知っていますか?妖怪は心を傷つけられると弱るのです。弱るだけならまだいい方でしょう。最悪の場合、心の傷は実質的な痛みとなって自身を襲います。
胸が痛いにも色々あるでしょう。恋慕、情念、嫉妬、罪悪や……孤独。
挙げればキリがありません。それらの痛みは人を成長させます。良い方にも、悪い方にも。
しかし妖怪は、私は違うのです。その痛みが、私を衰弱させる。死に至らしめるのです。
私の心が屈強な、毛の生えた心であればどれだけ良かったか。そうであればと何度儚い思いを願ったことか。そうであったなら、死にたい、と考えた事は無かったのに。
生ぬるい風が私の頬を撫でた。地上にはもうそろそろ、雪が吹き荒ぼうかという季節だが、そんな事この地底にはとんと関係の無い事だった。
旧地獄街の腹の中、祭りの準備で賑わう群衆の活気がむせ返る程には充満した街道の端に私はいた。
多種多様な有象無象の瞳があったが、そのどれもが、傍を通る私に向けられ、そそくさと離れてゆく。そうそう、言っていませんでしたが私はこの歓談に包まれた地底の嫌われ者なのです。どうせ向けられた視線の大体が忌避の視線でしょう。
まぁ別に構いません。お世辞にも広いとは言えないこの地下世界に、そんな奴が一人くらいいたっていいじゃないですか。別に悔しくなんて、ないです。
「あっ、こんな所にさとりがいるっ」
どこからかそんな声が、あるいは心の声が、聴こえた気がした。なんですか?ここに私がいたら何か問題があるのですか。
地霊殿に住む家族と仲間の為を思って、もうすぐ祭りがあるとペットから聞いたから、せめてその日に合わせて皆に御馳走を振舞ってあげようと、買い出しに来た私の行動は、罪なのですか?間違って、いるのでしょうか?
駄目だ、思考が閉ループしている。感情にフィードバックさせてはいけない。
そんな事をつらつらと考えていると、誰かに肩を叩かれた。暗い顔を浮かべながら振り返ると、そこにはうんざりするくらいには見慣れた顔があった。
「ぼんやりとこんな所に立って、どうかしたかい?」
「なんでもありませんよ、星熊さん。ただ、恒久的な平和について考えていただけです」
「うん?何のことか私にはよくわからんが、さとりは学があるんだなぁ」
嘘だ。鬼は嘘を吐かない?それが、嘘なのだ。鬼など嘘の温床だ。無害な振りをして、こちらの心を殺しにくる。私には聴こえる。覚には、心が視える。
(変な事をいう奴だなー。相変わらず何を考えてる私にはさっぱりだよ)
「それは悪かったですね、すみませんでした」
「え?」
皮肉が口から零れてくる。あぁ、またやってしまった。
「気にしないで下さい。それよりもこの近くにお肉を売っている所はないでしょうか?余り外に出ないもので勝手がよく……」
「どれくらいの量がいるんだい?」
「え?いや、私は場所を聞きたいのですが……」
伝わらなかったのだろうか。鬼の口からは私が求めた答えが返ってこなかった。
「いいからいいから。で、何をどれだけ用意したいのさ?」
「……そうですね、これだけの分あればよいのですが」
そう鬼に言いながらポケットから材料を走り書きした紙を取り出し、手渡した。
「ほー、結構な量がいるんだねぇ。これだけを持ち帰るとなると骨だろう、よし、私が手伝ってあげよ」
「別に、独りで平気です」
「なーに、私に任せておきな。それに子供が遠慮なんてするもんじゃないさ」
彼女はそう私に言ったかと思うと、近くの子鬼に二言、三言何かを呟いて、使いに走らせた。
「よし、これでその紙に書いてあるのは全部地霊殿に運ばれる手筈になったよ」
「はぁ、わざわざすみません、星熊さん。相も変わらず顔が広いようで」
「星熊はやめてくれよ、さとり。ゆーぎ、って名前で呼んでおくれよ」
「善処します」
そんな中身の無い会話を手早く切り上げて、先ほどの代金を彼女に払おうとするとこれでもかとばかりに両手を振って拒否した。
「これは日ごろのお礼と謝罪の意味でもあるんだ、どうか何も言わずに受け取ってくれっ」
そんな事まで言われた。どうやらこの鬼はこう言いたいらしい。「町の奴らがお前を避けてすまない。この用事は私が済ませておくからさっさと地霊殿へ帰ってくれ」と。要するに私がこの場所にいると迷惑だから帰れ、そういう事か。訂正しましょう、鬼は嘘を吐かない。どうやら本当だったようです。
「……分かりました、有難う御座います」
「なーに、そんなちみっこい体で無理する事は無いよ。何かあったらまた言っとくれ『友達』だろう?」
「そうですね、一方的な押し付けをそう呼ぶこともあるでしょう。そうそう私はまだ用事がありますので、これで」
「えっ?」
言いたいことを一気に捲し立てて、私はその場を足早に立ち去る。
用事なんて、あるわけ無い。だって、この賑やかな場所に私の居場所なんてないんだから。買い出しも終わった。あの鬼に終わらされた。
それに、あぁ思い出すだけでも腹が立つ。あのぼんくらの酔っ払い、私の事を勝手に子供扱いして、今度あったら絶対に泣かしてやります。
一人そんな事を固く心に決めながら、寂しく地霊殿の帰路へと足を向ける。時間にしてみればもう夕暮れ時といった所、だのに雑踏は静かにんる気配がまるでない。むしろ私を狙って集まっているかのようだ。
「成程、怖いもの見たさのたぐいですか。本当に単純ですね、心を読むまでもありません」
一人で納得し、周囲をキッと見渡すと、人ごみの波が私から離れていった。離れていく群衆からはコソコソとした陰口が聞き取れる。「キャッ、目が合っちゃった……」やら「やだ、あの子泣いてない?」、「涙目のさとりんを鳴かせてみたいハァハァ」等々、私への嫌がらせには事欠かない様だ。別に私は勿論悔しくなんかありませんし、ましてや泣いてる筈がないです。ただ、これは睫毛が目に入って痛かっただけですし、震えてるのも寒いからです。強がっているわけでは決して……。
「…………」
本当は、分かっている。私が、皆から嫌われているという事は。認めたくなかっただけだ。外に出かけるたびにどこからか野次馬が集まるのも、私が店に寄った時だけ妙に店の主人がぎこちないのも、珍しく通りすがりに微笑んで挨拶をすれば、された方が顔を真っ赤にしながらも怒りを収めるのも、全部。私が、嫌われ者だから。仕方が無い事なんですから。
「あー、今日は寒いですね、早く帰らないとペットが心配してしまいますし帰りましょう」
それだけだ、ただ、それだけを大声で叫んで私はその場から駆け出した。
目は空を見上げて。
口は声が漏れないように引き結んで。
唯一私を慰めてくれる、妹とペット達が待っている我が家へと、心で泣き咽びながら走り去るのだ。
みんな、みんな大嫌いだっ……。
「なぁ、そろそろこんな事はやめにしないか、皆」
祭りの準備のさなか、誰かがそう言いだした。
「何言ってるんですか星熊姐さんっ、いくら姐さんでも言っていい事と悪いことがありますよ」
「いや、でもだね、可哀相じゃないかね……?」
「違いますっ、可哀相ではなく可愛そう、なんです!」
熱弁するは、どこかの子鬼。その迫力は鬼の四天王すら圧倒する程だった。
「は、はぁ……」
流石の勇儀も押され気味になる。そんな熱意ある声に、一人、また一人とどこからか賛同の声が聞こえて来る。
「そうですわ、あの涙目のさとりんったら、もう堪りませんっ」
「本当、見ていてイケナイ気持ちになっちゃいます」
「あたいも、寝ている間に何度悪戯しそうになった事か……」
「小動物みたいに震えて怯えるさとりんが可愛すぎるのです!」
「そうだそうだーっ」
「さとりさまといっしょにねるとあったかいんだよー」
「私、小さいは正義だと思いますっ」
「地底全域でさとりんを愛でるべきっ!」
「むしろさとりんこそが新たな神では?」
「お姉ちゃんは私の物だよー」
「地底のアイドル的存在こそが我らがさとりん!」
「ほらねっ、皆そう思っているんですよ?」
大勢の声援を受けて、先ほどの子鬼が勇儀に鬼気とした表情で迫る。ここで勇儀が「皆で、さとりに関わるの禁止」とでも言おうものなら瞬く間に反乱が起きる、そう思える様な雰囲気だった。
「しかし、だなぁ」
「それに、勇儀様も少なからず思っているんでしょう?涙目で強がるさとりんが、可愛いって……」
密やかに囁かれる子鬼童女の声が、勇儀の頭に反響する。今ここにさとりがいるなら、気高き四天王の頭の中で戦う天使と悪魔が視える事だろう。長い葛藤の後に、勇儀から紡ぎだされる言葉は……。
「ま、まぁ少しは、ね」
今日も地底は平和です。
このさとりんの精神状況からすると、
そのうち自殺だの衰弱死だのしてもおかしくなさそうです。
まあ、さとりんが死んだら地底はもっと平和になるでしょうね。
ってここが地獄だよ畜生!
もうちょっと話の方向性が柔らかかったらなぁ……
まぁ、さとりんが死んだら地底はもっと平和になるんだろうね。