温度が目を見張る程に、見張ったら眼球に刺すような風が吹き込むほどに下がり、少ない食料を求め山を賑わわせていた動物共は、いつの間にか静まり滅多に見ることができなくなってきた。それは動物以外とて同じことで、例えば人間。土地を休ませるだの何だので家から出てこない人間だっている。もちろん商売人は外に店を構えているが、春夏ほどの売れ行きがなく、これでは『冬将軍』が恐れられていたことも納得が行く。某所では暖を取るための道具が飛ぶように売れるという。
時は冬、処は博麗神社。そこにいるのはアリス。そして霊夢と萃香と縁側でお茶を飲んでいるようだ、空を見てみると雲はなくまさに絵に描いたような快晴で、秋よりも、そして春よりも空の色は薄く、まだ見ぬ温かさに備えているかのようだ。
霊夢とアリスの間、そして萃香の前には茶菓子であった羊羹がまだ一切れ残っている。そして私のお茶はまだ半分程度残っている。ここらで口の中の味を変えようとでも思ったのか、さっき何個も羊羹を食べたアリスは自分に言い訳をしながら皿の上のそれへと手を伸ばす。
そこでかち合う楊枝と楊枝、視線と視線。
「そこの小鬼、私はまだ半分以上お茶が残っているの。譲りなさいって」
「いやだね、私の方が総量として食べていないんだ」
「それがどうしたって言うのよ、食べたいんだから」
「これは……」
「先が見えるわね」
「なら弾幕ごっこだね、かかっておいで!」
二人の喧嘩は幼稚園児に似ている。屁理屈を並び立て自分を正当化しようとするあたりなんてそっくりだ。ただ喧嘩にまで発展したあとの残虐性や破壊力は比べものにならない。
踊る人形の手を取る小鬼、人形から繰り出される華麗なる技、それを粉砕する小さな小鬼の分身。それはまるでワルツでも踊るかのように華やかに、そして人々の喧騒のように儚く消えていく。
人形が意を決し爆発すると小鬼は霧になり襲ってくる。ビームを発射しても受け止められる、一進一退の攻防の末に両者のスペルカード宣言が重なった。
明るく、どこまでも透き通った空、太陽が沈んだら夜が来るなんて考えられないくらいの蒼いそれの下、どうやらアリスは大きな小鬼の出す技に為す術も無く敗北を喫したようだ。
◇◆◇◆◇◆
それからしばらくして、なんて有様よ……などと呟きながら酒を飲むアリスの眼前には戦いに使われ傷付いた人形たちが修復された姿で並べられている。どうやら今日の弾幕ごっこの反省会をしているようだ。
「あそこで上海に――いや大江戸に、それでも投げられてたかしら……ふむぅ」
一体ずつの頭を軽く小突くようにしてぶつぶつと漏らしている。端から見ると少し危ない。しかし彼女はいつもこんな感じだから気にするものも今更いないのかもしれないが。
「あれはなんとか回避するとしても……」
勝てたかしらと呟き、その後に何度目か分からないため息をついた。
「ミッシングパープルパワーは本当に驚異ね、大きくってなんにも出来やしない」
そう、彼女はミッシングパープルパワーに屈した。初めの方は人形を操りなんとか耐え凌いでいたものの、怯まない萃香の出す連続技に倒れた。木も狛犬もアリスも倒れた。鳥居もちょっと傷付いた。その後小さくなってから萃香も倒れた、霊夢が張っ倒した。最後に霊夢も倒れた、おそらくストレスだろう。腹のあたりを押さえていた。
何度目だろうか、神社が損壊するのは。全壊でないものも含めればおそらく今までに発行された文々。新聞に負けず劣らずとなるだろう。
萃香と戦う上で大きな小鬼は、霊夢だったにしろアリスだったにしろ、とてつもないプレッシャーになる、それがホームグラウンドだったらなおさらだ。
そう、小さな人形を大量に操るアリスが大きなものを相手にするのは辛いのだ。萃香のそれでも、それが魔理沙のスパークでもだ。今のところ耐えるしか打つ手が無い。
そこで前々から考えていて実行に移せなかった計画がある。
「――完全自立型巨大人形」
弾幕はブレイン――これは彼女の受け売りなのだが、それが自身を縛り付けていたようで、今まで実行に移さなかった計画でもある。
そう、要するにでっかい人形つかって力で押し潰してしまおう計画だ。
「でもねぇ……スマートじゃないし、維持できるかどうか……」
実際、少し前に完全自立の人形を作ったことがある。しかし自我を持つこと無く果ててしまったのだ。それが小さかったのも含めて、それらがアリスを思いとどまらせているようだ。
足りなかったのは血と肉と魂と……それくらいではなかろうか。
「そういえば昔に一個だけ大きい人形作ってたわね……アレをどうにかして応用できないかしら」
どの部屋にしまったのか思い出すように顔を伏せつつ、瓶を傾ける。
しかし、本来中に入っているはずの酒の流れ出る音はせず、ただ万有引力に負けたアルコールの数滴かが猪口へと落ちてゆく。
「……」
「アリスさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、もう一本」
ミスティアが心底心配そうに声をかける。
それもそうだろう、アリスが諦めたようにおいたその瓶の隣には2本の瓶、そして横たえられた2本の瓶。合計で5本、2リットルとちょっとだ。茹で蛸に赤色一号を塗りたくったような色の頬をしていれば、いくら魔法使いといえど過度のアルコールの摂取は辛いだろうと心配してしまう。
「明日に引きずらないようにしてくださいね」
「大丈夫だってば」
観念したようにコトンと置かれた瓶を静かに傾け、アリスは自分の猪口へと嬉しそうに酒を注ぐ。
「これ、下げちゃってもいいですか?」
「あぁ、どうぞどうぞ」
すでに何も乗っていない皿を指さし、それを持っていく。
アリスは特に構う様子も見せずに再び人形に話しかけ始めた。
「自立人形に……足りないものねぇ」
「そういうことはよく分からないんですけど、とりあえず鰻でも焼きましょうか?」
「じゃあよろしく」
ミスティアが鼻歌を歌いながら鰻を取り出し、網の上へ乗せる。十分に油が乗り、そして引き締まったそれにかけられたタレはこの屋台特製のもので、歌と共に匂いでこの屋台へと誘われるものも少なくないらしい。
屋台に備え付けられた覚束ない程度の明かりを照り返すその身の味は、人間のリピーターを作ってしまう程に美味である。
「……でもさっきから鰻ばっかだけどさぁ、他になんかないわけ?」
「ええと、確か羊羹ならあったと思います、貰い物ですけど」
「あ、じゃあそれもよろしく」
「はいはい」
箱から取り出し、つつみを開いて包丁で切り分けていく。深い紫色のそれを3つ皿の上へ盛りアリスの目の前に差し出される。
「貰い物って言ってたけど、貰う宛なんてあったのね」
「ははは、アリスさんったら。いつもチルノちゃんたちと遊んでばかりだとお思いですか?」
「ごめん」
「まぁ間違ってないんですけどね。今日はチルノちゃんいなかったので出稼ぎしてたんです。ほら、この屋台って引いて動かせるんですよ?」
そう言って屋台の右側へ回り込み、持ち手の部分を上下する。
もちろんアリスの目の前の猪口の中の酒に波紋を生み出し、表面張力は耐えきれず決壊してしまい、台の上に染みを作る結果になってしまった。
「お酒こぼれた」
「あっ、すみません、この分はサービスしときますから」
「それよりほら、鰻は? 鰻」
「ああっ!」
彼女は少し焦った様子で網に視線を移した。
そして先程から香ばしい匂いを放ち続けていた物は、風情がある程度に焦げ目を付けられ、タレを浴びている。
それから滴るタレは重力に従い、下にある竹炭の熱気にやられ蒸発する。その際に生み出される匂いがまたなんともいえない食欲をそそる。
「ああんもう。まだできないの」
「羊羹食べて待っててください、あと少しですから」
少しふくれっ面になりつつも羊羹を口に頬張るアリスを苦笑交じりの顔でミスティアは眺めている。
いつからつづいているのかもわからない鼻歌も盛り上がってきているようだ。
「……むぐ」
「――♪」
「むぐ」
アリスは仄かな月明かりに照らされた木々を眺めながら猪口を傾けている。もう急かすのには飽きてしまったのか。
一心不乱に鰻を見つめ続けるミスティアだが、鼻歌を歌っているせいで集中しているのかしていないのかわからない。
いきなりジュッという音を立て、豪快にタレを浴びせたあとに皿に乗せる。この屋台の名物の焼鱧の完成だ。
「一丁上がりです」
「待ってました」
タイミングよくちょうど羊羹を飲み込んだところで鱧が出された。
それは月よりも強く照り返し、脂を主張している。夜空のように黒い焦げ目でさえ光を反射させている。
箸を入れると湯気が立ち上り、そのまま箸を開くと艷めいていたタレと鰻自身の脂が混ざり合い、甘じょっぱい香りが鼻孔をくすぐる。
箸を持ち上げ鰻を口へ放り込もうとすると、乱反射させている灯りが目に飛び込んできて反射的に眼を閉じてしまう。
しかしそれはこの鰻を味わうのに加担し、視覚を遮断することによって口へと神経を集中することができるようになった。
口に入れてからしばらくして、頬の筋肉を弛緩させた。
「――おいっしいわやっぱり」
「ありがとうございます」
アリスは目をつぶったままそう漏らした。
「秘訣とかあるの?」
「特にありませんけど、焼くときは楽しく焼こう……とかは思ってますよ」
「鰻焼いてる時とか羊羹用意してもらってる時とかにさ、歌、唄ってたじゃない? あれってなんなの?」
「何ってほどのものじゃないんですけどね。特に曲名も決まってませんし、どう続けるかも決めてません」
「その場で作詞作曲ってこと? シンガーソングライターミスティアってこと? なうめいくみゅーじっくなの?」
「そんな大逸れたものじゃないんですけどね、大体そんな感じです」
ほぉ、と声を漏らし大げさにうなづいてから、こう続けた。
「私さ、今さ、自立人形なんてもん作ろうとしてるのよ」
「そうなんですか」
「むかーし作ったんだけども、失敗しちゃってさ。自分を保てなかったみたいで」
「ふむ」
「そこでね、あなたの声なんて入れてみたらどうかなとか」
「はいはい……はい?」
流暢に持論をまくし立てるアリス、対してそれにのせられているミスティア。
頭上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「え。ちょっと、待ってください」
「大丈夫、心配はないわ。音質の劣化はほとんど無いわ。地霊殿に突入した時に確かめたし。あ、もしかして緊張してるの? 気にしないでって、そんなに気張ってもらわなくても構わないわ、録音機材はこの前にとりに用意してもらったし、使い方もとりあえずはマスターしたもの」
「えと、いやそうじゃなくって」
「じゃあ何? あれね、幻想郷の決壊の可能性ね。それも心配ないわ。作る人形のサイズは私の身長の4倍から5倍。拡声器もそれに合わせるから今の声量の――多く見積もっても5倍。あなたの声に破壊力があったとしても大結界が破れる心配は無いのよ」
「あ、えぇ、はい」
赤色一号の塊と何とか意思疎通を図ろうとしていたミスティアであったが、どうやらうまく行かなかったようだ。
「もしあなたの声が次元を超える作用を発してパラレルワールドを開いてしまったとしても、霊夢の封魔陣があるから大丈夫よ、2.2次元や2.3次元とつながってしまっても向こうの生命体がこちらにやってこられる確率は10%以下、幻想郷内とつながってしまう可能性は否定はできないけど、便利だし残しちゃってもいいと思うの」
「はぁ……」
「魔界なんかとつながったら霊夢が勝手にとじそうだけども。無縁塚とつながったらゴミ箱にしそうだけどねあいつ。話がそれたわね。あと心配すべきなのはあなたの拡大された声が里の人間へ被害を及ぼさないかどうか。神社から適当に見積もっても1「私の声にそんな魔法みたいな力はないです」ども要チェック課題ね、それと――」
「で! で!」
一秒間十連射のマシンガンというよりどこぞの十六連射並に話し続けるアリスの言葉に割って入るように、ミスティアが声を上げた。話しているのを邪魔されたのが気に入らないのかアリスは少しだけ口を尖らせている。
「結局私は何をすればいいんですか?」
「そうね……とりあえず人形に入れるための歌とか声とか考えといてくれると嬉しいかなとか」
「わかりました、なら」
「……なら?」
ミスティアが胸に手を当てて顔を伏せる。
アリスは持っていた猪口を置き、ミスティアの顔を覗き込む。
「私、アリスさんと一緒に決めたいです」
「――どういうこと?」
「またのご来店をお待ちしております!」
アリスはため息を付いたあとに仕方ないなあというような笑みを浮かべ、ミスティアは猫のように笑った。
時は冬、処は博麗神社。そこにいるのはアリス。そして霊夢と萃香と縁側でお茶を飲んでいるようだ、空を見てみると雲はなくまさに絵に描いたような快晴で、秋よりも、そして春よりも空の色は薄く、まだ見ぬ温かさに備えているかのようだ。
霊夢とアリスの間、そして萃香の前には茶菓子であった羊羹がまだ一切れ残っている。そして私のお茶はまだ半分程度残っている。ここらで口の中の味を変えようとでも思ったのか、さっき何個も羊羹を食べたアリスは自分に言い訳をしながら皿の上のそれへと手を伸ばす。
そこでかち合う楊枝と楊枝、視線と視線。
「そこの小鬼、私はまだ半分以上お茶が残っているの。譲りなさいって」
「いやだね、私の方が総量として食べていないんだ」
「それがどうしたって言うのよ、食べたいんだから」
「これは……」
「先が見えるわね」
「なら弾幕ごっこだね、かかっておいで!」
二人の喧嘩は幼稚園児に似ている。屁理屈を並び立て自分を正当化しようとするあたりなんてそっくりだ。ただ喧嘩にまで発展したあとの残虐性や破壊力は比べものにならない。
踊る人形の手を取る小鬼、人形から繰り出される華麗なる技、それを粉砕する小さな小鬼の分身。それはまるでワルツでも踊るかのように華やかに、そして人々の喧騒のように儚く消えていく。
人形が意を決し爆発すると小鬼は霧になり襲ってくる。ビームを発射しても受け止められる、一進一退の攻防の末に両者のスペルカード宣言が重なった。
明るく、どこまでも透き通った空、太陽が沈んだら夜が来るなんて考えられないくらいの蒼いそれの下、どうやらアリスは大きな小鬼の出す技に為す術も無く敗北を喫したようだ。
◇◆◇◆◇◆
それからしばらくして、なんて有様よ……などと呟きながら酒を飲むアリスの眼前には戦いに使われ傷付いた人形たちが修復された姿で並べられている。どうやら今日の弾幕ごっこの反省会をしているようだ。
「あそこで上海に――いや大江戸に、それでも投げられてたかしら……ふむぅ」
一体ずつの頭を軽く小突くようにしてぶつぶつと漏らしている。端から見ると少し危ない。しかし彼女はいつもこんな感じだから気にするものも今更いないのかもしれないが。
「あれはなんとか回避するとしても……」
勝てたかしらと呟き、その後に何度目か分からないため息をついた。
「ミッシングパープルパワーは本当に驚異ね、大きくってなんにも出来やしない」
そう、彼女はミッシングパープルパワーに屈した。初めの方は人形を操りなんとか耐え凌いでいたものの、怯まない萃香の出す連続技に倒れた。木も狛犬もアリスも倒れた。鳥居もちょっと傷付いた。その後小さくなってから萃香も倒れた、霊夢が張っ倒した。最後に霊夢も倒れた、おそらくストレスだろう。腹のあたりを押さえていた。
何度目だろうか、神社が損壊するのは。全壊でないものも含めればおそらく今までに発行された文々。新聞に負けず劣らずとなるだろう。
萃香と戦う上で大きな小鬼は、霊夢だったにしろアリスだったにしろ、とてつもないプレッシャーになる、それがホームグラウンドだったらなおさらだ。
そう、小さな人形を大量に操るアリスが大きなものを相手にするのは辛いのだ。萃香のそれでも、それが魔理沙のスパークでもだ。今のところ耐えるしか打つ手が無い。
そこで前々から考えていて実行に移せなかった計画がある。
「――完全自立型巨大人形」
弾幕はブレイン――これは彼女の受け売りなのだが、それが自身を縛り付けていたようで、今まで実行に移さなかった計画でもある。
そう、要するにでっかい人形つかって力で押し潰してしまおう計画だ。
「でもねぇ……スマートじゃないし、維持できるかどうか……」
実際、少し前に完全自立の人形を作ったことがある。しかし自我を持つこと無く果ててしまったのだ。それが小さかったのも含めて、それらがアリスを思いとどまらせているようだ。
足りなかったのは血と肉と魂と……それくらいではなかろうか。
「そういえば昔に一個だけ大きい人形作ってたわね……アレをどうにかして応用できないかしら」
どの部屋にしまったのか思い出すように顔を伏せつつ、瓶を傾ける。
しかし、本来中に入っているはずの酒の流れ出る音はせず、ただ万有引力に負けたアルコールの数滴かが猪口へと落ちてゆく。
「……」
「アリスさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、もう一本」
ミスティアが心底心配そうに声をかける。
それもそうだろう、アリスが諦めたようにおいたその瓶の隣には2本の瓶、そして横たえられた2本の瓶。合計で5本、2リットルとちょっとだ。茹で蛸に赤色一号を塗りたくったような色の頬をしていれば、いくら魔法使いといえど過度のアルコールの摂取は辛いだろうと心配してしまう。
「明日に引きずらないようにしてくださいね」
「大丈夫だってば」
観念したようにコトンと置かれた瓶を静かに傾け、アリスは自分の猪口へと嬉しそうに酒を注ぐ。
「これ、下げちゃってもいいですか?」
「あぁ、どうぞどうぞ」
すでに何も乗っていない皿を指さし、それを持っていく。
アリスは特に構う様子も見せずに再び人形に話しかけ始めた。
「自立人形に……足りないものねぇ」
「そういうことはよく分からないんですけど、とりあえず鰻でも焼きましょうか?」
「じゃあよろしく」
ミスティアが鼻歌を歌いながら鰻を取り出し、網の上へ乗せる。十分に油が乗り、そして引き締まったそれにかけられたタレはこの屋台特製のもので、歌と共に匂いでこの屋台へと誘われるものも少なくないらしい。
屋台に備え付けられた覚束ない程度の明かりを照り返すその身の味は、人間のリピーターを作ってしまう程に美味である。
「……でもさっきから鰻ばっかだけどさぁ、他になんかないわけ?」
「ええと、確か羊羹ならあったと思います、貰い物ですけど」
「あ、じゃあそれもよろしく」
「はいはい」
箱から取り出し、つつみを開いて包丁で切り分けていく。深い紫色のそれを3つ皿の上へ盛りアリスの目の前に差し出される。
「貰い物って言ってたけど、貰う宛なんてあったのね」
「ははは、アリスさんったら。いつもチルノちゃんたちと遊んでばかりだとお思いですか?」
「ごめん」
「まぁ間違ってないんですけどね。今日はチルノちゃんいなかったので出稼ぎしてたんです。ほら、この屋台って引いて動かせるんですよ?」
そう言って屋台の右側へ回り込み、持ち手の部分を上下する。
もちろんアリスの目の前の猪口の中の酒に波紋を生み出し、表面張力は耐えきれず決壊してしまい、台の上に染みを作る結果になってしまった。
「お酒こぼれた」
「あっ、すみません、この分はサービスしときますから」
「それよりほら、鰻は? 鰻」
「ああっ!」
彼女は少し焦った様子で網に視線を移した。
そして先程から香ばしい匂いを放ち続けていた物は、風情がある程度に焦げ目を付けられ、タレを浴びている。
それから滴るタレは重力に従い、下にある竹炭の熱気にやられ蒸発する。その際に生み出される匂いがまたなんともいえない食欲をそそる。
「ああんもう。まだできないの」
「羊羹食べて待っててください、あと少しですから」
少しふくれっ面になりつつも羊羹を口に頬張るアリスを苦笑交じりの顔でミスティアは眺めている。
いつからつづいているのかもわからない鼻歌も盛り上がってきているようだ。
「……むぐ」
「――♪」
「むぐ」
アリスは仄かな月明かりに照らされた木々を眺めながら猪口を傾けている。もう急かすのには飽きてしまったのか。
一心不乱に鰻を見つめ続けるミスティアだが、鼻歌を歌っているせいで集中しているのかしていないのかわからない。
いきなりジュッという音を立て、豪快にタレを浴びせたあとに皿に乗せる。この屋台の名物の焼鱧の完成だ。
「一丁上がりです」
「待ってました」
タイミングよくちょうど羊羹を飲み込んだところで鱧が出された。
それは月よりも強く照り返し、脂を主張している。夜空のように黒い焦げ目でさえ光を反射させている。
箸を入れると湯気が立ち上り、そのまま箸を開くと艷めいていたタレと鰻自身の脂が混ざり合い、甘じょっぱい香りが鼻孔をくすぐる。
箸を持ち上げ鰻を口へ放り込もうとすると、乱反射させている灯りが目に飛び込んできて反射的に眼を閉じてしまう。
しかしそれはこの鰻を味わうのに加担し、視覚を遮断することによって口へと神経を集中することができるようになった。
口に入れてからしばらくして、頬の筋肉を弛緩させた。
「――おいっしいわやっぱり」
「ありがとうございます」
アリスは目をつぶったままそう漏らした。
「秘訣とかあるの?」
「特にありませんけど、焼くときは楽しく焼こう……とかは思ってますよ」
「鰻焼いてる時とか羊羹用意してもらってる時とかにさ、歌、唄ってたじゃない? あれってなんなの?」
「何ってほどのものじゃないんですけどね。特に曲名も決まってませんし、どう続けるかも決めてません」
「その場で作詞作曲ってこと? シンガーソングライターミスティアってこと? なうめいくみゅーじっくなの?」
「そんな大逸れたものじゃないんですけどね、大体そんな感じです」
ほぉ、と声を漏らし大げさにうなづいてから、こう続けた。
「私さ、今さ、自立人形なんてもん作ろうとしてるのよ」
「そうなんですか」
「むかーし作ったんだけども、失敗しちゃってさ。自分を保てなかったみたいで」
「ふむ」
「そこでね、あなたの声なんて入れてみたらどうかなとか」
「はいはい……はい?」
流暢に持論をまくし立てるアリス、対してそれにのせられているミスティア。
頭上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「え。ちょっと、待ってください」
「大丈夫、心配はないわ。音質の劣化はほとんど無いわ。地霊殿に突入した時に確かめたし。あ、もしかして緊張してるの? 気にしないでって、そんなに気張ってもらわなくても構わないわ、録音機材はこの前にとりに用意してもらったし、使い方もとりあえずはマスターしたもの」
「えと、いやそうじゃなくって」
「じゃあ何? あれね、幻想郷の決壊の可能性ね。それも心配ないわ。作る人形のサイズは私の身長の4倍から5倍。拡声器もそれに合わせるから今の声量の――多く見積もっても5倍。あなたの声に破壊力があったとしても大結界が破れる心配は無いのよ」
「あ、えぇ、はい」
赤色一号の塊と何とか意思疎通を図ろうとしていたミスティアであったが、どうやらうまく行かなかったようだ。
「もしあなたの声が次元を超える作用を発してパラレルワールドを開いてしまったとしても、霊夢の封魔陣があるから大丈夫よ、2.2次元や2.3次元とつながってしまっても向こうの生命体がこちらにやってこられる確率は10%以下、幻想郷内とつながってしまう可能性は否定はできないけど、便利だし残しちゃってもいいと思うの」
「はぁ……」
「魔界なんかとつながったら霊夢が勝手にとじそうだけども。無縁塚とつながったらゴミ箱にしそうだけどねあいつ。話がそれたわね。あと心配すべきなのはあなたの拡大された声が里の人間へ被害を及ぼさないかどうか。神社から適当に見積もっても1「私の声にそんな魔法みたいな力はないです」ども要チェック課題ね、それと――」
「で! で!」
一秒間十連射のマシンガンというよりどこぞの十六連射並に話し続けるアリスの言葉に割って入るように、ミスティアが声を上げた。話しているのを邪魔されたのが気に入らないのかアリスは少しだけ口を尖らせている。
「結局私は何をすればいいんですか?」
「そうね……とりあえず人形に入れるための歌とか声とか考えといてくれると嬉しいかなとか」
「わかりました、なら」
「……なら?」
ミスティアが胸に手を当てて顔を伏せる。
アリスは持っていた猪口を置き、ミスティアの顔を覗き込む。
「私、アリスさんと一緒に決めたいです」
「――どういうこと?」
「またのご来店をお待ちしております!」
アリスはため息を付いたあとに仕方ないなあというような笑みを浮かべ、ミスティアは猫のように笑った。
あとは脳内保管しておきます。