流行り風邪、というものらしい。
人間も妖怪も、こほこほと乾いた咳をしていて。命連寺では今の所、普段から門番みたいな事をして外にいる事の多い一輪が、最初の犠牲者になった訳で。
青空柄のパジャマに身を包んで、ボタンを見事に掛け間違えている一輪。頭巾もしていないから普段は隠れた髪がふわりと露出していて可愛い。
そんな一輪が、様子を見に来た私の顔見た瞬間、枕に顔を隠したかと思えば、私の服をくんっと摘んで離さない。
「……」
少し驚いて、嘘、少しだけ予想していた展開。
確か、一輪がまだ小さかった頃に、こういう事があった気がする。すでにおぼろげな記憶だけれど、覚えている。
「一輪?」
呼んで、服を摘む一輪の指先を見る。人差し指と親指で、遠慮深げに布を摘んだまま。指先が白くなるぐらい力を入れている。
なのに、少し力をいれればすぐに外れてしまいそうな可愛い指。
「一輪、どうかしたの?」
「……」
声をかけても、返事は無くて。
ただ、もぞっと音がした。枕に隠した顔を少し動かした音らしい。でも、まだ顔は見せてくれないみたいで。
試しにそっと逃げる様にしてみると、指はまたくんっと強くなってくんくん引っ張られる。可愛い。
……でも困る。
どうして欲しいのか言って貰えないと、私は行動できない。
「ん……」
さて、どうしようかと頬を掻く。
私は死んでいるので風邪なんて引かない。
よって、風邪を引いたらどれだけ心身が不調になるのか、すでにもう思い出せないのだ。
だからこそ、どうすれば一輪が喜んでくれるのか分からなくて。
私と一輪の間で、それこそ珍しいぐらい手探り状態の現状。だからこそ迷い、悩み、困って。
行動にうつしたくても分からなくて。
少し考えるのに疲れて。
癒しを求めるみたいに、そっと胡坐をかいたまま腰を曲げて、一輪の髪に鼻先を埋めた。
甘くて、ほんのり汗の匂いがした。
「…っ!」
びくりと動く。
いつも石鹸の香りばかりだから珍しいなーってくんくんすると、一輪が「ひゃっ」って枕でくぐもった悲鳴をあげて。小さく震えだす。
「……一輪?」
いつの間にか私の服を掴む手にも力が入って、指先だけだったのが五指を全部使ってぎゅって握りしめて。
服を引っ張られすぎてお腹がすうすうするけれど、一輪は更に枕に顔を押し付けてしまって。どうしようもなかった。
「?」
どうしたのだろうと、分からなくて眉間に皺がたつけれど、とりあえずは先ほどの続きをしてみる事にした。
反応が面白かったのもあるけれど、一輪の香りをもう少し感じたかったのだ。
「ん」
一輪の首筋に近い頭髪にまた鼻先を入れて、やっぱり良い匂いだとくんっと息をする。「ッ!」ってぷるぷるする一輪が気になるけれど、ひととおり香りをかげたら満足して、そのまま何となく首筋をぺろりと舐める。
「ッ!」
しょっぱい。
また一輪がびくりとしたけれど、今度は予想できていたのであんまり驚かないですんだ。
でも、掴んだ手がぐいぐいぐいぐいっ! と不満を大量に含んで引っ張ってくるので「何?」と聞いたら、引き寄せたまぴたりとそれも止まってしまった。
……何なんだよ、もう。
チリッと苛立つ。
「一輪」
長い付き合いの一輪を相手に、こんなにわからないというのはどうにも慣れなくて、久しぶりすぎて。
互いに相手の目を見ればけっこう分かるのに、今は一輪は私から顔を隠して、ただ服を引っ張るだけで、何も言わない。
むすっとして、くいっと弱く髪を引っ張ってみる。でも「……」って無反応。
「一輪、ねえ、一輪ってば」
呼んで、覗き込むみたいにしてみた。指先に髪を絡ませて遊んだりして、一輪の枕の隣に、ぽすっと頭を置く。
胡坐をかいたままだから少し辛いけれど、一輪はやっぱり無反応。ちょっと不満。
「一輪、何か言ってよ。もう、一輪ちゃん? 何で返事してくれないの?」
昔の呼び方をしたら、少しだけぴくりと反応したけど、それだけだった。
「……むぅ」
少し、いや。
かなり面白くない。
風邪だから、とか。きっと一輪は疲れている、とか、不安定なんだよ、って、頭の中では分かっているけれど、一輪が。
私にするそういう態度は、何か我慢できない。
「……もういいよ!」
だから、苛立ったのとそんな自分の頭を冷やす為に、濡れタオルとか少しでも看病の役に立ちそうなものでも持って来ようと腰を上げた。
「!」
と。ぐんっと。引っ張られた。
予期せぬ力だったので、そのまま一輪を踏んでしまいそうになって、慌てて両手で一輪をよけて覆いかぶさる。
手の平が布団と、畳を擦って、畳の方の手が焼けた様に熱くなる。
「―――なっ、危ないでしょう一輪!」
衝動的に怒ったら、一輪はびくっ! として、ぎゅっと身体が固まるのを、覆いかぶさっているから強く感じた。
私は「あ」って、私としても一輪を怒鳴るとか、あまりに久しぶりすぎて有り得なくて、ぎしっと固まる。
うわわっ、と変な声が出て、急いで一輪から離れようとするのに、一輪は私の服を離さない。
さっきよりもずっと強固に、必死になっていた。
「……い、一輪ってばぁ」
離してよって。
怒鳴らない様にと意識して小さな声で抗議したら、枕に隠した顔が、動く気配。
「……ぃ」
「え?」
「……っ」
もぞりもぞりと、大きな音がして、一輪がくぐもった声のまま、服を更に引っ張ってぐいぐいと、痛いぐらい引いて。
くぐもった、小さな懇願の声。
「い、いかないで……!」
って。
「…………」
う、ぅええ?
いや、ええぇえぇえ?
固まって、頭の中が真っ白になる。
何?
今、一輪は何て言った?
耳にこびりついているのに信じられなくて、ぱくぱくと口が金魚みたいになる。
そうして返事が止まっていたから、一輪は私に聞こえていないと思ったのか、今度ははっきりした音で、枕から真っ赤な顔をあげて、涙目で私を見上げて。
「むらさ」
と呼ぶ。
その動きで、布団がはだけて一輪のちゃんと着ていないパジャマも露になって。
赤らんだ、肌が見えて。
「……い、行かないでムラサ」
って、繰り返して。
覆いかぶさるみたいな格好の私に、泣きそうな顔のまま「お願い…!」って、熱い両腕を回して、ぎゅうって抱きついて。
一輪は、
雲居一輪は、大人びて、可愛いくて、美人で、私の妹みたいで、だけど今はお姉さんみたいな、普段はあんまり甘えてくれない、一人で頑張って努力して要領の良い。
そんな一輪が、怖がるみたいに、私に縋りついた。
熱かった。
落ち着くまでに若干の時間を費やしたけれど。私は落ち着いた。
キャプテン・ムラサはこれぐらいで動じない! いや嘘です。動揺しすぎてすでに煙でそうです。
ふう、と。
心の中で言い訳して、もぞりと落ち着きなく身じろぎする。
「寒くない?」
「……ん」
小さく聞いたら、小さな返事。
一輪は、あの後から私に抱きついたまま離れなくなって、私は温度が無いから、一輪の体温が急激に下がらないか心配で、
だから妥協案として、一輪と布団を一緒に抱きしめているのだけど。
「一輪?」
一輪が、私の肩に顎を置いたまま、また何も話さなくなってしまうのだ。
声をかけたら返事はしてくれるけれど、それ以外は無言で、気まずいわけではないけど落ち着かない。何か、こういう無言は困る。
止まった心臓が、チリチリとむず痒い感じ。
困るというか、焦る?
そっと、彼女の肩にずれた毛布をかける。
一輪の身体は熱くて、一輪の様子はおかしくて、だから、私の調子も狂いまくって。
だからだろうか? それだけで?
喉が、カラカラと干上がる感覚。
「…………ね、ムラサ」
「え……?」
ようやく、一輪からの自発的な会話。
ドキリとして「な、何?」って変な声が出た。でも一輪は、ぎくしゃくしているのがばれているのか、気づいていないのか、よく分からない声色で。
また「ムラサ」と呼んだ。
「っ」
一輪は、もそもそ動く。
くすぐったいけど、我慢してじっとしていたら、一輪がもっともそもそしてきた。
「あのね、ムラサにね」
「……う、うん」
「風邪、ね」
もそもそが、もじもじになって。
一輪が、照れくさそうに、くすりと耳元で笑う。
うわって、熱い呼気に触れた耳が、小さく痺れた。
「な、何なの、一輪?」
「ん。……んふふ」
「ち、ちょっと?」
風邪なのに、まるでお酒に酔っているみたい。
ふわりと、一輪が唐突に離れる。
すっと薄れていく熱に「あ」と声が出たけれど、一輪の顔から目が話せなくて。
熱に赤らんで、一目で具合が悪そうなのに、可愛い。
ただひたすらに可愛い。一輪の姿。
「っ」
反射でぎくりと固まってしまって。
その笑顔に魅入られてしまったみたいに、ただただ馬鹿みたいに見つめてしまって。
一輪が唇を開くのを、見守って。
「ムラサに」
「う、うん」
「私の風邪がね」
「かぜ?」
「うん」
ぎゅって、手を取られて、指が絡まる。
「うつれば、いいのになって」
「……へ?」
ほうっと夢見るみたいな顔で、予想外の台詞。
呆けている内に、一輪は私より少し高い位置にある瞳を、悪戯っぽく細めて。
「そういうの、いいでしょう……?」
って。
絡めたままの手で、指を、唇に這わせて。
「ね?」
って。
目を閉じて。
そっと首を伸ばして、顎に指がはって、甘い呼気が鼻腔をくすぐって。
熱い熱い。
内側の熱を、深く、感じた。
……。
翌日。熱のしっかりひいた一輪は、私と顔を見合わない。
いや、いいけどね。分かるし。
一輪の可哀想で可愛い所は、お酒に酔って甘えちゃっても、それを忘れられない所だものね。
風邪で頭のネジがちょっと緩んだ故の出来事をちゃんと覚えているんだろうね。うん。
だから、朝から私と目もあわせてくれない口も聞いてくれないんだよね?
そうだよね? っていうか、そうじゃないなら今の現状を全然納得できないし、泣きそうだ。
……私の方が、普通じゃいられないのに、さ。
なんか、ずるい。
「……」
拗ねている、みたいな思考に首を振って、はあ、と溜息。
現在、熱が引いたとはいえ念には念をいれて今日までお布団の中で過ごす一輪は、昨日より落ち着いた様子で布団に横たわっていた。
だというのに、
何故か、私の服から手を離さない。
これじゃあ、離れられないのに。
「……ねえ、一輪、離してくれないかな?」
流石に気まずくて、耐えられそうになくてそう言うと、すぐに泣きそうな瞳がぶつかって、ひくりと驚いた。
え? 何その顔?
って聞く前に、一輪は身を起こして、私の服を両手で掴む。
「む、ムラサ? ……やっぱり、怒っているの?」
「は、はい?」
「……だって、昨日、その。私が我侭ばかり、したから」
「い、いやいや。っていうか、え?」
あれ、え? まさか、我侭のつもり、だったの?
何やら、こつんと小突かれたみたいな、そんな気持ち。
唖然として目を丸くすると、居たたまれなさそうな表情で一輪は目を伏せて。私をそっと伺い見る。
「……ぅ」
そういう顔をされると、私が全面的に悪い気がして。
いや、気ではなくて、本当に悪くて。
……考えてみれば風邪を引いた一輪の様子がおかしいのは当たり前で、普段はやらない、我侭? を、したとしても不思議ではなくて。
だというのに、私の行動は本当に紳士ではなくて。
だから。
「……お、怒ってない、よ」
はっきりと、どもりながらもちゃんと言う。
私の目をじっと見た一輪は、その言葉に嘘がないと分かって、ようやくほっとした顔になって「うん…っ」ってようやく、少し笑ってくれた。
「……あ、じゃあ。ムラサ」
「ん?」
それだけで仲直り。
私達はいつも通りだと。
大いに安心して、密かに胸を撫で下ろしていると、一輪が言いにくそうに、だけれど熱意を持って聞いてきた。
「風邪、うつった?」
―――。
ひくりと。不意打ち過ぎて顔を隠す暇が無かった。一輪の顔が「ぁ」って驚いて。
ま、まままだ、一輪は風邪を引いているんだって。そうなんだって。
私は思わず唇を押さえて、俯いて。知らん振りをしようとして。
「知らない!」
って怒った声が出て。明らかに失敗して。
そうしたら一輪は「そっか」って、少し声を落として「そうか、そうなのね」って、どこか嬉しそうに。
私の頬をそっと撫でる。
「ええ、ちゃんと、うつってるみたいね」
「…ッ、ええ、おかげ様で」
観念した。顔から火が出そう。
真っ赤な、きっと一輪より赤い顔の私を見て。
一輪は、それはそれは嬉しそうに。
ふわりと笑って、小首を傾げて「良かった。嬉しい」ってそう言った。とても満足そうだった。
何だそれ。って言葉はぐむっと飲み込んで。
不本意ながら可愛い…ッ。と、更に顔が、身体が、制御不能の熱で、赤くなるのだ。
本当に、風邪というものになったみたいな気がして。
負けたなぁって。帽子を深く深く、隠すみたいに被った。
そうしたら、帽子で隠れて見えないけれど、唇にちゅって感触がして。……心臓が、ひりひりした。
誤字報告~。
>だといのに、
>怒ってるいるの?
船長さん俺と位置交代して下さry
ありがとうございます
ありえない高熱数値だわ
ほこほこな気持ちになれた。
いちりんさんマジかわいくてハァァァァン!!