世界でまかり通っていることでも、どうしても納得がいかないことがある。
それは酢豚にパイナップルが入っていることぐらいにはどうでもいいけれども、重要なことだった。
そう言った、お約束ごとというか、摂理のような物を徒然と聞きたいぐらいには暇な日だった。
「前から聞きたかったんだが」
「何かしら」
魔理沙はテーブルを挟んで向かいに座っている本の虫のほうへ体を乗り出した。
暇で暇で仕方ない魔理沙は、同じくいつも暇で暇で仕方なさそうな図書館の主に会いにきていた。
この暇虫は年がら年中飽きずに本を読んでいるばかりで、他にすることもないのかと聞いたらそれよりも面白いことがあれば外に出るなどと抜かす。
館の主のほうは用事がなくても無理やり作るような奴だから、この二人は水と油のように見える。
「なんでお前らは親友なんだ?」
その二人と付き合ってきたものならば、当然、この疑問が出てくるのだ。
なぜ、二人は親友と呼び合う仲なのか。その理由はどこにあるのか。
パチュリーは魔理沙の言葉に眉根をひそめる。
「レミィと?」
「他に誰が居る」
「魔理沙とか?」
「えっ、まぁ、そういうことにしてやってもいいんだけど……。その、こ、これからは本を盗ったりするのやめるぜ。
って違うそうじゃなくて! 私はお前とレミリアがどうやっても繋がらないように思えてならないんだよ」
「え? そうかしら。確かに私はレミィと紅茶の趣味は合わないしあの子は本を読まないし三輪車で外を暴走しているのがお似合いの脳筋だと思っているけど」
「まさにそれだよ! ていうか脳筋ってもうちょっとマシな言葉使ってやれよ! 実はレミリアのこと嫌いなんだろ!」
「そう思うのも致し方ないわね。納豆ばっかり食べるし」
パチュリーは読んでいたハードカバーをパタンと閉じると、頬に指を当てた。
「要するに魔理沙は、私とレミィの出会いが聞きたいってこと?」
「要約するとまぁ、そうなる」
乗り出した体を元に戻して、魔理沙は腕を組んだ。
小悪魔が淹れた珈琲はとっくに冷めていて、皿に積まれていたクッキーも、もう粉粒だけしか残っていなかった。
「これがぎゃ王炎殺黒龍波だ!!」
「ぐわああああああああ!!」
「手ごわい敵であった……」
最近図書館に導入されたてれびじょんには、エントランスではしゃぐ吸血鬼姉妹が映し出されている。
ていうかぎゃ王炎殺黒龍波ってなんだ。横で観戦しているメイド妖精たちはやたら騒いでいるが。
いやそれ、どう見てもグングニルだし。
ツッコミ役の美鈴と咲夜はビニールシートを敷いてお茶会をしているし、紅魔館は一体どこへ向かおうとしているんだ。
このままだと紅魔館が変形合体したり自走式になるのも遠い日ではないかもしれないと魔理沙は思う。
技術者であるパチュリーも大概頭が沸騰しているから、河童あたりと提携して本気でやりかねない。
そして全世界ナイトメア号という名前でも付けられた挙句、最後は爆発して星になるまでの顛末が目に浮かぶようだった。
しかしまぁ、そんなハッピーな脳みその持ち主であっても、パチュリーが、レミリアと親友をやっているのは納得がいかなかった。
それだけ、パチュリーの魔法使いとしての資質はダントツだ。
そんじょそこらの長生きしているだけの妖怪では到底敵わない段階に、ほんの百年で到達してしまった、紛うことなき天才。
時々本を持っていくとエロ本が仕込まれているものの、魔法使いとしてはパチュリー・ノーレッジは純粋に尊敬に値する相手なのだ。
クソックソッ!
一方でレミリア・スカーレットというと、確かに才能には恵まれている吸血鬼である。
魔力も体力もそんじょそこらの妖怪風情では太刀打ちできない強靭さではある。けれども、それだけなのだ。
妖怪としては若すぎるきらいがあって、彼女を嫌っている古参の妖怪は結構な数、居る。
魔理沙の認識としても、子供っぽくて、見た目相応にすぐに拗ねる。
我ながら侮りすぎているかもしれないとは思うものの、大きく間違ってはいないと思っている。
「まぁレミィはレミィでわかりづらいところがあるからね」
「あれが丸ごとレミリアだろ。どこにわからないところがあるんだ」
「もちろん。レミィは全力で馬鹿なことに取り組む子なのよ。損得勘定なんて考えずに。ばっかみたい」
「ふむ」
くすくす、と笑うパチュリーに対して、魔理沙は口を尖らせた。
公然と相手と批難できる。そこに嫌らしさを感じないのは、親友と普段から言い合うだけの仲が育まれているからなのだろうけど。
確かに霊夢のことであれば、あいつはロクでなしだの茶ばかり飲んでいるダメ巫女だのとそれこそ滝のように出てくるけれども。
「あーおかし。そんなに気になるの?」
「まぁ、気にならないって言うと嘘になるな。お前ら二人の馴れ初め」
「結婚してるわけじゃないんだから、馴れ初めだなんて言うと……。あっ、でもプロポーズに近いことなら言われたかもしれないわ」
「へ!? お前ら女同士だろ!?」
「あくまで近いことをよ。レミィはたぶん、この館で働いている全員に言ってるわよ、それ」
「女たらしなのか? とてもそうは見えないが」
「たらしもたらし。男も女も口説き落とすわよあの子は。
レミリア・スカーレットの本質は吸血鬼だからとか、力が強いからだとか、そういうところで見ていると見えてこないのよ」
てれびじょんには、パロスペシャルをフランドールに決められて涙目になっているレミリアが映し出されていた。
冷めたコーヒーを啜って、パチュリーの顔を改めてみると、頬がほんのりと染まっていた。
なんだこいつ。
惚れてるのか。
魔理沙は砂糖をたっぷり投入した珈琲を啜りつつ、パチュリーの言葉を待った。
「初めて会ったときは私も子供だったから。たしか、十歳ぐらいだったかしら?」
「大体百年前のことか。長くなるのか? それ」
「わりと? 当時つけてた日記があるから、ちょっと取ってくるわ」
パチュリーが席を立って、魔理沙は手持ち無沙汰になった。
てれびじょんに目を向けると、丁度、レミリアがフランドールにキャメルクラッチをしかけられているところだった。姉ェ。
五分ほど待っているとパチュリーが煤けた日記帳を携えて戻ってきた。
待っている間に淹れなおしてもらった珈琲を一口啜る。
「ちょっとどこに置いてたか忘れちゃって」
「まぁいいぜ。私は今日は暇でな」
「家に閉じこもってないときはここか神社にいるくせに」
「確かに」
「そんなことはどうでもいいわね。重要なことでもないし」
パチュリーがテーブルの上で日記帳を開く。
「これに載ってるのは私の主観ばっかりだから、まぁ、ちょっと違うところもあるだろうけど気にしないでね」
「補足はしてくれるんだろ?」
「できる限りは」
「ならいいぜ」
「別にドラマチックでもなんでもないわよ」
「期待してると思うか?」
「魔理沙って案外、そういう乙女チックなところがあるから。こっそり美鈴にエロ本返してたり」
「やっぱりお前わざと混ぜてるんだろ!? そうなんだろ!? ちくしょう!!」
「だったら盗んでかなきゃいいじゃないの」
「普通のグリモワに偽装するなんてずるいだろ!?」
「ちなみに作者は妹様よ」
「フラーン!?」
「関係ないからさっさと始めるわよ」
「ちくしょうちくしょう……」
「初心ね。そんなところをからかうのが楽しいってアリスも言ってたわ」
「あいつが作ってくれる下着毎回なんかエロいんだよ! 手つきもやらしいし!」
「わざとやってるって言ってたわよ」
「文句言ってやるああもう絶対文句言ってやる!」
「話進まないからこれ以上魔理沙は発言しないでね」
理不尽だよ、こんなの、と魔理沙が俯いた。
普段は強気の癖に、押されると、案外弱い。ふむ。
この弱点を天狗にこのことを売れば本代にはなるかしらと思いつつも、話をしてやろうと思う。
レミリア・スカーレットとパチュリー・ノーレッジの、平穏な日々を。
◆
丁度百年ほど前のことだけれども、その頃私は上海に住んでいたの。
というのも、元々先祖が住んでいたらしいヨーロッパでは魔女狩りが流行って、血族はそれぞれアジアやアフリカへと逃れていったんだとか。
詳しくは私もわからない。というのも物心ついた頃には母親も居なかったし、世話をしてくれていた相手も阿片を密売している街のチンピラだったから。
私が錬金術が今でも不得意なのは、多分このときの経験があるんだと思う。
毎日毎日、麻薬を作っては売って、麻薬を作っては売っての繰り返し。
ほんっと、最悪の日々だったわ。真っ暗で、埃まみれで、手を休めると罵声と怒鳴り声。髪の毛を引っ張られたりもしたわね。
そんな生活がたぶん、数年。もっと短かったかもしれないけど、正確なのは覚えてないのよ。
ある日、そいつが死んだ。
何でも街で撃たれて、頭の中身をぐりんぐりんって銃弾がまわって死んだとか。
これは私が部屋から追い出されるときに聞いただけだから、よく覚えていないんだけど、育ての親との関係はそれぐらいよ。
ま、珍しいことでもないわね。あの街はそれだけ、命の価値が低かった。後ろ盾もロクでもない売人風情が一人死んだぐらい、日常として片付けられたの。
問題は私のほうよね。大体十歳ぐらいで天涯孤独になった私は、ぎっしり人の詰まった街で一人ぼっちになって。
当時の上海はね、阿片戦争から始まったイギリスやその他の欧州列強の影響で、多彩な文化が入り混じって人口密度もそれ相応に膨れ上がっていて。
その中には、妖怪もひっそりと人間に混じって暮らしていたの。ここなら素性を気にする人間もいないし、とにかく住みやすかったのよ。妖怪にとってはね。
ほどなくして追い出された私は、そのまま路地裏でくたばりかけていたのよね。当然よね。
食い扶持も自分で稼げやしないし、阿片は持ち出してたけどパンの切れ端と交換してそれで終い。
元々身体も弱かったし、人の物を盗んで逃げおおせるほどの機敏さもなかったし、そもそもそんな発想すらもなかった。
だってずっと家の中に居たでしょう? 路上生活の常識なんて、何一つ持ってなかったのよ。
子供一人の命なんて、鳥の羽よりも軽いこの街で、カラスの餌に昇格しかかっていたときに、偶然拾ってくれたのが、美鈴だったの。
美鈴って見た目は人間だけど、歳を取っても見た目が変わらないから。
一箇所に留まることもできず、山で修行をしてたり街から街へとふらふらしてたりしていたらしいのよね。
上海はだから、彼女にとってはぴったりの場所だった。
誰も素性を気にしたりはしないし、知り合った人間も次々と入れ替わっていく。
定住するにも面倒がなくて良いわね。
かれこれ三十年はここに住んでるって、美鈴は言ってたわ。
それで、その頃の私って阿片を作るぐらいしか能がなかったから。
どうにか恩返ししようと麻薬を作ろうとしたら、一人ぐらい余計に食べさせるお金はあるって止めさせられた。
嬉しかったわよ。初めて道具でなくて、個人として認めてもらえたんだから。
美鈴はいつもスーツを着ていて、出かけて帰ってくると手にはパンとか野菜を一杯に抱えて戻ってきて、よくスープを作ってくれた。
野菜と肉が煮込まれたスープに、硬いパンを浸して食べるの。痩せっぽちで食も細かったから、ゆっくり、もそもそって。
私が食べ終えるまで、いつも一緒に居てくれたわ。
時々喘息の発作を起こすと(私の喘息は多分だけど、埃だらけの暗い部屋で阿片を作り続けてたせいかもね)ずっと付きっきりで居てくれた。
なんでこんなに優しくしてくれたのかしらね? それは今でもよくわからないんだけど。どうでもいいわね。
それで、骨と皮しかなかったって言ったけど、それは比喩でもなんでもないのよ。
栄養失調の子供って、手足は細いのにお腹だけが膨らんで。
私もまさに、そんな感じだったの。気持ち悪いわね。
今?
いや、そのね。ちょっとは運動しないとねって思うんだけど……。効率の良い運動の仕方を調べてうん十年、って感じなのよ。
あと日射を浴びるとすぐに気分が悪くなるのよね。
ま、魔理沙もこれはわかっていると思うけど、美鈴って相当お人好しよね。
見ず知らずの子供を拾ってお母さんみたいなコトをして。理由はわからなくても、私は美鈴に感謝してる。
だってあのとき死んでいたら、小悪魔の淹れたコーヒーを今飲めないものね。
レミィ? ああ、何をしていたのかしらね? 私はずっと部屋で買い与えられた本を読んで過ごしていて、レミィに会ったのはしばらく経ってから。
この頃は一人で外には出ないほうがいいって言われていたし、私自身も進んで外に出るつもりはなかったから。
二人で生活するにも狭いアパートの一室だったけど、辛くはなかったわ。
食べるものもあるし、好きなことをして過ごしていいって言われてたし。何より、麻薬を作らなくても良かったから。
それまでの育ての親は嫌いだったわ。
あいつ自身も阿片中毒でよく殴られてたし。あいつが父親だったなんてこともたぶんないわね。
母親の顔は知らないけれど、やっぱり同じような仕事、阿片作りをしていたのは確かだったみたい。だからきっと、ロクデナシよね。
少しばかしの親の愛なのか、走り書きの魔法の使い方と、阿片の精製の仕方だけは壁に張ってあったから。
家を出るときに剥がして持ってきたんだけど。
私の魔術って東洋魔術ばっかりでしょ? 私が魔法の才があるってことは美鈴も気づいてたみたい。
買い与えてくれる本もそういう本ばかりだったんだけど、どうしても手に入るのは東洋の魔術書ばかりでね。
だから不満だったとか、そういうわけでも全然ないんだけど。
そうそう、私が名前を付けてもらったのもこの頃なのよ。
紙に記されてたハーブの名前から取ったって、ちょっとお粗末よね。
母親が名付けようとした名前かと思ったって言って平謝りされたけど、でも気に入ってるのよ。
パチュリーって、名前。
この時にはもう、私はそれなりに幸せだったわね。
転機があったのは、もうちょっと先の話になるんだけど。
◆
黄昏時。
棺を片手、日傘を片手という不可思議な格好の少女が、吐瀉物も片付けられていない裏路地を歩いていた。
水色の髪に紅い瞳。元々は飴色だった、すっかり色褪せてしまったコートを羽織った少女は、ふんと鼻を鳴らした。
吸血鬼など、もはや幻想へと追い落とされたこの時代に生まれ落ちたのも何かの運命なのか。
「まぁ、狂ってるから仕方ないな」
ぼやいたところで、過去に戻れるわけでもなし。
不老の領主の下で、細々と暮らしていた数百人程度の集落が、異教徒の村として焼かれたのがつい昨日のことのように思えた。
笑えるぐらいに吸血鬼というのは脆く、弱いものだった。
何が超常の力か。何が圧倒的な暴力か。
そんなもの、狂信の集団の前では何の役にもたたなかった。
抵抗も虚しく忌々しい呪言が刻まれた槍に串刺しにされて、父も母も晒し者にされた。
なんとか逃げおおせた私は、まだ幼い妹を連れて歩き通しで中東の地へと逃れて、それからも各地を転々として数百年。
なんせ身体は成長しないから、街に住むわけにもいかず。
妹をずっと眠らせておくために妖力も回しっぱなしで。そこらへんの低級妖怪とさほど変わりはしなかった。
死にかけたことも一度や二度ではなかった。
それに、酷く孤独だったのは間違いない。
友人も持てず、自らの手で肉親を封印し、時には強きにへつらいつつ生きてきた。
しかしながらその魂は高潔であり、孤独に苛まれるほど弱くもなかった。
へらへらと媚びた笑いをすることはあっても、心まで屈服したことなど一度もない。
それが吸血鬼というよりも、レミリアとしての流儀なのだった。
「ここが大陸にもその名を轟かせる魔都、上海だ。しばらくはここを拠点にしようじゃないか。なぁフラン」
棺の中で眠っている妹へと声をかける。当然返事はないのだが。
奇異の視線を受けていることを感じつつも、レミリアは繁盛していないと見える酒場の戸を押した。無論、初めて入る店である。
「まだやってないよ、お嬢ちゃん」
「しばらく泊まる」
瞳に魔を宿す種族は数多く居るが、吸血鬼はその中でも代表格の妖怪なのだった。
テーブルを拭いていた主人は虚ろな目で頷くと、レミリアを空き部屋へと招き入れた。
ありがとう、と呟いて戸を閉めて、妹の眠っている棺を置いて、窓際から路地を眺めた。
「今日からここが私の故郷だ。まぁ、いつまで落ち着けるかはわからないがな。
なぁに、いつも通り占いでもやるさ。そうだな。金は随分貯まってきているし、どこかに家を建てるのもいいかもしれないな。
この出で立ちだから信用されないかもしれないから、誰か背の高い奴でも捕まえてそいつにやらせよう。
部下でも、友人でも、まぁ一緒に住んでも困らない奴がいいな。よく喋る奴とかがご機嫌だな」
妹は喋らない。封印をかけているのは自分自身であるから、喋ったら困る。
しかし話し相手は黙りこくっている妹しかいないので、こうして独り言をぶつけるのが趣味になっていた。
語っている内容に関しては、それなりに本気ではあった。
人間社会は少しばかり息苦しいけれども、今では世界中どこへ行っても人間が社会を作っている。
人間が居ないところを探しても、そこには妖怪の先住民が大抵鎮座していて、居心地は最悪だ。
そういう連中に限って言葉を理解しようとしない、の癖に力だけはやたらと強い。
荒ぶる神――それも、現代において必要とされなくなった連中なのだ。
おまえのせいで苦労してるんだぞとぼやきながら、レミリアは棺をこつん、と叩いた。
妹のことは愛している。世界中の何よりもだ。自分の命よりも、彼女の命を優先する。それが姉であるからだ。
しかし破壊狂の彼女を連れている限りは力も制限されてしまうし、妖怪たちの社会に馴染むことだってできない。
「いつになったら落ち着けるかねえ」
懐からちょこちょこと貯めてきた貴金属の類を取り出し、ひぃふぅみぃと数える。
しょうもない趣味であると自覚はしているものの、これが最大の楽しみなのだから仕方ない。
数え終えて、麻袋に詰め込んでため息を吐いてカーテンを下ろす。
日光は嫌いだ。力が制限されていると吸血鬼の特性も薄くなるのか気化することもないのだが、それでも嫌いだ。
「明日からはそこらに出て、占い屋をやろう。どっかのお抱えになれれば楽なんだがね」
埃の被ったいかにもな安ベッドの上を手で掃って、ごろりと横になる。天井にはあちこちが染みがついていた。
何のために生きているのか。
多分妹のためなのだろうと、レミリアは思う。
少しでも楽しい思いをさせてやりたい、安心して暮らせる場所を作ってやりたい。
この街も、いつまでも混沌とはしていないだろう。
そうなれば、また妹を連れてどこかへと流れていかなければならない。
ここでも、妹を自由にさせてやることはできない。そして漂泊していく。
そういう運命なのだろう。
「運命を見通す左目なんてほしくなかったよお父様。だって私は、その運命という奴に翻弄されるがままなんだから」
いまだ運命という大きな奔流に流されるががままの自分を自嘲しつつ、深い眠りについた。
吸血鬼は魔法使いの夢を見ない。
◆
美鈴と暮らし始めて一年ぐらいが経ったかしら。
見違えるように、というのもアレなんだけど、言葉も徐々に覚えて魔法も簡単なものなら使いこなせるようになったわ。
寝込む回数も減ったし、マッチ棒みたいだった腕も、少しは健康的になったかしら。
その頃になると、ようやく美鈴の仕事がわかってきたんだけど、どうも、用心棒をやってたみたいね。
売春や阿片や……。そんな顔されても、真っ当な仕事もしつつ、腕に覚えもあったからそういうところで買われてたらしいわ。
でもなんであんな狭いところに住んでたかって聞くと、それが面白いのよ。
「家族が欲しかったから、どうしてもお金を貯めたかったんです」
ですって。私は比較的若かったから妖怪のどうこうなんてわからないんだけど、人間みたいな生活を、つまり社会を構築するのを拒む妖怪って結構いるのよ。天狗みたいなのはその逆で、自分達以外を一切受け入れようとしない排他的な連中なんだけど。
でも、力も弱くって、しかも種族で固まっていない妖怪たちはね、人間に憧れた。
家族がいて、食卓を囲んで、とか。美鈴が私を拾ったのはそれが一つ。
まぁ、私も嬉しかったわよ。それまで家族って呼べるのなんて、阿片を作れって強要してきたあの男ぐらいだったんですもの。
美鈴のほうが優しいし、いつかは上海を出て、どこかでゆっくりのんびりと暮らすっていう夢にも賛成したの。
まぁ、それはこういう形で叶ったんだけど。ほんっと、幻想郷は気楽ね。ちょっと退屈すぎるぐらいには。
話がちょっと脱線したけど、美鈴の薦めで占いの仕事を始めたのよ。
これ、結構評判よかったのよ? というか、すぐに美鈴よりも稼ぐようになって、一緒に貯金してどこかに出ようって夜通し語り合ったりしたわ。
知らないどこかで、ゆっくりのんびり暮らすの。
私は正直、この街以外を知らなかったからうんうん、って頷くばっかりだったんだけど。
本に出てくるじゃない。楽園とか、そういうもの。だから、漠然とそういうものを想像してたわね。
上海は妖怪に住みやすいって言っても、売春とか、阿片の売買とかが大っぴらにあったわけだし。
まぁ、それでも内陸部のほうに比べれば全然マシだって言ってたけど。神経磨り減るわよね。
こんな街からはさっさと出て行って、牧羊でもしたいって言ってたわ。
今では美鈴はああやって花壇の世話をしたり昼寝したりだけど、昔のことには触れれないの。
レミィもそうだけど、相当な生活してきたんでしょうね。
みんなそう。背負っているからこそ、多くは問わない。それが紅魔館のルールなの。
でも、私たちみんな、本当に幻想郷が好きよ。百年近く渡り歩いてようやく見つけた場所なんですもの。もう、テコだって動かないわ。
そんな生活がまた一年か、二年か。その頃の話ね、レミィと初めて出会ったのは。初めは商売敵だったんだけど。
あぁ、占いなら今でもできるわよ? タロットも、占星術もなんでも。
でもダメね。レミィには全然敵わないわ。
あの子、そういうことに関しては天才だから。
あいつにそんなイメージ全然ないって? まぁ、最近はワインと紅茶以外に興味を示さないしね。
それにどんちゃん騒ぎばっかりで後先も全然考えないし、そもそも未来は知らないから退屈しないんだ、とか言い出す始末だから。
でもまぁ、そういうことなのよ。
◆
夕陽が傾きかけてきた頃にようやく、レミリアは安ベッドからむくりと起き上がり軽く伸びをした。
軋む床に舌打ちをしつつ、昨晩のうちに買っておいたパンを麻袋から取り出して齧った。
食事を摂らなくても平気ならば食事を摂る必要はないのか。否、妖怪にとって食事とは大切な行為なのだ。
人の形を取って生きている限りは、人の営みを真似ていかなければならない。
この地球上で、種族としての主導権は人間の手の中にあるというのは、千年近く前からの一般的な認識であった。
その頃から妖怪は人の営みを真似、人の価値観に近づいていった。
人間の恐怖の根源が、得体の知れないものから人による理不尽な暴力となったときから、それは決まっていたのだろう。
人に染まることを堕落と呼ぶか順応と呼ぶかは別として、比較的若い妖怪であるレミリアは、もっさもさとパンを齧っていた。
食事を摂って酒を飲んで就寝もする。
人間となんら変わらない生物が異常だからこそ恐怖を呼び起こすのだ、といわれても、さほどそのことに興味などなかった。
人間を脅かしたり殺したところでそこに住み辛くなるだけだし、なるべく必要最低限の関わりだけを持ちつつ、穏やかに暮らしたいというのが願いなのだから。
「社会に属している限りは、強奪は常にまかり通らないしね。仕事仕事仕事仕事。うんざりしちゃうわ」
少女が一人で占いをすると言っても頼んでくる馬鹿はいない。どれだけ能力があったとしてもコネクションを持たなければ宝の持ち腐れに終わってしまうのだ。
カラスがガァガァと鳴く往来でレミリアは、行き交う人々を眺めていた。その姿は傍目から見れば路上生活をしている子供だった。
大きな街だから腐敗していても回っていく。いらない部分を切り捨てながら、ついていけない者を振り落としながら。
レミリアが歩いていたのは、鼻のひんまがる匂いがする通りだった。
吐瀉物と小便の匂いが染み付いた、汚らしい街だった。
路地の横に立つ立ちんぼに、挙動不審な売人にチンピラに。
一本大通りから入るだけで、上海は煌びやかな街並みからこのようなロクでもない街へと姿を変える。
けれども今はこちらのほうが、レミリアにとっては都合が良かった。
街は一面が、灰色だった。
ボロを纏った老人と思しきモノが路傍に転がっているが、それを省みぬ者は誰一人としていなかった。
大方職を求めて都会に出てきたものの、身体を壊すか悪い遊びを覚えて最下層民へと身を落としていったのだ。
自分で脚を切った乞食が、慰めてくれと皿を前にしてなにやら呟いている横を、レミリアはコートのフードを深く被りなおして歩いた。
生気のない子供とすれ違った。慢性的な栄養失調で、手足はマッチ棒のようなのに腹だけが異様に膨らんでいる。
外見だけでは男女の区別もつかないし、そも、餓鬼に男女の区別があってもどうにもなりはしない。
性別の差が認められるのは、一定の水準を越えた者たちだけなのだから。
同じ種族でありながらも、人間であるのかそうでないのかは純然たる区別がある。
着るものがあり、食べるものがあり、雨風を凌げる場所で、教育を受けているものだけが人間の尊厳を保つことができる。
犬畜生と同じように扱われる彼らを掬い上げることができるほどレミリアには力もなく、また、優しくもなかった。
歯の溶けた売春婦が物珍しげに見てくるのを感じつつも、目的の人物を探して彷徨する。
人攫いを探しているのだ。
彼らは農村部から子供を買う者も居れば、路上生活をしている子供を言葉巧みに誘いだす者も居る。
見目麗しい子供であれば富裕層へと売り払い、そうでなければ労働力として適当な場所へと卸す。
家畜と何も変わらない。外見だけ似ているだけで、奴隷として扱われる人間は家畜に他ならないのだ。
たすけてくれ、たすけてくれ、と叫ぶ高い声がする。見れば少年が数人の男に囲まれて棒で殴打されているが、大方財布でも盗もうとしたのだろう。
一瞥したあとは、振り返ることはしなかった。
これがこの街の日常風景であり、レミリアの歩んできた数百年の日常と何ら変わるところがない。
どこか懐かしさすら感じる風景でもあったから。
右も左もわからぬ頃は、寒さに、心細さに、理不尽な暴力に何度も死を覚悟した。
しかし純潔は。そして誇りは一度だって捨てたことはない。
この矜持は、単なる貴族ゴッコなのかもしれない。妖怪というよりも、むしろ人間に近い思考だ。
それでもいいじゃないか。レミリアは自己肯定をする。
せめて心の中だけでも気高く。硬いパンと冷えたスープしか飲めなくとも、豊かさはそこだけにあるのではないのだから。
宿に妹を置きっぱなしというのは心苦しいけれども、この街に根を張るのならば出来るだけ早く収入源が欲しかった。
声をかけてきた男を軽く吐かせると、運良く富裕層とのコネクションを持っていた。しばらくは名刺代わりに働かせて、機を見て放り出せばいい。
しかしロリコン目当ての売春婦に仕立て上げようとしてきたのに腹がたったので、失神して呻いているところに追加で蹴り飛ばしておいた。
こいつにはロクな後ろ盾などないことは先ほどこってりと聞き出しておいた。仮にここで死んだとしても、誰も気に留めはしない程度の命なのだ。こいつも。
豚のように丸まると肥えた成金のところに、養女として潜り込むことも不可能ではない。
けれど、演技といえど、豚野郎をお父様などと呼ぶのは反吐が出るほど嫌だった。
自分の両親は死んだ両親だけであり、血縁は妹ただ一人だけである。
こんなプライドがなければもっと楽なんだけどねと自嘲しつつ、レミリアはタロットカードをワンオラクルで引いた。
上海へ行くと決めてから、運命の輪の正位置以外は引かない。
「こういうのって、こっちの言葉じゃ当たるも八卦、当たらぬも八卦って言うんだったかしら」
運命の出会いが、この街に待っている予感がする。
何かから逃げまわっているだけの数百年に終わりを告げて、これからを一緒に歩んで行けるような、出会いがきっと。
「いい加減飽き飽きしてるのよ。もっと楽しいこと、ゾクゾクするような出会いとか、ないかしらねえ」
タロットカードを山へと戻してポケットへと仕舞いこむ。
そんなもの、滅多にないんだけどねぇとため息を吐いて、豚野郎への面接にどうにか表情を直すのだ。
占い稼業が軌道に乗って、小さなアパートの一室を正式に居に定めたのは、それから半年も経った頃のことだった。
◆
「はぁ」
「何よ魔理沙」
「いや、外の世界っておっかないんだな」
「場所によるわよ。こっちにくる直前に居た場所は全然そんなことはなかったわよ。
ただ本当にウサギ小屋みたいな場所で四人で生活してた時期があったわね……。あと空気も悪かったわ。
あぁでも、夏でも涼しい建物がたくさんあってご機嫌だったわ」
苦々しい顔をしながらも、どこか懐かしげに語るパチュリーに、魔理沙は頬杖をついた。
外の世界からやってきた紅魔館の連中は、幻想郷生まれの自分は見ていないものをたくさん見てきているのだろう。
早苗もそうなのであるが、学校の話やテレビの話などばかりで、パチュリーの語る話とは大分性質が違った。
「しかしなぁ。美鈴とお前ってそんな縁があったのか。全然、そんな仲良く見えなかったからな」
「食事はよく一緒に食べてるわよ。というよりも、レミィが家族は一緒にご飯を食べるものだってうっさいのよ。
私は食事をしなくても平気なんだって言っても顔を出さないのは何事かって怒るの。面倒でしょ?」
「息が詰まりそうだな。それにどっかの親父みたいだ」
「それだけ家族って言葉が好きなんでしょうね」
「へぇー。なんか意外だぜ」
「イベント事とか大好きよ?」
「ただのお祭り好きかと思ってたんだよ」
「まぁそれもあるでしょうけど。小悪魔、何かつまめるものと珈琲お代わり。喋ってると喉が渇くの」
こほん、と小さく咳払いをして残っていた珈琲をパチュリーは飲み干して、空のカップを手渡した。
普段は無口ではあるものの、興味のあることは雄弁に語るタイプなんだよな、こいつはと魔理沙は一人心の中でごちた。
紅魔館の連中同士に比べれば長い付き合いとはとても言えないが、性格や癖に関しては大体わかってきている。
「で、咲夜はどうなんだ?」
「レミィが拾ってきたわよ」
「犬か猫じゃあるまいし」
「確かに鼠は捕らないわね」
「冗談きついぜ」
「ちなみに今話してる話には咲夜は出てこないわよ。
私と、美鈴と、レミィだけね。レミィに妹が居るって知ったのも、上海を出るその日だったんだもの」
「慌しいな」
「実際、慌しかったのよ。でも旅立ちのときはそうやって突然に、思い切ってってほうが楽しいと思わない?」
「私も実家を出たときはそんな感じだったな」
そのまま香霖堂へと転がり込んで日用品をせしめていったことは言わなかった。
言う必要もなかった。ちなみにそのときのツケを魔理沙はいまだに払っていない。
「それでまぁ、海は嫌いってゴネてたレミィの首根っこを引っ張って船に乗って、日本に行ったのよ。
レミィが行きたかったんですって。大体そこで五十年ぐらい? 咲夜もそこで拾ったのよ」
一悶着も二悶着もあったけど、そっちの生活は上海に比べたら全然平和で、話すこともあまりないのよね、とパチュリーが呟く。
「てか、咲夜のこと捨て猫みたいに言うなよ。可哀想だろ」
「本人は多分気にしないと思うけど」
捨て猫だの捨て犬だのと、身内に遠慮がないのが紅魔館の美徳なのだということはわかるけども。
歳の近い女性として、咲夜を見本にしている魔理沙にとっては、パチュリーの言い方にはちょっとばかし引っかかるところがある。
しかし、当の本人は言われたところでぽわーんと笑っているだけだろう。最近の咲夜はどうもそんな感じである。
「咲夜もよくわからない奴だからな」
「ある日ね、レミィが『この子は今日から私のモノだ!』って連れてきたときはわかりやすかったわよ。
この世の全てが憎いみたいな顔してたから、私と美鈴で怖い話を一杯聞かせてあげたら大人しくなったわ。夜一人でトイレにも行けなくなったし」
「おい可哀想だろ!? なにしてんだよ!」
「一人じゃ眠れないからって美鈴の服の裾を掴んできたりね」
「今じゃ考えられないな」
「今でもわりとしてるわよ」
「マジで!?」
「たまにお母さんって誤爆してるし」
「……えっ」
「ちょっと抜けてるのよ、あの子」
完全で瀟洒なメイドがくしゃみをした。
門番が鼻をティッシュで拭っていた。
「この話を聞くべきではなかったかもしれないって思い始めてきた」
「まだ出会ってもないわよ」
「で、二人とも占い師をしてたんだろ。それでなんで敵対するんだよ」
「競合相手になったのよ。それがエスカレートしていって、いつのまにか後ろ盾にいた組織同士がケンカし始めてね。どっちも小さい組織だったから……。
で、私たちはっていうと、そこまでいがみ合う理由もなかったから美鈴を連れて逃げ出したってわけ」
「間抜けな話だな」
「でね。私とレミィ、最初はとっても仲悪かったのよ。
っていうか、私が一方的に嫌っていただけなんだけど。美鈴以外に初めてマトモに話した相手がレミィだったから……。
うん、他人との距離感も全然わからなかったし、対等に接してくることに拒否感が出たのよね」
「引きこもりの鑑みたいな奴だな」
「うっさいわね。あの頃はうら若き乙女だったのよ。今のあんたよりも年下だったのよ」
「外見はさほど変わらないんだがな」
追加されたクッキーを齧って、魔理沙は帽子のズレを直した。
話を聞いているうちに、知っているつもりだった隣人の知らない面が出てきて戸惑っていた。
パチュリーもクッキーに手を伸ばして、小悪魔に美味しいという感想を伝えた。
小悪魔は微笑んで会釈をして、本棚の整理がまだ残っている旨を伝えて立ち去っていった。
◆
初めて会ったときは、こいつほどイヤな奴がこの世に存在しないと思った。
血色のいい肌に紅い瞳。吹き抜けていったような爽やかな水色の髪の毛に八重歯が光っていて。
ハキハキと喋るのも、自分がその真逆で惨めに思えてイヤだった。
丁度、太陽と月みたいな。
吸血鬼が大嫌いな太陽がレミィで、その陽光を浴びないと輝けないくすんだ月の私。
初めっからレミィは私にとって最悪な相手で、傲岸不遜で、ズカズカとこっちの都合なんてお構いなしに話しかけてくるんだもの。
喘息気味の私は喋るときに勇気が要ったし、そもそも美鈴以外とは喋ったことが無いに等しかったからどう接していいかわからなくてどもっちゃうし。
何よりも、その瞳が自信と生気に溢れていたからそれが眩しすぎたのよね。
ま、嫉妬よ嫉妬。嫉妬していたんだって認められるまでには凄く時間がかかったんだけど、意地っぱりな私は中々それを認めることができなくてね。
その頃の私って、夢もなかったし、希望もなかったし。
美鈴が一緒に居てくれて、その夢がいつか遠いどこかで、家族になるっていう。
でもそれは借り物の夢でしかなかったから、だから、自分を持っているレミィが怖かった。
「鳥の雛みたいだな」
しばらく話したあとで、レミィは笑いながら私をそう評した。
口だけパクパク開いて必死に餌を貰おうとしているだけ。
自分で飛べもしないし、母親に依存することでしか生きていくことができない生物。
なるほど、彼女から見た私はそのように見えているのかと思うと同時に、心底腹が立った。
あとから美鈴から聞いたんだけど、私が感情を露わにしたのを見たのはこれが初めてのことだったって。
もしかしたらそれを見越して私を怒らせたのかもしれないけど、いずれにせよ、このときの私はレミィのことが大嫌いだった。
一晩中美鈴に対して、あいつともう二度と会いたくない。喋りたくない。腹が立つ。とぐちぐち言い続けてたとか。
自分から喋るなんて全然なかった私がそうやって喋るなんてって、美鈴は嬉しそうにしてたっけ。
今思うと、そうっとうに恥ずかしいわね。私だけが子供みたいで、ま、実際そうなんだけど。
子供の頃って、なんにでもなれるっていう万能感を持ってなかったかしら。
生活が安定してきてからは、人並みにそういうところが育ってきたのよね。
大人にもちやほやされるようになってきたし、だからなおさら、それを脅かす存在が怖かったんだと思うわ。
わかるでしょ? あなたにとっての霊夢がそうであったように。あ、そういう顔するってことは図星なのねやっぱり。
相変わらず私を重用してくれる親分もいたけど、徐々にレミィに顧客を取られていって。それでつまらないケンカから共倒れよ。
美鈴は私を庇って連れ出してくれたけど、途方に暮れていたわ。
だって、この街が一番私たちにとっては居心地の良い場所で、ここから離れてしまったら夢はどんどん遠ざかってしまうんだもの。
そこに現れたのが、レミィだったわ。
「お嬢様方どこへ行かれるので?」
って言うのよ。とぼけたような声で。
さっきまで敵対してた者同士だったから二人で身構えたけど、レミィは首を振って。
「せっかくパーティーに誘いにきたのにツレない態度を取るのね。
あなたたち二人とも、妖怪でしょう? そんなに驚いた顔をしないでよ。だって私もそうなんですから」
自信満々に口説いてきたのよね。
封印に力を使っていたレミィは、美鈴とまともにやりあったら勝てる自信はなかったって言うけど、それにしたって態度は大きかった。
「後盾が仲良く崩壊したことですし、ここらでいっちょ手を組みましょうよ。そこのお嬢ちゃんは私のことが嫌いみたいだけど」
うん。散々駄々こねたわよ。
隠れ家に案内するって言われてからも、私は一言も口を利かなかったし、利くもんかって思ってた。
ついてからも、貸してもらった布団に包まって拗ねてたけど、そんな私を無視して二人はこれからのことを話し合ってた。
聞き耳立ててたけど、前からレミィは私たちを引き抜こうと思っていたんだとか。そういう話だった。
もはや妖怪同士であっても、徒党を組まなければ生き残れない時代であると。
それぞれできることを分担して、強固で身軽な組織を作り上げて、平穏に暮らすのが夢なんだって。
じゃあ私は、一体何がしたいんだろう? そう思っているうちに、うとうとしてきて意識が薄れていったの。
◆
阿片窟の運営だとか武器の密輸だとか売春宿の運営だとか、職業ギルドの体裁を表向き取っているヤクザ者のやることなんてどこも変わらない。
細かく縄張りを決めて、それらの摩擦を避ける努力や、時折お互いの組織の潰し合いが起きる。
とにかく、レミリアとパチュリーの組織は仲が悪かった。
海と言えば山、魚といえば肉と、わざわざ反目しあうためにやっているのではないかと思うぐらいに、協議を開いても平行線を辿る。
そんな彼らが抗争に踏み切るのも、極自然な流れと言えたが、できればそうならないようにとレミリアは尽力してきたつもりであった。
しかし、やらかした。
ボロになったコートを投げ捨てて、ネズミが駆けて行く路地裏でレミリアは一人乾いた笑いをたてていた。
「もう笑うしかないっていうか」
もうちょっと寄生してあわよくば幹部にでもなってちょっと汚いことをしつつ、パンパカパーンと素敵な老後を過ごすつもりが台無しだ。
しかし、弱小の組織に寄りそうというのはこういうものなのだ。朋友と言う癖にちょっとした欲に眼が眩み、雪崩れるように組織そのものが瓦解していく。
阿片の卸し先で揉めたことが、あれよあれよというまに発展していって、占い師同士の腕だの若い者が死体になっただの。
一度流れができてしまったものがあっという間に奔流となり、抗争の結果お互いの組織はあっという間に潰れてしまった。
流石に銃で撃たれたぐらいでは死なないものの、長きを過ごしてきた愛用のコートは穴ぼこになってしまった。
幸い財産は守れたし、どさくさに紛れて資産もくすねてきたものの。
この分ではいくら貯めようとも夢には遠い気がしてならない。
溜め息と一緒に小石を放り投げたものの、それは壁に当たって地面に落ちた。
これを機会に真っ当に仕事をするのも悪くはないのだけれど、日の下では働けないし、そも、子供の体では働く場も限られる。
妹の面倒を見なければならないから住み込みで働くわけにはいかない。
せっかく軌道に乗りはじめた占い師の仕事もこうして失ってしまったばっかりに、途方に暮れてしまったのだ。
「くっそー。私の人生こんなことばっかりだな」
そもそも、必要以上に、パチュリーという娘に絡みすぎたかとレミリアは舌打ちをした。
どうも相手方の占い師と用心棒からは、人間以外の匂いがした。
それをポロっと零してしまったのも、抗争の原因の一つだった。
お互いに悪魔を飼っているだの因縁を付け合って、戻るに戻れない場所まで行ってしまえばあとは撃ち合うのみ。
一年近く美味しい思いをさせてくれた場所も、それで全ておじゃんになってしまった。
しかし、失ってしまったものに思いを馳せているばかりでは、何も変わらないのではないだろうか。
また同じように人間の後ろ盾を探すのか、それとも別の道を模索していくのか。
ここ数百年。幾度となくこの問いには悩まされてきた。
誰かに仕え、ある程度の貯蓄が出来たら出奔して、これの繰り返し。
それだけ身軽でなければならない理由があった。
けれども、この街でなら、そして今思っていることが実現できるのであれば。
今までとは全く違った可能性も、切り拓いていけるのではないだろうか。
見た目相応の外見の占い師は、話しかけるたびに口篭っていて、用心棒のほうが会話をさせようとしてきたのだが、それが実に滑稽だった。
それが面白くて接触を繰り返していたのも、面白くなかったのだろう。難しいことだなぁとレミリアは頬をぽりぽりと掻いた。
異種族の妖怪が母娘のようにして寄り添っている。同種族を尊ぶ傾向のある妖怪の中では特別異彩を放つ光景だった。
犬が猫を世話しているのは見たことはあるが。これもそれに近いのかもしれないが、コミュニケーションが言語で取れる分、それよりもはるかに高度だ。
「ふむん」
ずっと一人で生きてきたものの、こういったレアケースに出会うのは初めてだった。興味も湧いた。
家族として過ごす異種族か。面白いかもしれない。
ときに排他的な妖怪たちの集落。大抵は同種族であり、あるいは関わりを極力減らしているものばかりで協調性は少ない。
その結果、大地のイニシアチブを、人間へと明け渡してしまっているのだけれど。
だからこそ、レミリアは彼女らの前へと立った。
本当は必死こいて探したのだが、そんなことはおくびに出さずに、できるだけ威厳たっぷりに。
「ねぇ、貴方達、一緒に来ない?」
パチュリーは露骨に嫌な顔を見せたが、美鈴はこの提案に魅力を感じているようだった。
押せると判断したレミリアは八重歯を見せて、芝居がかった台詞を紡ぐ。
「飽き飽きしたのよ。他人の顔色を伺って狭苦しい思いをしながら生きていくことに。
だったら、そんな思いをしなくても済む相手。家族を作ってしまえばいい。
私の名前はレミリア。吸血鬼のレミリア。あなたたち二人を、私の家族として迎え入れたいの」
我ながらとんでもない提案だと思う。なんたって。つい先ほどまで殺し合っていた相手にこのような提案をするだなんて。
しかし、彼女らにだって、所属していた組織に愛着などはあるまいて。
「面白いことをしよう。ワクワクすることをだ。心臓が力強く拍動するような。それでいて何よりも自由な生というものを歩もうじゃないか。
なに、異種族だからといって分かり合えないわけじゃない。私たちは、人間とだって仕事はできるのだからな。
ならば、妖怪である君たちならば尚更だ。なに、私の一方的な好意だが、二人ぼっちで過ごすよりもずっと楽しく生きていけることは保証するつもりだぞ」
こういうときのために、口説き文句というものをもっと練習しておくべきだったと、レミリアは深く反省した。
おねだりなんかは、妹のほうがよっぽど上手だった。
自分ではどうにも上から目線になってしまうし、笑顔を作って見せたりするのも苦手で、どうしてもどこかぎこちない表情になってしまうのだ。
見ろ、二人とも厳しい表情のままこちらを睨んでいる。
私としては人間の後盾よりも、よっぽど彼女たちのほうが欲しい。
東の国に伝わるという必殺のお願い作法、DOGEZAに挑戦すべきなのだろうかとまで思い始めた頃になって、ようやく向こうが口を開いてくれた。
「私たちも行く当てがありませんし。案外合縁奇縁なのかもしれません。
商売敵だったとはいえ、もはやその因縁は終わっていますし。何よりこの子は喘息持ちなので、雨風凌げる場所が欲しいですし」
「交渉成立ね。でも、そっちの子はちょっと不満気かしら」
後ろに隠れたままで顔を見せようとしないパチュリーに、レミリアはここまで嫌われる覚えはないんだけどなぁと苦笑する。その仕草を見て美鈴も頬を緩めた。
「それはどうでしょう。案外相性がいいかもしれませんよ」
ようやく顔を出したと思いきや、すぐに執拗に威嚇してくるパチュリーに、レミリアは苦笑いを返してやった。
◆
大きく息を吐くパチュリーに、魔理沙はお疲れ、と軽く声をかけた。
もうさっきから話っぱなしだ、喉が渇いたのか、湯気の消えたカップを傾けて、もう一度息を吐いた。
「私ね、誰かと接するときって、外見っていうのが凄く大事だと思うのよ」
「パチュリーと私が百歳近く違うってのは知識としては知ってても受け入れがたいからな。なんだかんだいって。
物凄いばーちゃんだったとしたら、こうやって気軽に話しかけられないぜ」
「そ。頭で知っているのと実際は全然違うのよ。だから共同生活が始まって――見た目は同じぐらいなのに、実は四百歳ぐらい年上ですって言われても納得できないでしょ」
「簡単にはできないな。それは」
「だから最初はケンカばっかりよ。というか、私が一方的にケンカを売ってたんだけど」
「弾幕ごっこでもしたのか?」
「まさか。家の中でオセロにチェスに、将棋に囲碁とかね」
「後のほうが随分と和風な趣味だな」
「レミィが好きだったのよ。とくに将棋。奪った駒を自分のものにできるのがお気に入りなんだとか言ってたわ。
でも反則よね。こっちの打ち筋が見えるとか言い出すのよ? 勝てるわけないじゃないの」
むくれるパチュリーに、それは容赦が無さ過ぎると魔理沙も同意した。
運命が視える能力がどこまでの範囲を及ぼすのかはよく知ってはいないものの、打ち筋が見えるのが事実なのであれば勝負として成り立っていない。
「しかし意外だな。レミリアのことだからサーチ&デストロイとでも言うかと思ったぜ。
案外穏健派なんだなあいつも。それでお前ら、遊んでばっかじゃなかったんだろう? その後は何してたんだ」
「ギャングを十年ぐらいやってたわ」
「マジで」
「当時溢れてた阿片窟にカジノに売春宿。妖怪にも手を出してた連中が居たみたいだけど、やっぱり人間の欲望には勝てないわね。
私たちのやっていることは、どこまでいっても人間の真似事。人はときには、欲望のままに鬼にも悪魔にもなるということをこのときに知ったわ。
残忍さを人と妖怪とで比べたら、妖怪のほうがずっと温和よ。
で、私たちはギャンブルだけは好きだったから、賭場を立ててたのよ。細々とね。何よ。公平よ? ディーラーはレミィだけど」
「それは不公平って言うんだぜ」
「でも割りと人気だったんだから。でも、それも長くは続かなかったわね」
不機嫌そうに、パチュリーは珈琲カップを机に置いた。
「どうしてだ?」
「街全体を取り巻く状況が変わったのよ。元々大きな組織だったところが、雑多に散らばってた利権を取り仕切り始めたの。
青幇って言うんだけど、出回ってた阿片もカジノも売春も全部一手に引き受けるようになったのよ。
それに抗う気力もなかった私たちは、上海から出ることを決めたわ」
「ふーん。大変だったんだな」
「ちょっとだけ嫌がらせしてったから大丈夫よ。スカっとしたわ」
「……うわぁ」
魔理沙が露骨に引いた態度を取ると、パチュリーは口の端を歪めて応じた。
「家族に舐めた態度を取ってくれたんだもの。紅魔館の鉄則よ。侮辱は家族全員で返すってね」
「ふぅん……」
「そうそう。紅魔館って名前が出来たのもこの頃なのよ。
というか、レミィがスカーレットって名乗り始めたのもこの時。あの子の故郷って名字を名乗る習慣がなかったとか。
それで美鈴もついでに紅って名乗るようになってね。紅魔館の名前は私たちからそれぞれ取ってつけたのよ」
「スカーレットに、魔法使いだからか? てっきりスカーレットデビルだからだと思ってたんだがな」
「レミィはスカーレットデビルって言われるの、好きじゃないみたいだけど。理由が少食からだし。
そうねぇ、一緒に暮らして一年過ぎたあたりからかしら、その頃にはすっかり打ち解けることができたわね。ま、私だっていつまでも子供じゃないから」
「よく言うぜ。今だって気に入らないことがあるとすぐに閉じ篭るくせに」
「リラックスするためよ。子供か子供じゃないかは関係ないわ。それに少なくとも魔理沙よりははるかに大人だっていう自信があるわ」
「さいですか」
「それにしても、珈琲もクッキーも飽きたわね。つまむもの、欲しいかしら?」
「うんにゃ、腹いっぱいだ」
「私も」
「しかしまぁ、何かないと落ち着かないって気持ちはわからんでもないが、太るのも嫌だからな。
パチュリー、お前だって話の中じゃ枯れ木みたいだとか言ってたが、今はどうなんだ」
「むきゅん」
「誤魔化すなよ」
身体のラインが見えない服を着ているので実際のところは魔理沙にもわからなかったが、若干ふっくらしてきているような気がしてならなかった。
パチュリーにも若干冷や汗が浮かんで、目を逸らして珈琲を啜っている。
「それに関しては黙秘権を主張するわ。いい加減本ばっかり読んでるだけじゃマズいんじゃないかっていう危機感もなきにしもあらず」
「いや、思ってるだけじゃダメなんだぜ?」
「思考が追いついていない行動なんて動物のすることよ。私のような知的でワンダフルでビューティフルな魔法使いがそんな低俗なことをしないのよ」
「そんなだからいつまで経っても動かないままなんだ。ていうか、お前の親友の即断即決即行動の吸血鬼はどうなんだ」
「野生動物」
「酷い言い草だな」
「なんとなく月に行きたくなって宇宙船作らせようとしてくるから」
「あいつらしくていいじゃないか」
「もうちょっと落ち着いてほしいものだけど。いやまぁ、昔からワガママだったけど」
◆
不気味な棺と最低限の生活器具。
その他は何もない殺風景の部屋へと案内された私と美鈴は、四角いテーブルと蝋燭の灯りだけで囲んで、これからの話をすることになったのよ。
阿片を売るのはまっぴらだったし、それには他の二人も同意してた。
阿片で人間を壊すことは楽で、お金も稼げたことだったけど、その阿片を作るのはイヤだった。
レミィも貴族の誇りがどうのこうの言ってたけど、搾取するのが嫌なんでしょうね。
もちろん、あの子が清廉潔白だって言うつもりはないわよ。
理想に燃えているだけじゃ、組織を回していけないのはレミィだって十分に知ってる。
平穏に暮らすことだけを望むのであれば、必要以上に他人を不幸にしなくってもいい。
たったそれだけのことなのよね。
その結果、自分が追われることになっても、自分の決めた道だからって、後悔することもなくって。
不器用よね。他にいくらでも近道はあったはずなのに、それらの選択肢を捨ててまで愚直に王道を突き進むなんて。
大体、妖怪なんだから人間をもっと侮ってもいいはずなのにね。そうやって滅びた化け物は古今東西枚挙に暇がないのだけど。
滅びられても困るし。
それに、咲夜を真っ先にメイド長に推挙したのもレミィだし、気に入ったらもう全部、自分の懐に抱え込んでしまうの。
器がね、違うのよ。本人に言ったら調子に乗るから言わないんだけど。
まぁ、巫女に負けたときはずっと根に持ってたんだけどー。
一矢報いてやったからこれでチャラよ、なんて言って。まぁお気に入りなのよね、レミィにとってあの巫女も。
お気に入りじゃなかったら執着なんてしないでさっぱり忘れちゃうのよ。だからきっと、レミィは私の話してることのほとんどを覚えてないわよ。
重要なのは薄味の過去なんかじゃなくって、濃厚な今なのよ。幻想郷を刺激の少ない場所なんてぼやいてる妖怪もそれなりに居るでしょうけどね。
紅魔館にとっては、毎日が刺激的よ。私だって、いっぱい外出してるのよ。知らなかった?
こないだだって、紅魔館全員で連れ立って地底の温泉に浸かってきたわ。
いい塩梅ねあそこも。地底の妖怪は嫌われ者ばかりだったって言うけど、むしろこっちよりもサービスが良いぐらいだったわ。
まぁ、心が読める主が気味が悪いっていうのは同意するけど、気味が悪いだけでどうしても不快ってことでもないし。
あそこは猫もたくさんいたし、鼠取りに何匹か借りてこようかしらね。鴉はいらないけどね。
それで、阿片は嫌だ。売春なんてもってのほか。そしたら私たちは、ギャンブルを取り仕切ろうってことにしたの。
勿論闇カジノだから警察に承諾なんて取ってなかったし、そもそもそっちに賄賂なんて渡してたら儲けなんてでないから。
細々と三人でやってたんだけど、レミィが言うには。
「こういうのは勝ててる、勝ててるって思わせながら少しずつお金を抜いてくの。
細々と負けさせて、ときどき大きく勝たせて。でも長期的に見たら負けさせてるってのがコツなの。
新規のお客は基本的に勝たせるけど、柄の悪い奴はちょっとだけ負けさせて帰らせたほうがいいわね。
もう二度と来ないって気にさせつつ、ヤケになって大金をふっかけてこないように。評判が悪くなったら嫌だもの。くだらない」
私はもっぱら、客に出すカクテルを作ってたわね。シェイクは美鈴にさせてたけど。ディーラーはさっきも言ったけどレミィよ。
中国人の客はバカラが好きなのよ。うちでやってたのはそれを小規模にしたものなんだけど。そもそも、バカラって知ってる?
バンカー、つまり胴元役のレミィとプレイヤー、これは仮想の客なんだけど、たまに人に引かせたりもするわね。
そのどちらかが勝つのかを予想させていくゲームなの。
勝負はプレイヤーとバンカーにそれぞれ配られたカードの点数の合計によって決めるのよ。Aは1点、2から9は表示どおりの点数で、10、絵札はすべて0点として数えてくの。
繰り上がりは考慮しないで、繰り上がった場合でも下一桁のみ。厄介ね。9点が一番強く、それ以降8点、7点、と続き、0点が一番弱い点数ってわけね。
日によってゲームを変えてたんだけど、やっぱりバカラが一番人気だったわね。
ま、ちっちゃい女の子がディーラーをやっててお酒も飲めてカジノも楽しめるっていう緩い遊び場でしかなかったんだけど、実際、それが受けてたのかもね。
闇カジノって言うには、ちょっと大袈裟な場所だったし。
でも、それなりに穏やかで、楽しい生活だったわ。
今と比べてどっちが楽しかったか?
まぁ、お酒の配合を考えたりってのも楽しかったけど、こうやって本を読みながら楽するのもいいわよね。
老後の楽しみ、みたいな。紅魔館が今も財政的に潤ってるのも、こういう積み重ねがあってのものなのよ。
もちろん、こっちに貴金属なんか持ち込んでもしょうがないって思ったから、別の物に換えたけど。ワインなんか卸すと喜ばれるわね。
ああでも、咲夜は宝石が好きだからコレクションしてるのよ。今度見せてもらったらどう?
バーでもやったらどうかって? 今度レミィに言ってみるわね。咲夜なら多分できるでしょ。
◆
「むきゅん」
「私の勝ちだな」
「もう一回。もう一回やらせて」
「いいともさ」
初めはレミリアと同じぐらいだった背丈も、パチュリーはいつのまにか追い越すに至っていた。
しかし外見では年上のパチュリーは、将棋の盤を持って毎日のようにレミリアに挑んでいた。
「そんなに私に勝ちたいのか?」
「当たり前じゃないの。ずっとあんたなんかに負けっぱなしだと癪なのよ」
「ふむん。いい気概だとは思うけどね。私にゃ、お前がこんなに食いついてくる理由がわからんよ」
「あんたが気に食わない奴だからに決まってるでしょ」
「素敵な理由だ」
チェスに将棋にトランプに、運が絡むゲームならばパチュリーが勝つこともあったが、全体を通せば負け越してしまう。
手に入るだけの定石書を読み漁って、自分なりにアレンジをしているつもりではあるものの、どうしても勝てなかったのだ。
「王手」
「うぅ」
これで通算何百連敗なのか。毎日のように勝負を仕掛けているものの、将棋では一度も勝てたことがない。
今度こそ調子が良いと思っていても、いつのまにやら形勢が緩やかに傾いていって、ギリギリで差し返されることばかり。
「いくら調子が良くても、最後の最後で笑ったものが勝ちなのさ。それが私なりの哲学って奴でね」
「ぐぎぎ……」
蝋燭の灯が照らす盤面で、棋譜のメモを取るパチュリー。
一体どこから形勢が悪くなっていったのかを調べないことには眠れないのだ。
「私の一時期の食い扶持がこれだったからな。そう簡単には負けられないのさ。
チェスの一勝負に命がかかったときだってあった」
大抵はメシの種だけどね、とレミリアが齧りかけだったパンを千切って口に放り込む。
美鈴はとっくのとうに寝ていたから、子供だけの夜更かしの時間なのだった。
「お前は自分が思っているよりもずっと強いよ。たぶん、そこらへんのチェス自慢にだって負けはしないだろう。
だからこそ私は全力を出してるんだ。手を抜いたらやられてしまうからね」
「でも、一度だって勝てたことがないもの」
「ふむん。じゃあこうしようかね。私が次勝ったらパチュリー。お前のことを愛称で呼ぶことにした。
もちろん、お前も私のことをきちんと名前で呼べ。もしくは、レミィとか。」
「嫌よ、絶対。誰があんたなんかと親しくしなきゃいけないのよ」
「パチェ」
「まだ勝負決まってないでしょ! 呼ばないでよ!」
「いやいや、運命は決まってるよ。さあ指そうじゃないか。そうさなぁ、一度でも勝てたら愛称で呼ぶのは勘弁してやろうじゃないか」
「上等――」
本心から言えば、レミリアに対する反発心の正体がこのときのパチュリーにはわかりかねていた。
――可愛いなぁ、この子は。
レミリアからすれば、美鈴が自分とは対等に接することがパチュリーには気に食わないのだとわかっていた。
子供扱いされていることが、彼女の自尊心を傷つけているということも知っている。
しかしそれはいずれ、彼女自身が気づき、乗り越えていくものだとも、思う。
今は必死に食い下がってくるのを相手してやって、育つのを待つ。
家族を持つことができて、本当に良かった。
悲惨な日々が、幸福によって塗り潰されていくようだった。
思えば、娯楽でこれらのゲームを指したことなど一度もなかった。
スープ一杯、パンの一つ。それらを賭けて、ときにはもっと大きな物を動かすゲームとして。
運命を見通す瞳は、勝負の勝敗だけでなく、その後のことを占うのにも大きく役立ってきた。
か細くも、未来に繋がる線を手繰ってきて、そしてこの勝負には。
「負けたわ」
「嘘よ。手を抜いたでしょ」
「そんなことないわよ。全力を尽くした相手にそんなことを言うなんて失礼ではなくって?」
「でも、タイミングがおかしすぎるもの! お前のことを、レミィって呼ぶぐらい何でもない!
それが可哀想に思えるからって情けをかけられるほうがよっぽど屈辱だわ!」
「レミィって呼んでくれるのかしら? じゃあ、私もパチェって呼んでも?」
「好きにしなさいよ。いい、興が殺がれた。もう寝るわ」
「おやすみなさい、ぱーちぇ」
ぷりぷりと肩を怒らせるパチュリーに手を振って、レミリアは将棋盤を片付ける。
次の日も、また次の日もパチュリーはレミリアをレミィと呼んだし、レミリアもパチュリーをパチェと呼ぶようになった。
美鈴はいつのまに仲良くなったのかと首を傾げたものの、それ以外の会話は前と何ら変わらなかった。
なぜって、元から二人は、仲良くなりたかったのだから。
こうして、レミリアの当初の予想以上には順風満帆に、そして奇妙なほどに何もなく共同生活は過ぎていった。
転々と場所を変えることはあっても、カジノの運営は「紅魔館」全体の貯蓄を増やしていっている。
もう十年も働けば、上海を出て隠居することだって難しくないかもしれない。
「順調すぎたわね」
レミリアが呟いた。
この平穏がずっと続けば良かったけれども、しかしテーブル上のタロットの並びは波乱を暗示している。
ここ数年で、魔都と呼ばれた上海租界の情勢も、随分と変わってしまった。
青幇と呼ばれる上海ギャングが完全に実権を握って、それに属さない者はほとんど放逐されてしまった。
混沌の中にあった自由は、整理されていくうちに失われてしまったのだ。
自由気儘に生きてきたレミリアたち紅魔館にとっても、それは例外ではなくなってきていた。
飛べる空がなくなれば、地を這うほかないのだ。
もはや、上海は紅魔館を受け入れる場所ではなくなってきているのか。
他の妖怪と顔を合わせないこともなかったが、大抵は人間を侮っているか、目先の欲に溺れているものばかり。
崇高なる目的――とはとても言えない、ささやかな願いを叶えるためには、必要最低限の人数だけあればそれでよかった。
自分の器は、それほど大きくない。
吸血鬼に数々の異名はあれど、辛酸を舐めてきた時期のほうがずっと長かった。
驕るな。常に最悪を想定しろ。
そう考え続けてきたレミリアにとって、自らの日傘に囲ってやれる人数など、片手の指の本数に余る。
ベッドで寝息を立てているパチュリーを見やって、レミリアは頬を緩めた。
パチュリーを迎え入れたのは、親近感が湧いたからだけではなく、吸血鬼の力の制御。つまり妹のブレーキとして期待してのことだった。
目論見通り、彼女は魔法使いとしての力を順調に付けた。
自分だけでは抱えきることができなかった妹とも、これからようやく向き合うことができるかもしれない。
小さくなった蝋燭の火を吹き消して、カーテンの隙間から漏れる月光をレミリアはしばらく眺めていた。
美鈴は今夜はでかけている。
自分の代行として、集会に顔を出してもらっているのだった。
美鈴がパチュリーを拾ったのも、一人が寂しかったかっただけではなかったことを、レミリアは知っていた。
純粋な魔法使いはそれだけで利用価値があるのだ。気を操る妖怪が、人間と見間違うことがあるわけがない。
精霊と語り、薬物や悪魔とも関わりがある魔法使いは、近年ではヨーロッパでは見られなくなっていた。
アフリカのシャーマニズムと習合するか、東洋魔術と融合して新たな発展を遂げるかをしているのだが、彼らの需要は人間にも妖怪にも高かった。
そのために彼らを拉致し、阿片漬けにするものが後を絶たなかったのだ。
パチュリーも、そうなるべくして拉致された子供であったのだ。
パチュリーの両親が青龍刀で挽肉にされたその場に、美鈴が居たことをレミリアは聞いていた。
組織に降るようにという誘いを何度も断った彼らは、殺される危険があろうとも魔都から離れることはできなかったのだ。
英語圏から中東を経て中国へ辿り着いた彼らは、日本へと旅立とうとしていたらしい。
「幻想郷という楽園がある」と信じて。
赤ん坊を殺すことができなかった美鈴は暗殺稼業から足を洗って、知人の男へとパチュリーを預けたのだが、そこが誤算だった。
会うことは憚られたために、送金をしているに留まっていたが、まさかそこで、虐待がなされているとは夢にも思わなかった。
彼がカラスの餌になってからは、微かに覚えていた面影を頼りにパチュリーを探したが、予想以上に哀れな姿に後悔の念が絶えなかったという。
「あの子を占い師に育て上げて、うちの組織に推薦したのも私です。両親を殺した相手の元で育てられて、命令した相手のところで働けって。
あの子への贖罪の仕方も思いつかず、家族ごっこを続けながら。いつか、本当のことを話せたらって思いながら。
自分勝手極まりないのはわかっているんですが、小さな手で私の手を握り返してくれたときから、この子とずっと居たいんです」
私の周辺に居るものは、おしなべて奇妙な運命を辿る、ふむん。
両親に手をかけた者が母性に目覚め、子供を親代わりに育てる。そして両親を殺すようにと命令した組織の元で働いて。
それを聞かされたとき、なんとも素敵じゃないか、とレミリアは声をあげて笑った。
「お前の好きにしたらいい。パチェだってそのことぐらい割り切っているさ。顔を知らない両親よりも、育ての親だ。
子供は親を選べないからな、子供を置いてさっさと死ぬような親なんだ。
そのときは難を逃れても、別のときに死んでいただろうよ。
大好きな本もロクに読めずに。この私を、親友呼ばわりすることもできずに、な。
運命とはかくも奇妙なものだ。過去など放り投げてしまえよ。なに、その程度の不幸は誰しもが背負っている。
大した不幸だ。感動的だな。だが、無意味だ。
美鈴、忘れるな。私たちの家族はこの紅魔館だけだ。三人でこれからを生きると誓ったあの日からが私たちのスタートだ。
この私が、お前たちを苦しめる憎き太陽から守る日傘となってやろうじゃないか。
それが、当主としての役目だからな」
全部、口からでまかせである。
しかしそれをもったいぶって、できるだけオーバーな演技でレミリアは言い切った。
「なに、脛に傷のない奴のほうが不気味だろう。許しあえるのが家族だ」
客に出しているウイスキーをロックでちびちびと飲みつつ、タロットを捲っていく。
超短期的な、今夜を占うカードは。
塔の逆位置。
「困難や崩壊、失敗や物事の終局、か」
帰ってくるのも待たずして、美鈴の出ている集会の結果もわかりそうなものだ。
上手く逃げおおせていればいいんだがな、と呟きながら、レミリアは持っていたグラスを思いっきりに窓へと投げつけた。
ガラスの爆ぜる音と、何か柔らかいものにぶつかってグラスが弾けた。
「まとめてかかってきな! たとえここでの物語が終焉を迎えようとも、ここが私たちの終わりの地じゃない。
これからだ! 私たちの紅魔館はここから始まるんだ!」
啖呵を切ると同時に、戸口から飛び込んできた男の胸元へと飛び込んで、頭突きをかます。
肋骨がひしゃげた音がして、後ろの男と将棋倒しのようにもんどりうって倒れた。
青幇が好んで使う刃が湾曲した青竜刀を奪って、呻いている二人の心臓を次々と突き刺した。
三人程度で押し入ろうとするなどお粗末だが、少女二人ならそれで十分すぎると思ったのだろう。
大方娼婦にでもするつもりだったに違いない。
「さあ起きろパチュリー。船出の時間だ!」
物音にベッドから転げ落ちたパチュリーに声をかけて、レミリアは棺と金貨袋を担ぎ上げる。
残念ながら、全部は持っていけそうになかった。
「もてない分は置いていこう。そのほうがいい」
「何を言ってるの?」
「急いでいる、早くしろ」
少し苛立って声を荒げると、パチュリーは何やらを呟いて、手も使わずに金貨の入った袋を持ち上げた。
「さ、行きましょ。慌しいけど、どこにだってついていくわよ」
「っ……。ああ、わかった。港に行って、船を奪おう。どっちにしろ、もう上海には居られないからな」
「海は平気なの? 吸血鬼なのに?」
「船があればな」
今宵満月、二人連れ添っての逃避行。
いつかはこんな日が来るのだと予感はしていた。
この街は、私たちにとって優しい場所ではあったものの、永遠に腰を落ち着けられるような場所ではなかったのだ。
宙に浮いている少女と、棺を担ぐ少女。
その奇妙な取り合わせに悲鳴をあげる女や、事情を知ってか銃を撃つもの。
たちまち大通りは怒号と悲鳴の入り混じる地獄と化したが、道を塞ぐ人間は突風に吹き飛ばされていった。
「便利だな」
「でしょ」
いつのまにやら、憎まれ口も一丁前に唱えるようになった魔女に舌を巻きつつ、青竜刀で切りかかってきた男のみぞおちを思いっきりに殴って吹き飛ばす。
壁にぶつかり、呻いてそのまま動かなくなるが、いちいちそれに構ってはいられない。
「美鈴は?」
「先に待ってるだろ」
「来てなかったら置いていきましょう。これぐらい以心伝心できないで家族とは言わないわ」
「流石にそれは無茶だな。ふむん、いいことを思いついた。使い魔を一匹飛ばして、あいつを探させる」
「で、その棺は誰が封印するの? 何が入ってるか知らないけど、結構大層なものなんじゃないの?」
「妹だ。ここで遊ばせる。この街への置き土産だ」
「上等で最高ね」
「下劣で最悪でもいいな」
「立つ鳥後をヘドロにって言葉もあるのよ」
「いい格言だな。そうしよう」
レミリアは棺を蹴っ飛ばして、封印に注ぎ込んでいた力を回収する。
「フラン! 暴れなさい!」
声に合わせて棺の戸が宙高く舞い上がり、中から宝石の羽を生やした少女が、水銀灯の街灯に立ち、ぼんやりと辺りを眺める。
パニックを引き起こした人々が逃げ惑う中で、レミリアとパチュリーは港へと駆けた。
「レミィ。あの子、置いていっていいの?」
「大丈夫だ。あいつは私のことを殺したがってる。目が覚めたら、こっちに自分からくるさ」
「物騒なのね。妹なんでしょ?」
「ああ、世界で一番愛してる妹さ」
爆発音と大火事を背にして、港へと辿り着くと、美鈴が数十人が倒れている中心で丁度、最後の一人を昏倒させているところだった。
レミリアが軽く手を振ると、美鈴は澄まし顔で応えた。
「近々この街は戦場になりますよ。今日はその決起集会だったんです。共産党員を粛清するとか。ま、関係ありませんよ私たちには。
で、元々乗り気じゃない私たちをさっさと排除しようと思ったらしく、出たところをズドン! 予想してたのでさっさと逃げてきましたが」
「ふん。こんなところで死んでもらったら困る」
「船は?」
ふんぞりかえるレミリアに呆れつつ、パチュリーが金貨の袋を美鈴へと渡した。
「そこらへんのをちょろまかしましょう。さっさと出航しましょうよ。どこいくか知りませんけど」
「その前にやることが一個あってな」
「なんです?」
「私の妹の紹介をしたいと思うんだ。なに、すぐに終わるさ」
「姉妹喧嘩なら後にしてよ。疲れてるんだから寝たいの」
「雨でも降らない限りは止まらないよ。そら来た」
世界の全てを焼くような紅い剣を携えて、愛しい妹がやってきた。
レミリアも愛槍を手に具現化させて、倉庫の上に立っている妹に笑いかける。
「ごきげんようフランドール。寝起きはどうかしら?」
「最高の気分ね。お姉さまと殺し合いが出来そうなんですもの」
「悪いけど、さっさとおねんねしてもらうわ。ストレス解消はできたでしょう?」
「あら? 夜はまだ始まったばかりじゃない? 付き合ってよ、姉妹でしょ?」
睨み合う二人と、吸血鬼の重圧に晒され動けなくなっている美鈴と。
「ロイヤルフレア!」
二人に向けて容赦なく太陽の魔法を発動させた魔法使いが居た。
◆
「まてよひどっ! おま、それでいいのかお前ら!」
「面倒でしょ。二人ともこっちに少しも関心払ってなかったし」
「いやでもな。緊張する場面だろ!? ここからようやく戦いが起きて、姉妹愛に目覚めたりするんだろ?」
「今だって戦ってるわよ。めんこだけど」
「あれはめんこって言わない! めんこは回転しながら竜巻を起こしたりしないから!」
取っ組み合いに飽きた姉妹は、ベーゴマやめんこでの戦いに移行したが、人間である魔理沙には異次元の戦いにしか見えなかった。
魔理沙の中の常識ではベーゴマ同士がぶつかり合って火花とともに磨耗して消滅したりはしないし、めんこが強く叩きつけられて自然発火するものではないのだ。
「とりあえず焼け焦げた二人を船に積み込んで、上海を離れておしまいよ」
「どこへ行ったんだよ。それで」
「ん、日本よ。小悪魔、牛乳が飲みたい」
カップを小悪魔に渡して、パチュリーは腕を組んだ。
「幻想郷の噂って、私は知らなかったんだけど、美鈴もレミィも知ってたのよね。
だから、そこを探しに日本に行こうって決めてたみたい。結構前からの計画だったとか」
「不満そうだな」
「当たり前じゃない。妹が居るっていうのも出る直前になって知ったし。その後も酷かったのよ」
「何がどう酷かったんだよ」
「牛乳です」
「ありがと。日本に来てからも色々あったんだけどね。
戦争が起きたあとで、闇市で一山当てて山奥の洋館を買い上げてリフォームして。
それからは幻想郷に行くためにやり方を探してってことね。
そのうちにレミィがパチンコにハマっちゃって」
「パチンコってなんだ?」
「こう、こうやってクイクイッてして玉が穴に入ってジャラジャラする奴よ。ギャンブルよ、ギャンブル」
◆
「ククク、この台は私の予想通りの設定6」
「18歳以下のお客様は入店をお断りしていただいているのですがー」
「ぎゃおー!」
◆
「ふん、ギャンブルに嵌まるのはよくないな」
「美鈴は毎日働きに行くし、私は図書館でずっと本を読んでたしで」
「フランドールは何してたんだ?」
「家を買ってからはずっと地下で漫画書いてたわね。よく美鈴と私で売りに行かされたわ。海の近くは潮臭くて嫌なのに」
「えーと、小悪魔は……?」
「暇だから話し相手に呼んだの」
「あいつも大変だなぁ」
「それなりに楽しそうだからいいんじゃないかしら? 大事なのはいつだって、今なのよ」
「ふぅん。そんなもんか。それで咲夜はレミリアが拾ってきたと」
「誘拐よね。捜索願いは出なかったみたいだけど」
「それで今に至ると。幻想郷にそんなに行きたかったのか?」
「まぁね。たくさん働いたから楽したくなったのよ。それなのにロケット作らせられたり、咲夜はとぼけてたりもう、たいへんよ」
「楽しくていいんじゃないか」
「退屈だったら死んでしまうわ」
ちびちびと牛乳を飲みつつ、パチュリーは口を尖らせた。
長い年月を生きる妖怪にとっては、漫然とした、変わらない日々が何よりも嫌いだ。
しかしレミリアであれば五百年近く、パチュリーは百年余りそれを求めてきて、ようやくそれを手に入れたというのは面白い。
「私にも牛乳をくれ」
「胸でも大きくしたいの?」
「ふざけんな」
冗談に決まってるじゃないの、心もおっぱいも小さいんだからとパチュリーが言ったので、小さい星を投げつけておいた。
「あなたも入る? スカーレットの日傘の中に」
「いいや、今は遠慮しておくぜ。遠巻きに眺めているほうが楽しそうなんでな」
「気が向いたらいつでも口利きするわよ。一緒に退屈しのぎができるのなら大歓迎だもの」
「身体が持たん」
「確かにそうかも」
魅惑的な誘いではあるが、ここは謹んで辞退をしておきたい。
まだ一人でやりたいことがいくらでもあるのだ。
その後でなら、確かに傘下にあるのも楽しいことなのかもしれない。
紅魔館は、妖怪がもっとも嫌う退屈に対して、最高のアンサーを出した集団なのかもしれないと魔理沙は思う。
事件を引き起こすまでもなく、単に一緒に居るだけで退屈からは無縁であるから。
「おぎゃー!」
「何その叫び。お姉さま赤ちゃんが生まれるの!? 相手は誰?」
「私です」
「咲夜さんいつのまにそんなことを!?」
少なくとも、百年間ずっとお祭りをしてきているのに飽きていない。
それどころか次の百年間もずっとお祭り騒ぎをし続けるであろう紅魔館の連中とは、疲れない程度にお付き合いしていきたいと思う魔理沙なのだった。
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来客も去って静かになった図書館で、パチュリーが一人本を捲っていると、そこに珍しい顔がやってきた。
漫画本のほうがよっぽど好きだと言って憚らないレミリアは、見栄以外で本を集めてはいないのだ。
「珍しいわね。レミィのほうからこっちに来るなんて」
「出不精な友人の顔を見に来たのさ」
抱えていた盤と駒を机の上へと置いて、レミリアはパチュリーにめくばせを送る。
読んでいた本をたたんで、パチュリーは大きくため息を吐いた。
「将棋? レミィから誘ってくるなんて随分久しぶりなのね」
「たまには頭の体操をね」
「頭空っぽのくせによく言うわ」
「とかいって、未だに私のほうが勝ち越してるんだから」
「ん。まぁやりましょうか。暇だしね」
本を傍らに置いて、二人で駒を並べていく。
お互いに、こうして将棋を指しているときが一番、素直に話せる気がした。
「ねぇレミィ」
「ん」
先手はパチュリーで、後手がレミリアで指し始める。
「初めて私がレミィに勝ったときって、やっぱり手加減したの?」
「いいや、手加減なんて一度もしたことはないね。私は勝つつもりだったよ」
「嘘ばっかり」
「嘘は泥棒の始まりらしいが、誓って盗みはしたことはないよ」
「ふむん」
パチパチ、と小気味良い音が図書館内に響く。
しばらく、二人は無言で指し合っていたが、パチュリーがわざと悪手を打った。
「ねぇレミィ。幻想郷での生活は満足? もっと大きな事件だって、外で起こしてきたら良かったとか、後悔したりはしない?」
「ないね」
「それはどうして?」
「紅魔館に英雄譚はいらんよ。私はいつだって、負けっぱなしの敗残の将だ。
だが、それでも今こうやって楽しんで生きてる。それでいいじゃないか」
「悪いなんて言ってないわよ。私だって幻想郷の生活好きよ」
「ん、王手」
「投了ーお疲れ様。今日は喋りすぎたから眠いのよ」
「わざと負けるなんて酷いな」
「わざとじゃないわよ。少なくとも、あの時のレミィぐらいには」
「いい性格してるよホント。これでおあいこにするってことか?」
「これからもねちっこく責めるわ。魔女はしつこいの」
「嫌われるぞ」
「嫌わないでしょ」
私はな、と言い残して、レミリアはひらひら手を振って図書館から去っていった。
パチュリーは駒を一箇所に纏めて、読みかけだった本を手に取った。
紅魔館には英雄譚は要らない。
平凡なストーリーと、気を許しあえる家族だけあれば、どんな場所でも、永遠に生きていける。
十年後も、百年後も、だ。
よいお話でした。
19世紀末~20世紀初頭の上海という町のリアルな描写と、あくまで架空の存在である紅魔館の面々の生き様に吸い込まれるように一気に読んでしまいました。背景描写がツボに来ました。
この弱点を天狗にこのことを売れば 昔のことには触れれないの 流されるががままの それを省みぬ者は誰一人としていなかった
可愛い!
おもすれえ
世界的に普及してない将棋が当時のレミリア達の手元にあったのは幻想郷の情報収集中に入手した物だと補完してみたり
感動的だな。
そして最高だ。