今、私はお嬢様と庭を歩いている。
この、寒く冷えた夜の庭を、ゆっくりと歩いていく。
ふいに、お嬢様が「ほら、空を観てみなさい」と言った。
見上げると、無数の星が空に瞬いている。この上なく美しい光景だ。きっと、お嬢様は私にそれを見せたかったのだろう。
私が感想を述べると、お嬢様は嬉しそうに「そうね、…本当、素敵だわ」と言った。
その時の表情が、とても優美で、私はつい見惚れてしまっていた。
それからも、お嬢様が時々見せる表情は何処か儚く、また、憂いを感じさせる。それは、また別の魅力を持っていた。
そして、館に入る。私がお休みになさいますかと聞くと、お嬢様はポツリと一言呟いた。
「…その前に、暖かい紅茶を頂けるかしら」
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今、レミリアは一人で部屋にいた。
「もう、こんなに寒いと思わなかったわ」
レミリアは後悔していた。ちょっとばかり出歩きたくなったので、メイドを連れて庭を散歩したのだ。
館を出る前まではうきうきしていたのに、玄関から出ると、途端に寒波が襲ってきた。
(うわ、何よこの寒さ)
そう思ったが、隣のメイドに気取られるのも嫌なので、毅然とふるまっておいた。
早足で歩いてさっさと暖かい館に戻ろうと思ったが、それも不自然だ。
どうせなら、カリスマを感じさせたい。寒い寒いと速歩きするカリスマなど、今昔聞いたことがない。
『私が”寒い寒いカリスマ”の第一人者になる!』という手もあったが、流石にそんなギャンブルを起こす気は無かったので、渋々ゆっくりと歩いた。
そしてしばらくすると、寒くて体が震えてくる。歯を食いしばっていても、ガチガチと音を立ててしまいそうだ。
それを見られないように、時々空を見上げる。
寒いと星が綺麗に見えるとは聞く。つまり今の、星々がそれぞれを主張し瞬く姿、これが指しているのは…『今日はとても寒い日だ』という事実だ。
綺麗というよりも、寒さが辛いな。そっちの方が重要だ。そう思いつつ、レミリアは震えていた。
その内、震えの波が来る。あまりに震えては気づかれると、咄嗟にメイドに対し「ほら、空を観てみなさい」と言った。
メイドは素直に空に目を向けた。ああ、安心した、と同時にブルっと肩を震わせるほどの寒気が来た。
危なかったとレミリアが思っていると、メイドが空を見上げたまま、遠い目をしてこう言った。
「お嬢様、…今宵の空は、とても美しく、星達が幻想的な世界を作り出していますわ」
何を言っているんだこのメイドは。幻想的も何も、ただ光ってるだけじゃないか。
余裕の無さに短気になるレミリアだが、怒ってしまえばカリスマのカの字も無い。そこは優美に決めなければ、と抑える。
「そうね、…本当、素敵だわ」
気がつくと、メイドがレミリアの方を見ていた。「どうかしたの?」と出来るだけ我慢しながら言う。早く違う方を向いて欲しい。
「いえ、何でもございません」
なら見るな!と怒鳴りそうになったが、そこはカリスマだ。なんとも無い、怒らない。落ち着け私と自分をたしなめる。
少しずつ尿意も出てきた。こんな寒い夜に薄手で外に出れば当然だ。これが二重苦か。
レミリアはだんだんと絶望的な気持ちになって来た。演技しているせいであるが、メイドは寒さに(内心)震えている私に気にかけもしない。
そもそも、「お嬢様、今夜は冷えるので、何かを上に着て出られたほうが宜しいかと」とか言う気配りはないのか。
そして、出た後に気づいたのだとしても、「寒いようなので、上に羽織るものを持ってきましょう」とでも言えないか。
そう思って、メイドの方を見る。よく考えたら、彼女もそれ程厚着をしていない。普通のメイド服だ。
にもかかわらず、そんなに寒そうではない。どうした事か。もしかして、彼女も我慢しているのか?
「ねぇ、咲夜」
「はい、お嬢様」
「今日は、冷えるわね」
「ええ、そうですね」
「貴方は大丈夫?寒くない?」
「大丈夫です。お気遣いなさらずに」
喧嘩を売っているように思える。いけない、さらに心の余裕が無くなってきた。
このメイドは、どうやら寒いのを物ともしないようだ。肌の性質でも違うのか。
そんな事を考えているうちに、尿意の方も増して来た。寒いのは千歩譲って我慢できるが、こちらはどうしても我慢が難しい。
「…そろそろ、館に戻りましょうか」
そう言うと、メイドはニッコリと微笑み、
「畏まりました、お嬢様」
と言った。
それで私は、ようやく暖かい場所に戻ることが出来た。
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やがて、メイドが紅茶を運んできた。
レミリアはそれを受け取り、飲んで、一息つく。
「ありがとう、咲夜」
先程まで余裕がなかった分の反動で、心にゆとりが出来ていた。トイレにも行ったので、そっちの意味でもすっきりしている。
「咲夜の淹れてくれた紅茶は、やっぱり美味しいわ」
「そう言っていただければ幸いです」
それでも、さっきの無神経さはいただけない、と思った。
が、よく考えれば、事前に自分が寒いことに気づけば良かっただけで、彼女に全面的に非があるわけではない。
気持ちに余裕がある今のレミリアは、今そう考えてみて、結局自分と咲夜の3:7の過失という所で落ち着いた。
「お嬢様」
「あら、どうしたの?」
「今日の星空…本当に、綺麗でしたね」
思い出しているように、しばし目を瞑り、メイドが言った。
実のところ、外にいた頃の余裕のないレミリアは、空なんてちゃんと見ていなかった。
だから、綺麗だとか言われても、よく覚えていない。ただ、たくさんの星が輝いていたことが漠然と思い浮かぶだけで、それ以上は何もなかった。
しかしまあ、ここは話を合わせるのがいいだろうとレミリアは思った。
「ええ、確かに、綺麗だったわね」
「…お嬢様」
突然、声色が変わった。見ると、咲夜が少し恥ずかしそうに、俯いている。
一体何があったのか、私が一瞬目を離した隙に、あの鉄仮面の少女に何が起きてしまったのか。
…鉄仮面は言い過ぎだが、普段の表情に乏しい、良く言えば無駄な感情を見せない咲夜が、こんな姿を見せるとは。
レミリアは内心驚いたが、いいものを見たとも思った。
「…なに?」
「お嬢様は、その…、あの時、流れ星をご覧になりましたよね?」
流れ星?そんなのがあったのか。当然見た記憶がない。が、ここでそれを言ってしまえば、今眼の前の彼女が可哀想だ。
「ええ、見たわ」
「失礼ですが…何を願われたのかだけ、お聞きしたいのです」
全く意味が分からない。何処かで頭をぶつけてしまったのか?寒すぎて頭が変になったのか?
どんどん目の前の彼女がおかしくみえてくる。
すると、急に我を取り戻したか如く、咲夜が表情を変え、謝った。
「…申し訳ございません、お嬢様。今のは、私の失態です」
「あ、ああ。そうなの」
「このような不躾な質問をしてしまい、すみませんでした」
「いや、いいのよ別に。謝らなくても」
「…では、お教え頂けると言う事で、宜しいのですか?」
え、今私、なんか言った?なんでそんな結論に?
どうやら咲夜が、また元気を取り戻したようだ。
「え、ええ。勿論よ」
ええい、こうなったら、なにか言うしか無い。でも、何を?
願い事なんて言っても、急に思いつくはずがない。ご飯をたらふく食べたいとか、カリスマ性に欠ける。
そう、問題はカリスマなのだ。いかにカリスマっぽく、かつ私のイメージに沿った答えを出せるか。
思ってもないことを言う気はない。でも、いざとなって考えてみれば、非常に難しい…
そして思案を重ねた末、こういう結論になった。
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「それはね、貴方のことよ、咲夜」
「…私の、事」
「ええ、そう。貴方が何時までも私の側にいて、美味しい紅茶を淹れてくれるのなら、それ以上の願いはないわ」
「…」
「貴方の事、信頼しているのよ。…貴方自身が思っているよりも、私は貴方を必要としている」
「お嬢様…」
「これからも、私には貴方が必要なの。…いいわね?」
断る理由が、何処にあろうか。
「私は、お嬢様を、心の底から、敬服しておりますので。決して、離れるようなことは御座いません」
そう言うと、お嬢様は微笑んだ。
「そう。どうやら、私の願いは叶ったみたい」
「…私もです、お嬢様」
「もういいわ。ありがとう、咲夜」
そう言われて部屋を出る。ドアをしめた途端に、飛び跳ねたくなった。
「あ、メイド長」
…が、タイミングが悪かった。とりあえず無難に指示を出し、はぁとため息一つつき、自分も残った仕事にとりかかる。
後もう少しは、休むことは出来そうにない。部屋に戻ったら、思う存分この気持ちを解放しよう。
ああ、美しいお嬢様。私は、貴方のことをいつまでもお慕い申し上げます。
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なんとかなった。ピンチの時の饒舌さは、私の特技になるかもしれない。
「はぁ~」
疲れたので、ベッドに横になる。全身の力が抜けてしまったようだ。
レミリアは、ほっとしていた。
咲夜の最後の言葉が気になるが、その時は場を乗り切った達成感で満たされていて、特に考えなかった。
『私もです』という事は、どうやら叶ったという事らしいが。
「私に仕えていたい、って意味なら、面白い願い事ね」
一人で言って、くすくす笑う。
「それにしてもねえ…もう、眠くなっちゃったわ。ふぁあ」
大きく口を開けて、あくびをした。絶対に他の者には見せられない、間抜けな表情だろうなぁ、と自分で思う。
でも、この切り替えが大事だ。カリスマを魅せる所ではしっかり決めて、気を抜くところではとことん抜いてしまう。
一人の時間は、気を抜くために重要だ。
そう思っているうちに、どんどん眠くなってきた。
「部屋の中なのに寒いわ…もう嫌になっちゃう」
ベッドのシーツに潜り込む。上に寝転がっていたからか、既に少し暖かくなっていた。好都合だ。
「ん~…ベッドの中は気持ちいいわ。もう瞼が重くなって…」
と思っていたら、突然ドアがノックされた。思わず飛び上がる。
「は、びっくりしたぁ…コホン、えーと、どうしたのかしら?」
完全に気を抜いていたから、調子が出ない。出来るだけ声を作る。
「すみません。もしかして、起こしてしまいましたか?」
ドア越しに聞こえる声。恐らく咲夜だ。
「い、いいえ。大丈夫よ。それより、何か言いたいことがあるのでしょう?」
「…特に、これといったことは」
咲夜は、口ごもっているようだ。気になってしまう。
「そんな所で話さないで、部屋に入ったらどう?」
「宜しいのなら」
「入りなさい」
「失礼致します」
そう言うと、咲夜が入ってきた。
「もう、お休みになられる所でしたか」
「ええ、もうすぐ」
そこで話が途切れる。
「…えっと、何か報告とか、話があって来たんじゃないのかしら」
「報告と言いますと…本日の仕事は、ほぼ終了しました」
「そう。ご苦労だったわね、咲夜」
普段ならこんな事は言いに来ない。先程もそうだったが、今日の咲夜は若干おかしい。
「それで…それだけなの?」
「…」
「咲夜?」
「申し訳ございません!」
急に咲夜が頭を下げた。
「えっ、な、何?」
「お嬢様の姿を拝見したかった物で…つい、御用も無く来てしまいました」
「は、はぁ。そうなの」
本当に、熱でもあるのではないか、とレミリアは思った。明らかに様子が変だ。
「ねぇ咲夜、貴方大丈夫なの?休んだほうがいいんじゃない?」
ついつい、そんな事を口にしてしまう。
「いいえ、大丈夫です。健康には気を使っておりますので、病気などでは」
「病気でないにしろ、多分疲れているのよ。もう寝たら?ゆっくり休むのが大切よ」
正直なところ、レミリアも早く寝たかった。
「お嬢様…」
「貴方のことを心配して言ってるの。…大事な従者なんだから、倒れられたら困るのよ」
本当は自分が眠いから早く寝たいのだが、これは事実だ。
彼女ほど優秀なメイドが倒れてしまうと、館としても非常に困った事になる。
それに、私の戯言にここまで付き合ってくれるのも、彼女しか居ない。
「…はい、お気遣い、本当に、ありがとうございます」
咲夜がまた深く一礼する。次に顔を上げたときには、普段では見せないような、穏やかで自然な、暖かい笑みが浮かんでいた。
「それでは、お嬢様。おやすみなさいませ」
「ええ、貴方もね」
咲夜がドアを閉める。居なくなったのを確認してから、ほっと胸を撫で下ろした。
「もう、急に来るとは思わなかったわ…あぁ、びっくりした」
驚いたせいで、また少し目が覚めてしまった。
「…変な咲夜」
かつてあんな咲夜を見たことがあっただろうか。いや、記憶していないだけかもしれない。
「まあ、ともかくねぇ」
一人でにやりとする。さっきといい、今日は咲夜の見たこともない面を見られたのだ。
それだけでも、充実した一日だったように思える。まあ、発端の出来事は最悪であったが。
「さて。おやすみなさい、なんて言われてしまった事だし、寝ないといけないわ」
レミリアはまたベッドに潜り込む。
「…何はともあれ、明日もカリスマでいなきゃ。従者を、失望させないためにもね」
そう言って、目を瞑る。すぐに、ゆっくりと、夢の世界へ落ちていく。体が沈んでいく感覚だ。
その中でレミリアは、良い夢を見られそうな気がしていた。
紅茶を飲む
トイレに行かずベッドに入る
翌朝のピンチフラグですねわかります