことは出来たようである。
そして、咲夜もまた、そのゼリーを片手に自室へと戻っていたのだが――。
「……」
片手に持ったスプーンが、完全にゼリーの前で止まっている。
「どうしたんですか? 暖かくなっても美味しいですけど、冷たい間はもっと美味しいですよ」
仕事の合間の休憩時間は、何もメイド達の特権ではない。美鈴達、門番隊のもの達にも等しく休憩時間は与えられている。その休憩時間を利用して何をするつもりだったのかは知らないが、館の中を歩いていた彼女にとあるメイドが声をかけてきたのだ。曰く、『咲夜さまと一番仲のいい美鈴さまになら託せます』とのこと。一体どういう意味なのかはわからなかったが、その彼女が渡してきた『午後のお茶セット』をもらって、美鈴もその頼みを断るようなことはしなかった。
そして、今。
「もしかして、咲夜さん、桃のゼリーはお嫌いですか?」
「そ、そんなことはないけど」
「そうですか。
それなら……」
ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべた美鈴が、咲夜が手にしていた銀のスプーンを取ると、それを片手に、
「はい、あ~ん」
「あ、あーんって……」
「どうぞ。食べさせてあげますよ」
などと、満面の笑みで迫ってくる。
彼女に悪気はない。悪気はないのだ。しかし、世の中、悪気がなければ何をしてもいいというわけではない。ましてやこの状況。これは極めて、咲夜にとって、肉体的にも精神的にもよくない状況である。
「い、いいわ。自分で食べるから。だから……」
「はい」
「むぐっ」
逃げようとした、その一瞬を見逃さず、美鈴の手にしたゼリーが咲夜の口の中へ。
その瞬間。
「んっ……!」
彼女が顔をしかめ、あごを押さえた。
「……咲夜さん?」
「……う~……」
涙目になって、何やら震えている。
じっと、その様子を観察していた美鈴だが、思い当たることがあったのか、「動かないでください」と咲夜の顔を押さえつける。
「はい、あーんしてください」
「べ、別に何ともないってば!」
「あーん」
「………………あーん」
結局、逆らうことは出来ずに、彼女は口を大きく開けて。
――かくして、メイド長の悩みの原因が発覚したのだった。
「全くもう……。虫歯なら虫歯ってそう言えばいいじゃないですか」
「う~……だってぇ……」
その日の内に、美鈴は咲夜と共に竹林の医者を訪れていた。
そして、医者――永琳に咲夜の治療に当たってもらったのだが――。
「ほんと、かわいかったですよ?」
「ほっといてよ!」
ちょっぴり目が赤い。ついでに頬もだ。
――咲夜曰く、痛みに気づいたのは、つい最近ではなく、もっと前からなのだという。しかし、治療をするのが嫌で――つまるところ、歯医者に行きたくなくて先延ばしにしていたら、いつの間にか病状は進行し、歯の痛みのおかげで食事が出来なくなるわ、頭痛がするわ、熱が出るわ、痛くて物事に集中できないわと、とにかく散々な状況に陥っていたのだ。
永琳曰く、「これはかなりひどいわね。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」という流れで治療が行われ、
「けど、泣くほど痛いというわけでもなかったと思いますけど」
くすくす笑う美鈴に、咲夜は真っ赤に泣きはらした目を向ける。
咲夜曰く、「歯医者だけはダメなの、だからお願い何とか痛みをごまかす方法を教えて」ということだった。
無論、美鈴は「そんな方法ありません。素直に治療しましょう」とここまで、嫌がる咲夜を引っ張ってきたのである。
「けど、歯医者が嫌で泣いちゃう咲夜さんって。何だかとっても、普段の咲夜さんらしくありませんねー」
「……ふん。美鈴は健康だもの。歯医者の、あの音とか痛みとかわからないから……」
「日頃から、ちゃんと歯磨きしないからですよ。
あとで、私が正しい歯磨きのやり方、教えてあげますね。手取り足取り」
「……はーい」
普段、かっこいいのに、こういう時にはかわいくなる。
だから、咲夜さんって好きだなぁ、と。
小さな声で、美鈴はつぶやいたのだった。
――なお、この時発覚した、メイド長の新たな弱点、『歯医者嫌い』は、以後、紅魔館のメイド達にとっての、『咲夜さまの萌えポイント』に新たに加わることになるのだが。
まぁ、それはさておこう。
そして、今回の咲夜の治療にともなって、永琳が実施した『幻想郷 歯の健康週間』によって、多数の虫歯保持者が見つかり、無事に治療を受けることが出来たのだが――。
ここから紹介するのは、その中のほんの一幕である。
「いやー! 歯医者いやー!」
「わ、わたしは別に歯は悪くないわ! ほら、見なさいな! こんなにきれいな……」
「あらあら、奥に小さな虫歯がありますね」
「な、ないわよそんなのっ!」
「やなのー! 歯医者やー!」
「フランドール様、大丈夫です、痛くありませんからー!」
「じ、冗談じゃないわっ! こうなったら、『歯が痛くならない運命』を手繰り寄せて……!」
「それじゃ、治療しましょうね」
きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!
『いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
その後、ぐすぐす泣きながらあめをもらってぺろぺろとそれをなめている、とある姉妹の姿が紅の館の中で目撃されたという。
そんな噂が、紅魔館の中にまことしやかに流れ始めたのは、確か今週に入ってからだったか。
そもそも、この幻想郷に住まう人間――というか、この紅魔館と縁のある人間――に『まとも』という単語で表現できる奴がどれほどいるだろうかというツッコミがなされるところであるが、とりあえず、今回の『おかしい』はそっちのおかしいとは別物だ。
具体的に記述すると、その異変が現れたのは、……そう、確か今週に入ってから。
一日の仕事の合間の休憩時間。
毎日が忙しい紅魔館の中にあって、それは金よりも貴重でダイヤよりも高価な時間。それを堪能すべく、メイド長が厨房に現れた。その休み時間を、より有意義なものにするべく、お茶を用意しに来たのだ。そして、冷蔵庫の中に入れられている、甘くて美味しいと評判のケーキ(美鈴作)のものを片手に、満面の笑みで自室へと、お茶と共に歩いていって――それから五分もしないうちに「今日は、ちょっとお腹の調子がよくないみたいなの」とケーキだけを戻しに来た。もちろん、その後、そのケーキを巡って「咲夜さまとの間接キス!」「美鈴さまのケーキは私のものよー!」という血で血を洗う争奪戦が繰り広げられたのはさておきとして、その日から、メイド長の異変は始まった。
まず、妙にけだるげな表情を浮かべていることが多い。
単に疲れているだけなのかもしれないが、これぞまさに深窓の令嬢、といった雰囲気と表情で佇んでいる時間が増えた。それを見たメイド達は一様に、『恋の季節の始まりかしら?』という意見を思い浮かべ、それによって口さがのない事言いまくって先輩メイド達にお仕置きされたりしたのだが、とにかく、そんな雰囲気を漂わせている時間が増えた。
次に、食欲がなくなった。
元々、彼女はそれほど多くものを口にするというタイプではない。さりとて小食というわけでもない、いわゆる『相応の食欲の持ち主』なのであるが、とにかく食べ物を口にすることが少なくなった。「夏ばてですか?」と、とあるメイドがスタミナ食を作ったりもしたのだが、彼女のそれが改善されることはなく、日々、食堂の片隅で「咲夜さまの食べ残しはいただきよー!」と、メイド達の醜い争いが継続されることとなる。一方で、「ダイエットでも始めたのかしら?」という噂が立ち、あれでも充分すぎるほど充分なスタイルなのにね、と羨ましがるような発言で話題は締めくくられる。
そしてこれが極めつけなのだが、何やら薬を飲み始めた。
時折、顔をしかめながら、館の片隅にある、小さな部屋――医務室の類だ――にやってきて、頭痛薬だの鎮痛剤だのをもらって去っていく。そこを預かるメイドも、「珍しいわね」と言うばかり。一体どんな症状を起こしているのか、と誰かが訊ねたところ、「患者のプライバシーは守るのが信条よ」とのこと。これを聞いてメイド達は、「まさかあの日!?」という恥ずかしい話題できゃーきゃー騒ぎ、「てっきり、私、咲夜さまにもうあの日は来ないのかと思っちゃってた」という爆弾発言まで飛び出すほどの騒ぎとなった。
以上をもって、ここ、十六夜咲夜の自室に、館を預かるお嬢様が訪れる運びとなったわけである。
「咲夜。いい産婦人科を知っているのだけど」
「………………は?」
のっけからものすげぇ一言だった。
「えっと……はい?」
「あら、違うの?」
「いや、あの、全く話が見えないのですが……」
全く、頭の悪い子ね、と言わんばかりの口調のレミリアに対し、いつものけだるげな表情の中に微妙なしかめっ面を浮かべるという奇妙な真似をしている咲夜が応える。
お嬢様はと言うと、腕組みしながら尊大に、
「あら、そう。そうじゃないのね。
それなら……あれかしら。泌尿器科?」
「……いや、あの……何の話ですか?」
「これも違うの。なら……えっと……」
と、くるりと後ろを向いて、何やらごそごそと服をあさる。その中から出てきたのはカンペ。
「となると、内科かしら」
「あの……私、別にどこも悪くないのですが」
「え?」
そこでぴたりと止まるお嬢様。なお、咲夜は何にもしてませんわ。
片手に持ったカンペがひらひらと床に落ちた後、こほん、とレミリアは空咳をしてから、
「じゃあ、一体どうしたというの? 最近、あなたのふぬけっぷりと来たら。
何かあったのなら言いなさいな。然るべき処置をするのも、わたしの務めよ」
「はぁ……あの、ご心配をおかけしました。別段、何もないのですが……ただ、ちょっと悩みがありまして」
「子供の名前?」
「いやですからね?」
どうしてもそっちの方向に話を持って行きたいらしい。
咲夜はというと、どちらかというとそっちの方で疲れが来ているのか、頭痛をこらえるような仕草を見せながら、
「ともあれ、何でもありませんから。大丈夫です。
ふぬけていたというのでしたら、それについては申しわけありませんでした。確かに、最近、仕事に熱が入ってなかったように思います。以後、自重致します」
「そう。それならいいのだけど。
それじゃ、とりあえず、最初にあなたに仕事を申しつけるわ」
「はい。何でしょうか」
「フランが『美味しいおやつが食べたい』って騒いでいるの。だから、新しいお菓子を作ってあげて」
「……は、はい……」
なぜか、顔を引きつらせる咲夜には気づかず、くるりと振り返ってとてとてと歩いていく。相変わらず、愛嬌漂う仕草だが、当の本人はその後ろ姿に自らのカリスマがあふれていると思っているらしい。実際の所は、メイド達から『かわいいわね~』と評価を受ける後ろ姿ではあるのだが。
「じゃ、期待しているわね」
去り際に、その一言。
その言葉に笑顔で『はい』と返してから。
咲夜は、憂鬱そうにため息をついたのだった。
「それで、最後に冷蔵庫で冷やしておしまいです」
「なるほど……」
というわけで、その翌日。
料理にかけてなら、この紅魔館において右に出るものがいない美鈴と一緒に、『夏の新作』なお菓子を作成していた咲夜は、彼女の相変わらずの腕前に感心して声を上げた。
「桃のゼリーに、ちょっとアレンジをねぇ……」
「はい。暑い時には冷や菓子が喜ばれますから」
「そうね……確かにそうかも」
「咲夜さんの分も作っておきましたから。あとで食べてくださいね」
冷蔵庫の中に入れられたのは、レミリアとフランドール、二人の吸血鬼姉妹の分に加えて、図書館の主であるパチュリーのものと、そして咲夜の分。以上四つが、現在、冷蔵庫で食べ頃になるのを待っている。
「それと、咲夜さんには元気が出るように、こちらのハーブティーを……」
「ああ……私はいいから。ゼリーだけ、後で美味しく頂かせてもらうわ」
「そう……ですか?
あの、大丈夫ですか? 最近、どうにも具合が悪いように……」
「大丈夫よ。それよりも、美鈴。あなた、昨日、また魔理沙に負けたそうね。最近たるんでるわよ」
「はぅ……」
しょぼ~んと肩を落とす彼女に笑いかけて、「じゃ、お仕事、頑張りましょう」とその場を後にする。美鈴も、慌ててその後に続き、かくて本日の紅魔館でのお勤めが始まった。
――咲夜の本日のお仕事は、相変わらずのもの。なので、そちらについては割愛しよう。
その後、おやつの時間になって、美鈴と一緒に作った『桃のゼリー 紅魔館風』はレミリアにもフランドールにも大好評だった。パチュリーの方は意見を聞くことが出来なかったのだが、小悪魔が、つい先ほど、空っぽのお皿を厨房に下げに来たので、少なくとも気に入ってもらうことは出来たようである。
そして、咲夜もまた、そのゼリーを片手に自室へと戻っていたのだが――。
「……」
片手に持ったスプーンが、完全にゼリーの前で止まっている。
「どうしたんですか? 暖かくなっても美味しいですけど、冷たい間はもっと美味しいですよ」
仕事の合間の休憩時間は、何もメイド達の特権ではない。美鈴達、門番隊のもの達にも等しく休憩時間は与えられている。その休憩時間を利用して何をするつもりだったのかは知らないが、館の中を歩いていた彼女にとあるメイドが声をかけてきたのだ。曰く、『咲夜さまと一番仲のいい美鈴さまになら託せます』とのこと。一体どういう意味なのかはわからなかったが、その彼女が渡してきた『午後のお茶セット』をもらって、美鈴もその頼みを断るようなことはしなかった。
そして、今。
「もしかして、咲夜さん、桃のゼリーはお嫌いですか?」
「そ、そんなことはないけど」
「そうですか。
それなら……」
ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべた美鈴が、咲夜が手にしていた銀のスプーンを取ると、それを片手に、
「はい、あ~ん」
「あ、あーんって……」
「どうぞ。食べさせてあげますよ」
などと、満面の笑みで迫ってくる。
彼女に悪気はない。悪気はないのだ。しかし、世の中、悪気がなければ何をしてもいいというわけではない。ましてやこの状況。これは極めて、咲夜にとって、肉体的にも精神的にもよくない状況である。
「い、いいわ。自分で食べるから。だから……」
「はい」
「むぐっ」
逃げようとした、その一瞬を見逃さず、美鈴の手にしたゼリーが咲夜の口の中へ。
その瞬間。
「んっ……!」
彼女が顔をしかめ、あごを押さえた。
「……咲夜さん?」
「……う~……」
涙目になって、何やら震えている。
じっと、その様子を観察していた美鈴だが、思い当たることがあったのか、「動かないでください」と咲夜の顔を押さえつける。
「はい、あーんしてください」
「べ、別に何ともないってば!」
「あーん」
「………………あーん」
結局、逆らうことは出来ずに、彼女は口を大きく開けて。
――かくして、メイド長の悩みの原因が発覚したのだった。
「全くもう……。虫歯なら虫歯ってそう言えばいいじゃないですか」
「う~……だってぇ……」
その日の内に、美鈴は咲夜と共に竹林の医者を訪れていた。
そして、医者――永琳に咲夜の治療に当たってもらったのだが――。
「ほんと、かわいかったですよ?」
「ほっといてよ!」
ちょっぴり目が赤い。ついでに頬もだ。
――咲夜曰く、痛みに気づいたのは、つい最近ではなく、もっと前からなのだという。しかし、治療をするのが嫌で――つまるところ、歯医者に行きたくなくて先延ばしにしていたら、いつの間にか病状は進行し、歯の痛みのおかげで食事が出来なくなるわ、頭痛がするわ、熱が出るわ、痛くて物事に集中できないわと、とにかく散々な状況に陥っていたのだ。
永琳曰く、「これはかなりひどいわね。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」という流れで治療が行われ、
「けど、泣くほど痛いというわけでもなかったと思いますけど」
くすくす笑う美鈴に、咲夜は真っ赤に泣きはらした目を向ける。
咲夜曰く、「歯医者だけはダメなの、だからお願い何とか痛みをごまかす方法を教えて」ということだった。
無論、美鈴は「そんな方法ありません。素直に治療しましょう」とここまで、嫌がる咲夜を引っ張ってきたのである。
「けど、歯医者が嫌で泣いちゃう咲夜さんって。何だかとっても、普段の咲夜さんらしくありませんねー」
「……ふん。美鈴は健康だもの。歯医者の、あの音とか痛みとかわからないから……」
「日頃から、ちゃんと歯磨きしないからですよ。
あとで、私が正しい歯磨きのやり方、教えてあげますね。手取り足取り」
「……はーい」
普段、かっこいいのに、こういう時にはかわいくなる。
だから、咲夜さんって好きだなぁ、と。
小さな声で、美鈴はつぶやいたのだった。
――なお、この時発覚した、メイド長の新たな弱点、『歯医者嫌い』は、以後、紅魔館のメイド達にとっての、『咲夜さまの萌えポイント』に新たに加わることになるのだが。
まぁ、それはさておこう。
そして、今回の咲夜の治療にともなって、永琳が実施した『幻想郷 歯の健康週間』によって、多数の虫歯保持者が見つかり、無事に治療を受けることが出来たのだが――。
ここから紹介するのは、その中のほんの一幕である。
「いやー! 歯医者いやー!」
「わ、わたしは別に歯は悪くないわ! ほら、見なさいな! こんなにきれいな……」
「あらあら、奥に小さな虫歯がありますね」
「な、ないわよそんなのっ!」
「やなのー! 歯医者やー!」
「フランドール様、大丈夫です、痛くありませんからー!」
「じ、冗談じゃないわっ! こうなったら、『歯が痛くならない運命』を手繰り寄せて……!」
「それじゃ、治療しましょうね」
きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいん!
『いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
その後、ぐすぐす泣きながらあめをもらってぺろぺろとそれをなめている、とある姉妹の姿が紅の館の中で目撃されたという。
後残るは骨接ぎとか整体、針あたりの東洋系か?
)∩
「我慢してください」
こんなものが幻視できた
昔、麻酔無しで治療をやったことがありますが、えらい目にあいました。
えーりんえーりん助けてえーりん
「……ッ、必要ないわ、いえ、ちょっと待ってやはり郷に入っては郷に従えだから嫌々だけど必要かも、っていうか必要かも」
「あら、切らしたみだたいだわ、ざんねんざんねん」
「いやーー! さ、咲夜! さくやー!」
というのも幻視できた