ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。
「らーららーらららっららー♪」
いい天気のとある日。微妙に日の差さない地上より少しだけ降りた地下室。
そこでは調子っぱずれの歌を歌いながら、紅い髪を腰まで流した女性がそこそこの大きさの壺に手を入れて何かをしていた。
「ちゃらららららら、らんらんらん♪ わー。よく漬かってるー」
壺から手を出して、ぺろりと指を舐める。
その手は彼女の髪と同じように赤かった。
「んーっ。さわやかな辛さだなあ、さすが私」
うんうん、と頷いて女性は壺に蓋を被せた。ことん、と音が地下室に反響したと同時、入り口から見える四角の空が歪に歪む。
それは人の形をしていた。
「美鈴。そろそろ出てきなさい。いつまで仕事をサボるつもりなのかしら」
まるで刃物を思わせる鋭利な声が聞こえた。
びく、と紅い髪の女性――美鈴はアハハ、と愛想笑いを浮かべながら言い訳を考えていた。
「で? 何をしていたの?」
咲夜は疑問を持っていた。
多少気が弱く、というよりは人が好く従順な美鈴が、突然一つ地下に部屋が欲しいと言い出したのである。とはいえ、紅魔館の本館の地下は主の妹君――フランドール様のために誂えたスペースなので既に増築などは出来ず、やむを得ず門のそばに地下室を作ったのだった。
その地下室であるが、逆光の効果もあってか咲夜をはじめ覗き込んだ連中は美鈴がなにをやっているかは全く判らずじまいだった。中に入ればいいじゃない、と思ったものもいたのではあるが、あの調子っぱずれの歌を聴いた瞬間あの幸せオーラを壊すのは忍びない、と回れ右してしまうのだった。
そんなわけでそこそこ長らくの間謎のヴェールに包まれていた美鈴の奇行だったが、やはりはずれとはいえ館内で判らないことがあるのが嫌なのか、ついに咲夜は切り出したのだった。
「え? あれ、話してませんでしたっけ?」
そんな裏事情など知らず(当たり前である)、美鈴はぽかんとした表情で首を傾げた。
「全然。何も。あのときの貴女の形相が必死だったから気付かなかったけど」
失態ね、と額に指を当てて溜息を吐く。咲夜は、変なところでうっかりする自分に呆れていた。
そんな咲夜を見て、あはは、と軽く笑いながら美鈴は口を開いた。
「あれはですねえ、キムチを漬けていたのですよ」
「きむち?」
頭の上に浮かぶクエスチョンマーク。咲夜にとって、それは初めて聞く単語だった。
漬ける、という言葉から漬物の類なのだろう、とあたりをつける。しかし、ここ紅魔館は主が吸血鬼であるという特性からなのか、食事や作法などは主に西欧のものが主流である。もちろん、西欧にも漬物のようなものは存在するとはいえ、そこまで多くは無い。少なくとも、咲夜は知らなかった。
料理には自信があったけれど、まだまだね。咲夜は首を振った。ちょっと腕前が上がり、知識が身についたからといって料理が上手いとは限らない、と。彼女は完璧を求めすぎるきらいがあった。知らなくてもしょうがない、で済ませるのが嫌いな性格だったのだ。
「キムチっていうのはですねー。簡単に言えば唐辛子の液に漬けたお漬物なのですよ。私の故郷ではよく食べていてですね、作るのが上手いひとはいいお嫁さんだ、っていう村もあったのですよ」
咲夜の首振りを否定ととったのか、キムチについての説明をする美鈴。
へえ、と感心する。と同時に、咲夜はすぐまた疑問をぶつけた。
「唐辛子、って。辛くないの?」
「辛いですよ」
美鈴はあっけらかん、と答える。
「じゃあ、食べれない人とかいるんじゃない?」
人の好みは千差万別である。地獄のように辛いものが好きなものもいれば、天国のように甘いものを好きなものも居る。そして、ちょっとでも辛いと食べれないものもいるのだ。
「まあ、そうですね。でもただ辛いだけじゃないんですよ。基本的にお野菜を漬けるから瑞々しいっていうのもありますし。それに、辛いけど美味しいですよ?」
「ふうん、そうなの」
話を聞いているうちに、どんどん食べたくなってくる。食べ物の話題とは、とかくそのような事態に陥りがちである。そして今の咲夜が、正にその状態であった。
門が見えてきた。そろそろ美鈴とおしゃべりするのも限界である。
「じゃあ、美鈴。お仕事頑張りなさいね」
「はい、おまかせあれっ」
どん、と胸を叩く美鈴。その自信はどこから来るのかよく判らないのだけど、思わず安堵してしまう自分に苦笑する咲夜であった。
くすり、と笑いながら、先ほど思い浮かんだ言葉を口にする。
「ああそうだ美鈴」
「なんでしょう?」
「いい時期になったら、私にも食べさせてね、きむち」
言い捨てて、ふわり、と門を飛び越える。
その速度は速くて、美鈴との距離がみるみるうちに早くなったけれど――。
「はい! 必ず美味しく漬けますから、楽しみにしててくださいね咲夜さん!」
何故だか、その声はとても大きく聞こえて、
何故だか、見えてもないのに満面の笑顔だと確信できたのだった。
・ ・ ・ ・ ・
そして後日。
咲夜は目の前に置かれた皿に少し盛られたソレを見て、言葉を吐いた。
「で、これがそうなの?」
「はい」
「じゃあ頂くわね」
「どうぞ!」
満面の笑顔で答える美鈴に、微笑ましいものを感じながら、咲夜は箸で――そういえば箸を使うのも久しぶりねえ――ソレを口に運んだ。
「……」
「……」
もぐもぐ、と咀嚼する動きが――止まった。
徐々に強張る表情を見て、すわ加減を間違えたかと心配する美鈴。
「あ、あのー……。咲夜さん? 美味しくなかったですか?」
「……」
さらにさらに強張る顔。
すいませんちょっと失礼、と美鈴はひょいっと盛ったキムチを手で摘み、口に運んだ。
もぐもぐと噛み締めるたび、爽やかな辛さと旨みが口の中に広がっていく。それは美鈴が自分の中で最高だ、と思っている味であった。つまり、失敗ではない。
と、煩悶としている美鈴に、空気が漏れるような音が聞こえた。
「……?」
ひゅー、ひゅーと隙間風のような音がどこからするのか顔をあちらこちらに向ける。また、聴覚からも探ろうと意識を傾ける。
そして、美鈴の鍛えられた聴覚はその発生源を的確に探り当てた。
「……ぅー、……ぅー」
「咲夜さん? えっと。もしかして、辛かったですか?」
それは咲夜の口から漏れている音だった。
よく見れば顔は紅潮し、わずかに発汗しているのが見て取れた。
うう、と心底情けなさそうに呻き――咲夜はこくん、と頷いた。
「わ、ちょっと待ってて下さい――、……はい、お水です」
グラスに注いだ水を、目の前に置くや否やすっと手に取り、ごくごくと咲夜は飲み干した。
空になったグラスを置いて、美鈴を見上げ、否、睨む。
う、と半ば習慣と化したかのように身を竦ませる美鈴であったが、その瞳に涙が浮かんでいるとあらばいつもの迫力は無く、むしろ微笑ましかった。
「何よ。話と違うじゃない――とても辛いわ。貴女の郷里では、こんなものを常食しているの?」
そんなふうにぶつくさと文句を言う姿が珍しくて、美鈴が「でも、私のところは割りと辛さ控えめな方なんですよ?」と言うと、明らかに嫌そうな顔をする咲夜。そんな普段見れない顔が、とても微笑ましいと思うのは自然であった。
「そうですか。咲夜さんのお口にはあいませんでしたか……」
だから、もっとそういう顔をさせたいと思っても、罪にはならないはずだ。と美鈴は思った。
しょぼん、と肩を落とす(フリ)をする。
と、咲夜は慌てて――見た目はそんなにでもなかったけれど、それなりの付き合いの美鈴には慌てていると判る――付け加えた。
「い、いや、ちょっと辛いなあ、ってだけよ? ちゃんと美味しかったわよ? 本当よ?」
ああもう咲夜さん可愛いなあ。
美鈴は我慢できずにくすくすと笑い始めた。
もちろん、それで美鈴の思考を看破できない咲夜ではなく、最初はムッとしたが、隙を見せた私のせいね、と肩を竦めた。
「でも咲夜さん、さっきの本当ですか?」
たとえそれがお世辞でも、褒められた内容は気になるもので、美鈴はそう聞いた。
咲夜は笑顔で、
「もちろん。辛いけど美味しいっていうのは本当ね。辛いのも、まあいいんじゃないかしら」
美鈴の作ったものを褒めて、もう一度口に運んだ。
……そして、もう一度水を飲むのであった。
・ ・ ・ ・ ・
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。
「ふん、ふーっふんふん♪ ららら、ららーらーらー♪」
門より少し離れたはずれの地下室では、また今日も美鈴の歌声が響いていた。
どうやら、こうやって漬ける作業や確かめるときが、なんとも本人には至福の時間らしい。花畑の世話も細かくすることといい、こういった地道な作業がとても好みなのだなあ、と思いながら。
「美鈴、ちょっといい?」
咲夜は声をかけた。
切り取られた空に、咲夜の顔が浮かぶ。美鈴はソレを見て、にっこりと笑った。
「いいですよ。っていうか、別に私に許可をとらなくてもいいですよう」
「これは一つの礼儀っていうものよ。場所を借りているのは事実なのだし」
そういって階段を下りて、沢山ある壺の一つに歩み寄る。その壺には、「咲夜」と書いた札が貼ってある。
あの一件のあと、咲夜は美鈴にキムチの漬け方を習っていたのである。料理がほとんど趣味と化している咲夜にとって、料理のレシピを覚えることは楽しみの一つなのだった。
「ねえ美鈴、これはもういいのかしら?」
一切れ摘んで、美鈴の口に運ぶ。ぱくりと、美鈴はその味を噛み締めた。
「うーん、もう少しですかね。っていうか、なんで白菜と一緒に竹の花なんていれてるんですか」
「それはほら、稀少品だからよ」
その単語で、美鈴は悟った。
この人、お嬢様にも食べさせたいんだなあ。
「でも、お嬢様って辛いの平気でしたっけ」
「さあ。出すときに聞けばいいわ。もちろん、美鈴のも一緒にお出しするわよ」
「え」
「だって美味しいんだもの。一人占めなんて許さないわよ?」
にっこり。咲夜の笑顔は、とても明るかった。
もう何を言っても意思は揺るがないだろう。美鈴は祈った。お嬢様が辛いもの平気でありますように。ダメだったとしても、見栄を張って食べることがありませんように。
隣の美鈴がそんな祈りをしているとは露知らず、咲夜はすこぶる笑顔で壺に手を突っ込んでいた。
後日、顔を真っ赤にして涙を浮かべながら、ヒーともフーともいえない息をついて美鈴を追いかけるお嬢様の姿があったらしいが、事実は定かではない。
「らーららーらららっららー♪」
いい天気のとある日。微妙に日の差さない地上より少しだけ降りた地下室。
そこでは調子っぱずれの歌を歌いながら、紅い髪を腰まで流した女性がそこそこの大きさの壺に手を入れて何かをしていた。
「ちゃらららららら、らんらんらん♪ わー。よく漬かってるー」
壺から手を出して、ぺろりと指を舐める。
その手は彼女の髪と同じように赤かった。
「んーっ。さわやかな辛さだなあ、さすが私」
うんうん、と頷いて女性は壺に蓋を被せた。ことん、と音が地下室に反響したと同時、入り口から見える四角の空が歪に歪む。
それは人の形をしていた。
「美鈴。そろそろ出てきなさい。いつまで仕事をサボるつもりなのかしら」
まるで刃物を思わせる鋭利な声が聞こえた。
びく、と紅い髪の女性――美鈴はアハハ、と愛想笑いを浮かべながら言い訳を考えていた。
「で? 何をしていたの?」
咲夜は疑問を持っていた。
多少気が弱く、というよりは人が好く従順な美鈴が、突然一つ地下に部屋が欲しいと言い出したのである。とはいえ、紅魔館の本館の地下は主の妹君――フランドール様のために誂えたスペースなので既に増築などは出来ず、やむを得ず門のそばに地下室を作ったのだった。
その地下室であるが、逆光の効果もあってか咲夜をはじめ覗き込んだ連中は美鈴がなにをやっているかは全く判らずじまいだった。中に入ればいいじゃない、と思ったものもいたのではあるが、あの調子っぱずれの歌を聴いた瞬間あの幸せオーラを壊すのは忍びない、と回れ右してしまうのだった。
そんなわけでそこそこ長らくの間謎のヴェールに包まれていた美鈴の奇行だったが、やはりはずれとはいえ館内で判らないことがあるのが嫌なのか、ついに咲夜は切り出したのだった。
「え? あれ、話してませんでしたっけ?」
そんな裏事情など知らず(当たり前である)、美鈴はぽかんとした表情で首を傾げた。
「全然。何も。あのときの貴女の形相が必死だったから気付かなかったけど」
失態ね、と額に指を当てて溜息を吐く。咲夜は、変なところでうっかりする自分に呆れていた。
そんな咲夜を見て、あはは、と軽く笑いながら美鈴は口を開いた。
「あれはですねえ、キムチを漬けていたのですよ」
「きむち?」
頭の上に浮かぶクエスチョンマーク。咲夜にとって、それは初めて聞く単語だった。
漬ける、という言葉から漬物の類なのだろう、とあたりをつける。しかし、ここ紅魔館は主が吸血鬼であるという特性からなのか、食事や作法などは主に西欧のものが主流である。もちろん、西欧にも漬物のようなものは存在するとはいえ、そこまで多くは無い。少なくとも、咲夜は知らなかった。
料理には自信があったけれど、まだまだね。咲夜は首を振った。ちょっと腕前が上がり、知識が身についたからといって料理が上手いとは限らない、と。彼女は完璧を求めすぎるきらいがあった。知らなくてもしょうがない、で済ませるのが嫌いな性格だったのだ。
「キムチっていうのはですねー。簡単に言えば唐辛子の液に漬けたお漬物なのですよ。私の故郷ではよく食べていてですね、作るのが上手いひとはいいお嫁さんだ、っていう村もあったのですよ」
咲夜の首振りを否定ととったのか、キムチについての説明をする美鈴。
へえ、と感心する。と同時に、咲夜はすぐまた疑問をぶつけた。
「唐辛子、って。辛くないの?」
「辛いですよ」
美鈴はあっけらかん、と答える。
「じゃあ、食べれない人とかいるんじゃない?」
人の好みは千差万別である。地獄のように辛いものが好きなものもいれば、天国のように甘いものを好きなものも居る。そして、ちょっとでも辛いと食べれないものもいるのだ。
「まあ、そうですね。でもただ辛いだけじゃないんですよ。基本的にお野菜を漬けるから瑞々しいっていうのもありますし。それに、辛いけど美味しいですよ?」
「ふうん、そうなの」
話を聞いているうちに、どんどん食べたくなってくる。食べ物の話題とは、とかくそのような事態に陥りがちである。そして今の咲夜が、正にその状態であった。
門が見えてきた。そろそろ美鈴とおしゃべりするのも限界である。
「じゃあ、美鈴。お仕事頑張りなさいね」
「はい、おまかせあれっ」
どん、と胸を叩く美鈴。その自信はどこから来るのかよく判らないのだけど、思わず安堵してしまう自分に苦笑する咲夜であった。
くすり、と笑いながら、先ほど思い浮かんだ言葉を口にする。
「ああそうだ美鈴」
「なんでしょう?」
「いい時期になったら、私にも食べさせてね、きむち」
言い捨てて、ふわり、と門を飛び越える。
その速度は速くて、美鈴との距離がみるみるうちに早くなったけれど――。
「はい! 必ず美味しく漬けますから、楽しみにしててくださいね咲夜さん!」
何故だか、その声はとても大きく聞こえて、
何故だか、見えてもないのに満面の笑顔だと確信できたのだった。
・ ・ ・ ・ ・
そして後日。
咲夜は目の前に置かれた皿に少し盛られたソレを見て、言葉を吐いた。
「で、これがそうなの?」
「はい」
「じゃあ頂くわね」
「どうぞ!」
満面の笑顔で答える美鈴に、微笑ましいものを感じながら、咲夜は箸で――そういえば箸を使うのも久しぶりねえ――ソレを口に運んだ。
「……」
「……」
もぐもぐ、と咀嚼する動きが――止まった。
徐々に強張る表情を見て、すわ加減を間違えたかと心配する美鈴。
「あ、あのー……。咲夜さん? 美味しくなかったですか?」
「……」
さらにさらに強張る顔。
すいませんちょっと失礼、と美鈴はひょいっと盛ったキムチを手で摘み、口に運んだ。
もぐもぐと噛み締めるたび、爽やかな辛さと旨みが口の中に広がっていく。それは美鈴が自分の中で最高だ、と思っている味であった。つまり、失敗ではない。
と、煩悶としている美鈴に、空気が漏れるような音が聞こえた。
「……?」
ひゅー、ひゅーと隙間風のような音がどこからするのか顔をあちらこちらに向ける。また、聴覚からも探ろうと意識を傾ける。
そして、美鈴の鍛えられた聴覚はその発生源を的確に探り当てた。
「……ぅー、……ぅー」
「咲夜さん? えっと。もしかして、辛かったですか?」
それは咲夜の口から漏れている音だった。
よく見れば顔は紅潮し、わずかに発汗しているのが見て取れた。
うう、と心底情けなさそうに呻き――咲夜はこくん、と頷いた。
「わ、ちょっと待ってて下さい――、……はい、お水です」
グラスに注いだ水を、目の前に置くや否やすっと手に取り、ごくごくと咲夜は飲み干した。
空になったグラスを置いて、美鈴を見上げ、否、睨む。
う、と半ば習慣と化したかのように身を竦ませる美鈴であったが、その瞳に涙が浮かんでいるとあらばいつもの迫力は無く、むしろ微笑ましかった。
「何よ。話と違うじゃない――とても辛いわ。貴女の郷里では、こんなものを常食しているの?」
そんなふうにぶつくさと文句を言う姿が珍しくて、美鈴が「でも、私のところは割りと辛さ控えめな方なんですよ?」と言うと、明らかに嫌そうな顔をする咲夜。そんな普段見れない顔が、とても微笑ましいと思うのは自然であった。
「そうですか。咲夜さんのお口にはあいませんでしたか……」
だから、もっとそういう顔をさせたいと思っても、罪にはならないはずだ。と美鈴は思った。
しょぼん、と肩を落とす(フリ)をする。
と、咲夜は慌てて――見た目はそんなにでもなかったけれど、それなりの付き合いの美鈴には慌てていると判る――付け加えた。
「い、いや、ちょっと辛いなあ、ってだけよ? ちゃんと美味しかったわよ? 本当よ?」
ああもう咲夜さん可愛いなあ。
美鈴は我慢できずにくすくすと笑い始めた。
もちろん、それで美鈴の思考を看破できない咲夜ではなく、最初はムッとしたが、隙を見せた私のせいね、と肩を竦めた。
「でも咲夜さん、さっきの本当ですか?」
たとえそれがお世辞でも、褒められた内容は気になるもので、美鈴はそう聞いた。
咲夜は笑顔で、
「もちろん。辛いけど美味しいっていうのは本当ね。辛いのも、まあいいんじゃないかしら」
美鈴の作ったものを褒めて、もう一度口に運んだ。
……そして、もう一度水を飲むのであった。
・ ・ ・ ・ ・
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。
「ふん、ふーっふんふん♪ ららら、ららーらーらー♪」
門より少し離れたはずれの地下室では、また今日も美鈴の歌声が響いていた。
どうやら、こうやって漬ける作業や確かめるときが、なんとも本人には至福の時間らしい。花畑の世話も細かくすることといい、こういった地道な作業がとても好みなのだなあ、と思いながら。
「美鈴、ちょっといい?」
咲夜は声をかけた。
切り取られた空に、咲夜の顔が浮かぶ。美鈴はソレを見て、にっこりと笑った。
「いいですよ。っていうか、別に私に許可をとらなくてもいいですよう」
「これは一つの礼儀っていうものよ。場所を借りているのは事実なのだし」
そういって階段を下りて、沢山ある壺の一つに歩み寄る。その壺には、「咲夜」と書いた札が貼ってある。
あの一件のあと、咲夜は美鈴にキムチの漬け方を習っていたのである。料理がほとんど趣味と化している咲夜にとって、料理のレシピを覚えることは楽しみの一つなのだった。
「ねえ美鈴、これはもういいのかしら?」
一切れ摘んで、美鈴の口に運ぶ。ぱくりと、美鈴はその味を噛み締めた。
「うーん、もう少しですかね。っていうか、なんで白菜と一緒に竹の花なんていれてるんですか」
「それはほら、稀少品だからよ」
その単語で、美鈴は悟った。
この人、お嬢様にも食べさせたいんだなあ。
「でも、お嬢様って辛いの平気でしたっけ」
「さあ。出すときに聞けばいいわ。もちろん、美鈴のも一緒にお出しするわよ」
「え」
「だって美味しいんだもの。一人占めなんて許さないわよ?」
にっこり。咲夜の笑顔は、とても明るかった。
もう何を言っても意思は揺るがないだろう。美鈴は祈った。お嬢様が辛いもの平気でありますように。ダメだったとしても、見栄を張って食べることがありませんように。
隣の美鈴がそんな祈りをしているとは露知らず、咲夜はすこぶる笑顔で壺に手を突っ込んでいた。
後日、顔を真っ赤にして涙を浮かべながら、ヒーともフーともいえない息をついて美鈴を追いかけるお嬢様の姿があったらしいが、事実は定かではない。
辛さに対する反応が可愛いッスね。
つまり美鈴は満州出身なのだ!