地霊殿。
一室。
燐の朝は早い。
ネコはもともと寝起きの悪いものだが、燐はその点では他のネコと違っている。
目を覚ますと、あくびを一つ、伸びを一つして、前足で首元を掻く。
それから、舌で簡単にグルーミングを終えると、燐は歩き出した。
さて、今日も一日きばるとしよう。
地霊殿。
また別の一室。
空の朝は早い。
烏はもともと寝起きが早いものだし、空はその点では他の烏と違っていなかった。
目を覚ますと、嘴で器用に毛づくろいをして、黒い羽を整える。
彼女の羽は、今日も綺麗な濡れ羽色に輝いている。
それから、毛づくろいの出来栄えに満足して、空は二、三度羽を広げて、はばたいた。
さて、今日も一日がんばるとしよう。
地霊殿。
主人の自室。
さとりの朝は遅い。
妖怪はもともと寝起きがいいかげんなものだし、さとりはその点では他の妖怪と違っていなかった。
目を覚ますと、うめきをひとつ、布団の中でみじろぎをひとつして、しばらくそのまま死んだように静まり返って起き上がらない。
それからようやく起き上がると、寝癖のつかない柔らかい髪をだるそうに梳いて、さとりは裸足の足をぺたりと床についた。
ああ、そうか。
溜息をつく。
今日も一日が始まってしまったのか。
地霊殿。
一角。
こいしの朝は早かったり遅かったりするが、この日はどうやら遅かったようだ。
まだ目を覚まさないままで、床に転がり、スカートの裾をだらしなくめくれさせ、なぜか自室でなく、さとりの部屋に近い廊下に寝転んでいる。
さとりが着替えを終えて、自室から出てきたところで、その姿はようやく目撃された。
さとりは、その姿を見ると、ちょっとあきれたような顔をした。
それから、こいしに近づいていくと、そのそばにかがみこんで、妹のめくれ上がったスカートの裾を直してやった。
そうして、立ち上がるとそのまま通り過ぎて、食堂のほうへと歩いて行く。
その間にも、こいしはまだくうすかと安らかに眠り続けていた。
地霊殿。
また別の一角。
さとりが食堂に向かっていると、ふと、目の前を、燐と仲のよい妖精たちが、二、三匹かたまって歩いていくのが見えた。
妖精たちは、さとりの姿に目をとめると、それぞれに、その複雑な思考のなさそうな屈託の無い目を向けてきた。
「あ、主様だ! おはようございます!」
「おはようございます、主様!」
「おはようございます!」
「ああ。おはよう。これからお仕事? ご苦労様」
「はい! ありがとうございます! 私たち、今日もたくさんいい死体とってきますね!」
「また面白のみつけたら主様にも持ってきますね!」
「そういえば主様って死体のどの部分が一番好きなんです?」
「私は足の小指が好み! なんかかわいいし!」
「えー? 足なら親指でしょー? あの先っちょのほうの微妙なカーブにこだわりを感じるし、小指とかなんかボリュームが足りなくて嫌」
「はー? 足とか時々ちょっと毛が生えてて下品ですし。やっぱり二の腕でしょ? あのすらっとしていながらも、むっちりとしたほどよい肉付き具合が美しいのよね」
「あ、すいません。まいのりてぃーさんは黙っててくださいね」
「少数意見なのに声でかくして主張されるとストレス溜まるわー」
「ちょっと、誰がマイノリティーなのよ! 私メジャー級だもん! 守備範囲も一流で広いんだもん!」
「うそつけ! メジャー級な奴が自分でそんなこというわけねーだろ!」
「そうよこのオタク! マニア向け! 少数派! ばか! ばか! 妖精! あのもじゃもじゃっとしてふくよかなすね毛が醜いってどういうこと!?」
「誰が妖精だよてめーっ!」
妖精たちは、そんな具合に、勝手にいい合いをはじめてしまった。
朝っぱらから血圧が高いわね、と、さとりが苦く思っていると、ふと、向こうの通路から、空がやってきた。
「あ、さとり様、おはようございまーす」
「おはよう。ひさしぶりね」
「え? あ? あれ? そうでしたっけ? お久しぶりでしたっけ?」
「二ヶ月ぶりじゃないの」
「あれー? おかしいな? さとり様には昨日会ったような……うん? ……一昨日?」
空は、よくわからなげな顔で首をかしげて言った。
よく覚えていないらしい。
「あ、烏だ!」
「うわでた烏。やばいつつかれるぞ! 気をつけろ!」
「あの目の部分が夜中とか光ってそう! 恐い!」
そのうち、妖精たちが、空に気づいてはやしたてはじめた。
空は、いきなり騒ぎ立てられて、ちょっとむっとしたように眉をひそめてそれを見下ろした。
「ああん? なによあなたたち、人を見るなり」
「だって烏は恐いじゃん。ねー」
「ねー。目を狙ってくるよねー。意外と近くで見るとでかいしねー」
「なんか死体臭いし飛ぶし黒いし光物とかいっぱい集めてそうでこわい」
「集めてないわよ! そりゃちょっとは死体臭いけど毎日お風呂入ってるし!」
「ああ、烏が怒ったわ!」
「ああ、見て! 見て! あの赤い目が光ってる! やっぱりあれはそういうのなんだわ! さてはこれが魔法ってやつなのね! 素敵!」
「あ、あとあのリボンの部分が本体の感情に合わせてへにょったりぐおおってなったりするのよね!? むしろあれは身体の一部なのよね!?」
「はー? そんなわけないでしょ? 御伽噺じゃないんだから。でもそういうメルヘンがあってもいいと思わない?」
「そうよそうよ! 怒ってるときはあの胸の目が赤くなって、眠ってるときとかは青くなってるのよ、きっと! 素敵!」
「三分越えると安っぽい音立てて点滅しだしたりするのよね!」
「うるせーっ!! 馬鹿にしてんのお前ら!?」
空は、完全に頭に来て叫びだした。
妖精たちは、完全に面白がっているようで、それを見て、きゃあきゃあ騒いでいる。
さとりは、とりあえず巻き添えを食わないように、その場から離れて、食堂へと向かった。
さて、朝食は出来ているだろうか。
地霊殿。
食堂。
「あ、さとり様。おはようございます」
「おはよう」
さとりが食堂の入り口を過ぎて、そこにいた燐に挨拶を返していると、ちょうど屋敷がぐらりと揺れた。
「おっ……と。ん? なんだあ?」
燐が、食器を並べながら呟いた。
さとりは、わりと平然として入っていくと、椅子を引いて座った。
近くでこぽこぽと音を立てる紅茶と、奥から香ってくる茹でた鶏肉の匂いに食欲をそそられていると、また、地響きのような音が鳴る。
「なんだろ、騒がしいなあ」
「空が暴れているんでしょう。さっきあなたのとこの妖精連中にからかわれていたわよ」
「あ。ありゃあ……どうも、こりゃすいません」
「あなたが謝ってもしょうがないと思うけどね。まあ、あんなの相手にするほうもするほうなんだけれど」
「いえ、まあ、おくうですからねえ……まったく、連中には後でちゃんと言っておかないとな。あ。えーと、それじゃ、とにかくちょっととめてきます」
「ええ、お願い」
さとりが言うと、燐は、頭にしていた真っ赤な三角巾と、同じ色の真っ赤なエプロンを解きながら奥のほうに行き、そこにいたらしい誰かと、二、三言会話をして、またこちらへ来て食堂を出て行った。
それからほどなくして、奥から別のペットが紅茶のカップを運んできた。
さとりはそれを手に取り、仄かな香りを味わった。
しばし後。
地霊殿。
廊下。
「……おうふ?」
こいしは、屋敷中に響く轟音を聞いて、ようやく目を覚ました。
目を開けると、ふと身動きが取れないのを不思議に思い、身体を見下ろす。
こいしは、そこでようやく自分が瓦礫にうまっているのに気がついた。
「あん……?」
目をぱちくりとさせて呟く。
地霊殿。
廊下。
「うー。いたた。たくもう。おりんのやつったらさ。ぶつこたないじゃないの」
空は、ぶつくさ言いながら、ところどころが崩れた廊下を一人で片付けていた。
先ほど、激怒した燐が、引っこ抜いた柱でぶん殴って止めた挙句、罰として、仕事に行く前に全部片付けをしていくよう言い渡していったのだ。
「あーあ、お腹すいたなあ」
空が溜息混じりにぼやいていると、後ろでどかん! がごごん、と音が上がった。
「うっおーっ! くっあー!」
「うおわっ!」
いきなり響いた声と、急に瓦礫が勢いよく吹っ飛ばされたような音に驚き、空はちょうど持ち上げていた、自分の身体ほどもある瓦礫を取り落とした。
「なっなに!?」
空が、びびって振り向くと、見やった先で、なぜか埃まみれのこいしが、半分寝ぼけまなこで立っている。
空が呆然としていると、こいしは上げていた腕を下ろして、何事か言い始めた。
「……おはようございます。それではきょうのこいしちゃんをお伝えします。今朝未明、地底のでかいお屋敷で落盤事故があり、崩落現場後から多数のこいしちゃんと見られるこいしちゃんが発見されました。警察では身元の確認を急いでいます」
「あ、こ、こいし様、おはようございます……」
「おはようございます。というか、なんで起きたら埋まってるの? まあいいや。お腹すいた。ごはんごはん」
こいしは、言いながら瓦礫を抜け出して、そのまま廊下を歩いていった。
空は、あっけにとられて見送ったが、特に問題も無いようだったので、そのまま、瓦礫をのける作業に戻った。
地霊殿。
廊下。
「ったく、空のやつめ、朝っぱらから世話焼かせんじゃないわよ」
燐は、ぶつくさ言いながら、ところどころ崩れた廊下を歩いていた。
先ほど、暴れる空を、引っこ抜いた柱でぶん殴って静めてから、片付けをするように言い渡して、今は汚れた服を替えに戻っている所だった。
「あー、もう。手入れしたばっかりだってのに……」
「おはよう」
「おうっ、……あ、なんだ。こいし様。おはようございます。あれ、なんです? どうなさったんです、その様子?」
「いや、私に聞かれてもな。起きてるときに埋められれば気づきようもあるけど寝ている間に埋められたのではどうしようもないでしょ? 埋められるのは死んでいる証拠だけど私は生きているからこうなったわけで」
「ああ……もしかして、さっき巻き込まれてました? すみません、気づかなくって」
「問題ない。じゃあこれから隣の朝ごはん系のイベントがあるからこれで」
「ああ、ちょっと。駄目ですよ、そんな格好で食堂なんか言ったら。さとり様が怒りますよ。ちゃんとお着替えなさってください。ああ、そうだ。あたいも、ちょうどこれから風呂行くところでしたから。こいし様もご一緒に行きましょう」
「うーん、まあお姉ちゃんは恐いからなーしかたがないかー」
こいしは、言うと、燐について歩き出した。
地霊殿。
食堂。
「あーお腹すいたわー。ごはんごはん」
さとりが食事を終えてくつろいでいると、全身埃まみれの空がやってきた。
そのまま食卓に着こうとするので、さとりは紅茶のカップを置いて、空を見た。
「――おくう。待ちなさい」
さとりが言うと、空は、声の調子でなにか察したのか、ぎくりとした様子でさとりを見た。
「その様子はなんなの? 食べる前にちゃんと着替えてきなさい」
「い、いや、でもー」
「でもじゃないの。だらしないでしょう。ひどい有様よ、あなた」
「うー、だって……」
さとりはきびしく言うが、空は、じれったそうにうなった。
まあ、元が動物であるから、身体を洗うよりも食欲のほうが優先なのだろう。
さとりは、溜息をついて、しかたないか、と思いつつ、立ち上がった。
まあちょうど食事も終わったことだし、たまにはいいだろう。
「いいから、ちょっと来なさい。ご飯食べる前にお風呂に入りましょう。身体を洗ってあげるから。ほら、立って」
「うー……」
空はうなりつつも、しぶしぶと立ち上がった。
さとりは、その背中を押して歩き、食堂を出て行った。
そんな感じでその日の朝は始まった。
その後の一日も楽しそうで何よりです。
作者様には是非とも改訂版の制作をお頼み申し上げます。
これで笑った。なんだろ。ツボだ。