私はこのファーストフードショップが好きだ。いつでも、どこでも、それなりに安定した食事を与えてくれて、それでいて昨今では一晩の宿にもなってくれるのだから。
時を止めて諸国を飛び回った私だが、無銭飲食は今ではもう少しもやらなくなった。
もちろんこの国、日本でもそれは当然のこと。
幼い頃とは違う。処世の術など、とうに会得は済んでいる。それに、21世紀は平和な時代だ。光が多い。そしてその下で眠ることも一般的だ。
「ごゆっくりどうぞー」
喫煙スペースは二階。まぁ、好都合である。
店員の呆れた目に見下されて仮眠をとるのは瀟洒とは言えないから。
申し訳程度のコーヒーとアップルパイをトレイに乗せて階段を上がり、二階へ。私のようにこのスペースを仮眠場所としている者が四人、すぐさま視界に入る。
……やっぱりそうよねぇ。
この街はこの県では二番目に大きな街の筈。そして観光客も多く来る筈、である。私のように。
そうでありながら駅前はなんとも寂しい様相で。
まぁ、0時を回ってしまえばしょうがないか、とも考えもするが。最近は自治体毎の条例もなにかとうるさいらしいし。
でも、インターネットカフェの一件くらい、普通は駅前にあっても良いと思うのだけれど。
だとしても私はやっぱりこの安っぽいハンバーガーショップの自動ドアを開くのでしょうね。
一人、クスリと笑い、奥の喫煙スペースへ。夜の街を見たいな。とふと思った。だから私は一番窓側の席へと歩を進めて
彼女と出逢った。
中等部、いや、初等部に通うくらいの歳の子か?
なんにせよ、街も眠る時間の喫煙席にいるにはあまりにも不自然な、緑色の髪をした女の子が、窓の向こうをぼんやりと見下ろしていたのだ。
その時になってようやくその少女が周囲に結界を張っていることに気付いた。
あまりに弱い、霊感の無い一般人から身を隠すのがせいぜい、という程度の、しかし一応はしっかりと形成された結界だ。
化け物の類か。
ジャケットの内側に忍ばせたナイフに手を伸ばす。
彼女と目が合ったのはその時であった。
「…………え?」
零れた声。そして、きょとんと、時間と比例させてだんだんと丸くなっていく双眸。まるで普通の女の子の様なリアクション。
「え、お、お姉さん、私が見えるんですか?」
「ええ、とても。綺麗な緑色ね」
「うぅ」
懐から手を戻す。警戒する必要は無い。この程度でしどろもどろになる程度の者に、どれほどの油断があったとて私が劣ることはないだろう。
というか、
「あなた、人間よね?」
「え、は、はい」
「ダメじゃない。良い子はもう眠る時間だわ」
豊潤な霊気の片鱗を表す目の前の女の子。そう。女の子だ。幼く小さい、子供である。結界を張ってまでこんなところで隠れ佇むのだからただの人間とは言えないが、しかし、それが大人に叱られない理由にはならない。
「早く帰りなさい。結界が張れるんだから、宙を飛ぶくらいのことはできるのでしょう?」
「できますけど」
「ごねるのは相応の力を持ってからになさいな。さぁ、行きなさい。おうちで眠らない子は碌な大人になれませんよ。更に言えば私はその席で煙草を吸いたいの。さぁ」
「ここからウチまでは、遠いです」
「ここの子じゃないの? おうちはどこ?」
「……諏訪」
「あらまぁ」
諏訪と言えば、ちょうど今日私が見て回っていた地だ。結構大きな神社があって楽しかった。観光地としてはやる気がイマイチと言わざるを得なかったけれど。ここもそうだけれど、なんというか、閑散としているのよね。田舎町ってニュアンスともまた違うんだけど、このつまらない感じはなんと言えばいいのかしら。
ちなみに諏訪はここから大体50km程離れた土地であった筈だ。私はつい先程一時間以上電車に揺られてようやくこの街にやって来れた。子供が飛んで向かうにはいくらなんでも遠いし辛い。
警察に引き渡す……のは私が避けたい。下手に身元を勘繰られては厄介である。私はもっと悠々とこの国を見て回りたいのだ。
はぁ。
しょうがないわね。
「一晩だけよ」
「え?」
「危ない大人に絡まれないよう、私が付いててあげるから」
本当は子供の一人くらい小脇に抱えて50kmを移動するなんて一秒もかけずにできるのだけれど。
正直、それは面倒が過ぎる。
故にこれくらいが落とし所としては妥当だろう。
たまには子供と話をするのも悪くない、なんて考えも浮かび上がっているところだし。旅の上でこうやって訳有りの者同士が雲を撫でるような会話を交わすこともなかなか――
「……子供扱いしないでください」
――あら?
「私にはやれることが多いです。悪人に絡まれたくらいではなんてこともありません」
あらら。
危ういわねぇ。
力に頼った生き方なんて、死ぬか、死んだまま生きるかの二択しかないのに。
なんて言っても分からないわよね。
このぐらいの歳の子はそのあたりが厄介だ。経験が少ないゆえに苦しみを知らず、その癖に痛みには敏感なのである。鉄拳制裁をしてあげるのも手かもしれないけれど、それは私のキャラクターではないことは自明ね。
それに、この子の言っていることは間違っていることじゃあない。
その辺のゴロツキくらいなら吹き飛ばせる程度の霊力は確かにあるだろう。
その事実を無視して頭ごなしに怒鳴ることはしたくない。
そんな大人は、私も嫌いだから。
「まぁ、いいじゃない。私が暇なのよ。どうせここで朝を待つというのならば、付き合ってくれてもいいんじゃないかしら」
「……」
「なにはともあれこっちの席に失礼するわよ。アップルパイ、冷めないうちに食べたいの」
「……コーヒーは温くても良いんですか」
「私は猫舌なの。コーヒーはミルクをたっぷりと落として温度が下がったところが一番美味しいと思う」
「変わった方ですね」
「よく言われるわ」
固いソファーに腰を落として齧ったアップルパイは温くて甘くて私の舌には丁度良かった。なぜだか安心を与えてくれるこの安っぽい味が、私達のアウトサイダーチックな雰囲気をいっそう磨きあげてくれているような気がしておかしかった。良い気分だった。
「そんな髪の色じゃあ生きてくのも大変でしょう。特にこの国では」
「普段は髪にも術を施して、皆からは黒色にしか見えないようにしています」
「あら、そんな便利な術が。私にも教えて頂きたいものだわ」
「銀色の髪……、地毛なんですか?」
「そうよ。これ、どこの国に行っても目を付けられちゃうのよねぇ」
「私の緑色よりはずっとマシだと思います」
「かもね。まぁ、力を持つ代償というものとして私は既に割り切ったけれど」
「……お姉さん、いったい何者なんですか」
「一人でいるのが好きな、只の人間よ。刺されたら死ぬわ」
「信じられないです」
「人に素性を尋ねる時はまずは自分から身を明かしなさい。そのくらいのことは知ってる歳でしょう?」
「……」
女の子は少しだけ目を伏せて、けれどすぐに顔を上げて、おずおずと、勇気を携えながら口を開いた。
「私は、現人神なのです」
あらまぁ。
そう来るのね。
「……やっぱり信じてはもらえませんか」
ん? あぁいや、そういうリアクションじゃないのよ。
なんというか、苦笑するしかないなぁ。
言われてみればそうだ。この子の持つ、深部に荘厳さすらも感じられるこの霊力は、精霊もしくは聖霊の持つものにそっくりだ。諸国を旅する中でこのような気配を持ったシャーマンに出会ったことも幾度かある。
しかし、彼らの誰よりも、この少女の持つ力は澄んでいるだろう。
まるで初夏の風のよう。
現人神なんてフレーズが、とても良く似合ってしまうわね。
納得すらしてしまうわ。
それゆえに、私は苦笑するしかないの。
「実は私ね」
だってねぇ。
「神様って、嫌いなの」
荘厳さゆえに扇動のツールに成り果てるだなんて、滑稽が過ぎるじゃない。
少し他者と異なる力を有しているだけで人間扱いをしなくなる。魔女狩りだなんて言葉はもう死語だろうけれど、そういうものを私は、ハッキリと嫌悪するわ。
そう思うと目の前のこの子も随分と可哀想に思えてくる。
なまじ強い力があるだけに、そういったシステムの人柱になっているのだろう。
……この子は、そんな現状を憂いているんじゃないかしら?
自らを現人神だと言う、しっかりとした力を持った子が、こんな夜中に一人でいるだなんて。よくよく考えなくてもおかしいじゃないの。
この子はもしかしたら、現人神なんていう大層な鎖から自由になりたいんじゃないかしら。
誰かに助けを求めてるんじゃないかしら。
ならば、私がこの子にしてあげられることは
「私は、神様が好きです」
え?
「色々と面倒なことも多いけれど、でも私はやっぱり、あの方達を無視して生きたくなんてありません」
薫風が夜の中を駆け抜けていったような気がした。
人通りの見られない駅前の電灯の中をさらりと。
そんな笑顔だった。
「“信仰は儚き人間の為に”。私の好きな言葉です。あなたが信じ仰ぐことのできる方と出会えることを、心から祈ります」
綺麗事だ。一笑に付すことができる。祈りなどでは何も変えられやしない。私はそれを知っている。
けれど、彼女の表情はあまりに穏やかで。
「……分からないわね。そんなにも神様とやらが好きなら、こんな時間のこんな所にあなたはいないと思うのだけれど?」
「この生き方が文句の付け所も無い程の素晴らしいものだとは私も思いませんよ。夜に一人になりたいことくらい、ありますから」
「じゃあ」
「でも、こうして離れていると、やっぱり思うんです。色々と、学校とかで嫌なことがあって、遠くに行きたいなぁって思っちゃっても、やっぱり私はあの方達のことを忘れられない。忘れたくない。それが私の本音なんです。それを確認したくて、私は今ここにいるんです。一人で、街を見ていたんです」
そして彼女は席から立った。
「ありがとうございます。話をしたら、すっきりしました。私はもう帰ります」
「帰るって、今から?」
「はい。休まずに飛べば二時間くらいで帰れると思います」
「こんな時間に子供が一人で動くなんて危ないわ」
音を立てることなく歩いていく。離れていく背中。
どことなく嬉しそうな気配を纏いながら、
彼女はくるりとこちらに振り返って、
「子供扱いしないでください」
私の目を見据えて、はっきりと言った。
対して私は何も言えなくて。
ただ心の内を風が吹き抜ける音を知覚しただけで。
「どうかあなたの行く先に素敵な出会いのあらんことを、風祝、東風谷早苗が心よりお祈り致します」
そう言って一礼をして、そして彼女は階段を下りて行った。
気が付けばアップルパイもコーヒーもすっかり冷めていた。
私は一人、煙草に火を着けた。
懐かしい夢を見たものである。
止まった時の中で一人、目をこする。体力はだいぶ回復した。たぶん、七時間くらい眠れたんじゃないかしら。
それにしても。
「七年前、かぁ」
呟く。
感慨深いものだ。
あの邂逅から数日後、勘を頼りにゆるりと山の中へと散歩に出かけ、そしてお嬢様に出会った。
「まさか本当に素敵な出会いがあるなんてね」
しかし生憎、私が出会ったのは一点の曇りも無い程の見事な悪魔であったのだ。
神を信じない姿勢はあの頃から少しも変わっていない。
……いや、信じない、という表現は語弊が過ぎるか。
正しくは、どうでもよくなったのだ。
時の停止を解除する。
「咲夜ぁっ、ツマミが足りないわよぉ!」
「あんたさっきからちっとも飲んでないだろう? ほら、一献どうだい? 神の盃さね」
「おおっとメイド長がサボりとは大した度胸だぜ。罰としてなんか美味いもの作れ」
「……咲夜、向こうで酔った小悪魔が酷いことになってるから黙らせておいて」
「ちょっとメイド! 調理の手が足りてないのよ! 暇なのなら厨房に入って――あ、ちょ、てゐぃい! またあんたはつまみ食いばっかりして!」
「咲夜、飲み口の優しいフルボディをなにか一本持ってきなさい――良いチョイスね」
博麗神社恒例の大宴会。ここでは、人も、悪魔も、神も。皆が等しく呑んでは笑う。
扇動の為のツールがどうとか、バカらしくて考える気も起こらないわ。
まったく。
人生とは本当に、どう転がるか分からないものね。
「あ、咲夜さん。今はお手透きですか?」
「あら早苗、どうかしたの?」
「食べ物がかなり減ってきてますし、ちょっと厨房で何かを作ろうと思っていまして。それで、宜しければ咲夜さんの手も借りたいのですけれど、如何です?」
「えぇ、良いわよ。何を作りましょうか」
あの時出逢った少女は、今ではもう私と背丈が同じくらいになってしまった。
七年の月日は人間にとってみれば本当に大きなものだ。
少しだけ、笑った。
「宴もたけなわなことですし、なにかスイーツでも作りません?」
「ふふっ。具体的には?」
「そうですねー。じゃあ」
あの日以来、ファーストフードに縁は無いけれど、
「アップルパイなんてどうでしょう!」
私の毎日はとても楽しい。
今歳いくt(殺人ドール
アップルパイ食べたい
この一言に尽きます。
近くに長野県内でも数少ない東方グッズを扱うお店があるのです
今度出かけたら、ハンバーガー食いながらこの作品を思い出してニヤニヤしますw
咲夜さんとおぜうさまの出会いは現人神の奇跡の賜物だった訳ですか。
いい雰囲気のお話でした。
素晴らしいです。
今マックで一人でハンバーガー食べてるんだけど、緑髪の少女いないかな~?
ぐっじょぶ。
また、ここで新しい出会いが繰り返され、素敵な日々が繰り広げられる様子が浮かんできました。