図書館で次回の講義で必要そうな文献を漁っていると、自習室にメリーを見かけた。
待ち合わせは確か全講義終了後だったから、こうして示し合わせたわけでないのに、会えたら嬉しくなってしまう。
メリーが珍しく歌を口ずさんでいる。かすかだが聞こえてくる。その歌はどこかで聞いた曲で歌詞である。でも内容はあまり思い出せない。聞き覚えがあるからきっと有名なモノなんだと思うのだけど。題名も何だっけ。
しかし相当機嫌が良いようだ。普段はさっぱり歌なんて歌わないのに、こうして鼻歌交じりに歌ってなんかいる。
………………さっき来たの気付いていない?
あるある。変な所で鈍いからありうる。その代わり直感とかそこらは凄く鋭いのだけれど。私にはわからない理論づくめで攻めてくるし、女のカンってやつだろうか?
普段してやられてばかりだし、仕返しするのも悪くない。驚かせてやろう。
背後に回り込む。後ろに回ると当然距離は近くなって、歌の内容が聞こえてくる。
その内容は。
………………これはラブソングだ。思い出した。作られてからかなり長い時間が経っているというのに、ずっと愛されている曲。昔のジャズソングなのだけど、かなり人気のあるやつだ。
確か、私を月に連れて行って、という内容だったはず。
月に連れて行って。
月面旅行の話をこの間していたから、そのせいかも。アレは予算の都合上無期限延期となってしまったけれど。
でも。ソレだけではない気がする。
聞いている限り歌詞の内容にキスして。とかあるしねぇ?
メリーにキスしてとか言われたら、腰砕けそう。本当に。
まぁきっと言ってくれそうにはないけど。
でも言ってほしいな。こうして歌詞として歌うんじゃなくて、私に対して、さ。
今は私の片思いでしかないけれど、いつかは気持ちが通じて、言ってくれないかな。
「…………?」
機嫌よく歌っていたメリーがこちらを振り返った。日光を遮っていたから気付かれたかな。
「……蓮子?……………聞いてた?」
みるみるうちに顔色が変わっていく。赤くなったり青くなったりとせわしない。
八つ当たりぎみに何かされるだろう、この分だと。……きっと私がどうこうされる方向で。
言い訳しても仕方ないし。あっさり白状することにした。
「うん」
後ろの特等席で、ずっと聞いていた。
良い声しているよね。
そう言ったら今度は赤くなっていく。うんかわいい。
「いたんならいたって言ってよ!あーもう下手だったでしょ!?」
「そんなことないよ、上手かった、もっと聞かしてくんない?」
「嫌よ、恥ずかしい!」
色素の薄い髪を振り乱して悶えている。
いやー肌白いから、赤くなってるのが丸わかりだよねー。見ていて面白い。
メリーは赤くなった顔を隠そうと両手で顔を覆っているけど、耳まで赤くなってるんだから、バレバレである。
「えーけちぃー聞かせてよ?」
肩をゆすって催促する。あまりにしつこくしていたら折れてくれるだろうと思って。
だというのに、向こうはいいことを思いついた、という顔でこちらを振り返る。嫌な予感がする。
「蓮子も歌ってくれるなら考えてもいいわ」
「えーでも私あんまり歌詞知らないわよ?」
嫌な予感的中。
外国語はあまり得意ではない。海外の論文を見るときは仕方なく片手に辞書で翻訳してやっているけれど。
「わたしが傍で歌っているから、ソレ聞いて、後から歌えばいいわ」
「英語のリスニング苦手なんだけどなぁ……」
特に苦手なのはオーラル。リスニングももちろんだけど。
「いいじゃない、たまには頭の体操がてら」
いつの間にかメリーのペースだし。
英語圏はメリーの実家あるもんなぁ。ネイティブな発音だ、いいなぁ。
そう考えてると苦笑された。
「一応本国は向こうだけど。わたしも日本育ちだから、リスニングは得意じゃないのよ?」
「ごめん見た目で判断してた」
「まぁ……仕方ないとは思うけど。
実際、小さい頃は話せてたと思うんだけど、さっぱり話さないから忘れちゃったかも」
「もったいな!」
「仕方ないじゃない。使わないと忘れちゃうんだから………」
あと子供の発音だったから今、そんな話方していたら笑われるとのこと。
だったらまぁ…………仕方ないかな。メリーの子供発音も聞いてみたい気もするけど。
そうこう騒いでいるうちに閉館時間になってしまった。
「ひゃー寒いぃ」
外に出ると吐息が白くなっていた。コートの前を閉めて、マフラーを隙間なく首に巻きつけた。
「やっぱり冬は陽が落ちるの早いわね……」
まだ6時だというのにすっかり暗くなっていた。空には星や月が存在を自己主張していた。
「寒いけど、私は冬は嫌いじゃないわ、むしろ好きね。寒い分、空気が澄んでて空がよく見えるもの」
「だったら蓮子の時計機能も役立ちやすいわね。正直、待ち合わせに遅刻しないでほしいのだけど」
「それはそれ、これはこれ」
強引な話のごまかしである。
「だーかーら。ごまかされないわよ?いい加減、蓮子も歌ってってば」
「えー」
だから、英語の発音はそんなによくないんだってば。
なんでか形成逆転されて、メリーにお願いされて歌を歌う羽目になってしまった。
どうしてこうなった。
そんなこんなで歌を歌ってもらって。メリーが歌った後を、私もアカペラで追いかける。
聞いていてわかったのだけど。
………やっぱりラブソングだよねぇ。この歌。
何度か、ちらちらとこちらを見ながらメリーが嬉しそうに歌っているものだから。自分が気持ちを伝えられているわけでもないのに、どぎまぎしてしまう。
極めつけは最後のフレーズ。
「I love you」
こちらを見て微笑むメリー。その顔が綺麗で。
ただ、歌を歌っているだけなのに、動悸を抑えられない。ぼけっとメリーを見つめてしまう。
「え?……………あ!違うの!
これ歌詞だから!違うから!違うのよ!」
凄く否定されている。
言い間違えたとかそういうのは……ないよね、歌詞だもんね。ちょっとショック。
どうにか気を取り直して。肩をすくめた。
「っていうか、逆じゃない?むしろ連れて行ってほしいのは私の方。
私はあなたに手を引かれて進む方角について行くことしかできないんだから。進路を見つけるのは貴方の役目なんだからね」
「そんなこともないのよ?
わたしは、わたし一人だときっと座標を見失ってしまって、元の位置に帰ってくることはできないわ。それを、わたしを繋ぎとめているのは貴方よ、蓮子。現在位置を把握するその目のおかげでわたしはまだ、ここにいられるの。
でないと今頃とっくに、向こうに行ってるでしょうね」
「まだ、なんて言わないで、いつかは向こうに行ってしまいそうで嫌」
……私がいなければきっとメリーは行ってしまうだろうから。
きっと、メリーの見ている世界は魅力的で。
でも私だけの力では敵いっこない。私だけではいつまでもこちらに繋ぎ止められない。
「ごめん」
気まずくなりかけた空気を払拭させるために、私はわざと明るく言い放った。
「だから、ね。秘封倶楽部は二人で一つなのよ。
一人一人別れてしまったら、もうそれは秘封倶楽部ではないわ。ただの宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンでしかないわ」
嬉しそうに微笑むメリーに私も微笑み返す。
「ね、そうでしょメリー」
「そう。わたしのことをそんな変な名前で呼ぶのも貴方くらいのことなんだからね」
「変って言わないでよ、会心の出来だと思ってるのに」
「いやそれはないでしょ」
いつもの通り、たわいのない話。
ふいに空を見上げた。相変わらずそこにある月と星。位置からして今は午後6時13分12秒。口には出さず頭の中で唱える。
そのまま視界に入った月を眺める。
「私を月に連れて行って……かぁ」
月は異界の象徴であり。ここではないどこか、ということでもある。
竹取物語のような、月のお姫様は、ここ(地上)ではないどこかのお姫様だとか言うみたいに。
そして、日本には、遠回しな言葉がある。いや遠回しな言い方というか。
『月が綺麗だ』
それは愛している、という意味だそうだ。過去の文豪、夏目漱石の訳である。当時の日本じゃ直接的に愛しているだなんて言えないから。婉曲的に遠回しに伝えていたそうな。
でもいくら時代が移り変わったって、愛していると気持ちを伝えることは恥ずかしいことに変わりはない。相手の顔を見て直接言える奴は少ないと思う。
海外の人はなんであんなにあっさり言えるのか……文化か?文化の違いなのか?
日本人は奥ゆかしいんだよ!ヘタレとか言うな!
と、誰に向けてか解らないツッコミを心中でぶつくさしていた。
そうじゃなくて、メリーに言うんだ。
遠まわしで、どうしても面と向かっては言えそうにないけれど。こうすれば、きっと気持ちを伝えられると思って。
見上げていた視線をメリーに移す。見慣れた奇麗な横顔。口を開いてメリーに伝える。
「蓮子、月が綺麗ね」
空を見上げて、メリーがそう言った。
言おうとしていたことを先に言われた。
再び空を見上げた。
確かに、今夜は満月で、雲もなくて奇麗である。
っていうかメリー。
意味解って言ってるのか、そうでないのかどっちだよ!?この小悪魔さんめ!
「さっきの続きだけど。
幻想郷に行こうとすれば行けるかもしれないわ。でもそれはきっと一人じゃ無理なの。わたしは……誰かと一緒にいることでようやく行けるようになったと思うの。その誰かは不特定多数の誰かではダメ。あなたじゃなきゃダメ。
……あなたのおかげなの。だから連れて行って、なのよ」
「そ、れは………………」
歌詞の通りなのだと、蓮子なら気が付いてくれる。わたしが何を言いたいのか気付いてくれるはずだから。簡単なヒントを示すだけで、きっとわかるだろう。
そうメリーが思っているのが手に取るように解った。
背を向けて、ずんずん先を進んでいるから顔は見えないけれど。髪から覗く耳は赤く染まっているから。本当、メリーは肌の色が白いからすぐわかってしまう。
In other words, hold my hand――――つまりね、手を繋いで。
メリーが大股に先を歩いている。少し駆け足になってメリーを追い掛けた。
手を繋いだ。指先がひんやりして少し震えていた。でも手を触れ合わせているとすぐに暖かくなった。
In other words, darling(baby) kiss me――――……………キスして。
ソレに関しては恥ずかしくて何も言えなくて。しばらく黙ったまま歩いているとメリーから口を開いてくれた。
「……だから、fly me to the moonなの」
歌詞の意味は。
You are all I long for――――貴方だけが、私にとってかけがえのないものであり。
All I worship and adore――――大切で尊い存在、だから。
それは本当だから。………解ってほしいから。
そんなことを少し遠回しに、歌を使ってメリーが伝えようとしてくれている。
……メリーの方がよっぽど日本人くさいじゃないの。
日本育ちは伊達じゃないわ。帽子をずらして熱い頬を隠して苦笑する。
でも、本当は私が歌うべきだと思う。
貴方の見ている世界を私も見てみたい。
だから、貴方と同じ世界に連れて行って。
月でも、幻想にしか存在しない世界でも、どこだっていい。
貴方がいる所なら、きっとどこだって私は行けると思う。
貴方さえいれば。
だから、ね?
「月が綺麗だから……歌を聞かせて」
私も歌うから。
もう飽きた
良い雰囲気でした!