「この紅茶、なかなか美味しいわね」
苺のショートケーキの乗ったお皿を持ってリビングに戻った私の目の前に、そいつは唐突に姿を現した。
一瞬思考停止に陥り危うくケーキを皿ごと落としてしまいそうになったが、なんとか自分を取り戻し、私は改めてリビングで堂々と寛いでいる侵入者に目を向けた。
「何処から入ってきたのよ」
「玄関から」
私の質問に面白くない答えを返したのは、ティーカップを片手に悠々と椅子に座る、風見幽香その人だった。
ふわふわとした髪の毛先を弄りながら、不敵な笑みを崩さずにアフタヌーンティーを味わうその様は、まさに傲岸不遜という言葉がよく似合う。
「玄関には鍵を掛けておいたはずなんだけど」
「不良品ね。ちょっと触れただけで壊れちゃった。早く修理に出した方が良いわよ」
何をぬけぬけと。
一応施錠の他に二、三の防犯魔法も掛けておいたのだが、それすらもこの妖怪にとっては無意味のようだ。
「アリス、今日のおやつはなあに?」
「……苺のショートケーキ」
それにしても、こんな輩の侵入をいつになっても防げない自分は一体何なのだろうか。
溜め息をつきたくなるのをぐっと堪えて、私はいつもどおり一人分のおやつを半分に分けるのだった。
幽香の侵入を許すようになったのは、果たしていつの頃からだったろうか。
おそらく、全ての発端は博麗の神社にお菓子をお裾分けしに行った時のことだろう。
ちょうど神社に訪れていた幽香と鉢合せし、私の分のお菓子がなくなってしまったのだ。
その時から、私は(というか私の作ったお菓子は)目をつけられてしまったのだと思う。
まあ、ことの真相はともかく。
その頃から幽香は私の家に、訪問と言う名の侵犯を開始したのである。
必ずおやつ時を狙ってくる辺り、抜け目のない奴だ。
とりとめのないことを考えては、目の前に置いたケーキをつつく。
大きさは半分になってしまったが、上に乗っけた苺は何とか死守した。これだけは譲れない。
そのままクリームを絡めたスポンジをぱくついていると、ふと、珍しく静かな幽香の方が気になって、彼女の様子を窺った。
幽香はほくほくとしたえびす顔で、幸せそうにケーキを味わっていた。
まるでそれ以外は眼中にないかのように。
こういう時はあのおっかないフラワーマスター様も女の子の顔をするのだ。
何だか可笑しくなってしまったので、クスリと小さく笑って、フォークに刺した苺を口の中に放り込んだ。
じゅっ、と甘酸っぱい果肉が舌の上に広がる。
隙間妖怪のつてによって、先日ようやく自家栽培に成功した苺だ。
一口味を見たら、それはいつも市場で買って来る苺よりも一段と甘いものだった。
その時のことを回想しているうちに、そういえば、と思い出す。
その苺があまりにも美味しかったので、誰かに自慢しようと考えていたのだった。
「どう?美味しい?」
「苺は美味しいわね」
「その苺、どこで手に入れたか知りたい?」
さりげなく聞いてみる。
「別に」
ううむ、残念。幽香はあまり興味ないようだ。
植物のことに関しては首を突っ込みたがるかと思っていたのだが、存外そうでもないらしい。
それとも食べることに熱中しているのだろうか。
言葉ではそっけない態度を取りつつも、本当に美味しそうにクリームに包まれたスポンジを苺ごと咀嚼する幽香。
そんな彼女の幸せな顔を見ていると、もう文句を言う気にはなれなかった。
こんな美味しいものを一人で食べるのはもったいない。
今回のおやつ強奪事件はそう割り切って、水に流すことにした。
「ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
すでに恒例となってしまった挨拶を交わし、フォークを置く。
綺麗になったお皿を一瞥し、満足げにポットの紅茶をカップに注ぐ。
白い器に満たされた赤茶色の液体にレモンを一切れ浸け、瓶入りの蜂蜜を少量混ぜる。
そしてティースプーンでくるくるとかき混ぜて、そっと幽香の前にカップを差し出す。
「それ飲んだら帰ってね」
この家にお茶漬けなどという気の効いたものはないので、そっけない態度でそのままの意思表示をする。
しかし、何故か幽香は暫く私を見つめた後、突然笑い出した。
何が何だか分からない私は目を丸くして途方に暮れるしかない。
「ふふ、貴女って本当に面白いわね」
「何よ。意味が分からないわ」
甘い物でも食べ過ぎて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。いや、糖分は頭の疲労に効果があるはずだ。
それともおかしくなってしまったのは私の方なのだろうか。
そんな私の困惑もお構いなしに、幽香は言い放った。
「だって、言葉では嫌がっているくせに私の好物ばかり出してくれるんだもの」
その言葉に、また私の思考は一時停止を余儀なくされた。
「私がいつも紅茶に蜂蜜を入れてること、知ってたんでしょ?」
そりゃあ、あれだけ私の家で飲んでいればね。嫌でも覚えるわ。
「それと、苺も美味しかった。貴女、農業の才能あるわよ」
お褒めいただきどうもありがとう。
なんだ。苺のこと、気づいていたのか。
「今日のおやつもとても満足だわ、ありがとう」
にやにや笑いを全く抑えずに幽香は言った。
「……どういたしまして」
何だか顔が火照ってきてしまったのは、温かい紅茶を飲んだからだけではあるまい。
どうにか赤い顔を見られまいと俯き加減の私を尻目に、幽香は椅子から立ち上がり、玄関へと踵を返す。
「明日もまた来るわね、人形遣いさん」
これもいつもどおりの別れの挨拶。
そう言いつつも幽香の訪問は毎回不定期だ。
だから明日も、などという約束は端から信じてはいない。
信じてはいない、が。
「もし、明日も来るなら――」
鍵の壊れたドアが完全に閉まったのを確認してから独り呟く。
「今度はもっと興味をそそるような話を聞かせてあげる」
その傍らにはもちろん、蜂蜜入りの紅茶を添えて。
いつのまにか私の日常に深く侵入してきた妖怪の、本当に幸せそうな笑顔を思い出しながら、私は小さな決意を胸に抱いた。
あいつの顔もいつか真っ赤にさせてやる。
苺のショートケーキの乗ったお皿を持ってリビングに戻った私の目の前に、そいつは唐突に姿を現した。
一瞬思考停止に陥り危うくケーキを皿ごと落としてしまいそうになったが、なんとか自分を取り戻し、私は改めてリビングで堂々と寛いでいる侵入者に目を向けた。
「何処から入ってきたのよ」
「玄関から」
私の質問に面白くない答えを返したのは、ティーカップを片手に悠々と椅子に座る、風見幽香その人だった。
ふわふわとした髪の毛先を弄りながら、不敵な笑みを崩さずにアフタヌーンティーを味わうその様は、まさに傲岸不遜という言葉がよく似合う。
「玄関には鍵を掛けておいたはずなんだけど」
「不良品ね。ちょっと触れただけで壊れちゃった。早く修理に出した方が良いわよ」
何をぬけぬけと。
一応施錠の他に二、三の防犯魔法も掛けておいたのだが、それすらもこの妖怪にとっては無意味のようだ。
「アリス、今日のおやつはなあに?」
「……苺のショートケーキ」
それにしても、こんな輩の侵入をいつになっても防げない自分は一体何なのだろうか。
溜め息をつきたくなるのをぐっと堪えて、私はいつもどおり一人分のおやつを半分に分けるのだった。
幽香の侵入を許すようになったのは、果たしていつの頃からだったろうか。
おそらく、全ての発端は博麗の神社にお菓子をお裾分けしに行った時のことだろう。
ちょうど神社に訪れていた幽香と鉢合せし、私の分のお菓子がなくなってしまったのだ。
その時から、私は(というか私の作ったお菓子は)目をつけられてしまったのだと思う。
まあ、ことの真相はともかく。
その頃から幽香は私の家に、訪問と言う名の侵犯を開始したのである。
必ずおやつ時を狙ってくる辺り、抜け目のない奴だ。
とりとめのないことを考えては、目の前に置いたケーキをつつく。
大きさは半分になってしまったが、上に乗っけた苺は何とか死守した。これだけは譲れない。
そのままクリームを絡めたスポンジをぱくついていると、ふと、珍しく静かな幽香の方が気になって、彼女の様子を窺った。
幽香はほくほくとしたえびす顔で、幸せそうにケーキを味わっていた。
まるでそれ以外は眼中にないかのように。
こういう時はあのおっかないフラワーマスター様も女の子の顔をするのだ。
何だか可笑しくなってしまったので、クスリと小さく笑って、フォークに刺した苺を口の中に放り込んだ。
じゅっ、と甘酸っぱい果肉が舌の上に広がる。
隙間妖怪のつてによって、先日ようやく自家栽培に成功した苺だ。
一口味を見たら、それはいつも市場で買って来る苺よりも一段と甘いものだった。
その時のことを回想しているうちに、そういえば、と思い出す。
その苺があまりにも美味しかったので、誰かに自慢しようと考えていたのだった。
「どう?美味しい?」
「苺は美味しいわね」
「その苺、どこで手に入れたか知りたい?」
さりげなく聞いてみる。
「別に」
ううむ、残念。幽香はあまり興味ないようだ。
植物のことに関しては首を突っ込みたがるかと思っていたのだが、存外そうでもないらしい。
それとも食べることに熱中しているのだろうか。
言葉ではそっけない態度を取りつつも、本当に美味しそうにクリームに包まれたスポンジを苺ごと咀嚼する幽香。
そんな彼女の幸せな顔を見ていると、もう文句を言う気にはなれなかった。
こんな美味しいものを一人で食べるのはもったいない。
今回のおやつ強奪事件はそう割り切って、水に流すことにした。
「ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
すでに恒例となってしまった挨拶を交わし、フォークを置く。
綺麗になったお皿を一瞥し、満足げにポットの紅茶をカップに注ぐ。
白い器に満たされた赤茶色の液体にレモンを一切れ浸け、瓶入りの蜂蜜を少量混ぜる。
そしてティースプーンでくるくるとかき混ぜて、そっと幽香の前にカップを差し出す。
「それ飲んだら帰ってね」
この家にお茶漬けなどという気の効いたものはないので、そっけない態度でそのままの意思表示をする。
しかし、何故か幽香は暫く私を見つめた後、突然笑い出した。
何が何だか分からない私は目を丸くして途方に暮れるしかない。
「ふふ、貴女って本当に面白いわね」
「何よ。意味が分からないわ」
甘い物でも食べ過ぎて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。いや、糖分は頭の疲労に効果があるはずだ。
それともおかしくなってしまったのは私の方なのだろうか。
そんな私の困惑もお構いなしに、幽香は言い放った。
「だって、言葉では嫌がっているくせに私の好物ばかり出してくれるんだもの」
その言葉に、また私の思考は一時停止を余儀なくされた。
「私がいつも紅茶に蜂蜜を入れてること、知ってたんでしょ?」
そりゃあ、あれだけ私の家で飲んでいればね。嫌でも覚えるわ。
「それと、苺も美味しかった。貴女、農業の才能あるわよ」
お褒めいただきどうもありがとう。
なんだ。苺のこと、気づいていたのか。
「今日のおやつもとても満足だわ、ありがとう」
にやにや笑いを全く抑えずに幽香は言った。
「……どういたしまして」
何だか顔が火照ってきてしまったのは、温かい紅茶を飲んだからだけではあるまい。
どうにか赤い顔を見られまいと俯き加減の私を尻目に、幽香は椅子から立ち上がり、玄関へと踵を返す。
「明日もまた来るわね、人形遣いさん」
これもいつもどおりの別れの挨拶。
そう言いつつも幽香の訪問は毎回不定期だ。
だから明日も、などという約束は端から信じてはいない。
信じてはいない、が。
「もし、明日も来るなら――」
鍵の壊れたドアが完全に閉まったのを確認してから独り呟く。
「今度はもっと興味をそそるような話を聞かせてあげる」
その傍らにはもちろん、蜂蜜入りの紅茶を添えて。
いつのまにか私の日常に深く侵入してきた妖怪の、本当に幸せそうな笑顔を思い出しながら、私は小さな決意を胸に抱いた。
あいつの顔もいつか真っ赤にさせてやる。
良い幽アリをありがとうございます。
>>あいつの顔もいつか真っ赤にさせてやる。
是非。
幽香ちゃんの顔が真っ赤になる日も近いなあ
ごちそうさまでした