元来変なヤツに好かれやすい私はある一匹の妖怪にちょっと強引に懐かれてしまっていた。
古明地こいし。
さとり妖怪の癖に心の瞳を閉ざした、とても変なヤツだった。
気が付いた時には神社に来ていて茶を飲んでいたりする。ふらふらした子。背は私よりも結構低い。
「“心の瞳で君を見つめたら、愛すること、それがどんなことだか、解りかけてきた”なんて歌詞があるわけなんだけれどそれってやっぱり若さゆえの戸惑いの表れよね。心の瞳で見つめるというワンステップがもうすでに相手への気遣いでありまたそれと同時に“愛すること”でもあるのだから。解りかけてきた、のではないわ。本当は解っているはずなの。けれどそれを、悲しいかな、なかなか認識はできないのよねぇ。それが若さってやつ?」
「うん」
一つ茶を啜っては百の言葉を綴る。そんな面倒な妖怪。
雪もそれなりに降っていたんだけれど、寒いなんていう感覚はアイツには無かったんだろうなぁ。
「まぁ心のお話なんてツマラナイわよね。人それぞれ、っていう看破するのが面倒な文句が果てにはポッカリと口を開けて待っている場合がほとんどのこのご時世、諦めたくなるのもよく分かるわ。ところで私のお姉ちゃんは空に海老が泳いでいることを知らないの。笑っちゃうわよね。ずっと地の獄に引き籠っちゃってるせいで天の海のことまで忘れちゃってるんだわ。視機能が生きてても記憶力が死んでるんじゃあ色の深みは見抜けないでしょうに、本当にもう、ねぇ」
「うん」
「霊夢は何処を見ているのかなぁ何を覚えているのかなぁ。誰の顔を知ってるの? 何時の雨に詳しいの? 正解はありません。だって霊夢の目はとってもゆらゆらふわふわしてるんだもん。私には分かる」
「うん」
ちらちらと雪が降る庭を目の前に縁側にてちびりちびりと茶を味わうことは私の習慣であった。欠かすことはきっと一生ないだろう。炬燵に足を入れて戸を締め切り蜜柑を眺めて茶を一つ。そんな情景も嫌いではない、というかよくやる。普通にやる。ただ、日に一度はこの場所でこうやって茶を啜りたくなるのだ。何故、と聞かれれば、知らないわ、と答えるしかない。理由が必要なことじゃあない。気が向くからだ、と答えるのが一番妥当かしらね。
こいしが私のどこを気に入ったのかはまるで分からなかった。
一度ボコボコにしてあげたら何故だか懐かれた。
経緯を紐解こうとしてもそれだけのことでおしまい。
正直、自分でも訳が分からない。
でももしかしたらこれも理由が必要なことではないのかもしれないとぼんやりと考えて私はまた湯呑みを傾ける。
心なんて読み解けるものではないし、できたとしても面倒としか思えないでしょう。
そういえばこいしはどうして心の瞳を閉じたのだろうかと少しだけ思ったけれど話が長くなりそうな気がしたから聞くのはやめた。
澄んだ空気と冷えた板敷きが癪ではある。
しかし私は此処で茶を飲む。
「私、霊夢のことが好きよ。憧れに近い感情とも言えるわね。私はもっと自由に在りたい。しがらみから浮いて飛んでいたい。他者の感情に揺さぶられない心を持ちたい。笑ったり泣いたりして生きたい」
「うん」
「でもこれは只の憧憬の感情じゃない。勘違いなんかじゃないからよく聞いて? 私はあなたのことが確かに好きなの。あなたの前だと、ええと、その、怖くないというか」
「うん」
「閉じたはずの眼が緩むのが、分かるの」
「うん」
そういえばしょっちゅう顔を出してくるあの猫と鴉は今日はどうしたのだろう。
あぁ、いや。そうだ。あの猫は随分と気の利かせられる性格をしていたんだっけ。それに鴉の方は馬鹿だけど、存外に優しい性格をしていたはずだ。
主の妹君の告白の場には姿を見せない、か。
まぁ、そういうものなのかしらね
不思議な顔だった。
笑ってるのに泣いてるみたいな表情だった。
湖に浮かんだ月のようだった。
灰色の空から降る雪の白さがいっそう鋭くなってきた気がする。
そろそろ縁側でぼんやりするには厳しい寒さだ。
いい加減部屋の中に入ろう。
「霊夢」
それなりに残っていた茶を一口で飲み、無くす。
温かみの消えた緑茶なんて別に惜しくも何ともないわね。
冷えて苦いだけだなんて。
「霊夢。あなたは、」
「こいし」
目の前に在るのは迷子の子供が親を見つけた時の表情に近いかしらとも思ったけれど、
「私はあんたの思いに応えてあげることはできないわ」
そんな子供はこんな顔で泣いたりはしないだろう。
「もう帰りなさい」
そして私は部屋に戻り、戸を閉めた。
人間と妖怪が通じ合える筈がない、とか、女同士で好き合うのはおかしい、とか。言えることは一応あったけれど、
でもやっぱり。
理由が必要なことじゃあないんだ、と思うのよね。
うん。
あの雪の日から数えて二度目の冬がやって来る。
雪はもうそろそろ降って来る頃だろうか。掃き掃除をしなくて済むのはとても嬉しい。
でも寒くなるのはやっぱり憂鬱だなぁ。
縁側に一人。横には湯呑みが一つと急須が一つ。
北風をなんとなしに眺める。寒い。けど動く気になるわけでもない。
あの日以来こいしがひとりで此処に来ることはなかった。
けれどその後の姿をまるで見かけなくなったかというと決してそんなことはなく、郷をふらふらと飛んでたり歩いてたりする姿は幾度となく見かけてるし宴会への参加率もあの子はかなり高い。
表情はあの時と寸分変わらぬ笑顔であった。
瞳は閉じたままだった。
最後の一文、心に引っかかります
点数を入れられないのが惜しくもあり、
またこの感動を伝えるに足る言葉を私は持ち得ないのが切なくもある。
そんなことを思ってしまいますが、この霊夢は、それこそ「何者にも縛られない存在」なのだろうから、それは無理なんだろうなあ…。
胸の痛くなるお話でした。
それでも、どこか綺麗だと感じてしまう自分もいました。
色々と思うことはあるけれど、どうしても上手く言葉にできない…
お見事でした。
うむ
彼女の繊細さが伝わってきます